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2006.04.06

THE TALE OF THE HEIKE

The bell of the Gion Temple tolls into every man's heart to warn im that all is vanity and evanescence.

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とても美しい装丁の平家物語がマイコレクションに加わりました。
洋書で『THE TALE OF THE HEIKE』(Hiroshi Kitagawa , Bruce Tsuchida 、Univ of Tokyo Press)
左が本のカバー。右上は箱。右下は本の見返し。
英語で読むのも楽しい。

ちなみに管理人は中国語を勉強していたので、中国語の平家物語も持ってます(笑)

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2006.04.04

歴代検校の座像はいずこ

「そうだ 京都、行こう。」エクスプレス・カード会員専用のオリジナルイベント「大雲院特別拝観」に参加してきました。大雲院は、京都市?月R区の円山公園の南にあります。祇園祭の鉾を模した建物、祇園閣で有名です。普段は非公開。
わたしは、以前から大雲院さんでぜひ確かめたいと思うことがありました。

館山漸之進『平家音楽史』(初出1910年 復刻1974年)によりますと、当道座が廃止された時、当道職屋敷内の清聚庵にまつられていた明石覚一検校以下の歴代検校の位牌・座像が、大雲院に移されたことが載っています。大雲院は、もとは寺町四条下ル(現在の高島屋百貨店駐車場)にありましたが、昭和48年に円山公園の南の現在地に移ってきました。『平家音楽史』が言う大雲院は、移転する前の大雲院です。
さて、明石覚一検校以下の歴代検校の位牌・座像が今も大雲院にあるかどうかを確かめるチャンス到来!
ご住職様に『平家音楽史』に載る検校の座像写真と位牌の年月日を見ていただきました。しかし、「像も位牌も見覚えが無く、現在の大雲院にはありません。」とのご回答を得ました

八坂城玄・明石覚一・杉山和一各検校の座像と歴代検校の位牌は、どこに行ってしまったのでしょう。
いつか対面できる日が来るでしょうか。
下の写真の座像をご存じの方、ぜひお教え下さいませ!

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(館山漸之進『平家音楽史』巻頭写真を引用)

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2006.04.02

祇園女御塚

復興といえばこちらも忘れてはなりません。

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京都市東山区円山公園の南の入り口にある、祇園女御塚が、このようにきれいになっています。

この地は、字名を「女御田」と称し、白河法皇の寵妃祇園女御の屋敷跡または祇園女御が建立した仏堂跡と伝えられてきました。
祟りがあると空地になっていたところに、明治37年、篤志家により阿弥陀堂が建てられました。昭和47年には、阿弥陀堂保存会の有志により祇園女御塚とする五輪塔が建てられました。
そして、近年になって、「宗教法人阿弥陀堂」が創設され、この法人が祇園女御の仏堂を「祇園寺」として復興させる計画を立てました。工事が開始されると、阿弥陀堂と祇園女御塚は、京田辺市に移築保存されました。「祇園寺」がようやく完成すると、祇園女御塔は、同寺の正面右側に安置され祀られました。しかし、当初はもとの五輪塔を戻すと聞いていましたが、新らしい宝篋印塔となりました。

【参考文献】
成瀬宗慶『開祖祇園女御・祇園寺の由来』(京都・法政出版)

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