2017.09.19

工藤静香デビュー30周年記念ライヴ、の巻

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↑ 9月16日の東京・Zepp DiverCity (Tokyo)でのライヴ(スポニチ Sponichi Annex記事より転載)

 9月18日(月・祝)
 行ってきました!! 「Shizuka Kudo 30th Anniversary Live 凛」、つまり、工藤静香デビュー30周年記念ライヴ。このライヴは、9月16日に東京、18日に名古屋、23日に大阪・難波でおこなわれるので、ホントならば大阪のに行けばいいのですが、あいにくそちらは研究旅行と重なってしまったために、名古屋に行くことにしたのです。

 いやあ、凄かった!! 静香さん、最初はブルー、後半は真紅のドレスで登場(アンコールではラフなジーンズとTシャツ)で、これもホントに綺麗だった。実に2時間、アンコールもいれて31曲(会場からのリクエストによったアカペラの「千流の雫」を加えると32曲)をほとんどノンストップで駆け抜けるという恐るべき力技。中には、最新アルバム「凛」からの曲や、記念すべきファースト・アルバム「ミステリアス」からの曲なんかも含めていて、実に多彩。それに、なんと、会場には静香さんと名コンビを組んでいた作曲家の後藤次利氏も来ていたのもビックリ!

 静香さんの歌唱力には定評があるが、今回はそれにますます磨きがかかっていました。静香さん、バラードなんかも上手いのだが、なんといっても彼女の最大の魅力はドスの効いた節回しの圧倒的な気迫にある! 静香にはやっぱりロック・テイストの曲が似合うのであるが、このライヴでは意図的にそうした曲が選曲されている。静香の最高傑作のひとつである「BlueRose」からスタートするのも嬉しい。名曲「くちびるから媚薬」は、CDでの演奏をはるかに上回るスピードでグイグイと押し切っていく。いったいこの人の細い身体のどこから、こんなパワフルなエネルギーが出てくるのだろうか? 会場も静香の気迫に応えて盛り上がりがすさまじく、彼女自身も感極まったのか、「恋一夜」の途中であふれる涙をこらえきれなくなっていた。

 30年間、工藤静香ファンを続けてきて本当に良かった、そう思える夜だった。今月はどういうわけか、いろんなことがたてつづけにおこってしまい、いささか気力喪失していた。そうした鬱々とした気分を吹き飛ばすことができたような気がする。

2017.09.06

愛犬クイール、ありがとう、の巻

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 9月4日午後8時45分、わが家の愛犬クイールが虹の橋を渡っていきました。2003年5月20日生まれですから、14歳と3ヶ月の生涯でした。
 クイールがわが家に来たのは、2003年の7月でした。いつものように愛犬マックのゴハンを買いにいったペットショップに、生まれたばかりの小さな小さなペキニーズがいたのです。ペキニーズはマックのようにフォーン(茶色)かまたは白色であることが多いのですが、これはブラック&ホワイト。まるでパンダの子供のようで、本当にこの世のものとは思えないような可愛さで、私たちは一目惚れしてしまったのです。わが家に迎え入れても、小さな身体でちょこちょこと歩き回る姿が愛らしかった。
 名前をなんとつけようと悩みました。当時、「盲導犬クイールの一生」というのが世間の話題をさらっていました。別にわが家の犬は盲導犬でもないし「クイール(鳥のはね)」の模様もないのですが、盲導犬クイールのような賢い犬に育ってくれることを祈って、その名前をもらったのです。
 それから14年、お兄ちゃん犬のマックと、あとで迎えた弟犬のルークと、3匹のペキニーズでわが家は大変賑やかでした。マックはどうもクイールにライバル心を抱いていて、自分のほうが上だということをわからせることにやっきになっていたようです。ルークはクイールと年齢が近いこともあって大変仲が良く、よく、くんずほぐれつしてじゃれあっていました。
 ただ、どういうわけか、クイールは私よりも妻が好きで、私にはあんまり懐かなかった。クイールは私に抱き上げられたり身体(特に尻尾)を触られるのがイヤで、そのたびに唸り声をあげていました。幼い時、私が急に抱き上げたのにビックリしたのがトラウマになっているんだというのが妻の説なのですが、このあたりの真相はわかりません。でも、私が帰宅した時など、全身で喜びをあらわしながらすり寄ってきてくれるのは、やはり大事な家族だったことを実感させます。同じペキニーズといっても、マックの毛はフカフカなのに対して、クイールの毛はまるでシルクのような柔らかい手触りで、私はこの毛を撫でるのが大好きでした。

 しかし、今年の夏にはいるくらいから、クイールは急激に老化してきたのが見ただけでわかりました。だんだん自分の足で立てなくなり、大好きな散歩もなかなか行くことができなくなります。やむをえないので、犬用のハーネス(胴輪)を装着して持ち上げるような形で歩かせてきたのですが、今月にはいってからはついにそれもままならなくなりました。最初は食欲だけはあったのですが、次第にいつものドッグフードを食べなくなってしまいます。あれやこれやと好きな食べ物を与えると、その日は食べてくれるのですが、それもだんだんと拒否してしまいます。動物は、自分の口でモノを食べられなくなるとヤバイと思います。やむをえないので、缶詰のドッグフードなどをすり鉢で丁寧にすりつぶした流動食を作って、犬用のシリンジ(注射器というかスポイトみたいなもの)でゆっくりゆっくりと口にいれてやるのが私の日課となりました。しかし、最期にはそれも受け付けなくなったようです。
 9月4日、あいにく私は出張に出ていたのですが、その日の夜に妻からメールがきました。今、私の胸でクイールが息をひきとった、とのことでした。もう1日待っていてほしかったというのは確かなのですが、しかたありません。翌日の夕刻、帰宅した私をクイールは無言で迎えてくれました。今までの14年間が走馬灯のように頭を駆け巡り、涙がとめどなく出て止まりませんでした。

 クイール、14年間、いろんなことがあったね。キミのことを愛してたよ。いまごろは虹の橋の向こうでマック兄ちゃんと再会しているよね。クイール、ウチに来てくれてありがとう。本当にありがとう。クイール、どうか安らかに。

2017.08.16

お盆、の巻

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 8月16日(水)
 お盆も終わり。雨やなんやで行けていなかったお墓参り、やっと行く。そのあとは京都国立博物館にお邪魔して、特集展示「大政奉還150年記念 鳥羽伏見の戦い」と、特集展示「京都水族館連携企画 京博すいぞくかん ─どんなおさかないるのかな?」を見学。「瓦版 淀の川瀬」は淀城の水車が堂々たる菊の御紋(天皇)になっており、そこに十文字の井桁(薩摩島津)がぶらさがっており、その横を葵の御紋(徳川)が逃げていくという面白い図像。「瓦版 相撲取組」も、長州毛利の家紋の顔の相撲取りが葵の御紋の相撲取りを投げ飛ばしているという図。新政府による宣伝ビラであるところが面白い。

 夜は、大文字の送り火。犬2匹を連れて自転車で出かけて、しめやかに手をあわせる。写真は、上長者町の西洞院あたりから望んだ大文字。左側の民家のあたりが、安部晴明の邸宅跡にあたる。

2017.08.12

『山田邦和著作目録(暫定版)』をウェブ公開します、の巻

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 ずいぶん前から、自分の「著作目録」をまとめたいな、と思い続けてきました。
 歴史学・考古学の研究を自分の一生の仕事と思い定めてから、かなりの時がたちました。牛歩のような遅さであることは自覚していますが、それでもこれまで曲がりなりにも研究を続けてくることができたのは、本当に幸せだと思っています。研究生活を継続してきますと、多少の著作物がたまってくるようになります。どれもこれも自信という言葉からはほど遠い習作にすぎませんが、研究者としての人生を選んだ私にとっては、著作物とは自分が生きてきた足跡そのものと感じています。たとえて言うならば、自分の著作物とは愛しい「わが子」だという気がしているのです。そうであるならば、私には「わが子」たちを見守り続けてやらねばならない責務があるでしょうし、そのためには「わが子」たちがどこにどういうふうに散らばっているのかを把握しておかなくてはならないでしょう。著作目録が必要とされるゆえんです。研究者としての私にとっては、著作目録こそはまさに自己存在の証明書であるように思っているのです。


 私が教えを受けてきた先生方、お世話になった先輩諸氏、さらに、著書や論文を通じて学恩を受けてきた研究者の中には、立派な著作目録を作っている方がたくさんおられます。角田文衞先生(古代学協会理事長)、森浩一先生(同志社大学名誉教授)、網野善彦先生(神奈川大学特任教授)のものは素晴らしいものです。また、特に梅棹忠夫先生(国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授・京都大学名誉教授)のものは、おそらく研究者の著作目録としては最大のもののひとつでしょう。こうした立派な著作目録に触れるたびに、私もいつかはこういうものを作りたい、という憧れを募らせてきたのです。

 ただ、ひとくちに自分の著作目録を作るといっても、解決しなくてはならない課題が山積みになっており、それはなかなか一筋縄ではいかない大仕事です。そこで、正式の著作目録を作る前段階として『山田邦和著作目録―附・講演目録など―(暫定版)』を作成しました。皆さまのご意見を取り入れながら、いずれ機会を改めて、もっと良い形で正式の著作目録に仕上げていきたいと思っています。

 著作目録(暫定版)は200部を印刷し、出会うたびに先生、先輩、友人の皆さんに押し付けてきました。私の年齢で著作目録を作るというのはちょっと早すぎるように受け止められたようで、中には呆れられた向きもあったようです。しかし、梅棹忠夫先生は著作目録の準備を50歳の誕生日の直前から始められておられましたし、そういう点ではまあいいのではないかと思っています。

 ただ、いろんなところでバラまいた結果、紙媒体のものはそろそろ在庫が尽きてきました。そこでPdf版を作成し、このブログの付属のウェプページでダウンロードできるようにします。ご関心のある方は活用していただけたらと思います。
『著作目録(暫定版)』のダウンロードはこちらから。

 なお、niftyの@homepageが2016年11月10日でサービス提供終了となってしまったため、それ以来、本ブログの「プロフィール」欄が非表示になってしまいました。今回、それもウェブサイトで公開しますので、よろしくお願いします。
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2017.08.09

第3回森浩一先生に学ぶ講演会、の巻

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↑ 泉大津高校考古学資料室と、同校地歴部の勧誘ポスター

 8月6日(日)
 森浩一先生に学恩を受けた有志でつくる「森浩一先生に学ぶ会」の第3回講演会で、泉大津行き。8月6日は、まさに森先生の三年目の命日である。
 大阪府立泉大津高校は、森先生が大学を卒業して最初に教諭として赴任された勤務地というゆかりの場所である。先生は最初は英語担当だったが、のちにはそれに社会科担当が加わったという。さらに、奥様の淑子先生(旧姓蛭川)との出会いの場になったのも、この泉大津高校時代のことであった。

 ただ、恥ずかしながら、これまではご縁がなくて泉大津高校に足を運ぶ機会がなかった。行ってみると、大阪府立弥生文化博物館から10分くらいのところであることにびっくり。ついでに、弥生博物館で開催中の「沖縄の旧石器人と南島文化」を見てから高校に伺う。

 それにしても、暑さ全開で頭がクラクラしそう。こんな暑い中でお客さんが集まるかな、と心配したが、会場は満席に近くなって、ほぼ70人くらいが入場されていて、安堵。

 最初に、泉大津高校の濱本泰治校長先生の挨拶。そして深萱真穂さんが司会、よんどころない事情で欠席された菅谷文則橿原考古学研究所所長の挨拶を代読。最初の講演は泉森皎・元橿原考古学研究所副所長の「森浩一先生と泉大津高校」。私の担当はその次の講演「須恵器の編年と森浩一先生」。森先生が泉大津高校在職時代に情熱を傾けられた須恵器研究を振り返る。さらに、森先生の古くからの協力者であった杉本憲司佛教大学名誉教授、田中英夫橿原考古学研究所共同研究員、宮川徏同研究所共同研究員による鼎談「森考古学と和泉」(司会は天野幸弘元朝日新聞社編集委員)。

 休憩時間に、泉大津高校の地歴部の活動の場となっている「考古学資料室」を見学させてもらう。面積は小さいけれども、和泉の古墳や須恵器窯の重要遺物がぎっしりと詰まっている。これは、森先生が築き上げたものである。のちに森先生が同志社大学で実現した「考古学資料室」および「歴史資料館」の源流はこんなところにあるんだな。地歴部が現在でも活動を続けていて、森先生(さらにはその後任となられたのは石部正志先生)以来の伝統が脈々と受け継がれていることに感動する。高校生の時から真摯に学問にとりくむ姿勢を学ぶことは、彼らの将来に多いに役立つに違いない。


【しゃべったこと】
◯「京都学講座・院政期京都の研究3(4)福原京の復元(1)」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年7月21日)
◯「(1)唐の長安と洛陽」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年7月28日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(1)嵯峨野・太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都朝日カルチャーセンター京都、2017年7月14日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(2)秦氏と広隆寺」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年8月4日)
◯「須恵器の編年と森浩一先生」山田邦和(講演)(森浩一先生に学ぶ会(主催)「第3回 森浩一先生に学ぶ講演会」、泉大津、泉大津高校同窓会館、2017年8月6日)

2017.07.07

ずいぶんとご無沙汰、の巻

ずいぶんご無沙汰しました。ブログの更新がないので御心配した、という方もおられたようで、まことに申し訳ありません。体調不良とかそんなことではなく、単に怠けていただけです。この間、いろんなことはあったのですが、何から書いたらよいのかわかりません。とりあえず空白を埋める意味で、この間に「やったこと」を列挙しておこうと思います。


【書いたもの】
■『山田邦和著作目録―附 講演目録など―(暫定版)』山田邦和(編)(京田辺、同志社女子大学現代社会学部山田邦和研究室、2016年12月31日)、全96頁
■『「天橋立学」への招待―"海の京都"の歴史と文化―』天橋立世界遺産登録可能性検討委員会(編)、宗田好史・仲隆裕(編集委員)、宗田好史・上杉和央・仲隆裕・深町加津枝・奥敬一・森宣和・山口睦雅・高原光・赤瀬信吾・天野文雄・吉野健一・山田邦和・菱田哲郎・上田純一・福島恒徳・吹田直子・今井一雄・小田彰彦(著)(京都、法蔵館、2017年3月12日)全321頁
 ~◇山田邦和(著)「天橋立の歴史的景観」211~221頁
 ~◇山田邦和(著)「宗教都市としての天橋立」248~252頁
■「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」山田邦和(著)、(『条里制・古代都市研究』第32号、東大阪、条里制・古代都市研究会、2016年3月1日)、1~18頁
■『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』歴史群像編集部(編)、かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・小沼理・丹羽篤志)(編集)、板垣真誠・伊藤展安・香川元太郎・黒澤達矢・中西立太・藤井康文(鳥瞰イラスト作成)、小田和利・山田邦和・平井聖・九州歴史資料館・平山優・和根崎剛・西ヶ谷恭弘・福島克彦・中井均・跡部信・坂井尚登・勝見譲・越中哲也・村松伸・伊東宗裕・山村竜也・中村武生・有坂純(イラスト監修)(「学研ムック」、東京、学研プラス、2017年1月12日)、全143頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「平安京―平安時代―」13~16頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「戦国の京都―戦国時代―」69~72頁
■「書評『世界遺産と天皇陵古墳を問う』編・今尾文昭、高木博志」山田邦和(著)、(『京都民報』第2775号、京都、京都民報社、2017年2月26日)、5頁
■「新刊紹介 歴史家の案内する京都 山田邦和他編著」山田邦和(著)、(『同志社時報』第143号、京都、同志社、2017年4月1日)、85頁
■「三笠宮崇仁親王殿下の薨去」山田邦和(著)、(『土車』第131号、京都、古代学協会、2017年3月20日)、1頁
■『京の三条―SANJO STREET―』京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉(編)、山田邦和・笠原一人・大塚活美(執筆)(京都、京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉、2017年3月〈発行日記載なし〉)、全14頁
 ~◇山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」2~4頁
■『京の三条 Sanjo-dori, Kyoto―SANJO STREET―』The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference)(Compiled), Kunikazu Yamada, Kazuto Kasahara, Katsumi Otsuka(Author), Kyoto, The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference), March, 2017〈day,unknown〉,pp.1-14
 ~◇Kunikazu Yamada(Author)"A Bird's-Eye View of Sanjo-dori ―Unraveling Its Historiy―"pp.2~4
■『京の三条 京都的"三条通"-SANJO STREET-』京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府·京都文化博物馆·姊小路区域侦探讨会·京都三条城区规画协会〉(编辑),山田邦和·笠原一人·大冢活美(执笔)(京都京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府·京都文化博物馆·姊小路区域侦探讨会·京都三条城区规画协会〉,2017年3月〈没有发行日期记载〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三条通-解读"三条通"的历史-」2~4頁
■『京の三條 京都的"三條通"-SANJO STREET-』京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉(編輯),山田邦和·笠原一人·大冢活美(執筆)(京都,京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉,2017年3月〈沒有発行日期記載〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三條通-解讀”三條通"的歴史-」2~4頁
■『京の三条―교토의 산조 도리(거리)―』교토 문화박물관 지역혐동사업 실행위회 <교토부·교토 문화박물관·아네야코지 일대를 생각하는 모임·교토의 산조 동내 만들기 협의회>(편집),야마다 구니카즈・가사하라 가즈토・오쓰카 가쓰미(집필)(교토,교토의 산조 동냬 뫈들기 혐의회,2017년3월〈「일」은 기재되지 않고 있다〉),전체로 14페이지 있다
 ~◇야마다 구니카즈(집필)「산조 도리(거리)를 부감한다―산조 도리(거리)의 역사를 펴서 읽는다―」,2-4페이지
■「角田文衞『平安京と羅城門』解説」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、7頁
■「清水睦夫博士の逝去」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、8頁
■『第13回京都検定 問題と解説』京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・髙橋寛・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・萬谷彰三・山田邦和(執筆)(京都、京都新聞出版センター、2017年6月30日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は009・010・107・108・203各頁)。

【しゃべったこと(学会)】
◯「(調査レポート)質疑・討論」山田邦和・舘野和己(座長)、山本亮・滝沢匡・猪狩俊哉・坂本嘉和・堀内和宏(パネラー)(条里制・古代都市研究会「第33回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
○「鴨川の禹王廟と治水神信仰」山田邦和(記念講演)、(治水神・禹王研究会「第4回総会・研究大会」、京都、佛教大学1号館415教室、2017年3月26日)

【しゃべったこと(講演)】
◯「【鳥辺野】考古学者と巡る清水坂、生と死が交差する周縁の地―陰陽師や非人たち最大の根拠地、死者の都市・鳥辺野へ―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、京阪清水五条駅集合。松原橋、物吉村跡、西光寺、六波羅蜜寺、六道珍皇寺、清水坂、大谷本廟、妙見堂、鳥辺山墓地、安祥院、清水寺を見学、2017年1月22日)
◯「豊臣秀吉の天下統一と首都づくり―御土居・聚楽第・伏見城―」山田邦和(講師)、いなべ市教育委員会生涯学習課〈主催〉「いなべ市民大学講座―平成28年度生涯学習事業―」第5回いなべ員弁コミュニティプラザ2017年2月5日
○「京の武士と町衆―洛中洛外図の時代―~パネルディスカッション」山田邦和(コーディネーター)、マシュー・スタブロス、川嶋將生、三枝暁子(パネリスト)(京都府立京都学・歴彩館〈主催〉、京都府立大学〈共催〉平成28年度国際京都学シンポジウム「京<みやこ>の武士と町衆―洛中洛外図の時代―」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2017年3月19日)
○「信長は何をめざしたか―将軍か関白か太政大臣か―」山田邦和(講師)(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成29年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2017年3月21日)
◯「天下人秀吉のふたつの伏見城」山田邦和(講師)、(京田辺市・京田辺市教育委員会・同志社大学〈主催〉「2017(平成29)年度 京たなべ・同志社ヒューマンカレッジ」、京田辺、同志社大学京田辺校地恵道館、2017年5月20日)
◯「白河・鳥羽」山田邦和(講演)、(姫路市教育委員会主催「平成29年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉」、姫路、姫路市市民会館、2017年6月19日)
◯「京都学へのいざない」山田邦和(講演)、(2017年度私立大学図書館協会西地区部会京都地区協議会第1回研究会「世界へ翔け! 京都学 」、京都、京都府立京都学・歴彩館小ホール、2017年6月30日)

【しゃべったこと(連続講座)】
◯「院政期京都の研究2」「(3)平治の乱の勃発」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年1月20日)
◯「院政期京都の研究2」「(4)平治の乱の展開」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年2月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(5)平清盛の栄華と建春門院」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年3月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(1)六波羅と法住寺殿」山田邦和(講師)、(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年4月21日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(2)福原遷都とその挫折(1)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年5月19日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(3)福原遷都とその挫折(2)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年6月16日)
◯「(1)皇室の菩提寺『御寺』泉涌寺と月輪陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年1月20日)
◯「(2)明治・大正・昭和天皇陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年2月17日)
◯「(3)天皇陵・拾遺」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年3月24日)
◯「(1)ヤマト政権歴代の「都」と大型古墳」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月28日)
◯「(2)飛鳥の都」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月年5月26日)
◯「(3)天智天皇の近江大津宮」山田邦和(講座) (栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月6月23日)
◯「明治維新と京都の近代化(1)明治天皇の東幸と京都の衰退」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年1月13日)
◯「明治維新と京都の近代化(2)京都の近代化」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年2月10日)
◯「明治維新と京都の近代化(3)(現地見学)琵琶湖疏水とインクライン」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、琵琶湖疏水・インクライン・琵琶湖疏水記念館を見学、2017年3月10日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(1)弥生時代から古墳時代の京都盆地」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(2)巨大古墳の時代の京都」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)恵解山古墳と勝龍寺城跡」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年6月9日)

2017.02.12

竹田聴洲先生シンポジウム、の巻

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 2月11日(土)
 佛教大学宗教文化ミュージアムで冬期企画展「佛大逍遥IV―竹田聴洲―」が始まり、関連シンポジウム「竹田聴洲の人と学問」が開催されるので、出かけていく。

 竹田聴洲先生(1916~1980)は民俗学者で、同志社大学文学部教授や佛教大学文学部教授を歴任された。『祖先崇拝―民俗と歴史―』(京都、平楽寺書店、1957年)、『民俗仏教と祖先信仰』(東京、東京大学出版会、1971年)、『日本の民俗26「京都」』(東京、第一法規出版、1973年)、『竹田聴洲著作集』全9巻、国書刊行会、1993~1997年)などの著書によって知られている。この展覧会とシンポジウムは竹田先生の生誕100年を記念するもので、八木透佛教大学歴史学部教授が「不屈の学僧―竹田聴洲の人と学問―」と題した基調講演、研究報告を大谷栄一佛教大学社会学部教授、大野啓佛教大学非常勤講師、村上忠喜京都市歴史資料館担当係長、菊池暁京都大学人文科学研究所助教、斉藤利彦佛教大学歴史学部准教授が話される。いずれも充実した内容で、竹田先生の学問のありかたと、それが現代の民俗学にどう受け継がれているかがよくわかり、まことに勉強になる。とくに八木教授の基調講演からは、ありし日の竹田先生の面影が浮かび上がるように思い、感銘を受ける。村上さんの報告の中で、思いがけずも私の名前を出していただいたのは光栄。

 感慨深いのは、私は竹田先生の授業を聞くことができた最終の世代だということである。今回のシンポジウムの報告者の中でも、生身の竹田先生を存じ上げておられるのはおそらく八木教授おひとりではないだろうか。休憩時間に八木さん(大学での私の3年先輩にあたる)と話をしながら、お互いもうそんな歳になったんですねと、苦笑いし合ったことであった。

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 竹田先生のお名前を最初に耳にしたのは、たぶん高校生の時だったと思う。私の通っていた同志社香里高校では、1年生では地理、日本史と世界史は2・3年生で学ぶことになっていた。どういうわけなのかは知らないが、その頃の同志社香里高校では日本史の非常勤講師の先生は、同志社大学の竹田ゼミの博士課程の大学院生や修了生が来ておられることが多かった。1年生の時には竹田先生の教え子であった長谷川嘉和先生(のちに滋賀県教育委員会で近江の民俗調査に主導的な役割をはたされる)が来ておられた。私は長谷川先生の授業を受けることはなかったのであるが、よく先生を訪ねていろんな話を聞かせていただいた。おそらくそこで竹田先生の名前を知ることになったのだと思う(なお、この時、長谷川先生から宮本常一氏の書物を読むことを勧めていただいたこともありがたかった)。

 高校2年生になった時に、長谷川先生に代わって非常勤講師として来られたのが、同じく竹田先生の高弟のひとりであった赤田光男先生(のち、帝塚山短期大学教授、帝塚山大学人文学部教授を経て、現在は帝塚山大学名誉教授)だった。私は赤田先生には大変良くしていただき、いろんなところにくっついていった。私の民俗学への興味関心は、たぶんこのあたりから生まれたのだと思う。
 なお、私の論文の中に、「京都の都市空間と墓地」(山田『京都都市史の研究』所収、東京、吉川弘文館、2009年。初出は1996年)がある。これは考古学研究者が墓を論じたものとしてはまったくの異色作であって、考古学の墓研究では常識ともいえる、火葬墓と土葬墓の区別とか、棺や骨蔵器の材質や形態による分類といった方法を意識的に拒絶している。これは、私の墓に対する問題意識が民俗学的な部分から始まったからなのである。また、「鴨川の治水神」(山田『日本中世の首都と王権都市―京都・嵯峨・福原―』所収、京都、文理閣、2012年。初出は2000年)という論文もあるが、これはまったく歴史民俗学の手法による研究である。のちにこうした研究をすることになったのも、高校生の時にめばえた民俗学への関心が時を隔てて結実したものだと思っている。

 大学に入学すると、1回生が採れる授業の中に「歴史A」というのがあった。大教室でおこなわれるいわゆる一般教養の日本史である。この担当が竹田先生であった。私は一番前の席に腰掛け(この時、同じく一番前に陣取っていたのが、あとで一緒に同志社大学民俗学研究会を復活させてそこで一緒に民俗学の勉強にとりくむことになる秋庭裕氏〈現・大阪府立大学人間社会学部教授〉であった)、期待に胸をふくらませながら授業の開始を待った。しばらくすると前列の扉が開いて、坊主頭の初老の男性が入ってきた。背広をきておられたのだが、なんだかダブダブの感じで、失礼ながらぜんぜん似合ってなかった。同じく受講していた学生の中には、用務員のおっちゃんが黒板を拭きにきたのだと勘違いしてしまった人もいたらしい。それが竹田先生だった。
 竹田先生は教壇に座ると、すぐに講義を始められた。これが昔ながらの大学教授の講義で、「これから私のいうことをノートするように」と宣言されて、ひたすらに講義ノートを読み上げられ、その合間々々に解説が挟まれ、私たち学生は先生の言葉を一生懸命書き取るのである。もし、今の大学でこんな授業をやろうものならば、学生から「私たちは筆記の機械ではない。書き取らせるだけならばそれをプリントにして配るべきだ」などという抗議の山が積み上げられるに相違あるまい。しかし、私はいまでもこの時のノートを大事に保管しているのであるが、これが見事な「民俗学概論」になっていることに感心するのである。竹田先生の主著である『民俗仏教と祖先信仰』(1250ページ!!)を読もうとして一生懸命取り組んだのもこの頃のことである。
 しかし、1回生の秋に、不穏な噂が聞こえてきだした。竹田先生が定年前に同志社大学を辞められるというのである。これにはいろいろ学内の事情があったらしいのであるが、それについての詳しいことは私は知らない。私も衝撃を受けたが、私の同級生には竹田先生のゼミに進んで民俗学を専攻したいと希望していた学生が何人もいたから、彼らにとってはそのショックは計り知れなかったと思う。結局、この噂は本当となり、竹田先生は1978年3月に同志社大学教授を辞され、4月からは佛教大学教授に転じられたのである。

 先生の『民俗仏教と祖先信仰』は自分の今後の研究にとってどうしても必要な書物だと思ったのであるが、その頃には絶版になって入手困難だったし、古本としても学生の身には手の届かない値段になっていた。しかたがないので図書館でコピーしようと思ったのだが、これも1250ページという大著であるからかなりの労力である。こうしたことを先生にお話ししたところ、「あの本の色刷りの図版(40ページ分)の部分だけは特別の抜刷を作ってあるから、それであるならばあげてもいい」とのありがたいお言葉。なにせ今と違って、カラーコピーなどはない時代の話である。私は、ぜひちょうだいしたいと申し上げた。じゃあ取りに来い、ということで、1978年の2月であったか3月であったかの夜更け、私は先生の住房である百万遍の知恩寺の寿仙院(考古学界では、森本六爾が一時下宿していたことで知られている)を訪れたのである。
 すぐに辞するつもりであったのであるが、どういうわけかそこで、竹田先生は私を引き止めていろいろと話をしてくださる。2時間か3時間ほどいたであろうか。今から思えば、一対一の講義という贅沢きわまりない機会を与えてもらったのである。さらに、私のお目当ての『民俗仏教と祖先信仰』について先生は「自分の手元にも僅かしか残っていないけれども、そんなに勉強したいのならば譲ってやろう」、と言っていただけたのである。もちろん、抜刷ではなく現物である。さらにさらに、この本を出してこられた先生は、「じゃあ、君のためにサインをしてやろう」と言われて、本の見返しを開くとおもむろに筆に墨を含ませ、見事な筆致で「昭和五十三年初春、まさに同志社を去らんとす 山田邦和君架蔵のため 著者・竹田聴」と署名をしてくださった。そして、さらにさらにさらに、ご自分の肖像写真までもくださったのである。ペイペイの1回生、しかも民俗学専攻でもない学生に対してこれほどの御厚情を示されたわけはよくわからないけれども、四半世紀近くにわたって勤務された同志社大学を去るということで、先生御自身にも何らかの感傷があったのかもしれない。

 その翌年度には私は、佛教大学で開かれた先生の講義「民俗学概論」を聴きにいくことにした。竹田先生にそう申し上げると、笑って「まあ、そうしたいんなら勝手にせよ」と言っていただいた。ただ、そうはいっても受講料を払ったわけではないから、いわゆるニセ学生である(佛教大学さま、その時には大変々々申し訳ないことをいたしました。改めてお詫びいたします。40年近く前のことなので、なにとぞお許しくださいませ)。ちなみに、同志社大学はこの頃には教室にクーラーなるものはなかったが、佛教大学ではすでにクーラーがついていて、私はそれを羨望の眼差しでながめていた。この時の竹田先生の講義のノートも、私は大切に保管している。
 ところが、その年度の後半くらいから、竹田先生の授業に休講がはさまるようになった。その時の私には知るよしもなかったのであるが、竹田先生は肝臓を病まれ始め、翌年からはしばしば入院加療されるようになったのである。1980年9月6日、竹田先生は64歳で世を去られた。佛教大学に移られてわずか2年半であった。

 竹田先生から私が学んだものの中で衝撃だったのは、「考古学者は古墳を墓だというが、そんなことはない。古墳は埋葬施設ではあろうが、墓というのは遺体の処理以外に霊魂祭祀という側面がともなっていなくてはならないのであり、その点では古墳は墓かどうかわからない」ということであった。この時に先生から示唆をうけた「墓とは遺体処理と霊魂永久祭祀というふたつの機能の複合体である」というのは現在にいたるまでの私の「墓」への基本認識となっている。この概念は、私の「平安京の近郊~墓地と葬送」(『平安京提要』所収、東京、角川書店、1994年。のちに改稿して、山田『京都都市史の研究』所収「平安京の葬送地」)のライト・モチーフともなっているのである。
 また、学界では民俗学のことを歴史学の一分科であり、文献史学や考古学と並んで歴史を復元するためのひとつの「方法」とする考えが多い。しかし竹田先生は有名な論文「常民という概念について」(『現代日本民俗学』II所収、東京、三一書房、1975年。初出は1967年)において、民俗学の研究対象は「民の常」としての「常民」に他ならず、民俗学は一個の独立した学問であることを高唱された。歴史学や考古学の学界でこうした捉え方をしている研究者はおそらく皆無であろうが、私の「中世史と考古学」(『岩波講座 日本歴史 第21巻「史料論〈テーマ巻2〉」』所収、東京、岩波書店、2015年)では、まさにこの竹田理論にしたがって歴史学、文献史学、考古学、民俗学の関係を整理している。私はこの論文を書くことによって、40年近く前に竹田先生から受けた学恩に対して、ほんの一部ではあるがお返しができたような気がしているのである。

2017.02.07

追悼・清水睦夫先生

Photo(←同志社香里高校卒業アルバムより)

 ロシア・東欧(スラヴ)古代・中世史の研究者であり、同志社香里中・高等学校教諭、平安博物館講師(非常勤)および古代学研究所講師(非常勤)をつとめられた清水睦夫先生が、去る1月28日に89歳で永眠された。先生ご自身の遺志により、告別式は近親者のみにて執り行われたとのこと。

 清水先生は1927年に滋賀県大津市のお生まれ。なんでも、早くにご両親を亡くされ、その後はお祖母様のもとで育てられたという。少年時代には、当時の若者の流行であった大陸に憧れて満州に渡ったのであるが、多感な18歳の時に満州の撫順で敗戦を迎えられた。それまで精鋭無比を謳われた関東軍がボロボロの敗残状態となり、それに対して中国人の民衆が憎悪と怨嗟の声を投げつけるのを目撃して強いショックを受けたという。先生ご自身も撫順で相当辛い目にあわれたようだが、そのあたりの詳しい事情は聞いていない。

 日本に引き上げられてからは、満州在住中に習得したロシア語を生かして、大阪市立大学文学部歴史学専攻に進んで当時の日本では珍しかったスラヴ古代史の研究を志された。1949年には角田文衞先生が同大学の西洋史担当の助教授として赴任されているから、清水先生は角田先生の最初期の弟子なのである(清水先生と同じ頃の角田先生の門下生としては、エジプト古代史の研究者であった故・冨村傳先生がおられ、両先生は生涯の友であった)。大阪市立大学を卒業してからは同志社大学大学院文学研究科文化史学(西洋文化史学)専攻修士課程を修了、同志社高等学校講師を経て、同志社香里中・高等学校教諭の職に就かれた。

 私は1974年に同志社香里高等学校に入学した。すぐに清水先生にお目にかかることはなかったのであるが、香里の「名物教員」のひとりであった先生の噂だけはあちこちから聞こえてきた。私が先生に近づきたいという気をおこしたのは、高校の図書室で『世界考古学大系』を紐解いていた時である。第9巻「北方ユーラシア・中央アジア」を開いた私の目に、執筆者のひとりとしての先生の名前が飛び込んできたのである(清水睦夫「スラヴ民族の興起」〈角田文衞編『世界考古学大系』第9巻「北方ユーラシア・中央アジア」所収、東京、平凡社、1962年〉)。感動した私は、わからないままに貪るように論文の文字を追った。なにせ、『世界考古学大系』といえばその当時の最先端の考古学の成果をとりまとめた全集である。それに執筆されるようなスゴイ先生が自分の学校におられる! 考古学を学びたいと思っていながら、何をどうして良いかわからなかった高校生の私にとっては、これは大きな福音だと感じ取られたのである。
 さっそく私は、清水先生が「根城」とされていた社会科準備室のドアを叩いた。間近に見る先生は、トレード・マークの見事な禿頭と、度の強い近眼鏡から放たれる光が強烈な印象を与えた。小さな声でオドオドと「ボク、考古学がやりたいんです」と述べる私に対して、先生は持ち前の皮肉っぽい笑みを浮かべながら、無言で私のことを観察しておられたことであった。
 私の高校の「世界史」の授業は、私の高校では「世界史」は2年と3年の必修科目であり、担当として清水先生ともうひとりの先生の2人がおられた。ただ、2年生の時の私の学年の「世界史」はもうひとりの先生が担当されており、申し訳ないことながら私はこの先生の授業にはほとんど興味を持つことができなかった。しかし、どういうわけか、私が3年生になった時に担当教員の組み替えがあり、清水先生の「世界史」を受講できることになったのである。

 3年になって初めての「世界史」の授業で、清水先生は颯爽と教室に現れ、さっそくに授業を始められた。私は第一声からいきなり引きずり込まれた。目にもとまらぬ速いテンポ、ちょっと甲高いながら艶のある声、確信と信念に満ちた強烈な表現、ロシア語がポンポン飛び出し、ソヴィエト連邦(当時)をめぐる国際情勢の裏話もはさまる。それらが先生持ち前の情熱とともに「立て板に水」のように流れ出し、その中で歴史上の人物や事件が生き生きと躍動するのである。一方では脱線するととめどもなく、教室を爆笑の渦に叩き込むかと思えば、時にはホントかウソかわからないような話を交えて生徒をケムにまく。それはまさに、変幻自在の魔術のような講義であった。これは只者ではないと感じた私は、次の時間からは密かにテープレコーダーを持ち込み、一年間の先生の授業をすべて録音した。本来ならばこういうことはいけないのかもしれないが、かなり後になってから先生に「実は・・・・」と白状したら、先生は呆れたような嬉しいような表情を浮かべて「君はそんなことしてたのか」と言われたから、先生の事後承認が得られたのだと思っていいだろう。このテープはいまも私の宝物のひとつとして大事に保管している。ともあれ、私も今にいたるまでさまざまな先生方の授業や講演を聞いてきたが、清水先生の授業はその中でもトップ・ランクの「名調子」であったことはまちがいない。
 かなり後のことであるが、清水先生は短期間ではあるが同志社大学の非常勤の講師として授業を担当された。それを受講した後輩から「山田さんの講義の喋り方はこの先生の直伝だということがわかりました」と指摘されて驚いたことがある。確かにそうかもしれないのであるが、私など、師匠の話術に追いつくにはまだまだ修行が足りない。

 清水先生が同志社香里高校で展開されていた「世界史」の授業は、今思い出してもスゴイものであった。なにせ、最初の時間は「歴史とは何か」、2時間目は「歴史学の方法論」なのである。それは、確かに高校のレヴェルをはるかに突き抜けていた。その実例として、清水先生のテストの問題の一例を紹介しておこう。
 「(1)Europeの歴史は、政治的にみれば、統一と分裂の二つの対立の間を揺れ動いているともいえる。西欧絶対王政の展開は、まさにそのようなEurope的分裂化の極端な表現である。他国の富と繁栄は自国の貧と衰退と考える。従って他国の犠牲において己の国の独自性と独立主権を図ろうとする。そこで西欧Absolutismの時代とはどういう時代であったか、をスペイン、英、仏について詳述せよ。(60点)
 「(2)1618~48年の三十年戦争は、政治的にどのような影響を神聖ローマ帝国に与えたか。又、大きな観点から考えて、Europeや世界の歴史上、どのような意義をもつ戦争と解釈されるか。(40点)」
 ちなみに、このテストでの私の点数は97点だった。最初は百点をつけていただいたようなのだが、一字だけ漢字の間違いをしてしまっており、それで百点が消されて97点になっていた(´Д` )。残念!(この時の97点は、私が高校のテストで採った最高点であった)。

 なお、どなたかは知らないが、同志社香里の卒業生で「与太郎」と名乗る方が、ブログで清水先生の思い出話を書いておられる(「20051112  落第生は二度眠る ~清水睦夫先生講義録~」)。その中で「与太郎」氏は「清水先生は、めったに笑わない。しかし、与太郎の人生経験によると、ユーモアやジョークを愛する人たちが、すべて笑顔を絶やさないわけではない。むしろ、ふだん気むずかしい表情のほうが効果的なのだ。清水先生は、あまり気乗りしない顔つきで教室にあらわれる。ほんとうは、もっと研究に専念したいのだが、愚かな生徒どものため、しぶしぶ教壇に立っているのだ、というふうにも感じられる。つまり、生徒の機嫌を取るような態度ではない。お前たちが教わりたいなら、わたしの授業を聞け、さもなくばバカのままで生きろ、というふうに感じられる」と述べられている。なるほど、確かにそうだったな、と納得。

 先生の授業の中でユニークなのは、教科書に書いてある「通説」をことごとく否定していくことである。「ローマ帝国の東西分裂? そんなものは認めません!」、「ルネッサンス? ナンセンス!」、「新大陸の発見? バカも休み休みいいなさい!」といった調子である(こんな破天荒な講義が許されていたのだから、当時の同志社香里高校というのもなかなかに大した学校だったと思う)。さすがに頭の中がクエッションマークでいっぱいになった私は、休み時間に先生のところに行って「今の授業で言われたこと、どういうことなんですか?」と質問してみた。しかし、先生は皮肉な笑みを浮かべはしたものの、言を左右にするだけでその理由を教えてくれないのである! 狐につままれたような気になった私は、仕方ないので高校の図書室でいろんな本をひっくり返すが、先生のいうようなことはどこにも書いていない。そこで今度は京都府立図書館に行って手当たり次第にヨーロッパ史の本を手にとってみる。しかし、そのほとんどには、やはり先生のいうことは述べられていないのである。途方にくれた私であったが、最後に梅田良忠編『東欧史(世界各国史13)』(山川出版社、1958年)という本に出会った。この本はまったくユニークな内容で、私はこれを読んでやっと清水先生の言われることを理解することができたのでる。そうして、この本の目次を見ると、清水先生が著者のひとりだったのである(担当項目はブルガリアとユーゴースラヴィア)。なるほど、と得心がいったことであった。なお、この本の編者の梅田氏は関西学院大学教授で古代学協会の初代理事長、また、古代の部分は角田文衞先生の執筆である。
 しかし思い返してみると、もしこの時、先生が最初っから「それは、これこれこれこれこういう理由で、私はこういうふうに言ったんだよ」と教えてくれていたら、私は逆にそれ以上調べることをしていなかったかもしれない。それが、ああいうふうに突き放されたことによって、逆に自分で調べに調べて、納得いく結論にたどり着くことができたのである。要するに先生は「知りたいことがあるのならば、まずは自分で調べてみよ!」ということをいいたかったのであろう。一見するとぶっきらぼうに見えながら、実はこれは見事な教育方法だったといわねばなるまい!

