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2005.12.18

永福寺跡

永福寺(ようふくじ)とは、源頼朝によって、源義経・藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の鎮魂のために建立された寺院です。
永福寺の中心伽藍である二階堂は、奥州藤原氏の中尊寺二階大堂(大長寿院)を模倣して造られました。
鎌倉市によって永福寺跡の発掘調査が行われ、その全容が明らかになっています。
東面する二階堂を中心に、両脇に北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂を配し、その幅がは南北約125メートルに及ぶ大伽藍です。各々の堂間は複廊で結ばれていました。
前面には、南北約200メートル、東西約70メートルの瓢箪形の地がありました。
応永12年(1405)に焼失し、二階堂という地名として残りました。
現在では国指定史跡に指定され、史跡公園とするための整備作業が進められています。

2005年12月3日、中世鎌倉研究会主催により永福寺シンポジウムが開催されました。
シンポジウムに先立って、永福寺跡見学会が行われたのに参加してきました。
永福寺跡背後の丘陵に上るための遊歩道が途中まで完成しています。
しかし途中からは未完成で、急な山道のアップダウンが続きます。ひとりで参加したわたしは誰に頼ることもできず、ダンナさんに恐いよ〜!とメールしました。
サムネイルは、永福寺跡の背後の丘陵上(2枚目の写真の▼印の地点)から永福寺跡の全景を撮影したものです。クリックすると拡大します。
▼地点は、二階堂の南側・阿弥陀堂のちょうど背後にあたります。
参考になるサイトを下にあげたおきました。

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さて永福寺の二階堂とはどんな建物だったのでしょうか。
次にあげるサイトで、その様子をコンピュータグラフィクによって見ることができます。
・「国指定史跡永福寺跡」のコンピュータグラフィクによる復元
http://www.shonan-it.org/yofuku-ji/index.html

こちらのサイトはきれいな写真・イラスト入りのパンフレットも発行されています。
・「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録を目指して
http://www.elec.shonan-it.ac.jp/kamakura/

【参考文献】
中世鎌倉研究会シンポジウム「日本史の中の永福寺 予稿集」

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コメント

あけましておめでとうございます。ご無沙汰しましたが今年もよろしくお願いいたしますm(__)m
二階堂は、世界史のセミナー受講に某大学の二階堂校舎というのに通っていましたが、ついに体調不良でgiveupしてしまいました(;_;)
あのへんはどこを掘っても遺跡・史跡で大変ですが、あれほどの伽藍の跡があるとは思いませんでした(^_^;
鎌倉恐るべし!!です。

投稿: 怪傑おばさん頭巾 | 2006.01.03 12:03 午前

怪傑おばさん頭巾さん あけましておめでとうございます。
今年は鎌倉をテーマにちゃんと書いて残したいというのが、豊富です。
二階堂校舎のホール、とってもステキで、こんなところで学べる学生さんたちは幸せだなあと思いました。
体調不良とのこと、どうぞご自愛くださいませ。。

投稿: ぼんやり | 2006.01.03 01:11 午後

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