2018.06.07

明日から中国

 明日の6月8日(金)から12日(火)まで、5日間だけではありますが、中国(北京)にでかけます。中国人民大学の牛润珍教授が主催される共同研究「中世紀東アジア都城研究国際学術会議」に誘っていただきました。2012年に大病をして以来、海外旅行はずっと自粛してきたのですが、「解禁」ということになります。それでは、行ってきます。

2018.05.07

今城塚古墳ほか、の巻

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 5月5日(土)
 この連休は、めずらしく、予定が詰まっているということにはならなかった。まあ、たまには骨休めの時間があってもよい。
 ただ、行っておかねばならないところはある。ということで、大阪府高槻市行き。

 高槻市駅で降りたが、バスの時刻まではかなり時間があるので、反対側に歩いて、普門寺を訪ねることにする。いうまでもなく、足利義栄が陣所とし、ここで征夷大将軍の宣下を受けて室町幕府の15代(14人目)将軍となったものの、ついに上洛を果たせずに終わったという史跡である。どういうわけか、いままで行ったことがなかった。ただ、拝観は予約制で午後限定ということで、門がしまっていたのは残念。
 そのまま今城塚に向かおうと駅に向かうと、途中に酒蔵の販売店があって、地酒の試飲ができるという。ついフラフラと誘いにのってしまう。濃厚で、なかなかの銘酒。帰りに求めることにする。

 バスに乗って、おめあての今城塚古代歴史館の特別展「古代の日本海文化‐太邇波の古墳時代‐」。5月13日までなので、今、行っておかねば、絶対に見逃すことになる。京都府北部の最新の古墳時代研究の精華を学ばせてもらう。そのあとは、今城塚古墳を散策。

 知らなかったのだが、お隣の茨木市文化財資料館では、企画展として「太田茶臼山古墳と古市古墳群」をやっているという。やはりこの機会を逃さない方がよいだろう。阪急で南茨木駅まで行って、文化財資料館を訪れる。展示は小さいが、これも古市古墳群の新しい情報を得ることができる。さらに、受付で、茨木の「隠れキリシタン」関係の図録などを買い込む。

 高槻に戻って、今度は高槻市立しろあと歴史館。これも5月13日までで、「樫田―丹波の山村と仏像・信仰―」展。樫田は高槻市最北端の山間部の村だが、実はここは摂津国ではなく丹波国。江戸時代には丹波の亀山藩領で、昭和33年までは京都府だった。ただ、京都府亀岡市まではかなり遠く、住民の生活は高槻とのつながりが深かった。ということで、当時としては珍しい府境を超えた合併がおこなわれ、京都府から切り離されて大阪府高槻市に編入されたところである。平安前期の仏像などが大切に守り続けられていたことを知る。

2018.05.02

考古学研究会2018年度大会、の巻

Img_4584(←岡山大学考古学資料展示室)

 4月21日(土)22日(日)
 岡山大学での、考古学研究会の第64回(2018年度)大会に出かける。
 考古学研究会、いうまでもなく、わが国を代表する考古学の学会のひとつであり、学術雑誌『考古学研究』を出し続けている。私がこの学会に入会したのは大学の学部2回生の時だから、会員歴はほとんど40年にわたっているということになる。ところが、会員歴はこれだけ長いのに、どういうわけか、これまで大会に参加したことがなかった。毎年四月という、新年度はじまったばかりのちょっとバタバタしている時期だからということもあり、いままで足を伸ばせなかったのである。
 でも、やはりちょっと反省。会員なのだから、大会に出席する権利は充分に持っている。今年の大会テーマは「権力とは何か-祭祀・儀礼と戦争から考える-」というなかなか魅惑的なものだから、やはり参加して勉強させてもらうことにしよう、ということで、出かけていったのである。
 岡山大学も、考古学研究室の新泉納教授や清家章教授にはこれまでもいろいろ良くしていただいてきたのであるが、大学自体には足を踏み入れるのは初めてである。考古学資料展示室の見学の時間も設けられている。そんなに規模は大きくないけれども、充実した内容の展示は羨ましい限りである。
 大会では、アンデス、ハワイ、縄文、弥生、古墳、そして飛鳥・奈良という広分野にわたっての研究発表が続く。関雄二氏のアンデスは学ぶところ大。ハワイをやられた後藤明先生(南山大学教授)は、元同志社女子大学教授で、私が同女に入る時にお世話になり、仕事をご一緒させていただくのを楽しみにしていたのであるが、私と入れ違いで同志社女子から転出された。久しぶりにお目にかかり、視野を広げさせてもらう。
 懇親会も大いに楽しませてもらい、さらに、例によっての二次会。これも例によって、ちょっと飲み過ぎ。
 知らなかったのだが、閉会にあたって、会場から「コメント」をもらうことが恒例になっているとのことで、どういうわけか私が指名を受ける。ただただ謝意を表するのみ。
 良い会でした。いままで参加しなかったのが悔やまれる。これからは、できるだけ毎年でかけることにしよう。

 追記:
 岡山大学考古学研究室を長く率いてこられた新納泉先生、昨年度で定年を迎えられ、今年度からは特任教授となられたという。もちろん、これからも精力的な活動を続けられるのであろうが、定年という一応の区切りを自祝してエッセイ集「蜻蛉遊記」を自費出版されたとのことで、同書をちょうだいすることができた。すばらしく瑞々しい感性があふれる端正なエッセイの数々、特に、イギリス、アイルランドでの(失敗譚も含めた)軽妙な語り口の体験談に魅了される。

2018.03.28

まもなく新年度、の巻

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(桜景色の平安宮大極殿跡碑)

卒業式が終わり、春がきて桜景色。まもなく新年度がはじまる。

【書いたもの】
■『京都・平泉・首里―都市と宗教・信仰―』高橋康夫・伊ケ崎鷹彦(編)、髙橋康夫・山田邦和・冨島義幸・伊ケ崎鷹彦(著)(「2015年度~2017年度科学研究費補助金 基盤研究(B) 研究課題番号15H04110 研究成果報告書」、京都、ユーラシアのなかの日本中世都市研究会(髙橋康夫〈研究代表者〉)、2018年3月16日)全370頁
~◇山田邦和(著)「世界のなかのアジア古代都市」4~8頁
~◇山田邦和(著)「平安京・京都と天皇陵―葬制の変遷と『天皇陵空間』―」15~96頁

【しゃべったこと】
○「考古学的遺跡・遺物からみた南山城の歴史―恭仁京復元への試み―」山田邦和(報告)
(京都府立京都学・歴彩館「南山城の文化資源共同研究会中間報告会」、京都、同館京都学研究室、2018年1月6日
○「中世都市としての天橋立」山田邦和(講演)
(京都府、宮津市、伊根町、与謝野町、天橋立を世界遺産にする会(主催)「天橋立世界遺産講演会」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2018年2月4日)
○「豊臣秀吉の政権構想と京都」山田邦和(講演)
(京都商工会議所(主催)「京都検定講演会『信長・秀吉と京都(2)』」、京都、京都商工会議所、2018年2月10日)
○「『鎌倉との比較』から見た'中世の嵯峨’」山田邦和(講演)
(NPO法人さらんネット(主催)「第15回文化講演会」、京都、ひと・まち交流館 京都、2018年2月17日)
○「中世京都の都市構造」山田邦和(講演)
(京都市生涯学習総合センター・京都市生涯学習振興財団(主催)「アスニーセミナー(京都市平安京創生館関連講座)」、京都、京都アスニー、2018年3月2日)
◯「大会報告『都市の荘厳―幢幡を立てる儀礼をめぐって―』質疑・討論」舘野和己・山田邦和(座長)、志村佳名子・大澤正吾・海野聡(パネラー)
(条里制・古代都市研究会「第34回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2018年3月3日)

2018.02.25

四条塚山古墳(治定綏靖天皇陵)、の巻

 Img_0772←山田蔵本『文化山陵図』にみる四条塚山古墳(現在の治定神武天皇陵)

 2月23日(金)
 「陵墓関係16学・協会」による、「陵墓立ち入り調査」。今年度の対象は奈良県橿原市の四条塚山古墳(宮内庁治定の綏靖天皇桃花鳥田丘上陵<つきだのおかのえのみささぎ>)。

 整理しておくと、初代天皇である神武天皇の陵については、洞の丸山、四条塚山、山本ミサンザイの三説が拮抗していた。元禄の修陵で神武天皇陵とされたのは四条塚山であったが、その後には本居宣長らによる洞丸山説が勃興、そちらに決まりかけたかと思ったのであるが、幕末に谷森善臣による山本ミサンザイ説が急迫する。結局、孝明天皇の勅裁を得て山本ミサンザイに決定、宇都宮藩の「文久の修陵」によってそれを整備したのが現在の神武天皇陵なのである。そして、神武天皇陵争いに敗れた(?)四条塚山は第2代の綏靖天皇陵に治定替え、また洞丸山は神武天皇陵の付属地に編入され、さらには洞丸山の麓に広がっていた洞村は紆余曲折のあげくに村ごと移転した、ということになる。つまり、今回の四条塚山古墳は、もとの「神武天皇陵」だということになるのである。

 本体の四条塚山の見学に先立って、10時に近鉄畝傍御陵前駅に集合し、大正時代まで存在していた洞村<ほらむら>の跡の見学。この場所は宮内庁治定の神武天皇陵の陵域(畝傍御陵地)に含まれていて立ち入りには宮内庁の許可が必要なため、私も入ったことがなかった。ただ、宮内庁の方針により、今回は洞丸山のところまでの見学は許可外となったのはいささか残念。

 昼休みを利用して、橿原市の「大久保まちづくり館」を見学。来たい来たいと思っていたのだが、今までその機会を逃していた。大正の姿を残す大規模な住宅建築を保存しており、内部には模型やパネルによって洞村の移転とそれによって成立した(新)大久保村の歴史がわかりやすく展示されている。ちょっと嬉しいのは、この展示の中でパネルに使われている神武天皇陵の絵図の写真のうち、2枚は私の所蔵品であること。お役にたてて何よりである。
 まちづくり館で教えてもらって、昼食はその近くの大衆食堂「ほていや」。小さな店であるがメニューが豊富で、昼のお弁当定食はいずれも550円というリーズナブルさ。

 午後、いよいよ本番の四条塚山古墳の立ち入り。まずは拝所にたっている石灯籠(福尾正彦「綏靖天皇陵前東側所在の石灯籠について」〈高木博志・山田邦和編『歴史のなかの天皇陵』所収、京都、思文閣出版、2010年〉、参照)の観察。そして墳丘のところによっていく。ただ、今回はどういうわけか墳丘の間近まで寄ることが許されなかったので細部の観察ができなかったのは遺憾であるが、古墳であることは間違いない。ただ、従来、測量図から測定していたよりもかなり規模は小さくなると思う。このあたりは、見学終了後に橿原市万葉ホールの講座室をお借りしておこなった検討会でも議論となった。

 最後は、例によっての有志で八木駅前に移動しての呑み会。ここでも濃い議論が続く。

2018.02.22

沖縄旅行、の巻

 2月18日(日)~20日(火)
 沖縄行き。今回は完全に、沖縄の御嶽・拝所めぐりに熱を入れている妻のお供で、友人に会う時間さえとれないという強行軍。
 普天間宮と神宮寺。浜比嘉島で御嶽・拝所めぐり、同島で宿泊。今帰仁まで行って、「源為朝上陸記念碑」と、今帰仁グスクでガイドさんを頼んで「今帰仁上り」の御嶽・拝所めぐり。今帰仁文化センターを駆け足で見学したあと、沖縄料理の「名護曲レストラン」で遅い昼食。宜野湾市の「森の川」になんとか滑り込んだあと、遅くに那覇に戻る。翌日は、那覇市小禄地区で街並み見学。モノレールでホテルに戻り、そこから車で海軍壕公園と豊見グスク跡。

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 浜比嘉島での朝日。こんなに綺麗な夜明けは久しぶり。

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 今帰仁の御嶽のひとつ、「ティラガマ」。伝説ではあるが、源為朝(!)が逃げてきて沖縄の運天に上陸し、この洞窟に隠れ住んでいたという(!)。洞窟の壁の窪みがなんとなく手形に似ているので、為朝の手形と言われている。私の手よりも何倍も大きいぞ。

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 森の川。宜野湾市博物館の近くの公園にある泉。天女が降臨し、地元の人と結婚して、中山王になる察度を産んだという。時代も空間も違うが、飛鳥の酒船石遺跡を思いおこしてしまう。

2018.02.14

「豪商の蔵―貝塚廣海家コレクション」展、の巻

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 2月14日(水)
 京都国立博物館の貝塚廣海家コレクション受贈記念  豪商の蔵―美しい暮らしの遺産―」展に出かける。2月3日から3月18日まで。泉州貝塚(大阪府貝塚市)の廻船問屋の豪商であった廣海家に所蔵されていた膨大な量の美術品を展示する展覧会である。見てみると、確かに凄い。茶道具などの水準の高さにも感じ入るし、豊臣秀吉の書状とか、明月記の写本(確認していないが、おそらくは室町時代の摹本<もほん>)の断簡、古墳時代の単鳳環頭大刀柄頭や金環、平安時代の銅経筒(花入に改造)など、私の観点からしても興味深い物も含まれている。中国南部の銅鼓にいたっては、なんでこんなものまであるんだ!という感じ。

 実は、私の母はこの泉州の貝塚の出身。そして、母から聞いたところでは、母の、母方の曽祖父というのが明治時代にこの廣海家の支配人(大番頭)を務めていたのだという。この展覧会の図録の解説にも、明治20年代に北海道に魚肥の大量買い付けに出かけた人物として支配人の治平という人が出てくるのだが、この治平さんこそ、母の曽祖父すなわち私の先祖にあたる方だということになる。ぜんぜん知らなかったのだが、私自身の源流の一端がこんなところで飛び出したことは、なんだか嬉しい。

2018.02.03

2018年節分、の巻

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 2018年2月3日(土)
 節分、というか、私の誕生日。大台まであと僅かである。それにしても、以前だったら私の誕生日には必ず雪が積もっていた。今年は稀にみる寒冬だったから、今日は雪だろうと予想していたが、大外れ。京都の冬にしてはどちらかというと暖かい部類である。

 やはりどこかにお詣りを、と思うが、人混みにさらされるのは好きじゃない。と、いうことで、「京の伊勢」の異名をもつ、東山の日向大神宮。我が家の菩提寺の安養寺と参道入り口が共用(?)なので、私としては子供の頃から親しんできた神社である。ただ、観光スポットではなく、知る人ぞ知る、という神社だから、落ち着いてお詣りできる。
 上の写真は、外宮。奥に見えているのが内宮。小さいながら、伊勢の神宮そのまま。神明造の社殿がうつくしい。山の上にある伊勢神宮遥拝所までえっちらおっちらと登ると、平安神宮の大鳥居から御所、船岡山、そして左大文字までが一望の絶景。また、内宮の上には「天の岩戸」という洞窟。
 この神社、社伝ではなんと、顯宗天皇の御代(!)に伊勢から勧請されたという。裏付ける史料はないし、社伝は社伝、としか言えないだろうが、京都で顯宗天皇の名を聞くというのはかなり珍しく、これはちょっと面白い。

2018.01.24

東寺の初弘法、の巻

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1月21日(日)
 自動車の免許更新に行くつもりだったが、ハッと気づくと、21日だった。つまり東寺の初弘法(新年度最初の弘法市)の日である。このごろ弘法さんには日が合わなくてご無沙汰だったし、免許の話は来週に回すとして、東寺に出かける。
 まずは、東寺の北側の川魚屋さん「鮒末」で、名物の「まむし(ウナギ丼)」。店の正面でどんどんウナギを焼く。普段は店売りだけで、弘法さんの市の日だけ、室内で丼を食べることができる。なかなかの美味。続いて、東寺の境内に分け入り、人波に揉まれながら、あちらこちらと屋台を冷やかす。西院の御影堂(大師堂)は建物修理中により、仮堂でお大師様を拝む。同じく西院の毘沙門堂では、お坊さんが一心に護摩祈祷中。燃え上がる炎に、しばし見とれる。

2018.01.22

ジャッド指揮京都市交響楽団、の巻

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 1月20日(土)
 京都市交響楽団第619回定期演奏会。指揮はイギリス人でイスラエル交響楽団音楽監督、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督をつとめるジェームズ・ジャッド、独奏ヴァイオリンは木嶋真優。曲目はプロコフィエフのヴァイオンリン協奏曲第2番、ホルストの組曲「惑星」である。
 ジャッドという指揮者、私は聞くのは今回が初めて。お目当ての「惑星」は、驚くようなエネルギッシュかつパワフルな演奏。火星とか木星では、痛快に連打される打楽器に乗って、京響がこれまで聞いたことがなかったような大音量を出している。しかし力で押しまくるだけではなく、水星でのチェロの艶やかな響きも印象的だった。

 夜は、妻に連れられてお酒の会。ちょっと飲みすぎる。

2018.01.03

2018年新年、の巻

Img_2591(← 今年の初詣は下鴨神社〈賀茂御祖神社〉)

 みなさま、あけましておめでとうございます。旧年中はさまざまな分野でお世話になりました。今年は、焦らず、マイペースで、しかも着実に、いろいろなことに取り組んでいきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

2017.12.31

2017年、やったこと、の巻

Img_0640_2(←宮城県仙台市の大崎八幡宮の絢爛豪華な本殿〈国宝〉)
 12月31日(日)
 今年ももうおしまい。今年、悲しかったのは、なんといっても愛犬クイールと別れなければならないことだった。

 バックに流すベートーヴェンの交響曲第9番、今年はアンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による1957年の録音。声楽はグレ・ブロウェンスティーン(ソプラノ)、ケルステン・マイヤー(メゾ・ソプラノ)、ニコライ・ゲッダ(テノール)、フレデリック・ガスリー(バリトン)、声楽はベルリン聖ヘドヴィヒ大聖堂合唱団である。クリュイタンスのベートーヴェン交響曲全集の一枚。ちょっと不思議なことなのは、ベルリン・フィル最初のベートーヴェン交響曲全集という栄誉を担う録音であるというのに、音楽監督のヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮ではなくベルギー生まれのクリュイタンスが起用されている。カラヤン就任からまだ2年足らずしかたっていないということもあるのかもしれないが、あの独占欲と自己顕示欲の強いカラヤンが、よくベートーヴェンを他人に委ねることを許したな、と思う。
 演奏は、悠揚迫らぬ落ち着いたテンポで進められる、クリュイタンスらしい気品あるもの。第4楽章においても、決してオケを煽り立てて興奮をかきたてるようなことはしない。もうちょっと高らかに歌い上げてもよいのに、と思うほどの抑制のきいた演奏である。でも、特別な時ではなく日常的に聴くためには、これくらいのほうがよいのかしれない。

 さて、恒例の「今年やったこと」。
 なんといっても大きかったのは、ずっと懸案だった『京都 知られざる歴史探検(上・下)』が刊行できたこと。いろんな人から「面白かった」「知らないことがいっぱいだった」と言ってもらえたのは嬉しい。売れ行きも好調のようで、これもありがたい。私にとっても代表作のひとつができたかな、と思う。
 また、角田文衞先生の"第2著作集"である『角田文衞の古代学』も刊行開始され、その一冊目の「自叙伝」が刊行できたことも、万分の一ながら先生へのご恩返しができたような気分。
 論文は、「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」と「森浩一の須恵器研究」の2本。前者の完成によって、私独自の平安京変遷の体系化にメドがついた。

 さて、来年はどんな年になりますやら。とにかく無理せず、ゆっくりと、自分のやるべきことを着実に積み重ねていきたいと思う。それではみなさま、どうか良いお年をお迎えください。

【単著書】
『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全286頁
『京都 知られざる歴史探検(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全285頁

【共著書】
■『「天橋立学」への招待―"海の京都"の歴史と文化―』天橋立世界遺産登録可能性検討委員会(編)、宗田好史・仲隆裕(編集委員)宗田好史・上杉和央・仲隆裕・深町加津枝・奥敬一・森宣和・山口睦雅・高原光・赤瀬信吾・天野文雄・吉野健一・山田邦和・菱田哲郎・上田純一・福島恒徳・吹田直子・今井一雄・小田彰彦(著)(京都、法蔵館、2017年3月12日)全321頁
 ~◇山田邦和(著)「天橋立の歴史的景観」211~221頁
 ~◇山田邦和(著)「宗教都市としての天橋立」248~252頁
■『京の三条―SANJO STREET―』京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉(編)山田邦和・笠原一人・大塚活美(執筆)(京都、京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉、2017年3月〈発行日記載なし〉)、全14頁
 ~◇山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」2~4頁
■『京の三条 Sanjo-dori, Kyoto―SANJO STREET―』The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference)(Compiled)Kunikazu Yamada, Kazuto Kasahara, Katsumi Otsuka(Author), Kyoto, The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference), March, 2017〈day,unknown〉,pp.1-14
 ~◇Kunikazu Yamada(Author)"A Bird's-Eye View of Sanjo-dori ―Unraveling Its Historiy―"pp.2~4
■『京の三条 京都的"三条通"-SANJO STREET-』京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府・京都文化博物馆・姊小路区域侦探讨会・京都三条城区规画协会〉(编辑)山田邦和·笠原一人·大冢活美(执笔)(京都京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府・京都文化博物馆・姊小路区域侦探讨会・京都三条城区规画协会〉,2017年3月〈没有发行日期记载〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三条通-解读"三条通"的历史-」2~4頁
■『京の三條 京都的"三條通"-SANJO STREET-』京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉(編輯)山田邦和·笠原一人·大冢活美(執筆)(京都,京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉,2017年3月〈沒有発行日期記載〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三條通-解讀”三條通"的歴史-」2~4頁
■『京の三条―교토의 산조 도리(거리)―』교토 문화박물관 지역혐동사업 실행위회 <교토부·교토 문화박물관·아네야코지 일대를 생각하는 모임·교토의 산조 동내 만들기 협의회>(편집)야마다 구니카즈・가사하라 가즈토・오쓰카 가쓰미(집필)(교토,교토의 산조 동냬 뫈들기 혐의회,2017년3월〈「일」은 기재되지 않고 있다〉),전체로 14페이지 있다
 ~◇야마다 구니카즈(집필)「산조 도리(거리)를 부감한다―산조 도리(거리)의 역사를 펴서 읽는다―」,2-4페이지
■『第13回京都検定 問題と解説』京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・髙橋寛・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・萬谷彰三・山田邦和(執筆)(京都、京都新聞出版センター、2017年6月30日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は「3級1(4)」009頁、「3級1(5)」010頁、「2級1(4)」107頁、「2級1(5)」108頁、「1級1(4)」203頁)
■『同志社女子大学史料センター第22回企画展示「同志社女子大学のキリスト教主義教育 愛以貫之」展示目録』同志社女子大学史料センター(編)、山田邦和〈史料センター長・運営委員長〉、飯田毅・川田隆雄・北村博子・神田知子・松野浩之・三橋美和・仲万美子・中山まき子・大島中正・斎藤朱美・玉田佳子〈2017年度史料センター運営委員〉、小崎眞〈専門委員〉、塘利枝子〈学術情報部長〉(京都、同志社女子大学史料センター、2017年11月17日)、全26頁(山田執筆:「はじめに」〈1頁〉、その他、執筆分担明記なしだが、「Ⅰ キリスト教の伝来と同志社」〈2~8頁〉が山田執筆)

【編著(共編著)】
『角田文衞の古代学 4「角田文衞自叙伝」』角田文衞(著)、古代学協会(編)、山田邦和・吉川真司(責任編集)(京都、古代学協会、〈発売所:東京、吉川弘文館〉、2017年10月31日)、全406頁
 ~◇山田邦和(補註)「角田史学の構想~補註」283~297頁
 ~◇山田邦和(著)「[解題] 角田文衞の軌跡」389~405頁

【監修の書物】
■『徳川家康(新装版)』松本清張(文)寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫1」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1982年9月30日発行〉)、全337頁
■『豊臣秀吉(新装版)』岡田章雄(文)寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫2」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1981年11月19日発行〉)、全205頁
■『武田信玄(新装版)』木暮正夫(文)寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫3」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1986年6月15日発行〉)、全179頁


【論文】
「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」山田邦和(著)(『条里制・古代都市研究』第32号、東大阪、条里制・古代都市研究会、2016年3月1日)、1~18頁
「森浩一の須恵器研究」山田邦和(著)(『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2017年10月26日)、107~133頁

【その他の著作】
■『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』歴史群像編集部(編)、かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・小沼理・丹羽篤志)(編集)板垣真誠・伊藤展安・香川元太郎・黒澤達矢・中西立太・藤井康文(鳥瞰イラスト作成)、小田和利・山田邦和・平井聖・九州歴史資料館・平山優・和根崎剛・西ヶ谷恭弘・福島克彦・中井均・跡部信・坂井尚登・勝見譲・越中哲也・村松伸・伊東宗裕・山村竜也・中村武生・有坂純(イラスト監修)(「学研ムック」、東京、学研プラス、2017年1月12日)、全143頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「平安京―平安時代―」13~16頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「戦国の京都―戦国時代―」69~72頁
■「書評『世界遺産と天皇陵古墳を問う』編・今尾文昭、高木博志」山田邦和(著)(『京都民報』第2775号、京都、京都民報社、2017年2月26日)、5頁
■「新刊紹介 歴史家の案内する京都 山田邦和他編著」山田邦和(著)(『同志社時報』第143号、京都、同志社、2017年4月1日)、85頁
■「三笠宮崇仁親王殿下の薨去」山田邦和(著)(『土車』第131号、京都、古代学協会、2017年3月20日)、1頁
■「角田文衞『平安京と羅城門』解説」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、7頁
■「清水睦夫博士の逝去」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、8頁
■「全体討論『宗教都市』奈良を考える」佐藤亜聖・大田壮一郎(討論司会)、河内将芳・高谷知佳・狭川真一・前川佳代・山田邦和・吉澤悟・大藪海・仁木宏・山川均・幡鎌一弘・五味文彦(討論発言)(中世都市研究会(編)五味文彦・佐藤亜聖・前川佳代・狭川真一・山川均・高谷知佳・吉澤悟・河内将芳・幡鎌一弘(執筆)『「宗教都市」奈良を考える』所収、東京、山川出版社、2017年8月31日〈全239頁〉)、山田発言は205~239頁中の214・215頁
■「歴史探検の楽しみ(上)」山田邦和(著)(『中日新聞』2017年12月12日号朝刊、名古屋、中日新聞社、2017年12月12日)、15頁、および(『東京新聞』2017年12月17日号朝刊、名古屋、中日新聞社、2017年12月17日)、21頁
■「歴史探検の楽しみ(下)」山田邦和(著)(『中日新聞』2017年12月19日号朝刊、東京、中日新聞東京本社、2017年12月19日)、15頁、および(『東京新聞』2017年12月24日号朝刊、東京、中日新聞東京本社、2017年12月24日)、21頁
■「『角田文衞の古代学』刊行開始」山田邦和(著)(『土車』第133号、京都、古代学協会、2017年12月20日)、1頁

【学会報告・研究会報告など】
◯「(調査レポート)質疑・討論」山田邦和・舘野和己(座長)、山本亮・滝沢匡・猪狩俊哉・坂本嘉和・堀内和宏(パネラー)(条里制・古代都市研究会「第33回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
○「鴨川の禹王廟と治水神信仰」山田邦和(記念講演)、(治水神・禹王研究会「第4回総会・研究大会」、京都、佛教大学1号館415教室、2017年3月26日)
◯「討論」仁木宏・山田邦和(司会)、河内将芳・長宗繁一・登谷伸宏(パネラー)、中村武生(関連報告)(第34回平安京・京都研究集会「東山大仏と豊臣政権」、京都、機関紙会館、2017年5月7日)
◯「世界遺産と天皇陵古墳を問う」今尾文昭・大平聡(報告)、高木博志・山田邦和(コメント)(日本史研究会古代・近現代史合同部会「世界遺産と天皇陵古墳を問う」、京都、機関紙会館、2017年6月10日)
 ~◇「『陵墓』の名称問題をめぐって」山田邦和(コメンテーター)、日本史研究会 古代・近現代史合同部会「世界遺産と天皇陵古墳を問う」、京都、機関紙会館、2017年6月10日)

【講演】
◯「【鳥辺野】考古学者と巡る清水坂、生と死が交差する周縁の地―陰陽師や非人たち最大の根拠地、死者の都市・鳥辺野へ―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、京阪清水五条駅集合。松原橋、物吉村跡、西光寺、六波羅蜜寺、六道珍皇寺、清水坂、大谷本廟、妙見堂、鳥辺山墓地、安祥院、清水寺を見学、2017年1月22日)
◯「豊臣秀吉の天下統一と首都づくり―御土居・聚楽第・伏見城―」山田邦和(講師)いなべ市教育委員会生涯学習課〈主催〉「いなべ市民大学講座―平成28年度生涯学習事業―」第5回いなべ員弁コミュニティプラザ2017年2月5日
○「京の武士と町衆―洛中洛外図の時代―~パネルディスカッション」山田邦和(コーディネーター)、マシュー・スタブロス、川嶋將生、三枝暁子(パネリスト)(京都府立京都学・歴彩館〈主催〉、京都府立大学〈共催〉平成28年度国際京都学シンポジウム「京<みやこ>の武士と町衆―洛中洛外図の時代―」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2017年3月19日)
○「信長は何をめざしたか―将軍か関白か太政大臣か―」山田邦和(講師)(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成29年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2017年3月21日)
◯「天下人秀吉のふたつの伏見城」山田邦和(講師)(京田辺市・京田辺市教育委員会・同志社大学〈主催〉「2017(平成29)年度 京たなべ・同志社ヒューマンカレッジ」、京田辺、同志社大学京田辺校地恵道館、2017年5月20日)
◯「白河・鳥羽」山田邦和(講演)(姫路市教育委員会主催「平成29年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉」、姫路、姫路市市民会館、2017年6月19日)
◯「京都学へのいざない」山田邦和(講演)(2017年度私立大学図書館協会西地区部会京都地区協議会第1回研究会「世界へ翔け! 京都学 」、京都、京都府立京都学・歴彩館小ホール、2017年6月30日)
◯「須恵器の編年と森浩一先生」山田邦和(講演)(森浩一先生に学ぶ会(主催)「第3回 森浩一先生に学ぶ講演会」、泉大津、泉大津高校同窓会館、2017年8月6日)
◯「聖武天皇の首都構想―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮の三つの都―」山田邦和(講演)(「けいはんな学研都市7大学連携 市民公開講座2017」、京都府精華町、国立国会図書館関西館、2017年9月15日)
◯「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈千石荘公園、清水山古墳跡、天塚古墳、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2017年9月16日)
◯「《座談会》『森浩一古代学』を語る」山田邦和(司会)、川崎保・松田度・辰巳和宏・深萱真穂・今尾文昭・前園実知雄・小泉武夫(パネラー)(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』、春日井、春日井市民会館、2017年11月12日)
◯「世界遺産と天皇陵古墳」山田邦和(講演)(京都高等学校社会科研究会〈主催〉「秋季研究会~シリーズ・関西フィールドワーク『埴輪・古墳・天皇陵―北摂を歩く―』、高槻、高槻現代劇場(市民文化会館)、2017年11月25日)
◯「【室町幕府】考古学者とめぐる義満の王都、巨大権力の中枢・花の御所と相国寺へ―史上最高・幻の七重塔はどこにあった!?“日本国王”義満の最強首都構想―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都地下鉄今出川駅集合〈相国寺山門、塔の段町(相国寺大塔跡)、相国寺境内、相国寺慈照院前、同志社大学寒梅館、持明院御所跡(光照院)、細川邸跡、小川通、畠山図子、花の御所跡を見学〉、2017年11月25日)
○「王朝貴族の[E:#x10FC00]理想郷・宇治」山田邦和(講演)(公益財団法人JR東海生涯学習財団〈主催〉、ジェイアール東海エージェンシー〈企画・運営〉「講座 歴史の歩き方」第80回「宇治のものがたり―境界の風土が生み出した文学、戦、極楽浄土―」、東京、よみうりホール、2017年12月1日)
○「信長・秀吉と京都(1)織田信長の政権構想と京都」山田邦和(講演)(京都商工会議所〈主催〉「平成29年度京都検定講演会(Fシリーズ)」、京都、京都商工会議所、2017年12月16日)

【講座】
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(3)平治の乱の勃発」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年1月20日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(4)平治の乱の展開」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年2月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(5)平清盛の栄華と建春門院」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年3月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(1)六波羅と法住寺殿」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年4月21日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(2)福原遷都とその挫折(1)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年5月19日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(3)福原遷都とその挫折(2)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年6月16日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(4)福原京の復元」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年7月21日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(5)以仁王の変と治承・寿永の内乱の勃発」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年9月29日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究4」「(1)以仁王の変と清盛の死」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年10月20日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究4(2)源頼朝と源義仲」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年11月17日)
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◯「(1)皇室の菩提寺『御寺』泉涌寺と月輪陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年1月20日)
◯「(2)明治・大正・昭和天皇陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年2月17日)
◯「(3)天皇陵・拾遺」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年3月24日)
◯「(1)ヤマト政権歴代の「都」と大型古墳」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月28日)
◯「(2)飛鳥の都」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月年5月26日)
◯「(3)天智天皇の近江大津宮」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年4~6月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年6月23日)
◯「(1)唐の長安と洛陽」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年7月28日)
◯「(2)孝徳天皇の難波長柄豊碕宮」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年8月25日)
◯「(3)天武天皇の飛鳥と難波」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年10月6日)
◯「(1)持統天皇の藤原宮と新益京」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2017年11~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年10月27日)
◯「(2)青丹よし奈良の都―平城京―」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2017年11~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年11月17日)
◯「(3)聖武天皇の三つの都―恭仁宮、難波宮、紫香楽宮―」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2017年11~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年12月22日)
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◯「明治維新と京都の近代化(1)明治天皇の東幸と京都の衰退」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年1月13日)
◯「明治維新と京都の近代化(2)京都の近代化」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年2月10日)
◯「明治維新と京都の近代化(3)(現地見学)琵琶湖疏水とインクライン」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、琵琶湖疏水・インクライン・琵琶湖疏水記念館を見学、2017年3月10日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(1)弥生時代から古墳時代の京都盆地」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(2)巨大古墳の時代の京都」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)恵解山古墳と勝龍寺城跡」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年6月9日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(1)嵯峨野・太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都朝日カルチャーセンター京都、2017年7月14日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(2)秦氏と広隆寺」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年8月4日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、天塚古墳、蛇塚古墳、2017年9月29日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(1)『大化改新』と天智天皇・藤原鎌足」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年10月13日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(2)(現地見学)天智天皇の大津宮跡を訪ねる」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、大津、近江大津宮跡・近江神宮、2017年11月3日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(3)奈良時代の京都盆地の寺院・集落」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年12月8日)

【テレビ出演】
◯『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第75回「歴史ミステリーを追え!」尾上松也(出演)、伊東潤(監修)BS11(制作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、斉藤良・成田肇・手塚公一(プロデューサー)、塩崎智晴(演出)、間まさむね・栗子じょん(構成)、勝野洋・山本博文(ゲスト)、山田邦和・草野道雄・三和敏郎・木村幸比古(出演)(BS11、2017年3月29日放送〈シリーズ最終回の総集編。2015年12月29日放送の『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第75回歴史ミステリーを追え!」の山田出演部分を含んでいる〉)

【大学での役職】
△同志社女子大学史料センター長(2017年4月~2019年3月〈予定〉)

【非常勤講師】
△京都橘大学文学部歴史遺産学科非常勤講師(「遺産情報学演習II」担当〈春学期〉)

2017.12.30

井上道義の「第9」と、百鬼ゆめひなの人形舞台、の巻

 12月28日(木)
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 今年の「第9」は、井上道義さんの指揮する京都市交響楽団の演奏会。カップリングはショスタコーヴィチの「ジャズ組曲第1番」という変わり種である。井上さんの指揮姿はいつもながらダイナミックでエレガント。それでいて奇をてらっているわけではなく、オーケストラの隅々まで丁寧で精緻な指示を出し続けている。井上さんの指揮に応えて京響も、一音一音が「立っている」。見事な「第9」であった。終演後は山崎千春さんを誘って、焼き鳥の居酒屋。


