2019.09.20

新しい家族・ペキニーズのロベです

わが家に、新しい家族を迎え入れました。真っ白いペキニーズ。昨年、3匹目の犬を見送った私たちなのですが、自分の年齢を考えると、少なくとも幼犬から飼い初めて最後まで世話をすることはできないと思ってました。ただ、成犬のいわゆる「保護犬」ならばどうかと、ずっと思い悩んできました。それがたまたまご縁があって、この仔を迎えることになったのです。
 この仔、かわいそうなことに、前の飼い主が高齢になって世話をしきれなくなり、いわゆる「保護センター」に送られてしまった。そこを動物愛護団体によって引き取られて、里親を探していたというのです。私もかなり迷ったのですが、やはりこれもご縁だと思い、先日「お見合い」をして、気に入ったので、今日、我が家に来てもらいました。
 名前は妻が「ロベ」とつけました。ちょっと変わった名前ですが、竹内栖鳳の可愛い犬の絵に「炉辺」というのがあったので、そこからもらったのです。
 もう11歳、かなりの年齢ですので、おそらく一緒にいられるのは5年以内だとは思うのですが、幸せな晩年をまっとうさせてやりたいと思います。

Img_3121_20190920232401

2019.04.30

今上天皇の退位の日を迎えて、の巻

 今日は、今上天皇が退位され、元号「平成」の最後の日ということ。私は天皇と元号が変わるからといってこれが歴史の大きな画期となるなどということはまったく思わないのですが、今上天皇明仁陛下という類い稀なる人格の持ち主が表舞台から退かれることには深い感慨をおぼえております。

 私見では、今上天皇の偉大な点は、皇室の血筋に生まれたということではなく、今、天皇という地位にあるということでもありません。どこに生まれるかは本人の意思では左右できない。たまたま天皇の長男として誕生し、生まれながらにして将来の天皇という運命を背負わされた。想像もできない重圧であったでしょうが、それから逃れることさえも許されていない。そうした環境の中でこの方は、自分に課せられた運命を受け入れるとともに、その使命はどういうものであるかを真摯に追究された。すなわち、日本国憲法下における象徴天皇の理想の姿(それは、「国の良心」ともいうべきものなのかもしれません)とは何かということです。そして自らを少しでもそこに近づけるように営々とした努力を積み重ねられた。決して平坦な道ではなかったはずですが、陛下はそれに成功してこられた。これこそが偉大だと思うのです。

 陛下の偉大さを物語るエピソードがあります。棋士で保守思想の持ち主だった米長邦雄氏は、東京都教育委員として都の公立学校に対する「日の丸・君が代」の義務化を推進した。そして米長氏は秋の園遊会で今上天皇に対して「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事」と述べた。米長氏は当然、天皇からの賞賛の言葉を期待していたのであろう。しかし陛下はこれに対して、「強制になるということでないことが望ましいですね」と述べられて、米長氏を青ざめさせたのである。天皇が個々の政策を批判したり関与することはできない中で、陛下としては許される限りの精一杯のことをおっしゃったのであろう。私の友人のひとりは、今上天皇のことを評して「戦後最大の民主主義者」と述べたのですが、私もその通りだと思っています。

 天皇制という制度に対してはいろいろな矛盾があることは確かです。国民主権のわが国の中が、立憲君主制(象徴天皇制がこれに該当するかどうかは議論がありますが、私はこう捉えて良いと思っています)を採るのはおかしいのではないか、とか、国民はすべて平等なのにそこに皇室という特別な立場の人々を置くことは問題だ、とか、そこに生まれたというだけで皇室の人々をがんがらじめにするのはむしろ人権侵害ではないか、とか、天皇制にかかる費用が無駄ではないか、とかいう議論があることはよく承知しております。私としては、天皇や皇室の方々にかかる重圧は大変だとは思いながら、日本国憲法下における象徴天皇制とはよくできたシステムだと思っています。まだまだ日本国と日本国民は天皇という存在を必要としているのではないか、と思っているのです。

