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2005.05.08

入道死去2

能福寺
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 能福寺(兵庫区北逆瀬川町)は、寺伝によると伝教大師最澄の創建で、平家一門の帰依により隆盛しましたが平家滅亡の後、暦応4年(1341)兵火により全焼。慶長4年(1599)明智光秀の臣長盛法印が堂宇を再建したと伝えています。

能福寺平相国廟
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 能福寺には、昭和55年、清盛の八百年忌を記念して作られた「平相国廟」があります。清盛塚の塔を模造した「十三重石塔」を中心に、向かって右側に円実法眼の供養塔である宝篋印塔(鎌倉時代)、左側には平教盛の子息で円実法印の弟子でとなった忠快の供養塔である九重石塔(同)がすえられています。

清盛塚
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 兵庫運河にかかる清盛橋のそばに、清盛塚(兵庫区切戸町)と呼ばれる十三重石塔が建っています。この石塔は古くから清盛の墓と伝えられてきました。清盛塚は、大正12年(1923)、都市計画道路工事のため移転されることとなり、それにともなって発掘調査が実施されました(もとは現在地より南西約10メートルの場所にありました)。調査の結果、墳墓でないことが明らかになりました。石塔には弘安9年(1286)の銘があり、兵庫県指定文化財となっています。
 現在、清盛塚の石塔が建っている場所は、もともと「琵琶塚」と呼ばれていました。伝承によると、平経正の塚で、仁和寺の覚性法親王から拝領した琵琶の名器「青山」をともに埋葬したとされています。しかし、もとは前方後円墳で、その形が琵琶に似ていることから琵琶の名手経正と結び付けられたようです。

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