 このブログで以前にも書いたことがあるが、しばらくすると私は、清水先生から、古代学協会の機関誌『古代文化』への寄稿論文の原稿を平安博物館に届けることを頼まれるようになった。郵送すれば済むことなのであるが、それをわざわざ私に命じられるのは、平安博物館とのつながりを作ってやろうという先生ならではのお気持ちだったのだと思う。そうして改めて訪ねてみた平安博物館は、高校生の私にとってはまさに見上げるような学問の殿堂であった。その後かなりの時を経て私が平安博物館に就職したことは、清水先生の御厚情が巡り巡って実を結んだのだと思っている。

 清水先生の学問的業績としては、『スラヴ民族史の研究』(東京、山川出版社、1983年)『ビザンティオンの光芒』(京都、晃洋書房、1992年)(この著書によって先生は1992年に立正大学より博士 (文学)の学位を取得されている)の2冊の単著にまとめられているほか、前述の『世界考古学大系』所収論文、「北方の開拓民」(『ビザンツとスラブ(世界歴史シリーズ第8巻)』所収、東京、世界文化社、1969年)、「ユダヤ教の遊牧民国家―『ハザール汗国』―」(『古代文化』第38巻第8号掲載、京都、古代学協会、1986年)、「東スラヴ族の国家的統合―古代ルーシでの『王権』成立の経緯―」(『古代王権の誕生IV「ヨーロッパ編」』所収、東京、角川書店、2003年)など、数多い。また、『古代文化』誌に連載された「ソヴィエト東欧紀行(1)~(13)」(『古代文化』第27巻第7・8・10~12号、第28巻2・4・5~9号掲載、京都、古代学協会、1975・76年)は、単なるエッセイにとどまらない学術的価値をもつものだと思う。また、おそらく他所ではほとんど知られていないだろうが、先生は勤務先である同志社香里中・高校のPTAの会誌である『香里の丘』にもしばしば珠玉のエッセイを寄稿されている。私の手元に残っているだけでも、「歴史の上の日曜日」(『香里の丘』第29号掲載、〈寝屋川〉、同志社香里中・高等学校PTA、1968年)、「あだ名考」(第47号、1974年)、「キエフの憶い出」(第49号、1974年)、「ソヴィエトの本屋」(第51号、1975年)、「『ソ連の脅威』はほんとうにあるのか(?)(1)(2)」(第70・71両号、1981・1982年)、「偶感―語学学習とカツラ」(第63号、1979年)、「『故きを温ねて新しきを知る』(上)」(第75号、1983年)、「阿呆」(1992年)といったものがあり、それぞれが先生ならではの視点から述べられていてほんとうに面白い。

 清水睦夫先生、高校生の時に先生に出会うことができたことは、私にとっては生涯の幸福のひとつでありました。先生からは、学問の素晴らしさ、そして、それに向かい合う場合の心構えを教えていただくことができました。ほんとうにありがとうございました。感謝とともに、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2017.01.15

遅ればせながら謹賀新年、の巻

Img_6212_2(←京都駅前に改めて設置された平安京羅城門1/10復元模型と、背景の京都タワー)

 遅ればせながら、皆様、あけましておめでとうございます。

 先日も書きましたが、とにかく散々の年末年始でした。今は、やっと机に向かうことや歩くことは可能になったのですが、まだ右脚は90度までは曲がらず、歩くのも杖を頼りのヨチヨチ歩きということになります。普通ならば5分で歩けるところが15分かかってしまうという体たらくですので、行動範囲は最低限ということになってしまいます。まったく情けないことです。

 昨年の「やったこと」はデータだけ提示したため、ちょっと補足しておきましょう。

 森浩一先生の『著作集』全5巻が完結いたしました。私も編集委員のひとりでしたので、完結はとっても嬉しいことです。生前の森先生から受けた学恩に対して、万分の一かもしれませんがご恩返しができたのでは、と思っています。年末には森先生の奥様の森淑子先生をお招きして、編集委員で「打ち上げ」をさせていただきました。
 森先生は後年になればなるほど、自らの学説を一般向けの著書やシンポジウムで発表されることが多くなりました。そうした書物は現在でも入手可能なことが多い。編集委員会で議論を重ねた結果、今回の著作集では、森先生が初期に書かれて、現在では入手困難となっている論文を主として編纂することにしました。私が主担当しました第3巻「渡来文化と生産」を例にあげますと、「古墳出土の鉄鋌について」(1959)、「和泉河内窯の須恵器編年」(1958)、「古代産業―漁業」(1964)といった論文は、専門の研究者であっても見ておられない方が多いのではないでしょうか。そうしたところに改めて光をあてることができたことは、「森古代学」の再評価につながると確信しています。

 仁木宏・山田邦和(編)『歴史家の案内する京都』と、桃崎有一郎・山田邦和(編)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』「日本古代都城における複都制の系譜」「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」については以前に触れましたので、そちらを参照してください。

 「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」は、三条通(寺町通~新町通の間)の地域振興に力をつくしておられる京の三条まちづくり協議会の20周年の記念出版に際して依頼されたもの。この協議会には、私の「古巣」である京都文化博物館も多いに協力されているので、その御縁からだと思います。

 「クルマについての研究メモ」は、2012年から2015年まで継続した京樂真帆子さんを代表とする科研『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』の報告書に書いたもの。私は連携研究者として参加させていただいたのだが、2012年に病気をしてから2年くらいは活動が制限されたため、あんまり成果があげられなかったことは悔まれる。ただ、報告書になんにも書かないのは悲しいので、この研究会で勉強させていただいたことの覚書だけを作っておいた。

 「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」は、私としてはとっても変わったテーマ。2008年に、山中章さんの科研のプロジェクトで2週間だけ、ヴェトナム・タンロン皇城跡の一部の発掘調査にたずさわることができました。その時のささやかな成果がこれ。もちろん私はヴェトナム考古学の専門家ではないし、ほんのわずかな時間だけ現地にたったにすぎないから、私がヴェトナムについて語るのは僭越の誹りを免れないことは承知しています。その当時にはヴェトナムを再訪して研究を深めるつもりだったのですが、いろんな事情でそれはかなわないことになってしまいました。逆に、それだからこそ、たとえささやかであっても学んだことをきちんと書き残しておきたいと思っていました。たまたま、佐々木達夫先生が『中近世陶磁器の考古学』というシリーズ論集を編集されるということで、私も誘っていただきましたので、佐々木先生にお願いしてこのテーマでまとめさせていただくことにしたのです。

 「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」は、2015年11月8日の「日本史研究会創立70周年記念講演会」でやらせていただいた記念講演の記録です。ここに掲載した「近畿地方中央部の大型古墳と陵墓比定」の表は、お役にたてていただけるのではないかと思ってます。

 「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」は、東海学シンポジウムの講演。去年は保元・平治・治承=文治・承久の乱という中世初期でやって、今回は中世末期。ハチャメチャに見えるが、テーマの設定はシンポジウム事務局からの御指名なので、私の責任ではありません。ただ、信長について考えてきたことをまとめる機会となったのは私としては有意義でした。ちょっと変わったことも言わねば、ということではありませんが、学界で議論の的となっている信長の「三職推任」問題に関して私見を述べました。信長が最終的に何になろうと思っていたか、という問題ですが、学界ではこれは征夷大将軍とする説が多い。あえてそれに異を唱えるというわけではありませんが、「信長の望んだ職は関白だった」という仮説を考えてみました。これ、今まで誰もこんなことは言っていないので突飛に聞こえるとは思うのですが、十分に成立の余地はあると思っています。

 あと、学会報告では、三月の条里制・古代都市研究会大会で「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」をやらせてもらいました。これは、今年の三月に出版される『条里制・古代都市研究』に論文化できるはずです。

 2016年には、共編著、論文、そのほかの著作、学会報告を含めると、数量だけはなかなかのものになりました。もちろん、たまっていたものが偶々まとまって出版されたというだけですし、内容は正直いって玉石混交ですのであまり自慢にはなりませんけれども、これだけの数を出せたということはとにかく嬉しいことです。さて、今年もこういうペースが続けられますかどうか・・・・

 ともあれ、皆様、今年もよしなにお願い申し上げます。

2016.12.31

2016年、やったこと、の巻

12月13日に、自分の不注意により職場で右足の大腿部前側を強打してしまった。幸い、骨には異常はなかったのであるが、それでも打撲傷と内出血がひどく、歩行困難という体たらくで、パソコンに向かうこともできない。医者に聞くと、これはもう、安静にしながらいわゆる「日にち薬」しかないそうである。加えて、12月28日には咳と高熱が出て、普通の風邪かなと思ったら、インフルエンザだそう。最悪である。おかげで、忘年会もほとんど欠席、12月18日にやった平安京・京都研究集会も欠席、さらには正月早々に予定していた沖縄行きも中止せざるをえなくなってしまった(泣)。

【共編著】
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第3巻編集担当:中村潤子・山田邦和・坂靖〉『森浩一著作集 第3巻「渡来文化と生産」』(東京、新泉社、2016年4月15日)、全333頁
 ~◇山田邦和・坂靖・中村潤子(著)「解題」310~330頁(山田著︰「無題(「解題」の総論)」310・311頁、「和泉河内窯の須恵器編年」313~315頁、「大阪府南部窯址資料による須恵器編年略表」316・317頁、「南海道の古代窯業遺跡とその問題」318・319頁、「飯蛸壺形土器と須恵器生産の問題」319・320頁、「古代産業-漁業」321・322頁、「製塩についての二つの覚書」322・323頁、「生道塩」323・324頁)
■仁木宏・山田邦和(編著)仁木宏・山田邦和・中島信親・山本雅和・梶川敏夫・京樂真帆子・大村拓生・杉本宏・野口実・河内将芳・福島克彦・鍛代敏雄・森島康雄・中村武生・坂口満宏(著)『歴史家の案内する京都』(京都、文理閣、2016年5月20日)、全244頁
 ~◇仁木宏・山田邦和(著)「はしがき」3・4頁、「あとがき」242頁
 ~◇山田邦和(著)「1太秦・嵯峨野の古墳群」12~21頁、「7白河」70~81頁、「12清水坂と鳥部野」109~115頁、「13中世都市嵯峨」118~125頁
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第4巻編集担当:前園実知雄・門田誠一〉『森浩一著作集 第4巻「倭人伝と考古学」』(東京、新泉社、2016年8月15日)、全339頁
■桃崎有一郎・山田邦和(編著)、桃崎有一郎・髙橋康夫・田坂泰之・家永遵嗣・原田正俊・冨島義幸・前田義明・山田邦和・宮上茂隆・木岡敬雄・百瀬正恒・野田泰三・松井直人(著)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』(平安京・京都研究叢書4、京都、文理閣、2016年10月30日)、全434+105+2頁
 ~◇山田邦和(著)「東山中世都市群の景観復元」254~269頁
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第5巻編集担当:今尾文昭・鋤柄俊夫・青柳泰介〉『森浩一著作集 第5巻「天皇陵への疑惑」』(東京、新泉社、2016年12月15日)、全339頁


【論文】
■山田邦和(著)「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」(洋泉社編集部(編)、仁藤敦史・宮瀧交二・福尾正彦・天野末喜・西田孝治・宮崎康雄・岸本直文・石坂泰士・西光慎治・田中聡・黒羽亮太・山田邦和・鍛冶宏介・福島幸宏・上田長生・高木博志・新納泉・宮代栄一(著)『古代史研究の最前線 天皇陵』、東京、洋泉社、2016年1月23日)、全255頁中の156~167頁
■山田邦和(著)「クルマについての研究メモ」(京樂真帆子(編者)、京樂真帆子・岩間香・中川永・下村雄太・今正秀・山田邦和・千本英史(著)『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』(2012年度~2015年度科学研究費補助金〈基盤研究(C)〉研究成果報告書〔研究課題番号︰24520764〕)、彦根、滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科、2016年3月31日)、全105頁+付属CD-R中99~103頁+図版データ(付属CD-Rに所収)
■山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(記念誌編集委員(森本浩行・西村祐一・内藤郁子・皿倉のぼる)(編集)、山田邦和・笠原一人・篁正康・大塚活美・西山剛・南博史ほか(著)『京の三条まちづくり―京の三条まちづくり協議会20周年記念誌―』、京都、京の三条まちづくり協議会、2016年3月吉日)、全64頁中の6~13頁
■山田邦和(著)「日本古代都城における複都制の系譜」(仁木宏(編)、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義(著)『日本古代・中世都市論』、東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、全336頁中の43~82頁
■山田邦和(著)「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」(佐々木達夫(編)、佐々木達夫・重根弘和・桐山秀穂・大橋康二・扇浦正義・畑中英二・鹿島昌也・中野晴久・小栗康寛・関根達人・山田邦和・佐藤由似・真道洋子・金田明美(著)『中近世陶磁器の考古学』第4巻、東京、雄山閣、2016年10月25日)、全298頁中の185~205頁
■山田邦和(著)「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」(『日本史研究』第647号、京都、日本史研究会、2016年7月20日)、21~51頁
■山田邦和(著)「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」(『第4回東海学シンポジウム2016 いくさの歴史II―継体と信長に絞って―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2016年10月13日)、全150頁中の97~130頁

【その他の著作】
■京都新聞出版センター(編)池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・高野澄・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・山田邦和(著)『第12回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2016年6月10日)、本文255頁
 ~◇無署名(実際は山田著)「3級1(4)」9頁、「3級1(5)」10頁、「3級1(6)」11頁、「2級1(4)」107頁、「2級1(5)」108頁、「1級1(3)」203頁
■同志社女子大学史料センター(編)、藤原孝章・平光陸子・飯田毅・河江優・川田隆雄・神田知子・松野浩之・三橋美和・森山由紀子・玉田佳子・山田邦和・余田義彦・大島中正・北村博子〈2016年度史料センター運営委員〉『同志社女子大学史料センター第21回企画展示「新たなる息吹 同志社女子大学京田辺キャンパス30年の歩み」展示目録』(京都、同志社女子大学史料センター、2016年11月18日)全25頁
 ~◇無署名(実際は山田著)「Ⅰ 京田辺の歴史的環境」2~6頁、「II 京田辺キャンパスに移転・設置された学部学科~5 現代社会学部社会システム学科」12・13頁
■福原圭一・山口博之(討論司会)、村井章介・高橋一樹・向井裕知・和田学・田中聡・宮武正登・阿部来・田中暁穂・松山充宏・水澤幸一・伊藤正義・中島圭一・山田邦和・五味文彦(討論発言)「上越大会全体討論『中世日本海の地域圏と都市』」(中世都市研究会〈編〉、市村高男・井上寛司・小島道裕・木原光・松本美樹・長澤和幸・中司健一・村上勇・五味文彦・高橋一樹・水澤幸一・田中聡・向井裕知・和田学・松山充宏・田中暁穂・玉井哲雄〈著〉『日本海交易と都市』所収、東京、山川出版社、2016年8月20日)、273~301頁(山田発言︰297頁)
■山田邦和(著)「歴史ニュースを読み解く~指月伏見城の発掘調査」(『土車』第129号、京都、古代学協会、2016年6月20日)、5頁
■Kunikazu Yamada「The Comparative study of Ancient Cities」WAC-8 Kyoto Program Committee, directed by Makoto Tomii(Editing)(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会プログラム作業班〈編集〉)"The Eighth World Archaeological Congress Book of Abstracts", Kyotanabe(京田辺), WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, under the direction of WAC Japan(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会・特定非営利活動法人WAC Japan事務局), 2016年8月28日), p.130


【学会報告】
◯山田邦和(報告)「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
◯吉野秋二・家原圭太(座長)、山田邦和・古閑正浩・江口桂・佐藤泰弘(パネラー)、「(大会報告)質疑・討論」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
◯山田邦和(報告)「平安京と天皇陵」(古代学研究会(主催)「古代学研究会4月例会」、大阪、アネックスパル法円坂 A棟3階第1号室、2016年4月16日)
◯今尾文昭(司会)、陵墓関係16学協会運営委員会(趣旨説明)、山田邦和・後藤真・高木博志(発話・パネラー)「パネルディスカッション『陵墓』の名称と『陵墓』をめぐる現在」(陵墓関係16学協会シンポジウム「『陵墓』公開をめぐる成果と未来―箸墓古墳・伏見城の立入り観察成果報告と『陵墓』の名称」、神戸、神戸市勤労会館 講習室308、2016年8月7日)
◯Kunikazu YAMADA(山田邦和)「世界文化遺産と現代都市」へのコメント("Comment for World Cultural Heritage and the Modern City")(Public Lecture2:World Cultural Heritage and the Modern City〈「第8回世界考古学会議〈WAC-8〉公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」〉, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto, Kambaikan Hardy Hall in Doshisya University〈同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディホール〉, 2016年8月29日)
◯Kunihiko Wakabayashi and Kunikazu Yamada(Organisers)"T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities"(The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto, RY107 Ryoshinkan, Doshisya University〈同志社大学良心館RY107室〉, 2016年9月1日)
◯Kunikazu Yamada"The Comparative study of Ancient Cities"(Session T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto , RY107 Ryoshinkan in Doshisya University〈同志社大学良心館RY107室〉, 2016年9月1日)

【研究会における報告】
◯山田邦和(報告)「琉球王陵と日本の比較」(日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉2016年2月研究会、京都、花園大学高橋康夫研究室、2016年2月10日)
◯山田邦和(報告)「古代比較都市史試論」(「前近代都市論研究会」例会、京都、キャンパスプラザ京都、2016年5月22日)
◯山田邦和(報告)「大型古墳と天皇陵比定」(同志社大学考古学実習室「定例研究会」、京都、同志社大学考古学実習室、2016年6月10日)

【講演】
◯山田邦和(講師)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(京都文化博物館地域共働事業実行委員会・京の三条まちづくり協議会〈主催〉「第30回 京の三条 まちカフェ」、京都、京都文化博物館別館講義室、2016年2月14日)
◯山田邦和(講師)「織田信長と〈京都〉」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成28年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2016年3月8日)
◯山田邦和(ガイド)「【東山】考古学者とめぐる、愛憎渦巻く法住寺殿・平家物語の世界へ―法皇と愛した女性が眠る、東山の麓に誕生した広大な離宮―」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、三十三間堂、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原、2016年5月21日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(1)保元・平治の乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年9月10日)
◯山田邦和(講師)「豊臣秀吉はなぜ将軍にならなかったのか」(シニア文化塾事務局〈主催〉平成28年度「シニア文化塾」後期講座〈歴史コース〉、大阪狭山、大阪府立狭山池博物館2階ホール、2016年9月13日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(2)治承・寿永の内乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年10月8日)
◯山田邦和(講演)「平安京の復元―模型製作から最新研究へ―」(京都アスニー「ゴールデン・エイジ・アカデミー」、京都、京都アスニー、2016年10月28日)
◯山田邦和(ガイド)「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」(『歴史家の案内する京都』出版記念ツアー)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈清水山古墳跡、天塚古墳、千石荘公園、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2016年10月29日)
◯山田邦和(講演)「伏見の桓武天皇陵を探る」(桃山同窓会〈主催〉「伏見連続講座」、京都、伏見区役所大会議室、2016年11月12日)
◯山田邦和(講演)「織田信長と京都」(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉第4回東海学シンポジウム2016「いくさの歴史II―継体と信長に絞って」、春日井、春日井市民会館、2016年11月13日)
◯山田邦和(講演)「いま面白い!京都の歴史―平安京を中心に―」(京都医療生活協同組合・中野眼科〈主催〉「2016年度組合員交流集会」、京都、聖護院御殿荘、2016年12月5日)
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◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(1)御土居・寺町・天正地割」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年1月8日)
◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(2)秀吉の朝鮮侵略と伏見城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年2月12日)
◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(3)(現地見学)ふたつの伏見城(指月城・木幡山城)跡」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、伏見城跡、2016年3月11日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(1)関ヶ原の戦い」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年4月8日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(2)徳川幕府の成立と二条城の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年5月13日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(3)(現地見学)二条城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、二条城、2016年6月10日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(1)(現地見学)東本願寺」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、東本願寺、2016年7月1日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(2)近世京都のルネッサンス」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年7月29日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(3)都の繁栄と大名屋敷」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年9月9日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(1)幕末の動乱の中の京都」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年10月7日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(2)禁門の変と徳川幕府の倒壊」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年11月11日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(3)(現地見学)木屋町通・河原町通の幕末史跡群」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、木屋町通・河原町通、2016年12月9日)
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◯山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の後期前方後円墳―清寧・仁賢天皇陵、白鳥陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年1月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)近つ飛鳥「梅鉢御陵」の謎―聖徳太子墓、敏達・孝徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年3月4日)
◯山田邦和(講座)「(3)平安京南郊 鳥羽の離宮の天皇陵―白河・鳥羽・近衛天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年3月25日)
◯山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の中期天皇陵―允恭・雄略天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年4月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)奈良時代の天皇陵―元正・聖武・称徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年5月27日)
◯山田邦和(講座)「(3)中世初期の内乱の時代と天皇陵―安徳、後鳥羽、土御門、順徳天皇陵など―」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年6月25日)
◯山田邦和(講座)「(1)奈良県橿原市の天皇陵―宣化天皇陵と欠史8代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年7月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)天皇陵と寺院の結合―平安時代前・中期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年8月26日)
◯山田邦和(講座)「(3)鎌倉時代後半の天皇陵―深草十二帝陵とその周辺」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年9月23日)
◯山田邦和(講座)「(1) 琉球王国の王陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年10月28日)
◯山田邦和(講座)「(2)仏堂となった天皇陵―平安時代中・後期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年11月25日)
◯山田邦和(講座)「(3)南北朝時代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年12月23日)
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◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(3)紫式部の生涯」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年1月15日)
◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(4)安倍晴明と平安京」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年3月4日)
◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(5)平安京の祭祀」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年3月18日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(1)白河法皇と院政の開始」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年4月15日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(2)院政期の白河」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年5月20日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(3)鳥羽殿」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年6月25日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(4)待賢門院と崇徳天皇」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年7月15日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(5)院政期の平安宮」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年9月16日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究2」「(1)関白忠通の闘い」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年10月21日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究2」「(2)保元の乱の勃発」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年11月19日)

【テレビ出演】
『京都・国宝浪漫』「平安遷都ミステリー~御霊信仰と古代の国宝」KBS京都・BS11(制作著作)、藤真利子(語り)、山田邦和(監修)小林敏明(ディレクター)、三宅康仁・斉藤良・四方章雄(プロデューサー)、黒田誠・駒木根徹・磯ヶ谷好章(エグゼクティブプロデューサー)、山田邦和・釋真盛・井口忠男・川俣海雲・長宗繁一・出雲路敬栄(解説)、(KBS京都、2016年3月7日放送。BS11、2016年3月10日放送)
『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「京都歴史ミステリー 金閣寺の謎〜足利家100年物語」BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)、(BS-TBS、2016年5月13日放送)
『先人たちの底力 知恵泉』「明治の旅行家 イザベラ・バード」NHK(制作・著作)NHKエデュケーショナル(制作)、渡辺圭・田畑壮一(制作統括)、横山敏子(プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、近田雄一・市川紗椰・山本博文・ベルナール=デルマス、金坂清則・斉藤敏明・丹沢研二・山田邦和・入澤崇(出演)、(NHK Eテレ、2016年5月17日放送)

2016.10.25

『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』刊行!、の巻

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 ついに完成しました! 桃崎有一郎・山田邦和編『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』(平安京・京都研究叢書4)。刊行が遅れてしまい、早くに原稿を出していただいた先生方にはまことに申し訳ないことになりましたが、先生方のご協力のおかげで、実に539頁という大冊になりました。執筆者も、編者の桃崎有一郎さんと私のほか、髙橋康夫・田坂泰之・家永遵嗣・原田正俊・冨島義幸・前田義明・宮上茂隆・木岡敬雄・百瀬正恒・野田泰三・松井直人の各氏という豪華メンバーです。表紙を開いていただくと、冨島さんの渾身の力作である相国寺七重大塔の見事な復元CGが見るものを圧倒します。本文の論文も粒よりなのですが、室町時代の京都に所在した邸宅のすべての情報を集成した桃崎さんと松井直人さんの「資料編」も凄いものになりました。私は、編集作業とともに、「東山中世都市群の景観復元」を執筆しました。
 ただ、なんやかやで分量が増加し、その分作業量が膨大となってしまい、出版元の文理閣の黒川美冨子代表にはご迷惑をおかけしました。また、価格も12,000円+税という高額になってしまい、この点は慙愧にたえません。しかし、中世京都研究の基礎的な研究書になったことは確実と思いますので、ぜひ同学の方はお手にとってみていただきたいと思います。また、大学、図書館、研究所、研究室などにはぜひ備え付けていただけますならば幸いです。
 ご注文は、図書出版 文理閣の注文メール(→こちら)または同社のウェブサイト注文(→こちら)にどうぞ!


 9月3日(土)・4日(日)
 WAC-8が終わったら、すぐに今度は中世都市研究会奈良大会。中世の奈良を正面からとりあげるシンポジウム、画期的!

 9月13日(火)
 大阪府立狭山池博物館を会場とした講演。終了後、柏原市歴史資料館に出かけて、企画展「堤を築く -大和川のつけかえ工事-」を見学させていただく。江戸時代の川の付け替え工事、興味深し。

 9月17日(土)
 伯父の誕生祝い会。96歳だが、カクシャクとしてくれているのが嬉しい。いつまでもお元気で。

 9月18日(日)
 京都大学大学院人間・環境学研究科の元木泰雄教授研究室で、ちょっと大きなシリーズの企画の編集会議。

 9月20日(火)
 ホントはウチのゼミ合宿で金沢に出かけることになっていたのだが、台風16号が接近。ギリギリまで決行しようかどうか迷いに迷っていたのだが、石川県に暴風警報が発令されたことで、ついに断念。残念!

 9月30日(金)
 京都文化博物館のエジプト展の開会式にでかける。

 10月1日(土)
 京都市役所前広場で、イタリア料理のイベント。福引が良い結果で、嬉しい。

 10月3日(月)
 拙宅で、平安京・京都研究集会の準備会。

 10月6日(木)
 またまた京都大学大学院元木研究室で編集会議。ひとつ、気を引き締めて取り組まねば・・・

 10月8日(土)・9日(日)
 日本史研究会大会。今回ははじめて京都を離れて、大阪府茨木市の立命館大学茨木キャンパスが会場となる。

【書いたもの】
■福原圭一・山口博之(討論司会)、村井章介・高橋一樹・向井裕知・和田学・田中聡・宮武正登・阿部来・田中暁穂・松山充宏・水澤幸一・伊藤正義・中島圭一・山田邦和・五味文彦(討論発言)「上越大会全体討論『中世日本海の地域圏と都市』」(中世都市研究会〈編〉、市村高男・井上寛司・小島道裕・木原光・松本美樹・長澤和幸・中司健一・村上勇・五味文彦・高橋一樹・水澤幸一・田中聡・向井裕知・和田学・松山充宏・田中暁穂・玉井哲雄〈著〉『日本海交易と都市』所収、東京、山川出版社、2016年8月20日)、273~301頁(山田発言︰297頁)
■桃崎有一郎・山田邦和(編著)、桃崎有一郎・髙橋康夫・田坂泰之・家永遵嗣・原田正俊・冨島義幸・前田義明・山田邦和・宮上茂隆・木岡敬雄・百瀬正恒・野田泰三・松井直人(著)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』(平安京・京都研究叢書4、京都、文理閣、2016年10月30日)全434+105頁
~◇山田邦和(著)「東山中世都市群の景観復元」254~269頁

【しゃべったこと】
◯山田邦和(講座)「(2)天皇陵と寺院の結合―平安時代前・中期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年8月26日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(3)都の繁栄と大名屋敷」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年9月9日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(1)保元・平治の乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年9月10日)
◯山田邦和(講師)「豊臣秀吉はなぜ将軍にならなかったのか」(シニア文化塾事務局〈主催〉平成28年度「シニア文化塾」後期講座〈歴史コース〉、大阪狭山、大阪府立狭山池博物館2階ホール、2016年9月13日)
◯山田邦和(講座)「院政期京都の研究1」「(5)院政期の平安宮」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年9月16日)
◯山田邦和(講座)「(3)鎌倉時代後半の天皇陵―深草十二帝陵とその周辺」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年9月23日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(1)幕末の動乱の中の京都」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年10月7日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(2)治承・寿永の内乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年10月8日)
◯山田邦和(講座)「院政期京都の研究2」「(1)関白忠通の闘い」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年10月21日)

2016.09.03

第8回世界考古学会議(WAC-8)、の巻

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 2016年8月28日(日)~9月2日(金)に同志社大学を会場としておこなわれました第8回世界考古学会議(WAC-8)、無事に終了いたしました!

 WACは、世界的な考古学研究者の団体です。これまでも世界の各地でその大会がおこなわれてきました。私はこれまで、こんな大きな会に参加することはなかったのですが、今回は日本のしかも京都、しかも私にとっては母校である同志社大学でおこなわれるということになり、微力ながらお手伝いをさせていただくことになったのです。
 この話をいただいたのは2013年だと記憶します。その後、準備作業が進められるとともに、無数の関連イヴェントがおこなわれてきました。しかし、全体の規模が大きすぎて私にと到底全体像が把握できず、何をどうしていいのか、うろたえるばかりでした。結果、大した貢献ができないままに終わってしまい、まことに申しわけなく思っております。
 ただ、その中でも、公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」の「コメント」、 セッション「T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities」の共同オーガナイザー(メイン・オーガナイザーは若林邦彦さん〈同志社大学准教授〉)、同セッションでの報告「The Comparative study of Ancient Cities(比較古代都市史試論)」と、8月31日のエクスカーションの奈良ツアーの案内役(メインの案内役は網伸也さん〈近畿大学教授〉)をやらせていただくことができました。

 セッションでは、日本人研究者としては、WAC-8スタッフの若林さん、私、古川匠さん(京都府教育委員会)、網さんのほか、山中章さん(三重大学名誉教授)と小澤毅さん(三重大学教授)に報告をお願いし、さらにアメリカから村上達也さんが加わっていただきました(村上さんはディスカッションでの通訳まで買ってでていただき、これは大変大変助かりました)。良いセッションになったと、ありがたく思っております。

 この大きな会議が無事に終了したのは、WAC本体の会長の溝口孝司さん(九州大学教授)、京都大会実行委員長の都出比呂志先生(大阪大学名誉教授)をはじめとするスタッフの努力の結晶と思います。中でも特筆すべきは、実行委員会の事務局官房長をつとめられた津村宏臣さん(同志社大学准教授)の獅子奮迅、八面六臂ともいうべき奮闘でした。この方の大胆かつ繊細な指揮がなければ、とうてい何事もまわっていかなかったと思います。無線のレシーバーを携えて会場を隅々までを駆け回っている津村さんの姿を見ながら私は、そこに巨大なオーラが渦巻いているような錯覚すら覚えたのです。


◯ Organized: Local Organizing Committee for WAC-8, Co-sSponsared: Science Concil of Japan, Kyoto City Government, Managesd: World Archaeological Congress, NPO WAC Japan.
Local Organizing Committee of WAC-8 Kyoto 2016, Executiv: Guriisgu Tsude, Chair, Kazuto Matsifuji, Vice-Chair, Seigo Wada, Secretary-general, Takura Izumi, Academic Secretary, Katsuyuki Okamura, Deputy Directors-General, Hiro'omi Tsumura, Deputy Directors-General. Staff: Masashi Abe, Sahoko Aki, Nobuya Ami, Hidetaka Besho, Hiroshi Fujii, Takumi Furukawa, Hiroko Hashimoto, Kunihiro Hamanaka, Tetsuo Hishida, Yukisige Hirose, Kazuo Ichinose, Akira Igarashi, Tomohiro Inoue, Atsushi Ito, Hirofumi Kato, Hiroo Kansha, Yoshimi Kawashukuda, Hiroaki Kimura, Tamiki Kunishita, Seiji Kobayashi, Naoko Massumoto, Hiroshi Minami, Gen Miyoshi, Tae Mukai, Masakage Murano, Oki Nakamura, Tomoko Nakamura, Kazuhiro Nitta, Atsushi Noguchi, Shigenobu Oba, Mayumi Okada, Tomoko Okuda, Hideyuki Onishi, Ayako Shibutani, Takumi Sugiyama, Izumi Tachibana, Akiko Tashiro, Makoto Tomii, Tomomitsu Umase, Tomokatsu Uozu, Kunihiko Wakabayashi, Kunikazu Yamada, Kenichi Yano, Yasuyuki Yoshida, Hideo Yoshii, Kazuaki Yoshimura.
世界考古学会議第8回京都大会実行委員会=委員長: 都出比呂志 (大阪大学名誉教授)、副委員長: 松藤和人(同志社大学教授)、事務局長:泉拓良 (京都大学大学院特定教授)・和田晴吾 (立命館大学名誉教授)、事務局官房:岡村勝行(大阪文化財研究所)・津村宏臣(同志社大学准教授)、顧問:梅原猛(元国際日本文化研究センター所長)・長田豊臣 (立命館大学理事長)・松岡敬(同志社大学学長)・鷲田清一(京都市立芸術大学理事長)・大月均(元Panasonic代表取締役専務)実行委員:安部雅史・安芸早穂子・網伸也・別所秀高・藤井整・古川匠・橋本裕子・浜中邦弘・菱田哲郎・廣瀬時習・一瀬和夫・五十嵐彰・井上智博・伊藤淳史・加藤博文・間舎裕生・川宿田好見・木村啓章・國下多美樹・小林青樹・松本直子・南博史・光本順・三好玄・向井妙・村野正景・中村大・中村朋子・新田和央・野口淳・岡田真弓・奥田智子・大西秀之・渋谷綾子・杉山拓巳・橘泉・田代亜紀子・富井眞・馬瀬智光・魚津知克・若林邦彦・山田邦和・矢野健一・吉田泰幸・吉井秀夫・吉村和昭、サポーター:千葉豊・CKSCHスタッフ・舟橋京子・濱崎範子・東影悠・市川創・石村智・加藤紗代・河野一隆・川上洋一・木立雅朗・絹畠歩・小杉亜希子・上月克己・桑原久男・槙林啓介・丸山真史・松田度・松木武彦・宮本一夫・門田誠一・森本晋・中川和哉・中久保辰夫・新納泉・大貫静夫・西藤清秀・佐古和枝・佐々木憲一・佐藤洋一郎・関雄二・瀬口眞司・柴田将幹・清水邦彦・下垣仁志・白石華子・田尻義了・高橋克壽・高橋龍三郎・高宮広土・田中裕子・種定淳介・寺前直人・辻田純一郎・上峯篤史・山本雅和

記録のため、公開講演会第2日目と、私たちのセッションのプログラムを掲げておきます。
◯第8回世界考古学会議〈WAC-8〉公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」日:2016年8月29日 August 29(Mon),2016 、場所︰同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディホール Hardy Hall, Kambaikan, Doshisya University、主催︰WAC-8京都大会実行委員会 WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee
 ・ジャン=ポール・ドゥムール(フランス・パリ第一大学)「パリ以前のパリ―旧石器時代からローマ時代まで―」
 ・李盛周(韓国・慶北大学校)「慶州王京の形成と発展におけるイデオロギーの問題とその保存」
 ・吉崎伸(京都市埋蔵文化財研究所)「京都の埋蔵文化財の現状と課題―平安京を中心に―」
 ・山田邦和(同志社女子大学)「コメント」
 司会︰吉井秀夫(京都大学)

◯T05-D"The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities"
Organisers: Kunihiko Wakabayashi (Doshisha University / Japan) and Kunikazu Yamada (Doshisha Women’s College of Liberal Arts / Japan)
1st September, 9︰00-11︰00, 14︰20-16︰20
Type: Symposium
◎9︰00-9︰20、Mr. Takumi Furukawa, Toshitaka Kamai, Shun Sakamoto, and Ryo Nakatsuka
"Jurakudai, the center of Kyoto in the late 16th century: Investigating Mid-early Modern
◎9︰20-9︰40、Ms. Wenjing Wang
"Early complex societies in the Upper Daling Valley and Chaohu region: A comparative analysis of settlement systems in China"
◎9︰40-10︰00、Dr. Tatsuya Murakami, and Shigeru Kabata
"Early Urbanism in Central Mexico: Preliminary Results of the Tlalancaleca Archaeological Project, Puebla"
◎10︰00-10︰20、Ms. Hema Thakur
"Urbanization at Sannati - an early historic Buddhist settlement in North Karnataka, India"
◎10︰20-10︰40、Dr. Dragos Mandescu
"Campulung (Langenau / Dalgopole / Hosszumezo), Arges County, Romania: between the glamour of the archaeological heritage and the faded present"
◎10︰40-11︰00、Mr. Joakim Kjellberg
"Materialising urbanism - comparing material Culture and urban identities in a medieval townscape"
◎14︰20-14︰40、Mr. Kunihiko Wakabayashi
"Cities or Settlements?: Local center in Early Agricultural Society in Japan"
◎14︰40-15︰00、Prof. Kunikazu Yamada
"The Comparative study of Ancient Cities"
◎15︰00-15︰20、Dr. Akira Yamanaka
"Ancient Cities and Capitals in East Asia and Japan"
◎15︰20-15︰40、Dr. Tsuyoshi OZAWA
"Comparison of Initial Capitals in Ancient Japan and China"
◎15︰40-16︰00、Prof. Nobuya Ami
"The structure and planning of Heian-kyo, the last capital of Ancient Japan"

【書いたもの】
■Kunihiko Wakabayashi and Kunikazu Yamada, Organisers: T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities, WAC-8 Kyoto Program Committee, directed by Makoto Tomii, Editing. WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, under the direction of WAC Japan, 〈Kyotanabe〉,2016(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会プログラム作業班(編集),The Eighth World Archaeological Congress Book of Abstracts, 京田辺, 世界考古学会議第8回京都大会実行委員会・特定非営利活動法人WAC Japan事務局,2016年8月28日), pp.128-130.
■Kunikazu Yamada: The Comparative study of Ancient Cities, WAC-8 Kyoto Program Committee, directed by Makoto Tomii, Editing. WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, under the direction of WAC Japan, 〈Kyotanabe〉,2016(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会プログラム作業班(編集),The Eighth World Archaeological Congress Book of Abstracts, 京田辺, 世界考古学会議第8回京都大会実行委員会・特定非営利活動法人WAC Japan事務局,2016年8月28日),, p.130.