 ともあれ、今上天皇は本日をもって退位されます。陛下が30年にわたる天皇としてのお勤めを全うされたことに国民のひとりとして感謝し、陛下が今後穏やかな生活を楽しまれることを心より望んでおります。

2019.04.01

新元号「令和」、の巻

56119522_427340318035033_765379901044817
 新しい元号「令和」の出典を紹介しましょう。

 これは平安京を造営した桓武天皇の冗談として有名なシーンです。宴会でいい気分になった(おそらくかなり酔っ払ってた)桓武天皇は、後宮の最高責任者である百済王明信に古い戯れ歌を投げかけたのですね。「いにしえの 野中古道 あらためば あらたまらんや 野中古道」、つまり「昔からの野中の古い道は、変えようとしても容易く変えることができないものだね」という何の変哲もない内容なのですが、実はこの百済王明信という方、右大臣藤原継縄の妻なのですが、もとはといえば若い時代の桓武天皇の恋人。要はこれは、桓武天皇が明信に「私があなたに抱いていた昔の恋情、それは今でも変わってないんだよ」ということを言っているんですね。天皇、悪ふざけをして明信に「和せしむ(令和)」、つまり「おいおい、せっかく私がこう言ってあげているのに、返事はどうなの?」と戯れている。でも万座の中での天皇の冗談に、辣腕の女官であった明信も慌ててしまい、恥じらって何もいえなくなる。悪ノリした天皇、「じゃ、私があなたに代わって返歌してあげよう。あなたもこういう風に言わなくちゃダメなんだよ」ということで「君こそは 忘れたるらめ にぎ玉の たわやめ我は 常の白珠(天皇であるあなた様はもう私のことを忘れてしまわれているのでしょうが、女の私は永遠に変わらない白い珠のように、あなたへの変わらぬ想いを抱き続けているのでございますよ)」と歌い上げる。桓武天皇は自分のこのジョークに明信が狼狽しているのを見て、満足して大笑いしたことでしょうね。なんとなくほのぼのとした感じの話で、私は大好きです。新しい元号の「令和」がこういうところから採られたというのは、なんか、いいですね。

【注記】
新元号「令和」がこの話を出典としているというのは、むろんのことながら大ウソで、正しくは政府発表の通り「万葉集」です。どうか本気になさらないよう、お願いいたします

2019.03.31

三月までにやったこと、の巻

なんか、最近はFacebookTwitterに主力が移ってきたようだ。ブログとどう使い分けたらよいのか、まだよくわかららない。ともあれ、この1月~3月にやったことの備忘録を挙げておく。

【書いたもの】
「【書評】梅原章一著、今尾文昭解説『古墳空中探訪―奈良編・列島編―』」山田邦和(著)(『季刊考古学』第146号、東京、雄山閣、2019年2月1日)、101頁
『京都学研究と文化史の視座―芳井敬郎名誉教授古稀記念―』芳井敬郎名誉教授古稀記念会(編)
芳井敬郎・池田淳・大塚清史・村田文幸・田中正流・青江智洋・江藤弥生・鹿谷勲・落合知子・日比野光敏・荒木慎太郎・山田邦和・高橋克壽・中野渡俊治・師茂樹・郷司泰仁・志水一行・荻山愛華・伊藤旭人・明珍健二・藤原美菜子・梅本直康・青木豊・宇治谷恵・緒方泉・下湯直樹・中島金太郎(執筆)(東京、芙蓉書房出版、2019年3月25日)、全658頁
~◇山田邦和(著)「レプリカが作成された小野毛人墓誌」261~276頁
『京都を学ぶ【南山城編】―文化資源を発掘する―』京都学研究会(編)
金田章裕・上杉和央(編集委員)、吉岡直人・川口成人・川口朋子・寺嶋一根(コーディネーター)、金田章裕・竹門康弘・久保中央・島津良子・佐伯俊源・山田邦和・上杉和央・香川貴志・川口朋子・伊藤明子・菱田哲郎・向井祐介(執筆)(京都、ナカニシヤ出版、2019年3月28日)、全182頁
~◇山田邦和(著)「恭仁京復元への試案」116~137頁
「全貌を現した平安京模型」(平安京復元模型製作25周年・特別寄稿)山田邦和(著)(『まなびすと』Vol.38、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、2019年4月〈発行日不記載〉)、10頁