 12月29日(金)
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 長野県伊那谷を本拠として活躍している人形師の「百鬼ゆめひな」こと飯田美千香さんの京都公演。場所は膏薬図子(四条通新町西入ル下ル)のミミズクヤ。公演といっても、京町家の座敷で定員20人というこじんまりとしたもの。演目は、一休宗純和尚と遊女地獄太夫の伝説を翻案した「『地獄太夫』。「ひとかた(等身大人形)」を操って、百鬼ゆめひなさんが一休と黒子と人形遣いのひとり3役をこなす。彼女にかかると、「ひとかた」に生命が吹き込まれ、自在に舞う。まさに夢幻の世界へのいざないである。
 終了後は、最近できた「ざ・らくちん―室町横丁」のフレンチマンJrでワインとローストビーフ。ついつい、呑み過ぎ。

2017.12.24

細見美術館「末法 / Apocalypse」展、の巻

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12月24日(日) 
 京都にある細見美術館は、私の大好きな博物館のひとつである。日本美術品の収集家として知られる細見古香庵からの細見家三代のコレクションを中核として設立された私立美術館で、他ではみられないようなユニークかつコンセプトのはっきりした展覧会を毎回おこなっている。建物も小規模ながらの瀟洒で、私は大学の博物館学の授業の際、「未来指向の博物館」の実例のひとつとして必ずこの細見美術館をとりあげてきている。
 その細見美術館が「末法 / Apocalypse─失われた夢石庵コレクションを求めて─」という魅力的なテーマの展覧会をおこなっていたのだが、気付いてみると今日が最終日。これはぜひ見とかなくてはいけない、ということで、雨が降りそうななか、美術館に駆けつける。

 この展覧会、説明によると
「釈迦の死より1,500年後、仏法が廃れ、争い、憎しみがはびこる暗黒時代が一万年続くといわれた「末法」の世。その恐怖におののいたのは、摂関政治で栄華を極めた貴族たちであった。ある者は美麗の上にも美麗を尽くして荘厳した阿弥陀堂を建て、またある者は装飾を凝らした料紙に経典を書写して、極楽浄土への往生を願うことで末法から逃れようとしたのである。そんな時代精神の中から生み出された美術作品を愛し、蒐集したコレクターの一人に、夢石庵と号する人物がいる。抜群の鑑識眼と内外の人脈を通じて、戦後60年代まで驚くほど質の高い美術作品を精力的に蒐集した。彼の死後散逸したコレクションの中から、白眉といえる平安時代の仏教美術を中心に、長く秘されてきたその全貌を、初めて紹介する」。夢石庵というコレクター、いまから50年前に亡くなっており、生前にはほとんど表舞台に立たなかったために忘れられているが、美術品収集にとりつかれ、すばらしいコレクションを築き上げたのだという。

 しかし、期待に胸をふくらませながら展示室に入ったのであるが、この展覧会、どうも奇妙なのである。確かに、展示品自体は悪くない。『平治物語絵巻』の「六波羅合戦巻断簡」とか、伝金峯山伝来の『紺紙金字弥勒上生経残闕(藤原道長願経)』(寛弘4年〈1007〉)・『紺紙金字法華経~無量義経残巻(藤原師通願経)』(寛治2年〈1088〉)・『紺紙金字法華経(平基親願経)』(治承4年〈1180〉)とか、平安時代の経筒など、へぇ~と思う作品も並んでいる。しかし、キッチリとしたコンセプトというか、強固な骨組みというか、筋の通った構成力が伝わってこないのである。普通の展覧会では、こうした砂を噛むような味気なさを味わうことはめったにない。
 ただ、こうした欠点は単に収集品を並べただけだと、確かにあり得ることである。だからこれも、この「夢石庵」というコレクターの資質によるものなのかな、と思ったのであるが、ただ、この展覧会の唄い文句では夢石庵は「抜群の鑑識眼と内外の人脈を通じて、驚くほど質の高い美術作品を精力的に蒐集した」人だというのだから、頭の中をクエッションマークがいっぱいになっていくのである。それに、個人コレクターのコレクションを主体とする展覧会では、良くも悪くもそのコレクターの強烈な「思い」というか「体臭」というか、そんな「こだわり」が会場から漂ってくるものなのであるが、それも感じられない。不思議な無臭さなのである。
 そもそも、コレクターのコレクションが多少一貫性を欠いていても、展覧会の担当学芸員がそうした欠点をカヴァーするのが普通である。そうすると、この展覧会のこうした奇妙さは学芸担当者の力不足によるものなのかな、と思いながら見学を終えた。

 会場の出口で、一枚の紙が配られていた。「種明かし」と題されて、「会期終了まで皆様の胸の内におさめておいてください」などと書かれている物々しさである。ただ、もう会期は終わったので、公表しても良いのであろう。
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つまり、この展覧会が「夢石庵」というコレクターのコレクションから構成されているというのはまったくのウソ。そんなコレクターはこの展覧会の担当者たちが作り上げた架空の存在であって、まったく実在しなかった。これは通常の展覧会でなく「アートプロジェクト」であり、定量的な指標によってのみ美術が語れられる現在の状況への挑戦なのである、ということなのである。

 私はこれを見て、幻滅してしまった。アートだからなんでもありというわけではないだろう。担当者だけが悦に入っているひとりよがりではどうしようもないし、少なくとも私は、アートのためなら観客を騙くらかしてもかまわないという奇妙な倫理観はもちあわせていない。それに、そうした能書きを云々する以前に、展覧会自体が薄っぺらでは話にもならないのである。
 せっかくの良い品物を集めたというのに、学芸担当者の自己満足がそれを台無しにしてしまうという、世にも稀な、そして本当に残念な展覧会だった。

2017.12.18

工藤静香クリスマスディナーショー2017、の巻

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12月11日(月)
 講義を終えてすぐに退出し、兵庫県伊丹市の伊丹シティホテルに向かう。途中、阪急電車が遅延してヤキモキしたが、なんとか間に合ったのでひと安心。工藤静香クリスマスディナーショー2017。自分へのささやかなご褒美である。ただ、今年は9月にも名古屋でのライヴに参加することができたから、1年のうちに2回、静香さんに「会えた」ことになる。
 席は先着順だったようで、結局は後ろのほうであんまりよくなかったのであるが、会場巡りタイムで私の前を静香さんが通っていただけたのは僥倖。キッチリと握手をしてもらう。細く、ひんやりとした手。

2017.12.10

『角田文衞の古代学』4「角田文衞自叙伝」刊行、の巻

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 完成しました! 『角田文衞の古代学』4「角田文衞自叙伝」

 平成20年(2008)に95歳で亡くなられた角田文衞先生は、その永い生涯の中でおびただしい研究業績を残し、「古代学」という学問体系を確立されました。それは方法論的には考古学と文献史学を両輪とし、日本や西ヨーロッパといった狭い範囲のみを対象とするのではなく、世界史的な視野に立脚するものでした。こうした角田先生の膨大な業績は、60冊近い先生の著書にまとめられているし、また日本の古代史関係の諸論文は昭和59年から61年にかけて刊行された『角田文衞著作集』(京都、法蔵館)全7巻に収められています。しかし、こうした多数の書物ですら、先生の業績の全てを収録するにはまだまだ不足です。そのため、先生の「第2著作集」とも言える書を編むことが計画されていたのですが、種々の事情でのびのびになっていたのです。

 この「第2著作集」の編集作業は、昨年から私が担当することになりました。ただ、私がこの仕事を引き受ける際の必須の条件と考えたのは、まずは、古代学協会で永い間にわたって学術雑誌『古代文化』の編集にあたってこられた山崎千春さんに編集事務局をお願いすること。もうひとつは、私と一緒にこの仕事の責任編集にあたってくださる、全幅の信頼を寄せることができる研究者として、吉川真司さん(京都大学教授)にお願いしたいということ。しかし、忙しい吉川さんのこと、果たして引き受けてくれるかどうか不安だったのですが、恐る恐るお願いをしてみたところ、二つ返事で承諾していただくことができました。大変嬉しいことです。

 吉川さん、山崎さんといろいろ検討した結果、このシリーズは『角田文衞の古代学』と題し、2017年秋から2ヶ年計画で全4巻を刊行していく予定としました。今回の第四巻『角田文衞自叙伝』はその初回配本です。特に、晩年の角田先生が口述筆記によって執筆された「自叙伝」が残されていたのですが、これまで公表することができていませんでしたので、本巻にはそれを主体としました。また、生前の角田先生が克明に記録されていた自らの「年譜」もこれに加えました。ただ、「自叙伝」はもとが口述筆記であるという性格上、ところどころに先生自身の記憶違いや重複、文字起こし上のミスなどが散見しましたので、それの修正に思わぬ時間をとってしまいました。
 また、古代学協会、平安博物館、勧学院大学といった、先生が生涯にわたって追究してきた「理想の研究機関」の構想についての資料をも集成したことも特徴です。中でも注目されるのは「勧学院大学」です。ほとんど知られていないことなのですが、角田先生は昭和32年(1957)頃、歴史学の専門の大学を設立することを計画されていたのです。それは単に絵空事なのではなく、実現の一歩手前まで進んだというのですから驚きです。勧学院大学の予定地は、京都府乙訓郡長岡町(現・長岡京市)の長岡競馬場跡地の12万平方メートルで、そこには歴史学部と人文学部で専任教員139名(そのほかに副手66名)を擁するという一大大学が構想されていたというのですから、角田先生の思考の桁外れの大きさが伺い知れます。

 また「角田史学の構想」(原題は「私の歴史学」)というのも収録しました。これは、昭和58年に角田先生が自分の学問の全容を余すことなく語ったという貴重なものです。ただ、これはもともと口述筆記によって書かれたという由来から、文献註がなく、その点では使用に不便なところがありました。また、昭和58年以降の先生の業績が盛り込まれていないのは当然です。そこで、今回の収録にあたっては161項という多数の補註を加えることによって、そのあたりを補うことにしました。こうした作業を加えたことによって、角田先生の学問の全体像をより深く理解することが可能となったのではないかと思っています。さらに、本巻の「解題」は私が「角田文衞の軌跡」と題して執筆していますので、こちらもぜひご覧ください。

 本シリーズは公益財団法人古代学協会から刊行され、各地の図書館などに寄贈いたします。また、入手したいという方も多いことと思われますので、吉川弘文館に委託して一般への販売をお願いすることとしましたので、購入希望者は吉川弘文館にお問い合わせいただくか、書店を通じて同社に注文してください。この機会にぜひ本書を紐解いていただき、角田先生という稀代の歴史学者の歩みを追体験していただきたいと思います。

 第4巻が出たのですが、続いてあとの3冊の編集が控えております。しばらくはこの仕事で大車輪が続きそうです。

【書いたもの】
■『角田文衞の古代学 4「角田文衞自叙伝」』角田文衞(著)、古代学協会(編)、山田邦和・吉川真司(責任編集)
(京都、古代学協会、〈発売所:東京、吉川弘文館〉、2017年10月31日)、全406頁
~◇山田邦和(補註)「角田史学の構想~補註」283~297頁
~◇山田邦和(著)「[解題] 角田文衞の軌跡」389~405頁
■『同志社女子大学史料センター第22回企画展示「同志社女子大学のキリスト教主義教育 愛以貫之」展示目録』同志社女子大学史料センター(編)
山田邦和〈史料センター長・運営委員長〉、飯田毅・川田隆雄・北村博子・神田知子・松野浩之・三橋美和・仲万美子・中山まき子・大島中正・斎藤朱美・玉田佳子〈2017年度史料センター運営委員〉、小崎眞〈専門委員〉、塘利枝子〈学術情報部長〉(京都、同志社女子大学史料センター、2017年11月17日)、全26頁(山田執筆:「はじめに」〈1頁〉。その他、執筆分担明記なしだが、2~8頁「Ⅰ キリスト教の伝来と同志社」が山田執筆分)

【しゃべったこと】
◯「世界遺産と天皇陵古墳」山田邦和(講演)
(京都高等学校社会科研究会〈主催〉「秋季研究会~シリーズ・関西フィールドワーク『埴輪・古墳・天皇陵―北摂を歩く―』、高槻、高槻現代劇場(市民文化会館)、2017年11月25日)
◯「【室町幕府】考古学者とめぐる義満の王都、巨大権力の中枢・花の御所と相国寺へ―史上最高・幻の七重塔はどこにあった!?“日本国王”義満の最強首都構想―」山田邦和(ガイド)
(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都地下鉄今出川駅集合〈相国寺山門、塔の段町(相国寺大塔跡)、相国寺境内、相国寺慈照院前、同志社大学寒梅館、持明院御所跡(光照院)、細川邸跡、小川通、畠山図子、花の御所跡を見学〉、2017年11月25日)

2017.11.29

筑後国を巡る、の巻

Img_1778←石人山古墳の祠と、そこに祀られた石人

Img_1865←権現塚古墳

Img_1914←久留米城(篠山城)

11月23日(木・祝)・23日(金)
 全国大学博物館学講座協議会西日本部会大会(全博協西日本部会)のため、福岡県久留米市行き。本当は金・土の日程なのだが、あいにく25日土曜日に大阪の高槻市での講演と京都の史跡案内の予定を入れてしまったため、金曜日でトンボ帰り(九州からの最終電車)とあいなった。でも、せっかく筑後国まで行くのだからということで、木曜日から前泊して、少しばかり歩いてみることにした。

 23日は京都―(新幹線)→JR久留米駅。そこから歩いて日輪寺古墳、水天宮、駅に戻って駅前で久留米ラーメンで昼食。バスで西鉄久留米駅に出て、そこからまたバスに揺られて八女古墳群の岩戸山古墳あたり(乗場古墳、善蔵塚古墳、岩戸山歴史文化交流館、岩戸山古墳、岩戸山4号墳)。八女古墳群では石人山<せきじんさん>古墳もぜひ行きたいのだが、岩戸山から石人山までは歩くとかなりあってこれは勘弁してほしい。かといってバスだと一度久留米市内に戻ってからV字ターンとなって、これも現実的ではないというので、岩戸山資料館でタクシーを呼んでもらう。そして、広川町古墳公園資料館とその横の石人山古墳・弘化谷古墳。またタクシーに来てもらって、秀吉の時の羽根の生えた犬の伝説がある羽犬塚駅に到着。そこから西鉄久留米駅に戻り、駅前のエンナンホテルに宿泊。やや古びたホテルであるし、私の部屋にエアコンが効かなかったは減点だが、そのほかのところは良かったし、またびっくりするほど安かった。夜は久留米の繁華街で店を物色していたら、なかなか綺麗なお姉さんが客引きをやっている居酒屋がある(いかがわしい店ではありません。念のため)のでそこに飛び込んだが、こちらはあんまり良くなかった。残念。

 24日は西鉄久留米駅から西鉄に乗って大善寺駅で下車。玉垂宮(大善寺)を通り抜けて徒歩で御塚<おんつか>古墳と権現塚古墳。バスの時間を合わせて久留米市内に戻り、バスを乗り換えて久留米城(篠山城)。またバスに乗って、久留米市埋蔵文化財センター。

 筑後の古墳、特に筑紫君磐井の墓として造られた岩戸山古墳は、行きたい行きたいと思っていたのがどういうわけか今まで機会を逃していた。今回、やっと念願がかなう。岩戸山古墳の「別区」は、いままでなんとなく、墳丘にくっついているように思っていたのだが、実はこの古墳には狭く浅い堀があり、その外堤が拡大されて別区になっていることを知る。私の勉強不足による錯覚とはいえ、やっぱり行ってみなくちゃわからないな。ということは、磐井の敵役である継体天皇の真陵と推定される大阪府高槻市今城塚古墳の堤の一部が拡張されてそこに埴輪群が並べられているところと共通するんだな。

 磐井の息子の葛子の墓という説もある乗場古墳も、前方部が開いたなかなか綺麗な後期型の前方後円墳。ただ、装飾で飾られた石室は非公開なのが残念(というよりも、保護施設の扉の把手は明らかにひん曲がっていたぞ。たとえ鍵を持っていても、果たして開くのだろうか?)
 乗場古墳からえっちらおっちらと20分くらい歩いたところにある善蔵塚古墳は、そもそも存在を知らなかった。しかし行ってみると、乗場古墳よりも大きな前方後円墳である。こんなのもあるんだな。ただ、家に帰ってから『前方後円墳集成』の九州の巻を開いてみても、善蔵塚古墳については測量図が載せられていない(最近は地元教育委員会が詳細な測量をしたらしい)から、あながち私の勉強不足だけということもあるまい。

 石人山古墳、「せきじんやま」ではなく「せきじんさん」と読むらしい。隣に、広川町古墳公園資料館という小さいけれどもなかなかに充実した博物館があるのが嬉しい。石人山の初期須恵器が並べられているのもありがたい。古墳の上には「石人社」という祠があって石人は御神体になっている。ついでに、石室と石棺もコンクリート製の祠の中にある。

 弘化谷古墳・権現塚古墳は、大型の円墳で、しかも巨大な堀と周堤を持っていることにびっくり。権現塚はなんと二重の水濠と幅広い周堤で囲まれている。御塚古墳にいたっては、帆立貝形前方後円墳と呼ぶべきか造り出し付き円墳と呼ぶべきか迷うが、三重の堀(現状では一重目だけが水濠)という破天荒なもの。近畿地方の大型円墳では水濠を持つものは本当に少ないから、これはなかなかの見ものなのである。

 日輪寺古墳はJR久留米駅からすぐなのがありがたい。石室には覆屋がかかっていて見学は事前予約が必要と聞いていたので中をみることは諦めていたのだが、行ってみると扉が開かれていてすぐに見学できるようになっていたことはありがたい。文様を彫り込んだ石障を持つ九州型の初期の石室に見とれる。

 久留米城は別名が篠山城だという。丹波国福知山城主だった有馬氏が転封されて築いたというから、京都府とも関係がないわけではない。本丸はそんなに大きくはないのだが、石垣の見事さに感銘を受ける。ほとんど90度といってよいほどにそそり立っていて、石垣というよりも石壁のようである。

 これで遺跡見学は時間切れ。でも、なかなかに廻ったぞ。そこから、久留米市中心部の巨大複合文化施設の久留米シティプラザにとって返し、全博協西日本部会の役員会と大会に出席。大会では、長らく西日本部会長をつとめてこられた花園大学の芳井敬郎先生が今年度で定年により大学を去られ、それとともに部会長も退任されるということで、基調講演をされる。いつもながらの「芳井節」の名調子を堪能。

2017.11.17

第5回東海学シンポジウム「森浩一古代学を読み解くⅠ」、の巻

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 11月12日(日)
 「第5回東海学シンポジウム2017」に参加。このシンポジウム、森浩一先生が主導して20年にもわたって続けられてきた「春日井シンポジウム」の後継であり、今回で5回目。
 11日まで沖縄にいて、那覇空港発18時5分の飛行機で19時55分に伊丹空港着。ホントは、なんとか那覇から名古屋の空港に直行できればいいなと思っていろいろ算段してみたのだが、予算執行上の都合からはこれはムリとなってしまい、伊丹空港から新大阪駅に急ぎ、そこから新幹線で名古屋入り。ホテルにはいったら、お風呂を浴びただけですぐに就寝。

 今回のテーマは「森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―」。今年と来年の2回にわたり、森先生の学問をふりかえってみようという意欲的な企画である。内容は次の通り。

《報告》
川崎 保(長野県埋蔵文化財センター調査第二課長) 「森先生の『縄文文化見直し論』」
松田 度(奈良県大淀町教育委員会) 「森先生の『熊襲・クナ国論』」
辰巳和弘(古代学研究者)「水の王権~井伊谷から拡がる古代~」
深萱真穂(フリーライター)「森先生と文学~清張との交流を中心に~」
今尾文昭(関西大学文学部非常勤講師)「森先生と天皇陵古墳」
前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)「藤ノ木古墳の発掘 ~森先生の被葬者論~」
小泉武夫(東京農業大学名誉教授・東海学シンポ実行委員会副委員長) 「森先生と『日本の食文化』」

《座談会》「『森浩一古代学』を語る」司会:山田邦和(同志社女子大学教授)

《資料集への誌上参加》
 ◆山田邦和(同志社女子大学教授)「森浩一の須恵器研究」
 ◆佐野允彦(歴史ジャーナリスト・元朝日新聞記者)「森先生とマスコミ―教え子・元記者から見た―」
 ◆穂積裕昌(斎宮歴史博物館主幹)「森先生と神仏の考古学」
 ◆兼康保明(東海学センター理事)「邪馬台国論争と森先生―『銅鏡百枚』と『卑弥呼以死』を中心に―」

 今回は私は座談会の司会ということで、報告ではなく誌上参加の論文に回る。この論文は、かつて書いた「森浩一 学の稜線〜須恵器の編年」(深萱真穂・『歴史読本』編集部(編)『森浩一の古代史・考古学』、東京、KADOKAWA、2014年)を大幅に増補改訂したもの。前稿と比べると内容はかなり詳しくなっているので、ご興味ある方はぜひお読みください(この資料集は本屋さんには出回らない本だし、図書館にもあまり入らないものなので、購入希望は東海学センターにお問い合わせのほどを)。

 座談会の司会は、正直、疲労困憊。7人の報告者は時代的にも内容的にも多岐にわたるので、発言者のひとことひとことに耳を澄ましながらも、脳の半分は次の展開を考え、さらにはそれをひとつにまとめようとするのはかなりの力技なのである。さらに、討論に与えられた時間はわずか一時間。時間厳守を誓ってはいたが、こればかりは発言者の発言の長さに影響されるので、うまくいくかどうかは大げさに言えば神のみぞ知る、なのである。結果としては、予定時間を1分超過しただけとなったから、これはまあ許容誤差と認めていただけるであろう。私としても大変いい経験になったシンポジウムであった。

【書いたもの】
■「森浩一の須恵器研究」山田邦和(著)
(『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2017年10月26日)、107~133頁

【しゃべったこと】
◯「《座談会》『森浩一古代学』を語る」山田邦和(司会)
川崎保・松田度・辰巳和宏・深萱真穂・今尾文昭・前園実知雄・小泉武夫(パネラー)(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』、春日井、春日井市民会館、2017年11月12日)


2017.11.15

沖縄調査旅行、の巻

Img_0987_3←(「浦添ようどれ館」で、浦添ようどれの復元墓室および石棺〈レプリカ〉の観察)

 11月9日(木)~11日(土)
 今年は、高橋康夫先生(京都大学名誉教授・元花園大学教授、都市史・建築史)の科研費の分担に入れていただいているので、しばしばいろんなところに出かけることができる。この日は沖縄行き。同行者は冨島義幸京都大学准教授と伊ヶ崎鷹彦花園大学助手。沖縄は京都とともに高橋先生のメイン・フィールドであるので、安心して回ることができる。日程は次の通り。

 9日:浦添ようどれ館→沖縄ワールド→ガンガラーの谷

 10日:古座島→運天(崖墓・百按司墓・大北墓)→今帰仁村仲馬場→諸志の散策道と赤墓→今泊(集落・津屋口墓)→クバの御嶽→今帰仁城城下町→備瀬集落フクギ並木道→海洋博記念公園おきなわ郷土村→瀬底土帝君→塩川

 11日:久高島→垣花樋川→具志川城→真壁ちなー(金城増治住宅)→南山城(大里城)

 ご覧のように、結構な強行軍である。浦添ようどれ館は何度も訪れたことがあるが、今回は仏教儀礼の専門家である冨島さんと同道であるから、まことに学ばせていただくこと大。沖縄ワールドや海洋博記念公園おきなわ郷土村はいわば民家の野外博物館。ガンガラーの谷では、旧石器時代からグスク時代にかけての洞窟遺跡の調査が綿々とおこなわれており、調査担当の沖縄県立博物館・美術館の山崎真治博士から詳しい説明をいただくことができる。

 久高島ははじめての訪問。沖縄最高の聖地である斎場御嶽から拝められてきた、創生神アマミキヨの霊地である。島内の主要交通機関はレンタル自転車なのだが、「歩こう」ということになって、細長い島を東西に往復することになる。小さな島とはいえ歩くとやはり結構くたびれるのであるが、その分、島のあちこちをじっくりと観察することができる。それに、島の北端の岩海岸と海はやはり絶景。

Img_1163_3(←運天の崖墓)
 なかでも異様な感動を受けたのは、運天(国頭郡今帰仁村)の港の周囲にある崖墓群(百按司墓・大北墓を含む)。海に臨む崖の洞窟を墓としているのだが、中には厨子甕や木製厨子がぎっしりと収められており、それが破損して中の白骨が大量に露出している。時間も忘れて見入ってしまった。

2017.10.23

『京都 知られざる歴史探検』(上巻・下巻)刊行!!、の巻

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 10月23日(月)
 ようやくできあがりました! 山田邦和『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』『同(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』(東京、新泉社、2017年10月25日、各巻定価2000円+税)。おそらく、今日くらいから書店に並ぶんじゃないかと思います。本屋さんで買っていただけるのが一番いいのですが、アマゾンならば、上巻はこちら下巻はこちら
 これのもとになったのは、PHP研究所『歴史街道』平成11年(1995)5月号〜同17年(2005)4月号(通巻第133号〜204号)に連載した「まちかど歴史散歩」と、『中日新聞』(『北陸中日新聞』『東京新聞』にも同時掲載)平成23年(2010)3月27日号〜同24年(2012)3月24日号の毎週土曜日版に連載した「歩いて楽しむ京都の歴史」です。ただ、本にするにあたって、最新の研究成果をも取り入れながら徹底的な増補改訂を加えましたので、内容としては新しいものになったと思います。

 ありきたりのものではない京都の史跡と歴史の本をまとめたい、というのは、永い永い間の私の念願でした。京都で生まれ育って、京都の歴史研究の道に踏み込んだ私としては、そういう本をまとめることができたらどんなにいいだろう、と思っていたのです。そこで、これまでの研究生活の中で、お寺や神社に行った時、本を読んだ時などに、それぞれネタになりそうなものを少しづつメモしてきました。ただ、言うは易しおこなうは難しという言葉の通り、なかなか執筆にとりかかることはできないでいたのです。
 また、わが師・森浩一先生には、『交錯の日本史』『新・日本史への旅(上・下)』というとっても素敵な著書があります。私にはとうてい及びもつかないのですが、これの「京都版」のような本ならば、私にもできるかもしれない。そう思ってきました。今回のこの本は、森先生のこの両書に対する私なりのオマージュともいえると思います。

 たまたま、JR東海エージェンシーから『歴史街道』に連載の話をいただき、毎月1回、6年間にわたって72回の記事を書くことができました。連載終了後、これを本に、と決意し、某出版社から出版していただけるというところまで話を詰めたのですが、その頃から私が急に忙しくなってしまい、ついにお流れになってしまったのです。今度はそれからかなりたって、『中日新聞』から京都の史跡案内の連載の依頼を受けました。2年間毎週で計103回という大仕事をなんとか完結させて、ようやく本にするぞ、と意気込んだのですが、連載終了直後の2012年4月に私自身が大病に襲われて死にかけたので、またまた機を逸しました。なんとか生き返らせてもらって自宅に帰り、療養生活をしながらその合間に少しづつ原稿に手をいれていきました。やっとそれがまとまって、今度こそ、という思いをしたのですが、一冊にまとめられる分量ではないところが最大のネックになったようで、以前お願いをした会社を始めいくつかのところと交渉したのですが、引き受けてくれるところがなかなか見つかりません。信頼していたある編集者に相談したところ、予想外の言葉で冷たく突き放される、などというできごともあってかなりのショックを受け、しばらく意気消沈して仕事を投げ出してしまいました。なんとか気をとりなおして、ようやく乗り気になっていただける出版社を探し当てたのですが、今度は私の希望と出版社側の要望がちょっと異なっていて、うやむやのうちに私の方からお流れにしてしまい、大変申し訳ないことをしてしまいました。
 もうダメかな、と諦めかけていたところでしたが、そこにようやく救いの神として現れてくれたのが新泉社さんです。昨年、『森浩一著作集』を刊行していただいたことから親しく仕事をさせていただくご縁を得、編集長の竹内将彦さんと編集者の望月佳子さんに相談申し上げたところ、ついに出版にこぎつけることができたのです。

 しかしそれからがまたまた大変です。連載原稿は揃っているし、それの改訂原稿も仕上がっている、さらには写真もほぼ自分で撮影済みなので、編集は簡単に終わると楽観していたのですが、実はこれが大間違い。自分の原稿ながら次から次へと問題点が続出、望月さんからは夜討ち朝駆けの電話とメールで疑問点の確認が連発。そのたびに、穴があったら入りたいような恥ずかしい気分を味わいました。さらに、写真も、掲載許可に思わぬ時間をとったり、なかには文化財所蔵者から掲載の許可をいただくことができなかったりして、この点でも七転八倒してしまいました。

 最後まで修正がはいって気が抜けなかったのですが、ようやく完成したのはありがたい限りです。望月さん、ありがとうございましたm(_ _)m。全ページがカラーという、綺麗な仕上がりになって、とっても嬉しいです。自分でいうのもなんですが、「知られざる京都の史跡案内」というキャッチフレーズに恥じないものになったと思います。その点では、京都の初心者向けというよりも、ありきたりの京都の史跡は一通り見てしまったとか、京都をもっともっと深いところまで知りたいとかいう「通」向けの本にすることができたと思います。

 あとは、できるだけ多くの皆さんに手にとっていただけると嬉しいです。どうか宜しくお願いしますm(_ _)m。


【書いたもの】
■「全体討論『宗教都市』奈良を考える」佐藤亜聖・大田壮一郎(討論司会)、河内将芳・高谷知佳・狭川真一・前川佳代・山田邦和・吉澤悟・大藪海・仁木宏・山川均・幡鎌一弘・五味文彦(討論発言)(中世都市研究会(編)、五味文彦・佐藤亜聖・前川佳代・狭川真一・山川均・高谷知佳・吉澤悟・河内将芳・幡鎌一弘(執筆)『「宗教都市」奈良を考える』所収、東京、山川出版社、2017年8月31日、全239頁)、205~239頁(山田発言は214・215頁)
■『徳川家康(新装版)』松本清張(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫1」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1982年9月30日発行〉)、全337頁
■『豊臣秀吉(新装版)』岡田章雄(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫2」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1981年11月19日発行〉)、全205頁
■『武田信玄(新装版)』木暮正夫(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫3」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1986年6月15日発行〉)、全179頁
『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全286頁
『京都 知られざる歴史探検(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全285頁

【しゃべったこと】
◯「聖武天皇の首都構想―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮の三つの都―」山田邦和(講演)、(「けいはんな学研都市7大学連携 市民公開講座2017」、京都府精華町、国立国会図書館関西館、2017年9月15日)
◯「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」山田邦和(ガイド)、(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈千石荘公園、清水山古墳跡、天塚古墳、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2017年9月16日)

◯「京都学講座・院政期京都の研究3(5)以仁王の変と治承・寿永の内乱の勃発」山田邦和(講座)、(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年9月29日)
◯「(2)孝徳天皇の難波長柄豊碕宮」山田邦和(講座)、(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年8月25日)
◯「(3)天武天皇の飛鳥と難波」山田邦和(講座)、(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年10月6日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)太秦の古墳群」山田邦和(講座)、(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、天塚古墳、蛇塚古墳、2017年9月29日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(1)『大化改新』と天智天皇・藤原鎌足」山田邦和(講座)、(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年10月13日)

2017.10.20

10月22日総選挙

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「東京藝大のShall We 選挙?ポスターアクション」より。
良いポスターです。感激ものです。

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久しぶりに、本当に久しぶりに、政治家からまともな言葉を聞いた、そんな思いです。こういう瞬間を、どれほど待ったことだったろう。言わねばならないことが、最も正しい言葉で語られる、それはこんなにも美しいものだったのです。

選挙に行こう!!!

2017.09.19

工藤静香デビュー30周年記念ライヴ、の巻

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↑ 9月16日の東京・Zepp DiverCity (Tokyo)でのライヴ(スポニチ Sponichi Annex記事より転載)

 9月18日(月・祝)
 行ってきました!! 「Shizuka Kudo 30th Anniversary Live 凛」、つまり、工藤静香デビュー30周年記念ライヴ。このライヴは、9月16日に東京、18日に名古屋、23日に大阪・難波でおこなわれるので、ホントならば大阪のに行けばいいのですが、あいにくそちらは研究旅行と重なってしまったために、名古屋に行くことにしたのです。

 いやあ、凄かった!! 静香さん、最初はブルー、後半は真紅のドレスで登場(アンコールではラフなジーンズとTシャツ)で、これもホントに綺麗だった。実に2時間、アンコールもいれて31曲(会場からのリクエストによったアカペラの「千流の雫」を加えると32曲)をほとんどノンストップで駆け抜けるという恐るべき力技。中には、最新アルバム「凛」からの曲や、記念すべきファースト・アルバム「ミステリアス」からの曲なんかも含めていて、実に多彩。それに、なんと、会場には静香さんと名コンビを組んでいた作曲家の後藤次利氏も来ていたのもビックリ!