【しゃべったこと】
◎Kunikazu YAMADA; Comment, Public Lecture2: WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, World Cultural Heritage and the Modern City, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Hardy Hall, Kambaikan, Doshisya University, August 29(Mon),2016(山田邦和「コメント」〈WAC-8京都大会実行委員会(主催)「第8回世界考古学会議〈WAC-8〉公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」、於同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディホール、2016年8月29日〉)
◎Kunihiko Wakabayashi and Kunikazu Yamada, Organisers: T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), RY107, Ryoshinkan, Doshisya University, 1st September,2016.
◎Kunikazu Yamada: The Comparative study of Ancient Cities, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), RY107, Ryoshinkan, Doshisya University, 1st September,2016.

2016.08.10

ずいぶんの御無沙汰、の巻

 ずいぶんの御無沙汰となった。今更遅いかもしれないが、とりあえずその間の動静を記録しておきます。なお、この春学期から、火曜日が2講時~5講時(つまり、11時から18時15分まで)の過密スケジュールになってしまったのがしんどい。

 4月2日(土)
 入学式。終了後、千里に急いで、一般財団法人朱雀基金の懇親会。

 4月11日(月)
 京都橘大学文学部歴史遺産学科への出講の開始。他大学へ非常勤に出かけるのは久しぶりである。担当は「遺産情報演習」。

 4月16日(土)
 古代学研究会例会で報告。

 4月17日(日)
 拙宅で、平安京・京都研究集会の準備会。それから、拙宅のリビングで持ち寄りメニューで懇親会。こういうのもいいな。

 4月23日(日)
 奈良県文化会館で、新しくはじまった「ソグド研究会」に出席。

 5月3日(火)
 京都大学人文科学研究所の冨谷至教授のご自宅に招いていただく。箕面の滝は久しぶり。

 5月13日(金)
 秋にやらせていただく伏見での講演会の打ち合わせ。担当していただいている人は、実に驚くべき方の孫にあたっているとのこと。縁の不思議さに感銘を受ける。

 5月14日(土)
 古代文化研究会の旧二条城の発掘調査の現場公開にでかける。

 5月22日(日)
 前近代都市論研究会で報告。そして、七条の鴨川のところにあるインド・ネパール料理店で、「論集」刊行の打ち上げ。

 5月28日(土)~5月29日(日)
 日本考古学協会の総会(於東京学芸大学)。総会で、心ならずも理事会の提案に反対意見を述べなくてはならないハメになったため、気が重いままに東京に出かける。恐懼する私に対して、理事の皆さんが笑顔で迎えてくださったのがせめてもの慰めである。

 6月3日(金)
 京都市考古資料館と京都市歴史資料館のハシゴ見学。歴史資料館では伏見城の展示。

 6月4日(土)
 一般財団法人朱雀基金の研究会(於京都大学人文科学研究所)。

 6月5日(日)
 藝能史研究会の大会(於同志社女子大学今出川キャンパス)で、祇園祭を学ぶ。

 6月6日(月)
 京都平安文化財がやっておられる嵯峨遺跡の発掘調査の見学(私は調査検討委員)。

 6月8日(水)
 3回生ゼミの呑み会。

 6月17日(金)
 全国大学博物館学講座協議会の大会で、徳島。しかし、日帰りのトンボ返り。

 6月18日(土)・19日(日)
 仁木宏さんの「城下町科研」研究会の金沢大会。金沢城下町を歩き、北陸の城下町を学ぶ。

 6月24日(金)
 どういうわけか同志社教職員組合の役員があたったため、夕方は組合団交に参加。とはいっても私は下っ端なので、ひたすら待機要員。

 6月25日(土)
 京都女子大学宗教・文化研究所の公開講座に参加。ずっとこの講座を主催されてきた野口実さんが昨年度いっぱいで定年退職となって名誉教授称号を受けられた。報告は、野口さんと、源義経研究家として知られる前川佳代さん。終了後は、宗教・文化研究所の共同研究室で旧交をあたため、あとは前川さんをお誘いしての呑み会。

 6月26日(日)
 大阪歴史学会の大会(於関西学院大学)に参加。古代史部会、考古部会、中世史部会をハシゴ。特に聞きたかったのは、川元奈々さん(大阪市立大学大学院)の「足利義昭・織田信長政権の訴訟対応と文書発給」。川元さん、この半年くらい、報告の準備に心血を注いでこられた。その成果が実って堂々とした報告となったのは、御同慶のいたりである。終了後は全体の懇親会に参加して、それから、中世史部会の二次会に潜り込ませていただくと、どういうわけか乾杯の音頭の御指名を受けてしまう。

 7月2日(土)
 嵯峨遺跡の現地説明会に参加。それから、ちょっと確かめたいことがあったので、等持院に参詣。

 7月3日(日)
 ウチの大学の京都研究会の見学会で、宇治。学生には、ぜひ萬福寺に行くように勧めた。宝蔵院の鉄眼一切経版木も見ることができる。それから、宇治上神社から平等院。

 7月8日(金)
 東京行き。宮内庁との「陵墓懇談」。

 7月10日(日)
 参議院議員選挙。与党圧勝に、肩を落とす。

 7月11日(月)
 岐阜県関市の町並みを歩かせてもらう。関市文化財センターに私の「教え子」にあたる森島一貴氏がおり、山村亜希さんが調査に行かれるということで、同道させてもらった。その後はひとりになって、久しぶりに岐阜城に登り、はじめて加納城跡を見学。

 7月14日(木)
 今出川キャンパスの「博物館実習」は、祇園祭宵山の見学。

 7月16日(土)・17日(日)
 妻のお供で、2日間とも、JAZZライヴ。17日は祇園祭山鉾巡行の前祭。

 7月22日(金)
 東京から水ノ江和同氏(文化庁)が上洛されるので、松藤和人先生(同志社大学教授)に誘っていただいて、同志社近くの「隠れ家」的日本料理の店で宴会。

 7月24日(日)
 旧友の寺升初代さんとともに、京都市美術館のダリ展。

 7月30日(土)
 京都市交響楽団の演奏会。指揮はアメリカの若手のユージン・ツィガーン。曲目はシューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調「未完成」とマーラー:交響曲第5番嬰ハ短調。演奏は圧倒的。終了後は、元木泰雄(京都大学教授)、今岡典和(関西福祉大学教授)の両先生と共に呑み会、音楽について語りあかす。

 7月31日(日)
 第32回平安京・京都研究集会「近世京都の大名屋敷」。午前中は山本雅和さんの案内で「現地見学会」 。午後は研究会。報告は千葉拓真さん(飯田市歴史研究所、日本近世史) 「近世大名家の京都における活動と京都屋敷」、藤川昌樹さん(筑波大学、建築史) 「隠棲都市:大名京都屋敷の一側面」、山本雅和さん(京都市埋蔵文化財研究所、日本考古学) 「近世京都の大名屋敷の遺跡と遺物」。そしてコメントが中村武生さん(京都女子大学、都市史) 、討論司会は登谷伸宏さん(京都橘大学、日本建築・都市史)と仁木宏さん(大阪市立大学、中近世都市史)。珍しいテーマなので参加者がどれだけ集まるか案じていたが、会場がほぼ満員となる盛況。ありがたや。

 8月7日(日)
 陵墓関係16学協会シンポジウム「『陵墓』公開をめぐる成果と未来ー箸墓古墳・伏見城の立入り観察成果報告と『陵墓』の名称ー」(於神戸市勤労会館)。スケジュールは次の通り。あいさつ:新納泉(日本考古学協会)、「基調報告:王墓立入り観察の成果 —箸墓古墳から野口王墓古墳まで」岸本直文(大阪歴史学会)、「関連報告:伏見城-立入り その後」中西裕樹(大阪歴史学会)、パネルディスカッション「『陵墓』の名称と『陵墓』をめぐる現在」(趣旨説明:陵墓関係16学協会運営委員会、司会:今尾文昭(古代学研究会) 、発話・パネラー:山田邦和(古代学協会)・後藤真(日本史研究会)・高木博志(京都民科歴史部会))。私はパネルディスカッションでの問題提起役とパネラー。考えたあげく、かなり「過激」なことを言わせてもらう。

【書いたもの、たずさわったもの】
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第3巻編集担当:前園実知雄・門田誠一〉『森浩一著作集 第4巻「倭人伝と考古学」』(東京、新泉社、2016年8月15日)、全339頁。
■山田邦和(著)「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」(『日本史研究』第647号掲載、京都、日本史研究会、2016年7月20日)、21~51頁。
■山田邦和(著)「歴史ニュースを読み解く~指月伏見城の発掘調査」(『土車』第129号掲載、京都、古代学協会、2016年6月20日)5頁。

【しゃべったこと】
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(3)(現地見学)二条城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、二条城、2016年6月10日)。
◯山田邦和(講師)「京都学講座・院政期京都の研究1」3「鳥羽殿」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年6月25日)。
◯山田邦和(講座)(3)「中世初期の内乱の時代と天皇陵―安徳、後鳥羽、土御門、順徳天皇陵など―」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年6月25日)。
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(1)(現地見学)東本願寺」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、東本願寺、2016年7月1日)。
◯山田邦和(講師)「京都学講座・院政期京都の研究1」4「待賢門院と崇徳天皇」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年7月15日)。
◯山田邦和(講座)「(1)奈良県橿原市の天皇陵―宣化天皇陵と欠史8代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年7月22日)。
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(2)近世京都のルネッサンス」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年7月29日)。
◯今尾文昭(司会)、陵墓関係16学協会運営委員会(趣旨説明)、山田邦和・後藤真・高木博志(発話・パネラー) パネルディスカッション「『陵墓』の名称と『陵墓』をめぐる現在」(陵墓関係16学協会シンポジウム「『陵墓』公開をめぐる成果と未来―箸墓古墳・伏見城の立入り観察成果報告と『陵墓』の名称」、神戸、神戸市勤労会館講習室308、2016年8月7日)。

【講義】
(同志社女子大学大学院文学研究科「考古学特論」は受講者が無かったため、今年度は閉講)。
特記なきものは同志社女子大学現代社会学部〈特記なきものは京田辺キャンパス開講〉)。
   〈月〉2講時「遺産情報演習II」(京都橘大学文学部)
   〈火〉2講時「応用演習」、3講時「考古学I」、4講時「京都文化論I」、5講時「博物館実習(京田辺クラス)」
   〈水〉2講時「基礎演習」、3講時「専門基礎演習」
   〈木〉2講時「博物館実習(今出川クラス)」、4講時「卒業研究」

2016.06.04

「日本古代都城における複都制の系譜」刊行、の巻

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書誌︰仁木宏(編)、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義(著)『日本古代・中世都市論』(東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、全336頁。

 仁木宏さんを中心として続けている小さな研究グループ「前近代都市論研究会」の論文集『日本古代・中世都市論』(東京、吉川弘文館、2016年)ができあがってきた。待ち望んだ刊行なので、嬉しい。この研究会を始めたのは1999年、研究会の成果である前の論文集『都市―前近代都市論の射程』(東京、青木書店)を出したのが2002年だから、会の開始から17年、前の本から14年が経ったことになる。仁木さんが「あとがき」で書いておられる通り、「前の本を執筆していた当時は、ほとんどのメンバーは30歳代でしたが(山田補注︰この時、一番若い山村亜希さんはまだ20歳代。そして実は、私だけが40歳を超えていた・・・・)、今は50歳代が大半となりました。この間、大病をした者もいれば(山田補注︰これ、私のこと)、勤務先の激務に翻弄されているメンバー(山田補注︰これは仁木さんご自身のこと)も少なくありません」ということになる。歳月が通り過ぎる早さを感じるばかりである。

 私がここで執筆した論文は「日本古代都城における複都制の系譜」(同書43~82頁)。周知のように私は、古代都城といえば平安京に限って発言をしてきた。なにせ、その前の長岡京、平城京、「藤原京」、難波京、そして飛鳥の都については、コワイ先輩の研究者の皆さん(その筆頭といえば、なんといっても山中章さんだろうな)が睨みをきかせている。そんな中に単身で斬り込んでいく勇気など、なかなか持つことができなかったのである。
 しかし、私ももう、何かを言ったからといって、他からの批判をいちいち気に病まねばならないような年齢ではない。気後れしてばかりで、せっかく学び考えてきた成果を残しておかないというのは、なんとももったいないことである。そう考え直して、このテーマにとりくむことにしたのである。とはいっても、この論文の原型は、私が花園大学を辞する直前の2006年11月の花園大学史学会大会で口頭報告しているから、それから数えても10年間は温め続けていたことになる。「満を持して」とまではいえないにせよ、私としては言いたいことを述べ切った論文となった。
 だいたい、この論文集の執筆にあたっても、編者の仁木さんから、通説にとらわれない刺激的で戦闘的な研究を、と煽られてきた。力不足であっても、私なりに仁木さんの「挑戦」に応えたつもりである。
 
 この論文で言いたかったことは多岐にわたっているが、主要な論点は次のとおり。
 ◎ 平城宮や平安宮(当初は「葛野宮」)のような「単都制」は、日本古代都城史のスタンダードではない。
 ◎ 日本古代都城史は、単都制と複都制の双方を振り子のように揺れ動きながら進展した。単都制に落ち着くのは、最終の長岡宮・平安宮にいたってのことであった。
 ◎ 難波宮こそは日本古代都城史のキー・ワード。特に孝徳天皇の難波長柄豊碕宮(前期難波宮)こそは画期的な都であった。
 ◎ 聖武天皇の難波宮は「副都(第2首都)」ではなく「正都(第1首都)」。聖武天皇の理想は壮大な複都制。
 ◎ 天武天皇も、難波宮を正都と構想していたか、または飛鳥と難波を対等の首都として考えていた。
 ◎ それに対して、斉明朝の飛鳥の宮と倭京(いわゆる「飛鳥京」)は「偉大なる、異形<いぎょう>にして反動の都城」。
 ◎ だいたい、「遷都」を「京」の移動とするのは間違い。遷都は「宮」が移動すること。
 ◎ 平安京のような、全体を矩形に設計し、その内部に東西南北の直交道路を敷設するという「条坊制・方位プラン都城」は、必ずしも日本古代都城の全てではない。たとえば恭仁京は、「非条坊制・不整形プラン都城」であった(54頁に載せたえらいケッタイな恭仁京の復元案、びっくりしていただければ「成功」である)。

 自分としても、かなり、ケンカを売っているようなことを言っているぞ。その分、この分野の他の研究者の方々からは総スカンを食うかもしれないが、まあいい。とにかく、この論文で、私の考えている日本古代都城史のアウトラインの一端を、なんとか提示することができたと思っている。

【書いたもの】
■京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・高野澄・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・山田邦和(執筆)『第12回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2016年6月10日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は「3級1(問4)」009頁、「3級1(問5)」010頁、「3級1(問6)」011頁、「2級1(問4)」107頁、「2級1(問5)」108頁、「1級1(問3)」203頁)。

【しゃべったこと】
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の中期天皇陵―允恭・雄略天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(2016年4~6月期)、於栄中日文化センター、2016年4月22日)。
□山田邦和(講座)「徳川幕府と京都(2)徳川幕府の成立と二条城の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年5月13日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・院政期京都の研究1」2「院政期の白河」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年5月20日)。
□山田邦和(ガイド)「【東山】考古学者とめぐる、愛憎渦巻く法住寺殿・平家物語の世界へ―法皇と愛した女性が眠る、東山の麓に誕生した広大な離宮―」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、於三十三間堂、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原、2016年5月21日)。
□山田邦和(報告)「古代比較都市史試論」(「前近代都市論研究会」例会、於キャンパスプラザ京都、2014年5月22日)。
□山田邦和(講座)「(2)「奈良時代の天皇陵―元正・聖武・称徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(2016年4~6月期)、於栄中日文化センター、2016年5月27日)。

【テレビ出演】
□BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)、朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「京都歴史ミステリー 金閣寺の謎〜足利家100年物語」(BS-TBS、2016年5月13日放送)。
□NHK(制作・著作)、NHKエデュケーショナル(制作)、渡辺圭・田畑壮一(制作統括)、横山敏子(プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、近田雄一・市川紗椰・山本博文・ベルナール=デルマス、金坂清則・斉藤敏明・丹沢研二・山田邦和・入澤崇(出演)『先人たちの底力 知恵泉』「明治の旅行家 イザベラ・バード」(NHK Eテレ、2016年5月17日放送〈5月24日再放送〉)

2016.05.06

仁木宏・山田邦和編『歴史家の案内する京都』、刊行

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 仁木宏・山田邦和編『歴史家の案内する京都』(文理閣)が仕上ってきた。書店に並ぶのは来週後半くらいになると思う。かなり手間をかけた仕事なので、綺麗な書物になって、たいへんに嬉しい。出版社の編集者としてのウチの奥様のてがけた最初の書物にもなった、ということで、わが家にとっては記念的なものになる。とはいうものの、完成までにはかなりの時間がかかってしまった。編者のひとりとして、早くに原稿をあげてくださっていた執筆者の皆さんにお詫びを申し上げたい。

 本のオビには「『もっと知りたい』京都歩きに必携! 地下に眠る何層もの遺跡、地上に残る寺社や城跡。考古学・文献史学の最新成果で復元される都の歴史。京都を知り尽くした歴史家15人によるガイドブックの決定版」というキャッチコピーが踊っている。これ、掛け値なしの真情である。編者である私も仁木さんも、ゼミや研究室の学生たちや、一般の市民の方々を案内して京都の史跡を巡る機会がしばしばある。そうした巡見の内容をそのまま本にした、と言ったらわかっていただけるのではないかと思う。

〈平安遷都以前〉
 1 太秦・嵯峨野の古墳群(山田邦和〈同志社女子大学教授〉)
 2 長岡京(中島信親〈向日市埋蔵文化財センター普及係長〉)
〈平安・院政・鎌倉時代〉
 3 平安宮(山本雅和〈京都市考古資料館副館長〉)
 4 京都周辺の山林寺院(梶川敏夫〈京都女子大学・京都造形芸術大学非常勤講師〉)
 5 検非違使の活躍(京樂真帆子〈滋賀県立大学教授〉)
 6 鳥羽殿(大村拓生〈関西大学非常勤講師〉)
 7 白河(山田邦和)
 8 別業都市宇治(杉本宏〈宇治市歴史まちづくり推進課主幹〉)
 9 法住寺殿(野口実〈京都女子大学名誉教授〉)
 10 六波羅(野口実)
 11 西八条・七条町(野口実)
 12 清水坂と鳥部野(山田邦和)
〈室町・戦国時代〉
 13 中世都市嵯峨(山田邦和)
 14 「洛中洛外図屏風」の上京(仁木宏〈大阪市立大学大学院教授〉)
 15 戦国時代の下京(河内将芳〈奈良大学教授〉)
 16 祇園祭(河内将芳)
 17 山科本願寺・寺内町(仁木宏)
 18 洛東の山城遺構(福島克彦〈大山崎町歴史資料館館長〉)
 19 大山崎(福島克彦)
 20 石清水八幡宮と八幡(鍛代敏雄〈東北福祉大学教授〉)
〈近世・近代〉
 21 聚楽第(森島康雄〈京都府立丹後郷土資料館主査〉)
 22 御土居堀(中村武生〈京都女子大学・大谷大学等非常勤講師〉)
 23 大仏と豊国社(河内将芳)
 24 伏見城(森島康雄)
 25 二条城(森島康雄)
 26 京都御所(京樂真帆子)
 27 近代における豊臣秀吉の顕彰地(坂口満宏〈京都女子大学教授〉)

 目次と執筆者を見ていただくだけで、なかなかの豪華メンバーであることはご理解いただけよう。ピタリとハマり役、といった人もいるし、その一方では類書には見られないユニークなテーマも挙げてある。定番のテーマについても、すでにどこかで書いているようなマンネリに陥るのではなく、充分に新しい視点と内容を盛り込んでもらった。もちろん、この小さな書物だけで京都の歴史のすべてを通観できるわけではない。特に、近代の京都については1項目しか採り上げることができなかった。平安京そのものについても、もっともっと語りたかったのは確かである。その点では「穴だらけ」ではあるのだが、京都の歴史の厚みを考えるとそれはむしろ当然であろう。むしろこの本では、第一線の歴史家たちが、自分の最も得意とする分野について、実際の京都を案内するという臨場感に力点をおいたのである。手前味噌ではあるが、そうしたガイドブックとしては充分に成功したのではないかと思っている。私自身も、これから京都の案内にこの本を活用していくことになるだろう。

 出版元については次の通りです。
図書出版文理閣「http://www.bunrikaku.com/」
 〒600-8146 京都市下京区七条河原町西南角
 TEL.075-351-7553、FAX.075-351-7560

まもなく書店に配本されますが、もし見つからない場合は書店に注文していただいたら結構ですし、
また文理閣 本の注文ページ「http://www.bunrikaku.com/postmail1.html」や、電話(075-351-7553)・ファックス(075-351-7560)、文理閣営業部へのメール
で、直接注文もできます(当然ですが、住所氏名・希望冊数などの情報は必須です)。
なお、Amazonに紹介されるまでには少しばかり時間がかかりますが、それも載るはずです。

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【書いたもの】
■森浩一、森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第3巻編集担当:中村潤子・山田邦和・坂靖〉『森浩一著作集3 渡来文化と生産』(東京、新泉社、2016年4月15日)、全333頁
 ~中村潤子・山田邦和・坂靖「解題」310~330頁(山田執筆︰「無題(「解題」の総論)」310・311頁、「和泉河内窯の須恵器編年」313~315頁、「大阪府南部窯址資料による須恵器編年略表」316・317頁、「南海道の古代窯業遺跡とその問題」318・319頁、「飯蛸壺形土器と須恵器生産の問題」319・320頁、「古代産業-漁業」321・322頁、「製塩についての二つの覚書」322・323頁、「生道塩」323・324頁)
■山田邦和「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(記念誌編集委員〈森本浩行・西村祐一・内藤郁子・皿倉のぼる〉編、山田邦和・笠原一人・篁正康・大塚活美・西山剛・南博史ほか執筆『京の三条まちづくり―京の三条まちづくり協議会20周年記念誌―』所収、京都、京の三条まちづくり協議会、2016年3月吉日)、6~13頁
■山田邦和「クルマについての研究メモ」(京樂真帆子編『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』2012年度~2015年度科学研究費補助金〈基盤研究(C)〉研究成果報告書)所収、彦根、滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科、2016年3月31日)、99~103頁+図版データ(付属CD-Rに所収)
■山田邦和「日本古代都城における複都制の系譜」(仁木宏編、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義執筆『日本古代・中世都市論』所収、東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、43~82頁
■仁木宏・山田邦和編、仁木宏・山田邦和・中島信親・山本雅和・梶川敏夫・京樂真帆子・大村拓生・杉本宏・野口実・河内将芳・福島克彦・鍛代敏雄・森島康雄・中村武生・坂口満宏執筆『歴史家の案内する京都』(京都、文理閣、2016年5月20日)、全244頁
 ~山田邦和「1太秦・嵯峨野の古墳群」12~21頁、「7白河」70~81頁、「12清水坂と鳥部野」109~115頁、「13中世都市嵯峨」118~125頁。仁木宏・山田邦和「はしがき」3・4頁、「あとがき」242頁。

【著作物の提供】
■神戸市資料提供、高橋昌明・山田邦和監修、NEP・DML制作協力「大輪田泊の復元CG」(浜島書店編集部編『よみとき総合歴史』所収、東京、浜島書店、2016年3月4日)、40頁
■黒澤達也画、山田邦和監修「平安京で花開く貴族文化~平安京」(黒田日出男・小和田哲男・阿部恒久・成田龍一・里井洋一・真栄平房昭・仁藤敦史・土屋武志・梅津正美・木村直樹『社会科 中学生の歴史―日本の歩みと世界の動き―』所収、東京、帝国書院、2016年1月20日)、44頁

【しゃべったこと】
□山田邦和「豊臣秀吉と京都4(1)御土居・寺町・天正地割」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年1月8日)
□山田邦和「豊臣秀吉と京都4(2)秀吉の朝鮮侵略と伏見城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年2月12日)
□山田邦和「豊臣秀吉と京都4(3)(現地見学)ふたつの伏見城(指月城・木幡山城)跡」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、於伏見城跡の現地、2016年3月11日)
□山田邦和「(3)平安京南郊 鳥羽の離宮の天皇陵―白河・鳥羽・近衛天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」2016年1~3月期、於栄中日文化センター、2016年3月25日)
□山田邦和「徳川幕府と京都(1)関ヶ原の戦い」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年4月8日)
□山田邦和「京都学講座・院政期京都の研究1(1)白河法皇と院政の開始」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年4月15日)
□山田邦和「平安京と天皇陵」(古代学研究会主催「古代学研究会4月例会」、於アネックスパル法円坂A棟3階第1号室、2016年4月16日)

2016.04.28

鎌田久美子(山本久美子)さんを悼む

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(← 花園大学考古学研究室の合宿旅行、福岡県前原市(現・糸島市)曽根遺跡群狐塚古墳にて〈2005年11月7日〉。右から二人目が鎌田久美子さん)

 4月23日22時、私にとっては「教え子」のひとりであるとともに、大事な友人であり協力者でもあった山本久美子さん(旧名:鎌田久美子。平安京・京都研究集会世話人、関西大学大学院生)がこの世を去られた。御夫君の山本眞司さんからの知らせによってある程度の覚悟はしていたのであるが、いざその時が来てしまうと、悲嘆は筆舌につくしがたい。

 鎌田さんは滋賀県大津市坂本で生まれ育たれた。役所で保健行政の幹部として勤務されていた御父君の「自立できるための『手に職を』」という方針もあって看護士・保健師の資格を取得し、その専門職の公務員として永年にわたって勤められていた。そのままでいくならば、仕事熱心なひとりの女性として、いわば「ごくフツーの人生」が待っていたと思う。しかし、齢を重ねていくにつれ、「本当の自分」が何かという思いが日に日に大きくなっていくことを押さえられなかった。彼女は真剣に考えた結果、「本当に自分がやりたかったこと」は歴史を学ぶことであったということに思いいたり、私が在籍していた花園大学文学部史学科に社会人入学の枠を使って入ってこられたことであった。
 花園大学の入試の面接の時、私は彼女に「歴史学を学びたい? 考え直したほうがいいんじゃないの?」ということを繰り返したらしく、あとあとまで彼女はそのことを思い出話のネタにしていた。しかし、私の立場としたらそう言うしかないでしょう? 公務員として順風満帆なキャリアを重ねて来た人が、その安定した職を投げ捨ててて、どう転ぶかわからない未知の世界に飛び込みたいというのですから。しかし、彼女は決意を翻さなかった。その時の彼女にはもう、「あるべき自分」の姿が見えていたのだと思う。

 花園大学に入学した彼女は、私の主宰していた考古学研究室(考古学ゼミ)に所属し、学部から大学院へと進んだ。最初、私は、親子ほどの年齢差がある若い学生諸君の中で彼女が馴染んでくれるかと心配したが、それは杞憂に終わった。鎌田さんは学問に対する真摯さ、持ち前の情の深さ、若い人に対する面倒見の良さで、たちまち研究室の中心になってくれたのである。怠惰に流れる学生には容赦ない厳しい叱正を浴びせる一方、お金がない学生や困難に直面した学生には密やかな助力の手を延ばすのを忘れなかった。研究室のコンパの時に、ひとりの学生がハメを外しすぎて前後不覚の泥酔状態に陥ることがあった。あわてふためいてなすすべを失っていた私を尻目に、さすがは看護士の鎌田さんである。テキパキと介抱した上にその学生を遠方の下宿にまで付き添っていってくれたのである。ひとりの男性の卒業生は、学生時代には経済的に充分ではなかった上に、毎月の仕送りや収入の多くを本や調査旅行につぎ込んでしまっており、月末には食に事欠くこともしばしばだった。彼は「僕は欠食するたびに、鎌田さんがくれた米で生活をつないでいったようなものです」と懐古していた。お通夜の席で元女子学生のひとりは、眼を真っ赤に染めながら、「私にとって、鎌田さんこそは『京都のお母さん』でした」とつぶやいていた。それは、鎌田さんの世話になった多くの卒業生が共有する心情なのだと思う。
 また、かつて私が心臓病で倒れて生死の境をさまよっていた時、鎌田さんは私の妻のもとに駆けつけて力づけてくれた。悲嘆の極にあった妻にとって、鎌田さんの励ましは何にも増してありがたいものだった。

 鎌田さんは、中世・近世の墓地の研究に関心を持たれ、卒論や修論はその分野でまとめられた。私は京都府与謝郡の加悦町や野田川町の教育委員会から依頼を受け、福井遺跡や幾地地蔵山遺跡といった中世墓地の現況調査をおこなったことがある。もちろんのこと、この調査には鎌田さんに同道を願った。中世の墓地の遺跡でひとつひとつ石塔の記録をする鎌田さんは、実に楽しそうだった。「お墓が趣味? なんという変人だ!」とからかう私に対して、鎌田さんは「私は花見よりも『墓見』のほうがいいんです」(「墓見」は、鎌田さんが好きだった落語ネタである)と切り返して笑っていた。花園大学考古学研究室編、山田邦和・鎌田久美子執筆『京都府与謝郡野田川町 幾地地蔵山遺跡現状調査報告書』(花園大学考古学研究報告第14輯、京都府野田川町・京都、野田川町教育委員会・花園大学考古学研究室、2005年3月31日)は、この分野における鎌田さんの学問的な遺産となった。
 花園大学を修了してからもなお、鎌田さんの学問に対する想いは衰えなかった。花園大学では主として考古学を学んだが、中世・近世史を研究していくためには文献史学の研鑽が必要であることを痛感した鎌田さんは、改めて関西大学大学院文学研究科博士課程前期課程(日本史学専修)に入学し、薮田貫教授(日本近世史)のゼミに属した。そこでは、自分の本来の分野を生かして、近世・近代の医療史にとりくんでいた。関西大学在学時の著作には、薮田ゼミの有志グループで共同研究した、「女実語教宝箱」を読む会(仲田侑加・山本久美子・古林小百合・水上哲治・安藤久子)「史料紹介『女實語教寳箱』」(『関西大学博物館紀要』第21号、吹田、同博物館、2015年3月)がある。

 また、鎌田さんは私が担当した学会や共同研究の事務局の仕事も進んで引き受け、面倒な裏方の仕事に奔走してくれた。中世都市研究会2005年京都大会(会場︰花園大学)、(財)古代学協会の「仁明朝史研究会」、条里制・古代都市研究会事務局、平安京・京都研究集会世話人などがそれである。特筆されるのは、2009年3月から2011年3月までの、条里制・古代都市研究会事務局の仕事。思いも寄らず私にこの会の事務局長をやれという指名があったのであるが、なにせ事務的能力皆無の私のことである。とうてい大役をこなす自信はない。悩んだ末、鎌田さんが手伝ってくれるならば、ということで彼女に話をもちかけたら、二つ返事で「先生、やりましょう!」と言ってくれた。煩雑な仕事をテキパキとこなしてくれ、彼女なしには、この2年間の条里制・古代都市研究会はまわっていかなかったのが事実なのである。

 しかし、運命は非情なものである。花園大学在学中に鎌田さんが突然の大病に襲われた時には、私は頭が真っ白になったような思いを味わった。しかし医療の専門家でもある鎌田さんは、悠々と病院へと向かわれていた。手術によって回復されて一時は完治したかに見え、私は胸をなでおろしたのであるが、それが思いがけずも数年後に再発してしまった。それからの鎌田さんは、病気と共存しながらも、自分の本当にやりたかったことを追究していく、という道を選ぶことになった。そうした道は決して平坦ではなかったはずであるし、回を重ねていく入院治療によって彼女は満身創痍となっていったけれども、彼女は学問を忘れず、美味しい食事とお酒を愛し、身体が動く限りいろんなところに旅をし続けた。一番の理解者である御夫君に支えられながら、本当の自分をみいだしていった後半生は、彼女にとってはきっと幸せなものであったはずである。
 4月の第3週、ふいに鎌田さんから連絡が来なくなった。なんとなく胸騒ぎがした私は、彼女の携帯電話にかけてみた。驚いたことに、そこから聞こえてきたのは彼女ではなく、御夫君の山本さんの声だった。突然容態が悪化して救急車で病院に運ばれたのだという。私と妻は、とるものもとりあえず病院へと駆けつけた。ほとんど言葉は聞き取れなかったが、間近にせまっている平安京・京都研究集会準備会の段取りのことを案じているようだった。私は彼女の手を握り、研究会のことは心配することないから、ここでゆっくりしていったらいいよ、と声をかけるだけが精一杯だった。それが、私たちと鎌田さんの別れの時となってしまった。
 鎌田さん、これまで本当にありがとうございました。あなたのおかげで、私はどれだけ助けられてきたかわかりません。あなたのことは、あなたとかかわりのあった皆の心に生き続けます。鎌田久美子さん、どうか安らかに。

2016.04.18

熊本地震

 2016年4月14日21時26分頃および4月16日1時25分頃には、熊本を震源とする地震が発生しました。さらにそれにともなう余震や、九州の各地で地震が頻発しております。マスコミによって刻々と伝えられる被災地のありさまに、胸が締め付けられるような思いを味わっております。「地震列島」である日本に暮らしている以上、こうした被害は誰にとってもまったく他人事ではないと存じます。この地震の被災者の皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。何もできない自分が歯がゆく、情けないのですが、ささやかではありますが日本赤十字社の募金に応じたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

2016.03.21

沖縄を巡る、の巻

 2016年2月25日
 京都府与謝野町の幾池地蔵山遺跡(中世の墓地遺跡)の調査委員会で、丹後行き。

 2月26日
 陵墓関係16学・協会の陵墓立ち入り調査。今回は奈良県天理市の渋谷向山古墳(治定景行天皇陵)。

 3月3日
 古代学協会の、石作・小塩窯(緑釉陶器窯)の検討会。

 3月5日
 条里制・古代都市研究会の大会。研究報告があたっているので、その準備にこの数ヶ月間、四苦八苦を続けてきただった。お題は「平安京の都市的変容—古代から中世への展開—」 。京・鎌倉時代(あえてこの語を使う)の平安京復元図の提示と、平安時代から京・鎌倉時代の天皇・上皇の行幸・御幸の検討、さらにはそこからうかびあがってくる、中世都市「北山・衣笠・花園」の提唱、が主なテーマ。報告がおわって、肩の荷が降りる。

 3月6日
 ホントは条里制・古代都市研究会大会の二日目なのだが、失礼させていただいて、「森浩一先生に学ぶ会」で京田辺市の一休寺にある森先生のお墓参り。

 3月9日
 東京の立教大学の佐藤雄基さんのゼミ合宿が京都であるというので、鳥羽殿跡と中世都市嵯峨をご案内。あいにくの雨ではあるが、学生の皆さんの興味津々の目が嬉しい。

Img_1113(← 曲線の石垣が美しい座喜味城跡)

Img_1438(← 垣花樋川)


 3月12日(土)~14日(月)
 昨年度から、花園大学の高橋康夫先生の科研費の「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈基盤研究B、研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉に参加させてもらうことになった。その調査旅行として、5人での沖縄行き。沖縄は久しぶりだから、ワクワクである。

 高橋先生のご配慮で、まずは基本的な遺跡・史跡を巡ってみようということとなる。私もその中のいくつかは見ているのであるが、グスク(城)跡などは十数年前に見ただけ、というものが多いから、その時の記憶はほとんどさだかではない。それだけに、今回の機会はありがたい。
 
 3月9日︰三重城跡、波上宮、護国寺、天妃宮・天尊廟、上天妃宮跡、久米至聖廟(孔子廟)、崇元寺跡、園比屋武御嶽石門、首里城、円覚寺跡、天使館跡、玉陵、中山門跡、天女橋、金城石畳、金城大避川、内金城嶽、弁ヶ嶽
 3月10日︰中城跡、中村家住宅、勝連城跡、座喜味城跡、今帰仁城跡、今泊集落、浦添ようどれ・浦添城跡
 3月11日︰壺屋やちむんの里、尚徳王陵跡、識名園、島添大里城跡、斎場御嶽、知念城跡、垣花樋川<かきのはなヒージャー〈俗称シチャンカー〉>、仲村渠樋川、玉城跡、糸数城跡、浜川御嶽、具志川城跡、喜屋武岬

 これだけ回らせていただいたのであるから、強行軍ではあったが、実に中身の濃い旅となった。グスクの多くは、十数年前よりも整備が進み、見学しやすくなっているのがありがたい。玉城跡など、以前にはジャングルのような密林になってしまっていて登るのを断念したという思い出があるのであるが、今回行ってみるときちんと木製の階段が取り付けられていてすんなりと登れる。

