2007.11.29

『平家琵琶にみる伝承と文化』

464楠見晩翠著 鈴木まどか・笠井百合子・鈴木元子編『平家琵琶にみる伝承と文化ー「平曲古今譚」「平曲伝統記」「平曲温故集」』が刊行されました!

内容は、楠美晩翠が明治16年に著した「平曲古今譚」「平曲伝統記」「平曲温故集」の三部作の翻刻、解題、平曲概説・用語解説、余滴などから構成されています。
「平曲古今譚」「平曲伝統記」「平曲温故集」は、館山漸之進(楠見晩翠の弟)が著した『平家音楽史』の基礎資料となるものです。

本書によって、平曲とはいかなるものであるかを知り、また正確な認識を広め深めることができるのではないかと思います。

大河書房 A5判 294ページ 5880円(税込)

編者のおひとり鈴木まどかさんは、前田流平家詞曲の相伝者です。まどかさんのブログ、サイトでも詳しく紹介されています。

平家詞曲研究室
http://www4.plala.or.jp/heikebiwa/index.html

平家琵琶の豆知識
http://d.hatena.ne.jp/heikebiwa/

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2007.03.26

閑院内裏石碑復旧

ご報告が遅れましたが、閑院内裏石碑が復元されました!
1月ほど前、西福寺のご住職さまより、いつのまにか復元されているというお電話をいただきました。

復元された石碑
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閑院内裏についての最近の研究はこちら
〈京都女子大学宗教文化研究所 野口 実先生の掲示板から引用〉

野口孝子「閑院内裏の空間領域」『日本歴史』674,2004年
野口孝子「仁和寺本『系図』に描かれた陣中について」『仁和寺研究』5,2005年
野口孝子「閑院内裏の空間構造−王家の内裏−」(髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣,2006年)
木村英一「王権・内裏と大番」(髙橋昌明編『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣,2006年)
野口 実「中世前期の権力と都市−院御所・内裏・六波羅−」(髙橋康夫編『中世都市研究12 中世のなかの「京都」』新人物往来社,2006年)

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2007.01.15

小川法印忠快の寺

2006年の秋、東京国立博物館で開催された「仏像展 一木にこめられた祈り」に行きました。仏像好きな私にとって、うれしい展覧会でした。
前半のメイン展示は、宝菩提院願徳寺の国宝伝如意輪観音像。凛とした美を感じる像です。
宝菩提院願徳寺は平家ゆかりの寺でもあります。
昨日、九州から来た友人を案内して久々に同寺を訪ねました。

宝菩提院願徳寺は、京都の東山にあった宝菩提院と、乙訓郡にあった願徳寺が合体したお寺です。
宝菩提院は、平教盛の子・忠快の持仏堂です。忠快は、平家滅亡後、伊豆に流されていましたが帰京後、父教盛の所領であった小川(現在の京都市東山区高畑町)の地を返却され、そこに住坊(小川殿)と持仏堂(宝菩提院)をたてました。
一方、願徳寺(向日市寺戸)は、7世紀に創建された古い寺院ですが、鎌倉時代の初めには荒廃してしまいます。
忠快の門弟承澄によって、東山にあった宝菩提院が、乙訓郡に移り、宝菩提院願徳寺となったのです。

現在、宝菩提院願徳寺は、京都市西京区大原野に移って法灯を伝えています。
拝観寺院ですので、伝如意輪観音像はいつでも拝むことができます。
また、本尊如意輪観音像の脇には、宝菩提院の本尊であったと推定される薬師如来立像(平安時代後期)が祀られています。忠快はじめ残された平家一門が拝した仏様かと手を合わすと感慨深いです。
忠快僧都像も祀られていましたが、暗くてお顔をはっきりと拝めなかったのが残念。次回訪ねる時には、双眼鏡必携。

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大原野神社、勝持寺(花の寺)のすぐそばなので、大原野散策の際は、ぜひ寄ってみてくださいませ。
http://www.gantoku.or.jp/index.html

【参考文献】
角田文衛「忠快僧都」『平家後抄』
『京都府の地名』平凡社

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2007.01.05

閑院内裏石碑ピンチ

2006年12月31日。
正月の買い出しに、錦市場を目指して自転車を走らせている途中、ダンナさんが、あっと叫びました。どうしたの?と振り返ると、無い!とあわてふためいています。財布でも落したのかと近寄ると、無くなっていたのは、財布ではなく石碑でした。
「此付近閑院内裏址」の石碑(京都市中京区押小路通小川西北角)が、根元から無惨に折れて無くなっていたのです。
平安京をフィールドとするダンナさんにとっては大問題。さっそく事情をうかがうため、石碑の前の西福寺さんの門を叩きました。ご住職様のお話によると、昨年の暮れに寺の塀とともに車にぶつけられ、横たわっていた石碑の断片は、いつのまにか無くなっていたとのこと。ご住職様が、何度も役所の関係部署に連絡したところ、石碑の断片は京都市西部土木事務所が持ち帰ったことはわかったようです。ご住職様はじめ地元のみなさんは、石碑を元のように建てて欲しいことを訴えておられます。

事故現場と在りし日の石碑
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閑院内裏は、高倉、安徳、後鳥羽、土御門の四代にわたって里内裏として使われていました。

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2006.11.25

平家物語~語りの世界

語ってこそ「平家」

大阪・大槻能楽堂と、京都・金剛能楽堂で、「平家物語~語りの世界」という舞台が開催されます。
語り芝居、琵琶語り(薩摩琵琶)、語り合わせの3つの作品が演じられます。

