2005.06.12

平家都落ち

今夜の大河ドラマ義経では平家が都落ちします。
わたしも都落ちを追体験してみました。平安京の玄関口・羅城門跡から大山崎の関大明神まで行くのに、二つのルートがあります。
西国街道をたどるルートと、鳥羽のつくり道をまっすぐに行って久我畷(こがなわて)をたどるルートです。
久我畷ルートは、東海道新幹線や幹線道路、大きな工場等によって分断されてたどりつらいので、西国街道を関大明神までたどりました。

177
羅城門跡(京都市南区唐橋)

平家都を落ち行くに、六波羅・池殿・小松殿・八条・西八条以下、一門の卿相・雲客の家家二十余箇所、次次の輩の宿所宿所、京白河に四五万軒の在家、一度に火をつけて皆焼き払ふ。

176
久世橋(京都市南区久世)から都の方向を眺めてみました。家々を焼いた煙は見えたでしょうか?

山崎関戸院に玉の御輿をかき据ゑて男山を伏し拝み、平大納言時忠卿「南無帰命頂礼八幡大菩薩、君を始め参らせて。我等都へ帰し入れさせ給へ」と祈られけるこそ悲しけれ。

174
上の写真は関大明神(大阪府島本町山崎 離宮八幡宮のすぐ西)です。
平時忠が、男山八幡宮に祈る場面の舞台です。
この辺りには昔関所が置かれていました。関の廃止後は、疫神祭りの場となり、また関戸院という官設の宿舎が設けられていました。
写真の左に「従是東山城國」の石標が見えます。この石標と関大明神の間の溝が山城国と摂津国の境です。

【参考文献】
大山崎町教育委員会『山崎・水無瀬』

| | コメント (0) | トラックバック (0)