 中でも、ちょっと度を失う思いを味わったのが、南城市玉城にある「垣花樋川<かきのはなヒージャー〈俗称シチャンカー〉>」。雨のあとなのでつるつると滑る石畳の急な坂道を100mにわたって降りていくところにある。上に載せた写真でわかると思うが、清浄な泉の水が導水管によってひかれ、そこから山肌をいくつもの小滝となって流れ落ちる。それが美しい池に溜められているのである。外見をみるだけならば、美しい庭園に見えることは請け合いである。
 しかし、実はこの綺麗な構造物は庭園ではない。この村落の人々の生活用水と農業用水なのである。私が愕然としたのは、この構造物についての記録が失われてしまい、何百年か後に発掘調査されたならば、ゼッタイに庭園と評価されるであろう。さらにその美しさから、誰かが「琉球王国の国王の離宮の庭園」などという評価を下してしまってもおかしくないし、そのまま信じ込んでしまうだろう。考古学に潜んでいる「陥穽」を突きつけられたような気がしたのである。

 3月18日
 わが大学の卒業式。卒業生の皆さんのこれからの人生が幸多いものになることを祈る。

【しゃべったこと】
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4」3「紫式部の生涯」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年1月15日)
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の後期前方後円墳―清寧・仁賢天皇陵、白鳥陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」2016年1~3月期、於栄中日文化センター、2016年1月22日)
□山田邦和(報告)「琉球王陵と日本の比較」(日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉2016年2月研究会、於花園大学高橋康夫研究室、2016年2月10日)
□山田邦和(講師)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(京都文化博物館地域共働事業実行委員会・京の三条まちづくり協議会〈主催〉「第30回 京の三条 まちカフェ」、於京都文化博物館別館講義室、2016年2月14日)
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4」4「安倍晴明と平安京」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年3月4日)
□山田邦和(報告)「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、於奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
□山田邦和(講座)「(2)近つ飛鳥「梅鉢御陵」の謎―聖徳太子墓、敏達・孝徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」2016年1~3月期、於栄中日文化センター、2016年3月4日)
□山田邦和(講師)「織田信長と〈京都〉」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成28年度前期講座〈歴史コース〉、於すばるホール〈大阪府富田林市〉、2016年3月8日)
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4」5「平安京の祭祀」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年3月18日)

【テレビ出演】
■KBS京都・BS11(制作著作)、藤真利子(語り)、山田邦和(監修)、小林敏明(ディレクター)、三宅康仁・斉藤良・四方章雄(プロデューサー)、黒田誠・駒木根徹・磯ヶ谷好章(エグゼクティブプロデューサー)、山田邦和・釋真盛・井口忠男・川俣海雲・長宗繁一・出雲路敬栄(解説)『京都・国宝浪漫』「平安遷都ミステリー~御霊信仰と古代の国宝」(KBS京都、2016年3月7日放送、3月21日再放送)
■同上(BS11、2016年3月10日放送)

2016.02.28

熊野(1617会)、の巻

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(↑ 赤木城跡)

 2016年2月20日(土)・21日(日)
 1617会(いちろくいちななかい)の熊野研究集会「室町・戦国期の熊野を考える」に参加する。会場は和歌山県の新宮市。和歌山県は、和歌山市あたりまではよく行くのであるが、それより南にはなかなか足がのびないから、良い機会なのである。

 初日の20日は、現地見学会。ところが、残念なことに大雨と強い風となり、コースは一部変更を余儀なくされる。ただ、地元の方々の車に分乗させていただけるのはありがたい(乗せていただいた竹田憲治さん、ありがとうございましたm(_ _)m)。まずは、県境を越えて三重県の紀宝町にはいって(とはいっても、国でいうとここも紀伊国である)、京城跡(みやこじょう)。熊野地域では特に大規模な中世城郭だそうである。ただ、中腹の郭跡までは行けたのだが、この雨だとその上までは危ない、ということで断念。それでも、石垣の一部や大きな郭は観察できる。

 次は、熊野市紀和町の赤木城跡。和歌山県、三重県、奈良県の県境に近いような、かなりの山奥。とうてい、ひとりではこんなところまで来れないな。こちらは規模は小さいが石垣が見事な織豊系城郭。羽柴(豊臣)秀吉の熊野征服によって秀吉の弟の秀長が大和・紀伊の大名となり、その指示にしたがって城作り名人の藤堂高虎が築城した、とも言われている。

 そして、新宮の市内にもどって、熊野速玉大社の境内を通り過ぎて、この地域の戦国領主であった堀内氏の館跡の伝承地を訪ねる。

 失敗したのは、靴。防水靴を履いてこなかったので、靴下までぐっしょりと濡れてしまう。風も強いので、ズボンまでずぶ濡れである。まあ、熊野の大雨を体験するというのも悪くない、と自分を慰める。かつて、後白河法皇と共に熊野詣に行った建春門院平滋子サマ、熊野本宮で自ら舞を舞ったのであるが、折悪しく突然の大雨。しかしさすがにキモの座った建春門院サマである、ずぶ濡れになりながらも最後まで堂々と舞い、皆の賛嘆を集めたという故事もある。

 ホテルにかけこんで、あわてて靴を乾かし、楽しい懇親会へ。二日目は研究会。この日はカラッと晴れわたる(雨がもう6時間遅かったらよかったのに・・・・)。途中、徐福公園の「徐福墓」、阿須賀神社、徐福上陸記念碑、新宮城跡などを見学しながら会場に向かう。
 研究報告は伊藤裕偉さんの「中世後期の熊野の地域間交流」、藤岡英礼さんの「和歌山県内の城郭史—奥熊野の城館様相を中心に—」 、阪本敏行さんの「室町期~江戸期初頭の熊野地域史—戦国領主・堀内氏と那智山—」 の三本。そして仁木宏さんの司会のシンポジウム。熊野についてまったく無知なので、学ぶことばかりである。伊藤さんの報告は、いつもながらの快刀乱麻。熊野は、畿内からの瓦器文化圏と、東国からの灰釉陶器圏の接点にあたるという。もしかすると、そうした在地の土器圏の中で、京都の土師器の皿なんかが大量に出土する遺構が今後見つかるかもれしれない、それは後白河法皇や後鳥羽上皇の熊野御幸の痕跡になるだろう、などと夢想してしまう。
 藤岡さんと阪本さんの報告では、熊野の在地の領主の興亡とその城郭について学ぶ。ここで気になるのは昨日見学したふたつの城。京城は在地系なのに対して、赤木城は織豊系だという。ただし、赤木城は紀伊で唯一の織豊系城郭であるし、確かに大和からの街道筋という交通の要衝にあたるのであるが、規模は大きくないし、防備も堅固とはいえない。さらに、城下町を建設するスペースはまったくない。これ、豊臣の熊野支配の拠点というよりも、中央の最新式の城郭のサンプルを在地の連中に見せつけて驚かせ、それによって新しい支配者の権威を示すための「宣伝のための城」なのではないだろうか?という妄想が頭をよぎる。

 【しゃべったこと】
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の後期前方後円墳―清寧・仁賢天皇陵、白鳥陵」 (栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2016年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2016年1月22日)
□山田邦和(講師)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(京都文化博物館地域共働事業実行委員会・京の三条まちづくり協議会〈主催〉「第30回 京の三条 まちカフェ」、於京都文化博物館別館講義室、2016年2月14日)

2016.02.03

57歳、の巻

Img_0008(←誕生日を祝して、ささやかに乾杯)

 2月3日(水)
 誕生日。57歳になった。最近、つくづくと年月の早さに感じ入ってしまうことばかりである。あとどれくらいの仕事ができるかはわからないが、ひとつひとつ、積み重ねていくほかはない。

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 新年になってからの日記

 1月2日(土)
 我が家においての恒例の、一族が集っての新年会。いつもならばイノシシのボタン鍋なのだが、今回はちょっと趣向を変えて、てっちり鍋。

 1月5日(火)
 仁木宏さん、京樂真帆子さんと、ウチの夫婦での新年会。仁木さん京樂さん行きつけの、茨木のシチリア料理の小さな店に誘っていただく。例によってワインをいっぱい開けてしまう。

 1月15日(金)
 京都での講座をすませて、すぐに、大阪府八尾市の八尾市歴史民俗資料館行き。「高安千塚古墳群―岩本文一コレクションの紹介―」という企画展示をぜひ見たかったのである。特に、長者の箸塚古墳から出土した須恵器の配像高杯形器台の優品に見入ってしまう。なお、この古墳、私は「(旧)高安村の長者という土地にある『箸塚古墳』」だと思っていたのだが、違うらしい。「昔々、このあたりに住んでいた長者が、食事のたびに箸を捨てて、それが積もって塚となった」という伝説を持っており、「長者の箸塚」で古墳の固有名詞なのだということ、小谷館長に教えていただく。

 1月16日(土)
 京都市埋蔵文化財研究所で、先日発掘調査がおこなわれた芝1号墳の出土須恵器を観察させていただく。

 1月17日(日)
 ウチの奥さまのお供で、浜大津の朝市。

 1月18日(月)
 懸案になっていた本づくりがようやく山場を越したため、出版社の文理閣に原稿を届け、打ち合わせ。

 1月23日(土)
 京都国立博物館構内の、「方広寺」跡の発掘調査の現地説明会の見学。明治の「恭明宮」の跡が出ているのが目を引く。そのあとは、京都国立博物館の名品をながめてゆったりとした時間を過ごす。

 1月26日(火)
 一般入試の、監督業務。

 1月27日(水)
 陵墓関係16学・協会に参加して、奈良県明日香村の野口王墓古墳(天武・持統両天皇陵)の立会調査見学。そのあとは、自転車を借りて、久しぶりに明日香村の散策。県立万葉ミュージアム、整備された酒船石遺跡亀形石造物など。

 1月29日(金)
 おなじく陵墓見学で、大阪府堺市の土師ニサンザイ古墳の見学。雨で大変。

 1月30日(土)
 京樂真帆子さん主催の科研費研究会。

 1月31日(日)
 京都市南区の久世の福田寺の見学会。平安時代にさかのぼる、伝承「龍神像」を拝見。 

2016.01.01

2016年(平成28年)元旦、の巻

Img_0304(「初詣」は、夜の散歩を兼ねての護王神社)

 2016年(平成28年)正月一日
 みなさま、あけましておめでとうございます。本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

 1月8日発売(奥付は1月23日付け)らしいのですが、洋泉社から『古代史研究の最前線 天皇陵』という本が出ます。ハンディな天皇陵問題への入門書としては適切なものと思います。私はこの中で「中世の天皇陵」を書かせていただきました。これまでも、鎌倉・室町時代の天皇陵についてまとめてみたいな、と思ってはいたのですが、なかなかそれにとりかかれなかったところ、ありがたい機会を与えていただきました。与えられた紙数が少ないので記述は簡単なものになりましたが、この時代の天皇陵についての私なりの見通しの一端を示すことができたのではないか、と思っています。本屋さんに並んだら、どうかお手にとってみてください。

【書いたもの】
■山田邦和「中世の天皇陵—堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ—」(洋泉社編集部〈編〉仁藤敦史・宮瀧交二・福尾正彦・天野末喜・西田孝治・宮崎康雄・岸本直文・石坂泰士・西光慎治・田中聡・黒羽亮太・山田邦和・鍛冶宏介・福島幸宏・上田長生・高木博志・新納泉・宮代栄一〈執筆〉『古代史研究の最前線 天皇陵』所収、東京、洋泉社、2016年1月23日)、56〜167頁(書物全体は全255頁)。

2015.12.31

2015年、やったこと、の巻

Img_0079(← 今年4月のお花見。滋賀県高島市海津大崎の桜。このあたりは、国の重要文化的景観「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」に指定されている。見ものは琵琶湖の湖岸の石垣〈「海津・西浜石積み」〉。ちょっと見るとまるで城郭のようだが、元禄16年〈1703〉に築かれた風波防止用の石垣である)

  今年もあと数時間。恒例で、バックに流すベートーヴェン「交響曲第9番」は、京響つながりということで、山田一雄指揮京都市交響楽団、秋山恵美子(ソプラノ)、荒道子(アルト)、田口興輔(テノール)、勝部太(バリトン)、京都市立芸術大学音楽学部合唱団・ベリョースカ合唱団による1983年12月21日のライヴ録音。山田一雄(1912~1991)(「ヤマカズ」先生の愛称で親しまれた)はいうまでもなく、日本のクラシック音楽界を引っ張ってきた大指揮者。音楽に没頭する忘我状態の指揮ぶりは有名。その分、本番中に足を踏み外して客席に落ちてしまい、それでも指揮棒を振りながら舞台によじ登ってきたとか、音楽に没頭しすぎて自分がどこを演奏しているのかすらわからなくなり、楽員に「今どこだ?」と尋ねたとか、ベートーヴェンの「第6番『田園』」なのに「第5番『運命』」と勘違いして棒を振り下ろしたとか、自分のレコードを聞かされて「これはフルトヴェングラーの演奏だ!」と断言したとか、とにかく逸話や伝説の多い大先生である。
 京都市交響楽団にとっても、1972~1976年に音楽監督・第6代常任指揮者をつとめられたし、そのあとも音楽顧問、正指揮者(1980~1982)、首席指揮者(1984~1985)として親しい関係にあった。私も学生時代には何度かヤマカズ先生指揮の京響の演奏会に行ったことがあり、そのダイナミックな指揮ぶりに感動した覚えがある。この「第9」(この時には私はエジプトの発掘調査に行っていたので、当然ながら、実演は聞いていない)も、そうしたヤマカズ先生の姿を思い起こさせるような緩急自在の熱っぽい演奏。特に、第4楽章、その中でもコーダの白熱ぶりは特筆ものである。

 さて、これも恒例。今年「やったこと」をまとめておこう。

 ちょっと嬉しいのは、「論文など」の学術的なものを7本、「共著・監修書」を4本、玉石取り混ぜてではあるけれども、とにもかくにも出すことができた、ということ。これは遅筆かつナマケモノの私としては特筆すべき新記録なのである。
 先月にも書いたが、この中で特に気に入っているのは「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」。とはいうものの、ちょっと好き放題すぎて、識者からは怒られるかもしれないな^^;)。「平安京の都市構造変遷」は、今後の平安京研究の基礎にしてもらえると思う。
 年末には、「中世史と考古学」を書いた『岩波講座日本歴史』第21巻ができあがってきた。これは正直、嬉しい。岩波講座の日本歴史はほぼ20年ごとに出されているのであるから、ここに載せられた論文はその段階での学界の集大成になるとともに、その後の20年間はスタンダードとして使われることが多いのである。もちろんこんな大きなテーマを書かせてもらうというのは私では力不足ではあるのだろうが、ただ、やっぱりこのシリーズは文献史学中心で、考古学の人間がここに参加することは限定されるから、書かせてもらったというそのこと自体が感激モノなのである。内容は、学生時代から考え続けていた「考古学とは何ぞや」というテーマと、考古学が中世史にどんな貢献ができるか、ということを突き詰めた。103頁図1の「歴史学の構成概念図」は私なりの「歴史学」の全体像を模式化したものであるから、ご興味ある方はぜひ読んでいただけるとありがたい。

 あと、どういうわけか今年はテレビ出演が多かった。女優の高島礼子さんや歌舞伎俳優の尾上松也さんと「共演」させてもらったことは役得である。とくに高島さん、綺麗であることはもちろんだが、気さくで礼儀正しい上に、頭が良くカンドコロの押さえ方が的確だという素晴らしい方で、いっぺんでファンになってしまったぞ\(^o^)/。

 それではみなさん、どうか良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしく。

【著書(共著・監修書)など】
■山田邦和・河内将芳(監修)『ビジュアル版 京都1000年地図帳』(別冊宝島2272、東京、宝島社、2015年1月11日)、全112頁。
 〜山田邦和(作図)「古代の京都MAP」(15頁)、「平安時代の京都MAP」(23頁)、「都の移り変わり」(24頁)、「平安京条坊復元図」(31頁)、「大内裏(平安宮)復元図」(32頁)、「平安時代後期〜鎌倉時代の京都MAP」(45頁)、「戦国時代の京都MAP」(59頁)、「応仁の乱による焼失地域」(66頁)、「戦国期の京都の城」(73頁)、「秀吉時代の京都MAP」(77頁)、「秀吉による京都の都市改造」(85頁)、「平安京以来の「碁盤の目」町割り・豊臣秀吉による「短冊形の町割り」(85頁)、「聚楽第復元図」(87頁)、「江戸時代の京都MAP」(95頁)
 〜山田邦和(土台作図)「現代の京都MAP」(20頁)、「名僧にちなんだ京都の寺院」(51頁)。
 (↑ この本、実際に配本されたのは2014年12月11日なのだが〈Amazonのデータもそうなっている〉、奥付は「2015年1月11日発行」なので、リストとしては2015年のところに入れておくことにしました。)
■駒井和緒(文)、遠田志帆(絵)、芥川龍之介(原作)、山田邦和(監修)『リライトノベル 邪宗門』(東京、講談社、2015年2月12日)、全203頁。
■京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・市川智也・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・黒田正子・佐々木歩・高野澄・徳丸貴尋・中村武生・中村正司・西村彰朗・細田香織・前川佳代・村岡真千子・町田香・山田邦和(執筆)『第10回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2015年8月31日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は9・10・101・108・206・207各頁)。
■同志社女子大学史料室編(Amdrew C.Elliott・藤原孝章・平光陸子・河江優・甲元洋子・村上元庸・中村憲夫・大島中正・山田邦和・余田義彦・米田祐子・北村博子〈2015年度史料室運営委員〉)『同志社女子大学史料室第20回企画展示「戦時下の同志社高等女学部・同志社女子専門学校」展示目録』(京都、同志社女子大学史料室、2015年11月〈日は明記なしだが、展示は11月20日開始〉)、全24頁(執筆分担明記なしだが、山田執筆は「Ⅰ 戦時下の京都」〈2~6頁〉)。

【論文など】
■山田邦和「天皇陵史料としての『扶桑略記』」(松藤和人〈編〉『同志社大学考古学シリーズXI 森浩一先生に学ぶ—森浩一先生追悼論集—』所収、京都、同シリーズ刊行会、2015年1月30日)、561〜577頁。
■山田邦和「複都制と移動王権」(『鷹陵史学』第41号掲載、京都、鷹陵史学会、2015年9月30日)、31~43頁。
■山田邦和「平安京の虚像と実像」(『説話文学研究』第50号掲載、名古屋、説話文学会、2015年10月10日)、11~21頁。
■山田邦和「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」(『第3回東海学シンポジウム2015 いくさの歴史―戦争の本質を見つめ直す』資料集所収、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2015年10月13日)、59~85頁。
■山田邦和「平安京の都市構造変遷」(『都市史研究』2掲載、東京、都市史学会〈販売︰山川出版社〉、2015年11月25日)、46~57頁(欧文要旨Transformation of Heiankyô〈3頁〉)。
■山田邦和「〈書評〉高橋康夫『海の「京都」―日本琉球都市史研究―』」(『花園史学』第36号掲載、京都、花園大学史学会、2015年11月15日)、46~55頁。
■山田邦和「中世史と考古学」(大津透・桜井英治・藤井譲治・吉田裕・李成市〈編集委員〉、大津透・佐藤信・細井浩志・高橋一樹・山田邦和・藤原重雄・西田かほる・保坂裕興・蘭信三・安田常雄・奥村弘執筆『岩波講座 日本歴史 第21巻「史料論〈テーマ巻2〉」』所収、東京、岩波書店、2015年12月22日)、99~124頁。(書物は全299頁)

【その他の著作】
■山田邦和「書評/著・上田正昭『「古代学」とは何か—展望と課題—』」(『京都民報』第2681号〈2015年3月29日号〉掲載、京都、京都民報社、2015年3月29日)、5頁。
■山田邦和「儀式用に特化 出雲型子持壺」(『山陰中央新報』2015年7月16日号掲載、松江、山陰中央新報社、2015年7月16日)、23頁。
■森浩一『森浩一著作集1 古墳時代を考える』(森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第1巻編集担当:前園実知雄・今尾文昭・坂靖〉、東京、新泉社、2015年8月15日)、全303頁。
■内田和浩(文)、中田昭(写真)、山田邦和(案内人)「特集 京都『時間旅行』のすすめ~第1章『平安京遷都』」(『サライ』第27巻第10号通巻第604号掲載、東京、小学館、2015年9月10日)。
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(6)(最終回)』付記」(『古代文化』第67巻第2号掲載、京都、古代学協会、2015年9月30日)、123頁。
■貝英幸(司会)、佐古愛巳・山田邦和・渡辺進一郎(パネリスト)「2014年度鷹陵史学シンポジウム パネルディスカッション」(『鷹陵史学』第41号掲載、京都、鷹陵史学会、2015年9月30日)55~70頁(山田発言︰57~59・61~64・66~69頁)。
■森浩一『森浩一著作集2 和泉黄金塚古墳と銅鏡』(森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第1巻編集担当:前園実知雄・今尾文昭・坂靖〉、東京、新泉社、2015年12月25日)、全323頁。

【学会・研究会】
□山田邦和「天皇陵問題の展望」(朱雀基金研究会、於京都大学人文科学研究所本館、2015年5月16日)。
□仁木宏・山田邦和(司会)、山田康弘・馬瀬智光・福島克彦(パネラー)「討論」(第30回平安京・京都研究集会「室町将軍と居館・山城 ―権力・器量・武威―」、於機関紙会館、2015年6月6日)。
□山田邦和「陵墓研究の現状と陵墓問題」(日本史研究会〈主催〉「日本史研究会創立70周年記念講演会」、於立命館大学朱雀キャンパス、2015年11月8日)。
□山田邦和「世界のなかのアジア古代都市」(日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉2015年11月研究会、於花園大学高橋康夫研究室、2015年11月26日)。
□山田邦和「平安京の比較都市史学的検討」(研究代表者︰京樂真帆子、科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究-『新・輿車図考』の構築を目指して-」〈研究課題番号24520764〉研究会、研究期間2012年4月1日~2016年3月31日〈予定〉、於長岡京市生涯学習センター、2015年12月6日)。

【講演】
□山田邦和(講演)「豊臣秀吉と京都」(京都橘大学文学部歴史遺産学科2014年度講演会、於京都橘大学清風館、2015年2月3日)。
□宗田好史(コーディネイター)、高原光・山田邦和・岩田信一・河森一浩(パネリスト)「パネルディスカッション」(京都府・天橋立世界遺産登録推進事業実行委員会・天橋立を世界遺産にする会〈主催〉「天橋立世界遺産シンポジウム—天橋立を世界遺産に!美しいふるさとを子ども達に残そう—」、於与謝野町生涯学習センター知遊館、2015年3月15日)。
□山田邦和(外部講師)「室町・戦国時代の上京」(京都府立鴨沂高等学校「京都文化入門」、於同高等学校講堂、2015年4月25日)。
□山田邦和(ガイド)「【東山】 考古学研究者とめぐる、荘厳な政治宗教ワールド・法住寺殿~残る巨大苑池の断崖、東山の麓に誕生した広大な離宮~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京阪電車七条駅集合、三十三間堂(外観のみ)、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原を見学、2015年4月26日)。
□山田邦和「後白河法皇の院御所・法住寺殿」(アスニーセミナー、於京都アスニー、2015年5月29日)。
□山田邦和(講義・案内)「東山七条 秀吉栄華の跡を歩く―大坂夏の陣から400年―」(JR 東海 京都・奈良・近江文化情報事務局〈主催〉JR東海「そうだ京都、行こう。」オリジナルイベント、於豊国神社社務所、豊国神社・耳塚・方広寺・大仏殿跡・新日吉神宮・智積院を見学、2015年6月7日)
□山田邦和(講演)「装飾付須恵器からみた畿内と出雲」(島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館「風土記の丘教室」、於島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館、2015年7月18日)。
□山田邦和(講演)「平安京の都市とくらし」(花園大学「2015年 京都学講座~京のくらし―平安京から現代まで―」、於花園大学無聖館ホール、2015年8月2日)。
□山田邦和(講師)「平安京遷都」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成27年度後期講座〈歴史コース〉、於すばるホール〈大阪府富田林市〉、2015年9月15日)。
□山田邦和(ガイド)「【鳥羽離宮】考古学研究者と、復元図で辿る史上空前規模の離宮跡 ~さながら都遷りの如し、華やかな院政文化から激動の新時代へ~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、竹田駅南改札口集合、安楽寿院・近衛天皇陵・鳥羽天皇陵、白河天皇陵、城南宮、鳥羽離宮跡公園、金剛心院跡、田中殿公園を見学、2015年9月20日)。
□山田邦和(講演)「天皇陵の考古学」(徳島市立考古資料館〈主催〉「考古学入門講座」第5回、於徳島市立考古資料館研修室、2015年9月26日)。
□山田邦和(講演)「戦国時代の京都」(京都府・(公財)京都SKYセンター・京都府立大学・京都府立医科大学・京都SKY大学同窓研修会・京都府老人クラブ連合会〈主催〉「京都SKYシニア大学」北部短期講座、於京丹後市峰山総合福祉センター、2015年10月30日)。
□山田邦和(講演)「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉第3回東海学シンポジウム2015「いくさの歴史―戦争の本質を見つめ直す」、於春日井市民会館、2015年11月1日)。
□山田邦和(講演)「長岡京から平安京へ」(長岡京歴史散策の会〈主催〉、NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会〈共催〉「中山修一先生生誕100周年記念講演会『中山修一先生と長岡京研究―幻の都の扉を開く―』」、於長岡京市中央公民館市民ホール、2015年11月22日)。
□清水みき(司会)、山中章・山田邦和・中山忠彦・木村泰彦(パネラー)「ミニ座談会 中山先生と発掘現場」(長岡京歴史散策の会〈主催〉、NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会〈共催〉「中山修一先生生誕100周年記念講演会『中山修一先生と長岡京研究―幻の都の扉を開く―』」、於長岡京市中央公民館市民ホール、2015年11月22日)。
□山田邦和(講座)「織田信長と京都2(1)織田信長の天下統一戦」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(40)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年1月9日)。
□山田邦和(講座)「織田信長と京都2(2)本能寺の変」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(40)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年2月13日)。
□山田邦和(講座)「織田信長と京都2(3)(現地見学)本能寺の変を訪ねる」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(40)、於本能寺跡・妙覚寺跡・二条御所跡、2015年3月13日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都1(1)羽柴秀吉の登場」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(41)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年4月10日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都1(2)秀吉の天下統一戦」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(41)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年5月8日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都1(3)「(現地見学)秀吉を祀る豊国神社」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(41)、於豊国神社・方広寺、2015年6月12日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都2(1)武家関白としての秀吉政権」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(42)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年7月10日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都2(2)聚楽第の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(42)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年7月31日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都2(3)(現地見学)聚楽第城下町の南部・西部」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(42)、於聚楽第城下町跡、2015年9月11日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都3(1)秀吉の後継者問題」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(43)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年10月9日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都3(2)豊臣秀次」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(43)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年11月13日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都3(3)(現地見学)醍醐寺」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(43)、於醍醐寺、2015年12月11日)。
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の天皇陵古墳—津堂城山古墳の被葬者は誰か?」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2015年1月23日)。
□山田邦和(講座)「(2)暗殺された崇峻天皇はどこに葬られたのか?」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2015年2月13日)。
□山田邦和(講座)「(3)文徳天皇の母・太皇太后藤原順子陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2015年3月27日)。
□山田邦和(講座)「(1)王朝交替と継体天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年4~6月期〉、於栄中日文化センター、2015年4月24日)。
□山田邦和(講座)「(2)方墳となった飛鳥時代天皇陵—用明・推古天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年4~6月期〉、於栄中日文化センター、2015年5月15日)。
□山田邦和(講座)「(3)怨霊となった天皇への祭祀—崇徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年4~6月期〉、於栄中日文化センター、2015年6月26日)。
□山田邦和(講座)「(1)百舌鳥古墳群のふたつの天皇陵—履中・反正天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年7~9月期〉、於栄中日文化センター、2015年7月24日)。
□山田邦和(講座)「(2)天皇陵と中世城郭—安康・安閑天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年7~9月期〉、於栄中日文化センター、2015年8月28日)。
□山田邦和(講座)「(3)佐紀古墳群周辺の天皇・皇后陵―磐之媛陵、開化・垂仁両天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年7~9月期〉、於栄中日文化センター、2015年9月25日)。
□山田邦和(講座)「(1)悲劇の皇子・崇道天皇(早良親王)とその陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年10~12月期〉、於栄中日文化センター、2015年10月16日)。
□山田邦和(講座)「(2)葛城の天皇陵の謎―顕宗・武烈両天皇陵と飯豊天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年10~12月期〉、於栄中日文化センター、2015年11月27日)。
□山田邦和(講座)「(3)宇治陵―平安時代藤原氏の墓域」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年10~12月期〉、於栄中日文化センター、2015年12月25日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法2(3)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年1月16日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法2(4)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年3月20日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(1)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年4月17日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(2)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年5月15日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(3)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年6月19日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(4)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年7月17日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4(1)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年9月18日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4(2)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年10月16日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4(3)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年11月20日)。

【テレビ出演】
□BS-TBS(製作著作)、高島礼子(出演)、朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・天竺桂英生(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)『高島礼子・日本の古都~その絶景に歴史あり』「初回2時間スペシャル 秀吉の桜・知られざる物語」(BS-TBS、2015年4月8日放送)
□BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)、朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、藤村卓也(プロデューサー)、黒本宏希・高橋圭司(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「織田信長の物語・・・比叡山、本能寺」(BS-TBS、2015年5月20日放送、6月24日再放送)
□KBS京都・BS11(制作著作)、辰巳琢郎(案内役)、白井貴子・茂山逸平・MAKOTO(リポーター)、旭堂小二三(講談)、正木恭彦・磯ヶ谷好章(ゼネラルプロデューサー)、竹内信也・斉藤良・福島方史(プロデューサー)、山東寿海・石原朋子・諸正義彦(ディレクター)、辻壽々代(構成)、山田邦和ほか(出演)『京都 不思議百物語』(KBS京都、2015年7月10日放送)(BS11、2015年7月11日放送)
□BS11(製作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、尾上松也(出演)、磯ヶ谷好章・成田肇(ゼネラルプロデューサー)、武田伊正・手塚公一(プロデューサー)、丸山剛(演出)、田島優(ディレクター)、山田邦和(監修・案内人)『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第1回「幻の九重塔の謎」(BS11、2015年10月6日放送)
□BS11(製作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、尾上松也(出演)、磯ヶ谷好章・成田肇(ゼネラルプロデューサー)、武田伊正・手塚公一(プロデューサー)、山本雅泰(演出)、井上雄介(ディレクター)、山田邦和(監修・案内人)『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第4回「京都・城に秘められた権力者たちの思惑」(BS11、2015年10月27日放送)
□KBS京都・BS11(制作著作)、藤真利子(語り)、小林敏明(ディレクター)、三宅康仁・斉藤良・四方章雄(プロデューサー)、黒田誠・駒木根徹・磯ヶ谷好章(エグゼクティブプロデューサー)、江上正道・杭迫柏樹・鈴木景雲・山田邦和(解説)『京都・国宝浪漫』第53回「足利義満が求めた禅の世界と宝物たち〜相国寺」(KBS京都、2015年12月7日放送、12月21日再放送)
□BS11(製作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、尾上松也(出演)、磯ヶ谷好章・成田肇(ゼネラルプロデューサー)、武田伊正・手塚公一(プロデューサー)、山本雅泰(演出)、丸山剛・佐藤俊一郎(ディレクター)、山田邦和・木村幸比古(監修・案内人)『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第12回「京都総集編」(BS11、2015年12月29日放送)←『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第1回「幻の九重塔の謎」(2015年10月6日放送)を抜粋して収録

【展覧会担当】
□同志社女子大学史料室第20回企画展示『戦時下の同志社高等女学部・同志社女子専門学校』(於同志社女子大学史料室、2015年度同志社女子大学史料室運営委員〈Amdrew C.Elliott・藤原孝章・平光陸子・河江優・甲元洋子・村上元庸・中村憲夫・大島中正・山田邦和・余田義彦・米田祐子・北村博子〉、2015年11月20日~2016年7月29日予定)

【提供・協力】
△【展示協力〈展示資料出品〉】京都文化博物館総合展示(主催:京都府、京都文化博物館)世界考古学会議京都開催決定記念「近世京都の考古学者たち」(2015年2月7日~4月19日)

【共同研究】
△日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究C「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—」(研究代表者:京樂真帆子滋賀県立大学人間文化学部教授。研究課題番号24520764。研究期間2012年4月1日~2016年3月31日〈予定〉)連携研究者。
△日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」(研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110)連携研究者(2015年11月~)

【社会活動(終了)】
▼公益財団法人古代学協会 理事(~2015年6月12日)

【社会活動(新規・継続)】
▼有限会社京都平安文化財 伏見城跡(指月城)調査検証委員会 委員(2015年4月)
▼特定非営利活動法人WAC Japan(世界考古学会議日本) 会員(2015年5月31日~)
▼京都文化博物館OB会 幹事(2015年6月7日~)
▼一般財団法人朱雀基金 理事(2015年~)
▼公益財団法人古代学協会 参与(2015年6月12日~)
▼公益財団法人古代学協会 古代文化刊行委員会 編集委員(継続)。
▼平安京・京都研究集会 世話人(継続)。
▼文化史学会 監事(継続)。
▼京都市環境影響評価委員(継続)。
▼京都府 天橋立世界遺産登録可能性検討委員会 委員(継続)。
▼社団法人京のふるさと産品協会 ブランド認証審査会 総合審査会 委員(継続)。
▼条里制・古代都市研究会 評議員(継続)。
▼WAC Japan(世界考古学会議日本)会員(継続)。
▼与謝野町幾地地蔵山遺跡調査検討委員会委員(2015年11月~)
▼有限会社京都平安文化財 桃陵遺跡 調査検証委員会 委員(2015年10月~12月)


【学内の活動】
▼同志社女子大学 AO委員会 委員。
▼同志社女子大学現代社会学会『現代社会フォーラム』編集委員長。
▼同志社女子大学現代社会学会 運営委員。
▼同志社女子大学現代社会学会 京都研究会 顧問。
▼同志社女子大学 表千家茶道部 顧問。

【講義】
(同志社女子大学大学院文学研究科「考古学特論」は受講者が無かったため、今年度は閉講)。
(2015年度春学期。すべて同志社女子大学現代社会学部〈特記なきものは京田辺キャンパス開講〉)。
   〈火〉2講時「応用演習」、3講時「考古学I」、4講時「博物館実習(京田辺クラス)」
   〈水〉2講時「基礎演習」、3講時「専門基礎演習」
   〈木〉2講時「博物館実習(今出川クラス)」、4講時「卒業研究」
(2015年度秋学期。すべて同志社女子大学現代社会学部〈特記なきものは京田辺キャンパス開講〉)。
   〈月〉5講時「博物館概論(今出川クラス)」
   〈火〉2講時「応用演習」、3講時「考古学II」、4講時「博物館実習(京田辺クラス)」
   〈水〉2講時「史跡・文化財論」、3講時「博物館概論(京田辺クラス)」
   〈木〉2講時「博物館実習(今出川クラス)」、4講時「卒業研究」

2015.12.28

高関健指揮京響の「第9」、の巻

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 12月26日(土)
 年末恒例の「第9」の季節。今年は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健さんの指揮による演奏会が二日連続でおこなわれる。私は、初日を聞きに行く。カップリングはシベリウスの最初の交響詩「エン・サガ(伝説)」。
 高関さん、わが国を代表する指揮者のひとりであるが、とくに群馬交響楽団を永年にわたって指導し、それを第一級の水準に押し上げた業績で知られている方である。オーケストラを自在に操る練達の職人技の持ち主であり、実に噛んで含めるような明快な指示を与えていることは、客席から見ているだけでもよくわかる。彼の「第9」はどんなのかな、と思ったのであるが、これが実にイイのである。音のアーティキュレーションの末尾をピシャリピシャリと切っていくのが印象的で、これはもしかすると最近勢いを増しているピリオド奏法(古楽器奏法)から取り入れたものかもしれないな、と思うのであるが、ピリオド奏法の演奏がややもすると響きが薄くてギスギスした感じになるのに対して、高関さんはモダン・オーケストラらしい分厚い響きを維持しつづけるのがイイ。第4楽章では、京響コーラスの合唱を実に丁寧に盛り上げていく。驚嘆したのは第4楽章の最終のコーダ。ここを早めのテンポで盛り上げていくのは多くの指揮者がやっているのであるが、高関さんは他に類をみないようなアクセル全開で凄い追い込みである。京響も、楽器も壊れよとばかりの熱演で高関さんの指揮に応え、こちらも手に汗握るような感覚を味わうことができる。
 さあ、今年ももうあと数日である。27日(日)には今年最後の校務をすませ、新年への体制を整える。

日本史研究会古代史部会で長岡宮を学ぶ、の巻

Img_0015(← 向日市向陽小学校構内遺跡における複廊遺構〈2010〉)

 12月21日(月)
 第5講時の授業を終えて、すぐに日本史研究会古代史部会に駆けつける。移動に使える時間はわずか15分。幸い今出川キャンパスでの授業だったので可能なのであって、京田辺キャンパスではとてもこういうわけにはいかない。こんなところ、やっぱり大学は都市の中心部にある方がいいな。
 今回の古代史部会にどうしてもでたかったのは、もちろんこの部会の忘年会コミであるということもあるのであるが(^^;;、報告者が山中章さん、演題が「長岡宮嶋院と西宮―考古資料からみるその位置と構造―」というものであったからである。長岡宮の復元については、特にその内裏の位置をめぐって新たな展開を見せている。長岡宮内裏の遺構は大極殿の東方で確認されているけれども、これは「東宮」と呼ばれていた「第2次内裏」であり、それ以前の「西宮(第1次内裏)」についてはまだ明確ではないのである。山中さんは従来から朝堂院の北方にそれを推定してきたのであるが、最近、朝堂院の西方に推定する説がではじめた。とくに、2010年に向日市立向陽小学校の構内における発掘調査で見事な複廊の遺構が検出されてから、これこそが長岡宮の「西宮(第1次内裏)」だとする説が溢れ出し、多数の研究者がこの説を採用することになったのである。
 しかし、山中さんはこの説には批判的、というか、真っ向から否定している、ということは以前から聞いていた。山中さんはこの遺跡は長岡宮の「嶋院」に比定し、第1次内裏はやはり朝堂院の北方であるというのである。従来から私も酒宴の場でそういう話は聞いていたし、「ぜひ早くそれを論文化してくださいよ!」と督促もしてきたのであるが、なかなか体系的にその根拠を理解することはできていなかった。今回の発表は、ご本人の口からまとまってこのことを聞く、という得難い機会を得ることができた。あとは、山中さんがこれを早く論文にしてくれて、それでさまざな議論が活発化することを待つばかりである。

2015.12.21

隅田川の屋形船と花火、の巻

Img_0064_2(←隅田川の屋形船と、お台場の花火)

11月28日(土)
 夜、ウチの大学の学生たちの見学会で、「お寺のライトアップを見たい」ということになって、まずは知恩院。御影堂は残念ながら改修工事中。次に高台寺に行って驚いた。長蛇の列で、切符を買うのだけでも90分待ちだという。おそらく、清水寺はそれ以上だろうな。寒い中、とうてい無理だということで早々に諦めて、八坂の塔(法観寺)のライトアップを下から見上げ、安井金比羅宮にお詣りすることだけで満足することになる。

 11月30日(月)
 京都府庁で、天橋立世界遺産登録可能性検討委員会。これまでご指導いただいてきた白幡洋一郎委員長が退任され、旧知の金田章裕京都大学名誉教授が委員長に就任される。