まほろば企画公演
平家物語~語りの世界
日時:11月26日(日) 14時開演  大阪 大槻能楽堂
日時:11月28日(火) 14時開演と18時30分開演 京都 金剛能楽堂
演目:俊寛~語り芝居 義経~琵琶語り 祇王~語り合わせ

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2006.11.14

番外編 実朝墓参り紀行2

翌日、鎌倉入りして鎌倉国宝館へ向かう。
鎌倉国宝館では、特別展「武家の古都鎌倉」(〜11月26日)が開催中。山梨の善光寺の実朝像が出品されている。退耕行勇の木像にも出会うことができた。また秦野の御首塚の木造の五輪塔は、現在では鎌倉国宝館に寄託されており、常時、見ることができる。

ここまで実朝づくしできたのなら、やはり寿福寺の実朝の墓もお参りしておこう。

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それに忘れてはならないのは、勝長寿院跡。『吾妻鏡』によると、実朝の首の無い胴体は、鬢髪を頭部の代用とし、勝長寿院の辺りに埋葬したとされている。勝長寿院は、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために創建した寺院だが、今は跡形もない。勝長寿院跡の石碑の横には、源義朝、鎌田正家の供養塔が建っている。石碑の周囲に集められている石は、勝長寿院跡あたりより出土した礎石だという。

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午前中、ばたばたとレンタサイクルで走り回ったので、午後からはゆっくり過ごそうと海へと向かった。海はいいね。波の音も良いし、砂浜を踏みしめる感触も良い。実朝が夢見た渡宋計画を思いながら海辺を歩き、江ノ島で生しらすの定食を食べて旅を終えた。
舟ぜんさんの生しらす定食♪ 1980円だったかな?

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今回の宿題。
武常春という人物について、興味がわく。彼はいったい何者?
『武氏系譜』に、武常春の母が実朝の乳母とあるので、彼は実朝の乳母子。武氏系譜にのる彼の事績から、将軍家、波多野氏・三浦氏との関係、について考えていきたい。

【参考文献もしくは旅のお供】
貫達人監修『実朝と波多野』
湯山学『波多野氏と波多野庄』
『秦野市史』
『図説秦野の歴史』
永井路子『相模のもののふたち』

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2006.11.13

番外編・実朝墓参り紀行1

先週、東京へ行くついでがあったので、神奈川県秦野市の実朝首塚へ寄ってみることにした。
京都から秦野市までは、新幹線で小田原まで出、小田急線に乗り換えるのが最短コース。9時に京都駅を出発し、秦野駅に着いたのは、11時半ごろだった。
駅からタクシーを利用する。運転手さんは、とても美人な女性で感じが良い。タクシーで10分ほどで「源実朝御首塚」へ到着。
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小さな墳丘上に五輪塔が建ち、周囲には顕彰碑、歌碑などが建っている。
建保7年(1219)、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣した実朝は、甥の公暁によって暗殺される。その首の行方はわからなくなっていたのだが、武三浦介常春によって発見され、秦野の地に葬られたと伝えられている。実朝の帰依僧退耕行勇が導師となり埋葬し、その印に木造の五輪塔が建てられたという。その後木造の塔は金剛寺に移され(現在、鎌倉国宝館に寄託されている)、そのあとには石造の五輪塔が建てられた。

お参りをすませ、金剛寺へと向かう。
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金剛寺は、縁起によると、建保6年(1218)退耕行勇を開山として創建され、本尊は源頼朝の念持仏であった。建長2年(1250)には、波多野忠綱が伽藍を再興したとされている。
拝観寺院では無いので、断られるのを覚悟でお参りさせてくださいと頼んでみると、快く迎えてくださった。
新しくできた本堂に入り、先ずは本尊を拝む。本尊の左脇に、これもまた新しく作られた実朝像と、従来からある実朝像が並んでいる。その前に大きなお位牌が安置されている。

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タクシーを待たせていたので、長居もできず、お供えをして辞した。帰り道は、波多野城跡を通ってもらい、相模の武士団波多野氏に思いをはせる。

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2006.09.11

時代衣裳体験「京の家づと」in 城南宮

時代衣裳体験「京の家づと」が始まっています。
今回の舞台は、城南離宮。
たっぷりとタイムスリップできる環境です。
ということで、さっそく巴御前に変身してきました。
大鎧姿に天冠をつけていただきました。

最愛の人義仲との別れ(?)

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逃げようとする院の女房を捕えて尋問している所

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昔なつかし「ごっこ遊び」を堪能しました。

【開催期間】平成18年9月1日(金)〜10月1日(日)
【開催時間】午前10時〜午後4時30分(4時受付終了)
【場 所】城南宮 斎館2F(京都市伏見区)
【入場料】無料

詳しくはこちら

※一緒に遊んでくださった義仲役の笑芭さん、院の女房役のくたくたさん、ありがとうございました。

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2006.09.04

伊勢平氏発祥伝説地

仕事で三重県津市に行ったついでに、伊賀街道沿いにある伊勢平氏発祥伝説地を見てきました。
説明は、また明日にでも追加します。まずは写真をご覧下さい。

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2006.08.24

橋弁慶

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中堂寺六斎念仏保存会による狂言「橋弁慶」。
(2006年8月24日右京ふれあい会館)

六斎念仏とは、京都とその近郊で行われる念仏踊のひとつ。もとは鉦を叩き、経文に節をつけた鉦念仏でしたが、笛・太鼓が加わり、獅子舞や曲打ち太鼓・能・歌舞伎・浄瑠璃などから加えられ、六斎踊が中心となっていきました。(『日本民俗事典』、田中緑紅『六斉念仏と六斉踊』)

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