 静香さんの歌唱力には定評があるが、今回はそれにますます磨きがかかっていました。静香さん、バラードなんかも上手いのだが、なんといっても彼女の最大の魅力はドスの効いた節回しの圧倒的な気迫にある! 静香にはやっぱりロック・テイストの曲が似合うのであるが、このライヴでは意図的にそうした曲が選曲されている。静香の最高傑作のひとつである「BlueRose」からスタートするのも嬉しい。名曲「くちびるから媚薬」は、CDでの演奏をはるかに上回るスピードでグイグイと押し切っていく。いったいこの人の細い身体のどこから、こんなパワフルなエネルギーが出てくるのだろうか? 会場も静香の気迫に応えて盛り上がりがすさまじく、彼女自身も感極まったのか、「恋一夜」の途中であふれる涙をこらえきれなくなっていた。

 30年間、工藤静香ファンを続けてきて本当に良かった、そう思える夜だった。今月はどういうわけか、いろんなことがたてつづけにおこってしまい、いささか気力喪失していた。そうした鬱々とした気分を吹き飛ばすことができたような気がする。

2017.09.06

愛犬クイール、ありがとう、の巻

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 9月4日午後8時45分、わが家の愛犬クイールが虹の橋を渡っていきました。2003年5月20日生まれですから、14歳と3ヶ月の生涯でした。
 クイールがわが家に来たのは、2003年の7月でした。いつものように愛犬マックのゴハンを買いにいったペットショップに、生まれたばかりの小さな小さなペキニーズがいたのです。ペキニーズはマックのようにフォーン(茶色)かまたは白色であることが多いのですが、これはブラック&ホワイト。まるでパンダの子供のようで、本当にこの世のものとは思えないような可愛さで、私たちは一目惚れしてしまったのです。わが家に迎え入れても、小さな身体でちょこちょこと歩き回る姿が愛らしかった。
 名前をなんとつけようと悩みました。当時、「盲導犬クイールの一生」というのが世間の話題をさらっていました。別にわが家の犬は盲導犬でもないし「クイール(鳥のはね)」の模様もないのですが、盲導犬クイールのような賢い犬に育ってくれることを祈って、その名前をもらったのです。
 それから14年、お兄ちゃん犬のマックと、あとで迎えた弟犬のルークと、3匹のペキニーズでわが家は大変賑やかでした。マックはどうもクイールにライバル心を抱いていて、自分のほうが上だということをわからせることにやっきになっていたようです。ルークはクイールと年齢が近いこともあって大変仲が良く、よく、くんずほぐれつしてじゃれあっていました。
 ただ、どういうわけか、クイールは私よりも妻が好きで、私にはあんまり懐かなかった。クイールは私に抱き上げられたり身体(特に尻尾)を触られるのがイヤで、そのたびに唸り声をあげていました。幼い時、私が急に抱き上げたのにビックリしたのがトラウマになっているんだというのが妻の説なのですが、このあたりの真相はわかりません。でも、私が帰宅した時など、全身で喜びをあらわしながらすり寄ってきてくれるのは、やはり大事な家族だったことを実感させます。同じペキニーズといっても、マックの毛はフカフカなのに対して、クイールの毛はまるでシルクのような柔らかい手触りで、私はこの毛を撫でるのが大好きでした。

 しかし、今年の夏にはいるくらいから、クイールは急激に老化してきたのが見ただけでわかりました。だんだん自分の足で立てなくなり、大好きな散歩もなかなか行くことができなくなります。やむをえないので、犬用のハーネス(胴輪)を装着して持ち上げるような形で歩かせてきたのですが、今月にはいってからはついにそれもままならなくなりました。最初は食欲だけはあったのですが、次第にいつものドッグフードを食べなくなってしまいます。あれやこれやと好きな食べ物を与えると、その日は食べてくれるのですが、それもだんだんと拒否してしまいます。動物は、自分の口でモノを食べられなくなるとヤバイと思います。やむをえないので、缶詰のドッグフードなどをすり鉢で丁寧にすりつぶした流動食を作って、犬用のシリンジ(注射器というかスポイトみたいなもの)でゆっくりゆっくりと口にいれてやるのが私の日課となりました。しかし、最期にはそれも受け付けなくなったようです。
 9月4日、あいにく私は出張に出ていたのですが、その日の夜に妻からメールがきました。今、私の胸でクイールが息をひきとった、とのことでした。もう1日待っていてほしかったというのは確かなのですが、しかたありません。翌日の夕刻、帰宅した私をクイールは無言で迎えてくれました。今までの14年間が走馬灯のように頭を駆け巡り、涙がとめどなく出て止まりませんでした。

 クイール、14年間、いろんなことがあったね。キミのことを愛してたよ。いまごろは虹の橋の向こうでマック兄ちゃんと再会しているよね。クイール、ウチに来てくれてありがとう。本当にありがとう。クイール、どうか安らかに。

2017.08.16

お盆、の巻

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 8月16日(水)
 お盆も終わり。雨やなんやで行けていなかったお墓参り、やっと行く。そのあとは京都国立博物館にお邪魔して、特集展示「大政奉還150年記念 鳥羽伏見の戦い」と、特集展示「京都水族館連携企画 京博すいぞくかん ─どんなおさかないるのかな?」を見学。「瓦版 淀の川瀬」は淀城の水車が堂々たる菊の御紋(天皇)になっており、そこに十文字の井桁(薩摩島津)がぶらさがっており、その横を葵の御紋(徳川)が逃げていくという面白い図像。「瓦版 相撲取組」も、長州毛利の家紋の顔の相撲取りが葵の御紋の相撲取りを投げ飛ばしているという図。新政府による宣伝ビラであるところが面白い。

 夜は、大文字の送り火。犬2匹を連れて自転車で出かけて、しめやかに手をあわせる。写真は、上長者町の西洞院あたりから望んだ大文字。左側の民家のあたりが、安部晴明の邸宅跡にあたる。

2017.08.12

『山田邦和著作目録(暫定版)』をウェブ公開します、の巻

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 ずいぶん前から、自分の「著作目録」をまとめたいな、と思い続けてきました。
 歴史学・考古学の研究を自分の一生の仕事と思い定めてから、かなりの時がたちました。牛歩のような遅さであることは自覚していますが、それでもこれまで曲がりなりにも研究を続けてくることができたのは、本当に幸せだと思っています。研究生活を継続してきますと、多少の著作物がたまってくるようになります。どれもこれも自信という言葉からはほど遠い習作にすぎませんが、研究者としての人生を選んだ私にとっては、著作物とは自分が生きてきた足跡そのものと感じています。たとえて言うならば、自分の著作物とは愛しい「わが子」だという気がしているのです。そうであるならば、私には「わが子」たちを見守り続けてやらねばならない責務があるでしょうし、そのためには「わが子」たちがどこにどういうふうに散らばっているのかを把握しておかなくてはならないでしょう。著作目録が必要とされるゆえんです。研究者としての私にとっては、著作目録こそはまさに自己存在の証明書であるように思っているのです。


 私が教えを受けてきた先生方、お世話になった先輩諸氏、さらに、著書や論文を通じて学恩を受けてきた研究者の中には、立派な著作目録を作っている方がたくさんおられます。角田文衞先生(古代学協会理事長)、森浩一先生(同志社大学名誉教授)、網野善彦先生(神奈川大学特任教授)のものは素晴らしいものです。また、特に梅棹忠夫先生(国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授・京都大学名誉教授)のものは、おそらく研究者の著作目録としては最大のもののひとつでしょう。こうした立派な著作目録に触れるたびに、私もいつかはこういうものを作りたい、という憧れを募らせてきたのです。

 ただ、ひとくちに自分の著作目録を作るといっても、解決しなくてはならない課題が山積みになっており、それはなかなか一筋縄ではいかない大仕事です。そこで、正式の著作目録を作る前段階として『山田邦和著作目録―附・講演目録など―(暫定版)』を作成しました。皆さまのご意見を取り入れながら、いずれ機会を改めて、もっと良い形で正式の著作目録に仕上げていきたいと思っています。

 著作目録(暫定版)は200部を印刷し、出会うたびに先生、先輩、友人の皆さんに押し付けてきました。私の年齢で著作目録を作るというのはちょっと早すぎるように受け止められたようで、中には呆れられた向きもあったようです。しかし、梅棹忠夫先生は著作目録の準備を50歳の誕生日の直前から始められておられましたし、そういう点ではまあいいのではないかと思っています。

 ただ、いろんなところでバラまいた結果、紙媒体のものはそろそろ在庫が尽きてきました。そこでPdf版を作成し、このブログの付属のウェプページでダウンロードできるようにします。ご関心のある方は活用していただけたらと思います。
『著作目録(暫定版)』のダウンロードはこちらから。

 なお、niftyの@homepageが2016年11月10日でサービス提供終了となってしまったため、それ以来、本ブログの「プロフィール」欄が非表示になってしまいました。今回、それもウェブサイトで公開しますので、よろしくお願いします。
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2017.08.09

第3回森浩一先生に学ぶ講演会、の巻

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↑ 泉大津高校考古学資料室と、同校地歴部の勧誘ポスター

 8月6日(日)
 森浩一先生に学恩を受けた有志でつくる「森浩一先生に学ぶ会」の第3回講演会で、泉大津行き。8月6日は、まさに森先生の三年目の命日である。
 大阪府立泉大津高校は、森先生が大学を卒業して最初に教諭として赴任された勤務地というゆかりの場所である。先生は最初は英語担当だったが、のちにはそれに社会科担当が加わったという。さらに、奥様の淑子先生(旧姓蛭川)との出会いの場になったのも、この泉大津高校時代のことであった。

 ただ、恥ずかしながら、これまではご縁がなくて泉大津高校に足を運ぶ機会がなかった。行ってみると、大阪府立弥生文化博物館から10分くらいのところであることにびっくり。ついでに、弥生博物館で開催中の「沖縄の旧石器人と南島文化」を見てから高校に伺う。

 それにしても、暑さ全開で頭がクラクラしそう。こんな暑い中でお客さんが集まるかな、と心配したが、会場は満席に近くなって、ほぼ70人くらいが入場されていて、安堵。

 最初に、泉大津高校の濱本泰治校長先生の挨拶。そして深萱真穂さんが司会、よんどころない事情で欠席された菅谷文則橿原考古学研究所所長の挨拶を代読。最初の講演は泉森皎・元橿原考古学研究所副所長の「森浩一先生と泉大津高校」。私の担当はその次の講演「須恵器の編年と森浩一先生」。森先生が泉大津高校在職時代に情熱を傾けられた須恵器研究を振り返る。さらに、森先生の古くからの協力者であった杉本憲司佛教大学名誉教授、田中英夫橿原考古学研究所共同研究員、宮川徏同研究所共同研究員による鼎談「森考古学と和泉」(司会は天野幸弘元朝日新聞社編集委員)。

 休憩時間に、泉大津高校の地歴部の活動の場となっている「考古学資料室」を見学させてもらう。面積は小さいけれども、和泉の古墳や須恵器窯の重要遺物がぎっしりと詰まっている。これは、森先生が築き上げたものである。のちに森先生が同志社大学で実現した「考古学資料室」および「歴史資料館」の源流はこんなところにあるんだな。地歴部が現在でも活動を続けていて、森先生(さらにはその後任となられたのは石部正志先生)以来の伝統が脈々と受け継がれていることに感動する。高校生の時から真摯に学問にとりくむ姿勢を学ぶことは、彼らの将来に多いに役立つに違いない。


【しゃべったこと】
◯「京都学講座・院政期京都の研究3(4)福原京の復元(1)」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年7月21日)
◯「(1)唐の長安と洛陽」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年7月28日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(1)嵯峨野・太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都朝日カルチャーセンター京都、2017年7月14日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(2)秦氏と広隆寺」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年8月4日)
◯「須恵器の編年と森浩一先生」山田邦和(講演)(森浩一先生に学ぶ会(主催)「第3回 森浩一先生に学ぶ講演会」、泉大津、泉大津高校同窓会館、2017年8月6日)

2017.07.07

ずいぶんとご無沙汰、の巻

ずいぶんご無沙汰しました。ブログの更新がないので御心配した、という方もおられたようで、まことに申し訳ありません。体調不良とかそんなことではなく、単に怠けていただけです。この間、いろんなことはあったのですが、何から書いたらよいのかわかりません。とりあえず空白を埋める意味で、この間に「やったこと」を列挙しておこうと思います。


【書いたもの】
■『山田邦和著作目録―附 講演目録など―(暫定版)』山田邦和(編)(京田辺、同志社女子大学現代社会学部山田邦和研究室、2016年12月31日)、全96頁
■『「天橋立学」への招待―"海の京都"の歴史と文化―』天橋立世界遺産登録可能性検討委員会(編)、宗田好史・仲隆裕(編集委員)、宗田好史・上杉和央・仲隆裕・深町加津枝・奥敬一・森宣和・山口睦雅・高原光・赤瀬信吾・天野文雄・吉野健一・山田邦和・菱田哲郎・上田純一・福島恒徳・吹田直子・今井一雄・小田彰彦(著)(京都、法蔵館、2017年3月12日)全321頁
 ~◇山田邦和(著)「天橋立の歴史的景観」211~221頁
 ~◇山田邦和(著)「宗教都市としての天橋立」248~252頁
■「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」山田邦和(著)、(『条里制・古代都市研究』第32号、東大阪、条里制・古代都市研究会、2016年3月1日)、1~18頁
■『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』歴史群像編集部(編)、かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・小沼理・丹羽篤志)(編集)、板垣真誠・伊藤展安・香川元太郎・黒澤達矢・中西立太・藤井康文(鳥瞰イラスト作成)、小田和利・山田邦和・平井聖・九州歴史資料館・平山優・和根崎剛・西ヶ谷恭弘・福島克彦・中井均・跡部信・坂井尚登・勝見譲・越中哲也・村松伸・伊東宗裕・山村竜也・中村武生・有坂純(イラスト監修)(「学研ムック」、東京、学研プラス、2017年1月12日)、全143頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「平安京―平安時代―」13~16頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「戦国の京都―戦国時代―」69~72頁
■「書評『世界遺産と天皇陵古墳を問う』編・今尾文昭、高木博志」山田邦和(著)、(『京都民報』第2775号、京都、京都民報社、2017年2月26日)、5頁
■「新刊紹介 歴史家の案内する京都 山田邦和他編著」山田邦和(著)、(『同志社時報』第143号、京都、同志社、2017年4月1日)、85頁
■「三笠宮崇仁親王殿下の薨去」山田邦和(著)、(『土車』第131号、京都、古代学協会、2017年3月20日)、1頁
■『京の三条―SANJO STREET―』京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉(編)、山田邦和・笠原一人・大塚活美(執筆)(京都、京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉、2017年3月〈発行日記載なし〉)、全14頁
 ~◇山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」2~4頁
■『京の三条 Sanjo-dori, Kyoto―SANJO STREET―』The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference)(Compiled), Kunikazu Yamada, Kazuto Kasahara, Katsumi Otsuka(Author), Kyoto, The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference), March, 2017〈day,unknown〉,pp.1-14
 ~◇Kunikazu Yamada(Author)"A Bird's-Eye View of Sanjo-dori ―Unraveling Its Historiy―"pp.2~4
■『京の三条 京都的"三条通"-SANJO STREET-』京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府·京都文化博物馆·姊小路区域侦探讨会·京都三条城区规画协会〉(编辑),山田邦和·笠原一人·大冢活美(执笔)(京都京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府·京都文化博物馆·姊小路区域侦探讨会·京都三条城区规画协会〉,2017年3月〈没有发行日期记载〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三条通-解读"三条通"的历史-」2~4頁
■『京の三條 京都的"三條通"-SANJO STREET-』京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉(編輯),山田邦和·笠原一人·大冢活美(執筆)(京都,京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉,2017年3月〈沒有発行日期記載〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三條通-解讀”三條通"的歴史-」2~4頁
■『京の三条―교토의 산조 도리(거리)―』교토 문화박물관 지역혐동사업 실행위회 <교토부·교토 문화박물관·아네야코지 일대를 생각하는 모임·교토의 산조 동내 만들기 협의회>(편집),야마다 구니카즈・가사하라 가즈토・오쓰카 가쓰미(집필)(교토,교토의 산조 동냬 뫈들기 혐의회,2017년3월〈「일」은 기재되지 않고 있다〉),전체로 14페이지 있다
 ~◇야마다 구니카즈(집필)「산조 도리(거리)를 부감한다―산조 도리(거리)의 역사를 펴서 읽는다―」,2-4페이지
■「角田文衞『平安京と羅城門』解説」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、7頁
■「清水睦夫博士の逝去」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、8頁
■『第13回京都検定 問題と解説』京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・髙橋寛・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・萬谷彰三・山田邦和(執筆)(京都、京都新聞出版センター、2017年6月30日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は009・010・107・108・203各頁)。

【しゃべったこと(学会)】
◯「(調査レポート)質疑・討論」山田邦和・舘野和己(座長)、山本亮・滝沢匡・猪狩俊哉・坂本嘉和・堀内和宏(パネラー)(条里制・古代都市研究会「第33回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
○「鴨川の禹王廟と治水神信仰」山田邦和(記念講演)、(治水神・禹王研究会「第4回総会・研究大会」、京都、佛教大学1号館415教室、2017年3月26日)

【しゃべったこと(講演)】
◯「【鳥辺野】考古学者と巡る清水坂、生と死が交差する周縁の地―陰陽師や非人たち最大の根拠地、死者の都市・鳥辺野へ―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、京阪清水五条駅集合。松原橋、物吉村跡、西光寺、六波羅蜜寺、六道珍皇寺、清水坂、大谷本廟、妙見堂、鳥辺山墓地、安祥院、清水寺を見学、2017年1月22日)
◯「豊臣秀吉の天下統一と首都づくり―御土居・聚楽第・伏見城―」山田邦和(講師)、いなべ市教育委員会生涯学習課〈主催〉「いなべ市民大学講座―平成28年度生涯学習事業―」第5回いなべ員弁コミュニティプラザ2017年2月5日
○「京の武士と町衆―洛中洛外図の時代―~パネルディスカッション」山田邦和(コーディネーター)、マシュー・スタブロス、川嶋將生、三枝暁子(パネリスト)(京都府立京都学・歴彩館〈主催〉、京都府立大学〈共催〉平成28年度国際京都学シンポジウム「京<みやこ>の武士と町衆―洛中洛外図の時代―」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2017年3月19日)
○「信長は何をめざしたか―将軍か関白か太政大臣か―」山田邦和(講師)(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成29年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2017年3月21日)
◯「天下人秀吉のふたつの伏見城」山田邦和(講師)、(京田辺市・京田辺市教育委員会・同志社大学〈主催〉「2017(平成29)年度 京たなべ・同志社ヒューマンカレッジ」、京田辺、同志社大学京田辺校地恵道館、2017年5月20日)
◯「白河・鳥羽」山田邦和(講演)、(姫路市教育委員会主催「平成29年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉」、姫路、姫路市市民会館、2017年6月19日)
◯「京都学へのいざない」山田邦和(講演)、(2017年度私立大学図書館協会西地区部会京都地区協議会第1回研究会「世界へ翔け! 京都学 」、京都、京都府立京都学・歴彩館小ホール、2017年6月30日)

【しゃべったこと(連続講座)】
◯「院政期京都の研究2」「(3)平治の乱の勃発」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年1月20日)
◯「院政期京都の研究2」「(4)平治の乱の展開」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年2月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(5)平清盛の栄華と建春門院」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年3月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(1)六波羅と法住寺殿」山田邦和(講師)、(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年4月21日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(2)福原遷都とその挫折(1)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年5月19日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(3)福原遷都とその挫折(2)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年6月16日)
◯「(1)皇室の菩提寺『御寺』泉涌寺と月輪陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年1月20日)
◯「(2)明治・大正・昭和天皇陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年2月17日)
◯「(3)天皇陵・拾遺」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年3月24日)
◯「(1)ヤマト政権歴代の「都」と大型古墳」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月28日)
◯「(2)飛鳥の都」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月年5月26日)
◯「(3)天智天皇の近江大津宮」山田邦和(講座) (栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月6月23日)
◯「明治維新と京都の近代化(1)明治天皇の東幸と京都の衰退」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年1月13日)
◯「明治維新と京都の近代化(2)京都の近代化」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年2月10日)
◯「明治維新と京都の近代化(3)(現地見学)琵琶湖疏水とインクライン」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、琵琶湖疏水・インクライン・琵琶湖疏水記念館を見学、2017年3月10日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(1)弥生時代から古墳時代の京都盆地」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(2)巨大古墳の時代の京都」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)恵解山古墳と勝龍寺城跡」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年6月9日)

2017.02.12

竹田聴洲先生シンポジウム、の巻

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 2月11日(土)
 佛教大学宗教文化ミュージアムで冬期企画展「佛大逍遥IV―竹田聴洲―」が始まり、関連シンポジウム「竹田聴洲の人と学問」が開催されるので、出かけていく。

 竹田聴洲先生(1916~1980)は民俗学者で、同志社大学文学部教授や佛教大学文学部教授を歴任された。『祖先崇拝―民俗と歴史―』(京都、平楽寺書店、1957年)、『民俗仏教と祖先信仰』(東京、東京大学出版会、1971年)、『日本の民俗26「京都」』(東京、第一法規出版、1973年)、『竹田聴洲著作集』全9巻、国書刊行会、1993~1997年)などの著書によって知られている。この展覧会とシンポジウムは竹田先生の生誕100年を記念するもので、八木透佛教大学歴史学部教授が「不屈の学僧―竹田聴洲の人と学問―」と題した基調講演、研究報告を大谷栄一佛教大学社会学部教授、大野啓佛教大学非常勤講師、村上忠喜京都市歴史資料館担当係長、菊池暁京都大学人文科学研究所助教、斉藤利彦佛教大学歴史学部准教授が話される。いずれも充実した内容で、竹田先生の学問のありかたと、それが現代の民俗学にどう受け継がれているかがよくわかり、まことに勉強になる。とくに八木教授の基調講演からは、ありし日の竹田先生の面影が浮かび上がるように思い、感銘を受ける。村上さんの報告の中で、思いがけずも私の名前を出していただいたのは光栄。

 感慨深いのは、私は竹田先生の授業を聞くことができた最終の世代だということである。今回のシンポジウムの報告者の中でも、生身の竹田先生を存じ上げておられるのはおそらく八木教授おひとりではないだろうか。休憩時間に八木さん(大学での私の3年先輩にあたる)と話をしながら、お互いもうそんな歳になったんですねと、苦笑いし合ったことであった。

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 竹田先生のお名前を最初に耳にしたのは、たぶん高校生の時だったと思う。私の通っていた同志社香里高校では、1年生では地理、日本史と世界史は2・3年生で学ぶことになっていた。どういうわけなのかは知らないが、その頃の同志社香里高校では日本史の非常勤講師の先生は、同志社大学の竹田ゼミの博士課程の大学院生や修了生が来ておられることが多かった。1年生の時には竹田先生の教え子であった長谷川嘉和先生(のちに滋賀県教育委員会で近江の民俗調査に主導的な役割をはたされる)が来ておられた。私は長谷川先生の授業を受けることはなかったのであるが、よく先生を訪ねていろんな話を聞かせていただいた。おそらくそこで竹田先生の名前を知ることになったのだと思う(なお、この時、長谷川先生から宮本常一氏の書物を読むことを勧めていただいたこともありがたかった)。

 高校2年生になった時に、長谷川先生に代わって非常勤講師として来られたのが、同じく竹田先生の高弟のひとりであった赤田光男先生(のち、帝塚山短期大学教授、帝塚山大学人文学部教授を経て、現在は帝塚山大学名誉教授)だった。私は赤田先生には大変良くしていただき、いろんなところにくっついていった。私の民俗学への興味関心は、たぶんこのあたりから生まれたのだと思う。
 なお、私の論文の中に、「京都の都市空間と墓地」(山田『京都都市史の研究』所収、東京、吉川弘文館、2009年。初出は1996年)がある。これは考古学研究者が墓を論じたものとしてはまったくの異色作であって、考古学の墓研究では常識ともいえる、火葬墓と土葬墓の区別とか、棺や骨蔵器の材質や形態による分類といった方法を意識的に拒絶している。これは、私の墓に対する問題意識が民俗学的な部分から始まったからなのである。また、「鴨川の治水神」(山田『日本中世の首都と王権都市―京都・嵯峨・福原―』所収、京都、文理閣、2012年。初出は2000年)という論文もあるが、これはまったく歴史民俗学の手法による研究である。のちにこうした研究をすることになったのも、高校生の時にめばえた民俗学への関心が時を隔てて結実したものだと思っている。

 大学に入学すると、1回生が採れる授業の中に「歴史A」というのがあった。大教室でおこなわれるいわゆる一般教養の日本史である。この担当が竹田先生であった。私は一番前の席に腰掛け(この時、同じく一番前に陣取っていたのが、あとで一緒に同志社大学民俗学研究会を復活させてそこで一緒に民俗学の勉強にとりくむことになる秋庭裕氏〈現・大阪府立大学人間社会学部教授〉であった)、期待に胸をふくらませながら授業の開始を待った。しばらくすると前列の扉が開いて、坊主頭の初老の男性が入ってきた。背広をきておられたのだが、なんだかダブダブの感じで、失礼ながらぜんぜん似合ってなかった。同じく受講していた学生の中には、用務員のおっちゃんが黒板を拭きにきたのだと勘違いしてしまった人もいたらしい。それが竹田先生だった。
 竹田先生は教壇に座ると、すぐに講義を始められた。これが昔ながらの大学教授の講義で、「これから私のいうことをノートするように」と宣言されて、ひたすらに講義ノートを読み上げられ、その合間々々に解説が挟まれ、私たち学生は先生の言葉を一生懸命書き取るのである。もし、今の大学でこんな授業をやろうものならば、学生から「私たちは筆記の機械ではない。書き取らせるだけならばそれをプリントにして配るべきだ」などという抗議の山が積み上げられるに相違あるまい。しかし、私はいまでもこの時のノートを大事に保管しているのであるが、これが見事な「民俗学概論」になっていることに感心するのである。竹田先生の主著である『民俗仏教と祖先信仰』(1250ページ!!)を読もうとして一生懸命取り組んだのもこの頃のことである。
 しかし、1回生の秋に、不穏な噂が聞こえてきだした。竹田先生が定年前に同志社大学を辞められるというのである。これにはいろいろ学内の事情があったらしいのであるが、それについての詳しいことは私は知らない。私も衝撃を受けたが、私の同級生には竹田先生のゼミに進んで民俗学を専攻したいと希望していた学生が何人もいたから、彼らにとってはそのショックは計り知れなかったと思う。結局、この噂は本当となり、竹田先生は1978年3月に同志社大学教授を辞され、4月からは佛教大学教授に転じられたのである。

 先生の『民俗仏教と祖先信仰』は自分の今後の研究にとってどうしても必要な書物だと思ったのであるが、その頃には絶版になって入手困難だったし、古本としても学生の身には手の届かない値段になっていた。しかたがないので図書館でコピーしようと思ったのだが、これも1250ページという大著であるからかなりの労力である。こうしたことを先生にお話ししたところ、「あの本の色刷りの図版(40ページ分)の部分だけは特別の抜刷を作ってあるから、それであるならばあげてもいい」とのありがたいお言葉。なにせ今と違って、カラーコピーなどはない時代の話である。私は、ぜひちょうだいしたいと申し上げた。じゃあ取りに来い、ということで、1978年の2月であったか3月であったかの夜更け、私は先生の住房である百万遍の知恩寺の寿仙院(考古学界では、森本六爾が一時下宿していたことで知られている)を訪れたのである。
 すぐに辞するつもりであったのであるが、どういうわけかそこで、竹田先生は私を引き止めていろいろと話をしてくださる。2時間か3時間ほどいたであろうか。今から思えば、一対一の講義という贅沢きわまりない機会を与えてもらったのである。さらに、私のお目当ての『民俗仏教と祖先信仰』について先生は「自分の手元にも僅かしか残っていないけれども、そんなに勉強したいのならば譲ってやろう」、と言っていただけたのである。もちろん、抜刷ではなく現物である。さらにさらに、この本を出してこられた先生は、「じゃあ、君のためにサインをしてやろう」と言われて、本の見返しを開くとおもむろに筆に墨を含ませ、見事な筆致で「昭和五十三年初春、まさに同志社を去らんとす 山田邦和君架蔵のため 著者・竹田聴」と署名をしてくださった。そして、さらにさらにさらに、ご自分の肖像写真までもくださったのである。ペイペイの1回生、しかも民俗学専攻でもない学生に対してこれほどの御厚情を示されたわけはよくわからないけれども、四半世紀近くにわたって勤務された同志社大学を去るということで、先生御自身にも何らかの感傷があったのかもしれない。

 その翌年度には私は、佛教大学で開かれた先生の講義「民俗学概論」を聴きにいくことにした。竹田先生にそう申し上げると、笑って「まあ、そうしたいんなら勝手にせよ」と言っていただいた。ただ、そうはいっても受講料を払ったわけではないから、いわゆるニセ学生である(佛教大学さま、その時には大変々々申し訳ないことをいたしました。改めてお詫びいたします。40年近く前のことなので、なにとぞお許しくださいませ)。ちなみに、同志社大学はこの頃には教室にクーラーなるものはなかったが、佛教大学ではすでにクーラーがついていて、私はそれを羨望の眼差しでながめていた。この時の竹田先生の講義のノートも、私は大切に保管している。
 ところが、その年度の後半くらいから、竹田先生の授業に休講がはさまるようになった。その時の私には知るよしもなかったのであるが、竹田先生は肝臓を病まれ始め、翌年からはしばしば入院加療されるようになったのである。1980年9月6日、竹田先生は64歳で世を去られた。佛教大学に移られてわずか2年半であった。

 竹田先生から私が学んだものの中で衝撃だったのは、「考古学者は古墳を墓だというが、そんなことはない。古墳は埋葬施設ではあろうが、墓というのは遺体の処理以外に霊魂祭祀という側面がともなっていなくてはならないのであり、その点では古墳は墓かどうかわからない」ということであった。この時に先生から示唆をうけた「墓とは遺体処理と霊魂永久祭祀というふたつの機能の複合体である」というのは現在にいたるまでの私の「墓」への基本認識となっている。この概念は、私の「平安京の近郊~墓地と葬送」(『平安京提要』所収、東京、角川書店、1994年。のちに改稿して、山田『京都都市史の研究』所収「平安京の葬送地」)のライト・モチーフともなっているのである。
 また、学界では民俗学のことを歴史学の一分科であり、文献史学や考古学と並んで歴史を復元するためのひとつの「方法」とする考えが多い。しかし竹田先生は有名な論文「常民という概念について」(『現代日本民俗学』II所収、東京、三一書房、1975年。初出は1967年)において、民俗学の研究対象は「民の常」としての「常民」に他ならず、民俗学は一個の独立した学問であることを高唱された。歴史学や考古学の学界でこうした捉え方をしている研究者はおそらく皆無であろうが、私の「中世史と考古学」(『岩波講座 日本歴史 第21巻「史料論〈テーマ巻2〉」』所収、東京、岩波書店、2015年)では、まさにこの竹田理論にしたがって歴史学、文献史学、考古学、民俗学の関係を整理している。私はこの論文を書くことによって、40年近く前に竹田先生から受けた学恩に対して、ほんの一部ではあるがお返しができたような気がしているのである。

2017.02.07

追悼・清水睦夫先生

Photo(←同志社香里高校卒業アルバムより)

 ロシア・東欧(スラヴ)古代・中世史の研究者であり、同志社香里中・高等学校教諭、平安博物館講師(非常勤)および古代学研究所講師(非常勤)をつとめられた清水睦夫先生が、去る1月28日に89歳で永眠された。先生ご自身の遺志により、告別式は近親者のみにて執り行われたとのこと。

 清水先生は1927年に滋賀県大津市のお生まれ。なんでも、早くにご両親を亡くされ、その後はお祖母様のもとで育てられたという。少年時代には、当時の若者の流行であった大陸に憧れて満州に渡ったのであるが、多感な18歳の時に満州の撫順で敗戦を迎えられた。それまで精鋭無比を謳われた関東軍がボロボロの敗残状態となり、それに対して中国人の民衆が憎悪と怨嗟の声を投げつけるのを目撃して強いショックを受けたという。先生ご自身も撫順で相当辛い目にあわれたようだが、そのあたりの詳しい事情は聞いていない。

 日本に引き上げられてからは、満州在住中に習得したロシア語を生かして、大阪市立大学文学部歴史学専攻に進んで当時の日本では珍しかったスラヴ古代史の研究を志された。1949年には角田文衞先生が同大学の西洋史担当の助教授として赴任されているから、清水先生は角田先生の最初期の弟子なのである(清水先生と同じ頃の角田先生の門下生としては、エジプト古代史の研究者であった故・冨村傳先生がおられ、両先生は生涯の友であった)。大阪市立大学を卒業してからは同志社大学大学院文学研究科文化史学(西洋文化史学)専攻修士課程を修了、同志社高等学校講師を経て、同志社香里中・高等学校教諭の職に就かれた。

 私は1974年に同志社香里高等学校に入学した。すぐに清水先生にお目にかかることはなかったのであるが、香里の「名物教員」のひとりであった先生の噂だけはあちこちから聞こえてきた。私が先生に近づきたいという気をおこしたのは、高校の図書室で『世界考古学大系』を紐解いていた時である。第9巻「北方ユーラシア・中央アジア」を開いた私の目に、執筆者のひとりとしての先生の名前が飛び込んできたのである(清水睦夫「スラヴ民族の興起」〈角田文衞編『世界考古学大系』第9巻「北方ユーラシア・中央アジア」所収、東京、平凡社、1962年〉)。感動した私は、わからないままに貪るように論文の文字を追った。なにせ、『世界考古学大系』といえばその当時の最先端の考古学の成果をとりまとめた全集である。それに執筆されるようなスゴイ先生が自分の学校におられる! 考古学を学びたいと思っていながら、何をどうして良いかわからなかった高校生の私にとっては、これは大きな福音だと感じ取られたのである。
 さっそく私は、清水先生が「根城」とされていた社会科準備室のドアを叩いた。間近に見る先生は、トレード・マークの見事な禿頭と、度の強い近眼鏡から放たれる光が強烈な印象を与えた。小さな声でオドオドと「ボク、考古学がやりたいんです」と述べる私に対して、先生は持ち前の皮肉っぽい笑みを浮かべながら、無言で私のことを観察しておられたことであった。
 私の高校の「世界史」の授業は、私の高校では「世界史」は2年と3年の必修科目であり、担当として清水先生ともうひとりの先生の2人がおられた。ただ、2年生の時の私の学年の「世界史」はもうひとりの先生が担当されており、申し訳ないことながら私はこの先生の授業にはほとんど興味を持つことができなかった。しかし、どういうわけか、私が3年生になった時に担当教員の組み替えがあり、清水先生の「世界史」を受講できることになったのである。

 3年になって初めての「世界史」の授業で、清水先生は颯爽と教室に現れ、さっそくに授業を始められた。私は第一声からいきなり引きずり込まれた。目にもとまらぬ速いテンポ、ちょっと甲高いながら艶のある声、確信と信念に満ちた強烈な表現、ロシア語がポンポン飛び出し、ソヴィエト連邦(当時)をめぐる国際情勢の裏話もはさまる。それらが先生持ち前の情熱とともに「立て板に水」のように流れ出し、その中で歴史上の人物や事件が生き生きと躍動するのである。一方では脱線するととめどもなく、教室を爆笑の渦に叩き込むかと思えば、時にはホントかウソかわからないような話を交えて生徒をケムにまく。それはまさに、変幻自在の魔術のような講義であった。これは只者ではないと感じた私は、次の時間からは密かにテープレコーダーを持ち込み、一年間の先生の授業をすべて録音した。本来ならばこういうことはいけないのかもしれないが、かなり後になってから先生に「実は・・・・」と白状したら、先生は呆れたような嬉しいような表情を浮かべて「君はそんなことしてたのか」と言われたから、先生の事後承認が得られたのだと思っていいだろう。このテープはいまも私の宝物のひとつとして大事に保管している。ともあれ、私も今にいたるまでさまざまな先生方の授業や講演を聞いてきたが、清水先生の授業はその中でもトップ・ランクの「名調子」であったことはまちがいない。
 かなり後のことであるが、清水先生は短期間ではあるが同志社大学の非常勤の講師として授業を担当された。それを受講した後輩から「山田さんの講義の喋り方はこの先生の直伝だということがわかりました」と指摘されて驚いたことがある。確かにそうかもしれないのであるが、私など、師匠の話術に追いつくにはまだまだ修行が足りない。

 清水先生が同志社香里高校で展開されていた「世界史」の授業は、今思い出してもスゴイものであった。なにせ、最初の時間は「歴史とは何か」、2時間目は「歴史学の方法論」なのである。それは、確かに高校のレヴェルをはるかに突き抜けていた。その実例として、清水先生のテストの問題の一例を紹介しておこう。
 「(1)Europeの歴史は、政治的にみれば、統一と分裂の二つの対立の間を揺れ動いているともいえる。西欧絶対王政の展開は、まさにそのようなEurope的分裂化の極端な表現である。他国の富と繁栄は自国の貧と衰退と考える。従って他国の犠牲において己の国の独自性と独立主権を図ろうとする。そこで西欧Absolutismの時代とはどういう時代であったか、をスペイン、英、仏について詳述せよ。(60点)
 「(2)1618~48年の三十年戦争は、政治的にどのような影響を神聖ローマ帝国に与えたか。又、大きな観点から考えて、Europeや世界の歴史上、どのような意義をもつ戦争と解釈されるか。(40点)」
 ちなみに、このテストでの私の点数は97点だった。最初は百点をつけていただいたようなのだが、一字だけ漢字の間違いをしてしまっており、それで百点が消されて97点になっていた(´Д` )。残念!(この時の97点は、私が高校のテストで採った最高点であった)。

 なお、どなたかは知らないが、同志社香里の卒業生で「与太郎」と名乗る方が、ブログで清水先生の思い出話を書いておられる(「20051112  落第生は二度眠る ~清水睦夫先生講義録~」)。その中で「与太郎」氏は「清水先生は、めったに笑わない。しかし、与太郎の人生経験によると、ユーモアやジョークを愛する人たちが、すべて笑顔を絶やさないわけではない。むしろ、ふだん気むずかしい表情のほうが効果的なのだ。清水先生は、あまり気乗りしない顔つきで教室にあらわれる。ほんとうは、もっと研究に専念したいのだが、愚かな生徒どものため、しぶしぶ教壇に立っているのだ、というふうにも感じられる。つまり、生徒の機嫌を取るような態度ではない。お前たちが教わりたいなら、わたしの授業を聞け、さもなくばバカのままで生きろ、というふうに感じられる」と述べられている。なるほど、確かにそうだったな、と納得。

 先生の授業の中でユニークなのは、教科書に書いてある「通説」をことごとく否定していくことである。「ローマ帝国の東西分裂? そんなものは認めません!」、「ルネッサンス? ナンセンス!」、「新大陸の発見? バカも休み休みいいなさい!」といった調子である(こんな破天荒な講義が許されていたのだから、当時の同志社香里高校というのもなかなかに大した学校だったと思う)。さすがに頭の中がクエッションマークでいっぱいになった私は、休み時間に先生のところに行って「今の授業で言われたこと、どういうことなんですか?」と質問してみた。しかし、先生は皮肉な笑みを浮かべはしたものの、言を左右にするだけでその理由を教えてくれないのである! 狐につままれたような気になった私は、仕方ないので高校の図書室でいろんな本をひっくり返すが、先生のいうようなことはどこにも書いていない。そこで今度は京都府立図書館に行って手当たり次第にヨーロッパ史の本を手にとってみる。しかし、そのほとんどには、やはり先生のいうことは述べられていないのである。途方にくれた私であったが、最後に梅田良忠編『東欧史(世界各国史13)』(山川出版社、1958年)という本に出会った。この本はまったくユニークな内容で、私はこれを読んでやっと清水先生の言われることを理解することができたのでる。そうして、この本の目次を見ると、清水先生が著者のひとりだったのである(担当項目はブルガリアとユーゴースラヴィア)。なるほど、と得心がいったことであった。なお、この本の編者の梅田氏は関西学院大学教授で古代学協会の初代理事長、また、古代の部分は角田文衞先生の執筆である。
 しかし思い返してみると、もしこの時、先生が最初っから「それは、これこれこれこれこういう理由で、私はこういうふうに言ったんだよ」と教えてくれていたら、私は逆にそれ以上調べることをしていなかったかもしれない。それが、ああいうふうに突き放されたことによって、逆に自分で調べに調べて、納得いく結論にたどり着くことができたのである。要するに先生は「知りたいことがあるのならば、まずは自分で調べてみよ!」ということをいいたかったのであろう。一見するとぶっきらぼうに見えながら、実はこれは見事な教育方法だったといわねばなるまい!