 12月3日(木)
 「博物館実習(今出川クラス)」の授業は、校外見学。京都市歴史資料館にお邪魔する。宇野日出男さんに懇切にご案内いただき、充実した時間。

 12月4日(金)
 宮内庁の「陵墓限定公開」。今回は、奈良県天理市の渋谷向山古墳(治定景行天皇陵)。墳丘北部の裾にいくつもトレンチを入れている。この古墳の周堀について、一定の仮説を立てることができる(ただ、事後の検討会でこの仮説を披露したら、みなさんの賛同がゼンゼン得られなかったぞ(´Д` ))。

 12月5日(土)
 文化史学会の大会。公開講演会は、竹居明男教授の北野天神信仰についてのもの。竹居教授、私が学生の頃は大学院博士課程後期の院生だったが、それを終えられてすぐに同志社大学の助手になられ、その後には専任講師、助教授、教授と昇任されてきたから、同志社大学での永い永い教員歴をお持ちの先生である。その竹居先生が今年度で定年によって退任されるとのことで、今回の講演は事実上の「退任記念講演」のようなものだということになる。先生の北野天神信仰に対する熱い思いと、これまでの仕事をみずから通観されるものとなった。

 12月6日(日)
 京樂真帆子さん主催の「牛車科研」研究会と、忘年会。

 12月9日(水)
 旧友のTさん、Yさんとの忘年会。

 12月10日(木)
 三回生のゼミの忘年会。

 12月11日(金)
 朝日カルチャーセンターで醍醐寺見学のあと、龍谷ミュージアムでのアンコールワット展。やっぱりすごい遺跡だな。いつか行く機会を得られるだろうか・・・

 12月12日(土)・13日(日)
 東京の法政大学で、都市史学会の大会。会長が、吉田伸之先生が任期満了で、陣内秀信先生にバトンタッチされるとのこと。今回のテーマは「水都史」、主としてヴェネチアと東京との比較論が話題となる。懇親会はそれにちなんでか、隅田川の「屋形船」という豪華版。お台場まで行くと、12月の土曜日限定ということで、打ち上げ花火。すばらしい体験をさせてもらった。やっぱり東京ってのは「水の都」なんだな、という感を深くする。

 12月14日(月)
 京都平安文化財が担当している伏見の桃陵遺跡の発掘現場(私は「検証委員」)の見学。

 12月17日(木)
 同志社大学考古学研究室の定例研究会、今年最後。白石太一朗先生がお越しになって、埼玉稲荷山古墳の鉄剣と江田船山古墳の鉄刀の銘文についての詳しい検討をお話しいただく。勉強になることこのうえない。その後は、白石先生を囲んで、同研究室の実質上の忘年会。

 12月18日(金)
 公益財団法人古代学協会の忘年会。

 12月19日(土)
 東京行き。米輸商事株式会社の創立65周年記念パーティに呼んでいただいたのである。会場は目黒の雅叙園。すごいホテルだな。単なるパーティではなく、ヴァイオリン・コンサートまでついた豪華版。
 もうひとつのメッケものがあった。目黒の駅に降り立つと、正面に「久米美術館」というのがあった。なんじゃらほい、と思ってはいってみると、なんと、明治・大正の歴史家で東京帝国大学教授や早稲田大学教授をつとめた久米邦武の子孫の方がやっておられる美術館である。久米邦武といえば、岩倉具視使節団の報告書である『米欧回覧実記』の編者として、また、「神道は祭天の古俗」事件によって帝国大学を追われたことによって知られている学者である。小さな展示室ではあるが、久米邦武に関する資料も陳列されており、まことに勉強になる。

2015.11.29

2015年11月、やったこと、の巻(その2)

 この間、たまっていたものが一気に出たので、今年はなかなかの「豊作」の予定。

 この中では、「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」(『第3回東海学シンポジウム2015 いくさの歴史―戦争の本質を見つめ直す』資料集所収、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2015年10月)が一気呵成に書いた、言いたい放題の力作(?)。建春門院平滋子サマについて「輝くばかりの美貌、卓越した知性、どんなアクシデントにも動じない胆力、冷静で的確な判断力、さらに、栄華にも驕り高ぶらない品性までをも兼ね備えたこの女性こそは、まさに平家一門の守護女神だったのである」と書いたら、シンポジウムで司会の福岡猛志先生(日本福祉大名誉教授)から、「この描写、それぞれ史料的根拠はあるんですか?」という御下問。御不審はもっともではありますが、もちろん私の空想ではなくそれぞれ典拠があることを述べたら、「なるほど、山田さんの『片想い』ではないんですね」と言っていただく。
 「研究」という点でもっとも重要なのは、「平安京の都市構造変遷」(『都市史研究』2掲載、東京、都市史学会、2015年11月)だろう。以前やった「『前期平安京』の復元」(山田『京都都市史の研究』所収)を継いで、中期・後期の平安京の都市構造を復元してみた。これで、平安京の変遷についての一応の見通しを示すことができたことになる。

2015年11月、やったこと、の巻(1)

またまた一ヶ月も間が空いた。ということで、例によっての、日記のとりもどし。

 10月17日(土)・18日(日)
 日本考古学協会2015年度大会。今回は奈良大学だから、宿泊しなくてもいい。2010年に日本考古学協会は図書の寄贈問題に大揺れし、その時には私は協会の理事の末席をけがしていたから、その渦中にあった。いろいろあったけれども、日本考古学協会の図書は奈良大学が引き受けてくれることになり、無事に決着。今回、奈良大学の図書館を見せていただいて、日本考古学協会の図書が整然と整理されているのを見て、いささか感無量。
 日曜日の研究報告では、午前は古代宮都、午後は中世城郭をハシゴ。中世城郭のシンポジウムでは、時間も終了間際になって、そろそろ帰る準備をしていたところで、司会の宮武正登佐賀大学教授から「最後に山田さん、一言お願いします」と突然の御指名を受けてしまい、ちょっとアタフタ(^^;;。

 10月22日(木)
 時代祭の日。たまたま、午前中は今出川キャンパスでの授業だったので、祭見学に振り替え。

 10月23日(金)・24日(土)
 全国大学博物館学講座連絡協議会西日本部会。今回は岡山の就実大学さんのご担当ということで、同大学に行くのだと思ったら、会場は岡山駅前のホテルだという。これは行きやすい。全体会議でお勉強したあとは情報交換会(懇親会)。重要無形文化財備中神楽の実演という豪華プログラム付きである。
 見学会は、邑久の餘慶寺、牛窓の本蓮寺、備前市の正楽寺(熊沢蕃山関係の寺)など、ちょっと変わったところを見せていただく。
 解散後は、岡山市立オリエント博物館の「香り」展と、岡山シティミュージアムの「京都と岡山藩」展に寄る。後者は、岡山藩が所蔵していた京都関係史料で、とっても勉強になる。

 10月30日(金)
 京都SKYセンターの講演で、京都府京丹後市行き。それが終わった直後には、すぐに京都府与謝野町に拉致(?)されて、幾地地蔵山遺跡(中世墓地)の検討委員会。

 11月1日(日)
 愛知県春日井市での、第3回東海学シンポジウム「いくさの歴史」。ここでは故・森浩一先生が20年間にわたって「春日井シンポジウム」を続けてこられ、多大の成果をあげられた。これを引き継ぎ、NPO法人東海学センターが新たな主催者となって再出発したのがこの「東海学シンポジウム」である。私のお題は「京都を舞台としたいくさ~中世初期の首都争奪戦~」。保元の乱、平治の乱、治承・文治の内乱、承久の乱のお話である。資料集の原稿を書き始めたら、珍しく筆が進んでしまい、とにかく書きたい放題を書いてしまったぞ。会場には450人も集まり、熱気がムンムン。

 11月6日(金)
 京都府与謝野町の中世墓地の調査指導、という名目で、丹後の中世墓地を勉強させてもらいにいく。地蔵山遺跡だけではなく、宮津の智恩寺から成相寺、妙立寺、難波野千体地蔵などを見学。

 11月8日(日)
 日本史研究会創立70周年記念 講演会・祝賀会。記念講演が、高橋昌明先生の「日本史研究会の歴史と私たちの課題」と、私の「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」。高橋先生は永く日本史研究会の代表もつとめられてきた方だから、記念講演というのは当然なのであるが、こんな晴れがましい場になんで私が御指名を受けたのか、未だによくわからない。ともあれ、せっかくの光栄であるから、せいいっぱいやらせてもらおうということで、天皇陵研究の現状を整理する。

 11月9日(月)
 雨の中、相国寺の塔跡においてKBS京都のテレビ撮影。

 11月14日(土)
 第31回 平安京・京都研究集会「『御土居』再考」。午前中には世話人限定で、京都大学総合博物館で御土居絵図をじっくりと見学。午後は研究集会で、報告は谷徹也さん(京都大学、豊臣政権論) 「豊臣政権の『京都改造』-「土居堀」築造をめぐって-」、鈴木久史さん(京都市文化財保護課、日本考古学)「御土居跡の発掘調査成果」、岩崎奈緒子さん(京都大学総合博物館、日本近世史)「近世の御土居」 討論司会は山本雅和さん(京都市埋蔵文化財研究所、日本考古学)と上杉和央さん(京都府立大学、歴史地理学)。

 11月20日(金)
 同志社女子大学史料室で、「第20回企画展 戦時下の同志社高等女子部・同志社女子専門学校」が開始。私はこの中で「戦時下の京都」コーナーを担当。立命館大学の木立雅朗さんに御助力いただいて、陶器製手榴弾をたくさん貸していただく。展示は来年夏までやってますので、ぜひご覧ください。

 11月21日(土)
 一般財団法人朱雀基金の研究会(於京都大学人文科学研究所)。京大人文研の冨谷至教授のご報告で勉強。私は司会を担当。

 11月22日(日)
 山中章さんからの御依頼で、中山修一先生生誕100周年記念講演会「中山修一先生と長岡京研究」。とはいっても私は長岡京に関しては無知なので、テーマは「長岡京から平安京へ」。ありし日の中山先生のお姿を偲びながらの講演会となる。

 11月25日(水)
 文化史学会の、会計監査に出向く。

 11月26日(木)・27日(金)
 ありがたいことに、花園大学の高橋康夫先生の科学研究費補助金の研究「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」に、連携研究者として入れていただく。その研究会で、花園大学行き。シドニー大学のマシュー・スタブロスさんとは久しぶりにお会いすることができた。京都大学の冨島義幸さんとご一緒できるのも、うれしい限り。私は初回ということで、「世界のなかのアジア古代都市」を話させてもらう。また、マシューさんからは新著の『Kyoto: An Urban History of Japan's Premodern Capital』を頂戴する。アメリカ人研究者が英語で書いて世界に向けて発信した京都都市史の書物である。すごいことだな。

2015.10.25

大住隼人舞、の巻

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 10月14日(水)
 京都府京田辺市大住の月読神社の例祭、「大住隼人舞」。京田辺市に勤務地がありながら、なんやかんやでサボっていて、実は初めての経験。「大住」は南九州の大隈(現・鹿児島県東部)のこと。古代に南九州の隼人が畿内に連れてこられて、平城宮において天皇に奉仕していた。その居住地として指定されたところのひとつが、山背国の南部で、大住郷と呼ばれるようになった場所である。平城宮から異形の「盾」が出土し、それが「隼人の盾」と推定されるようになって注目を集めた。地元でもせっかくのこの時代背景を生かそうということで、鹿児島県の神社から習ってきて、1971年から始めたのがこの「隼人舞」。隣接の大住中学校の生徒さんが熱演を繰り広げる。音楽も、なかなかテンポとリズムが軽快で気持ちがいい。

2015.10.04

徳島で阿波公方と土御門天皇の史跡を訪ねる、の巻

 9月15日(火)
 大阪府富田林市を拠点として活動する「南河内シニア文化塾」から依頼を受け(中尾芳治先生の紹介とのこと)、平安京の話をしにいく。午後は、ことのついでに、久しぶりに大阪府立近つ飛鳥博物館と一須賀古墳群の見学。

 9月19日(土)
 ここから三日間、早朝にテレビ撮影。早起きがツライ。
 午後は一般財団法人朱雀基金の研究会。ちょっと風邪ひきのため、懇親会は早々に失礼する。

 9月20日(日)
 撮影を終えて、午後は「まいまい京都」で鳥羽殿跡の見学会。
 夜は、全日空ホテルで伯父の誕生会。東京に転勤になった妹も帰ってきて、久しぶりに一族が揃う。伯父は、なんと97歳!! 杖はついてはいるが、まだまだ元気なのがありがたい。

 9月22日(火)・23日(水)
 恒例の、ゼミ(三回生の「応用演習」)合宿。今年の目的地は、福井。永平寺、一乗谷朝倉氏遺跡、恐竜博物館、東尋坊などを回る。お目当ての恐竜博物館は大入り満員で、駐車場にはいるのにも一時間待ちというのにびっくり! 朝はちょっと早起きして、ひとりで勝山城博物館の模擬天守を眺めながら、平泉寺の入り口までたどりつく。


Img_0067(←阿南市西光寺の足利家阿波公方墓所)


Img_0121(←
板野町金泉寺の長慶天皇陵伝説地)


Img_0145(←鳴門市の治定・土御門天皇火葬塚)

 9月26日(土)・27日(日)
 徳島行き。徳島市考古学資料館に花園大学で教えた村田昌也君が勤めているので、そこの考古学講座に呼んでもらう。テーマは「天皇陵の考古学」。びっくりしたことに資料館の研修室が大入り満員。「この資料館の講座が始まって以来の入場者記録です!」と喜んでもらえたのはありがたい限り。ただ、私が有名だということではなく、テーマが面白そう、と思ってもらえたのだろうな。
 これもありがたいことに、徳島にはゆかりの深い方が多い。県埋蔵文化財センターには同志社大学での先輩の菅原康夫さんと後輩の藤川智之さん。さらに、花園で教えた卒業生が村田君はじめ、県教育委員会の岡田圭司君、阿南市教育委員会の向井公紀君とも、3人もいる。夜、皆さんと一緒に楽しい呑み会をやらせてもらったのも嬉しい限りである。

 せっかくでかけていったのだから、翌日の日曜日は村田君に案内してもらってあっちこっちの見学。今回はせっかくだからちょっと変わったところということで、まずは足利家阿波公方の史跡に向かう。徳島県那賀川町にある、と記憶していたのだが、実は2006年に同町は阿南市に合併されていた。阿南市というと前述の向井君の勤め先であるから、この点でも大変にぐあいが良い。阿南市立阿波公方資料館で向井君に出迎えしてもらい、さまざまに案内を受ける。
 阿波公方というと、室町幕府の第10人目の将軍の足利義稙(義材)がここに逃げてきて始まる。その養子の義維(義冬)(実父は第11人目の将軍義澄)は細川晴元・三好元長の援助を受けて実兄である第12人目将軍義晴を近江に追い払って堺にはいり、事実上の将軍として「堺幕府」を樹立した。しかし、細川晴元と三好元長が対立したことがきっかけに堺幕府は崩壊、阿波に戻ることになる。その子が室町幕府第14人目の将軍となる義栄(義親)である。三好三人衆に擁立されて上洛を目指し、ライヴァルで織田信長に擁せられた義昭に一歩先んじて将軍職を手にするという栄誉をモノにするが、すぐに信長が上洛戦を開始したため、結局は京都にはいることなく病没してしまう。
 その後、阿波の足利家は天龍寺荘の平島を拠点として存続して「平島公方」と呼ばれるようになるが、新たな阿波の支配者となった蜂須賀家からは冷遇されまくったというからお気の毒である。資料館には江戸時代の平島公方家が発行していた「阿波 足利家〔清和源氏印〕」と記した「マムシ除け」のお札も展示されている。これ、平島公方の数少ない現金収入の手段だったというから、やっぱり、お気の毒。

 資料館の近くの西光寺には、歴代の阿波公方・平島公方の墓所がある。特に、義稙、義維(こちらでは阿波にはいってからの「義冬」の名を使っている)、義栄の墓は本堂の前に特別扱いされている。また、資料館にはこの三人の小さな木像が展示されている。京都の足利家の菩提寺である等持院には義稙像は存在するのであるが、将軍になっていながらも京都に入れなかった義栄の像は欠けている。ましてや、「堺公方」義維の像は京都にはない。上洛を果たして天下に号令しようとしたが、結局はその夢も充分には果たせなかったこの三人の墓と木像。なかなか感慨深く眺めることができる。

 昨晩、呑み会で南朝の長慶天皇の御陵の治定の沿革を話題にした時、藤川さんが「長慶天皇陵ならば徳島の板野町金泉寺にもありますよ」と言いだした。ありゃ、と思って、これも探索地に加える。金泉寺は四国第三番の霊場である。本堂の裏側、多宝塔の真下のところに小さな東屋がある。ホントだ、そこに「長慶天皇陵」のカンバンがかかっている。正体は1.5mくらいの大石。どうしてこれが長慶天皇陵の伝説地になったのかは調べていないが、思わぬメッケモノである。

 途中、「旗山」というところを通ると、丘の上になにやらデカイもの。近づいてもらうと、「日本最大」という源義経の銅像だった。なるほど。屋島の戦いでは義経は阿波に上陸して屋島を奇襲しているもんな。

 もうひとつの目的地は、承久の乱の結果として土佐、ついで阿波に流された土御門上皇の伝説地。上皇の行在所はいくつか伝説地があるようだが、そのうち板野町の「松木殿」と、土成町の「御所屋敷」に連れて行ってもらう。さらに、鳴門市の宮内庁治定の「土御門天皇火葬塚」。江戸時代に考証され、水濠を巡らせた姿に修築されたらしい。

 さらに徳島県埋蔵文化財センターの展示を拝見。とくに、徳島県南部がこれから重要性を増していくだろうということを実感。充実した二日間でした。

【書いたもの】
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(6)(最終回)』付記」(『古代文化』第67巻第2号掲載、京都、古代学協会、2015年9月30日)、123頁。


【しゃべったこと】
⬜︎山田邦和(講師)「平安京遷都」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成27年度後期講座〈歴史コース〉、於すばるホール〈大阪府富田林市〉、2015年9月15日)。
□山田邦和(ガイド)「【鳥羽離宮】考古学研究者と、復元図で辿る史上空前規模の離宮跡 ~さながら都遷りの如し、華やかな院政文化から激動の新時代へ~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、竹田駅南改札口集合、安楽寿院・近衛天皇陵・鳥羽天皇陵、白河天皇陵、城南宮、鳥羽離宮跡公園、金剛心院跡、田中殿公園を見学、2015年9月20日)。
⬜︎山田邦和(講演)「天皇陵の考古学」(徳島市立考古資料館〈主催〉「考古学入門講座」第5回、於同資料館研修室、2015年9月26日)。

2015.10.01

テレビ、雑誌など情報

001(「週刊新潮」より引用)

 来週からBS11ではじまる新番組「尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究」に、2回出演します。

尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究 #1「幻の九重塔の謎」 2015年10月6日(火)20時00分~21時00分放送予定、BS11
・尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究 #4「京にある幻の城(仮題)」 2015年10月27日(火)20時00分~21時00分放送予定、BS11

どちらも、かなりの強行軍の撮影で、くたびれました・・・

この番組の広告記事は「週刊新潮」2015年8月28日発売の号にも掲載されているようです(上記写真参照)。

Photo_2(雑誌「サライ」より)

こちらは、
⬜︎内田和浩(文)、中田昭(写真)、山田邦和(案内人)特集「京都『時間旅行』のすすめ」の第1章「平安京遷都」(『サライ』第27巻第10号通巻第604号掲載、東京、小学館、2015年9月10日)。
1日がかりの仕事でしたが、森浩一先生ともなんどもお仕事をされた写真家の中田昭さんに撮影していただいたのは、一種の役得でした。

以上、お知らせまで。

2015.09.14

映画「ダライ・ラマ14世」、の巻

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 9月14日(日)
 いやあ、泣きました。2時間の上映時間、ほとんど涙を流しっぱなしだった。そう、待望の公開、映画「ダライ・ラマ14世」。9月12日から18日まで、京都シネマで上映される。ただし、日に一回だけの上映だから、時間を見計らって駆けつけなくてはならない。半時間ほど前に到着すると、観覧券売り場は長蛇の列である。じぇじぇっ!と思ったのだが、なんとか空き席に潜り込むことに成功。ただ、やはりさいごは立ち見も出ていたぞ。
 映画が始まって、ダライ・ラマ法王が呵呵大笑しておられるお顔がアップで登場しただけで、もういけません。涙腺崩壊です。法王のジョークに笑い泣き、法王の獅子奮迅の活躍に感涙、チベット民族の苦難に袖を絞り、その中で難民となったチベットの子供達があくまで前向きに笑い合っているのを見てまたまた目頭を熱くする。やっぱりワタクシ、この御方が好きで好きでたまらんのですね。

 映画自体は、「ダライ・ラマ入門」といった内容で、わかりやすい。東日本大震災の映像や日本の閉塞感についての新聞記事の連発といった不必要なシーンが挿入されていて全体のテンポを損ねてしまったことは大幅減点だが、そうした演出のささいな瑕疵を覆い隠して余りあるのは、やっぱり法王の存在感である。

 チベットからインド・ダラムサラに逃げてきた難民の子供達へのインタビューがかなり入っていた。印象的だったのは、その子供達が異口同音に「ここで、優しい人たちに囲まれて勉強できて楽しい。私は幸せだ」、欲しいものは何?という質問に対して「何もいらない。満足している」と答えていたこと。1959年のチベット動乱でダライ・ラマ法王は中国統治下のチベットから脱出せざるをえなくなり、インドに亡命してそこに亡命政権を樹立したのであるが、その時の苦しい状況の中で法王がまず取り掛かられたのが、未来を担う子供達のための学校の設立だった。その地道な努力が大きく育っていることに、感動。

 2時間があっという間だった。最後のシーンで法王が力強く「Don't worry!(心配しなさんな!)」と叫ばれたことが爽快。生きる力をもらいました。法王猊下、ありがとうございました。

2015.09.09

中世都市研究会2015年上越大会、の巻

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(↑ 新発田城。左端が天守〈三階櫓〉)

 今年の中世都市研究会は、新潟県上越市での開催。5日の午前に見学会があるので、9月4日からでかける。

 9月4日(金)
 朝、京都発。東京行きの新幹線が10分ほど遅れて到着。東京駅での乗り換えに時間が少ないので、乗り遅れたらどうしようかとハラハラしたが、東京には定時到着で一安心。そのまま上越新幹線と在来線を乗り継いで、前回の新潟行きでは割愛した、新潟県新発田市に降り立つ。

 お目当ては、新発田城。天守(正式には「三階櫓」だが、実質上は天守)が、最上層の屋根の平面がT字形で、棟のシャチホコが3つ載っているという不思議な形をしているのは、明治の古写真でおなじみだった。天守はそののちに取り壊されたが、平成16年に復元されたというから、お城好きとしてはぜひ立ち寄ってみたかったのである。新発田駅からはバスもあるが本数が少なく、ちょうど出たばかりだったので、時間節約のために行きはタクシー。
 新発田城は、本丸の一部と二ノ丸の一部が公園となっていて公開されている。本丸表門と本丸の西南の櫓が国の重要文化財指定。本丸の辰巳櫓と天守が復元である。とはいうものの、本丸西南の櫓も、元々ここにあったのではなく、二ノ丸の北部にあったものを昭和35年に移築したのだという。辰巳櫓は復元ではあるが木造で旧状に忠実に復元されている。門、ふたつの櫓ともに、内部に立ち入ることができるのは嬉しい。西南の櫓から見ると、前面の濠が妙な具合に突出していて気になったのだが、これは本丸の南側に帯曲輪が延びていて、そこに土橋門があったのだという。あと、特筆されるのは石垣の美しさ。石材の加工ぶりがハンパではない。ただ、本丸表門の北側では石がズレているところがあり、気になる。
 天守は期待通り、外観が美しい。T字形の屋根も、写真で見たほどの違和感はなく、むしろ周囲によく溶け込んでいる。ただ、本丸の大部分は立ち入り禁止で、天守の側に寄ることもできないはちょっともったいない感じ。なぜかというと、本丸から二ノ丸の北半分が陸上自衛隊の駐屯地になっているから。せめて動線を工夫したりして、天守に近づけるようにはならないのかな。本丸には自衛隊のクルマが多数停められているのが見える。誰がつけたか知らないが「戦国自衛隊の城」(?!)というニックネームがあるそうで、言いえて妙である。
 
 先を急ぐので、自衛隊の「白壁兵舎広報資料館」をちょっと覗いてから、新発田の城下町を駆け足で通り抜ける。城下町には「寺町」があり、なかなかの風情である。それから、大倉喜八郎のふるさとが新発田であるということを始めて知る。

 なんとかJRに間に合い、そのまま新潟市へ。「新潟市立歴史博物館みなとぴあ」に行ってみたかったのである。ただ、バスの本数が少なく、しかも市街地を大回りするので予想外の時間がかかる。広い公園と一体化されており、博物館本館は明治44年(1910)~昭和8年(1933)の2代目新潟市庁舎のイメージで新築したとやらで、文化財建築と見紛うばかりの堂々たるものである。
 時間がないのでゆっくりと見ることはかなわなかったが、いくつも勉強させてもらうことがある。中でも新鮮だったのは、阿賀野川・信濃川の河口に新潟港、沼垂港、蒲原港の三つの港があり、このうち新潟港は長岡藩の、沼垂港は新発田藩の外港であったこと。これ、重要だよね。

 新潟県は大きいので、移動には時間がかかる。そのまま上越市(高田)行き。交通機関の乱れで到着が大幅に遅れてウンザリしたのであるが、高田の駅に降り立って周りを見回すと、別方向から歩いてこられる方がいる。ありゃ。今回の基調講演を担当される高橋一樹さん(武蔵大学教授)だ! 聞いてみるとホテルも一緒のところだということで、お互い、奇遇を喜ぶ! では、ついでに飲みにいこう、ということになり、新鮮なお魚を食べさせてくれる店を探して、談論風発。こんなことがあると、遅れるというのも悪くないな。楽しい時間だった。

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(↑ 高田世界館)
 9月5日(土)・6日(日)
 こうした研究会は、たいていは大学であるとか市民会館を会場とするのであるが、今回はちょっと違って、「高田世界館」というところでやるという。なんでも、目明治44年(1911) に芝居小屋として開業、大正5年(1916) に映画館となったもので、今も当初の建物が残されている。いったんは取り壊しの危機に見舞われたが、それを惜しむ市民団体の手によって今も現役の映画館として続けられ、建物は国の登録有形文化財にもなっているのだという。こういうところを会場としたのは、今回の実行委員会の皆さんによる、イキなはからいである。
 土曜の午前は直江津の町を巡見。守護所の有力候補地である伝・至徳寺跡を確認できたのは収穫。ただ、時間の関係で、国分寺に行けなかったのはやや残念だった。これは再訪しなくてはなるまい。
 土曜午後から日曜は、研究会。特に、高橋一樹さんの基調講演「中世北東日本海の水運と港湊都市」は北陸地方全体を視野にいれたダイナミックな報告。そのほかの方々の報告も、北陸まで来た阿波の板碑、佐渡、珠洲焼、七尾、信濃善光寺など、いずれも学ぶこと多し。
 討論も興味深い論点がたくさんでたのだが、終わりがけのところで、そろそろ帰りのことが気になってボーッとしてたら、司会の福原圭一さんから突然の御指名を受けてしまい、いささかドギマギしながら、学ばせてもらったことをもとにこれから勉強していきたい方向性をしゃべらせてもらう。

 帰りは雨。新設されたばかりの上越妙高駅から、はじめて北陸新幹線に乗る。駅で待ち時間があって看板を見ていると、「釜蓋遺跡、あっち」という表示。なんじゃこりゃ、と思って表に出てみると、駅前に大きな遺跡公園と、小さいながら充実した資料館がある。弥生の玉造遺跡などからなる複合遺跡だという。とんだ儲け物である。

 晩御飯は、北陸にいった時の定番となっている、富山のマス寿司の駅弁。京都着は21時。

 【書いたもの】
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・市川智也・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・黒田正子・佐々木歩・高野澄・徳丸貴尋・中村武生・中村正司・西村彰朗・細田香織・前川佳代・村岡真千子・町田香・山田邦和執筆『第10回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2015年8月31日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は9・10・101・108・206・207各頁)。

2015.08.20

博物館三昧、の巻

Img_0049_2(← 京都御所建礼門前からの大文字〈合成写真〉) 

 8月6日(木)・7日(金)
 暑い日々が続いたので、暑気払い。6日は、今年からわが大学に御出講いただいている野村美術館の桐山秀穂さんと、珍しいベルギービールの店。7日には、いつもの麻森さん、山崎さん、寺升さんと、プチ贅沢のハモ鍋料理。二次会はウチの奥様のおすすめの、ちょっとオシャレな穴場のバー。


 8月9日(日)
 今回から始まった「森浩一先生に学ぶ会」(於︰橿原考古学研究所)。改めて、先生の偉大さをかみしめる。

 8月10日(月)
 3ヶ月ごとの病院行き。検査の結果は横ばいで、まずまず。
 午後は、六道珍皇寺さんに六道詣り。ついでに、五条坂の陶器祭を散策。

 8月11日(火)
 1日ずっと、テレビ撮影。醍醐寺から始まって、平安神宮、岡崎公園、聖護院、京都市動物園、京都アスニーと回って、くたびれ果てた・・・。でも、醍醐寺五重塔の一層目(非公開)に特別に入らせていただいたのは、この上ない幸せである。放送は秋口らしい。

 

 今年のお盆前後は、たまっていた博物館三昧となる。
 8月5日(木)
 立命館大学国際平和ミュージアムの「平和のための戦争展」。正面に大きく掲げられた「殺すな 殺されるな」の字幕に共感。

 8月13日(木)
 京都市美術館で、「マグリット展」と「ルーヴル美術館展―日常を描く 風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」のハシゴ。ルネ・マグリットはシュールレアリスムの鬼才。私の大好きな画家である。マグリットの魔術がおりなす夢の世界に引き込まれ、いつまでも見入ってしまう。

 さらに、その向かい側の京都国立近代美術館で「北大路魯山人の美―和食の天才」展。食と器が一体となった芸術。しかし、器は後世に残るが、食は一期一会で、後の人々が追体験することができない(否定的な意味ではない)。魯山人の料理って、どんなだったのだろうな。

 三つも展覧会を見るとさすがにヘタるのだが、勇をふるってもう1館。美術館「えき」KYOTOの「奇々怪々 お化け 浮世絵展」。こちらは割合に気楽である。よく知っている妖怪画や幽霊画にも再会できる。

 8月14日(金)
 奈良行き。本来は奈良国立博物館がお目当てなのだが、ちょっとした事情でまずは橿原に。橿原警察署に出頭を命ぜられているのである(!)。というのはウソで、別に私が犯罪を犯したのではない。先日、通勤途中の近鉄電車でウトウトしていてあやうく乗り過ごしかけて、新田辺の駅であわてて飛び出したために、車内に忘れ物をしてしまった。近鉄に問い合わせたら、その電車が橿原神宮前行きなので、忘れ物も橿原神宮前駅に行ってしまったとのこと。そこで橿原神宮前駅に問い合わせてみると、たまたま忘れ物を警察に引き渡す日にあたってしまったということで、私の忘れ物も橿原警察署に引き渡されてしまったとのこと。橿原神宮前行きではなく奈良行きに乗っていたらこんな手間ではなかったのだが・・・(泣)。中身は安価なものなので権利放棄しようかとも思ったが、やっぱりそれでは誠実に保管していただいている橿原署に申し訳ない、ということで、八木西口駅からテクテクと歩いて出頭である。ただ、帰りには今井の寺内町を久しぶりに散策できたし、そこでたまたま見つけた美味しい手打ち蕎麦を賞味することもできた。怪我の功名である。
 そんなこんなで奈良に引き返し、奈良国立博物館の「白鳳」展。白鳳時代ってこのごろはあんまり使われない時代区分なのだが、あえてそこに焦点をあてた素晴らしい展覧会である。この中では、やはり薬師寺の観音様がピカイチのカッコ良さ。あと、白鳳の仏様にはあんがい頭でっかちの子供のような姿のものも多いんだな。微笑ましい。薬師寺の塔の露盤の銘文を近くで観察できたことも、収穫。
 帰り道には、ウチの奥さんにひっぱっていかれて、「ことのまあかり」という喫茶店。古墳時代や奈良時代の土器を復元して、それでお茶やかき氷を賞味できるという変わった店である。古墳時代後期の長脚2段透かしの須恵器高杯の模作品を購入。よく研究されていると見えて、なかなかの出来ばえである。

 8月15日(土)
 お盆。恒例の下鴨神社の古本まつりを散策。夜は、御所にでかけていって大文字を拝む。

2015.08.04

2015年5~7月の記録、の巻

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←祇園祭南観音山の「あばれ観音」

 しばらくのご無沙汰となってしまった。とにかく、メイン・マシンとして使っているパソコンが急に大往生。確かに、以前からちょっと調子がおかしかったのであるが、まだまだ持つだろうと一人合点していたのがいけなかった。使用していると突然プツッと画面が暗くなってしまい、何回再起動をかけても、電気は通っているのにもかかわらず立ち上がらない。おそらくCPUがやられたのだと思う。不幸中の幸いだったのが、MacのTime Machineを稼働させていて外付けハードディスクに自動でバックアップがとられていたこと。さらに、ちょうど執筆中の原稿があるのだが、大学のパソコンでも作業するということで、内蔵ハードディスクではなく外付けのUSBメモリーに入れていて、これが助かったこと。もしこれでバックアップをとっていなかったらデータを救い出すことができず、私自身、再起不能のダメージを受けただろうな。バックアップの重要性が骨身にしみた。
 古いパソコンを引っ張り出してしばらくは代役を務めてもらうのだが、当然のことながらこれは暫定措置。新しいパソコンを買うことになり、予定外のかなりの出費。しかも、注文はしたものの、海外生産とやらでなかなか入荷日がわからない。一日千秋の思い、とはこのことである。やっと到着したものの、以前の環境を復活させるのにまたまた大汗をかく。特に、電子メールの設定がうまくいかず、どういうわけか受信はできるが送信が不能とか、いじっているうちにそれが逆転して送信は可能だが受信が不可とかいうことになってしまい、振り回される。
 さらに、従来から使っていたアプリケーションの中で、新しいパソコンではもはやサポートされておらず、使用できないものが多数出現。特に、AdobeのPhotoshopやらIllustratorやらは私にとっては必需品なのだが、今持っているヴァージョンのものは使えないことになる。泣く泣く、新たなものを買い直そうとするのであるが、知らない間にAdobe社の方針が変わってしまったとやらで、従来のようなパッケージに入れたディスクによる販売は終了しており、契約によるリース方式になってしまっている。その契約をするのにも、またまた物入りで、さらに手間もかかる。疲労困憊の日々であった(泣)。

 この間の動向、備忘録としてまとめておこう。


5月16日(土)
 歴史学の研究と若手芸術への援助を目的として新たに設立された、一般財団法人朱雀基金(沖見勝也理事長)の第1回研究会。「天皇陵問題の展望」を話す。

5月22日(金)~24日(日)
 東京行き。日本考古学協会総会(於帝京大学)出席。ついでに高千穂大学に寄り、桃崎有一郎さんと新しい書物についての打ち合わせ。

5月29日(金)
 京都アスニーで「後白河法皇の院御所・法住寺殿」を話す。

5月30日(土)
 京都府立鴨沂高校の建て替えにともなう「寺町旧域・法成寺跡」の現地説明会に参加。綺麗に並んだ墓群に、感激。

5月31日(日)
 1617会で、大阪・天満を歩く。

6月1日(月)
 学生の教育実習校訪問で、大阪の大谷高校。午後は、京都文化博物館の「大関ヶ原展」オープニングに出席させていだたく。

6月5日(金)
 テレビ撮影(KBS京都)打ち合わせ。

6月6日(土)
 第30回平安京・京都研究集会「室町将軍と居館・山城―権力・器量・武威―」。

6月7日(日)
 京都文化博物館OB会。午前だけで失礼して、午後はJR東海の仕事で豊国神社。

6月13日(土)
 花園大学考古学研究室総会に出席。

6月14日(日)
 朧谷寿先生を囲む「10年会」。三条堺町のいづつ屋で、楽しいひととき。

6月18日(木)
 「調査検証委員」をやらせてもらっている伏見・指月城跡の発掘調査で、報道発表に先立っての視察。

6月20日(土)・21日(日)
 城下町科研・福井研究集会「中近世移行期越前国における都市・地域・権力」― 一乗谷から北庄(福井)へ ―」(於福井市地域交流プラザ)に参加。北ノ庄城跡・福井城跡を丹念に回らせていただけたことがありがたい。

6月22日(月)
 大学で、朧谷寿名誉教授の特別講義を聴講。

6月24日(水)
 大学の「現代社会学会総会」と、クラブ顧問会に出席。

6月25日(木)
 午前は、ウチの大学の今出川キャンパスを使わせてもらって、KBS京都のテレビ撮影。

6月26日(金)・27日(土)
 全国大学博物館学講座連絡協議会の全国大会のため、千葉の江戸川大学に出張。平地の真ん中につくられた関宿城が面白い。

7月4日(土)・5日(日)
 帝京大学文化財研究所(山梨県笛吹市)の第13回「考古学と中世史シンポジウム」に参加。今回のテーマは「考古学は中世を語れるか」。

7月9日(木)
 同志社大学考古学実習室定例研究会に参加。発表は長野県文化財センターの川崎保さん。

7月10日(金)
 雑誌の取材で、東寺と神泉苑。夜はウチの奥さんのお供で、元・祇園の芸妓さんのジャズシンガーMakotoさんのミニ・ライヴに参加。

7月11日(土)
 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会(中村武生理事長)による「久坂玄瑞・吉田稔麿・寺島忠三郎等ゆかりの地、池田屋事件 望月亀弥太終焉伝承地」(法雲寺)の除幕式に参加させていただく。
 夕方。妹が大阪から東京に転勤になるので、その壮行会。

7月12日(日)
 わが大学の「京都研究会」の見学会の引率、六波羅蜜寺・建仁寺などを回る。

7月18日(土)
 島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館の企画展「八雲立つ出雲と近つ飛鳥~出雲と河内の群集墳~」。これの「関連講演会」に呼んでいただく。実はこの博物館での講演、3年前にもやるはずだったのだが、私が急病で倒れたためにドタキャンになってしまってご迷惑をかけてしまった。それにもかかわらずまたお声がけをしていただき、嬉しい。松本岩雄所長、高屋茂男所長補佐のご厚意に、感謝。台風の来襲が心配であり、実際に関西のJR在来線はほとんど停止していたのだが、なんとか松江までたどり着くことができる。

7月19日(日)
 せっかく出雲に来たのだから、すぐに帰るのはもったいない。花園大学考古学研究室の卒業生の高橋誠二氏(雲南市教育委員会)のご厚意に甘えて車を出してもらい、須我神社、加茂岩倉遺跡、岩屋後古墳、神原神社古墳、荒神谷遺跡・博物館、出雲弥生の森博物館・西谷墳墓群、古代出雲ミュージアムと盛りだくさんの見学を果たすことができる。