【学会】
◯「大会報告『恭仁京の再検討』質疑・討論」山田邦和(座長)
村元健一・小笠原好彦・古川匠(パネラー)(条里制・古代都市研究会「第35回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2019年3月3日)

【講演】
◯「奈良・平安時代の都城―変遷と画期―」山田邦和(講演)
(斎宮歴史博物館(主催)、大阪歴史博物館(共催)「連携公開講座 斎宮跡と難波宮」、大阪、大阪歴史博物館、2019年1月20日)
◯「ミニシンポジウム 古代における斎宮の歴史的意義」榎村寛之(コーディネイター)
山田邦和・大川勝弘・李陽浩(パネラー)(斎宮歴史博物館(主催)、大阪歴史博物館(共催)「連携公開講座 斎宮跡と難波宮」、大阪、大阪歴史博物館、2019年1月20日)
◯「知られざる京都の歴史(1)」山田邦和(講師)
(京都府・(公財)京都SKYセンター〈主催〉「京都SKYシニア大学」〈京都会場〉学び・文学歴史コース、京都、京都府立大学大学会館、2019年2月5日)
◯「知られざる京都の歴史(2)」山田邦和(講師)
(京都府・(公財)京都SKYセンター〈主催〉「京都SKYシニア大学」〈京都会場〉学び・文学歴史コース、京都、京都府立大学大学会館、2019年2月19日)
◯「知られざる京都の歴史」山田邦和(講師)
(京都府・(公財)京都SKYセンター〈主催〉「京都SKYシニア大学」〈北部キャンパス 京丹後会場〉、京丹後、京丹後市峰山総合福祉センター、2019年3月29日)
◯「【東山】 考古学研究者とめぐる、荘厳な政治宗教ワールド・法住寺殿~残る巨大苑池の断崖、東山の麓に誕生した広大な離宮~」山田邦和(ガイド)
(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、三十三間堂、法住寺・後白河天皇陵、新日吉神宮、新熊野神社、最勝光院跡(東山泉小学校)、八条河原を見学、2019年3月23日)
◯「改元を前に京都で学ぶ(3)御所周辺の天皇ゆかりの地めぐり」山田邦和(講演と巡見)
(JR東海「そうだ 京都、行こう!」イヴェント、京都、清浄華院・護浄院・京都御苑を見学、2019年3月24日)

【連続講座】
◯「平安王朝の激動(1)平安京の貴族邸宅」山田邦和(講師)
(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(8)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2019年1月11日)
◯「平安王朝の激動(2)摂関時代への道」山田邦和(講師)
(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(8)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2019年2月8日)
◯「平安王朝の激動(3)神楽岡東側の史跡(現地講座)」山田邦和(講師)
(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(8)、京都、岡崎神社(東光寺跡)・陽成天皇陵などを見学、2019年3月8日)
◯「(3)渡来系集団秦氏と京都盆地」山田邦和(講師)
(栄中日文化センター「京都の歴史を読みなおす」(2018年9月~11月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年12月28日)
◯「(1)京都の古代寺院」山田邦和(講師)
(栄中日文化センター「京都の歴史を読みなおす」(2019年1月~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2019年1月25日)
◯「(2)平安京遷都と権力闘争」山田邦和(講師)
(栄中日文化センター「京都の歴史を読みなおす」(2019年1月~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2019年3月1日)
◯「(3)摂関政治の成立」山田邦和(講師)
(栄中日文化センター「京都の歴史を読みなおす」(2019年1月~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2019年3月22日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究6(3)後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡」山田邦和(講師)
(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2019年1月18日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究6(4)建武の新政とその崩壊」山田邦和(講師)
(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2019年3月1日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究6(5)後醍醐天皇の大内裏造営計画」山田邦和(講師)
(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2019年3月15日)