 このブログで以前にも書いたことがあるが、しばらくすると私は、清水先生から、古代学協会の機関誌『古代文化』への寄稿論文の原稿を平安博物館に届けることを頼まれるようになった。郵送すれば済むことなのであるが、それをわざわざ私に命じられるのは、平安博物館とのつながりを作ってやろうという先生ならではのお気持ちだったのだと思う。そうして改めて訪ねてみた平安博物館は、高校生の私にとってはまさに見上げるような学問の殿堂であった。その後かなりの時を経て私が平安博物館に就職したことは、清水先生の御厚情が巡り巡って実を結んだのだと思っている。

 清水先生の学問的業績としては、『スラヴ民族史の研究』(東京、山川出版社、1983年)『ビザンティオンの光芒』(京都、晃洋書房、1992年)(この著書によって先生は1992年に立正大学より博士 (文学)の学位を取得されている)の2冊の単著にまとめられているほか、前述の『世界考古学大系』所収論文、「北方の開拓民」(『ビザンツとスラブ(世界歴史シリーズ第8巻)』所収、東京、世界文化社、1969年)、「ユダヤ教の遊牧民国家―『ハザール汗国』―」(『古代文化』第38巻第8号掲載、京都、古代学協会、1986年)、「東スラヴ族の国家的統合―古代ルーシでの『王権』成立の経緯―」(『古代王権の誕生IV「ヨーロッパ編」』所収、東京、角川書店、2003年)など、数多い。また、『古代文化』誌に連載された「ソヴィエト東欧紀行(1)~(13)」(『古代文化』第27巻第7・8・10~12号、第28巻2・4・5~9号掲載、京都、古代学協会、1975・76年)は、単なるエッセイにとどまらない学術的価値をもつものだと思う。また、おそらく他所ではほとんど知られていないだろうが、先生は勤務先である同志社香里中・高校のPTAの会誌である『香里の丘』にもしばしば珠玉のエッセイを寄稿されている。私の手元に残っているだけでも、「歴史の上の日曜日」(『香里の丘』第29号掲載、〈寝屋川〉、同志社香里中・高等学校PTA、1968年)、「あだ名考」(第47号、1974年)、「キエフの憶い出」(第49号、1974年)、「ソヴィエトの本屋」(第51号、1975年)、「『ソ連の脅威』はほんとうにあるのか(?)(1)(2)」(第70・71両号、1981・1982年)、「偶感―語学学習とカツラ」(第63号、1979年)、「『故きを温ねて新しきを知る』(上)」(第75号、1983年)、「阿呆」(1992年)といったものがあり、それぞれが先生ならではの視点から述べられていてほんとうに面白い。

 清水睦夫先生、高校生の時に先生に出会うことができたことは、私にとっては生涯の幸福のひとつでありました。先生からは、学問の素晴らしさ、そして、それに向かい合う場合の心構えを教えていただくことができました。ほんとうにありがとうございました。感謝とともに、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2017.01.15

遅ればせながら謹賀新年、の巻

Img_6212_2(←京都駅前に改めて設置された平安京羅城門1/10復元模型と、背景の京都タワー)

 遅ればせながら、皆様、あけましておめでとうございます。

 先日も書きましたが、とにかく散々の年末年始でした。今は、やっと机に向かうことや歩くことは可能になったのですが、まだ右脚は90度までは曲がらず、歩くのも杖を頼りのヨチヨチ歩きということになります。普通ならば5分で歩けるところが15分かかってしまうという体たらくですので、行動範囲は最低限ということになってしまいます。まったく情けないことです。

 昨年の「やったこと」はデータだけ提示したため、ちょっと補足しておきましょう。

 森浩一先生の『著作集』全5巻が完結いたしました。私も編集委員のひとりでしたので、完結はとっても嬉しいことです。生前の森先生から受けた学恩に対して、万分の一かもしれませんがご恩返しができたのでは、と思っています。年末には森先生の奥様の森淑子先生をお招きして、編集委員で「打ち上げ」をさせていただきました。
 森先生は後年になればなるほど、自らの学説を一般向けの著書やシンポジウムで発表されることが多くなりました。そうした書物は現在でも入手可能なことが多い。編集委員会で議論を重ねた結果、今回の著作集では、森先生が初期に書かれて、現在では入手困難となっている論文を主として編纂することにしました。私が主担当しました第3巻「渡来文化と生産」を例にあげますと、「古墳出土の鉄鋌について」(1959)、「和泉河内窯の須恵器編年」(1958)、「古代産業―漁業」(1964)といった論文は、専門の研究者であっても見ておられない方が多いのではないでしょうか。そうしたところに改めて光をあてることができたことは、「森古代学」の再評価につながると確信しています。

 仁木宏・山田邦和(編)『歴史家の案内する京都』と、桃崎有一郎・山田邦和(編)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』「日本古代都城における複都制の系譜」「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」については以前に触れましたので、そちらを参照してください。

 「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」は、三条通(寺町通~新町通の間)の地域振興に力をつくしておられる京の三条まちづくり協議会の20周年の記念出版に際して依頼されたもの。この協議会には、私の「古巣」である京都文化博物館も多いに協力されているので、その御縁からだと思います。

 「クルマについての研究メモ」は、2012年から2015年まで継続した京樂真帆子さんを代表とする科研『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』の報告書に書いたもの。私は連携研究者として参加させていただいたのだが、2012年に病気をしてから2年くらいは活動が制限されたため、あんまり成果があげられなかったことは悔まれる。ただ、報告書になんにも書かないのは悲しいので、この研究会で勉強させていただいたことの覚書だけを作っておいた。

 「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」は、私としてはとっても変わったテーマ。2008年に、山中章さんの科研のプロジェクトで2週間だけ、ヴェトナム・タンロン皇城跡の一部の発掘調査にたずさわることができました。その時のささやかな成果がこれ。もちろん私はヴェトナム考古学の専門家ではないし、ほんのわずかな時間だけ現地にたったにすぎないから、私がヴェトナムについて語るのは僭越の誹りを免れないことは承知しています。その当時にはヴェトナムを再訪して研究を深めるつもりだったのですが、いろんな事情でそれはかなわないことになってしまいました。逆に、それだからこそ、たとえささやかであっても学んだことをきちんと書き残しておきたいと思っていました。たまたま、佐々木達夫先生が『中近世陶磁器の考古学』というシリーズ論集を編集されるということで、私も誘っていただきましたので、佐々木先生にお願いしてこのテーマでまとめさせていただくことにしたのです。

 「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」は、2015年11月8日の「日本史研究会創立70周年記念講演会」でやらせていただいた記念講演の記録です。ここに掲載した「近畿地方中央部の大型古墳と陵墓比定」の表は、お役にたてていただけるのではないかと思ってます。

 「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」は、東海学シンポジウムの講演。去年は保元・平治・治承=文治・承久の乱という中世初期でやって、今回は中世末期。ハチャメチャに見えるが、テーマの設定はシンポジウム事務局からの御指名なので、私の責任ではありません。ただ、信長について考えてきたことをまとめる機会となったのは私としては有意義でした。ちょっと変わったことも言わねば、ということではありませんが、学界で議論の的となっている信長の「三職推任」問題に関して私見を述べました。信長が最終的に何になろうと思っていたか、という問題ですが、学界ではこれは征夷大将軍とする説が多い。あえてそれに異を唱えるというわけではありませんが、「信長の望んだ職は関白だった」という仮説を考えてみました。これ、今まで誰もこんなことは言っていないので突飛に聞こえるとは思うのですが、十分に成立の余地はあると思っています。

 あと、学会報告では、三月の条里制・古代都市研究会大会で「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」をやらせてもらいました。これは、今年の三月に出版される『条里制・古代都市研究』に論文化できるはずです。

 2016年には、共編著、論文、そのほかの著作、学会報告を含めると、数量だけはなかなかのものになりました。もちろん、たまっていたものが偶々まとまって出版されたというだけですし、内容は正直いって玉石混交ですのであまり自慢にはなりませんけれども、これだけの数を出せたということはとにかく嬉しいことです。さて、今年もこういうペースが続けられますかどうか・・・・

 ともあれ、皆様、今年もよしなにお願い申し上げます。

2016.12.31

2016年、やったこと、の巻

12月13日に、自分の不注意により職場で右足の大腿部前側を強打してしまった。幸い、骨には異常はなかったのであるが、それでも打撲傷と内出血がひどく、歩行困難という体たらくで、パソコンに向かうこともできない。医者に聞くと、これはもう、安静にしながらいわゆる「日にち薬」しかないそうである。加えて、12月28日には咳と高熱が出て、普通の風邪かなと思ったら、インフルエンザだそう。最悪である。おかげで、忘年会もほとんど欠席、12月18日にやった平安京・京都研究集会も欠席、さらには正月早々に予定していた沖縄行きも中止せざるをえなくなってしまった(泣)。

【共編著】
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第3巻編集担当:中村潤子・山田邦和・坂靖〉『森浩一著作集 第3巻「渡来文化と生産」』(東京、新泉社、2016年4月15日)、全333頁
 ~◇山田邦和・坂靖・中村潤子(著)「解題」310~330頁(山田著︰「無題(「解題」の総論)」310・311頁、「和泉河内窯の須恵器編年」313~315頁、「大阪府南部窯址資料による須恵器編年略表」316・317頁、「南海道の古代窯業遺跡とその問題」318・319頁、「飯蛸壺形土器と須恵器生産の問題」319・320頁、「古代産業-漁業」321・322頁、「製塩についての二つの覚書」322・323頁、「生道塩」323・324頁)
■仁木宏・山田邦和(編著)仁木宏・山田邦和・中島信親・山本雅和・梶川敏夫・京樂真帆子・大村拓生・杉本宏・野口実・河内将芳・福島克彦・鍛代敏雄・森島康雄・中村武生・坂口満宏(著)『歴史家の案内する京都』(京都、文理閣、2016年5月20日)、全244頁
 ~◇仁木宏・山田邦和(著)「はしがき」3・4頁、「あとがき」242頁
 ~◇山田邦和(著)「1太秦・嵯峨野の古墳群」12~21頁、「7白河」70~81頁、「12清水坂と鳥部野」109~115頁、「13中世都市嵯峨」118~125頁
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第4巻編集担当:前園実知雄・門田誠一〉『森浩一著作集 第4巻「倭人伝と考古学」』(東京、新泉社、2016年8月15日)、全339頁
■桃崎有一郎・山田邦和(編著)、桃崎有一郎・髙橋康夫・田坂泰之・家永遵嗣・原田正俊・冨島義幸・前田義明・山田邦和・宮上茂隆・木岡敬雄・百瀬正恒・野田泰三・松井直人(著)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』(平安京・京都研究叢書4、京都、文理閣、2016年10月30日)、全434+105+2頁
 ~◇山田邦和(著)「東山中世都市群の景観復元」254~269頁
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会(編)〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第5巻編集担当:今尾文昭・鋤柄俊夫・青柳泰介〉『森浩一著作集 第5巻「天皇陵への疑惑」』(東京、新泉社、2016年12月15日)、全339頁


【論文】
■山田邦和(著)「中世の天皇陵―堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ―」(洋泉社編集部(編)、仁藤敦史・宮瀧交二・福尾正彦・天野末喜・西田孝治・宮崎康雄・岸本直文・石坂泰士・西光慎治・田中聡・黒羽亮太・山田邦和・鍛冶宏介・福島幸宏・上田長生・高木博志・新納泉・宮代栄一(著)『古代史研究の最前線 天皇陵』、東京、洋泉社、2016年1月23日)、全255頁中の156~167頁
■山田邦和(著)「クルマについての研究メモ」(京樂真帆子(編者)、京樂真帆子・岩間香・中川永・下村雄太・今正秀・山田邦和・千本英史(著)『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』(2012年度~2015年度科学研究費補助金〈基盤研究(C)〉研究成果報告書〔研究課題番号︰24520764〕)、彦根、滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科、2016年3月31日)、全105頁+付属CD-R中99~103頁+図版データ(付属CD-Rに所収)
■山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(記念誌編集委員(森本浩行・西村祐一・内藤郁子・皿倉のぼる)(編集)、山田邦和・笠原一人・篁正康・大塚活美・西山剛・南博史ほか(著)『京の三条まちづくり―京の三条まちづくり協議会20周年記念誌―』、京都、京の三条まちづくり協議会、2016年3月吉日)、全64頁中の6~13頁
■山田邦和(著)「日本古代都城における複都制の系譜」(仁木宏(編)、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義(著)『日本古代・中世都市論』、東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、全336頁中の43~82頁
■山田邦和(著)「ヴェトナム・タンロン皇城跡出土の焼締陶器の型式学的試論」(佐々木達夫(編)、佐々木達夫・重根弘和・桐山秀穂・大橋康二・扇浦正義・畑中英二・鹿島昌也・中野晴久・小栗康寛・関根達人・山田邦和・佐藤由似・真道洋子・金田明美(著)『中近世陶磁器の考古学』第4巻、東京、雄山閣、2016年10月25日)、全298頁中の185~205頁
■山田邦和(著)「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」(『日本史研究』第647号、京都、日本史研究会、2016年7月20日)、21~51頁
■山田邦和(著)「織田信長と京都―信長の天下統一戦をめぐって―」(『第4回東海学シンポジウム2016 いくさの歴史II―継体と信長に絞って―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2016年10月13日)、全150頁中の97~130頁

【その他の著作】
■京都新聞出版センター(編)池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・高野澄・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・山田邦和(著)『第12回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2016年6月10日)、本文255頁
 ~◇無署名(実際は山田著)「3級1(4)」9頁、「3級1(5)」10頁、「3級1(6)」11頁、「2級1(4)」107頁、「2級1(5)」108頁、「1級1(3)」203頁
■同志社女子大学史料センター(編)、藤原孝章・平光陸子・飯田毅・河江優・川田隆雄・神田知子・松野浩之・三橋美和・森山由紀子・玉田佳子・山田邦和・余田義彦・大島中正・北村博子〈2016年度史料センター運営委員〉『同志社女子大学史料センター第21回企画展示「新たなる息吹 同志社女子大学京田辺キャンパス30年の歩み」展示目録』(京都、同志社女子大学史料センター、2016年11月18日)全25頁
 ~◇無署名(実際は山田著)「Ⅰ 京田辺の歴史的環境」2~6頁、「II 京田辺キャンパスに移転・設置された学部学科~5 現代社会学部社会システム学科」12・13頁
■福原圭一・山口博之(討論司会)、村井章介・高橋一樹・向井裕知・和田学・田中聡・宮武正登・阿部来・田中暁穂・松山充宏・水澤幸一・伊藤正義・中島圭一・山田邦和・五味文彦(討論発言)「上越大会全体討論『中世日本海の地域圏と都市』」(中世都市研究会〈編〉、市村高男・井上寛司・小島道裕・木原光・松本美樹・長澤和幸・中司健一・村上勇・五味文彦・高橋一樹・水澤幸一・田中聡・向井裕知・和田学・松山充宏・田中暁穂・玉井哲雄〈著〉『日本海交易と都市』所収、東京、山川出版社、2016年8月20日)、273~301頁(山田発言︰297頁)
■山田邦和(著)「歴史ニュースを読み解く~指月伏見城の発掘調査」(『土車』第129号、京都、古代学協会、2016年6月20日)、5頁
■Kunikazu Yamada「The Comparative study of Ancient Cities」WAC-8 Kyoto Program Committee, directed by Makoto Tomii(Editing)(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会プログラム作業班〈編集〉)"The Eighth World Archaeological Congress Book of Abstracts", Kyotanabe(京田辺), WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, under the direction of WAC Japan(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会・特定非営利活動法人WAC Japan事務局), 2016年8月28日), p.130


【学会報告】
◯山田邦和(報告)「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
◯吉野秋二・家原圭太(座長)、山田邦和・古閑正浩・江口桂・佐藤泰弘(パネラー)、「(大会報告)質疑・討論」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
◯山田邦和(報告)「平安京と天皇陵」(古代学研究会(主催)「古代学研究会4月例会」、大阪、アネックスパル法円坂 A棟3階第1号室、2016年4月16日)
◯今尾文昭(司会)、陵墓関係16学協会運営委員会(趣旨説明)、山田邦和・後藤真・高木博志(発話・パネラー)「パネルディスカッション『陵墓』の名称と『陵墓』をめぐる現在」(陵墓関係16学協会シンポジウム「『陵墓』公開をめぐる成果と未来―箸墓古墳・伏見城の立入り観察成果報告と『陵墓』の名称」、神戸、神戸市勤労会館 講習室308、2016年8月7日)
◯Kunikazu YAMADA(山田邦和)「世界文化遺産と現代都市」へのコメント("Comment for World Cultural Heritage and the Modern City")(Public Lecture2:World Cultural Heritage and the Modern City〈「第8回世界考古学会議〈WAC-8〉公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」〉, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto, Kambaikan Hardy Hall in Doshisya University〈同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディホール〉, 2016年8月29日)
◯Kunihiko Wakabayashi and Kunikazu Yamada(Organisers)"T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities"(The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto, RY107 Ryoshinkan, Doshisya University〈同志社大学良心館RY107室〉, 2016年9月1日)
◯Kunikazu Yamada"The Comparative study of Ancient Cities"(Session T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Kyoto , RY107 Ryoshinkan in Doshisya University〈同志社大学良心館RY107室〉, 2016年9月1日)

【研究会における報告】
◯山田邦和(報告)「琉球王陵と日本の比較」(日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉2016年2月研究会、京都、花園大学高橋康夫研究室、2016年2月10日)
◯山田邦和(報告)「古代比較都市史試論」(「前近代都市論研究会」例会、京都、キャンパスプラザ京都、2016年5月22日)
◯山田邦和(報告)「大型古墳と天皇陵比定」(同志社大学考古学実習室「定例研究会」、京都、同志社大学考古学実習室、2016年6月10日)

【講演】
◯山田邦和(講師)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(京都文化博物館地域共働事業実行委員会・京の三条まちづくり協議会〈主催〉「第30回 京の三条 まちカフェ」、京都、京都文化博物館別館講義室、2016年2月14日)
◯山田邦和(講師)「織田信長と〈京都〉」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成28年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2016年3月8日)
◯山田邦和(ガイド)「【東山】考古学者とめぐる、愛憎渦巻く法住寺殿・平家物語の世界へ―法皇と愛した女性が眠る、東山の麓に誕生した広大な離宮―」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、三十三間堂、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原、2016年5月21日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(1)保元・平治の乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年9月10日)
◯山田邦和(講師)「豊臣秀吉はなぜ将軍にならなかったのか」(シニア文化塾事務局〈主催〉平成28年度「シニア文化塾」後期講座〈歴史コース〉、大阪狭山、大阪府立狭山池博物館2階ホール、2016年9月13日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(2)治承・寿永の内乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年10月8日)
◯山田邦和(講演)「平安京の復元―模型製作から最新研究へ―」(京都アスニー「ゴールデン・エイジ・アカデミー」、京都、京都アスニー、2016年10月28日)
◯山田邦和(ガイド)「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」(『歴史家の案内する京都』出版記念ツアー)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈清水山古墳跡、天塚古墳、千石荘公園、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2016年10月29日)
◯山田邦和(講演)「伏見の桓武天皇陵を探る」(桃山同窓会〈主催〉「伏見連続講座」、京都、伏見区役所大会議室、2016年11月12日)
◯山田邦和(講演)「織田信長と京都」(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉第4回東海学シンポジウム2016「いくさの歴史II―継体と信長に絞って」、春日井、春日井市民会館、2016年11月13日)
◯山田邦和(講演)「いま面白い!京都の歴史―平安京を中心に―」(京都医療生活協同組合・中野眼科〈主催〉「2016年度組合員交流集会」、京都、聖護院御殿荘、2016年12月5日)
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◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(1)御土居・寺町・天正地割」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年1月8日)
◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(2)秀吉の朝鮮侵略と伏見城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年2月12日)
◯山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都4(3)(現地見学)ふたつの伏見城(指月城・木幡山城)跡」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、京都、伏見城跡、2016年3月11日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(1)関ヶ原の戦い」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年4月8日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(2)徳川幕府の成立と二条城の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年5月13日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(3)(現地見学)二条城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、二条城、2016年6月10日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(1)(現地見学)東本願寺」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、東本願寺、2016年7月1日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(2)近世京都のルネッサンス」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年7月29日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(3)都の繁栄と大名屋敷」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年9月9日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(1)幕末の動乱の中の京都」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年10月7日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(2)禁門の変と徳川幕府の倒壊」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年11月11日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(3)(現地見学)木屋町通・河原町通の幕末史跡群」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、木屋町通・河原町通、2016年12月9日)
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◯山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の後期前方後円墳―清寧・仁賢天皇陵、白鳥陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年1月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)近つ飛鳥「梅鉢御陵」の謎―聖徳太子墓、敏達・孝徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年3月4日)
◯山田邦和(講座)「(3)平安京南郊 鳥羽の離宮の天皇陵―白河・鳥羽・近衛天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年3月25日)
◯山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の中期天皇陵―允恭・雄略天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年4月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)奈良時代の天皇陵―元正・聖武・称徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年5月27日)
◯山田邦和(講座)「(3)中世初期の内乱の時代と天皇陵―安徳、後鳥羽、土御門、順徳天皇陵など―」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年6月25日)
◯山田邦和(講座)「(1)奈良県橿原市の天皇陵―宣化天皇陵と欠史8代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年7月22日)
◯山田邦和(講座)「(2)天皇陵と寺院の結合―平安時代前・中期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年8月26日)
◯山田邦和(講座)「(3)鎌倉時代後半の天皇陵―深草十二帝陵とその周辺」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年9月23日)
◯山田邦和(講座)「(1) 琉球王国の王陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年10月28日)
◯山田邦和(講座)「(2)仏堂となった天皇陵―平安時代中・後期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年11月25日)
◯山田邦和(講座)「(3)南北朝時代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年10~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年12月23日)
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◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(3)紫式部の生涯」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年1月15日)
◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(4)安倍晴明と平安京」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年3月4日)
◯山田邦和(講師)「平安京研究の方法4」「(5)平安京の祭祀」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年3月18日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(1)白河法皇と院政の開始」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年4月15日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(2)院政期の白河」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年5月20日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(3)鳥羽殿」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年6月25日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(4)待賢門院と崇徳天皇」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年7月15日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究1」「(5)院政期の平安宮」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年9月16日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究2」「(1)関白忠通の闘い」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年10月21日)
◯山田邦和(講師)「院政期京都の研究2」「(2)保元の乱の勃発」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年11月19日)

【テレビ出演】
『京都・国宝浪漫』「平安遷都ミステリー~御霊信仰と古代の国宝」KBS京都・BS11(制作著作)、藤真利子(語り)、山田邦和(監修)小林敏明(ディレクター)、三宅康仁・斉藤良・四方章雄(プロデューサー)、黒田誠・駒木根徹・磯ヶ谷好章(エグゼクティブプロデューサー)、山田邦和・釋真盛・井口忠男・川俣海雲・長宗繁一・出雲路敬栄(解説)、(KBS京都、2016年3月7日放送。BS11、2016年3月10日放送)
『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「京都歴史ミステリー 金閣寺の謎〜足利家100年物語」BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)、(BS-TBS、2016年5月13日放送)
『先人たちの底力 知恵泉』「明治の旅行家 イザベラ・バード」NHK(制作・著作)NHKエデュケーショナル(制作)、渡辺圭・田畑壮一(制作統括)、横山敏子(プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、近田雄一・市川紗椰・山本博文・ベルナール=デルマス、金坂清則・斉藤敏明・丹沢研二・山田邦和・入澤崇(出演)、(NHK Eテレ、2016年5月17日放送)

2016.10.25

『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』刊行!、の巻

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 ついに完成しました! 桃崎有一郎・山田邦和編『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』(平安京・京都研究叢書4)。刊行が遅れてしまい、早くに原稿を出していただいた先生方にはまことに申し訳ないことになりましたが、先生方のご協力のおかげで、実に539頁という大冊になりました。執筆者も、編者の桃崎有一郎さんと私のほか、髙橋康夫・田坂泰之・家永遵嗣・原田正俊・冨島義幸・前田義明・宮上茂隆・木岡敬雄・百瀬正恒・野田泰三・松井直人の各氏という豪華メンバーです。表紙を開いていただくと、冨島さんの渾身の力作である相国寺七重大塔の見事な復元CGが見るものを圧倒します。本文の論文も粒よりなのですが、室町時代の京都に所在した邸宅のすべての情報を集成した桃崎さんと松井直人さんの「資料編」も凄いものになりました。私は、編集作業とともに、「東山中世都市群の景観復元」を執筆しました。
 ただ、なんやかやで分量が増加し、その分作業量が膨大となってしまい、出版元の文理閣の黒川美冨子代表にはご迷惑をおかけしました。また、価格も12,000円+税という高額になってしまい、この点は慙愧にたえません。しかし、中世京都研究の基礎的な研究書になったことは確実と思いますので、ぜひ同学の方はお手にとってみていただきたいと思います。また、大学、図書館、研究所、研究室などにはぜひ備え付けていただけますならば幸いです。
 ご注文は、図書出版 文理閣の注文メール(→こちら)または同社のウェブサイト注文(→こちら)にどうぞ!


 9月3日(土)・4日(日)
 WAC-8が終わったら、すぐに今度は中世都市研究会奈良大会。中世の奈良を正面からとりあげるシンポジウム、画期的!

 9月13日(火)
 大阪府立狭山池博物館を会場とした講演。終了後、柏原市歴史資料館に出かけて、企画展「堤を築く -大和川のつけかえ工事-」を見学させていただく。江戸時代の川の付け替え工事、興味深し。

 9月17日(土)
 伯父の誕生祝い会。96歳だが、カクシャクとしてくれているのが嬉しい。いつまでもお元気で。

 9月18日(日)
 京都大学大学院人間・環境学研究科の元木泰雄教授研究室で、ちょっと大きなシリーズの企画の編集会議。

 9月20日(火)
 ホントはウチのゼミ合宿で金沢に出かけることになっていたのだが、台風16号が接近。ギリギリまで決行しようかどうか迷いに迷っていたのだが、石川県に暴風警報が発令されたことで、ついに断念。残念!

 9月30日(金)
 京都文化博物館のエジプト展の開会式にでかける。

 10月1日(土)
 京都市役所前広場で、イタリア料理のイベント。福引が良い結果で、嬉しい。

 10月3日(月)
 拙宅で、平安京・京都研究集会の準備会。

 10月6日(木)
 またまた京都大学大学院元木研究室で編集会議。ひとつ、気を引き締めて取り組まねば・・・

 10月8日(土)・9日(日)
 日本史研究会大会。今回ははじめて京都を離れて、大阪府茨木市の立命館大学茨木キャンパスが会場となる。

【書いたもの】
■福原圭一・山口博之(討論司会)、村井章介・高橋一樹・向井裕知・和田学・田中聡・宮武正登・阿部来・田中暁穂・松山充宏・水澤幸一・伊藤正義・中島圭一・山田邦和・五味文彦(討論発言)「上越大会全体討論『中世日本海の地域圏と都市』」(中世都市研究会〈編〉、市村高男・井上寛司・小島道裕・木原光・松本美樹・長澤和幸・中司健一・村上勇・五味文彦・高橋一樹・水澤幸一・田中聡・向井裕知・和田学・松山充宏・田中暁穂・玉井哲雄〈著〉『日本海交易と都市』所収、東京、山川出版社、2016年8月20日)、273~301頁(山田発言︰297頁)
■桃崎有一郎・山田邦和(編著)、桃崎有一郎・髙橋康夫・田坂泰之・家永遵嗣・原田正俊・冨島義幸・前田義明・山田邦和・宮上茂隆・木岡敬雄・百瀬正恒・野田泰三・松井直人(著)『室町政権の首府構想と京都―室町・北山・東山―』(平安京・京都研究叢書4、京都、文理閣、2016年10月30日)全434+105頁
~◇山田邦和(著)「東山中世都市群の景観復元」254~269頁

【しゃべったこと】
◯山田邦和(講座)「(2)天皇陵と寺院の結合―平安時代前・中期」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年8月26日)
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(3)都の繁栄と大名屋敷」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年9月9日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(1)保元・平治の乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年9月10日)
◯山田邦和(講師)「豊臣秀吉はなぜ将軍にならなかったのか」(シニア文化塾事務局〈主催〉平成28年度「シニア文化塾」後期講座〈歴史コース〉、大阪狭山、大阪府立狭山池博物館2階ホール、2016年9月13日)
◯山田邦和(講座)「院政期京都の研究1」「(5)院政期の平安宮」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年9月16日)
◯山田邦和(講座)「(3)鎌倉時代後半の天皇陵―深草十二帝陵とその周辺」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年9月23日)
◯山田邦和(講座)「幕末の動乱と京都(1)幕末の動乱の中の京都」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(47)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年10月7日)
◯山田邦和(講演)「平安時代末期の動乱と京都(2)治承・寿永の内乱と京都」(京都商工会議所〈主催〉「平成28年度 京都検定講演会」、京都、京都商工会議所、2016年10月8日)
◯山田邦和(講座)「院政期京都の研究2」「(1)関白忠通の闘い」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年10月21日)

2016.09.03

第8回世界考古学会議(WAC-8)、の巻

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 2016年8月28日(日)~9月2日(金)に同志社大学を会場としておこなわれました第8回世界考古学会議(WAC-8)、無事に終了いたしました!

 WACは、世界的な考古学研究者の団体です。これまでも世界の各地でその大会がおこなわれてきました。私はこれまで、こんな大きな会に参加することはなかったのですが、今回は日本のしかも京都、しかも私にとっては母校である同志社大学でおこなわれるということになり、微力ながらお手伝いをさせていただくことになったのです。
 この話をいただいたのは2013年だと記憶します。その後、準備作業が進められるとともに、無数の関連イヴェントがおこなわれてきました。しかし、全体の規模が大きすぎて私にと到底全体像が把握できず、何をどうしていいのか、うろたえるばかりでした。結果、大した貢献ができないままに終わってしまい、まことに申しわけなく思っております。
 ただ、その中でも、公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」の「コメント」、 セッション「T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities」の共同オーガナイザー(メイン・オーガナイザーは若林邦彦さん〈同志社大学准教授〉)、同セッションでの報告「The Comparative study of Ancient Cities(比較古代都市史試論)」と、8月31日のエクスカーションの奈良ツアーの案内役(メインの案内役は網伸也さん〈近畿大学教授〉)をやらせていただくことができました。

 セッションでは、日本人研究者としては、WAC-8スタッフの若林さん、私、古川匠さん(京都府教育委員会)、網さんのほか、山中章さん(三重大学名誉教授)と小澤毅さん(三重大学教授)に報告をお願いし、さらにアメリカから村上達也さんが加わっていただきました(村上さんはディスカッションでの通訳まで買ってでていただき、これは大変大変助かりました)。良いセッションになったと、ありがたく思っております。

 この大きな会議が無事に終了したのは、WAC本体の会長の溝口孝司さん(九州大学教授)、京都大会実行委員長の都出比呂志先生(大阪大学名誉教授)をはじめとするスタッフの努力の結晶と思います。中でも特筆すべきは、実行委員会の事務局官房長をつとめられた津村宏臣さん(同志社大学准教授)の獅子奮迅、八面六臂ともいうべき奮闘でした。この方の大胆かつ繊細な指揮がなければ、とうてい何事もまわっていかなかったと思います。無線のレシーバーを携えて会場を隅々までを駆け回っている津村さんの姿を見ながら私は、そこに巨大なオーラが渦巻いているような錯覚すら覚えたのです。


◯ Organized: Local Organizing Committee for WAC-8, Co-sSponsared: Science Concil of Japan, Kyoto City Government, Managesd: World Archaeological Congress, NPO WAC Japan.
Local Organizing Committee of WAC-8 Kyoto 2016, Executiv: Guriisgu Tsude, Chair, Kazuto Matsifuji, Vice-Chair, Seigo Wada, Secretary-general, Takura Izumi, Academic Secretary, Katsuyuki Okamura, Deputy Directors-General, Hiro'omi Tsumura, Deputy Directors-General. Staff: Masashi Abe, Sahoko Aki, Nobuya Ami, Hidetaka Besho, Hiroshi Fujii, Takumi Furukawa, Hiroko Hashimoto, Kunihiro Hamanaka, Tetsuo Hishida, Yukisige Hirose, Kazuo Ichinose, Akira Igarashi, Tomohiro Inoue, Atsushi Ito, Hirofumi Kato, Hiroo Kansha, Yoshimi Kawashukuda, Hiroaki Kimura, Tamiki Kunishita, Seiji Kobayashi, Naoko Massumoto, Hiroshi Minami, Gen Miyoshi, Tae Mukai, Masakage Murano, Oki Nakamura, Tomoko Nakamura, Kazuhiro Nitta, Atsushi Noguchi, Shigenobu Oba, Mayumi Okada, Tomoko Okuda, Hideyuki Onishi, Ayako Shibutani, Takumi Sugiyama, Izumi Tachibana, Akiko Tashiro, Makoto Tomii, Tomomitsu Umase, Tomokatsu Uozu, Kunihiko Wakabayashi, Kunikazu Yamada, Kenichi Yano, Yasuyuki Yoshida, Hideo Yoshii, Kazuaki Yoshimura.
世界考古学会議第8回京都大会実行委員会=委員長: 都出比呂志 (大阪大学名誉教授)、副委員長: 松藤和人(同志社大学教授)、事務局長:泉拓良 (京都大学大学院特定教授)・和田晴吾 (立命館大学名誉教授)、事務局官房:岡村勝行(大阪文化財研究所)・津村宏臣(同志社大学准教授)、顧問:梅原猛(元国際日本文化研究センター所長)・長田豊臣 (立命館大学理事長)・松岡敬(同志社大学学長)・鷲田清一(京都市立芸術大学理事長)・大月均(元Panasonic代表取締役専務)実行委員:安部雅史・安芸早穂子・網伸也・別所秀高・藤井整・古川匠・橋本裕子・浜中邦弘・菱田哲郎・廣瀬時習・一瀬和夫・五十嵐彰・井上智博・伊藤淳史・加藤博文・間舎裕生・川宿田好見・木村啓章・國下多美樹・小林青樹・松本直子・南博史・光本順・三好玄・向井妙・村野正景・中村大・中村朋子・新田和央・野口淳・岡田真弓・奥田智子・大西秀之・渋谷綾子・杉山拓巳・橘泉・田代亜紀子・富井眞・馬瀬智光・魚津知克・若林邦彦・山田邦和・矢野健一・吉田泰幸・吉井秀夫・吉村和昭、サポーター:千葉豊・CKSCHスタッフ・舟橋京子・濱崎範子・東影悠・市川創・石村智・加藤紗代・河野一隆・川上洋一・木立雅朗・絹畠歩・小杉亜希子・上月克己・桑原久男・槙林啓介・丸山真史・松田度・松木武彦・宮本一夫・門田誠一・森本晋・中川和哉・中久保辰夫・新納泉・大貫静夫・西藤清秀・佐古和枝・佐々木憲一・佐藤洋一郎・関雄二・瀬口眞司・柴田将幹・清水邦彦・下垣仁志・白石華子・田尻義了・高橋克壽・高橋龍三郎・高宮広土・田中裕子・種定淳介・寺前直人・辻田純一郎・上峯篤史・山本雅和

記録のため、公開講演会第2日目と、私たちのセッションのプログラムを掲げておきます。
◯第8回世界考古学会議〈WAC-8〉公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」日:2016年8月29日 August 29(Mon),2016 、場所︰同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディホール Hardy Hall, Kambaikan, Doshisya University、主催︰WAC-8京都大会実行委員会 WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee
 ・ジャン=ポール・ドゥムール(フランス・パリ第一大学)「パリ以前のパリ―旧石器時代からローマ時代まで―」
 ・李盛周(韓国・慶北大学校)「慶州王京の形成と発展におけるイデオロギーの問題とその保存」
 ・吉崎伸(京都市埋蔵文化財研究所)「京都の埋蔵文化財の現状と課題―平安京を中心に―」
 ・山田邦和(同志社女子大学)「コメント」
 司会︰吉井秀夫(京都大学)

◯T05-D"The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities"
Organisers: Kunihiko Wakabayashi (Doshisha University / Japan) and Kunikazu Yamada (Doshisha Women’s College of Liberal Arts / Japan)
1st September, 9︰00-11︰00, 14︰20-16︰20
Type: Symposium
◎9︰00-9︰20、Mr. Takumi Furukawa, Toshitaka Kamai, Shun Sakamoto, and Ryo Nakatsuka
"Jurakudai, the center of Kyoto in the late 16th century: Investigating Mid-early Modern
◎9︰20-9︰40、Ms. Wenjing Wang
"Early complex societies in the Upper Daling Valley and Chaohu region: A comparative analysis of settlement systems in China"
◎9︰40-10︰00、Dr. Tatsuya Murakami, and Shigeru Kabata
"Early Urbanism in Central Mexico: Preliminary Results of the Tlalancaleca Archaeological Project, Puebla"
◎10︰00-10︰20、Ms. Hema Thakur
"Urbanization at Sannati - an early historic Buddhist settlement in North Karnataka, India"
◎10︰20-10︰40、Dr. Dragos Mandescu
"Campulung (Langenau / Dalgopole / Hosszumezo), Arges County, Romania: between the glamour of the archaeological heritage and the faded present"
◎10︰40-11︰00、Mr. Joakim Kjellberg
"Materialising urbanism - comparing material Culture and urban identities in a medieval townscape"
◎14︰20-14︰40、Mr. Kunihiko Wakabayashi
"Cities or Settlements?: Local center in Early Agricultural Society in Japan"
◎14︰40-15︰00、Prof. Kunikazu Yamada
"The Comparative study of Ancient Cities"
◎15︰00-15︰20、Dr. Akira Yamanaka
"Ancient Cities and Capitals in East Asia and Japan"
◎15︰20-15︰40、Dr. Tsuyoshi OZAWA
"Comparison of Initial Capitals in Ancient Japan and China"
◎15︰40-16︰00、Prof. Nobuya Ami
"The structure and planning of Heian-kyo, the last capital of Ancient Japan"

【書いたもの】
■Kunihiko Wakabayashi and Kunikazu Yamada, Organisers: T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities, WAC-8 Kyoto Program Committee, directed by Makoto Tomii, Editing. WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, under the direction of WAC Japan, 〈Kyotanabe〉,2016(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会プログラム作業班(編集),The Eighth World Archaeological Congress Book of Abstracts, 京田辺, 世界考古学会議第8回京都大会実行委員会・特定非営利活動法人WAC Japan事務局,2016年8月28日), pp.128-130.
■Kunikazu Yamada: The Comparative study of Ancient Cities, WAC-8 Kyoto Program Committee, directed by Makoto Tomii, Editing. WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, under the direction of WAC Japan, 〈Kyotanabe〉,2016(世界考古学会議第8回京都大会実行委員会プログラム作業班(編集),The Eighth World Archaeological Congress Book of Abstracts, 京田辺, 世界考古学会議第8回京都大会実行委員会・特定非営利活動法人WAC Japan事務局,2016年8月28日),, p.130.