7月21日(火)
 2講時の「応用演習」(3回生ゼミ)は現地見学に振り替えて、祇園祭後祭の宵山見学。

7月23日(木)
 晩に、ウチの奥さんと、祇園祭後祭の宵山にでかける。人混みに紛れてそぞろ歩いていると、突然「山田さ~ん!」と声をかけられる。アレっと思って振り返ると、嬉しいことに山村亜希さんだった。山村さん、新任の大学での怒涛の春学期が終わったばかりで、やっと一息つけての宵山散策なのだという。偶然の出会いに歓喜し、せっかくだからお酒と食事にお誘いしての談論風発。ハッと気づくともう夜遅くなっていたのだが、かえってそれが幸いして南観音山の「あばれ観音」を見ることができる。

7月25日(土)
 来年に同志社大学を会場としておこなわれる「世界考古学会議(WAC-8)」の運営母体として設立された特定非営利活動法人WAC Japan(世界考古学会議日本)の2015年度総会。

7月26日(日)
 京都市学校歴史博物館の「戦争と学校―戦後70年を迎えて―」展の見学。

7月27日(月)
 図書出版文理閣で、仁木宏さん、黒川美富子さんと、遅れている本の出版の最終打ち合わせ。
 五条坂の藤平陶芸さんに立ち寄って、戦争中の「陶製手榴弾」を復元した一輪挿しという、ちょっと変わった買い物。

8月1日(土)・2日(日)
 花園大学の「京都学講座」の2日目と3日目。高橋康夫先生の「京都・岡崎の文化的景観」、廣庭基介先生の「京都の石造物から見た神仏習合と神仏分離の痕跡」、明珍健二さん、伊ヶ崎鷹彦さん、梅本直康さんの「京町家 梅忠町を復元する」。いずれも目からウロコが落ちるどころか、目から緞帳が落ちるような新発見の連続。私は「平安京の都市とくらし」を話す。花園大学で教壇に立つのは、8年ぶり。案じていたのであるが、花園大学の懐かしい皆さんに温かく迎えていただき、安堵。終了後は、この講座の担当である考古学の高橋克壽さんと日本古代史の中野渡俊治さんと、さらに新任で日本中世史の平井上総さんをお誘いして、ミニ宴会。

【書いたもの】
■山田邦和「儀式用に特化 出雲型子持壺」(『山陰中央新報』2015年7月16日号掲載、松江、山陰中央新報社、2015年7月16日)、23頁。

【かかわったもの】
■森浩一『森浩一著作集1 古墳時代を考える』(森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第1巻編集担当:前園実知雄・今尾文昭・坂靖〉、東京、新泉社、2015年8月15日)、全303頁。

【しゃべったこと】
⬜︎山田邦和「天皇陵問題の展望」(朱雀基金研究会、於京都大学人文科学研究所本館、2015年5月16日)。
⬜︎山田邦和「後白河法皇の院御所・法住寺殿」(アスニーセミナー、於京都アスニー、2015年5月29日)。
⬜︎仁木宏・山田邦和(司会)、山田康弘・馬瀬智光・福島克彦(パネラー)「討論」(第30回平安京・京都研究集会「室町将軍と居館・山城 ―権力・器量・武威―」、於機関紙会館、2015年6月6日)。
⬜︎山田邦和(講義・案内)「東山七条 秀吉栄華の跡を歩く―大坂夏の陣から400年―」(JR 東海 京都・奈良・近江文化情報事務局〈主催〉JR東海「そうだ京都、行こう。」オリジナルイベント、於豊国神社社務所、豊国神社・耳塚・方広寺・大仏殿跡・新日吉神宮・智積院を見学、2015年6月7日)
⬜︎山田邦和「装飾付須恵器からみた畿内と出雲」(島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館「風土記の丘教室」、於同館、2015年7月18日)。
⬜︎山田邦和「平安京の都市とくらし」(花園大学「2015年 京都学講座~京のくらし―平安京から現代まで―」、於花園大学無聖館ホール、2015年8月2日)。

【テレビ出演】
⬜︎「京都ふしぎ百物語」(KBS京都、2015年7月10日)(BS11、7月11日)。

【社会活動(終了)】
⬜︎公益財団法人古代学協会 理事(~2015年6月12日)

【社会活動(新規)】
⬜︎有限会社京都平安文化財 伏見城跡(指月城)調査検証委員会 委員(2015年4月~)
⬜︎特定非営利活動法人WAC Japan(世界考古学会議日本) 会員(2015年5月31日~)
⬜︎京都文化博物館OB会 幹事(2015年6月7日~)
⬜︎一般財団法人朱雀基金 理事(2015年~)
⬜︎公益財団法人古代学協会 参与(2015年6月12日~)

2015.07.09

パソコン不調中にて失礼します

 みなさま。
 先日、パソコンが大往生し、慌てました。データのバックアップがあったのがせめてもの幸いでした。ただ、メールの送受信ができないことになり、不便をおかけしました。
 昨日、新しいパソコンが来たのですが、設定をミスったのか、メールの送信はできるのですが受信ができなくなっています。復旧までしばしお時間をくださいませ。急ぎの用件は、携帯メールまたは大学のメールにお願いいたします。

2015.05.18

いわゆる「大阪都構想」の頓挫

 5月18日(月)
 5月17日、「大阪市廃止、その領域を分割して5つの『特別区』を設置する」構想(いわゆる「大阪都構想」)についての住民投票がおこなわれました。私も関心をもっていますので、テレビの速報を食い入るように見ていました。最初、開票率数%の時には反対が優勢だったのですが、開票が進むにつれて賛成票が増加していきます。開票率50%、60%、70%と進んで行くのですが、賛成票が1万あまり反対を上回っています。あぁ、これはもうダメだな、とあきらめかけたのですが、開票率90%を越えるあたりから、今度は反対票が逆転。しかし、90数%に達しているのに、まだ結論がでません。やきもきするような時間が過ぎました。画面に「反対が勝利、確定」の文字が踊ったのは、最後の土壇場でした。最終結果によると、賛成が694,844票、反対が705,585票だったというのですから、ほんの僅差の勝利でした。

 結果が出た時には、思わず、やった!と声をあげました。この7年半の間、大阪を席巻してきた「橋下劇場」の終焉という歴史的瞬間だったからです。テレビのニュースは、「大阪都構想」頓挫、橋下氏の政界引退宣言などをはなばなしく報じています。しかし、そのあと、安堵とともに、なんとも言いようのない徒労感に襲われました。この間、大阪の政治的対立のために使われたお金、労力は莫大なものですし、住民同士が敵味方に分かれてしまうという結果も生まれました。その中で犠牲となった、たとえば大阪府立国際児童文学館といった文化施設はもう戻ってはこないでしょう。私には、「橋下劇場」の幕が降りた後には、ただ茫漠たる廃墟が広がっているように見えるのです。

 橋下「維新」の支持者は、口々に「橋下氏に大阪を変えてほしかった」「大阪の改革を進められるのは橋下氏しかいなかった」「現状維持はけしからん」と言います。しかし、「改革」にも、良い改革と悪い改革があります。それを区別せずに、ただただ変えればよいのだ、というのは理性的な対応とは思えないのです。

 「橋下劇場」が終わってから、これからの大阪の指導者がどなたになるのか、私にはわかりません。しかし、どなたになろうとも、今後の大阪のためにお願いしたいことがあります。大阪の未来は、橋下氏が主張したようなカジノを誘致してバクチ都市にしていくとか、橋下「維新」政権の顧問をつとめた堺屋太一氏が「必ず儲かるぞ」と豪語した「道頓堀プール」等の「大阪10大名物」のでっちあげとか、そういうところに求めてはならないと思うのです。

 なによりも必要なのは、「都市格」です。都市の格が上がれば、自然と人々は集まり、結果として経済効果もあがります。これについて、前に書いたものを引用しておきましょう(山田邦和『日本中世の首都と王権都市』〈文理閣、2012年〉346頁)。
 「最近、「都市格」というものが論じられることがある。現在の京都は、必ずしも実力の上では日本を代表する都市ではない。(中略)しかし、それでも「都市格」を考えた場合、京都はいまだに世界的に日本を代表する都市のひとつである。(中略)これは、やはりなんといっても歴史的に見て京都が高い「都市格」を維持してきたからである。たとえば、大阪は明らかに日本を代表する都市力を持つ都市のひとつである。しかし大阪の「都市格」は、必ずしもその実力に見合うだけのものとはみなされていない。大阪からはそうした現状に対する悔しさが聞こえてくる。大阪の人々は、大阪がそれにふさわしい「都市格」を持つようになることを熱望しているのである。大阪はかつて「下衆<げす>の町」と罵られたことがある。大阪はあれだけの都市としての実力をもちながら、文化的には下衆の町であると言われてきたのである。しかしその後の大阪は、そう言われたことを逆にバネとしていろいろな文化的事業を推し進め、今ではそうした悪評を払拭するにいたっている。大阪は単なる経済力だけの都市ではないんだ、格の高い都市なのだということを実証するために、大阪の政財界はいろんな施策を進めてきているのである。大阪の政財界は、明らかに都市開発を推し進める側に立っている。その開発側が、自らの都市を「文化都市」にすることを熱望し、それを通じて大阪の誇りを取り戻そうとしているのである」。しかし、「二〇〇八年に大阪府知事に就任した橋下徹は、大阪府の財政再建と行政改革を旗印に掲げ、文化施設や文化関係団体への予算を大幅に削減するという政策を推し進めた。さらに二〇一一年には橋下は大阪市長に転じ、府知事には橋下の側近である松井一郎が就任した。大阪はこれまで営々と築いてきた「文化都市」の蓄積を放棄し、新たな「下衆の町」へ回帰することを選択したといわざるをえない」(橋下氏は、文化を敵視し、弾圧に余念がありませんでした。文楽にたずさわる人々を「既得権者」として圧迫し、「文楽やクラシックが芸術だというのならばストリップも芸術で、おんなじだ」「能や狂言が好きな人は変質者」と公言してはばかりませんでしたから)。
 つまり、これからの大阪は、ふたたび、文化都市であり「都市格」の高い都市であるという方向に進んでいってほしいのです。大阪の市民の良識と活力が良き指導者のもので再結集されるならば、必ずや大阪はすばらしい都市として発展していけると信じています。

2015.05.16

「大阪都構想(いわゆる)」に反対してください!〜大阪市民の皆さんへ

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 今、大阪市で熱い政治的論戦がたたかわされています。いうまでもなく、橋下徹市長率いる「大阪維新の会」(およびその国政版である「維新の党」)が提唱する、いわゆる「大阪都構想」(実は「大阪市廃止、その領域を分割して5つの『特別区』を設置する」構想)の賛否を問う住民投票が、5月17日に実施されることになっているからです。

 私は京都市民ですので、この住民投票に参加する権利を持っていません。また、京都の人間が大阪のことに口を出すなどトンデモない、と言われるかもしれません。しかし、京都から見ても大阪はお隣りさんであり、また、大阪市は京都市、神戸市とならんで「京阪神大都市圏」の中心都市のひとつであるとともに、その3市の中では人口、経済規模ともに最大の都市です。したがって、その運命に無関心でいられるわけはありません。したがって、これまで私は大阪維新の会の橋下徹市長および松井一郎知事が進める大阪府政・大阪市政を注視してきました。そして、図書館、博物館、文楽、オーケストラなどの「文化」を弾圧し続け、その一方でカジノ(要はバクチ場)の誘致を高唱したり、「道頓堀プール」なる奇妙な計画を大マジメで後押ししようとするような「維新政治」に恐怖を感じてきました。そこから私は、そうした「維新」が掲げる、いわゆる「大阪都構想」について考えてきました。

 私は「維新政治」と「いわゆる『大阪都構想』」に反対します! ちょうど、京都大学大学院の藤井聡教授が「『大阪都構想』の危険性を明らかにする学者記者会見」を開催することとし、そのために全国の大学教員有志に趣意書への賛同を求める運動をおこなっておられたので、その末席に名前を連ねさせていただくことといたしました。これには、4月27日から僅か一週間で124名の研究者から所見供出意向の申し出があったといいます。実際に所見が提出されたのは108名(5月9日現在)ですが、そのすべてが「いわゆる大阪都構想」への危惧、または反対意見でした。それについては、藤井教授のページに詳しく紹介されています。

 なぜ、「いわゆる大阪都構想」が危険だとされるのか、それについては藤井教授のページや、ハンドルネーム「結」さんの「橋下市長の大阪都構想を、きちんと考えてみる」のブログ彼のツイッターハンドルネーム「Lynette Ellils」さんのツイッターなどが詳細に分析しており、それに付け加えることはほとんどありません。むしろ、これだけのリスクが指摘されているのに、それでも「いわゆる大阪都構想」に賛成するというのが、私にとっては理解の外にあるのです。

 ただ、誤解していただいてはならないのは、私は地方自治にはさまざまな形態があると思っています。大阪府は日本の都道府県の中でも面積は最小に近く、そのわりに人口が多く、さらにはその中心都市である大阪市が地理的に府域のほぼ中央にあります。これが、面積は広いわりに人口分布が偏っている京都府(京都府全体の過半の人口を抱える京都市は府域の南部にあって、府北部とはかなりの距離がある)とは違うところです。したがって、大阪府全体をひとつの「都市」とするということも、決して否定することではないと思っているのです。

 しかし、そうしたありかたが否定されない、という一般論と、現在「維新」が進めている大阪市解体・特別区設置を認めていまうというのは、あきらかに問題が違っています。そもそも、今回住民投票にかけられる大阪府・大阪市特別区設置協議会の「特別区設置協定書」はあまりにも乱暴すぎます。それは未解決の問題を先送りしている部分が多すぎ、それらの解決は府知事と市長への全権委任にまかせてしまっているのです。

 橋下「維新」とその支持者の皆さんは、口を開けば「従来の大阪府と大阪市の二重行政の弊害」を言い立てます。そして、「大阪都」になれば「大阪全体の司令塔」が一元化され、二重行政の無駄はなくなる、と言います。しかし私は、「二重行政」が無条件に悪であるとする見方は理解に苦しみます。大都市であればあるほど、行政サービスには手間がかかります。それを府と市の双方がやったとしても、それは大都市に対するサービスが手厚くなったということだけで、決して住民にとって不幸なことではありません。要は、「二重行政」が存在したとしても、そこには良い二重行政と悪い二重行政がある、ということです。肝心なのは、悪い二重行政は撲滅するが良い二重行政は進めることです。「維新」の支持者のいう「大阪の二重行政の失敗例」も、バブル経済の時代に浮かれてしまってヘンなものを作ってしまったという意味での失敗なのであり、大阪府と大阪市が共存したための失敗ではありません。そもそも、司令塔が府知事に一元化されたとしても、その司令塔が判断を誤ってヘンなことをしてしまったら、ムダの規模はむしろ大きくなってしまいます。

 橋下「維新」が二重行政の典型として挙げるものに、大阪には大阪府立大学と大阪市立大学というふたつの大学の併存があります。でもちょっと待ってください。大阪にはもうひとつ、国立大学法人である大阪大学が存在します。仮に大阪府立大学と大阪市立大学を統合して「大阪都立大学(変なコトバだ)」にしたとしても、大阪大学との「二重行政」は解消されません。要するに、「二重行政」をいうならば、全国すべての都道府県には国立大学が存在するのであるから、地方自治体が経営する公立大学はムダであり、それらはすべて国立大学に寄附・統合されるべきだ、ということになってしまうのです。これはどう考えても変でしょう?

 こういうことを言うと、「大阪維新の会」の支持者からは「それでは大阪が今のままでいいと思っているのか? 大阪には思い切った改革が必要だ! だから『大阪都構想』なんだ!」というコトバが聞こえてきそうです。しかし、「今のまま」で完璧な政治制度など、歴史上かつて存在しませんでした。どんな国にしても地方自治体にしても、問題をかかえていないはずがありません。しかしそうした問題を解決するのに、いきなりの特効薬は存在しない。「いわゆる大阪都構想」さえ実現するならばすべての問題は解決されてみんなが幸せになれるというのは幻想です。政治の問題を解決するには、その構成員の意見をとりまとめながら、ゆっくりと合意を重ねていくしかないのです。

 そもそも、橋下市長や大阪維新の会の「いわゆる大阪都構想」の主張には、強弁や誤りが多すぎます。ほんの一例を挙げると、「(大阪都構想が)失敗しても一度大阪都になるともとには戻れないの?」という質問に対して、大阪維新の会は「地方自治法第281条の4の規定により、特別区の廃置分合が可能とされておりますので、特別区を市に戻すことや、政令指定都市となることは可能です」と回答しています。しかしこれはあきらかなミスリードであり、もっというならば詭弁です。国会で総務大臣が明確に述べている通り、現行法に立つ限り(「じゃあ、法律を変えればいい!」というのは反論になりません)、一度特別区になってしまうと、特別区同士の合併や特別区の分割は可能であっても、特別区を市に戻すことはできませんし、ましてや政令指定都市を復活することはできないのです。今回の「いわゆる大阪都構想」住民投票は、失敗すると元に戻すことができない「片道切符」であることを忘れてはならないのです。

 少なくとも私は、こうした詭弁を駆使する団体を信頼することはできませんし、こうした詭弁が含まれた構想を支持することはムリです。大阪維新の会のウェブサイトを見てみると、「(大阪都構想には)リスクはありません」「失敗する可能性はありません」などという言葉が踊っています。ある人から「絶対に失敗しない! だから俺にまかせろ!」という言葉が出た時には、逆にその言葉を疑ってみるというのが理性的な対応ではないでしょうか?

 投票権のある大阪市民の皆さん、5月17日の住民投票にはぜひ参加し、ぜひ「反対」と書いてください!!

2015.05.11

錦水亭の豪華タケノコ料理、の巻

Img_0263(← 錦水亭)

 4月25日(土)
 京都府立鴨沂高校から、同校の授業「京都文化入門」の第1回目を依頼される。鴨沂高校は御所の東側の場所(藤原道長の法成寺跡だということでも知られる)が本来だが、そこが建て替え工事中なので、相国寺の北側の旧・成安女子短期大学の校舎に仮移転している。土地柄にちなみ「室町・戦国時代の上京」を話す。
 
 午後は、ウチの奥さんが友達十数人を呼んで、我が家でホームパーティ。メイン・ディッシュはタコ焼き。先日買ったばかりのタコ焼き機で次から次へと焼き上げる。

 4月26日(日)
 「まいまい京都」で、法住寺殿跡。

 5月5日(火・祝)
 研究仲間で親しい友人でもある山村亜希さんと、御夫君の鈴木真さんが京都に「帰って」こられた。まことにめでたいことである。仁木宏さん・京樂真帆子さんとウチ夫妻で相談して、お祝いをしよう、ということで、長岡天神の境内にあるタケノコ料理の店「錦水亭」にくりこむ。長岡天神の八条池に張り出した座敷で、この上なく豪勢なタケノコ料理。「日本一の筍料理」の宣伝文句も偽りではない。鬱屈した日常を吹き飛ばすような、楽しい時間を過ごす。

 5月9日(土)
 京都文化博物館に貸し出していた資料、同博物館の村野正景さんが返却しに来られる。ちょうど良い機会なので、呑みに誘う。京都で学生時代を過ごした人なら誰でも知っている、居酒屋の中の居酒屋「静」にでかける。

【しゃべったこと】
■山田邦和(外部講師)「室町・戦国時代の上京」(京都府立鴨沂高等学校「京都文化入門」、於同高等学校講堂、2015年4月25日)。
□山田邦和(ガイド)「【東山】 考古学研究者とめぐる、荘厳な政治宗教ワールド・法住寺殿~残る巨大苑池の断崖、東山の麓に誕生した広大な離宮~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京阪電車七条駅集合、三十三間堂(外観のみ)、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原を見学、2015年4月26日)。

【テレビ出演】
□ 『高島礼子・日本の古都~その絶景に歴史あり』「初回2時間スペシャル 秀吉の桜・知られざる物語」(BS-TBS、2015年4月8日放送)

2015.04.18

河角龍典氏を悼む

 4月14日(火)
 授業の後片付けが終わって、帰宅途中の電車の中で、山中章さんから携帯電話に連絡をいただいていたことに気がついた。とはいっても電車の中でかけ直すわけにはいかない。やっと駅に着いて、山中さんに電話する。また飲み会のお誘いかな?と思ったのだが、電話口から聞こえてきたのは、思いもかけぬ悲報だった! 昨・4月13日の深夜、河角龍典立命館大学文学部教授(地理学)がお亡くなりになられたというのである! 思わず、声を失い、立ちすくんでしまう。44歳の誕生日を目前に控えていたという若さであった。

 河角さんと初めて面識を得たのはいつの頃だっただろうかちょっと記憶にないのだが、親しくなったのは、山中さんが主催した国立歴史民俗博物館の共同研究「律令国家転換期の王権と都市」とそれに引き続く同館の企画展示「長岡京遷都—桓武と激動の時代—」の展示準備の時だった。ふっくらとした丸顔で、いつも微笑をたやさず、若いながらいかにも「大人〈たいじん〉」の風格をたたえていることが印象的だった。専門は地理学なのだが、その中でも特にコンピューターによるGIS(地理情報システム)を活用した過去の地形復元に専心しておられた。特に、平安京の復元研究には瞠目した。『平安京提要』所収の「左京と右京」のデータを徹底的に分析し、コンピューターの画面上に鮮やかに平安京の実像を浮かび上がらせていた。実はこの「左京と右京」は私が執筆したものなのであるが、そのデータがこんな風に活用されるなんて、電子機器に疎い私にはまったく想像もつかず、まさに目を見開かされるばかりだったのである。

 当時の河角さんは立命館大学大学院で博士号を取得されたのであるが、それからしばらくは任期制の教員という不安定な身分の中で懸命に頑張っておられた。将来への不安を口にすることを聞いたこともあるのだが、幸い、そのバツグンの業績が認められ、母校の専任の講師に採用され、それから間もなく准教授に昇進された。さらに、昨年度には若くして教授に昇進されていた。

 昨年、私は、「都市史学会」の委員をつとめておられた立命館大学の三枝暁子さんから、同学会の大会での報告を依頼された。そこで、私の報告へのコメントをやっていただけるのが河角さんだと聞かされ、私は大変嬉しかった。準備会の飲み屋で久しぶりに河角さんと会い、いろんなことを語り合うことができた。しかし、その場で衝撃的なことを聞かされた。河角さん、ちょっと前に病気を患い、一端は軽快したものの、またそれと闘っておられるというのである。しかし、外見を見た限りでは、やつれた様子もほとんど見えないし、さらには逆に私の体調を気遣ってくださっていたので、大丈夫なんだろうな、と思っていた。12月の大会の当日にはいつものように飄々とした姿で登場し、雑駁な私の報告に対して的確なコメントをつけ、さらには自らが積み重ねてこられた仕事の意義をまとめておられた。その時も非常にお元気に見えたので、私はすっかり安心していたのである。しかし、それからわずか4ヶ月でこの悲報を聞くことになった。3月の大学の卒業式にはちゃんと出席されていたのだというから、それから間もなくまた入院されたのであろう。

 学識、業績、人格、ともに兼ね備えたすばらしい研究者だった。本当に惜しい人をなくしてしまった。河角さんのご冥福を、心より祈りたい。

 

2015.03.30

荒木集成館を訪ねる、の巻

Img_0001(←荒木集成館)

 3月26日(木)
 京都府立文化芸術会館での文楽公演を見る。

 3月27日(金)
 栄中日文化センターの講座があるので、名古屋行き。そこで、ちょっと早く出立して、荒木集成館を訪れることにした。

 荒木集成館は、名古屋市天白区にある博物館である。創設者は名古屋で中学教員をしていた荒木実先生。教師といっても荒木先生は、もともと社会科や日本史を専門とされたのではない。名古屋薬学専門学校を卒業して、将来は薬剤師の道を進むはずだったのが、戦争で中断した。そして、名古屋の中学の教員募集に応じて、理科の先生になられた。中学校では理科のクラブ活動を率いて、鉱物研究などもされていたのだという。

 その荒木先生の生涯を変えるできごとがおきたのは、昭和27年(1952)12月18日。鉱物好きの生徒のひとりが、たまたま拾った小さな土器の破片を持ってきたのだという。その当時の荒木先生は考古学的な知識はまるでなかったのだが、生徒が土器片を採集した場所を訪ねると、同じような遺物がゴロゴロしている。それをきっかけに荒木先生は遺跡を探し歩き、独学で考古学の研究をはじめたのである。そして、荒木先生の主要なフィールドとなったのが、古墳時代から平安時代にかけて操業した須恵器・灰釉陶器・緑釉陶器の一大生産地「猿投山西南麓窯址群東山支群(東山窯址群)」なのである。

 ここまでならば、一昔前にはよくあった話なのであるが、荒木先生の凄いところは、こうした自分の研究を元として、私立の博物館の創設に邁進したことである。そして、コツコツと貯金して、昭和45年(1970)に自宅の庭のスペースを利用して「荒木集成館」を建ててしまったのである。この頃の集成館の建物は知らないのだが、残されている図面を見ると、展示室と事務室あわせて10坪(35㎡ほど)の小さな小さな博物館だったらしい。さらに昭和53年(1978)の末に、天白区に移転し、建物も大きくなった。組織も財団法人に改められた。そして、一昨年には公益財団法人に改められて現在にいたっている。

 私が荒木集成館を訪れたのは、確か大学の4回生の時だったと思う。私が4回生というと昭和55年(1980)だから、集成館が天白区に移転して拡張オープンして間もなくの時だったことになる。卒論の資料集めで、東山窯址群の須恵器や埴輪を調査するのに、同級生の服部伊久男氏(現・大和郡山市教育委員会)と同道して名古屋大学考古学研究室、名古屋市見晴台考古資料館と並んで訪れたのがこの博物館だった。荒木先生にお目にかかり、次から次へと先生の調査された窯址の出土須恵器を出していただき、夢中で図面を描き、写真を撮らせていただいた。卒論をもととした論文で、事実上の私の学界へのデビュー作となった「須恵器・その地域性」(同志社大学考古学シリーズI『考古学と古代史』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、1982年。後、山田邦和『須恵器生産の研究』〈東京、学生社、1998年〉に収載)は、この時の成果である。荒木先生に論文の抜刷を送ったところ、大変に喜んでいただいた返事を頂戴したことも嬉しかった。

 ただ、その後はずっとこの博物館にはご無沙汰になってしまった。その間、荒木先生も平成17年(2005)に死去されたということを風の便りに知った。たまたま、荒木先生の伝記である近藤雅英『土器は我が胸にささやく—小説・荒木集成館物語—』(春日井、羅針盤、2004年)を入手して読み、ありし日の先生の温顔を思い出すことになった。その思いを再確認するために、久々の再訪問となったのである。突然の訪問であったが、荒木正直理事長(荒木実先生の甥)と、淡河理事にお目にかかり、いろいろと話を聞くことができた。ありがたいことである。なお、荒木理事長、叔父の実先生の後を継いでこの博物館の運営にあたっておられるのであるが、聞いてみると、もともとはぜんぜん畑違いの仕事についておられたのであるが、とにかく叔父さんの熱意を伝えていきたいという思いでこの博物館を受け継いだのだという。
 なお、いまの荒木集成館の開館日は金・土・日の週3日になっている。確かめずに行ってしまったのであるが、この日がたまたま金曜日で良かった・・・
 荒木集成館、今の建物は鉄筋2階建て235㎡の本館に倉庫を附設している。当初の建物から比べると大幅な増床であるが、今時の大規模な博物館を見慣れた眼には小さな小さな博物館に見えることはまちがいない。しかし、私はやはりこの博物館に感動する。荒木実というひとりの個人の熱意と情念が、展示物のひとつひとつ、建物の隅々まで染み込んでいるような気がするのである。以前、このブログにも、"すばらしき「アマ博物館」"ともいうべき森浩一先生の旧・同志社大学考古学資料室のことを書いた。この荒木集成館についても、同じ賛辞が与えられるべきだと思う。

 私は、私の大学の「博物館概論」の授業の中で、こうした個人の「情念」の塊ともいうべき博物館をとりあげることにしている。そして、その実例として、必ず荒木集成館を紹介しているのである。

 【書いたもの】
■山田邦和「書評/著・上田正昭『「古代学」とは何か—展望と課題—』」(『京都民報』第2681号〈2015年3月29日号〉掲載、京都、京都民報社、2015年3月29日)、5頁。

2015.03.24

京都文化博物館「京を描く」「近世京都の考古学者たち」展、そのほか3月の記録

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 2月25日(水)
 東京行き。

 2月28日(土)
 京都文化博物館での特別展「京を描く—洛中洛外図の時代—のオープニング。会期は3月1日〜4月12日。いや、凄い展覧会である。戦国期に景観年代を持つ「洛中洛外図屏風」は、歴博甲本(町田家本)、上杉家本、歴博乙本(高橋家本)、東博模本の四種が知られている。この展覧会では、上杉家本だけは複製の展示だが、そのほかの三種は前期と後期に分けてホンモノが出陳される。その他にも、近世の洛中洛外図屏風の優品が目白押し。さらに注目されるのは、太田記念美術館蔵「洛外名所図屏風(京名所図屏風)」や、現存最古の京都の地図である「京都図屏風」も展示されることである。前者は、1990年代後半に所蔵館で展示されてから「知る人ぞ知る」というようになった資料なのであるが、1998年に京都文化博物館で私が主担当となって「京都・激動の中世」展をおこなった際、ぜひこの作品を借用したいとして交渉した経験がある。しかし、所蔵館としては外部に出品するのはもうちょっと自分の館で研究を重ねてからにしたい、ということで、借用はかなわなかったのである。その代わりとして、写真パネルの展示だけは許可していただいた(ただし、図録掲載は無理だった)。現物が展示できなかったのは残念だが、少なくとも所蔵館以外では初めて人目に触れたことになるだろうし、「この資料、凄い!」という反響も多くいただいた。その後、2005年に九州国立博物館が開館した時『開館記念特別展 美の国日本』がおこなわれ、その時に、初めての所蔵館外の展示が実現したのである。それから10年、この作品を京都文化博物館で見ることができるというのであるから、私にとっても、ちょっと感無量である。

 なお、もうひとつ見て欲しいのは、京都文化博物館2階で4月19日まで開催中の総合展示「近世京都の考古学者たち」。なかなかにシブい展示であるが、学ぶところは大である。実は、この展示には私の所蔵品も出品されている。藤原貞幹作と推定される古瓦の拓本集と、「文化山陵図」、「日嗣御子御陵(元禄山陵図)」の3点である。私のコレクションがこういうところにも役だてていただき、嬉しい。

 3月4日(水)
 旧友の寺升初代さんとともに、滋賀県立近代美術館の「見つめて、シェイクスピア!展」。

 3月6日(金)
 醍醐寺において、テレビ撮影。残念ながら、日程が合わずに、期待していた女優・高島礼子さんとの共演はかなわず。

 3月7日(土)・8日(日)
 条里制・古代都市研究会の総会・大会

 3月9日(月)
 わが大学の、一般入試(後期日程)の監督業務。やはり監督というのは緊張し、いささかくたびれる。

 3月13日(水)
 朝日カルチャーセンターの講座で、本能寺跡の巡見。
 昼からは、某機関での会議。脱力。

 3月14日(土)
 前近代都市論研究会。大田省一さん(京都工芸繊維大学)から、ヴェトナムの都市の最新研究の状況を聞かせていただく。

 3月15日(日)
 パネリストとして招いていただいたので、京都府与謝野町での「天橋立世界遺産シンポジウム」。
 帰路には、宮津の市内で名物の「いわし鮨」をお土産に購入。帰宅後に食べたら、めっぽう美味。もい一箱買ってくればよかった・・

 3月16日(月)
 野村美術館の桐山秀穂さんが来学。次年度から、ウチの大学の非常勤として教えに来てもらえることになったので、その打ち合わせと学内案内。帰りは、京都駅付近でおいしい鳥料理で盛り上がる。

 3月18日(水)
 京のふるさと産品協会の委員会に出席してから、中途退席させてもらって、わが大学の卒業式。

 3月20日(金)
 古代学協会で奨励研究員をつとめていただいていた山本亮さんが無事「卒業」して就職されるので、送別会。ご苦労様でした。

 3月21日(土)
 京都コンサートホールの「きものクラシックコンサート」にでかける。「きものの日」とやらで、和服を着てこれる人をご招待という企画である。朝っぱらから、しばらく着ていない着物を引っ張り出して、大騒ぎ。曲目はモーツァルト:「フィガロの結婚」序曲、ビゼー:「カルメン」組曲、ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」とポピュラーなものばかり、指揮はブルガリアの若手で、同国ルセ州立歌劇場首席客演指揮者をつとめるロッセン・ゲルゴフ。緩急の幅の大きい、ロマンティックな音楽作りである。

 3月22日(日)
 京都の木屋町の高瀬川沿いに旧・立誠小学校がある。小学校が閉校してからは、その校舎を利用してさまざまな芸術活動の拠点となってきた。この一角に「立誠シネマ」がある。通常の映画館ではやれないようなマニアックな映画を上映している。ここで、3月21日〜27日に「ヨリ道ノススメ立誠篇〜怪奇と恐怖と映画の魔〜」という企画がある。かつての円谷プロの傑作シリーズ、「怪奇大作戦!」「恐怖劇場アンバランス!」のセレクト作品を上映するというのである。両方ともDVD録画はしているのであるが、映画館で見るのも一興と思い、出かける。22日は「怪奇大作戦!第5話「死神の子守唄」。同シリーズの中でも名作中の名作である。旅に出た娘たちが次々に死んでいくという子守唄のとおりに連続殺人がおこなわれるという奇妙なストーリーであるが、その奥底にあるテーマは、限りなく暗く、そしてやりきれない。
 思わぬ拾い物だったのは、この日だけの特別プログラムとして上映された、高橋洋(脚本・監督)『旧支配者のキャロル』(2011年作品、出演:松本若菜、中原翔子、津田寛治、本間玲音、伊藤洋三郎)。キャッチコピーでは「映画学校の卒業制作の監督に選ばれたみゆきは、講師であり、憧れの女優でもある早川ナオミに出演を依頼する。みゆきは監督という大役に全力を尽くすが、ナオミが科す試練はあまりに過酷だった。現場は熾烈を極めていく……」となっている。いや、これはすごかった。最初から最後まで、異様な緊迫感がたまらない。松本若菜、中原翔子のふたりの女優のぶつかりあいが火花を散らす。やっぱり、幽霊とか妖怪よりも、一番コワいのは生きた人間だよね。予告編はこちら世評はこちら

【しゃべったこと】
 ■宗田好史(コーディネイター)、高原光・山田邦和・岩田信一・河森一浩(パネリスト)「パネルディスカッション」(京都府・天橋立世界遺産登録推進事業実行委員会・天橋立を世界遺産にする会〈主催〉「天橋立世界遺産シンポジウム—天橋立を世界遺産に!美しいふるさとを子ども達に残そう—」、於与謝野町生涯学習センター知遊館、2015年3月15日)。
【提供・協力】
△京都文化博物館総合展示(主催:京都府、京都文化博物館)世界考古学会議京都開催決定記念「近世京都の考古学者たち」(2015年2月7日~4月19日)
 〜展示協力〈展示資料出品〉

2015.02.23

御廟野古墳立ち入り、その他の2月の日記、の巻

Photo(← 御廟野古墳)

 2月2日(火) 定例の病院の診察。1月末に受けた定期検査の結果を聞く。待っている間は緊張したが、結果は良好で、ホッとする。

 2月3日(火) 誕生日。56歳を迎える。京都橘大学文学部文化財学科の公開講演会で、豊臣秀吉と京都の関係を話す。学生諸君、熱心に聞いてくれたのがありがたい。質問用紙を拝見しても、なかなかポイントを押さえた質問が続出して、感心。

 2月6日(金) わが学部の、卒論発表会。

 2月8日(日) 最近いろんな活動をやっていて注目されている「京都高低差崖会」 が聚楽第跡見学会をやるというので、参加。

 2月11日(水・祝) 京樂真帆子さんの科学研究費補助金研究会(通称「牛車」研究会)。

 2月20日(金) 陵墓関係16学・協会による陵墓立ち入り調査に参加。京都市山科区の御廟野古墳が対象となる。天智天皇陵に治定されているが、この被葬者については学界でも異論はない。もちろん中に入るのは始めてであるが、凄かった!

