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2006.11.25

平家物語~語りの世界

語ってこそ「平家」

大阪・大槻能楽堂と、京都・金剛能楽堂で、「平家物語~語りの世界」という舞台が開催されます。
語り芝居、琵琶語り(薩摩琵琶)、語り合わせの3つの作品が演じられます。

まほろば企画公演
平家物語~語りの世界
日時:11月26日(日) 14時開演  大阪 大槻能楽堂
日時:11月28日(火) 14時開演と18時30分開演 京都 金剛能楽堂
演目:俊寛~語り芝居 義経~琵琶語り 祇王~語り合わせ

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2006.11.14

番外編 実朝墓参り紀行2

翌日、鎌倉入りして鎌倉国宝館へ向かう。
鎌倉国宝館では、特別展「武家の古都鎌倉」(〜11月26日)が開催中。山梨の善光寺の実朝像が出品されている。退耕行勇の木像にも出会うことができた。また秦野の御首塚の木造の五輪塔は、現在では鎌倉国宝館に寄託されており、常時、見ることができる。

ここまで実朝づくしできたのなら、やはり寿福寺の実朝の墓もお参りしておこう。

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それに忘れてはならないのは、勝長寿院跡。『吾妻鏡』によると、実朝の首の無い胴体は、鬢髪を頭部の代用とし、勝長寿院の辺りに埋葬したとされている。勝長寿院は、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために創建した寺院だが、今は跡形もない。勝長寿院跡の石碑の横には、源義朝、鎌田正家の供養塔が建っている。石碑の周囲に集められている石は、勝長寿院跡あたりより出土した礎石だという。

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午前中、ばたばたとレンタサイクルで走り回ったので、午後からはゆっくり過ごそうと海へと向かった。海はいいね。波の音も良いし、砂浜を踏みしめる感触も良い。実朝が夢見た渡宋計画を思いながら海辺を歩き、江ノ島で生しらすの定食を食べて旅を終えた。
舟ぜんさんの生しらす定食♪ 1980円だったかな?

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今回の宿題。
武常春という人物について、興味がわく。彼はいったい何者?
『武氏系譜』に、武常春の母が実朝の乳母とあるので、彼は実朝の乳母子。武氏系譜にのる彼の事績から、将軍家、波多野氏・三浦氏との関係、について考えていきたい。

【参考文献もしくは旅のお供】
貫達人監修『実朝と波多野』
湯山学『波多野氏と波多野庄』
『秦野市史』
『図説秦野の歴史』
永井路子『相模のもののふたち』

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2006.11.13

番外編・実朝墓参り紀行1

先週、東京へ行くついでがあったので、神奈川県秦野市の実朝首塚へ寄ってみることにした。
京都から秦野市までは、新幹線で小田原まで出、小田急線に乗り換えるのが最短コース。9時に京都駅を出発し、秦野駅に着いたのは、11時半ごろだった。
駅からタクシーを利用する。運転手さんは、とても美人な女性で感じが良い。タクシーで10分ほどで「源実朝御首塚」へ到着。
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小さな墳丘上に五輪塔が建ち、周囲には顕彰碑、歌碑などが建っている。
建保7年(1219)、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣した実朝は、甥の公暁によって暗殺される。その首の行方はわからなくなっていたのだが、武三浦介常春によって発見され、秦野の地に葬られたと伝えられている。実朝の帰依僧退耕行勇が導師となり埋葬し、その印に木造の五輪塔が建てられたという。その後木造の塔は金剛寺に移され(現在、鎌倉国宝館に寄託されている)、そのあとには石造の五輪塔が建てられた。

お参りをすませ、金剛寺へと向かう。
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金剛寺は、縁起によると、建保6年(1218)退耕行勇を開山として創建され、本尊は源頼朝の念持仏であった。建長2年(1250)には、波多野忠綱が伽藍を再興したとされている。
拝観寺院では無いので、断られるのを覚悟でお参りさせてくださいと頼んでみると、快く迎えてくださった。
新しくできた本堂に入り、先ずは本尊を拝む。本尊の左脇に、これもまた新しく作られた実朝像と、従来からある実朝像が並んでいる。その前に大きなお位牌が安置されている。

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タクシーを待たせていたので、長居もできず、お供えをして辞した。帰り道は、波多野城跡を通ってもらい、相模の武士団波多野氏に思いをはせる。

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