【しゃべったこと】
◎Kunikazu YAMADA; Comment, Public Lecture2: WAC-8 Kyoto Local Organizing Committee, World Cultural Heritage and the Modern City, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), Hardy Hall, Kambaikan, Doshisya University, August 29(Mon),2016(山田邦和「コメント」〈WAC-8京都大会実行委員会(主催)「第8回世界考古学会議〈WAC-8〉公開講演会第2日「世界文化遺産と現代都市」、於同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディホール、2016年8月29日〉)
◎Kunihiko Wakabayashi and Kunikazu Yamada, Organisers: T05-D The Comparative Urban Archaeology: Kyoto and Global Comparison of Cities, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), RY107, Ryoshinkan, Doshisya University, 1st September,2016.
◎Kunikazu Yamada: The Comparative study of Ancient Cities, The Eighth World Archaeological Congress(WAC-8), RY107, Ryoshinkan, Doshisya University, 1st September,2016.

2016.08.10

ずいぶんの御無沙汰、の巻

 ずいぶんの御無沙汰となった。今更遅いかもしれないが、とりあえずその間の動静を記録しておきます。なお、この春学期から、火曜日が2講時~5講時(つまり、11時から18時15分まで)の過密スケジュールになってしまったのがしんどい。

 4月2日(土)
 入学式。終了後、千里に急いで、一般財団法人朱雀基金の懇親会。

 4月11日(月)
 京都橘大学文学部歴史遺産学科への出講の開始。他大学へ非常勤に出かけるのは久しぶりである。担当は「遺産情報演習」。

 4月16日(土)
 古代学研究会例会で報告。

 4月17日(日)
 拙宅で、平安京・京都研究集会の準備会。それから、拙宅のリビングで持ち寄りメニューで懇親会。こういうのもいいな。

 4月23日(日)
 奈良県文化会館で、新しくはじまった「ソグド研究会」に出席。

 5月3日(火)
 京都大学人文科学研究所の冨谷至教授のご自宅に招いていただく。箕面の滝は久しぶり。

 5月13日(金)
 秋にやらせていただく伏見での講演会の打ち合わせ。担当していただいている人は、実に驚くべき方の孫にあたっているとのこと。縁の不思議さに感銘を受ける。

 5月14日(土)
 古代文化研究会の旧二条城の発掘調査の現場公開にでかける。

 5月22日(日)
 前近代都市論研究会で報告。そして、七条の鴨川のところにあるインド・ネパール料理店で、「論集」刊行の打ち上げ。

 5月28日(土)~5月29日(日)
 日本考古学協会の総会(於東京学芸大学)。総会で、心ならずも理事会の提案に反対意見を述べなくてはならないハメになったため、気が重いままに東京に出かける。恐懼する私に対して、理事の皆さんが笑顔で迎えてくださったのがせめてもの慰めである。

 6月3日(金)
 京都市考古資料館と京都市歴史資料館のハシゴ見学。歴史資料館では伏見城の展示。

 6月4日(土)
 一般財団法人朱雀基金の研究会(於京都大学人文科学研究所)。

 6月5日(日)
 藝能史研究会の大会(於同志社女子大学今出川キャンパス)で、祇園祭を学ぶ。

 6月6日(月)
 京都平安文化財がやっておられる嵯峨遺跡の発掘調査の見学(私は調査検討委員)。

 6月8日(水)
 3回生ゼミの呑み会。

 6月17日(金)
 全国大学博物館学講座協議会の大会で、徳島。しかし、日帰りのトンボ返り。

 6月18日(土)・19日(日)
 仁木宏さんの「城下町科研」研究会の金沢大会。金沢城下町を歩き、北陸の城下町を学ぶ。

 6月24日(金)
 どういうわけか同志社教職員組合の役員があたったため、夕方は組合団交に参加。とはいっても私は下っ端なので、ひたすら待機要員。

 6月25日(土)
 京都女子大学宗教・文化研究所の公開講座に参加。ずっとこの講座を主催されてきた野口実さんが昨年度いっぱいで定年退職となって名誉教授称号を受けられた。報告は、野口さんと、源義経研究家として知られる前川佳代さん。終了後は、宗教・文化研究所の共同研究室で旧交をあたため、あとは前川さんをお誘いしての呑み会。

 6月26日(日)
 大阪歴史学会の大会(於関西学院大学)に参加。古代史部会、考古部会、中世史部会をハシゴ。特に聞きたかったのは、川元奈々さん(大阪市立大学大学院)の「足利義昭・織田信長政権の訴訟対応と文書発給」。川元さん、この半年くらい、報告の準備に心血を注いでこられた。その成果が実って堂々とした報告となったのは、御同慶のいたりである。終了後は全体の懇親会に参加して、それから、中世史部会の二次会に潜り込ませていただくと、どういうわけか乾杯の音頭の御指名を受けてしまう。

 7月2日(土)
 嵯峨遺跡の現地説明会に参加。それから、ちょっと確かめたいことがあったので、等持院に参詣。

 7月3日(日)
 ウチの大学の京都研究会の見学会で、宇治。学生には、ぜひ萬福寺に行くように勧めた。宝蔵院の鉄眼一切経版木も見ることができる。それから、宇治上神社から平等院。

 7月8日(金)
 東京行き。宮内庁との「陵墓懇談」。

 7月10日(日)
 参議院議員選挙。与党圧勝に、肩を落とす。

 7月11日(月)
 岐阜県関市の町並みを歩かせてもらう。関市文化財センターに私の「教え子」にあたる森島一貴氏がおり、山村亜希さんが調査に行かれるということで、同道させてもらった。その後はひとりになって、久しぶりに岐阜城に登り、はじめて加納城跡を見学。

 7月14日(木)
 今出川キャンパスの「博物館実習」は、祇園祭宵山の見学。

 7月16日(土)・17日(日)
 妻のお供で、2日間とも、JAZZライヴ。17日は祇園祭山鉾巡行の前祭。

 7月22日(金)
 東京から水ノ江和同氏(文化庁)が上洛されるので、松藤和人先生(同志社大学教授)に誘っていただいて、同志社近くの「隠れ家」的日本料理の店で宴会。

 7月24日(日)
 旧友の寺升初代さんとともに、京都市美術館のダリ展。

 7月30日(土)
 京都市交響楽団の演奏会。指揮はアメリカの若手のユージン・ツィガーン。曲目はシューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調「未完成」とマーラー:交響曲第5番嬰ハ短調。演奏は圧倒的。終了後は、元木泰雄(京都大学教授)、今岡典和(関西福祉大学教授)の両先生と共に呑み会、音楽について語りあかす。

 7月31日(日)
 第32回平安京・京都研究集会「近世京都の大名屋敷」。午前中は山本雅和さんの案内で「現地見学会」 。午後は研究会。報告は千葉拓真さん(飯田市歴史研究所、日本近世史) 「近世大名家の京都における活動と京都屋敷」、藤川昌樹さん(筑波大学、建築史) 「隠棲都市:大名京都屋敷の一側面」、山本雅和さん(京都市埋蔵文化財研究所、日本考古学) 「近世京都の大名屋敷の遺跡と遺物」。そしてコメントが中村武生さん(京都女子大学、都市史) 、討論司会は登谷伸宏さん(京都橘大学、日本建築・都市史)と仁木宏さん(大阪市立大学、中近世都市史)。珍しいテーマなので参加者がどれだけ集まるか案じていたが、会場がほぼ満員となる盛況。ありがたや。

 8月7日(日)
 陵墓関係16学協会シンポジウム「『陵墓』公開をめぐる成果と未来ー箸墓古墳・伏見城の立入り観察成果報告と『陵墓』の名称ー」(於神戸市勤労会館)。スケジュールは次の通り。あいさつ:新納泉(日本考古学協会)、「基調報告:王墓立入り観察の成果 —箸墓古墳から野口王墓古墳まで」岸本直文(大阪歴史学会)、「関連報告:伏見城-立入り その後」中西裕樹(大阪歴史学会)、パネルディスカッション「『陵墓』の名称と『陵墓』をめぐる現在」(趣旨説明:陵墓関係16学協会運営委員会、司会:今尾文昭(古代学研究会) 、発話・パネラー:山田邦和(古代学協会)・後藤真(日本史研究会)・高木博志(京都民科歴史部会))。私はパネルディスカッションでの問題提起役とパネラー。考えたあげく、かなり「過激」なことを言わせてもらう。

【書いたもの、たずさわったもの】
■森浩一(著)、森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第3巻編集担当:前園実知雄・門田誠一〉『森浩一著作集 第4巻「倭人伝と考古学」』(東京、新泉社、2016年8月15日)、全339頁。
■山田邦和(著)「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」(『日本史研究』第647号掲載、京都、日本史研究会、2016年7月20日)、21~51頁。
■山田邦和(著)「歴史ニュースを読み解く~指月伏見城の発掘調査」(『土車』第129号掲載、京都、古代学協会、2016年6月20日)5頁。

【しゃべったこと】
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都1(3)(現地見学)二条城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、京都、二条城、2016年6月10日)。
◯山田邦和(講師)「京都学講座・院政期京都の研究1」3「鳥羽殿」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年6月25日)。
◯山田邦和(講座)(3)「中世初期の内乱の時代と天皇陵―安徳、後鳥羽、土御門、順徳天皇陵など―」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年6月25日)。
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(1)(現地見学)東本願寺」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、東本願寺、2016年7月1日)。
◯山田邦和(講師)「京都学講座・院政期京都の研究1」4「待賢門院と崇徳天皇」(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2016年7月15日)。
◯山田邦和(講座)「(1)奈良県橿原市の天皇陵―宣化天皇陵と欠史8代の天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2016年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2016年7月22日)。
◯山田邦和(講座)「徳川幕府と京都2(2)近世京都のルネッサンス」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(46)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2016年7月29日)。
◯今尾文昭(司会)、陵墓関係16学協会運営委員会(趣旨説明)、山田邦和・後藤真・高木博志(発話・パネラー) パネルディスカッション「『陵墓』の名称と『陵墓』をめぐる現在」(陵墓関係16学協会シンポジウム「『陵墓』公開をめぐる成果と未来―箸墓古墳・伏見城の立入り観察成果報告と『陵墓』の名称」、神戸、神戸市勤労会館講習室308、2016年8月7日)。

【講義】
(同志社女子大学大学院文学研究科「考古学特論」は受講者が無かったため、今年度は閉講)。
特記なきものは同志社女子大学現代社会学部〈特記なきものは京田辺キャンパス開講〉)。
   〈月〉2講時「遺産情報演習II」(京都橘大学文学部)
   〈火〉2講時「応用演習」、3講時「考古学I」、4講時「京都文化論I」、5講時「博物館実習(京田辺クラス)」
   〈水〉2講時「基礎演習」、3講時「専門基礎演習」
   〈木〉2講時「博物館実習(今出川クラス)」、4講時「卒業研究」

2016.06.04

「日本古代都城における複都制の系譜」刊行、の巻

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書誌︰仁木宏(編)、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義(著)『日本古代・中世都市論』(東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、全336頁。

 仁木宏さんを中心として続けている小さな研究グループ「前近代都市論研究会」の論文集『日本古代・中世都市論』(東京、吉川弘文館、2016年)ができあがってきた。待ち望んだ刊行なので、嬉しい。この研究会を始めたのは1999年、研究会の成果である前の論文集『都市―前近代都市論の射程』(東京、青木書店)を出したのが2002年だから、会の開始から17年、前の本から14年が経ったことになる。仁木さんが「あとがき」で書いておられる通り、「前の本を執筆していた当時は、ほとんどのメンバーは30歳代でしたが(山田補注︰この時、一番若い山村亜希さんはまだ20歳代。そして実は、私だけが40歳を超えていた・・・・)、今は50歳代が大半となりました。この間、大病をした者もいれば(山田補注︰これ、私のこと)、勤務先の激務に翻弄されているメンバー(山田補注︰これは仁木さんご自身のこと)も少なくありません」ということになる。歳月が通り過ぎる早さを感じるばかりである。

 私がここで執筆した論文は「日本古代都城における複都制の系譜」(同書43~82頁)。周知のように私は、古代都城といえば平安京に限って発言をしてきた。なにせ、その前の長岡京、平城京、「藤原京」、難波京、そして飛鳥の都については、コワイ先輩の研究者の皆さん(その筆頭といえば、なんといっても山中章さんだろうな)が睨みをきかせている。そんな中に単身で斬り込んでいく勇気など、なかなか持つことができなかったのである。
 しかし、私ももう、何かを言ったからといって、他からの批判をいちいち気に病まねばならないような年齢ではない。気後れしてばかりで、せっかく学び考えてきた成果を残しておかないというのは、なんとももったいないことである。そう考え直して、このテーマにとりくむことにしたのである。とはいっても、この論文の原型は、私が花園大学を辞する直前の2006年11月の花園大学史学会大会で口頭報告しているから、それから数えても10年間は温め続けていたことになる。「満を持して」とまではいえないにせよ、私としては言いたいことを述べ切った論文となった。
 だいたい、この論文集の執筆にあたっても、編者の仁木さんから、通説にとらわれない刺激的で戦闘的な研究を、と煽られてきた。力不足であっても、私なりに仁木さんの「挑戦」に応えたつもりである。
 
 この論文で言いたかったことは多岐にわたっているが、主要な論点は次のとおり。
 ◎ 平城宮や平安宮(当初は「葛野宮」)のような「単都制」は、日本古代都城史のスタンダードではない。
 ◎ 日本古代都城史は、単都制と複都制の双方を振り子のように揺れ動きながら進展した。単都制に落ち着くのは、最終の長岡宮・平安宮にいたってのことであった。
 ◎ 難波宮こそは日本古代都城史のキー・ワード。特に孝徳天皇の難波長柄豊碕宮(前期難波宮)こそは画期的な都であった。
 ◎ 聖武天皇の難波宮は「副都(第2首都)」ではなく「正都(第1首都)」。聖武天皇の理想は壮大な複都制。
 ◎ 天武天皇も、難波宮を正都と構想していたか、または飛鳥と難波を対等の首都として考えていた。
 ◎ それに対して、斉明朝の飛鳥の宮と倭京(いわゆる「飛鳥京」)は「偉大なる、異形<いぎょう>にして反動の都城」。
 ◎ だいたい、「遷都」を「京」の移動とするのは間違い。遷都は「宮」が移動すること。
 ◎ 平安京のような、全体を矩形に設計し、その内部に東西南北の直交道路を敷設するという「条坊制・方位プラン都城」は、必ずしも日本古代都城の全てではない。たとえば恭仁京は、「非条坊制・不整形プラン都城」であった(54頁に載せたえらいケッタイな恭仁京の復元案、びっくりしていただければ「成功」である)。

 自分としても、かなり、ケンカを売っているようなことを言っているぞ。その分、この分野の他の研究者の方々からは総スカンを食うかもしれないが、まあいい。とにかく、この論文で、私の考えている日本古代都城史のアウトラインの一端を、なんとか提示することができたと思っている。

【書いたもの】
■京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・高野澄・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・山田邦和(執筆)『第12回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2016年6月10日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は「3級1(問4)」009頁、「3級1(問5)」010頁、「3級1(問6)」011頁、「2級1(問4)」107頁、「2級1(問5)」108頁、「1級1(問3)」203頁)。

【しゃべったこと】
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の中期天皇陵―允恭・雄略天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(2016年4~6月期)、於栄中日文化センター、2016年4月22日)。
□山田邦和(講座)「徳川幕府と京都(2)徳川幕府の成立と二条城の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年5月13日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・院政期京都の研究1」2「院政期の白河」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年5月20日)。
□山田邦和(ガイド)「【東山】考古学者とめぐる、愛憎渦巻く法住寺殿・平家物語の世界へ―法皇と愛した女性が眠る、東山の麓に誕生した広大な離宮―」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、於三十三間堂、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原、2016年5月21日)。
□山田邦和(報告)「古代比較都市史試論」(「前近代都市論研究会」例会、於キャンパスプラザ京都、2014年5月22日)。
□山田邦和(講座)「(2)「奈良時代の天皇陵―元正・聖武・称徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(2016年4~6月期)、於栄中日文化センター、2016年5月27日)。

【テレビ出演】
□BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)、朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「京都歴史ミステリー 金閣寺の謎〜足利家100年物語」(BS-TBS、2016年5月13日放送)。
□NHK(制作・著作)、NHKエデュケーショナル(制作)、渡辺圭・田畑壮一(制作統括)、横山敏子(プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・寺久保倫(ディレクター)、近田雄一・市川紗椰・山本博文・ベルナール=デルマス、金坂清則・斉藤敏明・丹沢研二・山田邦和・入澤崇(出演)『先人たちの底力 知恵泉』「明治の旅行家 イザベラ・バード」(NHK Eテレ、2016年5月17日放送〈5月24日再放送〉)

2016.05.06

仁木宏・山田邦和編『歴史家の案内する京都』、刊行

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 仁木宏・山田邦和編『歴史家の案内する京都』(文理閣)が仕上ってきた。書店に並ぶのは来週後半くらいになると思う。かなり手間をかけた仕事なので、綺麗な書物になって、たいへんに嬉しい。出版社の編集者としてのウチの奥様のてがけた最初の書物にもなった、ということで、わが家にとっては記念的なものになる。とはいうものの、完成までにはかなりの時間がかかってしまった。編者のひとりとして、早くに原稿をあげてくださっていた執筆者の皆さんにお詫びを申し上げたい。

 本のオビには「『もっと知りたい』京都歩きに必携! 地下に眠る何層もの遺跡、地上に残る寺社や城跡。考古学・文献史学の最新成果で復元される都の歴史。京都を知り尽くした歴史家15人によるガイドブックの決定版」というキャッチコピーが踊っている。これ、掛け値なしの真情である。編者である私も仁木さんも、ゼミや研究室の学生たちや、一般の市民の方々を案内して京都の史跡を巡る機会がしばしばある。そうした巡見の内容をそのまま本にした、と言ったらわかっていただけるのではないかと思う。

〈平安遷都以前〉
 1 太秦・嵯峨野の古墳群(山田邦和〈同志社女子大学教授〉)
 2 長岡京(中島信親〈向日市埋蔵文化財センター普及係長〉)
〈平安・院政・鎌倉時代〉
 3 平安宮(山本雅和〈京都市考古資料館副館長〉)
 4 京都周辺の山林寺院(梶川敏夫〈京都女子大学・京都造形芸術大学非常勤講師〉)
 5 検非違使の活躍(京樂真帆子〈滋賀県立大学教授〉)
 6 鳥羽殿(大村拓生〈関西大学非常勤講師〉)
 7 白河(山田邦和)
 8 別業都市宇治(杉本宏〈宇治市歴史まちづくり推進課主幹〉)
 9 法住寺殿(野口実〈京都女子大学名誉教授〉)
 10 六波羅(野口実)
 11 西八条・七条町(野口実)
 12 清水坂と鳥部野(山田邦和)
〈室町・戦国時代〉
 13 中世都市嵯峨(山田邦和)
 14 「洛中洛外図屏風」の上京(仁木宏〈大阪市立大学大学院教授〉)
 15 戦国時代の下京(河内将芳〈奈良大学教授〉)
 16 祇園祭(河内将芳)
 17 山科本願寺・寺内町(仁木宏)
 18 洛東の山城遺構(福島克彦〈大山崎町歴史資料館館長〉)
 19 大山崎(福島克彦)
 20 石清水八幡宮と八幡(鍛代敏雄〈東北福祉大学教授〉)
〈近世・近代〉
 21 聚楽第(森島康雄〈京都府立丹後郷土資料館主査〉)
 22 御土居堀(中村武生〈京都女子大学・大谷大学等非常勤講師〉)
 23 大仏と豊国社(河内将芳)
 24 伏見城(森島康雄)
 25 二条城(森島康雄)
 26 京都御所(京樂真帆子)
 27 近代における豊臣秀吉の顕彰地(坂口満宏〈京都女子大学教授〉)

 目次と執筆者を見ていただくだけで、なかなかの豪華メンバーであることはご理解いただけよう。ピタリとハマり役、といった人もいるし、その一方では類書には見られないユニークなテーマも挙げてある。定番のテーマについても、すでにどこかで書いているようなマンネリに陥るのではなく、充分に新しい視点と内容を盛り込んでもらった。もちろん、この小さな書物だけで京都の歴史のすべてを通観できるわけではない。特に、近代の京都については1項目しか採り上げることができなかった。平安京そのものについても、もっともっと語りたかったのは確かである。その点では「穴だらけ」ではあるのだが、京都の歴史の厚みを考えるとそれはむしろ当然であろう。むしろこの本では、第一線の歴史家たちが、自分の最も得意とする分野について、実際の京都を案内するという臨場感に力点をおいたのである。手前味噌ではあるが、そうしたガイドブックとしては充分に成功したのではないかと思っている。私自身も、これから京都の案内にこの本を活用していくことになるだろう。

 出版元については次の通りです。
図書出版文理閣「http://www.bunrikaku.com/」
 〒600-8146 京都市下京区七条河原町西南角
 TEL.075-351-7553、FAX.075-351-7560

まもなく書店に配本されますが、もし見つからない場合は書店に注文していただいたら結構ですし、
また文理閣 本の注文ページ「http://www.bunrikaku.com/postmail1.html」や、電話(075-351-7553)・ファックス(075-351-7560)、文理閣営業部へのメール
で、直接注文もできます(当然ですが、住所氏名・希望冊数などの情報は必須です)。
なお、Amazonに紹介されるまでには少しばかり時間がかかりますが、それも載るはずです。

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【書いたもの】
■森浩一、森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第3巻編集担当:中村潤子・山田邦和・坂靖〉『森浩一著作集3 渡来文化と生産』(東京、新泉社、2016年4月15日)、全333頁
 ~中村潤子・山田邦和・坂靖「解題」310~330頁(山田執筆︰「無題(「解題」の総論)」310・311頁、「和泉河内窯の須恵器編年」313~315頁、「大阪府南部窯址資料による須恵器編年略表」316・317頁、「南海道の古代窯業遺跡とその問題」318・319頁、「飯蛸壺形土器と須恵器生産の問題」319・320頁、「古代産業-漁業」321・322頁、「製塩についての二つの覚書」322・323頁、「生道塩」323・324頁)
■山田邦和「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(記念誌編集委員〈森本浩行・西村祐一・内藤郁子・皿倉のぼる〉編、山田邦和・笠原一人・篁正康・大塚活美・西山剛・南博史ほか執筆『京の三条まちづくり―京の三条まちづくり協議会20周年記念誌―』所収、京都、京の三条まちづくり協議会、2016年3月吉日)、6~13頁
■山田邦和「クルマについての研究メモ」(京樂真帆子編『古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—』2012年度~2015年度科学研究費補助金〈基盤研究(C)〉研究成果報告書)所収、彦根、滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科、2016年3月31日)、99~103頁+図版データ(付属CD-Rに所収)
■山田邦和「日本古代都城における複都制の系譜」(仁木宏編、仁木宏・古市晃・山田邦和・京樂真帆子・大村拓生・河内将芳・福島克彦・山村亜希・山本雅和・山近博義執筆『日本古代・中世都市論』所収、東京、吉川弘文館、2016年5月10日)、43~82頁
■仁木宏・山田邦和編、仁木宏・山田邦和・中島信親・山本雅和・梶川敏夫・京樂真帆子・大村拓生・杉本宏・野口実・河内将芳・福島克彦・鍛代敏雄・森島康雄・中村武生・坂口満宏執筆『歴史家の案内する京都』(京都、文理閣、2016年5月20日)、全244頁
 ~山田邦和「1太秦・嵯峨野の古墳群」12~21頁、「7白河」70~81頁、「12清水坂と鳥部野」109~115頁、「13中世都市嵯峨」118~125頁。仁木宏・山田邦和「はしがき」3・4頁、「あとがき」242頁。

【著作物の提供】
■神戸市資料提供、高橋昌明・山田邦和監修、NEP・DML制作協力「大輪田泊の復元CG」(浜島書店編集部編『よみとき総合歴史』所収、東京、浜島書店、2016年3月4日)、40頁
■黒澤達也画、山田邦和監修「平安京で花開く貴族文化~平安京」(黒田日出男・小和田哲男・阿部恒久・成田龍一・里井洋一・真栄平房昭・仁藤敦史・土屋武志・梅津正美・木村直樹『社会科 中学生の歴史―日本の歩みと世界の動き―』所収、東京、帝国書院、2016年1月20日)、44頁

【しゃべったこと】
□山田邦和「豊臣秀吉と京都4(1)御土居・寺町・天正地割」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年1月8日)
□山田邦和「豊臣秀吉と京都4(2)秀吉の朝鮮侵略と伏見城」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年2月12日)
□山田邦和「豊臣秀吉と京都4(3)(現地見学)ふたつの伏見城(指月城・木幡山城)跡」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(44)、於伏見城跡の現地、2016年3月11日)
□山田邦和「(3)平安京南郊 鳥羽の離宮の天皇陵―白河・鳥羽・近衛天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」2016年1~3月期、於栄中日文化センター、2016年3月25日)
□山田邦和「徳川幕府と京都(1)関ヶ原の戦い」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(45)、於朝日カルチャーセンター京都、2016年4月8日)
□山田邦和「京都学講座・院政期京都の研究1(1)白河法皇と院政の開始」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年4月15日)
□山田邦和「平安京と天皇陵」(古代学研究会主催「古代学研究会4月例会」、於アネックスパル法円坂A棟3階第1号室、2016年4月16日)

2016.04.28

鎌田久美子(山本久美子)さんを悼む

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(← 花園大学考古学研究室の合宿旅行、福岡県前原市(現・糸島市)曽根遺跡群狐塚古墳にて〈2005年11月7日〉。右から二人目が鎌田久美子さん)

 4月23日22時、私にとっては「教え子」のひとりであるとともに、大事な友人であり協力者でもあった山本久美子さん(旧名:鎌田久美子。平安京・京都研究集会世話人、関西大学大学院生)がこの世を去られた。御夫君の山本眞司さんからの知らせによってある程度の覚悟はしていたのであるが、いざその時が来てしまうと、悲嘆は筆舌につくしがたい。

 鎌田さんは滋賀県大津市坂本で生まれ育たれた。役所で保健行政の幹部として勤務されていた御父君の「自立できるための『手に職を』」という方針もあって看護士・保健師の資格を取得し、その専門職の公務員として永年にわたって勤められていた。そのままでいくならば、仕事熱心なひとりの女性として、いわば「ごくフツーの人生」が待っていたと思う。しかし、齢を重ねていくにつれ、「本当の自分」が何かという思いが日に日に大きくなっていくことを押さえられなかった。彼女は真剣に考えた結果、「本当に自分がやりたかったこと」は歴史を学ぶことであったということに思いいたり、私が在籍していた花園大学文学部史学科に社会人入学の枠を使って入ってこられたことであった。
 花園大学の入試の面接の時、私は彼女に「歴史学を学びたい? 考え直したほうがいいんじゃないの?」ということを繰り返したらしく、あとあとまで彼女はそのことを思い出話のネタにしていた。しかし、私の立場としたらそう言うしかないでしょう? 公務員として順風満帆なキャリアを重ねて来た人が、その安定した職を投げ捨ててて、どう転ぶかわからない未知の世界に飛び込みたいというのですから。しかし、彼女は決意を翻さなかった。その時の彼女にはもう、「あるべき自分」の姿が見えていたのだと思う。

 花園大学に入学した彼女は、私の主宰していた考古学研究室(考古学ゼミ)に所属し、学部から大学院へと進んだ。最初、私は、親子ほどの年齢差がある若い学生諸君の中で彼女が馴染んでくれるかと心配したが、それは杞憂に終わった。鎌田さんは学問に対する真摯さ、持ち前の情の深さ、若い人に対する面倒見の良さで、たちまち研究室の中心になってくれたのである。怠惰に流れる学生には容赦ない厳しい叱正を浴びせる一方、お金がない学生や困難に直面した学生には密やかな助力の手を延ばすのを忘れなかった。研究室のコンパの時に、ひとりの学生がハメを外しすぎて前後不覚の泥酔状態に陥ることがあった。あわてふためいてなすすべを失っていた私を尻目に、さすがは看護士の鎌田さんである。テキパキと介抱した上にその学生を遠方の下宿にまで付き添っていってくれたのである。ひとりの男性の卒業生は、学生時代には経済的に充分ではなかった上に、毎月の仕送りや収入の多くを本や調査旅行につぎ込んでしまっており、月末には食に事欠くこともしばしばだった。彼は「僕は欠食するたびに、鎌田さんがくれた米で生活をつないでいったようなものです」と懐古していた。お通夜の席で元女子学生のひとりは、眼を真っ赤に染めながら、「私にとって、鎌田さんこそは『京都のお母さん』でした」とつぶやいていた。それは、鎌田さんの世話になった多くの卒業生が共有する心情なのだと思う。
 また、かつて私が心臓病で倒れて生死の境をさまよっていた時、鎌田さんは私の妻のもとに駆けつけて力づけてくれた。悲嘆の極にあった妻にとって、鎌田さんの励ましは何にも増してありがたいものだった。

 鎌田さんは、中世・近世の墓地の研究に関心を持たれ、卒論や修論はその分野でまとめられた。私は京都府与謝郡の加悦町や野田川町の教育委員会から依頼を受け、福井遺跡や幾地地蔵山遺跡といった中世墓地の現況調査をおこなったことがある。もちろんのこと、この調査には鎌田さんに同道を願った。中世の墓地の遺跡でひとつひとつ石塔の記録をする鎌田さんは、実に楽しそうだった。「お墓が趣味? なんという変人だ!」とからかう私に対して、鎌田さんは「私は花見よりも『墓見』のほうがいいんです」(「墓見」は、鎌田さんが好きだった落語ネタである)と切り返して笑っていた。花園大学考古学研究室編、山田邦和・鎌田久美子執筆『京都府与謝郡野田川町 幾地地蔵山遺跡現状調査報告書』(花園大学考古学研究報告第14輯、京都府野田川町・京都、野田川町教育委員会・花園大学考古学研究室、2005年3月31日)は、この分野における鎌田さんの学問的な遺産となった。
 花園大学を修了してからもなお、鎌田さんの学問に対する想いは衰えなかった。花園大学では主として考古学を学んだが、中世・近世史を研究していくためには文献史学の研鑽が必要であることを痛感した鎌田さんは、改めて関西大学大学院文学研究科博士課程前期課程(日本史学専修)に入学し、薮田貫教授(日本近世史)のゼミに属した。そこでは、自分の本来の分野を生かして、近世・近代の医療史にとりくんでいた。関西大学在学時の著作には、薮田ゼミの有志グループで共同研究した、「女実語教宝箱」を読む会(仲田侑加・山本久美子・古林小百合・水上哲治・安藤久子)「史料紹介『女實語教寳箱』」(『関西大学博物館紀要』第21号、吹田、同博物館、2015年3月)がある。

 また、鎌田さんは私が担当した学会や共同研究の事務局の仕事も進んで引き受け、面倒な裏方の仕事に奔走してくれた。中世都市研究会2005年京都大会(会場︰花園大学)、(財)古代学協会の「仁明朝史研究会」、条里制・古代都市研究会事務局、平安京・京都研究集会世話人などがそれである。特筆されるのは、2009年3月から2011年3月までの、条里制・古代都市研究会事務局の仕事。思いも寄らず私にこの会の事務局長をやれという指名があったのであるが、なにせ事務的能力皆無の私のことである。とうてい大役をこなす自信はない。悩んだ末、鎌田さんが手伝ってくれるならば、ということで彼女に話をもちかけたら、二つ返事で「先生、やりましょう!」と言ってくれた。煩雑な仕事をテキパキとこなしてくれ、彼女なしには、この2年間の条里制・古代都市研究会はまわっていかなかったのが事実なのである。