 2月21日(土) (公財)古代学協会の理事会。

 2月22日(日) 京都市交響楽団の演奏会。フィンランドの名匠・オッコ・カムの指揮。曲目は、シベリウス:交響幻想曲「ポヒョラの娘」op.49、グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op.16、ニールセン:交響曲第4番「不滅」op.29。グリーグの協奏曲で登場したのは、ナレ・アルガマニヤンというアルメニア出身の若い女性ピアニスト。ゴールドのえらく派手な衣装で登場したのにびっくり。演奏は、テンポを自在に揺らしたロマンティックなもの。カムの指揮はさすが。ニールセンでは、2つのティンパニの乱舞が心地よい。至福の音楽に酔った後は、I岡N和さんとM木Y雄さんに同道させていただき、飲み会。

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【しゃべったこと】
□山田邦和「豊臣秀吉と京都」(京都橘大学文学部歴史遺産学科2014年度講演会、於同大学清風館、2015年2月3日)。

【書いたもの】
■山田邦和「天皇陵史料としての『扶桑略記』」(同志社大学考古学シリーズXI『森浩一先生に学ぶ—森浩一先生追悼論集—』所収、京都、同シリーズ刊行会、2015年1月30日)、561〜577頁。
 ↑ 同志社大学考古学シリーズは、同志社大学考古学研究室が中心になって、その関係者が執筆して数年に一度刊行される、いわば同研究室の「紀要」のようなものである。私たちは単に「論集」と通称している。
 この「論集」、1982年に森浩一先生の主導で刊行が始まり、今回で33年目、11冊となる。私は、この11冊に「皆勤」である (o^-^o)。思えば、シリーズ第1冊の『考古学と古代史』に卒論のエッセンスをまとめた「須恵器・その地域性」という論文を書かせてもらったのが、私の研究者人生の始まりとなった。その論文が掲載された第1冊が刊行され、それを同級生の加藤謙君が私の自宅に届けてくれた。それは実は、私の父の葬儀の夜だったことを思い出す。
 森先生も、一昨年にこの世を去られた。この論文の「付記」にも書いたこと。「私はいつも、森先生の巨大な後ろ姿を仰ぎ見ながら研究人生を送ってきたように思う。先生の生涯の研究テーマのひとつが「天皇陵古墳」であることはよく知られている。ここに、天皇陵についての私見の一端を示し、先生の魂魄に捧げたいと思う」。

■駒井和緒(文)、遠田志帆(絵)、芥川龍之介(原作)、山田邦和(監修)『リライトノベル 邪宗門』(東京、講談社、2015年2月12日)、全203頁。
 ↑ 我ながら変わった仕事を引き受けたと思うのだが、出版社によると、「誰でも知っているあの名作から、キャラクターや筋書きなどの基本設定を拝借しつつ、舞台を現代に置き換えて物語を塗り替えるという、何とも大胆不敵な試みです」、とのこと。周知のように、芥川龍之介の「邪宗門」は未完で終わっており、結末がどうなるのかは誰にもわからない。それを補作し、かつ舞台設定を青春小説に変えたというのだから、確かに大胆不敵である(笑)。私の役目は「監修」で、物語が平安時代として矛盾しないように目を光らせた。ただ、ストーリーには噛んでいないのであしからず。

2015.01.29

乙訓周回と念仏行脚、の巻

Img_0007_4(←恵解山古墳)
1月24日(土)
 運転免許証の更新に行かねばならないので、朝早くに家を出る。どういうわけか、妻も同道。午前の入場時間に間に合うかな?と、ちょっとアセりながらクルマを走らせる。時間ギリギリに羽束師の運転免許試験場に到着したが、遠目に見てもなんだか雰囲気がおかしい。ありゃ、門が閉まっている! 試験場、土曜日が休みだなんて、ぜんぜん知らなかったぞ!
 ムダ足を踏んだ、とムクれる妻をなだめながら、しかし転んでもタダではおきない。せっかく来たのだから、いくつか見たいところがある。まずは、恵解山古墳(いげのやまこふん)。北山城では最大の前方後円墳である。以前はよく来ていたのだが、去年、長岡京市によって公園化の工事が完成し、ピカピカの、できたてホヤホヤの古墳となった。このように古墳を公園化する際、どこまで復元するのがいいのかというのはいささか難しい問題だと思っている。円筒埴輪の復元品が並べられているが、これは、よくあるプラスチック製ではなく、ちゃんとした焼物での復元品である。質感は良いのであるが、損壊した時にはどうするのかな?、と心配になってしまう。

 次は、恵解山古墳の近所にある長岡京市立中山修一記念館。いわずと知れた、長岡京研究の大先達である。生前の中山先生が書斎に使われていたという座敷に座り、しばし先学の偉業に想いを馳せる。

 それから、大山崎町歴史資料館。親しい研究仲間のひとりである福島克彦さんが館長を努めておられるのであるが、いきなりの訪問だったのでびっくりさせてしまった。

 そして、向日市文化資料館。ちょうど、企画展「長岡宮発掘」を開催しているのであるが、なかなか見にこれなかった。特に、長岡京研究の先駆者のひとりである小林清氏の業績にスポットをあてているのが興味深い。小林氏は向日町(当時)の町民で、もともとは研究とは無縁であったのであるが、たまたま長岡宮大極殿跡の近接地に土地を所有していたことから、中山修一先生の熱意にホダされる形で発掘調査に参加し、それから考古学の研究を始めたのである。それも、アマチュアの知ったかぶりなどでは全然なく、数々の先駆的な論文を公表していったのだから凄い。小林氏の研究は最後に『長岡京の新研究』という著書にまとめられて今も光を放っているのである。ただひとつ残念なのは、小林氏はこの本が刊行される直前にお亡くなりになってしまったということである。じっくりと展示を拝見したあと、館長の玉城玲子さんにご挨拶。
 

Img_0053_3(総本山光明寺での念仏行脚)
 買い物を済ませて帰宅してホッコリしていると、妻が突然、アタシはもう一度出かけてくる、と言い出す。浄土宗の諸宗派の共同の催しとして、念仏行脚があるのだという。浄土宗の宗祖である法然上人が遷化の後、上人の遺体は一旦は太秦に安置された。しかし、他宗派の強硬派の弾圧によって上人の遺体が損壊されることを恐れた信徒たちは、密かに上人の遺体を乙訓郡に運び、そこで荼毘に伏した。これが総本山光明寺(通称:粟生光明寺)の由来なのだという。この故事にちなみ、毎年この日の深夜、数百人の僧侶と信徒が太秦から光明寺までの15kmを四時間以上かけて念仏を唱えながら行脚する。実は、ウチのお墓のあるお寺は蹴上の安養寺といい、光明寺を総本山とする西山浄土宗に属している。つまり私にとっても、光明寺はウチの御本山だということになるから、縁はおおありであるのだが、今までは参加したことはなかった。これもいい機会だ。私もついて行くことにする。もっとも、寒空の深夜の15kmの行進は御遠慮申し上げて、ゴールの光明寺で待ち構えるだけである。
 光明寺の門前で1時間くらい待つと、どこからか鉦の音と、ひそかな念仏の合唱が聞こえてくる。来た!、というので飛び出る。光明寺の山門から境内の円光大師(法然上人)荼毘所までだけ、私たちも念仏に加わることになった。良い経験だった。

 1月25日(日)
 京都府埋蔵文化財調査研究センターが、京田辺市の松井横穴群の発掘調査をおこなっている。現地説明会があるというので、でかける(現地説明会資料のダウンロードはこちら)。70基にもおよぶ大量の横穴(学界では「オウケツ」と発音されているのであるが、私としては、素直に「ヨコアナ」または「ヨコアナボ(横穴墓)」と発音した方が良いと思っている)は、少なくとも近畿地方では滅多にお目にかかれない壮観である。小さな土師質陶棺があることも興味深い。

2015.01.19

萩本勝先生をおくる、の巻

 1月10日(土)
 1月9日の夜、外で食事をして、遅くに帰宅。椅子に腰掛けて一服したとたん、電話が鳴った。こんな夜遅くに誰かな、と思ったら、山本雅和さん(京都市考古資料館)だった(あとで携帯電話を確かめると、何度も山本さんからの着信がはいっており、私を探しまわっておられたことがわかった。何度もお手間をかけてしまい、申し訳ないことだった)。山本さんがこんな遅い時間に私の自宅に電話してこられるというのは珍しいな、といぶかしんだのであるが、内容は萩本勝先生の訃報であった。

 萩本先生は1944年の生まれ。立命館大学で考古学と古代史を学ばれ、その後、平安高校の教諭を永く勤められて、数年前に定年退職された。特に、田辺昭三先生(平安高校教諭→奈良大学教授→京都市埋蔵文化財研究所調査部長・京都造形芸術大学教授)を助けて、多くの遺跡の発掘調査にとりくまれた。平安高校は野球で有名な学校なのだが、きょうびの高校としては珍しく、考古学の伝統がある。同高校で教鞭を採られた先生方として、田辺先生のほか、坪井清足、佐原真、原口正三といった名があがるのであるから凄いものである。私が高校生になった時、私の友人のひとりが平安高校に進んで考古学クラブに入部した。当時は田辺先生はもう転出されていたのであるが、その後を継がれて考古学クラブの指導にあたっておられたのが萩本先生だった。当時の私にとって、高校時代から考古学の発掘調査ができるという平安高校が、とてもまぶしく感じられた。

 大学に入学して、私も考古学を本格的に学び始めることになった。いろいろ研究テーマを放浪したあげくに「須恵器」を勉強することになったのであるが、図面も描けないし、須恵器の観察も我流そのもの。これではダメだ、と気付いた時にはすでに大学の3回生になってしまっていた。そこで私は逡巡したあげくに、高校時代から面識を得ていた萩本先生のところにでかけていき、平安高校に保管されている、陶邑窯址群(私は森浩一先生の流儀にしたがって「大阪府南部窯址群」と呼ぶのであるが・・・)の膨大な資料を勉強させてもらうことにしたのである。それからの私は、大学での授業が終わるとすぐに、平安高校にそそくさと駆けつけた。今から思うとこんな闖入者が連日のように襲ってくるというのはさぞ御迷惑だったと思うのであるが、萩本先生はいつも、何もいわずに笑顔で迎えてくださった。私は萩本先生に許していただいて、平安高校の考古学資料室や収蔵庫に出入りし、その遺物を観察し、図面を描いていくことができたのである。萩本先生はそんな私の好き勝手を、いつものニヤリとした笑いとともに大きく見守ってくださっていた。私がとにもかくにも須恵器の図面が描けるようになり、一応の須恵器の観察眼を身につけることができたのは、この時の萩本先生の御恩があってこそだったのである。

 なお、平安高校の社会科準備室(実質的には萩本先生の考古学研究室だった)に図面を描きに行くと、必ずといっていいほど、同世代の先客がいた。彼が大量の須恵器と向き合い、コツコツコツコツとそれを図化していっているのを見て、私はとうてい自分では及びもつかないという驚愕の念に襲われていた。実はこれが、若き日の山本雅和さんの勇姿であった。

 萩本先生の業績は、山陰地方の遺跡発掘調査、平安京東市外町(平安高校構内遺跡)の調査、須恵器研究など、いろいろあるのであるが、私の独断だけからいうと、その中でも出色のものは山陰地方の古墳時代須恵器の編年研究であろう。これは、『北山茂夫追悼日本史学論集 歴史における政治と民衆』(日本史論叢会、1986年)におさめられた「山陰東部古墳時代後期の須恵器」の論文や、佐古和枝さんとの共同研究である鳥取県米子市陰田横穴群の須恵器の分析である「須恵器について」(『陰田』所収、米子市教育委員会、1984年)などにまとめられている。萩本先生は須恵器生産の本場である陶邑窯址群の資料に精通しているという強みをもって、山陰地方の土器を見事に整理されたのである。

 1月10日の夜半、私は萩本先生の御通夜に参列し、先生の遺影の前で、永年にわたる御厚情を謝し、別れを告げさせていただいた。先生、どうもこれまでありがとうございました。

2015.01.04

久方ぶりの大雪(4)、の巻

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 雪にも耐えて、けなげに早咲き。平野神社の十月桜。

久方ぶりの大雪(3)、の巻

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 初詣の人波。雪の北野天満宮。

久方ぶりの大雪(2)、の巻

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 雪の土手となった御土居(平野鳥居前町)。

久方ぶりの大雪(1)、の巻

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1月3日(土)
 京都は、元旦から61年ぶりという大雪。1日は閉じこもり。2日は我が家の恒例のボタン鍋。3日はまたまた雪がつもったので、初詣を兼ねての雪見。雪の金閣は、やっぱりキレイ。

 

2015.01.01

2015年、謹賀新年、の巻

141231_2(← 大晦日の夜、神泉苑の歳徳神の恵方社を、僧侶たちが真言を唱えながら回転させていく)

 2015年1月1日(木)
 新しい年が訪れました。皆様、あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。今年もよろしくお願い申し上げます。


 大晦日は神泉苑で過ごした。いうまでもなく、平安京遷都とともに桓武天皇によって造営された離宮である。境内に歳徳神(さいとくじん)を祀る「恵方社」という祠がある。毎年の恵方の方角に合わせて、大晦日に祠を回転させるという行事がおこなわれるので、それを拝見させていただきに行ったのである。行事が終わると、境内の料亭「神泉苑平八」さんが振る舞ってくださる年越しソバを頂戴する。めっけものだったのは、普段は入れない、神泉苑の北端から東端にかけてが特別公開されたこと。神泉苑にはしばしば訪れるのだが、その部分は始めてだった。正保3年(1646)の梵鐘、神泉苑中興の祖である快我上人・京都所司代板倉勝重・茨木城主片桐東市正且元の供養塔を拝見することができた(といっても、暗闇の中なので細部の観察は無理)のは、思わぬ収穫。

 帰宅して、紅白歌合戦を録画で見る。途中は飛ばさせてもらって、12年ぶり2回目の登場となる、中島みゆきさん! おそらく、今回の紅白のクライマックスである。朝の連続テレビ小説「マッサン」の主題歌である「麦の歌」を、堂々と唄い上げるさまは圧巻。みゆきさんの歌声とともに、新しい年の幕があがる。

2014.12.31

2014年、やったこと、の巻

 Img_0026(12/7、東福寺、終わりの紅葉)

 12月31日(水)
 大晦日。2014年も終わり。

 今年、私にとっての最大の衝撃だったのは、なんといっても愛犬マックを見送らねばならなかったことだった。今もその哀しみが癒えたわけではなく、時々「マック!」とつぶやきながら涙ぐんでいる自分がいる。しかし、マックはそこまで愛することのできる家族だったのであって、そんな彼に巡り会うことができたことは、私たちの人生にとってやはり大変な幸福だったのだと思う。

 恒例のベートーヴェン「第9」。今年の7月13日にロリン・マゼールが84歳でこの世を去ったので、彼を偲ぶことにして、マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団、ルチア・ポップ(S)、エレーナ・オブラスツォワ(Ms)、ジョン・ヴィッカース(T)、マルティ・タルヴェラ(Bs)らの独唱による1978年の録音を選んだ。ベートーヴェン交響曲全集のなかからの1枚である。マゼールという人、とにかく変わった演奏の多い巨匠であって、ウィーン・フィルとのストラヴィンスキー「春の祭典」やラヴェル「ボレロ」なんて前代未聞の奇ッ怪な演奏を披露して、真面目にスピーカーの前に座って聴いていたリスナーを椅子から転げ落ちさせるという超能力(?)を発揮していたもんな。この「第9」もまた、クリーヴランド管というビッグ・オーケストラとは信じられないくらいの室内楽的な響きで、あちこちからフツーでは聞こえない楽器の音が飛び出してくる。壮大でダイナミックでありながら、体感温度だけはやけに低いという不思議な演奏である。通常の音楽家がこんな演奏をしたならば、指揮に問題があるのではないかと疑わざるをえないところなのであるが、この人は超絶的な耳の良さと魔術師的なバトン・テクニックは折り紙付きなのである。つまり、いかに奇妙に聞こえようが、それはマゼールがワザとやっているのである。いつもいつも聞く演奏ではないにしても、時にはこういうものも新鮮で良いと思う。

 さて、これも恒例の、「今年やったこと」。残念ながら、今年も「論文」が一本にとどまってしまった。ただ、成稿しながら出版にいたらなかったものは数本ある。また、珍しく学会報告・研究会報告が何本か重なった。特に、日仏シンポジウムでやった「天皇陵問題の現状と課題」と、都市史学会での「日本古代都市史—平安京の比較都市史的評価—」はかなりの力を込めたものとなった。これらのうちいくつかは来年度に論文化せねばならないから、来年度は結構「豊作」になるという予定(ただし、予定はあくまで未定 (^-^;)。河内将芳さんと共同監修した「別冊宝島」の『ビジュアル版 京都1000年地図帳』は、とにかく時間に追われた仕事ではあったが、私の作図した京都の歴史地図が何枚も多色刷りで載せてもらえたので、これはお役にたててもらえるのではないかと思う。

 さあ、2014年もあと数時間である。皆様、どうか良いお年をお迎えくださいm(_ _)m。
 
【著書(共著・監修書)】
■山田邦和(監修)『事前学習に役立つ みんなの修学旅行』1巻「京都」(東京、小峰書店、2014年2月7日)、全44頁。
 〜 山田邦和「修学旅行に行かれるみなさんへ」(同書表紙カバー折り返し)。
■山田邦和(監修)『事前学習に役立つ みんなの修学旅行』2巻「奈良・大阪」(東京、小峰書店、2014年2月7日)、全44頁。
 〜 山田邦和「修学旅行に行かれるみなさんへ」(同書表紙カバー折り返し)。
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・市川智也・井上由理子・太田垣實・黒田正子・高野澄・井堂恵子・徳丸貴尋・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・町田香・山田邦和執筆『第10回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2014年4月25日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は8・21・38・68・79・85・111・112・116・136各頁)。
■山田邦和・河内将芳(監修)『ビジュアル版 京都1000年地図帳』(別冊宝島2272、東京、宝島社、2015年1月11日)、全112頁。
 〜作図:古代の京都MAP(15頁)、平安時代の京都MAP(23頁)、都の移り変わり(24頁)、平安京条坊復元図(31頁)、大内裏(平安宮)復元図(32頁)、平安時代後期〜鎌倉時代の京都MAP(45頁)、戦国時代の京都MAP(59頁)、応仁の乱による焼失地域(66頁)、戦国期の京都の城(73頁)、秀吉時代の京都MAP(77頁)、秀吉による京都の都市改造(85頁)、平安京以来の「碁盤の目」町割り・豊臣秀吉による「短冊形の町割り(85頁)、聚楽第復元図(87頁)、江戸時代の京都MAP(95頁)。
 〜土台作図:現代の京都MAP(20頁)、名僧にちなんだ京都の寺院(51頁)。

〈↑ 2015.1.1追記 この本、実際の配本は2014年12月なのですが、奥付は2015年1月ですので、リストアップとしては2015年のほうに回すことにして、2014年のリストからは削除します。〉

【論文】
■山田邦和「森浩一 学の稜線〜須恵器の編年」(深萱真穂・『歴史読本』編集部編『森浩一の古代史・考古学』所収、東京、KADOKAWA〈編集:中経出版〉、2014年1月24日)、116〜123頁。(同書執筆者:森浩一、池内紀・小泉武夫・篠田正浩・宮崎美子・大塚初重・上田正昭・杉本憲司・和田萃・菅谷文則・野本寛一・前園実知雄・深萱真穂・中村潤子・寺沢薫・今尾文昭・山田邦和・菅原康夫・鋤柄俊夫・門田誠一・寒川旭・田中英夫・古川順弘。全207頁)。

【その他の著作】
■山田邦和「禁門の変と京都御苑」(『京都御苑ニュース』第122号掲載、京都、一般財団法人国民公園協会、2014年6月1日)、1頁。
■山田邦和「資料編〜同志社女学校の成立と近代京都」(吉海直人・小山薫・大島中生・山田邦和・天野太郎執筆『新島八重研究会講演集』所収、京田辺、同志社女子大学、2014年6月14日)、181〜188頁。
■山田邦和「同志社女子大学の二条家邸跡と二条斉敬」(天野太郎・小山薫・小崎眞・村瀬学・大島中生・清水久美子・鳥越碧・山田邦和・吉海直人執筆『新島八重×同志社女子大学 コラム集』所収、京田辺、同志社女子大学、2014年6月14日)、83〜85頁。(山田邦和「同志社女子大学の二条家邸跡と二条斉敬」〈同志社女子大学ウェブサイト「教員による時事コラム」掲載、京田辺、同志社女子大学、2013年5月14日公開〉の再録)。
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(1)』主旨」(『古代文化』第65巻第4号掲載、京都、古代学協会、2014年3月30日)、90〜92頁。
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(3)』補註」(『古代文化』第66巻第2号掲載、京都、古代学協会、2014年9月30日)、117頁。
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(4)』補註」(『古代文化』第66巻第1号掲載、京都、古代学協会、2014年12月30日)、123頁。
■山田邦和「角田文衞博士と岸本綾夫将軍市長そして『マンガの神様』手塚治虫」(『土車』第127号掲載、京都、古代学協会、2014年11月30日)、2・3頁。
■山田邦和「角田文衞『平安京の都市プラン—生きている平安京—』解説」(『土車』第127号掲載、京都、古代学協会、2014年11月30日)、5頁。

【学会・研究会】
□仁藤敦史・山田邦和(座長)、小池伸彦・高野陽子・山本悦世・福田秀生・吉野武(パネラー)「(調査レポート)質疑・討論」(条里制・古代都市研究会「第30回条里制・古代都市研究会大会」、於奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2014年3月2日)。
□山田邦和(講演)「平安京の虚像と実像」(説話文学会「平成26年度 説話文学会大会」、於同志社大学寒梅館ハーディ・ホール、2014年6月29日)。
□山田邦和(報告)「聚楽第復元研究の再検討」(「前近代都市論研究会」例会、於同志社女子大学今出川キャンパス栄光館、2014年7月6日)。
□山田邦和(報告)「車、くるま、クルマ—車に関する小ネタ集—」(科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究-『新・輿車図考』の構築を目指して-」〈研究課題番号24520764〉研究会、於長岡京市中央生涯学習センター、2014年7月12日)。
□山田邦和(コメント)「渡辺健哉『移動する大カーン――大都と上都とその間』へのコメント」(「第18回関西比較中世都市研究会」、於大阪市立大学文化交流センター、2014年7月25日)。
□山田邦和(報告)「建春門院陵の再検討—それでも建春門院陵はもと後白河院陵だった—」(「林屋辰三郎氏の『京都』を読む会」、於中村武生歴史地理研究室、2014年8月8日)。
□山田邦和(報告)「前近代日本における複都制と王権の移動」(鷹陵史学会「鷹陵史学会第23回年次研究大会」公開シンポジウム「動く王権と都市空間―前近代東アジアの権力と都市―」、於佛教大学紫野キャンパス、2014年10月4日)
□貝英幸(司会)、佐古愛己・山田邦和・渡邊信一郎(パネラー)「パネルディスカッション」(鷹陵史学会〈主催〉「鷹陵史学会第23回年次研究大会」公開シンポジウム「動く王権と都市空間―前近代東アジアの権力と都市―」、於佛教大学紫野キャンパス、2014年10月4日)
□山田邦和「天皇陵問題の現状と課題」(〈公財〉日仏会館・日仏会館フランス事務所〈主催〉「日仏会館創立90周年記念日仏シンポジウム フランスと日本における考古学・文化財とアイデンティティ」〈パネル3「考古学と天皇陵」〉、於日仏会館、2014年11月1日)。
□ロラン・ネスプルス(司会)、フランソワ・マセ、山田邦和(パネラー)、高木博志(ディスカッサント)「パネル3『考古学と天皇陵』(討論)」(〈公財〉日仏会館・日仏会館フランス事務所〈主催〉「日仏会館創立90周年記念日仏シンポジウム フランスと日本における考古学・文化財とアイデンティティ」、於日仏会館、2014年11月1日)。
□山田邦和・登谷伸宏(司会)、南孝雄・赤澤真理・吉野秋二(パネラー)「(討論)」(平安京・京都研究集会〈主催〉「第29回平安京・京都研究集会『平安京の貴族邸宅』」、2014年11月2日、於京都産業大学むすびわざ館)。
□山田邦和(議長)「都市史学会2014年度総会」(於京都工芸繊維大学、2014年12月14日)。
□山田邦和「日本古代都市史—平安京の比較都市史的評価—」(都市史学会〈主催〉「都市史学会2014年度大会」シンポジウム「都市史の現在II」、於京都工芸繊維大学、2014年12月14日)。
□三枝暁子(司会)、山田邦和・松山恵・本内直樹・長谷部史彦・加嶋章博・河角龍典・高木博志・大橋竜太・三浦徹・青井哲人(パネラー)「(討論)」(都市史学会〈主催〉「都市史学会2014年度大会」シンポジウム「都市史の現在II」、於京都工芸繊維大学、2014年12月14日)。

【講演】
□山田邦和(講演)「平安京をひもとく」(中京優良申告法人会「第2回研修会」、於京都銀行協会、2014年1月29日)
□山田邦和(講演)「戦国期京都と法華寺院」(JR東海生涯学習財団〈主催〉、ジェイアール東海エージェンシー〈企画・運営〉「講座 歴史の歩き方—日本を見つける知の探訪—」第68回「闇夜を照らす『法華経』—日本人の法華信仰と京都」、於よみうりホール〈東京都千代田区〉、2014年9月19日)。
□山田邦和(講座)「戦国時代の京都(1)(2)」(京都SKYセンター〈主催〉「京都SKYシニア大学」舞鶴会場〈北部短期講座〉、於舞鶴西総合会館、2014年 10月31日・11月7日)。
□山田邦和(ガイド)「【嵯峨】考古学研究者とめぐる、幻の巨大都市・嵯峨~今も残る中世の都市計画!600年前の地図で嵯峨を歩く~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、JR嵯峨嵐山駅集合、龍門橋・長慶天皇陵〈慶寿院跡〉・晴明塚・天龍寺・長辻通・毘沙門堂・嵯峨釈迦堂〈清涼寺〉を見学、2014年11月29日)。
□山田邦和(講座)朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(於同センター)。
 (37)「洛中洛外図屏風に見る戦国時代の京都」(2014年4月11日「戦国時代の京都」、5月9日「洛中洛外図屏風の中の京都」、6月13日「(現地見学)戦国期の上京を訪ねる」。
 (38)「山科本願寺と宗教一揆」(2014年7月11日「京都の宗教一揆と天文法華の乱」、8月8日「山科本願寺の盛衰」、9月12日「(現地見学)山科本願寺を訪ねる」。
 (39)「織田信長と京都」(1)(2014年10月10日「足利幕府の混迷」、11月14日「織田信長の登場」、12月12日「(現地見学)上京の寺町と阿弥陀寺の信長墓」。
□山田邦和(講座)栄中日文化センター「天皇陵研究を回顧する―故・森浩一先生の業績の再評価―」(2014年5月23日、於同センター)。
□山田邦和(講座)栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(於同センター)。
 (1)奈良盆地北部の天皇陵古墳―佐紀古墳群(2014年10月24日)。
 (2)巨大前方後円墳・河内大塚山の謎を再考する(2014年11月28日)。
 (3)平安時代の天皇陵と寺院―仁明天皇陵と嘉祥寺(2014年12月26日)。
□山田邦和(講師)古代学協会「古代学講座『京都学講座・平安京研究の方法』」(2014年4月18日・5月16日・6月20日・7月18日・9月19日、於同協会)。
□山田邦和(講師)古代学協会「古代学講座『京都学講座・平安京研究の方法2』」(2014年10月17日・11月21日〈2015年1月16日・3月20日予定〉、於同協会)。

【提供・協力】
△PHP研究所(編)『大空から眺める パノラマ鳥瞰地図帳—時空を超えて日本の姿がよくわかる—』(東京、PHP研究所、2010年8月3日)。
 〜山田邦和監修(歴史群像シリーズ『安倍晴明』、同『豊臣秀吉』〈以上、学習研究社〉より転載):京都—安倍晴明が活躍した時代(1000年ごろ)—(62・63頁)、京都—豊臣秀吉から徳川家康の時代(1600年ごろ)—(64・65頁)
△高橋昌明『京都〈千年の都〉の歴史』(岩波新書1503、東京、岩波書店、2014年9月19日)。
 〜山田邦和作図:図1-1 平安京条坊図(3頁)、図1-3 大内裏(平安宮)図(9頁)、図1-5 大内裏南東部(15頁)。
 〜山田邦和原図、高橋昌明一部改変:図3-7 六波羅と法住寺殿(86頁)。
 〜山田邦和・寺升初代原図:図1-4 八省院・豊楽院推定復元図(12頁)。
△新潟県立歴史博物館 秋季企画展「日本人類学の黎明-小金井良精資料を中心に-」(2014年9月27日~11月9日)
 〜展示協力〈展示資料出品〉

【社会活動】
▼公益財団法人古代学協会 理事(継続)。
▼公益財団法人古代学協会 古代文化刊行委員会 編集委員(継続)。
▼平安京・京都研究集会 世話人(継続)。
▼文化史学会 監事(継続)。
▼京都市環境影響評価委員(継続)。
▼京都府 天橋立世界遺産登録可能性検討委員会 委員(継続)。
▼社団法人京のふるさと産品協会 ブランド認証審査会 総合審査会 委員(継続)。
▼条里制・古代都市研究会 評議員(継続)。
▼京都市文化財学習研修施設指定管理者選定委員会 委員(2014年7月25日〜2015年7月25日)。
▼WAC Japan(世界考古学会議日本)会員(2014年1月〜)。

【共同研究】
▼国際日本文化研究センター共同研究員(「日本庭園のあの世とこの世―自然、芸術、宗教」班)(2012年4月〜2014年3月)。
▼科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—」連携研究者(研究代表者:京樂真帆子滋賀県立大学人間文化学部教授。研究課題番号24520764。研究期間2012年4月1日~2016年3月31日〈予定〉)。

【学内の活動】
▼同志社女子大学 AO委員会 委員。
▼同志社女子大学現代社会学会『現代社会フォーラム』編集委員長。
▼同志社女子大学現代社会学会 運営委員。
▼同志社女子大学現代社会学会 京都研究会 顧問。
▼同志社女子大学 表千家茶道部 顧問。

【講義】
(2014年度春学期。特記なきものは同志社女子大学現代社会学部〈京田辺キャンパス〉)。
   〈月〉4講時「考古学特論」(同志社女子大学大学院文学研究科、今出川キャンパス)
   〈火〉2講時「考古学I」、3講時「卒業研究」、4講時「博物館経営論」
   〈水〉2講時「基礎演習」、3講時「専門基礎演習」
   〈木〉2講時「応用演習」、4講時「博物館実習」
(2014年度秋学期。特記なきものは同志社女子大学現代社会学部〈京田辺キャンパス〉)。
   〈月〉4講時「考古学特論」(同志社女子大学大学院文学研究科、今出川キャンパス)、5講時「博物館概論」(今出川キャンパス)
   〈火〉2講時「考古学II」、3講時「卒業研究」
   〈水〉2講時「博物館資料論」、3講時「博物館概論」
   〈木〉2講時「応用演習」、3講時「史跡・文化財論」、4講時「博物館実習」

2014.12.28

工藤静香2014年クリスマス・ディナー・ショー、の巻

2014

 12月25日(木)
 年に一度の、自分へのご褒美。工藤静香クリスマス・ディナー・ショー。今回はホントのホントのクリスマス、12月25日である。しかも、会場は京都ホテルオークラ! これまではたいてい、関西では大阪だけだったので、そこまで出かけていた。年によっては関西ではおこなわれないこともあったので、その時には無念の涙を呑んでいたのである。それが今年は、京都! 静香さんのクリスマス・ディナー・ショーが京都でおこなわれるのは、おそらく始めてだと思う。ありがたいことである。さらに、「ディナーショーに行きたい!」というウチの奥さんまでついてきた。これも、私にとっては始めて。

 午後、図書出版文理閣での打ち合わせを終えて、いったん帰宅。しばし休息をとってから出発すると、19時半の開場にちょうど間に合う。会場には例によって、静香さんの最新の画が展示されている。20時〜21時10分、ディナー。メニューの通り、結構な内容でした。

 去年の大阪は会場が横長で難儀したのであるが、今回は縦長の部屋なので、舞台が良く見える。20時10分、ショーの開始。静香さん、純白のキラキラドレスでの登場である。静香さん、最近、これまでのトレードマークだったロングヘアーをバサリと切ってショートカットにした。ネットを見ると、「工藤静香ショートでイメチェン、めっちゃ綺麗になった!」と好評である。会場でも「し〜ちゃん〜! なんで髪、切ったの〜?」という質問が飛んでいた。本人の弁によると、以前から切りたかったのであるが、御夫君が納得されていなかった。それが最近になって急に、「イイんじゃない」ということになった、とのことである。
 曲目は、声を聴かせて、メタモルフォーゼ、僕よりいい人と・・・、Blue Velvet(ドラム伴奏)、Rumour Has It (共:坪倉唯子)、(間奏:坪倉唯子独唱)、めちゃくちゃに泣いてしまいたい(握手タイム)、FU-JI-TSU~私について~ブリリアント・ホワイト~黄砂に吹かれて、嵐の素顔、ワインひとくちの嘘(アカペラ)、単・純・愛vs本当の嘘(新曲)、〈アンコール〉千流の雫。
 バックはおなじみの坪倉唯子さん。間奏の際に、彼女のパワフルな独唱が聞けたのもお得である。さらに、中島みゆき+後藤次利のゴールデン・コンビのバックを受けた新曲「単・純・愛vs本当の嘘」も初のお披露目である。

 陶酔、そして最高のクリスマスだった。ありがとう!

2014.12.24

2014年12月、の巻

Photo (←淡輪ニサンザイ古墳)

 続いて、12月。

 12月5日(金) 宮内庁の御厚意による、陵墓調査の「限定公開」。陵墓関係16学・協会の中の(公財)古代学協会に割り当てられている見学枠で、大阪府泉南郡岬町(つまり大阪府の最西南端)の淡輪古墳群にある淡輪ニサンザイ古墳(宮内庁治定の「垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命宇度墓(いにしきいりひこのみこと うどのはか)」)にでかける。
 せっかく行くのだから、と思って、電車を一駅乗り過ごして、この古墳群のもうひとつの大前方後円墳である西陵古墳をまず訪ねる。それにしても、強風が吹き荒れていて、寒い。
 淡輪ニサンザイ古墳のほうは、全長170mの大型前方後円墳。周濠の水をほとんど落としていて、墳丘裾にいくつものトレンチを入れている。須恵質の埴輪や底部に段のある埴輪が散乱していて、「淡輪の現地で見る『淡輪型埴輪』!」と盛り上がる。ハイライトは左側の造り出し。造り出しというよりも、ほぼ完全な方墳がくっついているといったほうがよい。埴輪列が立ったまま出土していることにも、感激。

 12月6日(土) 同志社大学で、文化史学会の大会。いつもは途中で疲れてしまって中抜けしてしまうのだが、今回は珍しくも、最初から最後まで、全部の研究発表を聞いた。ベルギーのブリュッセルの研究なんて、今までぜんぜん知らなかった分野であるから、勉強になる。それに、評議員会と総会では「監事」としての責務を果たすべく、会計監査報告をやる。

 12月7日(日) 同志社女子大学現代社会学会の京都研究会のフィールドワークで、東福寺と泉涌寺。紅葉はほとんど散ってしまっているが、その分、ゆっくりと拝観することができる。泉涌寺の宝物館である心照殿では、ちょうど「泉涌寺における天皇の御葬儀」という特別陳列をやっていたのは、思わぬ収穫である。以前から疑問だったのは、泉涌寺に天皇が葬られる初例は鎌倉時代前期の四条天皇とされていること。実はその先代である後堀河天皇の陵が泉涌寺と表裏一体である今熊野観音寺にあって、これを泉涌寺の天皇陵の初現としてもさしつかえないはずなのだが、そうはなっていない。変だな、と思っていたのであるが、今回の特別陳列で永年の謎が解けた。泉涌寺では四条天皇陵を自らの初現としてとらえており、後堀河天皇陵については意識的に「抹消」しようとした形跡があるのだという。

 12月9日(火) 「森浩一研究会」。だんだんに、企画が具体化してくる。

 12月11日(木) 学部の忘年会。地下鉄丸太町駅近くの店で、フグ。

 12月12日(金) 朝日カルチャーセンター京都で、巡見。織田信長の墓を訪ねよう、というので、寺町をさかのぼって、阿弥陀寺へ。信長墓への参拝を済ませて、墓地の掃除をしていたオッちゃんに挨拶をすると、「こんなの知ってますか?」と言われて、墓地の中央にひっそりとたたずむひとつの墓石の前に案内される。なんと、先ごろ亡くなられた大女優・森光子さんのお墓である。森光子さん(本名・村上美津)って京都の出身なのだが、亡くなったのは東京だし、葬儀も東京でおこなわれたはず。でも、お墓は京都にあるんだな。びっくり。

 12月13日(土)・14日(日) 都市史学会2014年度大会。昨年の第1回大会は東京でおこなわれたのだが、第2回である今年は京都が舞台となる。昨年の総会でいろいろと発言したのが祟った(?)のか、今回はシンポジウム(「都市史の現在II」三枝暁子司会、パネラー:山田邦和・松山恵・本内直樹・長谷部史彦・加嶋章博・河角龍典・高木博志・大橋竜太・三浦徹・青井哲人)での報告を依頼された。私の担当は「日本古代都市史」という漠然としたテーマである。しかしやっぱり恥ずかしいことはできないから、この数ヶ月、うんうんと唸りながら準備を進めていた。日本古代というものの、そのすべてを扱うことは時間的にも能力的にも不可能だから、副題を「平安京の比較都市史的評価」とさせてもらう。
 論点はふたつ。第一は、平安京の時期別の実像の復元。かつて「前期平安京の復元」(仁木宏編『都市—前近代都市論の射程—』に初出。後、山田『京都都市史の研究』所収)という論文を書いて、前期(9世紀代)の平安京の復元試案を提出したことがあった。本当はその時に中期・後期についてもやっておきたかったのであるが、果たすことができなかった。それを今回の機会にやろう、と思い立つ。平安京の考古学的調査や文献史学的研究の情報をシコシコと拾い出し、地図に落としていく。締め切りギリギリであったが、なんとか形にすることができた。
 第二は、平安京を始めとする日本の古代都市が、世界史の中でどういう位置づけになるか、という問題。私の僻み根性かもしれないが、日本の都市はしばしば過小評価されているように思う。「日本古代都城は中国のそれの単なるミニチュア・イミテーション」とか、「西欧の都市のような立派な城壁を持つものこそ真の都市。それに比べて日本の都市は・・・(軽蔑)」とか、「西欧のような都市住民の自治を持たないものを都市とは呼べない」とか、ひどいのになると「日本には都市は存在しない」などと酷評されてきたのである。
 そこで、1世紀から12世紀までの世界の古代都市を50ヶ所選び出し(50という数字はキリがいいだけで、特段の意味はない)、それらの縮尺を統一してみて、面積の比較をおこなうことにした。ここでわかったのは、魏(北魏)洛陽とか唐長安とか宋(北宋)開封といった中国の首都は巨大すぎて、比較の基準になりにくいこと。そして、そうした特Aランク都市を除くならば、平安京=京都は世界的にもAランクに位置づけられるし、その中でもかなりな地位にある。私の試算では、11〜12世紀では特Aランク都市は宋(北宋)開封や宋(南宋)臨安であるが、京都の面積は25㎢で、これはエジプトのアル=フスタート&カーヒラ(カイロ)やカンボジアのアンコール、金の中都(現、北京市)と並んでAランク都市の首座を分け合っており、世界的にも充分に巨大都市といいうる。それに対して、この時代には西ヨーロッパではまだまだ都市はこじんまりとしたものにとどまっているのである。
 それに、ひそかな悪だくみとして、この比較の中にはアメリカ大陸の古代都市をいくつか忍び込ませておいた。そそれは、「世界は中国と西欧だけではない」ということを示したかったのである。そもそも、1〜5世紀の世界においては、面積的には第1位都市は中国・魏(北魏)洛陽であるが、第2位都市はメソアメリカのテオティワカンである。これだけの巨大都市を造っているのにそれを扱わない、というのでは、比較都市史研究の名が泣くではないか!
 いささか冒険的で、妄想ともいわれかねない研究報告であったかもしれない。私自身、ここで選んだ50ヶ所の都市のうち、これまで自分の足で踏みしめたのは半数にすぎないから、とてもとてもエラそうなことを言えたものではない。しかし、あんまりこういう研究をやった人はないようなので、会場の皆さんの反応もわりあいに好意的であったような気がする。終了後は、高野川の近くの焼肉で、打ち上げ。

 12月16日(火) ウチのゼミの、卒論の第一次提出日。おおむね、提出が済む。

 12月17日(水) 卒論が済んだということで、四回生の忘年会。

 12月18日(木) 平安京・京都研究集会の準備会。次回は、京都近郊の中世の山城をテーマとすることが決まる(「山城(国)の山城」?)。

 12月19日(金) 今年最終の、(公財)古代学協会の『古代文化』編集委員会と、同協会の忘年会。東京から理事長もお越しいただいて、盛り上がる。

 12月23日(火) 22日に今年の授業の最終。23日は、鎌田久美子さんのご夫妻とともに会食。一年を振り返る。

2014.12.22

2014年11月、の巻

Img_0027(←日仏シンポジウム「フランスと日本における考古学・文化財とアイデンティティ」)

 なんと、2ヶ月近くも更新がとどこおってしまった。ブログを書いておかねば、また何かアクシデントがあったのかとご心配をかけてしまうかもしれないので、本来はこんなことは良くないのである。ただ、この秋はなんやかや用事が多かったため、こんなことになってしまった。ご心配いただいた皆さま、すみません。でも、元気にしてます。ご安心を。
 今からではちょっと遅きに失したとは思うのだが、いちおう、この2ヶ月にやったこと。まずは11月分。

