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2005.05.30

義円の墓

卿公義円深入りして討たれにけり。

平清盛亡き後の最初の源平合戦が墨俣(洲俣)の戦いです。
『平家物語』によると、治承5年(1181)3月、源行家ら六千余騎の軍勢が尾張まで攻め上って来たとの知らせを受け、平氏は平知盛(※)・清経・有盛ら三万余騎で京を発向します。両軍は、尾張川(木曽川の古名)をはさんで対峙します。夜半、源氏の軍勢が河を渡り、突撃を開始します。しかし、平家の大軍に攻めたてられ、源氏方は惨敗します。頼朝の異母弟・義円は深入りして討死にしてしまいます。源行家は、いったん三河国に退きますが、ここでもやはり敗北してしまいます。

覚一本では、上に記したようにあっさりと一言で義円(ぎえん)の死を語ります。しかし『源平盛衰記』では、もう少しくわしく義円の戦いの様子が描かれています。

墨俣は岐阜県安八郡の地名で、木曽川、長良川、揖斐川の合流点にあたります。尾張と美濃の境でもあります。
墨俣の古戦場跡には、義円の墓と伝えられる五輪塔がああります。
義円は、源義朝と常盤の間に生まれた3人の子どもの一人です。義経の兄にあたります。幼名乙若。平治の乱の後、仏門に入り、円成といい、のちに義円とあらためます。後白河院の皇子八条宮円恵法親王に仕えて坊官となります。墨俣合戦では叔父源行家の軍に参じますが、討死します。

岐阜県安八郡下宿に残る義円の墓。
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義円の墓のそばには、義円公園があります。
公園には、義円地蔵、義円供養塔、墨俣古戦場の碑などがあります。
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※史実では、平家方の大将軍は平知盛ではなく、平重衡でした。

【参考文献】
『平安時代史事典』『岐阜県の地名』
『平家物語全注釈』中

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コメント

はじめまして 
先日暑い中「義円のお墓」へ行って来ました。此処は昔の宿場跡 鎌倉街道沿いにあります。
来年の大河ドラマは「平清盛」ですね、松田聖子様が演ずる 「乙前」は 大垣市青墓も縁の里といわれています(昔 大井庄?}鎌倉・平安時代の青墓宿でもありました(東山道)
鎌倉も源氏の里ですが こちらも美濃源氏の里で 白河法王の縁の神社(熊野信仰)
もあります。
もう一度訪れてください。お待ちしています

投稿: かなぶ | 2011.08.21 21:57

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