 しかし、運命は非情なものである。花園大学在学中に鎌田さんが突然の大病に襲われた時には、私は頭が真っ白になったような思いを味わった。しかし医療の専門家でもある鎌田さんは、悠々と病院へと向かわれていた。手術によって回復されて一時は完治したかに見え、私は胸をなでおろしたのであるが、それが思いがけずも数年後に再発してしまった。それからの鎌田さんは、病気と共存しながらも、自分の本当にやりたかったことを追究していく、という道を選ぶことになった。そうした道は決して平坦ではなかったはずであるし、回を重ねていく入院治療によって彼女は満身創痍となっていったけれども、彼女は学問を忘れず、美味しい食事とお酒を愛し、身体が動く限りいろんなところに旅をし続けた。一番の理解者である御夫君に支えられながら、本当の自分をみいだしていった後半生は、彼女にとってはきっと幸せなものであったはずである。
 4月の第3週、ふいに鎌田さんから連絡が来なくなった。なんとなく胸騒ぎがした私は、彼女の携帯電話にかけてみた。驚いたことに、そこから聞こえてきたのは彼女ではなく、御夫君の山本さんの声だった。突然容態が悪化して救急車で病院に運ばれたのだという。私と妻は、とるものもとりあえず病院へと駆けつけた。ほとんど言葉は聞き取れなかったが、間近にせまっている平安京・京都研究集会準備会の段取りのことを案じているようだった。私は彼女の手を握り、研究会のことは心配することないから、ここでゆっくりしていったらいいよ、と声をかけるだけが精一杯だった。それが、私たちと鎌田さんの別れの時となってしまった。
 鎌田さん、これまで本当にありがとうございました。あなたのおかげで、私はどれだけ助けられてきたかわかりません。あなたのことは、あなたとかかわりのあった皆の心に生き続けます。鎌田久美子さん、どうか安らかに。

2016.04.18

熊本地震

 2016年4月14日21時26分頃および4月16日1時25分頃には、熊本を震源とする地震が発生しました。さらにそれにともなう余震や、九州の各地で地震が頻発しております。マスコミによって刻々と伝えられる被災地のありさまに、胸が締め付けられるような思いを味わっております。「地震列島」である日本に暮らしている以上、こうした被害は誰にとってもまったく他人事ではないと存じます。この地震の被災者の皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。何もできない自分が歯がゆく、情けないのですが、ささやかではありますが日本赤十字社の募金に応じたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

2016.03.21

沖縄を巡る、の巻

 2016年2月25日
 京都府与謝野町の幾池地蔵山遺跡(中世の墓地遺跡)の調査委員会で、丹後行き。

 2月26日
 陵墓関係16学・協会の陵墓立ち入り調査。今回は奈良県天理市の渋谷向山古墳(治定景行天皇陵)。

 3月3日
 古代学協会の、石作・小塩窯(緑釉陶器窯)の検討会。

 3月5日
 条里制・古代都市研究会の大会。研究報告があたっているので、その準備にこの数ヶ月間、四苦八苦を続けてきただった。お題は「平安京の都市的変容—古代から中世への展開—」 。京・鎌倉時代(あえてこの語を使う)の平安京復元図の提示と、平安時代から京・鎌倉時代の天皇・上皇の行幸・御幸の検討、さらにはそこからうかびあがってくる、中世都市「北山・衣笠・花園」の提唱、が主なテーマ。報告がおわって、肩の荷が降りる。

 3月6日
 ホントは条里制・古代都市研究会大会の二日目なのだが、失礼させていただいて、「森浩一先生に学ぶ会」で京田辺市の一休寺にある森先生のお墓参り。

 3月9日
 東京の立教大学の佐藤雄基さんのゼミ合宿が京都であるというので、鳥羽殿跡と中世都市嵯峨をご案内。あいにくの雨ではあるが、学生の皆さんの興味津々の目が嬉しい。

Img_1113(← 曲線の石垣が美しい座喜味城跡)

Img_1438(← 垣花樋川)


 3月12日(土)~14日(月)
 昨年度から、花園大学の高橋康夫先生の科研費の「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈基盤研究B、研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉に参加させてもらうことになった。その調査旅行として、5人での沖縄行き。沖縄は久しぶりだから、ワクワクである。

 高橋先生のご配慮で、まずは基本的な遺跡・史跡を巡ってみようということとなる。私もその中のいくつかは見ているのであるが、グスク(城)跡などは十数年前に見ただけ、というものが多いから、その時の記憶はほとんどさだかではない。それだけに、今回の機会はありがたい。
 
 3月9日︰三重城跡、波上宮、護国寺、天妃宮・天尊廟、上天妃宮跡、久米至聖廟(孔子廟)、崇元寺跡、園比屋武御嶽石門、首里城、円覚寺跡、天使館跡、玉陵、中山門跡、天女橋、金城石畳、金城大避川、内金城嶽、弁ヶ嶽
 3月10日︰中城跡、中村家住宅、勝連城跡、座喜味城跡、今帰仁城跡、今泊集落、浦添ようどれ・浦添城跡
 3月11日︰壺屋やちむんの里、尚徳王陵跡、識名園、島添大里城跡、斎場御嶽、知念城跡、垣花樋川<かきのはなヒージャー〈俗称シチャンカー〉>、仲村渠樋川、玉城跡、糸数城跡、浜川御嶽、具志川城跡、喜屋武岬

 これだけ回らせていただいたのであるから、強行軍ではあったが、実に中身の濃い旅となった。グスクの多くは、十数年前よりも整備が進み、見学しやすくなっているのがありがたい。玉城跡など、以前にはジャングルのような密林になってしまっていて登るのを断念したという思い出があるのであるが、今回行ってみるときちんと木製の階段が取り付けられていてすんなりと登れる。

 中でも、ちょっと度を失う思いを味わったのが、南城市玉城にある「垣花樋川<かきのはなヒージャー〈俗称シチャンカー〉>」。雨のあとなのでつるつると滑る石畳の急な坂道を100mにわたって降りていくところにある。上に載せた写真でわかると思うが、清浄な泉の水が導水管によってひかれ、そこから山肌をいくつもの小滝となって流れ落ちる。それが美しい池に溜められているのである。外見をみるだけならば、美しい庭園に見えることは請け合いである。
 しかし、実はこの綺麗な構造物は庭園ではない。この村落の人々の生活用水と農業用水なのである。私が愕然としたのは、この構造物についての記録が失われてしまい、何百年か後に発掘調査されたならば、ゼッタイに庭園と評価されるであろう。さらにその美しさから、誰かが「琉球王国の国王の離宮の庭園」などという評価を下してしまってもおかしくないし、そのまま信じ込んでしまうだろう。考古学に潜んでいる「陥穽」を突きつけられたような気がしたのである。

 3月18日
 わが大学の卒業式。卒業生の皆さんのこれからの人生が幸多いものになることを祈る。

【しゃべったこと】
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4」3「紫式部の生涯」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年1月15日)
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の後期前方後円墳―清寧・仁賢天皇陵、白鳥陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」2016年1~3月期、於栄中日文化センター、2016年1月22日)
□山田邦和(報告)「琉球王陵と日本の比較」(日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉2016年2月研究会、於花園大学高橋康夫研究室、2016年2月10日)
□山田邦和(講師)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(京都文化博物館地域共働事業実行委員会・京の三条まちづくり協議会〈主催〉「第30回 京の三条 まちカフェ」、於京都文化博物館別館講義室、2016年2月14日)
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4」4「安倍晴明と平安京」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年3月4日)
□山田邦和(報告)「平安京の都市的変容―古代から中世への展開―」(条里制・古代都市研究会〈主催〉「第32回条里制・古代都市研究会大会『平安時代における都市の変容』」、於奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
□山田邦和(講座)「(2)近つ飛鳥「梅鉢御陵」の謎―聖徳太子墓、敏達・孝徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」2016年1~3月期、於栄中日文化センター、2016年3月4日)
□山田邦和(講師)「織田信長と〈京都〉」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成28年度前期講座〈歴史コース〉、於すばるホール〈大阪府富田林市〉、2016年3月8日)
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4」5「平安京の祭祀」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2016年3月18日)

【テレビ出演】
■KBS京都・BS11(制作著作)、藤真利子(語り)、山田邦和(監修)、小林敏明(ディレクター)、三宅康仁・斉藤良・四方章雄(プロデューサー)、黒田誠・駒木根徹・磯ヶ谷好章(エグゼクティブプロデューサー)、山田邦和・釋真盛・井口忠男・川俣海雲・長宗繁一・出雲路敬栄(解説)『京都・国宝浪漫』「平安遷都ミステリー~御霊信仰と古代の国宝」(KBS京都、2016年3月7日放送、3月21日再放送)
■同上(BS11、2016年3月10日放送)

2016.02.28

熊野(1617会)、の巻

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(↑ 赤木城跡)

 2016年2月20日(土)・21日(日)
 1617会(いちろくいちななかい)の熊野研究集会「室町・戦国期の熊野を考える」に参加する。会場は和歌山県の新宮市。和歌山県は、和歌山市あたりまではよく行くのであるが、それより南にはなかなか足がのびないから、良い機会なのである。

 初日の20日は、現地見学会。ところが、残念なことに大雨と強い風となり、コースは一部変更を余儀なくされる。ただ、地元の方々の車に分乗させていただけるのはありがたい(乗せていただいた竹田憲治さん、ありがとうございましたm(_ _)m)。まずは、県境を越えて三重県の紀宝町にはいって(とはいっても、国でいうとここも紀伊国である)、京城跡(みやこじょう)。熊野地域では特に大規模な中世城郭だそうである。ただ、中腹の郭跡までは行けたのだが、この雨だとその上までは危ない、ということで断念。それでも、石垣の一部や大きな郭は観察できる。

 次は、熊野市紀和町の赤木城跡。和歌山県、三重県、奈良県の県境に近いような、かなりの山奥。とうてい、ひとりではこんなところまで来れないな。こちらは規模は小さいが石垣が見事な織豊系城郭。羽柴(豊臣)秀吉の熊野征服によって秀吉の弟の秀長が大和・紀伊の大名となり、その指示にしたがって城作り名人の藤堂高虎が築城した、とも言われている。

 そして、新宮の市内にもどって、熊野速玉大社の境内を通り過ぎて、この地域の戦国領主であった堀内氏の館跡の伝承地を訪ねる。

 失敗したのは、靴。防水靴を履いてこなかったので、靴下までぐっしょりと濡れてしまう。風も強いので、ズボンまでずぶ濡れである。まあ、熊野の大雨を体験するというのも悪くない、と自分を慰める。かつて、後白河法皇と共に熊野詣に行った建春門院平滋子サマ、熊野本宮で自ら舞を舞ったのであるが、折悪しく突然の大雨。しかしさすがにキモの座った建春門院サマである、ずぶ濡れになりながらも最後まで堂々と舞い、皆の賛嘆を集めたという故事もある。

 ホテルにかけこんで、あわてて靴を乾かし、楽しい懇親会へ。二日目は研究会。この日はカラッと晴れわたる(雨がもう6時間遅かったらよかったのに・・・・)。途中、徐福公園の「徐福墓」、阿須賀神社、徐福上陸記念碑、新宮城跡などを見学しながら会場に向かう。
 研究報告は伊藤裕偉さんの「中世後期の熊野の地域間交流」、藤岡英礼さんの「和歌山県内の城郭史—奥熊野の城館様相を中心に—」 、阪本敏行さんの「室町期~江戸期初頭の熊野地域史—戦国領主・堀内氏と那智山—」 の三本。そして仁木宏さんの司会のシンポジウム。熊野についてまったく無知なので、学ぶことばかりである。伊藤さんの報告は、いつもながらの快刀乱麻。熊野は、畿内からの瓦器文化圏と、東国からの灰釉陶器圏の接点にあたるという。もしかすると、そうした在地の土器圏の中で、京都の土師器の皿なんかが大量に出土する遺構が今後見つかるかもれしれない、それは後白河法皇や後鳥羽上皇の熊野御幸の痕跡になるだろう、などと夢想してしまう。
 藤岡さんと阪本さんの報告では、熊野の在地の領主の興亡とその城郭について学ぶ。ここで気になるのは昨日見学したふたつの城。京城は在地系なのに対して、赤木城は織豊系だという。ただし、赤木城は紀伊で唯一の織豊系城郭であるし、確かに大和からの街道筋という交通の要衝にあたるのであるが、規模は大きくないし、防備も堅固とはいえない。さらに、城下町を建設するスペースはまったくない。これ、豊臣の熊野支配の拠点というよりも、中央の最新式の城郭のサンプルを在地の連中に見せつけて驚かせ、それによって新しい支配者の権威を示すための「宣伝のための城」なのではないだろうか?という妄想が頭をよぎる。

 【しゃべったこと】
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の後期前方後円墳―清寧・仁賢天皇陵、白鳥陵」 (栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2016年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2016年1月22日)
□山田邦和(講師)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」(京都文化博物館地域共働事業実行委員会・京の三条まちづくり協議会〈主催〉「第30回 京の三条 まちカフェ」、於京都文化博物館別館講義室、2016年2月14日)

2016.02.03

57歳、の巻

Img_0008(←誕生日を祝して、ささやかに乾杯)

 2月3日(水)
 誕生日。57歳になった。最近、つくづくと年月の早さに感じ入ってしまうことばかりである。あとどれくらいの仕事ができるかはわからないが、ひとつひとつ、積み重ねていくほかはない。

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 新年になってからの日記

 1月2日(土)
 我が家においての恒例の、一族が集っての新年会。いつもならばイノシシのボタン鍋なのだが、今回はちょっと趣向を変えて、てっちり鍋。

 1月5日(火)
 仁木宏さん、京樂真帆子さんと、ウチの夫婦での新年会。仁木さん京樂さん行きつけの、茨木のシチリア料理の小さな店に誘っていただく。例によってワインをいっぱい開けてしまう。

 1月15日(金)
 京都での講座をすませて、すぐに、大阪府八尾市の八尾市歴史民俗資料館行き。「高安千塚古墳群―岩本文一コレクションの紹介―」という企画展示をぜひ見たかったのである。特に、長者の箸塚古墳から出土した須恵器の配像高杯形器台の優品に見入ってしまう。なお、この古墳、私は「(旧)高安村の長者という土地にある『箸塚古墳』」だと思っていたのだが、違うらしい。「昔々、このあたりに住んでいた長者が、食事のたびに箸を捨てて、それが積もって塚となった」という伝説を持っており、「長者の箸塚」で古墳の固有名詞なのだということ、小谷館長に教えていただく。

 1月16日(土)
 京都市埋蔵文化財研究所で、先日発掘調査がおこなわれた芝1号墳の出土須恵器を観察させていただく。

 1月17日(日)
 ウチの奥さまのお供で、浜大津の朝市。

 1月18日(月)
 懸案になっていた本づくりがようやく山場を越したため、出版社の文理閣に原稿を届け、打ち合わせ。

 1月23日(土)
 京都国立博物館構内の、「方広寺」跡の発掘調査の現地説明会の見学。明治の「恭明宮」の跡が出ているのが目を引く。そのあとは、京都国立博物館の名品をながめてゆったりとした時間を過ごす。

 1月26日(火)
 一般入試の、監督業務。

 1月27日(水)
 陵墓関係16学・協会に参加して、奈良県明日香村の野口王墓古墳(天武・持統両天皇陵)の立会調査見学。そのあとは、自転車を借りて、久しぶりに明日香村の散策。県立万葉ミュージアム、整備された酒船石遺跡亀形石造物など。

 1月29日(金)
 おなじく陵墓見学で、大阪府堺市の土師ニサンザイ古墳の見学。雨で大変。

 1月30日(土)
 京樂真帆子さん主催の科研費研究会。

 1月31日(日)
 京都市南区の久世の福田寺の見学会。平安時代にさかのぼる、伝承「龍神像」を拝見。 

2016.01.01

2016年(平成28年)元旦、の巻

Img_0304(「初詣」は、夜の散歩を兼ねての護王神社)

 2016年(平成28年)正月一日
 みなさま、あけましておめでとうございます。本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

 1月8日発売(奥付は1月23日付け)らしいのですが、洋泉社から『古代史研究の最前線 天皇陵』という本が出ます。ハンディな天皇陵問題への入門書としては適切なものと思います。私はこの中で「中世の天皇陵」を書かせていただきました。これまでも、鎌倉・室町時代の天皇陵についてまとめてみたいな、と思ってはいたのですが、なかなかそれにとりかかれなかったところ、ありがたい機会を与えていただきました。与えられた紙数が少ないので記述は簡単なものになりましたが、この時代の天皇陵についての私なりの見通しの一端を示すことができたのではないか、と思っています。本屋さんに並んだら、どうかお手にとってみてください。

【書いたもの】
■山田邦和「中世の天皇陵—堂塔式・石塔式から遺骨の納骨形式へ—」(洋泉社編集部〈編〉仁藤敦史・宮瀧交二・福尾正彦・天野末喜・西田孝治・宮崎康雄・岸本直文・石坂泰士・西光慎治・田中聡・黒羽亮太・山田邦和・鍛冶宏介・福島幸宏・上田長生・高木博志・新納泉・宮代栄一〈執筆〉『古代史研究の最前線 天皇陵』所収、東京、洋泉社、2016年1月23日)、56〜167頁(書物全体は全255頁)。

2015.12.31

2015年、やったこと、の巻

Img_0079(← 今年4月のお花見。滋賀県高島市海津大崎の桜。このあたりは、国の重要文化的景観「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」に指定されている。見ものは琵琶湖の湖岸の石垣〈「海津・西浜石積み」〉。ちょっと見るとまるで城郭のようだが、元禄16年〈1703〉に築かれた風波防止用の石垣である)

  今年もあと数時間。恒例で、バックに流すベートーヴェン「交響曲第9番」は、京響つながりということで、山田一雄指揮京都市交響楽団、秋山恵美子(ソプラノ)、荒道子(アルト)、田口興輔(テノール)、勝部太(バリトン)、京都市立芸術大学音楽学部合唱団・ベリョースカ合唱団による1983年12月21日のライヴ録音。山田一雄(1912~1991)(「ヤマカズ」先生の愛称で親しまれた)はいうまでもなく、日本のクラシック音楽界を引っ張ってきた大指揮者。音楽に没頭する忘我状態の指揮ぶりは有名。その分、本番中に足を踏み外して客席に落ちてしまい、それでも指揮棒を振りながら舞台によじ登ってきたとか、音楽に没頭しすぎて自分がどこを演奏しているのかすらわからなくなり、楽員に「今どこだ?」と尋ねたとか、ベートーヴェンの「第6番『田園』」なのに「第5番『運命』」と勘違いして棒を振り下ろしたとか、自分のレコードを聞かされて「これはフルトヴェングラーの演奏だ!」と断言したとか、とにかく逸話や伝説の多い大先生である。
 京都市交響楽団にとっても、1972~1976年に音楽監督・第6代常任指揮者をつとめられたし、そのあとも音楽顧問、正指揮者(1980~1982)、首席指揮者(1984~1985)として親しい関係にあった。私も学生時代には何度かヤマカズ先生指揮の京響の演奏会に行ったことがあり、そのダイナミックな指揮ぶりに感動した覚えがある。この「第9」(この時には私はエジプトの発掘調査に行っていたので、当然ながら、実演は聞いていない)も、そうしたヤマカズ先生の姿を思い起こさせるような緩急自在の熱っぽい演奏。特に、第4楽章、その中でもコーダの白熱ぶりは特筆ものである。

 さて、これも恒例。今年「やったこと」をまとめておこう。

 ちょっと嬉しいのは、「論文など」の学術的なものを7本、「共著・監修書」を4本、玉石取り混ぜてではあるけれども、とにもかくにも出すことができた、ということ。これは遅筆かつナマケモノの私としては特筆すべき新記録なのである。
 先月にも書いたが、この中で特に気に入っているのは「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」。とはいうものの、ちょっと好き放題すぎて、識者からは怒られるかもしれないな^^;)。「平安京の都市構造変遷」は、今後の平安京研究の基礎にしてもらえると思う。
 年末には、「中世史と考古学」を書いた『岩波講座日本歴史』第21巻ができあがってきた。これは正直、嬉しい。岩波講座の日本歴史はほぼ20年ごとに出されているのであるから、ここに載せられた論文はその段階での学界の集大成になるとともに、その後の20年間はスタンダードとして使われることが多いのである。もちろんこんな大きなテーマを書かせてもらうというのは私では力不足ではあるのだろうが、ただ、やっぱりこのシリーズは文献史学中心で、考古学の人間がここに参加することは限定されるから、書かせてもらったというそのこと自体が感激モノなのである。内容は、学生時代から考え続けていた「考古学とは何ぞや」というテーマと、考古学が中世史にどんな貢献ができるか、ということを突き詰めた。103頁図1の「歴史学の構成概念図」は私なりの「歴史学」の全体像を模式化したものであるから、ご興味ある方はぜひ読んでいただけるとありがたい。

 あと、どういうわけか今年はテレビ出演が多かった。女優の高島礼子さんや歌舞伎俳優の尾上松也さんと「共演」させてもらったことは役得である。とくに高島さん、綺麗であることはもちろんだが、気さくで礼儀正しい上に、頭が良くカンドコロの押さえ方が的確だという素晴らしい方で、いっぺんでファンになってしまったぞ\(^o^)/。

 それではみなさん、どうか良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしく。

【著書(共著・監修書)など】
■山田邦和・河内将芳(監修)『ビジュアル版 京都1000年地図帳』(別冊宝島2272、東京、宝島社、2015年1月11日)、全112頁。
 〜山田邦和(作図)「古代の京都MAP」(15頁)、「平安時代の京都MAP」(23頁)、「都の移り変わり」(24頁)、「平安京条坊復元図」(31頁)、「大内裏(平安宮)復元図」(32頁)、「平安時代後期〜鎌倉時代の京都MAP」(45頁)、「戦国時代の京都MAP」(59頁)、「応仁の乱による焼失地域」(66頁)、「戦国期の京都の城」(73頁)、「秀吉時代の京都MAP」(77頁)、「秀吉による京都の都市改造」(85頁)、「平安京以来の「碁盤の目」町割り・豊臣秀吉による「短冊形の町割り」(85頁)、「聚楽第復元図」(87頁)、「江戸時代の京都MAP」(95頁)
 〜山田邦和(土台作図)「現代の京都MAP」(20頁)、「名僧にちなんだ京都の寺院」(51頁)。
 (↑ この本、実際に配本されたのは2014年12月11日なのだが〈Amazonのデータもそうなっている〉、奥付は「2015年1月11日発行」なので、リストとしては2015年のところに入れておくことにしました。)
■駒井和緒(文)、遠田志帆(絵)、芥川龍之介(原作)、山田邦和(監修)『リライトノベル 邪宗門』(東京、講談社、2015年2月12日)、全203頁。
■京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・市川智也・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・黒田正子・佐々木歩・高野澄・徳丸貴尋・中村武生・中村正司・西村彰朗・細田香織・前川佳代・村岡真千子・町田香・山田邦和(執筆)『第10回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2015年8月31日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は9・10・101・108・206・207各頁)。
■同志社女子大学史料室編(Amdrew C.Elliott・藤原孝章・平光陸子・河江優・甲元洋子・村上元庸・中村憲夫・大島中正・山田邦和・余田義彦・米田祐子・北村博子〈2015年度史料室運営委員〉)『同志社女子大学史料室第20回企画展示「戦時下の同志社高等女学部・同志社女子専門学校」展示目録』(京都、同志社女子大学史料室、2015年11月〈日は明記なしだが、展示は11月20日開始〉)、全24頁(執筆分担明記なしだが、山田執筆は「Ⅰ 戦時下の京都」〈2~6頁〉)。

【論文など】
■山田邦和「天皇陵史料としての『扶桑略記』」(松藤和人〈編〉『同志社大学考古学シリーズXI 森浩一先生に学ぶ—森浩一先生追悼論集—』所収、京都、同シリーズ刊行会、2015年1月30日)、561〜577頁。
■山田邦和「複都制と移動王権」(『鷹陵史学』第41号掲載、京都、鷹陵史学会、2015年9月30日)、31~43頁。
■山田邦和「平安京の虚像と実像」(『説話文学研究』第50号掲載、名古屋、説話文学会、2015年10月10日)、11~21頁。
■山田邦和「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」(『第3回東海学シンポジウム2015 いくさの歴史―戦争の本質を見つめ直す』資料集所収、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2015年10月13日)、59~85頁。
■山田邦和「平安京の都市構造変遷」(『都市史研究』2掲載、東京、都市史学会〈販売︰山川出版社〉、2015年11月25日)、46~57頁(欧文要旨Transformation of Heiankyô〈3頁〉)。
■山田邦和「〈書評〉高橋康夫『海の「京都」―日本琉球都市史研究―』」(『花園史学』第36号掲載、京都、花園大学史学会、2015年11月15日)、46~55頁。
■山田邦和「中世史と考古学」(大津透・桜井英治・藤井譲治・吉田裕・李成市〈編集委員〉、大津透・佐藤信・細井浩志・高橋一樹・山田邦和・藤原重雄・西田かほる・保坂裕興・蘭信三・安田常雄・奥村弘執筆『岩波講座 日本歴史 第21巻「史料論〈テーマ巻2〉」』所収、東京、岩波書店、2015年12月22日)、99~124頁。(書物は全299頁)

【その他の著作】
■山田邦和「書評/著・上田正昭『「古代学」とは何か—展望と課題—』」(『京都民報』第2681号〈2015年3月29日号〉掲載、京都、京都民報社、2015年3月29日)、5頁。
■山田邦和「儀式用に特化 出雲型子持壺」(『山陰中央新報』2015年7月16日号掲載、松江、山陰中央新報社、2015年7月16日)、23頁。
■森浩一『森浩一著作集1 古墳時代を考える』(森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第1巻編集担当:前園実知雄・今尾文昭・坂靖〉、東京、新泉社、2015年8月15日)、全303頁。
■内田和浩(文)、中田昭(写真)、山田邦和(案内人)「特集 京都『時間旅行』のすすめ~第1章『平安京遷都』」(『サライ』第27巻第10号通巻第604号掲載、東京、小学館、2015年9月10日)。
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(6)(最終回)』付記」(『古代文化』第67巻第2号掲載、京都、古代学協会、2015年9月30日)、123頁。
■貝英幸(司会)、佐古愛巳・山田邦和・渡辺進一郎(パネリスト)「2014年度鷹陵史学シンポジウム パネルディスカッション」(『鷹陵史学』第41号掲載、京都、鷹陵史学会、2015年9月30日)55~70頁(山田発言︰57~59・61~64・66~69頁)。
■森浩一『森浩一著作集2 和泉黄金塚古墳と銅鏡』(森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第1巻編集担当:前園実知雄・今尾文昭・坂靖〉、東京、新泉社、2015年12月25日)、全323頁。

【学会・研究会】
□山田邦和「天皇陵問題の展望」(朱雀基金研究会、於京都大学人文科学研究所本館、2015年5月16日)。
□仁木宏・山田邦和(司会)、山田康弘・馬瀬智光・福島克彦(パネラー)「討論」(第30回平安京・京都研究集会「室町将軍と居館・山城 ―権力・器量・武威―」、於機関紙会館、2015年6月6日)。
□山田邦和「陵墓研究の現状と陵墓問題」(日本史研究会〈主催〉「日本史研究会創立70周年記念講演会」、於立命館大学朱雀キャンパス、2015年11月8日)。
□山田邦和「世界のなかのアジア古代都市」(日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」〈研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110〉2015年11月研究会、於花園大学高橋康夫研究室、2015年11月26日)。
□山田邦和「平安京の比較都市史学的検討」(研究代表者︰京樂真帆子、科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究-『新・輿車図考』の構築を目指して-」〈研究課題番号24520764〉研究会、研究期間2012年4月1日~2016年3月31日〈予定〉、於長岡京市生涯学習センター、2015年12月6日)。

【講演】
□山田邦和(講演)「豊臣秀吉と京都」(京都橘大学文学部歴史遺産学科2014年度講演会、於京都橘大学清風館、2015年2月3日)。
□宗田好史(コーディネイター)、高原光・山田邦和・岩田信一・河森一浩(パネリスト)「パネルディスカッション」(京都府・天橋立世界遺産登録推進事業実行委員会・天橋立を世界遺産にする会〈主催〉「天橋立世界遺産シンポジウム—天橋立を世界遺産に!美しいふるさとを子ども達に残そう—」、於与謝野町生涯学習センター知遊館、2015年3月15日)。
□山田邦和(外部講師)「室町・戦国時代の上京」(京都府立鴨沂高等学校「京都文化入門」、於同高等学校講堂、2015年4月25日)。
□山田邦和(ガイド)「【東山】 考古学研究者とめぐる、荘厳な政治宗教ワールド・法住寺殿~残る巨大苑池の断崖、東山の麓に誕生した広大な離宮~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京阪電車七条駅集合、三十三間堂(外観のみ)、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原を見学、2015年4月26日)。
□山田邦和「後白河法皇の院御所・法住寺殿」(アスニーセミナー、於京都アスニー、2015年5月29日)。
□山田邦和(講義・案内)「東山七条 秀吉栄華の跡を歩く―大坂夏の陣から400年―」(JR 東海 京都・奈良・近江文化情報事務局〈主催〉JR東海「そうだ京都、行こう。」オリジナルイベント、於豊国神社社務所、豊国神社・耳塚・方広寺・大仏殿跡・新日吉神宮・智積院を見学、2015年6月7日)
□山田邦和(講演)「装飾付須恵器からみた畿内と出雲」(島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館「風土記の丘教室」、於島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館、2015年7月18日)。
□山田邦和(講演)「平安京の都市とくらし」(花園大学「2015年 京都学講座~京のくらし―平安京から現代まで―」、於花園大学無聖館ホール、2015年8月2日)。
□山田邦和(講師)「平安京遷都」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成27年度後期講座〈歴史コース〉、於すばるホール〈大阪府富田林市〉、2015年9月15日)。
□山田邦和(ガイド)「【鳥羽離宮】考古学研究者と、復元図で辿る史上空前規模の離宮跡 ~さながら都遷りの如し、華やかな院政文化から激動の新時代へ~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、竹田駅南改札口集合、安楽寿院・近衛天皇陵・鳥羽天皇陵、白河天皇陵、城南宮、鳥羽離宮跡公園、金剛心院跡、田中殿公園を見学、2015年9月20日)。
□山田邦和(講演)「天皇陵の考古学」(徳島市立考古資料館〈主催〉「考古学入門講座」第5回、於徳島市立考古資料館研修室、2015年9月26日)。
□山田邦和(講演)「戦国時代の京都」(京都府・(公財)京都SKYセンター・京都府立大学・京都府立医科大学・京都SKY大学同窓研修会・京都府老人クラブ連合会〈主催〉「京都SKYシニア大学」北部短期講座、於京丹後市峰山総合福祉センター、2015年10月30日)。
□山田邦和(講演)「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉第3回東海学シンポジウム2015「いくさの歴史―戦争の本質を見つめ直す」、於春日井市民会館、2015年11月1日)。
□山田邦和(講演)「長岡京から平安京へ」(長岡京歴史散策の会〈主催〉、NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会〈共催〉「中山修一先生生誕100周年記念講演会『中山修一先生と長岡京研究―幻の都の扉を開く―』」、於長岡京市中央公民館市民ホール、2015年11月22日)。
□清水みき(司会)、山中章・山田邦和・中山忠彦・木村泰彦(パネラー)「ミニ座談会 中山先生と発掘現場」(長岡京歴史散策の会〈主催〉、NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会〈共催〉「中山修一先生生誕100周年記念講演会『中山修一先生と長岡京研究―幻の都の扉を開く―』」、於長岡京市中央公民館市民ホール、2015年11月22日)。
□山田邦和(講座)「織田信長と京都2(1)織田信長の天下統一戦」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(40)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年1月9日)。
□山田邦和(講座)「織田信長と京都2(2)本能寺の変」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(40)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年2月13日)。
□山田邦和(講座)「織田信長と京都2(3)(現地見学)本能寺の変を訪ねる」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(40)、於本能寺跡・妙覚寺跡・二条御所跡、2015年3月13日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都1(1)羽柴秀吉の登場」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(41)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年4月10日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都1(2)秀吉の天下統一戦」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(41)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年5月8日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都1(3)「(現地見学)秀吉を祀る豊国神社」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(41)、於豊国神社・方広寺、2015年6月12日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都2(1)武家関白としての秀吉政権」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(42)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年7月10日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都2(2)聚楽第の建設」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(42)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年7月31日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都2(3)(現地見学)聚楽第城下町の南部・西部」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(42)、於聚楽第城下町跡、2015年9月11日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都3(1)秀吉の後継者問題」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(43)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年10月9日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都3(2)豊臣秀次」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(43)、於朝日カルチャーセンター京都、2015年11月13日)。
□山田邦和(講座)「豊臣秀吉と京都3(3)(現地見学)醍醐寺」(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(43)、於醍醐寺、2015年12月11日)。
□山田邦和(講座)「(1)古市古墳群の天皇陵古墳—津堂城山古墳の被葬者は誰か?」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2015年1月23日)。
□山田邦和(講座)「(2)暗殺された崇峻天皇はどこに葬られたのか?」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2015年2月13日)。
□山田邦和(講座)「(3)文徳天皇の母・太皇太后藤原順子陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年1~3月期〉、於栄中日文化センター、2015年3月27日)。
□山田邦和(講座)「(1)王朝交替と継体天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年4~6月期〉、於栄中日文化センター、2015年4月24日)。
□山田邦和(講座)「(2)方墳となった飛鳥時代天皇陵—用明・推古天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年4~6月期〉、於栄中日文化センター、2015年5月15日)。
□山田邦和(講座)「(3)怨霊となった天皇への祭祀—崇徳天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年4~6月期〉、於栄中日文化センター、2015年6月26日)。
□山田邦和(講座)「(1)百舌鳥古墳群のふたつの天皇陵—履中・反正天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年7~9月期〉、於栄中日文化センター、2015年7月24日)。
□山田邦和(講座)「(2)天皇陵と中世城郭—安康・安閑天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年7~9月期〉、於栄中日文化センター、2015年8月28日)。
□山田邦和(講座)「(3)佐紀古墳群周辺の天皇・皇后陵―磐之媛陵、開化・垂仁両天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年7~9月期〉、於栄中日文化センター、2015年9月25日)。
□山田邦和(講座)「(1)悲劇の皇子・崇道天皇(早良親王)とその陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年10~12月期〉、於栄中日文化センター、2015年10月16日)。
□山田邦和(講座)「(2)葛城の天皇陵の謎―顕宗・武烈両天皇陵と飯豊天皇陵」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年10~12月期〉、於栄中日文化センター、2015年11月27日)。
□山田邦和(講座)「(3)宇治陵―平安時代藤原氏の墓域」(栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」〈2015年10~12月期〉、於栄中日文化センター、2015年12月25日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法2(3)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年1月16日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法2(4)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年3月20日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(1)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年4月17日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(2)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年5月15日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(3)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年6月19日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法3(4)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年7月17日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4(1)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年9月18日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4(2)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年10月16日)。
□山田邦和(講師)「京都学講座・平安京研究の方法4(3)」(古代学協会「古代学講座」、於古代学協会角田文衞記念室、2015年11月20日)。

