保元の乱史跡
中京区姉小路通釜座東入ル北側に高松神明社があります。醍醐天皇の皇子・源高明(914〜982)の邸宅でした。平安時代後期には後白河天皇の内裏となります。
保元の乱(1156)では、後白河天皇の本拠地となります。
源義朝、平清盛の軍勢は、この御所に参集して白河へと攻め込みます。
平治の乱(1159)で、御所は全焼しますが、高松殿の鎮守・高松明神は、高松神明社として名残を伝えています。
白河法皇が造営した御所・白河北殿跡の石碑が、京都大学熊野寮内にあります。保元の乱では、崇徳上皇側の本拠地となりました。この乱で焼失しました。
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