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2007.01.15

小川法印忠快の寺

2006年の秋、東京国立博物館で開催された「仏像展 一木にこめられた祈り」に行きました。仏像好きな私にとって、うれしい展覧会でした。
前半のメイン展示は、宝菩提院願徳寺の国宝伝如意輪観音像。凛とした美を感じる像です。
宝菩提院願徳寺は平家ゆかりの寺でもあります。
昨日、九州から来た友人を案内して久々に同寺を訪ねました。

宝菩提院願徳寺は、京都の東山にあった宝菩提院と、乙訓郡にあった願徳寺が合体したお寺です。
宝菩提院は、平教盛の子・忠快の持仏堂です。忠快は、平家滅亡後、伊豆に流されていましたが帰京後、父教盛の所領であった小川(現在の京都市東山区高畑町)の地を返却され、そこに住坊(小川殿)と持仏堂(宝菩提院)をたてました。
一方、願徳寺(向日市寺戸)は、7世紀に創建された古い寺院ですが、鎌倉時代の初めには荒廃してしまいます。
忠快の門弟承澄によって、東山にあった宝菩提院が、乙訓郡に移り、宝菩提院願徳寺となったのです。

現在、宝菩提院願徳寺は、京都市西京区大原野に移って法灯を伝えています。
拝観寺院ですので、伝如意輪観音像はいつでも拝むことができます。
また、本尊如意輪観音像の脇には、宝菩提院の本尊であったと推定される薬師如来立像(平安時代後期)が祀られています。忠快はじめ残された平家一門が拝した仏様かと手を合わすと感慨深いです。
忠快僧都像も祀られていましたが、暗くてお顔をはっきりと拝めなかったのが残念。次回訪ねる時には、双眼鏡必携。

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大原野神社、勝持寺(花の寺)のすぐそばなので、大原野散策の際は、ぜひ寄ってみてくださいませ。
http://www.gantoku.or.jp/index.html

【参考文献】
角田文衛「忠快僧都」『平家後抄』
『京都府の地名』平凡社

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2007.01.05

閑院内裏石碑ピンチ

2006年12月31日。
正月の買い出しに、錦市場を目指して自転車を走らせている途中、ダンナさんが、あっと叫びました。どうしたの?と振り返ると、無い!とあわてふためいています。財布でも落したのかと近寄ると、無くなっていたのは、財布ではなく石碑でした。
「此付近閑院内裏址」の石碑(京都市中京区押小路通小川西北角)が、根元から無惨に折れて無くなっていたのです。
平安京をフィールドとするダンナさんにとっては大問題。さっそく事情をうかがうため、石碑の前の西福寺さんの門を叩きました。ご住職様のお話によると、昨年の暮れに寺の塀とともに車にぶつけられ、横たわっていた石碑の断片は、いつのまにか無くなっていたとのこと。ご住職様が、何度も役所の関係部署に連絡したところ、石碑の断片は京都市西部土木事務所が持ち帰ったことはわかったようです。ご住職様はじめ地元のみなさんは、石碑を元のように建てて欲しいことを訴えておられます。

事故現場と在りし日の石碑
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閑院内裏は、高倉、安徳、後鳥羽、土御門の四代にわたって里内裏として使われていました。

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