【テレビ出演】
□BS-TBS(製作著作)、高島礼子(出演)、朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、鴨下潔・高橋典代(プロデューサー)、飯塚裕之・天竺桂英生(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)『高島礼子・日本の古都~その絶景に歴史あり』「初回2時間スペシャル 秀吉の桜・知られざる物語」(BS-TBS、2015年4月8日放送)
□BS-TBS(制作著作)、高島礼子(出演)、朝岡慶太郎(制作プロデューサー)、藤村卓也(プロデューサー)、黒本宏希・高橋圭司(ディレクター)、山田邦和ほか(出演)『高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり』「織田信長の物語・・・比叡山、本能寺」(BS-TBS、2015年5月20日放送、6月24日再放送)
□KBS京都・BS11(制作著作)、辰巳琢郎(案内役)、白井貴子・茂山逸平・MAKOTO(リポーター)、旭堂小二三(講談)、正木恭彦・磯ヶ谷好章(ゼネラルプロデューサー)、竹内信也・斉藤良・福島方史(プロデューサー)、山東寿海・石原朋子・諸正義彦(ディレクター)、辻壽々代(構成)、山田邦和ほか(出演)『京都 不思議百物語』(KBS京都、2015年7月10日放送)(BS11、2015年7月11日放送)
□BS11(製作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、尾上松也(出演)、磯ヶ谷好章・成田肇(ゼネラルプロデューサー)、武田伊正・手塚公一(プロデューサー)、丸山剛(演出)、田島優(ディレクター)、山田邦和(監修・案内人)『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第1回「幻の九重塔の謎」(BS11、2015年10月6日放送)
□BS11(製作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、尾上松也(出演)、磯ヶ谷好章・成田肇(ゼネラルプロデューサー)、武田伊正・手塚公一(プロデューサー)、山本雅泰(演出)、井上雄介(ディレクター)、山田邦和(監修・案内人)『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第4回「京都・城に秘められた権力者たちの思惑」(BS11、2015年10月27日放送)
□KBS京都・BS11(制作著作)、藤真利子(語り)、小林敏明(ディレクター)、三宅康仁・斉藤良・四方章雄(プロデューサー)、黒田誠・駒木根徹・磯ヶ谷好章(エグゼクティブプロデューサー)、江上正道・杭迫柏樹・鈴木景雲・山田邦和(解説)『京都・国宝浪漫』第53回「足利義満が求めた禅の世界と宝物たち〜相国寺」(KBS京都、2015年12月7日放送、12月21日再放送)
□BS11(製作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、尾上松也(出演)、磯ヶ谷好章・成田肇(ゼネラルプロデューサー)、武田伊正・手塚公一(プロデューサー)、山本雅泰(演出)、丸山剛・佐藤俊一郎(ディレクター)、山田邦和・木村幸比古(監修・案内人)『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第12回「京都総集編」(BS11、2015年12月29日放送)←『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第1回「幻の九重塔の謎」(2015年10月6日放送)を抜粋して収録

【展覧会担当】
□同志社女子大学史料室第20回企画展示『戦時下の同志社高等女学部・同志社女子専門学校』(於同志社女子大学史料室、2015年度同志社女子大学史料室運営委員〈Amdrew C.Elliott・藤原孝章・平光陸子・河江優・甲元洋子・村上元庸・中村憲夫・大島中正・山田邦和・余田義彦・米田祐子・北村博子〉、2015年11月20日~2016年7月29日予定)

【提供・協力】
△【展示協力〈展示資料出品〉】京都文化博物館総合展示(主催:京都府、京都文化博物館)世界考古学会議京都開催決定記念「近世京都の考古学者たち」(2015年2月7日~4月19日)

【共同研究】
△日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究C「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究—『新・輿車図考』の構築を目指して—」(研究代表者:京樂真帆子滋賀県立大学人間文化学部教授。研究課題番号24520764。研究期間2012年4月1日~2016年3月31日〈予定〉)連携研究者。
△日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究B「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」(研究代表者︰高橋康夫、研究期間︰2015年4月1日~2018年3月31日予定、研究課題番号:15H04110)連携研究者(2015年11月~)

【社会活動(終了)】
▼公益財団法人古代学協会 理事(~2015年6月12日)

【社会活動(新規・継続)】
▼有限会社京都平安文化財 伏見城跡(指月城)調査検証委員会 委員(2015年4月)
▼特定非営利活動法人WAC Japan(世界考古学会議日本) 会員(2015年5月31日~)
▼京都文化博物館OB会 幹事(2015年6月7日~)
▼一般財団法人朱雀基金 理事(2015年~)
▼公益財団法人古代学協会 参与(2015年6月12日~)
▼公益財団法人古代学協会 古代文化刊行委員会 編集委員(継続)。
▼平安京・京都研究集会 世話人(継続)。
▼文化史学会 監事(継続)。
▼京都市環境影響評価委員(継続)。
▼京都府 天橋立世界遺産登録可能性検討委員会 委員(継続)。
▼社団法人京のふるさと産品協会 ブランド認証審査会 総合審査会 委員(継続)。
▼条里制・古代都市研究会 評議員(継続)。
▼WAC Japan(世界考古学会議日本)会員(継続)。
▼与謝野町幾地地蔵山遺跡調査検討委員会委員(2015年11月~)
▼有限会社京都平安文化財 桃陵遺跡 調査検証委員会 委員(2015年10月~12月)


【学内の活動】
▼同志社女子大学 AO委員会 委員。
▼同志社女子大学現代社会学会『現代社会フォーラム』編集委員長。
▼同志社女子大学現代社会学会 運営委員。
▼同志社女子大学現代社会学会 京都研究会 顧問。
▼同志社女子大学 表千家茶道部 顧問。

【講義】
(同志社女子大学大学院文学研究科「考古学特論」は受講者が無かったため、今年度は閉講)。
(2015年度春学期。すべて同志社女子大学現代社会学部〈特記なきものは京田辺キャンパス開講〉)。
   〈火〉2講時「応用演習」、3講時「考古学I」、4講時「博物館実習(京田辺クラス)」
   〈水〉2講時「基礎演習」、3講時「専門基礎演習」
   〈木〉2講時「博物館実習(今出川クラス)」、4講時「卒業研究」
(2015年度秋学期。すべて同志社女子大学現代社会学部〈特記なきものは京田辺キャンパス開講〉)。
   〈月〉5講時「博物館概論(今出川クラス)」
   〈火〉2講時「応用演習」、3講時「考古学II」、4講時「博物館実習(京田辺クラス)」
   〈水〉2講時「史跡・文化財論」、3講時「博物館概論(京田辺クラス)」
   〈木〉2講時「博物館実習(今出川クラス)」、4講時「卒業研究」

2015.12.28

高関健指揮京響の「第9」、の巻

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 12月26日(土)
 年末恒例の「第9」の季節。今年は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健さんの指揮による演奏会が二日連続でおこなわれる。私は、初日を聞きに行く。カップリングはシベリウスの最初の交響詩「エン・サガ(伝説)」。
 高関さん、わが国を代表する指揮者のひとりであるが、とくに群馬交響楽団を永年にわたって指導し、それを第一級の水準に押し上げた業績で知られている方である。オーケストラを自在に操る練達の職人技の持ち主であり、実に噛んで含めるような明快な指示を与えていることは、客席から見ているだけでもよくわかる。彼の「第9」はどんなのかな、と思ったのであるが、これが実にイイのである。音のアーティキュレーションの末尾をピシャリピシャリと切っていくのが印象的で、これはもしかすると最近勢いを増しているピリオド奏法(古楽器奏法)から取り入れたものかもしれないな、と思うのであるが、ピリオド奏法の演奏がややもすると響きが薄くてギスギスした感じになるのに対して、高関さんはモダン・オーケストラらしい分厚い響きを維持しつづけるのがイイ。第4楽章では、京響コーラスの合唱を実に丁寧に盛り上げていく。驚嘆したのは第4楽章の最終のコーダ。ここを早めのテンポで盛り上げていくのは多くの指揮者がやっているのであるが、高関さんは他に類をみないようなアクセル全開で凄い追い込みである。京響も、楽器も壊れよとばかりの熱演で高関さんの指揮に応え、こちらも手に汗握るような感覚を味わうことができる。
 さあ、今年ももうあと数日である。27日(日)には今年最後の校務をすませ、新年への体制を整える。

日本史研究会古代史部会で長岡宮を学ぶ、の巻

Img_0015(← 向日市向陽小学校構内遺跡における複廊遺構〈2010〉)

 12月21日(月)
 第5講時の授業を終えて、すぐに日本史研究会古代史部会に駆けつける。移動に使える時間はわずか15分。幸い今出川キャンパスでの授業だったので可能なのであって、京田辺キャンパスではとてもこういうわけにはいかない。こんなところ、やっぱり大学は都市の中心部にある方がいいな。
 今回の古代史部会にどうしてもでたかったのは、もちろんこの部会の忘年会コミであるということもあるのであるが(^^;;、報告者が山中章さん、演題が「長岡宮嶋院と西宮―考古資料からみるその位置と構造―」というものであったからである。長岡宮の復元については、特にその内裏の位置をめぐって新たな展開を見せている。長岡宮内裏の遺構は大極殿の東方で確認されているけれども、これは「東宮」と呼ばれていた「第2次内裏」であり、それ以前の「西宮(第1次内裏)」についてはまだ明確ではないのである。山中さんは従来から朝堂院の北方にそれを推定してきたのであるが、最近、朝堂院の西方に推定する説がではじめた。とくに、2010年に向日市立向陽小学校の構内における発掘調査で見事な複廊の遺構が検出されてから、これこそが長岡宮の「西宮(第1次内裏)」だとする説が溢れ出し、多数の研究者がこの説を採用することになったのである。
 しかし、山中さんはこの説には批判的、というか、真っ向から否定している、ということは以前から聞いていた。山中さんはこの遺跡は長岡宮の「嶋院」に比定し、第1次内裏はやはり朝堂院の北方であるというのである。従来から私も酒宴の場でそういう話は聞いていたし、「ぜひ早くそれを論文化してくださいよ!」と督促もしてきたのであるが、なかなか体系的にその根拠を理解することはできていなかった。今回の発表は、ご本人の口からまとまってこのことを聞く、という得難い機会を得ることができた。あとは、山中さんがこれを早く論文にしてくれて、それでさまざな議論が活発化することを待つばかりである。

2015.12.21

隅田川の屋形船と花火、の巻

Img_0064_2(←隅田川の屋形船と、お台場の花火)

11月28日(土)
 夜、ウチの大学の学生たちの見学会で、「お寺のライトアップを見たい」ということになって、まずは知恩院。御影堂は残念ながら改修工事中。次に高台寺に行って驚いた。長蛇の列で、切符を買うのだけでも90分待ちだという。おそらく、清水寺はそれ以上だろうな。寒い中、とうてい無理だということで早々に諦めて、八坂の塔(法観寺)のライトアップを下から見上げ、安井金比羅宮にお詣りすることだけで満足することになる。

 11月30日(月)
 京都府庁で、天橋立世界遺産登録可能性検討委員会。これまでご指導いただいてきた白幡洋一郎委員長が退任され、旧知の金田章裕京都大学名誉教授が委員長に就任される。

 12月3日(木)
 「博物館実習(今出川クラス)」の授業は、校外見学。京都市歴史資料館にお邪魔する。宇野日出男さんに懇切にご案内いただき、充実した時間。

 12月4日(金)
 宮内庁の「陵墓限定公開」。今回は、奈良県天理市の渋谷向山古墳(治定景行天皇陵)。墳丘北部の裾にいくつもトレンチを入れている。この古墳の周堀について、一定の仮説を立てることができる(ただ、事後の検討会でこの仮説を披露したら、みなさんの賛同がゼンゼン得られなかったぞ(´Д` ))。

 12月5日(土)
 文化史学会の大会。公開講演会は、竹居明男教授の北野天神信仰についてのもの。竹居教授、私が学生の頃は大学院博士課程後期の院生だったが、それを終えられてすぐに同志社大学の助手になられ、その後には専任講師、助教授、教授と昇任されてきたから、同志社大学での永い永い教員歴をお持ちの先生である。その竹居先生が今年度で定年によって退任されるとのことで、今回の講演は事実上の「退任記念講演」のようなものだということになる。先生の北野天神信仰に対する熱い思いと、これまでの仕事をみずから通観されるものとなった。

 12月6日(日)
 京樂真帆子さん主催の「牛車科研」研究会と、忘年会。

 12月9日(水)
 旧友のTさん、Yさんとの忘年会。

 12月10日(木)
 三回生のゼミの忘年会。

 12月11日(金)
 朝日カルチャーセンターで醍醐寺見学のあと、龍谷ミュージアムでのアンコールワット展。やっぱりすごい遺跡だな。いつか行く機会を得られるだろうか・・・

 12月12日(土)・13日(日)
 東京の法政大学で、都市史学会の大会。会長が、吉田伸之先生が任期満了で、陣内秀信先生にバトンタッチされるとのこと。今回のテーマは「水都史」、主としてヴェネチアと東京との比較論が話題となる。懇親会はそれにちなんでか、隅田川の「屋形船」という豪華版。お台場まで行くと、12月の土曜日限定ということで、打ち上げ花火。すばらしい体験をさせてもらった。やっぱり東京ってのは「水の都」なんだな、という感を深くする。

 12月14日(月)
 京都平安文化財が担当している伏見の桃陵遺跡の発掘現場(私は「検証委員」)の見学。

 12月17日(木)
 同志社大学考古学研究室の定例研究会、今年最後。白石太一朗先生がお越しになって、埼玉稲荷山古墳の鉄剣と江田船山古墳の鉄刀の銘文についての詳しい検討をお話しいただく。勉強になることこのうえない。その後は、白石先生を囲んで、同研究室の実質上の忘年会。

 12月18日(金)
 公益財団法人古代学協会の忘年会。

 12月19日(土)
 東京行き。米輸商事株式会社の創立65周年記念パーティに呼んでいただいたのである。会場は目黒の雅叙園。すごいホテルだな。単なるパーティではなく、ヴァイオリン・コンサートまでついた豪華版。
 もうひとつのメッケものがあった。目黒の駅に降り立つと、正面に「久米美術館」というのがあった。なんじゃらほい、と思ってはいってみると、なんと、明治・大正の歴史家で東京帝国大学教授や早稲田大学教授をつとめた久米邦武の子孫の方がやっておられる美術館である。久米邦武といえば、岩倉具視使節団の報告書である『米欧回覧実記』の編者として、また、「神道は祭天の古俗」事件によって帝国大学を追われたことによって知られている学者である。小さな展示室ではあるが、久米邦武に関する資料も陳列されており、まことに勉強になる。

2015.11.29

2015年11月、やったこと、の巻(その2)

 この間、たまっていたものが一気に出たので、今年はなかなかの「豊作」の予定。

 この中では、「京都を舞台としたいくさ―中世初期の首都争奪戦―」(『第3回東海学シンポジウム2015 いくさの歴史―戦争の本質を見つめ直す』資料集所収、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2015年10月)が一気呵成に書いた、言いたい放題の力作(?)。建春門院平滋子サマについて「輝くばかりの美貌、卓越した知性、どんなアクシデントにも動じない胆力、冷静で的確な判断力、さらに、栄華にも驕り高ぶらない品性までをも兼ね備えたこの女性こそは、まさに平家一門の守護女神だったのである」と書いたら、シンポジウムで司会の福岡猛志先生(日本福祉大名誉教授)から、「この描写、それぞれ史料的根拠はあるんですか?」という御下問。御不審はもっともではありますが、もちろん私の空想ではなくそれぞれ典拠があることを述べたら、「なるほど、山田さんの『片想い』ではないんですね」と言っていただく。
 「研究」という点でもっとも重要なのは、「平安京の都市構造変遷」(『都市史研究』2掲載、東京、都市史学会、2015年11月)だろう。以前やった「『前期平安京』の復元」(山田『京都都市史の研究』所収)を継いで、中期・後期の平安京の都市構造を復元してみた。これで、平安京の変遷についての一応の見通しを示すことができたことになる。

2015年11月、やったこと、の巻(1)

またまた一ヶ月も間が空いた。ということで、例によっての、日記のとりもどし。

 10月17日(土)・18日(日)
 日本考古学協会2015年度大会。今回は奈良大学だから、宿泊しなくてもいい。2010年に日本考古学協会は図書の寄贈問題に大揺れし、その時には私は協会の理事の末席をけがしていたから、その渦中にあった。いろいろあったけれども、日本考古学協会の図書は奈良大学が引き受けてくれることになり、無事に決着。今回、奈良大学の図書館を見せていただいて、日本考古学協会の図書が整然と整理されているのを見て、いささか感無量。
 日曜日の研究報告では、午前は古代宮都、午後は中世城郭をハシゴ。中世城郭のシンポジウムでは、時間も終了間際になって、そろそろ帰る準備をしていたところで、司会の宮武正登佐賀大学教授から「最後に山田さん、一言お願いします」と突然の御指名を受けてしまい、ちょっとアタフタ(^^;;。

 10月22日(木)
 時代祭の日。たまたま、午前中は今出川キャンパスでの授業だったので、祭見学に振り替え。

 10月23日(金)・24日(土)
 全国大学博物館学講座連絡協議会西日本部会。今回は岡山の就実大学さんのご担当ということで、同大学に行くのだと思ったら、会場は岡山駅前のホテルだという。これは行きやすい。全体会議でお勉強したあとは情報交換会(懇親会)。重要無形文化財備中神楽の実演という豪華プログラム付きである。
 見学会は、邑久の餘慶寺、牛窓の本蓮寺、備前市の正楽寺(熊沢蕃山関係の寺)など、ちょっと変わったところを見せていただく。
 解散後は、岡山市立オリエント博物館の「香り」展と、岡山シティミュージアムの「京都と岡山藩」展に寄る。後者は、岡山藩が所蔵していた京都関係史料で、とっても勉強になる。

 10月30日(金)
 京都SKYセンターの講演で、京都府京丹後市行き。それが終わった直後には、すぐに京都府与謝野町に拉致(?)されて、幾地地蔵山遺跡(中世墓地)の検討委員会。

 11月1日(日)
 愛知県春日井市での、第3回東海学シンポジウム「いくさの歴史」。ここでは故・森浩一先生が20年間にわたって「春日井シンポジウム」を続けてこられ、多大の成果をあげられた。これを引き継ぎ、NPO法人東海学センターが新たな主催者となって再出発したのがこの「東海学シンポジウム」である。私のお題は「京都を舞台としたいくさ~中世初期の首都争奪戦~」。保元の乱、平治の乱、治承・文治の内乱、承久の乱のお話である。資料集の原稿を書き始めたら、珍しく筆が進んでしまい、とにかく書きたい放題を書いてしまったぞ。会場には450人も集まり、熱気がムンムン。

 11月6日(金)
 京都府与謝野町の中世墓地の調査指導、という名目で、丹後の中世墓地を勉強させてもらいにいく。地蔵山遺跡だけではなく、宮津の智恩寺から成相寺、妙立寺、難波野千体地蔵などを見学。

 11月8日(日)
 日本史研究会創立70周年記念 講演会・祝賀会。記念講演が、高橋昌明先生の「日本史研究会の歴史と私たちの課題」と、私の「陵墓研究の現状と陵墓公開運動」。高橋先生は永く日本史研究会の代表もつとめられてきた方だから、記念講演というのは当然なのであるが、こんな晴れがましい場になんで私が御指名を受けたのか、未だによくわからない。ともあれ、せっかくの光栄であるから、せいいっぱいやらせてもらおうということで、天皇陵研究の現状を整理する。

 11月9日(月)
 雨の中、相国寺の塔跡においてKBS京都のテレビ撮影。

 11月14日(土)
 第31回 平安京・京都研究集会「『御土居』再考」。午前中には世話人限定で、京都大学総合博物館で御土居絵図をじっくりと見学。午後は研究集会で、報告は谷徹也さん(京都大学、豊臣政権論) 「豊臣政権の『京都改造』-「土居堀」築造をめぐって-」、鈴木久史さん(京都市文化財保護課、日本考古学)「御土居跡の発掘調査成果」、岩崎奈緒子さん(京都大学総合博物館、日本近世史)「近世の御土居」 討論司会は山本雅和さん(京都市埋蔵文化財研究所、日本考古学)と上杉和央さん(京都府立大学、歴史地理学)。

 11月20日(金)
 同志社女子大学史料室で、「第20回企画展 戦時下の同志社高等女子部・同志社女子専門学校」が開始。私はこの中で「戦時下の京都」コーナーを担当。立命館大学の木立雅朗さんに御助力いただいて、陶器製手榴弾をたくさん貸していただく。展示は来年夏までやってますので、ぜひご覧ください。

 11月21日(土)
 一般財団法人朱雀基金の研究会(於京都大学人文科学研究所)。京大人文研の冨谷至教授のご報告で勉強。私は司会を担当。

 11月22日(日)
 山中章さんからの御依頼で、中山修一先生生誕100周年記念講演会「中山修一先生と長岡京研究」。とはいっても私は長岡京に関しては無知なので、テーマは「長岡京から平安京へ」。ありし日の中山先生のお姿を偲びながらの講演会となる。

 11月25日(水)
 文化史学会の、会計監査に出向く。

 11月26日(木)・27日(金)
 ありがたいことに、花園大学の高橋康夫先生の科学研究費補助金の研究「ユーラシアのなかの日本中世都市―その基盤研究―」に、連携研究者として入れていただく。その研究会で、花園大学行き。シドニー大学のマシュー・スタブロスさんとは久しぶりにお会いすることができた。京都大学の冨島義幸さんとご一緒できるのも、うれしい限り。私は初回ということで、「世界のなかのアジア古代都市」を話させてもらう。また、マシューさんからは新著の『Kyoto: An Urban History of Japan's Premodern Capital』を頂戴する。アメリカ人研究者が英語で書いて世界に向けて発信した京都都市史の書物である。すごいことだな。

2015.10.25

大住隼人舞、の巻

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 10月14日(水)
 京都府京田辺市大住の月読神社の例祭、「大住隼人舞」。京田辺市に勤務地がありながら、なんやかんやでサボっていて、実は初めての経験。「大住」は南九州の大隈(現・鹿児島県東部)のこと。古代に南九州の隼人が畿内に連れてこられて、平城宮において天皇に奉仕していた。その居住地として指定されたところのひとつが、山背国の南部で、大住郷と呼ばれるようになった場所である。平城宮から異形の「盾」が出土し、それが「隼人の盾」と推定されるようになって注目を集めた。地元でもせっかくのこの時代背景を生かそうということで、鹿児島県の神社から習ってきて、1971年から始めたのがこの「隼人舞」。隣接の大住中学校の生徒さんが熱演を繰り広げる。音楽も、なかなかテンポとリズムが軽快で気持ちがいい。

2015.10.04

徳島で阿波公方と土御門天皇の史跡を訪ねる、の巻

 9月15日(火)
 大阪府富田林市を拠点として活動する「南河内シニア文化塾」から依頼を受け(中尾芳治先生の紹介とのこと)、平安京の話をしにいく。午後は、ことのついでに、久しぶりに大阪府立近つ飛鳥博物館と一須賀古墳群の見学。

 9月19日(土)
 ここから三日間、早朝にテレビ撮影。早起きがツライ。
 午後は一般財団法人朱雀基金の研究会。ちょっと風邪ひきのため、懇親会は早々に失礼する。

 9月20日(日)
 撮影を終えて、午後は「まいまい京都」で鳥羽殿跡の見学会。
 夜は、全日空ホテルで伯父の誕生会。東京に転勤になった妹も帰ってきて、久しぶりに一族が揃う。伯父は、なんと97歳!! 杖はついてはいるが、まだまだ元気なのがありがたい。

 9月22日(火)・23日(水)
 恒例の、ゼミ(三回生の「応用演習」)合宿。今年の目的地は、福井。永平寺、一乗谷朝倉氏遺跡、恐竜博物館、東尋坊などを回る。お目当ての恐竜博物館は大入り満員で、駐車場にはいるのにも一時間待ちというのにびっくり! 朝はちょっと早起きして、ひとりで勝山城博物館の模擬天守を眺めながら、平泉寺の入り口までたどりつく。


Img_0067(←阿南市西光寺の足利家阿波公方墓所)


Img_0121(←
板野町金泉寺の長慶天皇陵伝説地)


Img_0145(←鳴門市の治定・土御門天皇火葬塚)

 9月26日(土)・27日(日)
 徳島行き。徳島市考古学資料館に花園大学で教えた村田昌也君が勤めているので、そこの考古学講座に呼んでもらう。テーマは「天皇陵の考古学」。びっくりしたことに資料館の研修室が大入り満員。「この資料館の講座が始まって以来の入場者記録です!」と喜んでもらえたのはありがたい限り。ただ、私が有名だということではなく、テーマが面白そう、と思ってもらえたのだろうな。
 これもありがたいことに、徳島にはゆかりの深い方が多い。県埋蔵文化財センターには同志社大学での先輩の菅原康夫さんと後輩の藤川智之さん。さらに、花園で教えた卒業生が村田君はじめ、県教育委員会の岡田圭司君、阿南市教育委員会の向井公紀君とも、3人もいる。夜、皆さんと一緒に楽しい呑み会をやらせてもらったのも嬉しい限りである。

 せっかくでかけていったのだから、翌日の日曜日は村田君に案内してもらってあっちこっちの見学。今回はせっかくだからちょっと変わったところということで、まずは足利家阿波公方の史跡に向かう。徳島県那賀川町にある、と記憶していたのだが、実は2006年に同町は阿南市に合併されていた。阿南市というと前述の向井君の勤め先であるから、この点でも大変にぐあいが良い。阿南市立阿波公方資料館で向井君に出迎えしてもらい、さまざまに案内を受ける。
 阿波公方というと、室町幕府の第10人目の将軍の足利義稙(義材)がここに逃げてきて始まる。その養子の義維(義冬)(実父は第11人目の将軍義澄)は細川晴元・三好元長の援助を受けて実兄である第12人目将軍義晴を近江に追い払って堺にはいり、事実上の将軍として「堺幕府」を樹立した。しかし、細川晴元と三好元長が対立したことがきっかけに堺幕府は崩壊、阿波に戻ることになる。その子が室町幕府第14人目の将軍となる義栄(義親)である。三好三人衆に擁立されて上洛を目指し、ライヴァルで織田信長に擁せられた義昭に一歩先んじて将軍職を手にするという栄誉をモノにするが、すぐに信長が上洛戦を開始したため、結局は京都にはいることなく病没してしまう。
 その後、阿波の足利家は天龍寺荘の平島を拠点として存続して「平島公方」と呼ばれるようになるが、新たな阿波の支配者となった蜂須賀家からは冷遇されまくったというからお気の毒である。資料館には江戸時代の平島公方家が発行していた「阿波 足利家〔清和源氏印〕」と記した「マムシ除け」のお札も展示されている。これ、平島公方の数少ない現金収入の手段だったというから、やっぱり、お気の毒。

 資料館の近くの西光寺には、歴代の阿波公方・平島公方の墓所がある。特に、義稙、義維(こちらでは阿波にはいってからの「義冬」の名を使っている)、義栄の墓は本堂の前に特別扱いされている。また、資料館にはこの三人の小さな木像が展示されている。京都の足利家の菩提寺である等持院には義稙像は存在するのであるが、将軍になっていながらも京都に入れなかった義栄の像は欠けている。ましてや、「堺公方」義維の像は京都にはない。上洛を果たして天下に号令しようとしたが、結局はその夢も充分には果たせなかったこの三人の墓と木像。なかなか感慨深く眺めることができる。

 昨晩、呑み会で南朝の長慶天皇の御陵の治定の沿革を話題にした時、藤川さんが「長慶天皇陵ならば徳島の板野町金泉寺にもありますよ」と言いだした。ありゃ、と思って、これも探索地に加える。金泉寺は四国第三番の霊場である。本堂の裏側、多宝塔の真下のところに小さな東屋がある。ホントだ、そこに「長慶天皇陵」のカンバンがかかっている。正体は1.5mくらいの大石。どうしてこれが長慶天皇陵の伝説地になったのかは調べていないが、思わぬメッケモノである。

 途中、「旗山」というところを通ると、丘の上になにやらデカイもの。近づいてもらうと、「日本最大」という源義経の銅像だった。なるほど。屋島の戦いでは義経は阿波に上陸して屋島を奇襲しているもんな。

 もうひとつの目的地は、承久の乱の結果として土佐、ついで阿波に流された土御門上皇の伝説地。上皇の行在所はいくつか伝説地があるようだが、そのうち板野町の「松木殿」と、土成町の「御所屋敷」に連れて行ってもらう。さらに、鳴門市の宮内庁治定の「土御門天皇火葬塚」。江戸時代に考証され、水濠を巡らせた姿に修築されたらしい。

 さらに徳島県埋蔵文化財センターの展示を拝見。とくに、徳島県南部がこれから重要性を増していくだろうということを実感。充実した二日間でした。

【書いたもの】
■山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(6)(最終回)』付記」(『古代文化』第67巻第2号掲載、京都、古代学協会、2015年9月30日)、123頁。


【しゃべったこと】
⬜︎山田邦和(講師)「平安京遷都」(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成27年度後期講座〈歴史コース〉、於すばるホール〈大阪府富田林市〉、2015年9月15日)。
□山田邦和(ガイド)「【鳥羽離宮】考古学研究者と、復元図で辿る史上空前規模の離宮跡 ~さながら都遷りの如し、華やかな院政文化から激動の新時代へ~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、竹田駅南改札口集合、安楽寿院・近衛天皇陵・鳥羽天皇陵、白河天皇陵、城南宮、鳥羽離宮跡公園、金剛心院跡、田中殿公園を見学、2015年9月20日)。
⬜︎山田邦和(講演)「天皇陵の考古学」(徳島市立考古資料館〈主催〉「考古学入門講座」第5回、於同資料館研修室、2015年9月26日)。

2015.10.01

テレビ、雑誌など情報

001(「週刊新潮」より引用)

 来週からBS11ではじまる新番組「尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究」に、2回出演します。

尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究 #1「幻の九重塔の謎」 2015年10月6日(火)20時00分~21時00分放送予定、BS11
・尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究 #4「京にある幻の城(仮題)」 2015年10月27日(火)20時00分~21時00分放送予定、BS11

どちらも、かなりの強行軍の撮影で、くたびれました・・・

この番組の広告記事は「週刊新潮」2015年8月28日発売の号にも掲載されているようです(上記写真参照)。

Photo_2(雑誌「サライ」より)

こちらは、
⬜︎内田和浩(文)、中田昭(写真)、山田邦和(案内人)特集「京都『時間旅行』のすすめ」の第1章「平安京遷都」(『サライ』第27巻第10号通巻第604号掲載、東京、小学館、2015年9月10日)。
1日がかりの仕事でしたが、森浩一先生ともなんどもお仕事をされた写真家の中田昭さんに撮影していただいたのは、一種の役得でした。

以上、お知らせまで。

2015.09.14

映画「ダライ・ラマ14世」、の巻

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 9月14日(日)
 いやあ、泣きました。2時間の上映時間、ほとんど涙を流しっぱなしだった。そう、待望の公開、映画「ダライ・ラマ14世」。9月12日から18日まで、京都シネマで上映される。ただし、日に一回だけの上映だから、時間を見計らって駆けつけなくてはならない。半時間ほど前に到着すると、観覧券売り場は長蛇の列である。じぇじぇっ!と思ったのだが、なんとか空き席に潜り込むことに成功。ただ、やはりさいごは立ち見も出ていたぞ。
 映画が始まって、ダライ・ラマ法王が呵呵大笑しておられるお顔がアップで登場しただけで、もういけません。涙腺崩壊です。法王のジョークに笑い泣き、法王の獅子奮迅の活躍に感涙、チベット民族の苦難に袖を絞り、その中で難民となったチベットの子供達があくまで前向きに笑い合っているのを見てまたまた目頭を熱くする。やっぱりワタクシ、この御方が好きで好きでたまらんのですね。

 映画自体は、「ダライ・ラマ入門」といった内容で、わかりやすい。東日本大震災の映像や日本の閉塞感についての新聞記事の連発といった不必要なシーンが挿入されていて全体のテンポを損ねてしまったことは大幅減点だが、そうした演出のささいな瑕疵を覆い隠して余りあるのは、やっぱり法王の存在感である。

 チベットからインド・ダラムサラに逃げてきた難民の子供達へのインタビューがかなり入っていた。印象的だったのは、その子供達が異口同音に「ここで、優しい人たちに囲まれて勉強できて楽しい。私は幸せだ」、欲しいものは何?という質問に対して「何もいらない。満足している」と答えていたこと。1959年のチベット動乱でダライ・ラマ法王は中国統治下のチベットから脱出せざるをえなくなり、インドに亡命してそこに亡命政権を樹立したのであるが、その時の苦しい状況の中で法王がまず取り掛かられたのが、未来を担う子供達のための学校の設立だった。その地道な努力が大きく育っていることに、感動。

 2時間があっという間だった。最後のシーンで法王が力強く「Don't worry!(心配しなさんな!)」と叫ばれたことが爽快。生きる力をもらいました。法王猊下、ありがとうございました。

2015.09.09

中世都市研究会2015年上越大会、の巻

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(↑ 新発田城。左端が天守〈三階櫓〉)

 今年の中世都市研究会は、新潟県上越市での開催。5日の午前に見学会があるので、9月4日からでかける。

 9月4日(金)
 朝、京都発。東京行きの新幹線が10分ほど遅れて到着。東京駅での乗り換えに時間が少ないので、乗り遅れたらどうしようかとハラハラしたが、東京には定時到着で一安心。そのまま上越新幹線と在来線を乗り継いで、前回の新潟行きでは割愛した、新潟県新発田市に降り立つ。

 お目当ては、新発田城。天守(正式には「三階櫓」だが、実質上は天守)が、最上層の屋根の平面がT字形で、棟のシャチホコが3つ載っているという不思議な形をしているのは、明治の古写真でおなじみだった。天守はそののちに取り壊されたが、平成16年に復元されたというから、お城好きとしてはぜひ立ち寄ってみたかったのである。新発田駅からはバスもあるが本数が少なく、ちょうど出たばかりだったので、時間節約のために行きはタクシー。
 新発田城は、本丸の一部と二ノ丸の一部が公園となっていて公開されている。本丸表門と本丸の西南の櫓が国の重要文化財指定。本丸の辰巳櫓と天守が復元である。とはいうものの、本丸西南の櫓も、元々ここにあったのではなく、二ノ丸の北部にあったものを昭和35年に移築したのだという。辰巳櫓は復元ではあるが木造で旧状に忠実に復元されている。門、ふたつの櫓ともに、内部に立ち入ることができるのは嬉しい。西南の櫓から見ると、前面の濠が妙な具合に突出していて気になったのだが、これは本丸の南側に帯曲輪が延びていて、そこに土橋門があったのだという。あと、特筆されるのは石垣の美しさ。石材の加工ぶりがハンパではない。ただ、本丸表門の北側では石がズレているところがあり、気になる。
 天守は期待通り、外観が美しい。T字形の屋根も、写真で見たほどの違和感はなく、むしろ周囲によく溶け込んでいる。ただ、本丸の大部分は立ち入り禁止で、天守の側に寄ることもできないはちょっともったいない感じ。なぜかというと、本丸から二ノ丸の北半分が陸上自衛隊の駐屯地になっているから。せめて動線を工夫したりして、天守に近づけるようにはならないのかな。本丸には自衛隊のクルマが多数停められているのが見える。誰がつけたか知らないが「戦国自衛隊の城」(?!)というニックネームがあるそうで、言いえて妙である。
 
 先を急ぐので、自衛隊の「白壁兵舎広報資料館」をちょっと覗いてから、新発田の城下町を駆け足で通り抜ける。城下町には「寺町」があり、なかなかの風情である。それから、大倉喜八郎のふるさとが新発田であるということを始めて知る。

 なんとかJRに間に合い、そのまま新潟市へ。「新潟市立歴史博物館みなとぴあ」に行ってみたかったのである。ただ、バスの本数が少なく、しかも市街地を大回りするので予想外の時間がかかる。広い公園と一体化されており、博物館本館は明治44年(1910)~昭和8年(1933)の2代目新潟市庁舎のイメージで新築したとやらで、文化財建築と見紛うばかりの堂々たるものである。
 時間がないのでゆっくりと見ることはかなわなかったが、いくつも勉強させてもらうことがある。中でも新鮮だったのは、阿賀野川・信濃川の河口に新潟港、沼垂港、蒲原港の三つの港があり、このうち新潟港は長岡藩の、沼垂港は新発田藩の外港であったこと。これ、重要だよね。

 新潟県は大きいので、移動には時間がかかる。そのまま上越市(高田)行き。交通機関の乱れで到着が大幅に遅れてウンザリしたのであるが、高田の駅に降り立って周りを見回すと、別方向から歩いてこられる方がいる。ありゃ。今回の基調講演を担当される高橋一樹さん(武蔵大学教授)だ! 聞いてみるとホテルも一緒のところだということで、お互い、奇遇を喜ぶ! では、ついでに飲みにいこう、ということになり、新鮮なお魚を食べさせてくれる店を探して、談論風発。こんなことがあると、遅れるというのも悪くないな。楽しい時間だった。

