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2005.01.18

九条院雑仕常盤

常盤
生没年未詳。出自未詳。常磐、常葉とも。義朝との間に全成、円成、義経の3人の子供をもうける。義朝と死別後、平清盛、藤原長成と再婚。清盛との間に、廊の御方と呼ばれた女子がいる。長成との間に、能成、女子がいる。文治2年(1186)、義経逃亡中、捕らえられ尋問をうける。その後の消息については不明。

九条院雑仕常盤。いったいどんな人物だったのでしょうか。
常盤は、九条院(藤原呈子〈しめこ〉・藤原忠通の養女で近衛天皇皇后)に「雑仕」として仕えていました。
「雑仕(ぞうし)」というのは、内裏や三位以上の貴族の家に仕える召使いのことをいいます。
『平治物語』では、主人の藤原呈子が立后のとき、都中の美女1000人の中から選ばれた美女と伝えています。
従来は、常磐は単なる召使いの美しい女性と考えられていきました。
しかし、最近の保立道久『義経の登場』では、常磐の「美女」という呼び方は単なる容貌のことではなく、女房に次ぐ身分を指していると推定しています。
常磐が「美女」として九条院へ奉仕していた関係で、平治の乱後の3人の子の助命にも、九条院の働きかけがあったのではないかということです。

下の写真は、京都市伏見区合同庁舎内にある「常盤御前就捕地」と書かれた石碑です。
平治の乱後、3人の子供を連れて逃げていた常盤が、平氏に捕らえられた場所であるという伝説地です。

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下の写真は、京都市北区紫野にある「常盤井」です。
常盤が愛した井戸という伝説があります。
常盤井は京都の名水のひとつとして知られ、茶人に愛されました。

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【参考文献】
保立道久『義経の登場』(NHKブックス 2004)
『京都市の地名』日本歴史地名大系27(平凡社)
『保元物語平治物語承久記』新日本古典文学大系(岩波書店)

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コメント

常盤について調べていた矢先に、こちらで常盤のご紹介を拝見し、嬉しい思いです♪

子どもの頃、赤間神宮に残されている「臈の御方」の像(室町時代制作ですが)を見て“なんて綺麗な人なんだろう!”と思ったことがあります。

母である常盤も美しい人だったのでしょうね。
紫野にある「常盤井」にも行ってみたいです!

投稿: なぎ | 2005.01.19 15:39

なぎさん こんにちは。
京都には常盤の伝説地がたくさんあります。
さっきまで一条河崎観音堂を調べていました。
義経の行方を探索するために、頼朝の命によって捕らえられた場所です。
行ってみようかなと思いましたが、体調がまだ整っていないので、次の機会にしました。

投稿: ぼんやり | 2005.01.19 16:22

こんにちは、はじめまして。常盤御前が平清盛に追いやられた寺院とはどこだったでしょうか?わかる範囲で教えて頂ければ幸いです。

投稿: ジャックのオヤジー | 2007.10.06 11:40

ジャックのオヤジーさん コメントありがとうございます。
平清盛に追いやられた寺院というのは、聞いたことがありません。
追いやられること自体が、よくわからないのですが。。
お役に立てずにすみません。

投稿: ヨウダ | 2007.10.16 22:18

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