 10月31日(金)・11月7日(金) 2週連続で、京都府舞鶴市行き。京都SKYセンター(主催)「京都SKYシニア大学」舞鶴会場(北部短期講座)、於舞鶴西総合会館。「戦国時代の京都(1)(2)」。(1)では戦国時代の室町幕府のくんずほぐれつの権力抗争の過程をなんとかわかりやすく解きほぐそうとしたのであるが、我ながらあんまりうまくいかず、受講生の皆さんには申し訳なかった。ただ、言い訳だけしておくと、応仁・文明の乱から明応の政変から信長上洛までの京都の政治抗争史、つまり足利将軍家の義成=義政と義視と義尚=義煕と義材=義尹=義稙と義遐=義高=義澄と義晴と義藤=義輝と義賢=義維=義冬と義栄と義秋=義昭(何度も改名するのは足利将軍家のお家芸だが、正直、こればっかりはカンベンしてほしいと思う(;へ:))、細川京兆家の政元と澄之と澄元と高国と晴元と氏綱、畠山家の義就と政長、三好家の元長と政長と長慶と義継と三好三人衆、等々々々エトセトラという曲者たちのスッタモンダをわかりやすく、なんてのはおよそ不可能に近いようにも思う。(2)ではそれを挽回すべく、信長の登場から上洛までを扱う。これはわかりやすいから、説明もしやすい。

 11月1日(土) 舞鶴から、京都を素通りして東京に直行。東京の日仏会館で、創立90周年記念日仏シンポジウム「フランスと日本における考古学・文化財とアイデンティティ」で報告をさせていただくことになったのである。「遺物にまつわる「歴史」を復元し、過去への追求を正当化する「考古学」の言説と、遺物・文化財を利用することによって「国民」とその「起源」について語る「博物館」の言説を中心に考察し、フランスと日本における比較的なパースペクティブを提示する」という意欲的な試みである。大阪大学の福永伸哉先生のご紹介によって私も末席に連なることができたのは、まことに光栄である。
 私の担当は、「パネル3」の「考古学と天皇陵」で、「天皇陵問題の現状と課題」。フランス国立東洋言語文化大学のフランソワ・マセ教授と同席させていただき、ディスカッサントは京都大学人文科学研究所の高木博志教授。司会は全体のコーディネイターのロラン・ネスプルス博士(フランス国立日本研究センター)。外国語との同時通訳というのでかなり緊張したし、準備作業も大変だったのだが、素晴らしい通訳の方にも助けられ、なんとかこなせたと思う。レセプションでは、さすがフランスというか、美味しい料理とワインの洪水。

 11月2日(日) 日仏シンポジウムの2日目に出席がかなわないという、後ろ髪を引かれる思いで京都に戻る。第29回平安京・京都研究集会「平安京の貴族邸宅」(於京都産業大学 むすびわざ館)。考古学の南孝雄さん(京都市埋蔵文化財研究所)、建築史の赤澤真理さん(同志社女子大学)、文献史学の吉野秋二さん(京都産業大学)に御登壇願い、進展著しい貴族邸宅論を闘わせてもらう。討論司会に予定していたYさんが、どうしてもはずせない公務がはいってしまって残念ながら欠席ということで、私が代役を努める。討論の共同司会は、建築史の登谷伸宏さん(京都橘大学)。

 11月4日(火) 先日の日仏シンポジウムでご一緒させていただいたパリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学のジャン=ポール・ドムール教授が大阪文化財研究所の主催で講演会をおこなわれるというので、出席させてもらう。フランスの埋蔵文化財行政の現状なんて、なかなか学ぶ機会がないので、ホント、勉強になる。通訳は「関西弁を操るフランス人考古学者」ことロラン・ネスプルス博士。今回の懇親会は純和風ということで、日本酒で乾杯。ドムール教授は京都のネスプルス博士のご自宅(偶然なのだが、わが家のすぐ近所)に泊まられるということで、帰洛を同道させていただけたのもまことに光栄。

 11月8日(土) 大阪の八尾市歴史民俗資料館で、寺内町の特別展覧会をやっているので、出かける。せっかくの八尾なので、最近関心を持っている称徳天皇の由義宮跡伝承地(弓削神社というのが2ヶ所にある)を訪ねる。それから、近畿地方中央部で最大の群集墳のひとつである高安千塚古墳群。もちろんすべてを見るわけにはいかないが、久しぶりに群集墳を堪能。前室と後室を持つという珍しい構造の二室塚古墳や、石室の奥壁が盗られてしまって石室がトンネル状になってしまったもの(その名も、「抜塚」)があり、驚愕。八尾市歴史民俗資料館では、館長以下、皆さんが突きっきりで説明していただき、恐縮する。ただ、寺内町の研究の最新成果に触れることができ、ありがたい限りである。夜は大阪に出て、道頓堀近くで酒杯。

 11月15日(土)・16日(日) 全国大学博物館学講座協議会西日本部会で、愛知県春日井市の中部大学行き。この大学には初めて行くのだが、充実した大学博物館を持っておられて、羨ましい限り。エクスカーションでは、犬山史料館、リトルワールド、博物館明治村を廻らせていただく。いうまでもなく後二者は、わが国を代表する「野外博物館」である。

 11月22日(土)・23日(日) 1617会の徳島例会。巡見では、阿波国最大の中世城郭である一宮城と、阿波の守護所である勝瑞城、そして徳島城の本丸を訪れることができる。一宮城や徳島城、山のてっぺんなので、ちゃんと登れるかなと心配したのであるが、なんとか制覇。私の身体を気づかっていただき、「荷物を持ちましょう」という御厚意に甘えてしまったのは、気恥ずかしくはあるがありがたい限りである(中西裕樹さん、川元奈々さん、ありがとうございましたm(_ _)m)。

 11月24日(月) 徳島での楽しい懇親会であったのだが、これも後ろ髪を引かれながら、授業があるので最終便で帰洛。ただ、午前の時間帯を使って、京都外国語大学でおこなわれたメソアメリカ考古学のシンポジウムに参加させていただく。若い日本人研究者があちらで活躍されていること、まことに御同慶のいたりである。特に、メキシコ国立自治大学の准教授となって最先端の研究をやっている嘉幡茂君、彼は学生の時に、日本考古学の発掘技術をきちんと身につけた上でメソアメリカをやるんだ、ということで、私の発掘現場に参加してくれていた。久しぶりに会って、健勝を讃えることができたのは嬉しい限りである。

11月29日(土) 京都でのさまざまなミニ・ガイドツアーをやっている「まいまい京都」に出講。「【嵯峨】考古学研究者とめぐる、幻の巨大都市・嵯峨~今も残る中世の都市計画!600年前の地図で嵯峨を歩く~」ということで、中世都市嵯峨の中央部を巡る。秋の観光シーズンの嵯峨は満員なのだが、皆さん熱心についてきてくださる。
 午後は、ウチの奥さんに引きずられるようにして、みやこメッセでの「日本酒条例サミット in 京都」に参加。要するに、全国の日本酒の蔵元が集まってくるので、それを目当ての聞き酒会に参加する、ということである。一軒一軒では少しづつでも、杯を重ねるとだいぶ呑んだことになるな。

2014.10.27

新潟県立歴史博物館と春日山城跡、の巻

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10月24日(金)〜26日(日)
 あわただしかったが、しかし充実した三日間。京都→名古屋→(東京経由)→新潟県長岡→新潟県上越→(北陸本戦・富山経由)→京都、と巡ったから、いわば、日本列島の太っ腹(?)をぐるりと一周したことになる。

 24日午前は、某放送局(NHK)の企画への協力を依頼され、京都市内某所(御土居)を案内。担当の方々がなかなか熱心で、好奇心旺盛にあちこちを見て回る。番組、うまくいくといいですね。

 いったん帰宅し、すぐに名古屋行きで、栄中日文化センターの「天皇陵古墳を考える」の講座。2年半前までは継続してやっていたのだが、私の突然の病気で中断してしまっていた。今回は満を持して(?)の再開である。「佐紀盾列の天皇陵古墳」を話す。最近、今尾文昭さんがこの古墳群についての要を得たすばらしい書物を公表されているし、それで学ばせてもらいながら今回再検討してみると、やっぱりいろいろ再発見がある。たとえば、佐紀陵山古墳(宮内庁治定の日葉酢媛命陵)の埋葬主体部の構造。よく知られているように、この古墳は大正時代に盗掘を受けて副葬品が顕わになった。この古墳の竪穴式石室については梅原末治氏の復元図がよく知られているのであるが、以前からこれはケッタイだな、と思っていた。石室の上に石棺の蓋そっくりの「屋根形石」というシロモノが載る、というのは、どう考えても納得がいかない。やはりこれは梅原先生の勇み足の可能性が高いと思う。

 それが終わって、すぐに東京回りで新潟県長岡市へ向かう。実は、私にとっては越後国というのはほとんど未知の世界だった。かなり以前、森浩一先生が主導されていた「糸魚川シンポジウム」というのに参加したことがあって、新潟県の糸魚川市には行ったことがある。しかし糸魚川は越後でも一番西端であるから、これだけではとてもとても越後を知っていると胸を張って言うわけにはいかなかった。それ以来、いつかはキチンと越後を旅してみたいと思っていたのであるが、機会を逃してばかりで今に至ったということなのである。

 今回の主目的は、新潟県立歴史博物館で開催されている「日本人類学の黎明-小金井良精資料を中心に-」(キャッチコピーは「ホネの学問 始まる」)を見せていただくことにある。日本近代の形質人類学の大物であった小金井良精博士(東京帝国大学教授)が越後国長岡の出身であることから、その遺品が長岡市に寄贈されている。それを中心として、明治・大正期の日本の人類学(考古学を含む)の歩みをたどってみようという展覧会である。
 そんなことがこの私になんの関係があるのか、と思われるかもしれないのであるが、実は、私はこの展覧会の協力者、もっと具体的にいうならば「出品者」なのである。私の所蔵資料の中に、東京帝国大学理科大学教授で植物学者の白井光太郎博士の自筆の葉書がある。白井博士は日本人類学の泰斗である坪井正五郎博士の親友であり、コロボックル論争を始めとする両者の丁々発止の名勝負は学史を飾っている。ところが、坪井博士がロシアで急逝したため、白井博士はそれを悼む和歌を詠んだ。これが記された葉書が私蔵のものなのである。これについては、だいぶ以前に史料紹介した(山田邦和「やがて帰らぬ君ぞ悲しき—白井光太郎博士の一書状—」〈『古代文化』第38巻第12号掲載、京都、古代学協会、1986年〉)。新潟県立歴史博物館の今回の展覧会の企画者の西田泰民学芸課長がこのことに注目してくださって、かたじけなくも博物館の展覧会の一角を飾るという光栄に浴することになったのである。
 25日(土)の朝、西田さんに長岡駅前のホテルまで迎えに来ていただいて、歴史博物館へと向かう。お忙しい西田さん、すぐに東京出張とのことで、寸暇を縫ってのお出迎えである。新潟県立歴史博物館は長岡市の郊外で、中心市街地からかなり離れたところにあるから、これは大変ありがたい。開館前であったが、特別のはからいで展示室の見学をさせてもらう。白井博士の葉書も、ケースの中にきちんと鎮座させてもらっている。西田さんのお心づかいに、感謝。
 それにしてもこの展覧会、すばらしい。はっきり言って展示品は手紙とかノートとかいった地味なものばかりである。正直なところ、普通のお客さんがこれを見たならば「???・・・」となるのではないだろうか。しかし、私のような者にとっては旱天の慈雨ともいうべきすばらしい内容である。一点一点の展示物が紡ぎ出す「物語」の凄さに、私は興奮を隠しきれなかった。近年の博物館は観客動員にばかりに目が行ってしまい、こういうマニアックな展覧会は敬遠される傾向にある。しかし、博物館たるもの、時にはこういう展覧会をやることも必要なのである! 偉い、偉いぞ、新潟県立歴史博物館! 

Img_0114(←春日山城本丸跡)

 新潟県立歴史博物館を見てからは、せっかく新潟まで来たのだから、もう一泊だけして、あちこちに寄ることにする。
 〔26日〕新潟県立歴史博物館→馬高遺跡・馬高縄文館→宝生寺(木喰観音が安置されているが、マンの悪いことにお寺の方がお留守で拝観はかなわなかった。残念!)—〈バス〉→長岡駅—〈バス〉→悠久山公園・蒼柴神社・長岡市立郷土史料館(お城ではないが、建物は城郭風建築)—〈バス〉→長岡駅—〈タクシー〉→長岡市立科学博物館—〈タクシー〉→長岡駅—〈鉄道〉→直江津駅、駅前のホテルで宿泊。
 〔26日〕ホテル→越後安国寺跡→御館跡(上杉景勝と景虎が謙信の跡目を争った「御館の乱」の舞台)—〈徒歩〉→直江津駅—〈バス〉→春日山の下→上越市立埋蔵文化財センター→春日山神社→春日山城跡→春日山神社宝物館→林泉寺→春日山城史跡広場(惣構土塁・監物堀)・春日山城跡ものがたり館—〈バス〉→高田市街、上越市立総合博物館→高田城跡(復元三重櫓)→高田市街地「SAKEまつり」→高田駅—〈鉄道〉→直江津駅→直江津市街地の「雁木」の町並み→直江津駅—〈JR信越本線・北陸本線・湖西線経由、富山駅乗り換え〉→京都。

 こうして見ると、我ながらよく頑張っていろんなところを歩いたと思う。わが国では、大都市圏以外では公共交通機関がどんどんと間引かれており、車がない者にとっては旅も一苦労である。とにかく歩き回ったので、すっかりと足が棒になってしまったぞ。

 この中でどうしても行きたかったところの筆頭は、上杉謙信・景勝の居城として知られる春日山城。1969年、NHKの大河ドラマで謙信を主人公とした「天と地と」が放送された。原作は海音寺潮五郎。謙信は石坂浩二、宿敵の武田信玄は高橋幸治で、どちらも迫真の名演技を見せていた。まだ小学生だった私はこのドラマを食い入るように見ていた。私の中世史への指向は、実はこの時に芽生えていたのかもしれない。その時から春日山城に行ってみたいと思っていたのであるが、今日までそのチャンスを逸していたのである。
 しかし、春日山城は比高150mの険しい山頂にある山城である。私の身体にとっては、坂を上がるのは大変に辛い。でも、またまたこの機会を逃してしまうならば、もう一生、春日山城に登ることはできないかもしれない。と、いうことで、私にとっては一大決心をして登ることを決めたのである。杖に頼りながらゆっくりゆっくりと登っていくのは他人様から見るといかにも危なっかしげに見えるだろうが、これはやむをえない。しかし、城跡自体はすばらしい。急峻な山肌に一直線に刻まれた竪堀の見事さなど、感動モノである。最高部の「天守閣跡」(「天守郭」と呼んだほうがいいかな)からの春日山城下、直江津、高田の市街地の遠望も見事そのものである。井戸郭には、こんな山の上なのに大きな素掘りの井戸。学生時代に参加した奈良市の多聞山城跡(松永久秀の居城)の発掘調査で、巨大な素掘り井戸を検出して驚愕したことを思い出す。

Img_0230(←高田城復元三重櫓)

 高田に移動して、巨大な堀が印象的な高田城跡。石垣を持たない土塁の城である。最近再建された天守代わりの三重櫓、あちこちによくある「怪しい城」の仲間なのかと思っていたら(失礼!)、そうではなくってきちんと考証された結果の復元なのだという。白と黒に塗られた壁と装飾性の豊かな屋根のコントラストが美しい。高田の町では、たまたま「SAKE祭り」というのにでくわす。商店街を歩行者天国にして、千円払えば地元のお酒のいろいろが試飲し放題というありがたい企画であり、ついつい参加してしまう。

 夕御飯は、富山の乗り換えで名産の「ます寿司」の駅弁。以前、富山に良く来ていたときには、毎度のようにこれを食べていたな。故・森浩一先生が「ます寿司こそは日本海文化の精髄の凝縮だな」といいながら舌鼓を打っておられた姿を思い出す。

2014.10.13

2014年9月後半にやったこと、の巻

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(↑ 徳島城跡)

 しばらく間が空いてしまった。日記の、取り返し。

 9月13日(土)・14日(日)
 仁木宏さん主宰の「城下町科研」の「徳島研究集会準備 第2回・事前検討会・現地見学会」に行く。徳島も久しぶりである。土曜日は徳島の巡見。多忙を極めていて最後まで参加できるかどうかわからなったY村A希さんも駆けつけられて、御同慶のいたり。近世の徳島城下町をじっくりと巡る。瀟洒な徳島市立徳島城博物館も、見学することができる。夜は地元の研究者の方々と宴会。日曜日は、徳島大学を会場として研究会の準備会。徳島を初めとして、四国の城下町を学ぶ。

 9月16日(火)
 学生のグループの付き添いで、久しぶりの鞍馬山・貴船神社。山越え、なんとかできた(o^-^o)。

 9月19日(金)
 古代学協会の「古代学講座」の「京都学講座 平安京研究の方法2」を終えて、すぐに東京行き。JR東海生涯学習財団の「講座 歴史の歩き方」で、第68回「闇夜を照らす『法華経』—日本人の法華信仰と京都」。仏教評論家として著名なひろさちや先生と同席させていただく。会場のよみうりホールは、千人も入る大会場。私の演題は、「戦国期京都と法華寺院」。この時のために、京都の法華宗の本山を改めて巡回してみて準備を進めていた。
 主催者の御厚意で、お泊まりは帝国ホテル。こんな高級ホテル、こういう機会でもないと宿泊することはないのである。翌日は横浜で所用。横浜市歴史博物館、大塚・歳勝土遺跡を見て、新横浜ラーメン博物館でお腹を整え、帰洛。

 9月22日(月)
 京都市文化財学習研修施設指定管理者選定委員会

 9月26日(金)
 午前は、(公財)京のふるさと産品協会の「ブランド審査委員会」。
 午後は、佛教大学で「森浩一研究会」。

 9月27日(土)
 96歳になった伯父・山田晃の誕生日のお祝い会。いつまでもお元気で。

【しゃべったこと】
■山田邦和(講演)「戦国期京都と法華寺院」(JR東海生涯学習財団〈主催〉、ジェイアール東海エージェンシー〈企画・運営〉「講座 歴史の歩き方—日本を見つける知の探訪—」第68回「闇夜を照らす『法華経』—日本人の法華信仰と京都」、於よみうりホール〈東京都千代田区〉、2014年9月19日)
■山田邦和(報告)「前近代日本における複都制と王権の移動」(鷹陵史学会〈主催〉「鷹陵史学会第23回年次研究大会」公開シンポジウム「動く王権と都市空間―前近代東アジアの権力と都市―」、於佛教大学紫野キャンパス、2014年10月4日)
■貝英幸(司会)、佐古愛己・山田邦和・渡邊信一郎(パネラー)「パネルディスカッション」(鷹陵史学会〈主催〉「鷹陵史学会第23回年次研究大会」公開シンポジウム「動く王権と都市空間―前近代東アジアの権力と都市―」、於佛教大学紫野キャンパス、2014年10月4日)

2014.09.30

京都国立博物館新館開館、の巻

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 9月12日(金)
 午前は、朝日カルチャーセンター京都の巡見で、山科本願寺を歩く。
 
 午後、京都国立博物館の「平成知新館」の開館式にご招待いただいたので、ありがたく出席させていただく。つまりこれは、京都国立博物館の平常展示のための建物である(特別展覧会のためには、「明治古都館」と名付けられたかつての本館、つまり赤煉瓦の重要文化財の建物がある)。この建物の新築のために、以前の平常展示館を壊して工事がおこなわれていたから、その間、京都国立博物館の平常展示を見ることができなかった。特別展覧会をやっていない時期には、国立博物館の「本日は休館です」が続いていたのである。その点では、待ちに待った再オープンだということになる。
 お向かいのホテル・ハイアットリージェンシーでの式典のあと、新しい建物の前でテープカット。館長、市長、知事、文化庁長官といったお歴々とともに、「京都国立博物館広報大使」の藤原紀香さんと、「京都国立博物館文化大使」の井浦新さんがその任にあたられる。なお、その後のレセプションでの対談を聞いていると、井浦さんの日本美術に対する造詣は大したものである。ステキな俳優さんだな。藤原さんも、子供の頃の夢だったのは「将来、考古学者の助手になること」だったというから面白い。
 新しい建物、さすがに気持ちがいい。ゆっくりと見れるような配慮にも事欠かない。すばらしいのは一階中央の彫刻展示コーナー。吹き抜けで、照明を落とした荘厳な雰囲気の中で、巨大な仏像との対話が楽しめる。ただ、一階ロビーのミュージアムショップはもうちょっと大きくしておいてもいいんじゃないだろうか。
 ともあれ、すばらしい博物館ができた。これからは気兼ねなく、しばしば訪れさせてもらうことにしたいと思う。

2014.09.12

中世都市研究会益田大会、の巻

Img_0135(島根県益田市「三宅御土居」遺跡の土塁)

 9月6日(土)・7日(日)
 2014年度中世都市研究会益田大会。島根県益田市での開催である。

 実は、石見国(島根県西部地域)に出かけるのは始めてである。失礼ながら、なんだかとっても僻遠の地のような気がしていて、これまでなかなか足が向かなかったのである。こういうところで研究会があると、背中を押してもらったようなもので、やっと腰をあげる気になる。

 しかし、朝一番に出発しても、どうしても到着は昼になる。それなら、ということで9月5日(金)に前泊することにした。益田の手前には津和野がある。津和野というと、祇園祭の「鷺舞」が京都で絶えた後にもずっと伝承されてきた土地として知られている。じゃあ、津和野に寄ってから益田にはいることにしよう。
 津和野は山間の盆地の小さな小さな町。駅について、どうやって見て回ろうかと案じていたところ、駅前のお土産物屋さんに大きく「貸し自転車」の表示。3時間500円という格安である。これはありがたい。綺麗に整備された津和野の城下町を突き抜けて、津和野城跡をめざす。
 津和野城は市街地を見下ろす山頂の山城である。これもありがたいことに、山腹から山頂近くまで上がるための観光リフトがある。そう、スキー場とかによくある、ひとり乗りのリフトである。私はこんなのが大好き。ついワクワクしてしまう。
 津和野城跡は、山頂の細い尾根筋に長細く横たわっている。中世の山城を近世初頭に大々的に改造して、石垣作りの立派なつくりにした。城跡からは津和野の城下町が、まるで箱庭のように広がっているのが見える。
 ただ、奇妙なのは「天守台」とされているものの位置。「本丸」にあたる「三十間長屋」という郭の背後の、一段低いところに立派な石垣が築かれ、ここに三層天守が存在したといわれているのである。でも、これは本当だろうか? こんなところに天守を建てても、城下町からは「三十間長屋」郭に阻まれてまったく遠望することはできないだろう。また、石垣が立派なのは良いとしても、三層天守にしては面積が広すぎる。ひとつの郭に匹敵する規模といわねばなるまい。このあたり、これが本当に天守台かどうか含めて、再検討の余地があるように思う。

 津和野ではまだまだ名残惜しかったが、JR山口線は本数が少なく、一本逃してしまうと1時間以上待たねばならないことになる。と、いうことで、津和野に別れを告げて益田に向かう。

 益田では、駅直結のホテルが満杯でとれなかったので、いろいろと探しまわって、駅から500mほどいったところの小さな旅館に宿をとることにした。親切な御主人と奥様のふたりでやっておられるアットホームな宿である。

Img_0091_3
 6日、9時に集合して、益田の城下町の巡見に参加。マイクロバスを出していただけたのがありがたい。以前から行きたいと念願していたのは益田氏城館跡・三宅御土居遺跡。戦国期の益田氏の城館である。敷地の中にあったお寺は移転して、史跡公園化が進められている。墓地も移転しており、土塁の上にお墓の土台だけが連なっているのにびっくり。ただ、この遺跡を「三宅御土居跡」と呼んでいるのはいかがなものか。「三宅御土居遺跡(益田氏城館跡)」と呼ぶべきだと思う。
 中世益田の港湾遺跡である沖手遺跡、中須東原遺跡、今市遺跡を回らせてもらう。中須東原遺跡は、早々と国指定史跡となって土地の公有化が進められている。すばらしいことである。

 中須東原遺跡の東側、日本海を望む高台に、延喜式内社の「櫛代賀姫神社」がある。本殿は明和2(1765)年の再建で国登録有形文化財になっている。ここでびっくりしたのは、本殿の前に据えられているおおきな一対の石造花生。なんの気無しに見てみると、台座に「布哇馬哇嶋 広瀬伝吉 / 昭和十二年十二月」という銘(写真)が刻まれていたのである! 若い人にはここに見られる「布哇馬哇嶋」という文字が読めない方もいるかもしれず、そうした方にとってはこれはいったいなんのことなのかわからないかもしれないな。実はこれ、ハワイのマウイ島の漢字表記である。つまり、昭和12年にハワイ・マウイ島に在住していた日本人が寄贈されたということになる。推察するに、益田の出身者で、明治か大正頃にハワイに移民に行った人がいて、そこで成功したため、故郷の神社に報恩のための寄進をした、ということだと見てまちがいないだろう。
 なお、帰洛してから、たまたま奈良に行く用事があり、久しぶりに天理大学附属天理参考館を見学した。すると、展示の中に戦前の日本人移民コーナーがあって、そこに、昭和16年の太平洋戦争開戦とともに敵国人としてアメリカ本土の収容所送りになってしまった日本人ハワイ移民のことが紹介されていた。眺めていると、布哇(ハワイ)ワイルクの「広瀬幸助」という人物が混じっていて、びっくり。ワイルクはマウイ島の中心都市ですから、この「広瀬幸助」という人、益田の「広瀬伝吉」と関係のある人かもしれない。面白いな。課題はどんどん広がっていくぞ。

 土曜午後と日曜午前は、みっちりとシンポジウム。地元の皆さんのそれぞれの視点の報告は、私にとっては蒙を開かれることばかりである。それに、山村亜希さんの「中世石見益田の景観」が、いつもながらの快刀乱麻。小島道裕さんの「戦国・織豊期城下町研究から見た石見益田」もさすがの貫禄。土曜の夜には楽しい懇親会。大いに意見交換で盛りあがる。そのあとは、どういうわけか佐賀大学の宮武正登教授と山村さんと私の3人という珍しい組み合わせでの二次会、夜が更けるまでの談論風発が続く。

 益田の歴史については素人ながら、報告を聞いていてちょっと感じたこと。中世の益田の研究が益田氏だけに収斂しすぎているのではないだろうか。もちろん、益田氏が中世の益田の最大勢力であり、戦国期にはこの附近の覇者であったことにまちがいはない。ただ、かといって強力な一国全域の支配者が存在しなかった石見のような国で、最終的な勝利者の視点からだけ見るのはいかがなものかな、という気がするのである。なぜこんなことをいうかというと、私の前職場である花園大学が「俣賀家<またがけ>文書」というのを所蔵している。この俣賀家という家、鎌倉時代に遠江国からやってきて石見に土着した御家人で、南北朝・室町前期にいたるまで独立したひとつの地方豪族として勢力を保っていた。応仁の乱くらいから益田氏が台頭するにしたがってその勢力下にはいり、最終的には益田氏の被官になったようではあるが、逆にいうと、中世前期の石見西部地域を考えるには、益田氏だけでなく、こうした連中も考慮にいれておかねばならないと思う。

 シンポジウム終了後、すぐに帰るのは惜しいので、益田をもうちょっと見ることにする。宿の主人からの情報で、駅前の観光協会が貸し自転車をやっているという。行ってみると、さらに、電動アシスト自転車があるというありがたさである。身体のことを考えて、七尾城(益田氏の城)跡制覇をあきらめたのはちょっと残念だったが、時間の許す限り走り回る。無理かなと思ったのだが、思い切って、市の北郊のスクモ塚古墳まで足をのばすことができた。石見最大の前方後円墳という説と、大きな造り出し付き円墳と小さな方墳が並んでいるという説があるのだが、現状で見るかぎり、前方後円墳で良いと思う。

2014.09.01

青木博彦『大文字古記録の研究』、の巻

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 「大文字 五山の送り火」、毎年、お盆に私たちがながめている京の年中行事である。この行事じたいは知らない人はいないであろうが、実は、これにはまだまだ謎が多い。「大文字」の本格的な研究といったものも、ほとんどないいってよいのである。
 ところが、今回、このテーマにチャレンジしたすばらしい本がでた。青木博彦『大文字古記録の研究』(京都、百科書林、2014年)である。近世の地誌や文書をていねいにあたっていって、大文字の実像に少しでも迫ろうとしている。今は大文字の点灯は午後8時だが、かつてはそれよりも早くて日没直後の午後7時だなんて、まったく考えもしなかった。学ぶところ大である。この書の出版のことは、京都新聞にもとりあげられている。『京都新聞』【2014年08月15日 22時24分】「江戸時代の “大文字”は日没直後? 京都の送り火で新説」

 京都の歴史と文化に関心を持つ人々に、ぜひ推薦したい。ただ、部数が限られているらしいので、すぐになくなるかもしれない。申し込みは、発売所の北斗書房のウェブサイトへどうぞ。

2014.08.25

新・清須会議、の巻

Photo(← 犬山城天守<西から>。南から見るのが「正面」なのだが、西から見るとまた違った風情にみえる)

 8月22日(金)〜24日(日)
 「守護所シンポジウム2@清須/新・清須会議」。つまり「2004年8月に開催された守護所シンポ@岐阜から10周年になる 2014年8月23日(土) ・24日(日)、愛知県清須市にて、守護所シンポ2(新・清須会議)を開催します。同シンポでは、守護所・戦国期城下町の調査・研究事例を全国からもちより、16世紀の城下町研究の集大成を目指しています」という研究会。この日の本番をめざして、2年ほど前から何回も何回もプレ・シンポジウムや遺跡巡見が積み重ねられてきており、私もできるだけ参加させていただいていた。とにかく、現地を踏みながら学べるというのが何よりの魅力である。

 前泊することにして、金曜日に名古屋入り。そこから、犬山城と城下町の見学にでかける。子供の時に来た以来だから、ほとんど初めてに近い。犬山城々下町は、本町通を中心にして地域起こしが進んでいて、なかなかに楽しい。一軒のお土産物屋さんでは、城郭研究の基本史料のひとつである山縣大貳の『主図合結記<しゅずごうけつき>』の精密な復刻版を入手することができる。これは思わぬ掘り出し物だぞ(o^-^o)。それから、岩田義一(夢楽童)さんという画家がお店を出しておられる。当世では珍しくなった肉筆の絵馬の専門家。前から欲しかった「乳絞り」絵馬があったので、分けてもらう。

 犬山城の下まで来た頃に、雲行きが怪しくなる。これはヤバい、と思ってあわてて天守に昇る。さすがに現存最古級の城郭建築で、見応えは抜群。最上階からの木曽川の展望もバツグンである。周りを眺めると、ちょうど岐阜のあたりに真っ黒い雲がかかって、大雨の様子。雷も光っている。なんだか自分も戦国の武将のひとりとなって、金華山方面の合戦を眺めているような気分になる。それにしても風が強い。あおられて天守最上階から落ちでもしたら目もあてられないことになるな(笑)。

 土曜日・日曜日はシンポジウムの本番。午前中には愛知県埋蔵文化財センターで清須城下町の発掘にずっとたずさわっておられるS木M貴さんのご案内で、清須城下町跡の巡見。現在見ている「清須古城跡」などの遺構は、実は信長の段階ではなく息子の信雄の時の大改修の産物であることを学ぶ。

 シンポジウムで驚いたのは、豪華絢爛な資料集。300数十頁、オールカラーという大冊である。こんなにリキのはいった資料集、そうそうお目にはかかれないぞ。しかも、これが無料配布というのであるから(仁木宏さんの科研費のおかげ)、もはやそちらに足を向けては寝られないのである。もちろん本番のシンポジウムも充実した内容。討論では、司会の仁木さんから御指名いただいたので、ひとことだけ発言をさせてもらうことができた。

 終了後、すぐに帰ろうかと思ったのだが、Y村A希さんから清須城下町の南端の虎口の話などを聞いていたので、急にその跡を見たくなった。次に来るといっても何時になるかわからないからな。そちらをめざして歩き始めたのだが、地図とにらめっこしながらではあるのだが、なにせ土地勘のないところであるから、ややもすると道に迷ってしまう。困惑顔でウロウロしていると、同じ方向を目指していたY村さんとバッタリ、一緒に回らせてもらえることになった。Y村さんというと、今や押しも押されぬ歴史地理学の中世都市史研究のトップランナーのおひとりなのだから、これは実にありがたい僥倖なのである。と、いうことで、前日の巡見と併せて、清須城下町の大半の部分をひととおり見ることができた。
 名鉄の「丸の内駅」という、名前は壮大だが(?)小さな小さな駅で乗車。名古屋駅から帰洛の途につく。

2014.08.11

2014年7〜8月の記録、の巻

Img_0131(←六道参り。マックにとっては初盆。水塔婆を供えて魂を迎える。)
 近畿地方の西部を南北に縦断した台風11号。ヒヤヒヤしていたし、京都市内でもかなりの雨だった。烏丸通もかなり水浸しで、通る車が盛大に水しぶきを跳ね上げていた。鴨川や桂川も懸念される状態になっていたが、なんとか持ちこたえたとのこと。ただし、八幡市と城陽市のあいだの木津川にかかる「上津屋の流れ橋」は、昨年に引き続き、また流れてしまったらしい。残念である。

 7月18日(金) (公財)古代学協会の「古代学講座」と、「古代文化」編集委員会。

 7月21日(月) 京都タワーホテルで、森浩一先生を偲ぶ会。同志社の卒業生が全国から集まり、久しくお目にかかっていなかった方々とも会えて、ちょっとした同窓会のよう。

 7月22日(火) 祇園祭(後祭)の宵山にでかけ、妻・母とともに町屋で食事。

 7月23日(水) 「森浩一研究会」。何をやっているかは、おいおい明らかにしていきます。

 7月24日(木) 3回生のゼミを校外学習に振り替えて、祇園祭山鉾巡行の後祭の見学。

 7月25日(金) 「京都市文化財学習研修施設指定管理者選定委員会」委員を委嘱されたので、その第1回の会議。
 夜は、大阪市立大学文化交流センター(大阪駅前第2ビル6階)で、第18回関西比較中世都市研究会に出席。報告は渡辺健哉さん(東北大学大学院文学研究科専門研究員)の「移動する大カーン――大都と上都とその間」。これまでの我が国の研究の大勢では、元帝国(大元ウルス)を中国史としてしかみてこなかったと思うのであるが、モンゴル史を含む全アジア史的な立場からの研究で、学ぶところが多い。ところで私はといえば、仁木宏さんからの御指名で、それへのコメント役。とはいっても元帝国についてはまったく無知なので、「移動首都」についての乏しい知識を総動員してのコメントとなる。カール大帝のフランク王国の王宮の移動も改めて地図上に落としてみるなど、自分にも勉強になった。とはいっても、カダフィ体制樹立以前のリビア連合王国から同体制の初期にかけて、リビアの首都はトリポリとベンガジを巡回していたなんてこと、私にとっては子供の頃のリアルタイムの知識だったのだが、若い参加者の方々はあたりまえながらリアルでは知らなかったみたい。

 7月26日(土) 「まいまい京都」で、日本酒の飲み比べ会。

 7月28日(月) ウチの奥さんにひっぱっていかれて、京都ブライトンホテルで、元祇園の芸妓さんというかわった経歴をもつシンガーのMAKOTOさんの「JAZZ Night in BRAIGHTON !!~ディナーショー~」。感動。

 8月1日(金) 同志社女子大学の有志で続けてきた「新島八重研究会」、いちおうの中締めということで、学長先生肝いりで祇園でお疲れさま会を開いていただく。

 8月3日(日) 大学のオープンキャンパス。学科紹介、ミニ講義「史跡が語る京都の歴史」、体験型講座「博物館資料から学ぶ京都の歴史と文化」を担当する。
 夜は京都市内に戻ってきて、山中章博士を呼び出してのミニ飲み会。

 8月5日(火) 大阪歴史博物館の「難波宮展」、ぼやぼやして見過ごしてしまうと困るので、でかけていくことにする。しかし、博物館の前まで行ってみて仰天。大阪歴史博物館の休館日は月曜日だと思い込んでいたのだが、事実は火曜日なんだな! あれま。でも、これは仕方ないので、久しぶりの大阪城天守閣の見学に切り替える。このごろ、あらためて秀吉の時代の京都を考え直しているので、参考になる。城内にある「石山本願寺推定地」の石碑も、山科本願寺とのかかわりから興味深い。暑い中での見学の後には、めずらしくJR学研都市線に乗車して大学に出勤とあいなる。 

 8月6日(水)〜7日(木) 3回生のゼミ合宿。いろいろまよった末に、伊勢志摩ということになった。斎宮跡のいつきの宮歴史体験館では、学生たちが貴族の着物の試着や平安時代のゲームに熱中。斎宮歴史博物館でE村H之さんがご不在でお会いできなかったのは残念。伊勢神宮では遷宮の終わったあとの綺麗な社殿にお詣り。外宮で、前の正殿の解体工事をやっているところが垣間見えたのは僥倖。新設された「せんぐう館」も初めて行ったのだが、充実した博物館ぶりに驚く。

 8月8日(金) 朝日カルチャーセンター出講。午後は六道詣。マックの初盆ということで、祈りを捧げながら迎え鐘をつき、魂をむかえる。
 夜、T橋M明先生を囲んでN村T生さんの研究室でやっている内輪の小さな研究会の「林屋辰三郎氏の『京都』を読む会」。報告担当がまわってきたのであるが、当初考えていた内容を急遽変えて、「建春門院陵の再検討—それでも建春門院陵はもと後白河院陵だった—」を話す。以前からキチンとまとめねばならないと思っていた内容なのだが、途中で病気と療養が挟まってしまい、そのままズルズルとなっていた。今回、とある事情があって、やっぱり建春門院平滋子サマのファン(!)の私としてはちゃんと自分の考えを述べておかなくてはならないと思うようになった。改めて「玉葉」の記事をよく読んでみることができたのは収穫である。T橋先生やN村さんの反応が気になったのであるが、好意あるご意見をいただくことができ、まずは成功。

 【しゃべったこと】
□山田邦和(報告)「聚楽第復元研究の再検討」(「前近代都市論研究会」例会、於同志社女子大学今出川キャンパス栄光館、2014年7月6日)。
□山田邦和(報告)「車、くるま、クルマ—車に関する小ネタ集—」(科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究-『新・輿車図考』の構築を目指して-」〈研究課題番号24520764〉研究会、於長岡京市中央生涯学習センター、2014年7月12日)。
□山田邦和(コメント)「渡辺健哉『移動する大カーン――大都と上都とその間』へのコメント」(第18回関西比較中世都市研究会、於大阪市立大学文化交流センター、2014年7月25日)。
□山田邦和(報告)「建春門院陵の再検討—それでも建春門院陵はもと後白河院陵だった—」(「林屋辰三郎氏の『京都』を読む会」、於中村武生歴史地理研究室、2014年8月8日)。

【社会活動】
◎京都市文化財学習研修施設指定管理者選定委員会委員(2014年7月25日〜2015年7月25日)

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