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(↑ 高田世界館)
 9月5日(土)・6日(日)
 こうした研究会は、たいていは大学であるとか市民会館を会場とするのであるが、今回はちょっと違って、「高田世界館」というところでやるという。なんでも、目明治44年(1911) に芝居小屋として開業、大正5年(1916) に映画館となったもので、今も当初の建物が残されている。いったんは取り壊しの危機に見舞われたが、それを惜しむ市民団体の手によって今も現役の映画館として続けられ、建物は国の登録有形文化財にもなっているのだという。こういうところを会場としたのは、今回の実行委員会の皆さんによる、イキなはからいである。
 土曜の午前は直江津の町を巡見。守護所の有力候補地である伝・至徳寺跡を確認できたのは収穫。ただ、時間の関係で、国分寺に行けなかったのはやや残念だった。これは再訪しなくてはなるまい。
 土曜午後から日曜は、研究会。特に、高橋一樹さんの基調講演「中世北東日本海の水運と港湊都市」は北陸地方全体を視野にいれたダイナミックな報告。そのほかの方々の報告も、北陸まで来た阿波の板碑、佐渡、珠洲焼、七尾、信濃善光寺など、いずれも学ぶこと多し。
 討論も興味深い論点がたくさんでたのだが、終わりがけのところで、そろそろ帰りのことが気になってボーッとしてたら、司会の福原圭一さんから突然の御指名を受けてしまい、いささかドギマギしながら、学ばせてもらったことをもとにこれから勉強していきたい方向性をしゃべらせてもらう。

 帰りは雨。新設されたばかりの上越妙高駅から、はじめて北陸新幹線に乗る。駅で待ち時間があって看板を見ていると、「釜蓋遺跡、あっち」という表示。なんじゃこりゃ、と思って表に出てみると、駅前に大きな遺跡公園と、小さいながら充実した資料館がある。弥生の玉造遺跡などからなる複合遺跡だという。とんだ儲け物である。

 晩御飯は、北陸にいった時の定番となっている、富山のマス寿司の駅弁。京都着は21時。

 【書いたもの】
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・市川智也・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・黒田正子・佐々木歩・高野澄・徳丸貴尋・中村武生・中村正司・西村彰朗・細田香織・前川佳代・村岡真千子・町田香・山田邦和執筆『第10回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2015年8月31日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は9・10・101・108・206・207各頁)。

2015.08.20

博物館三昧、の巻

Img_0049_2(← 京都御所建礼門前からの大文字〈合成写真〉) 

 8月6日(木)・7日(金)
 暑い日々が続いたので、暑気払い。6日は、今年からわが大学に御出講いただいている野村美術館の桐山秀穂さんと、珍しいベルギービールの店。7日には、いつもの麻森さん、山崎さん、寺升さんと、プチ贅沢のハモ鍋料理。二次会はウチの奥様のおすすめの、ちょっとオシャレな穴場のバー。


 8月9日(日)
 今回から始まった「森浩一先生に学ぶ会」(於︰橿原考古学研究所)。改めて、先生の偉大さをかみしめる。

 8月10日(月)
 3ヶ月ごとの病院行き。検査の結果は横ばいで、まずまず。
 午後は、六道珍皇寺さんに六道詣り。ついでに、五条坂の陶器祭を散策。

 8月11日(火)
 1日ずっと、テレビ撮影。醍醐寺から始まって、平安神宮、岡崎公園、聖護院、京都市動物園、京都アスニーと回って、くたびれ果てた・・・。でも、醍醐寺五重塔の一層目(非公開)に特別に入らせていただいたのは、この上ない幸せである。放送は秋口らしい。

 

 今年のお盆前後は、たまっていた博物館三昧となる。
 8月5日(木)
 立命館大学国際平和ミュージアムの「平和のための戦争展」。正面に大きく掲げられた「殺すな 殺されるな」の字幕に共感。

 8月13日(木)
 京都市美術館で、「マグリット展」と「ルーヴル美術館展―日常を描く 風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」のハシゴ。ルネ・マグリットはシュールレアリスムの鬼才。私の大好きな画家である。マグリットの魔術がおりなす夢の世界に引き込まれ、いつまでも見入ってしまう。

 さらに、その向かい側の京都国立近代美術館で「北大路魯山人の美―和食の天才」展。食と器が一体となった芸術。しかし、器は後世に残るが、食は一期一会で、後の人々が追体験することができない(否定的な意味ではない)。魯山人の料理って、どんなだったのだろうな。

 三つも展覧会を見るとさすがにヘタるのだが、勇をふるってもう1館。美術館「えき」KYOTOの「奇々怪々 お化け 浮世絵展」。こちらは割合に気楽である。よく知っている妖怪画や幽霊画にも再会できる。

 8月14日(金)
 奈良行き。本来は奈良国立博物館がお目当てなのだが、ちょっとした事情でまずは橿原に。橿原警察署に出頭を命ぜられているのである(!)。というのはウソで、別に私が犯罪を犯したのではない。先日、通勤途中の近鉄電車でウトウトしていてあやうく乗り過ごしかけて、新田辺の駅であわてて飛び出したために、車内に忘れ物をしてしまった。近鉄に問い合わせたら、その電車が橿原神宮前行きなので、忘れ物も橿原神宮前駅に行ってしまったとのこと。そこで橿原神宮前駅に問い合わせてみると、たまたま忘れ物を警察に引き渡す日にあたってしまったということで、私の忘れ物も橿原警察署に引き渡されてしまったとのこと。橿原神宮前行きではなく奈良行きに乗っていたらこんな手間ではなかったのだが・・・(泣)。中身は安価なものなので権利放棄しようかとも思ったが、やっぱりそれでは誠実に保管していただいている橿原署に申し訳ない、ということで、八木西口駅からテクテクと歩いて出頭である。ただ、帰りには今井の寺内町を久しぶりに散策できたし、そこでたまたま見つけた美味しい手打ち蕎麦を賞味することもできた。怪我の功名である。
 そんなこんなで奈良に引き返し、奈良国立博物館の「白鳳」展。白鳳時代ってこのごろはあんまり使われない時代区分なのだが、あえてそこに焦点をあてた素晴らしい展覧会である。この中では、やはり薬師寺の観音様がピカイチのカッコ良さ。あと、白鳳の仏様にはあんがい頭でっかちの子供のような姿のものも多いんだな。微笑ましい。薬師寺の塔の露盤の銘文を近くで観察できたことも、収穫。
 帰り道には、ウチの奥さんにひっぱっていかれて、「ことのまあかり」という喫茶店。古墳時代や奈良時代の土器を復元して、それでお茶やかき氷を賞味できるという変わった店である。古墳時代後期の長脚2段透かしの須恵器高杯の模作品を購入。よく研究されていると見えて、なかなかの出来ばえである。

 8月15日(土)
 お盆。恒例の下鴨神社の古本まつりを散策。夜は、御所にでかけていって大文字を拝む。

2015.08.04

2015年5~7月の記録、の巻

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←祇園祭南観音山の「あばれ観音」

 しばらくのご無沙汰となってしまった。とにかく、メイン・マシンとして使っているパソコンが急に大往生。確かに、以前からちょっと調子がおかしかったのであるが、まだまだ持つだろうと一人合点していたのがいけなかった。使用していると突然プツッと画面が暗くなってしまい、何回再起動をかけても、電気は通っているのにもかかわらず立ち上がらない。おそらくCPUがやられたのだと思う。不幸中の幸いだったのが、MacのTime Machineを稼働させていて外付けハードディスクに自動でバックアップがとられていたこと。さらに、ちょうど執筆中の原稿があるのだが、大学のパソコンでも作業するということで、内蔵ハードディスクではなく外付けのUSBメモリーに入れていて、これが助かったこと。もしこれでバックアップをとっていなかったらデータを救い出すことができず、私自身、再起不能のダメージを受けただろうな。バックアップの重要性が骨身にしみた。
 古いパソコンを引っ張り出してしばらくは代役を務めてもらうのだが、当然のことながらこれは暫定措置。新しいパソコンを買うことになり、予定外のかなりの出費。しかも、注文はしたものの、海外生産とやらでなかなか入荷日がわからない。一日千秋の思い、とはこのことである。やっと到着したものの、以前の環境を復活させるのにまたまた大汗をかく。特に、電子メールの設定がうまくいかず、どういうわけか受信はできるが送信が不能とか、いじっているうちにそれが逆転して送信は可能だが受信が不可とかいうことになってしまい、振り回される。
 さらに、従来から使っていたアプリケーションの中で、新しいパソコンではもはやサポートされておらず、使用できないものが多数出現。特に、AdobeのPhotoshopやらIllustratorやらは私にとっては必需品なのだが、今持っているヴァージョンのものは使えないことになる。泣く泣く、新たなものを買い直そうとするのであるが、知らない間にAdobe社の方針が変わってしまったとやらで、従来のようなパッケージに入れたディスクによる販売は終了しており、契約によるリース方式になってしまっている。その契約をするのにも、またまた物入りで、さらに手間もかかる。疲労困憊の日々であった(泣)。

 この間の動向、備忘録としてまとめておこう。


5月16日(土)
 歴史学の研究と若手芸術への援助を目的として新たに設立された、一般財団法人朱雀基金(沖見勝也理事長)の第1回研究会。「天皇陵問題の展望」を話す。

5月22日(金)~24日(日)
 東京行き。日本考古学協会総会(於帝京大学)出席。ついでに高千穂大学に寄り、桃崎有一郎さんと新しい書物についての打ち合わせ。

5月29日(金)
 京都アスニーで「後白河法皇の院御所・法住寺殿」を話す。

5月30日(土)
 京都府立鴨沂高校の建て替えにともなう「寺町旧域・法成寺跡」の現地説明会に参加。綺麗に並んだ墓群に、感激。

5月31日(日)
 1617会で、大阪・天満を歩く。

6月1日(月)
 学生の教育実習校訪問で、大阪の大谷高校。午後は、京都文化博物館の「大関ヶ原展」オープニングに出席させていだたく。

6月5日(金)
 テレビ撮影(KBS京都)打ち合わせ。

6月6日(土)
 第30回平安京・京都研究集会「室町将軍と居館・山城―権力・器量・武威―」。

6月7日(日)
 京都文化博物館OB会。午前だけで失礼して、午後はJR東海の仕事で豊国神社。

6月13日(土)
 花園大学考古学研究室総会に出席。

6月14日(日)
 朧谷寿先生を囲む「10年会」。三条堺町のいづつ屋で、楽しいひととき。

6月18日(木)
 「調査検証委員」をやらせてもらっている伏見・指月城跡の発掘調査で、報道発表に先立っての視察。

6月20日(土)・21日(日)
 城下町科研・福井研究集会「中近世移行期越前国における都市・地域・権力」― 一乗谷から北庄(福井)へ ―」(於福井市地域交流プラザ)に参加。北ノ庄城跡・福井城跡を丹念に回らせていただけたことがありがたい。

6月22日(月)
 大学で、朧谷寿名誉教授の特別講義を聴講。

6月24日(水)
 大学の「現代社会学会総会」と、クラブ顧問会に出席。

6月25日(木)
 午前は、ウチの大学の今出川キャンパスを使わせてもらって、KBS京都のテレビ撮影。

6月26日(金)・27日(土)
 全国大学博物館学講座連絡協議会の全国大会のため、千葉の江戸川大学に出張。平地の真ん中につくられた関宿城が面白い。

7月4日(土)・5日(日)
 帝京大学文化財研究所(山梨県笛吹市)の第13回「考古学と中世史シンポジウム」に参加。今回のテーマは「考古学は中世を語れるか」。

7月9日(木)
 同志社大学考古学実習室定例研究会に参加。発表は長野県文化財センターの川崎保さん。

7月10日(金)
 雑誌の取材で、東寺と神泉苑。夜はウチの奥さんのお供で、元・祇園の芸妓さんのジャズシンガーMakotoさんのミニ・ライヴに参加。

7月11日(土)
 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会(中村武生理事長)による「久坂玄瑞・吉田稔麿・寺島忠三郎等ゆかりの地、池田屋事件 望月亀弥太終焉伝承地」(法雲寺)の除幕式に参加させていただく。
 夕方。妹が大阪から東京に転勤になるので、その壮行会。

7月12日(日)
 わが大学の「京都研究会」の見学会の引率、六波羅蜜寺・建仁寺などを回る。

7月18日(土)
 島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館の企画展「八雲立つ出雲と近つ飛鳥~出雲と河内の群集墳~」。これの「関連講演会」に呼んでいただく。実はこの博物館での講演、3年前にもやるはずだったのだが、私が急病で倒れたためにドタキャンになってしまってご迷惑をかけてしまった。それにもかかわらずまたお声がけをしていただき、嬉しい。松本岩雄所長、高屋茂男所長補佐のご厚意に、感謝。台風の来襲が心配であり、実際に関西のJR在来線はほとんど停止していたのだが、なんとか松江までたどり着くことができる。

7月19日(日)
 せっかく出雲に来たのだから、すぐに帰るのはもったいない。花園大学考古学研究室の卒業生の高橋誠二氏(雲南市教育委員会)のご厚意に甘えて車を出してもらい、須我神社、加茂岩倉遺跡、岩屋後古墳、神原神社古墳、荒神谷遺跡・博物館、出雲弥生の森博物館・西谷墳墓群、古代出雲ミュージアムと盛りだくさんの見学を果たすことができる。

7月21日(火)
 2講時の「応用演習」(3回生ゼミ)は現地見学に振り替えて、祇園祭後祭の宵山見学。

7月23日(木)
 晩に、ウチの奥さんと、祇園祭後祭の宵山にでかける。人混みに紛れてそぞろ歩いていると、突然「山田さ~ん!」と声をかけられる。アレっと思って振り返ると、嬉しいことに山村亜希さんだった。山村さん、新任の大学での怒涛の春学期が終わったばかりで、やっと一息つけての宵山散策なのだという。偶然の出会いに歓喜し、せっかくだからお酒と食事にお誘いしての談論風発。ハッと気づくともう夜遅くなっていたのだが、かえってそれが幸いして南観音山の「あばれ観音」を見ることができる。

7月25日(土)
 来年に同志社大学を会場としておこなわれる「世界考古学会議(WAC-8)」の運営母体として設立された特定非営利活動法人WAC Japan(世界考古学会議日本)の2015年度総会。

7月26日(日)
 京都市学校歴史博物館の「戦争と学校―戦後70年を迎えて―」展の見学。

7月27日(月)
 図書出版文理閣で、仁木宏さん、黒川美富子さんと、遅れている本の出版の最終打ち合わせ。
 五条坂の藤平陶芸さんに立ち寄って、戦争中の「陶製手榴弾」を復元した一輪挿しという、ちょっと変わった買い物。

8月1日(土)・2日(日)
 花園大学の「京都学講座」の2日目と3日目。高橋康夫先生の「京都・岡崎の文化的景観」、廣庭基介先生の「京都の石造物から見た神仏習合と神仏分離の痕跡」、明珍健二さん、伊ヶ崎鷹彦さん、梅本直康さんの「京町家 梅忠町を復元する」。いずれも目からウロコが落ちるどころか、目から緞帳が落ちるような新発見の連続。私は「平安京の都市とくらし」を話す。花園大学で教壇に立つのは、8年ぶり。案じていたのであるが、花園大学の懐かしい皆さんに温かく迎えていただき、安堵。終了後は、この講座の担当である考古学の高橋克壽さんと日本古代史の中野渡俊治さんと、さらに新任で日本中世史の平井上総さんをお誘いして、ミニ宴会。

【書いたもの】
■山田邦和「儀式用に特化 出雲型子持壺」(『山陰中央新報』2015年7月16日号掲載、松江、山陰中央新報社、2015年7月16日)、23頁。

【かかわったもの】
■森浩一『森浩一著作集1 古墳時代を考える』(森浩一著作集編集委員会編〈編集委員:前園実知雄・松藤和人・今尾文昭・玉城一枝・中村潤子・山田邦和・鋤柄俊夫・門田誠一・坂靖・青柳泰介、第1巻編集担当:前園実知雄・今尾文昭・坂靖〉、東京、新泉社、2015年8月15日)、全303頁。

【しゃべったこと】
⬜︎山田邦和「天皇陵問題の展望」(朱雀基金研究会、於京都大学人文科学研究所本館、2015年5月16日)。
⬜︎山田邦和「後白河法皇の院御所・法住寺殿」(アスニーセミナー、於京都アスニー、2015年5月29日)。
⬜︎仁木宏・山田邦和(司会)、山田康弘・馬瀬智光・福島克彦(パネラー)「討論」(第30回平安京・京都研究集会「室町将軍と居館・山城 ―権力・器量・武威―」、於機関紙会館、2015年6月6日)。
⬜︎山田邦和(講義・案内)「東山七条 秀吉栄華の跡を歩く―大坂夏の陣から400年―」(JR 東海 京都・奈良・近江文化情報事務局〈主催〉JR東海「そうだ京都、行こう。」オリジナルイベント、於豊国神社社務所、豊国神社・耳塚・方広寺・大仏殿跡・新日吉神宮・智積院を見学、2015年6月7日)
⬜︎山田邦和「装飾付須恵器からみた畿内と出雲」(島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館「風土記の丘教室」、於同館、2015年7月18日)。
⬜︎山田邦和「平安京の都市とくらし」(花園大学「2015年 京都学講座~京のくらし―平安京から現代まで―」、於花園大学無聖館ホール、2015年8月2日)。

【テレビ出演】
⬜︎「京都ふしぎ百物語」(KBS京都、2015年7月10日)(BS11、7月11日)。

【社会活動(終了)】
⬜︎公益財団法人古代学協会 理事(~2015年6月12日)

【社会活動(新規)】
⬜︎有限会社京都平安文化財 伏見城跡(指月城)調査検証委員会 委員(2015年4月~)
⬜︎特定非営利活動法人WAC Japan(世界考古学会議日本) 会員(2015年5月31日~)
⬜︎京都文化博物館OB会 幹事(2015年6月7日~)
⬜︎一般財団法人朱雀基金 理事(2015年~)
⬜︎公益財団法人古代学協会 参与(2015年6月12日~)

2015.07.09

パソコン不調中にて失礼します

 みなさま。
 先日、パソコンが大往生し、慌てました。データのバックアップがあったのがせめてもの幸いでした。ただ、メールの送受信ができないことになり、不便をおかけしました。
 昨日、新しいパソコンが来たのですが、設定をミスったのか、メールの送信はできるのですが受信ができなくなっています。復旧までしばしお時間をくださいませ。急ぎの用件は、携帯メールまたは大学のメールにお願いいたします。

2015.05.18

いわゆる「大阪都構想」の頓挫

 5月18日(月)
 5月17日、「大阪市廃止、その領域を分割して5つの『特別区』を設置する」構想(いわゆる「大阪都構想」)についての住民投票がおこなわれました。私も関心をもっていますので、テレビの速報を食い入るように見ていました。最初、開票率数%の時には反対が優勢だったのですが、開票が進むにつれて賛成票が増加していきます。開票率50%、60%、70%と進んで行くのですが、賛成票が1万あまり反対を上回っています。あぁ、これはもうダメだな、とあきらめかけたのですが、開票率90%を越えるあたりから、今度は反対票が逆転。しかし、90数%に達しているのに、まだ結論がでません。やきもきするような時間が過ぎました。画面に「反対が勝利、確定」の文字が踊ったのは、最後の土壇場でした。最終結果によると、賛成が694,844票、反対が705,585票だったというのですから、ほんの僅差の勝利でした。

 結果が出た時には、思わず、やった!と声をあげました。この7年半の間、大阪を席巻してきた「橋下劇場」の終焉という歴史的瞬間だったからです。テレビのニュースは、「大阪都構想」頓挫、橋下氏の政界引退宣言などをはなばなしく報じています。しかし、そのあと、安堵とともに、なんとも言いようのない徒労感に襲われました。この間、大阪の政治的対立のために使われたお金、労力は莫大なものですし、住民同士が敵味方に分かれてしまうという結果も生まれました。その中で犠牲となった、たとえば大阪府立国際児童文学館といった文化施設はもう戻ってはこないでしょう。私には、「橋下劇場」の幕が降りた後には、ただ茫漠たる廃墟が広がっているように見えるのです。

 橋下「維新」の支持者は、口々に「橋下氏に大阪を変えてほしかった」「大阪の改革を進められるのは橋下氏しかいなかった」「現状維持はけしからん」と言います。しかし、「改革」にも、良い改革と悪い改革があります。それを区別せずに、ただただ変えればよいのだ、というのは理性的な対応とは思えないのです。

 「橋下劇場」が終わってから、これからの大阪の指導者がどなたになるのか、私にはわかりません。しかし、どなたになろうとも、今後の大阪のためにお願いしたいことがあります。大阪の未来は、橋下氏が主張したようなカジノを誘致してバクチ都市にしていくとか、橋下「維新」政権の顧問をつとめた堺屋太一氏が「必ず儲かるぞ」と豪語した「道頓堀プール」等の「大阪10大名物」のでっちあげとか、そういうところに求めてはならないと思うのです。

 なによりも必要なのは、「都市格」です。都市の格が上がれば、自然と人々は集まり、結果として経済効果もあがります。これについて、前に書いたものを引用しておきましょう(山田邦和『日本中世の首都と王権都市』〈文理閣、2012年〉346頁)。
 「最近、「都市格」というものが論じられることがある。現在の京都は、必ずしも実力の上では日本を代表する都市ではない。(中略)しかし、それでも「都市格」を考えた場合、京都はいまだに世界的に日本を代表する都市のひとつである。(中略)これは、やはりなんといっても歴史的に見て京都が高い「都市格」を維持してきたからである。たとえば、大阪は明らかに日本を代表する都市力を持つ都市のひとつである。しかし大阪の「都市格」は、必ずしもその実力に見合うだけのものとはみなされていない。大阪からはそうした現状に対する悔しさが聞こえてくる。大阪の人々は、大阪がそれにふさわしい「都市格」を持つようになることを熱望しているのである。大阪はかつて「下衆<げす>の町」と罵られたことがある。大阪はあれだけの都市としての実力をもちながら、文化的には下衆の町であると言われてきたのである。しかしその後の大阪は、そう言われたことを逆にバネとしていろいろな文化的事業を推し進め、今ではそうした悪評を払拭するにいたっている。大阪は単なる経済力だけの都市ではないんだ、格の高い都市なのだということを実証するために、大阪の政財界はいろんな施策を進めてきているのである。大阪の政財界は、明らかに都市開発を推し進める側に立っている。その開発側が、自らの都市を「文化都市」にすることを熱望し、それを通じて大阪の誇りを取り戻そうとしているのである」。しかし、「二〇〇八年に大阪府知事に就任した橋下徹は、大阪府の財政再建と行政改革を旗印に掲げ、文化施設や文化関係団体への予算を大幅に削減するという政策を推し進めた。さらに二〇一一年には橋下は大阪市長に転じ、府知事には橋下の側近である松井一郎が就任した。大阪はこれまで営々と築いてきた「文化都市」の蓄積を放棄し、新たな「下衆の町」へ回帰することを選択したといわざるをえない」(橋下氏は、文化を敵視し、弾圧に余念がありませんでした。文楽にたずさわる人々を「既得権者」として圧迫し、「文楽やクラシックが芸術だというのならばストリップも芸術で、おんなじだ」「能や狂言が好きな人は変質者」と公言してはばかりませんでしたから)。
 つまり、これからの大阪は、ふたたび、文化都市であり「都市格」の高い都市であるという方向に進んでいってほしいのです。大阪の市民の良識と活力が良き指導者のもので再結集されるならば、必ずや大阪はすばらしい都市として発展していけると信じています。

2015.05.16

「大阪都構想(いわゆる)」に反対してください!〜大阪市民の皆さんへ

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 今、大阪市で熱い政治的論戦がたたかわされています。いうまでもなく、橋下徹市長率いる「大阪維新の会」(およびその国政版である「維新の党」)が提唱する、いわゆる「大阪都構想」(実は「大阪市廃止、その領域を分割して5つの『特別区』を設置する」構想)の賛否を問う住民投票が、5月17日に実施されることになっているからです。

 私は京都市民ですので、この住民投票に参加する権利を持っていません。また、京都の人間が大阪のことに口を出すなどトンデモない、と言われるかもしれません。しかし、京都から見ても大阪はお隣りさんであり、また、大阪市は京都市、神戸市とならんで「京阪神大都市圏」の中心都市のひとつであるとともに、その3市の中では人口、経済規模ともに最大の都市です。したがって、その運命に無関心でいられるわけはありません。したがって、これまで私は大阪維新の会の橋下徹市長および松井一郎知事が進める大阪府政・大阪市政を注視してきました。そして、図書館、博物館、文楽、オーケストラなどの「文化」を弾圧し続け、その一方でカジノ(要はバクチ場)の誘致を高唱したり、「道頓堀プール」なる奇妙な計画を大マジメで後押ししようとするような「維新政治」に恐怖を感じてきました。そこから私は、そうした「維新」が掲げる、いわゆる「大阪都構想」について考えてきました。

 私は「維新政治」と「いわゆる『大阪都構想』」に反対します! ちょうど、京都大学大学院の藤井聡教授が「『大阪都構想』の危険性を明らかにする学者記者会見」を開催することとし、そのために全国の大学教員有志に趣意書への賛同を求める運動をおこなっておられたので、その末席に名前を連ねさせていただくことといたしました。これには、4月27日から僅か一週間で124名の研究者から所見供出意向の申し出があったといいます。実際に所見が提出されたのは108名(5月9日現在)ですが、そのすべてが「いわゆる大阪都構想」への危惧、または反対意見でした。それについては、藤井教授のページに詳しく紹介されています。

 なぜ、「いわゆる大阪都構想」が危険だとされるのか、それについては藤井教授のページや、ハンドルネーム「結」さんの「橋下市長の大阪都構想を、きちんと考えてみる」のブログ彼のツイッターハンドルネーム「Lynette Ellils」さんのツイッターなどが詳細に分析しており、それに付け加えることはほとんどありません。むしろ、これだけのリスクが指摘されているのに、それでも「いわゆる大阪都構想」に賛成するというのが、私にとっては理解の外にあるのです。

 ただ、誤解していただいてはならないのは、私は地方自治にはさまざまな形態があると思っています。大阪府は日本の都道府県の中でも面積は最小に近く、そのわりに人口が多く、さらにはその中心都市である大阪市が地理的に府域のほぼ中央にあります。これが、面積は広いわりに人口分布が偏っている京都府(京都府全体の過半の人口を抱える京都市は府域の南部にあって、府北部とはかなりの距離がある)とは違うところです。したがって、大阪府全体をひとつの「都市」とするということも、決して否定することではないと思っているのです。

 しかし、そうしたありかたが否定されない、という一般論と、現在「維新」が進めている大阪市解体・特別区設置を認めていまうというのは、あきらかに問題が違っています。そもそも、今回住民投票にかけられる大阪府・大阪市特別区設置協議会の「特別区設置協定書」はあまりにも乱暴すぎます。それは未解決の問題を先送りしている部分が多すぎ、それらの解決は府知事と市長への全権委任にまかせてしまっているのです。

 橋下「維新」とその支持者の皆さんは、口を開けば「従来の大阪府と大阪市の二重行政の弊害」を言い立てます。そして、「大阪都」になれば「大阪全体の司令塔」が一元化され、二重行政の無駄はなくなる、と言います。しかし私は、「二重行政」が無条件に悪であるとする見方は理解に苦しみます。大都市であればあるほど、行政サービスには手間がかかります。それを府と市の双方がやったとしても、それは大都市に対するサービスが手厚くなったということだけで、決して住民にとって不幸なことではありません。要は、「二重行政」が存在したとしても、そこには良い二重行政と悪い二重行政がある、ということです。肝心なのは、悪い二重行政は撲滅するが良い二重行政は進めることです。「維新」の支持者のいう「大阪の二重行政の失敗例」も、バブル経済の時代に浮かれてしまってヘンなものを作ってしまったという意味での失敗なのであり、大阪府と大阪市が共存したための失敗ではありません。そもそも、司令塔が府知事に一元化されたとしても、その司令塔が判断を誤ってヘンなことをしてしまったら、ムダの規模はむしろ大きくなってしまいます。

 橋下「維新」が二重行政の典型として挙げるものに、大阪には大阪府立大学と大阪市立大学というふたつの大学の併存があります。でもちょっと待ってください。大阪にはもうひとつ、国立大学法人である大阪大学が存在します。仮に大阪府立大学と大阪市立大学を統合して「大阪都立大学(変なコトバだ)」にしたとしても、大阪大学との「二重行政」は解消されません。要するに、「二重行政」をいうならば、全国すべての都道府県には国立大学が存在するのであるから、地方自治体が経営する公立大学はムダであり、それらはすべて国立大学に寄附・統合されるべきだ、ということになってしまうのです。これはどう考えても変でしょう?

 こういうことを言うと、「大阪維新の会」の支持者からは「それでは大阪が今のままでいいと思っているのか? 大阪には思い切った改革が必要だ! だから『大阪都構想』なんだ!」というコトバが聞こえてきそうです。しかし、「今のまま」で完璧な政治制度など、歴史上かつて存在しませんでした。どんな国にしても地方自治体にしても、問題をかかえていないはずがありません。しかしそうした問題を解決するのに、いきなりの特効薬は存在しない。「いわゆる大阪都構想」さえ実現するならばすべての問題は解決されてみんなが幸せになれるというのは幻想です。政治の問題を解決するには、その構成員の意見をとりまとめながら、ゆっくりと合意を重ねていくしかないのです。

 そもそも、橋下市長や大阪維新の会の「いわゆる大阪都構想」の主張には、強弁や誤りが多すぎます。ほんの一例を挙げると、「(大阪都構想が)失敗しても一度大阪都になるともとには戻れないの?」という質問に対して、大阪維新の会は「地方自治法第281条の4の規定により、特別区の廃置分合が可能とされておりますので、特別区を市に戻すことや、政令指定都市となることは可能です」と回答しています。しかしこれはあきらかなミスリードであり、もっというならば詭弁です。国会で総務大臣が明確に述べている通り、現行法に立つ限り(「じゃあ、法律を変えればいい!」というのは反論になりません)、一度特別区になってしまうと、特別区同士の合併や特別区の分割は可能であっても、特別区を市に戻すことはできませんし、ましてや政令指定都市を復活することはできないのです。今回の「いわゆる大阪都構想」住民投票は、失敗すると元に戻すことができない「片道切符」であることを忘れてはならないのです。

 少なくとも私は、こうした詭弁を駆使する団体を信頼することはできませんし、こうした詭弁が含まれた構想を支持することはムリです。大阪維新の会のウェブサイトを見てみると、「(大阪都構想には)リスクはありません」「失敗する可能性はありません」などという言葉が踊っています。ある人から「絶対に失敗しない! だから俺にまかせろ!」という言葉が出た時には、逆にその言葉を疑ってみるというのが理性的な対応ではないでしょうか?

 投票権のある大阪市民の皆さん、5月17日の住民投票にはぜひ参加し、ぜひ「反対」と書いてください!!

2015.05.11

錦水亭の豪華タケノコ料理、の巻

Img_0263(← 錦水亭)

 4月25日(土)
 京都府立鴨沂高校から、同校の授業「京都文化入門」の第1回目を依頼される。鴨沂高校は御所の東側の場所(藤原道長の法成寺跡だということでも知られる)が本来だが、そこが建て替え工事中なので、相国寺の北側の旧・成安女子短期大学の校舎に仮移転している。土地柄にちなみ「室町・戦国時代の上京」を話す。
 
 午後は、ウチの奥さんが友達十数人を呼んで、我が家でホームパーティ。メイン・ディッシュはタコ焼き。先日買ったばかりのタコ焼き機で次から次へと焼き上げる。

 4月26日(日)
 「まいまい京都」で、法住寺殿跡。

 5月5日(火・祝)
 研究仲間で親しい友人でもある山村亜希さんと、御夫君の鈴木真さんが京都に「帰って」こられた。まことにめでたいことである。仁木宏さん・京樂真帆子さんとウチ夫妻で相談して、お祝いをしよう、ということで、長岡天神の境内にあるタケノコ料理の店「錦水亭」にくりこむ。長岡天神の八条池に張り出した座敷で、この上なく豪勢なタケノコ料理。「日本一の筍料理」の宣伝文句も偽りではない。鬱屈した日常を吹き飛ばすような、楽しい時間を過ごす。

 5月9日(土)
 京都文化博物館に貸し出していた資料、同博物館の村野正景さんが返却しに来られる。ちょうど良い機会なので、呑みに誘う。京都で学生時代を過ごした人なら誰でも知っている、居酒屋の中の居酒屋「静」にでかける。

【しゃべったこと】
■山田邦和(外部講師)「室町・戦国時代の上京」(京都府立鴨沂高等学校「京都文化入門」、於同高等学校講堂、2015年4月25日)。
□山田邦和(ガイド)「【東山】 考古学研究者とめぐる、荘厳な政治宗教ワールド・法住寺殿~残る巨大苑池の断崖、東山の麓に誕生した広大な離宮~」(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京阪電車七条駅集合、三十三間堂(外観のみ)、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原を見学、2015年4月26日)。

【テレビ出演】
□ 『高島礼子・日本の古都~その絶景に歴史あり』「初回2時間スペシャル 秀吉の桜・知られざる物語」(BS-TBS、2015年4月8日放送)

2015.04.18

河角龍典氏を悼む

 4月14日(火)
 授業の後片付けが終わって、帰宅途中の電車の中で、山中章さんから携帯電話に連絡をいただいていたことに気がついた。とはいっても電車の中でかけ直すわけにはいかない。やっと駅に着いて、山中さんに電話する。また飲み会のお誘いかな?と思ったのだが、電話口から聞こえてきたのは、思いもかけぬ悲報だった! 昨・4月13日の深夜、河角龍典立命館大学文学部教授(地理学)がお亡くなりになられたというのである! 思わず、声を失い、立ちすくんでしまう。44歳の誕生日を目前に控えていたという若さであった。

 河角さんと初めて面識を得たのはいつの頃だっただろうかちょっと記憶にないのだが、親しくなったのは、山中さんが主催した国立歴史民俗博物館の共同研究「律令国家転換期の王権と都市」とそれに引き続く同館の企画展示「長岡京遷都—桓武と激動の時代—」の展示準備の時だった。ふっくらとした丸顔で、いつも微笑をたやさず、若いながらいかにも「大人〈たいじん〉」の風格をたたえていることが印象的だった。専門は地理学なのだが、その中でも特にコンピューターによるGIS(地理情報システム)を活用した過去の地形復元に専心しておられた。特に、平安京の復元研究には瞠目した。『平安京提要』所収の「左京と右京」のデータを徹底的に分析し、コンピューターの画面上に鮮やかに平安京の実像を浮かび上がらせていた。実はこの「左京と右京」は私が執筆したものなのであるが、そのデータがこんな風に活用されるなんて、電子機器に疎い私にはまったく想像もつかず、まさに目を見開かされるばかりだったのである。

 当時の河角さんは立命館大学大学院で博士号を取得されたのであるが、それからしばらくは任期制の教員という不安定な身分の中で懸命に頑張っておられた。将来への不安を口にすることを聞いたこともあるのだが、幸い、そのバツグンの業績が認められ、母校の専任の講師に採用され、それから間もなく准教授に昇進された。さらに、昨年度には若くして教授に昇進されていた。

 昨年、私は、「都市史学会」の委員をつとめておられた立命館大学の三枝暁子さんから、同学会の大会での報告を依頼された。そこで、私の報告へのコメントをやっていただけるのが河角さんだと聞かされ、私は大変嬉しかった。準備会の飲み屋で久しぶりに河角さんと会い、いろんなことを語り合うことができた。しかし、その場で衝撃的なことを聞かされた。河角さん、ちょっと前に病気を患い、一端は軽快したものの、またそれと闘っておられるというのである。しかし、外見を見た限りでは、やつれた様子もほとんど見えないし、さらには逆に私の体調を気遣ってくださっていたので、大丈夫なんだろうな、と思っていた。12月の大会の当日にはいつものように飄々とした姿で登場し、雑駁な私の報告に対して的確なコメントをつけ、さらには自らが積み重ねてこられた仕事の意義をまとめておられた。その時も非常にお元気に見えたので、私はすっかり安心していたのである。しかし、それからわずか4ヶ月でこの悲報を聞くことになった。3月の大学の卒業式にはちゃんと出席されていたのだというから、それから間もなくまた入院されたのであろう。

 学識、業績、人格、ともに兼ね備えたすばらしい研究者だった。本当に惜しい人をなくしてしまった。河角さんのご冥福を、心より祈りたい。

 

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