2019.03.28

NHK「事件の涙『そして、研究棟の一室で~九州大学 ある研究者の死~』」を見る、の巻

 話題になっていたが本編を見逃したNHK「事件の涙『そして、研究棟の一室で~九州大学 ある研究者の死~』」、昨日再放送があったので見ることができた。内容については同一テーマの「九州大学 ある“研究者”の死を追って」をご覧いだたきたい。研究者を目指したが、才能はありながらも思うようにはいかず、経済的に追い詰められて最後は自死を選んだひとりの人物の悲劇。本当に、胸を突かれる思いで見ていた。

 多くの意見が寄せられているらしいが、研究者の中でほぼ異口同音なのは、「ひとごとではない。明日は我が身」。もちろん大学に放火するというのはマズいのは確かなのだが、追い詰められたその心情は理解できる。この方を、研究者を目指しているクセに博士論文すら書けなかったのは失格だとか、経済的に追い詰められたというならば転身して他の職を探せばいいだけじゃないか、所詮は自己責任だと、上から目線で突き放すのは容易い。しかし、私にはそれだけでいいとは到底思えない。
 我が身をかえりみても、若い時に学問に憑かれてその道に進みたいと思ったが、それで本当に身を立てられるかどうかなんかは全然わからなかった。しかし、いわゆる「コケの一念」で、結局は食っていけるかどうかわからない道に踏み込んでしまった。学窓を出る時にも進路が決まっていなくて不安ばかりであったが、幸いなことになんとか研究を続けることができる職を得ることができた。ただ、これは私の才能と努力の結実というよりも、偶然の機会をとらえることができた、という幸運が大きかったのだと思っている。
 ただし、考古学という学問は他に比べるとまだ恵まれたほうである。考古学の技能と知識を活かせる専門職としては、大学教員や博物館学芸員だけではなく、役所の文化財担当や埋蔵文化財センターなどがあり、そうした職に就くことができる可能性は高い。要は「裾野が広い」のである。しかし、他の分野は、研究しようと思うと限られた大学教員のポストしかなく、そこから外れると研究自体をあきらめねばならなくなる、ということも多い。せっかく高等教育を受けて高度な専門性を持った人材を活かせないのは国家的な損失だと思うし、それぞれの学問分野でもっともっと「裾野」を広げ、いろんな人が研究にかかわる夢を実現できるようになればいいのだが、さて、どうしたらよいのか。日本でそれが実現できるのか・・・・

 研究者になりたい若い人々を追い立てて追い立てて競争させて競争させて、そこで負けた連中は容赦なく切り捨てて、その死屍累々の中を勝ち残った少数の天才だけが研究者として生き残れる、というのは、結局は学問の自殺行為だと思うのですよ。一流の天才はたしかにいますし、そういう方を大切にするのは当然です。しかし少数の天才さえいたら学問は進展すると思ったら大間違い。もっともっと幅を広げて、たくさんの人が学問を支え合うような構造こそが重要だと思っております。

2019.03.27

日本人の名前について、の巻

 タレントの中江有里さんがTwitterで、番組で伊能忠敬を「ちゅうけい」と呼んだらそれは間違いとの指摘があった。しかし、忠敬の地元・千葉県香取市では、親しみを込めて「ちゅうけい」さんと呼ばれています、と書かれていました。面白いですね。


 前近代の日本ではやはり実名は正式には訓読みが原則だと存じます(音読みは僧侶、それに準ずる者、あとは若干の例外に限る)。音読みの「有職読み」(藤原定家サダイエをテイカという)は、ちょっと気取った、いわばアダ名のようなものだと思っております。拙著『日本中世の首都と王権都市』でもちょっとだけ述べたことがありますが、安倍晴明は「セイメイ」は俗称で、『宇治拾遺物語』巻11がいう「ハレアキラ」が正式のはずです。
 角田文衞先生はここを重視され、「日本女性の名前を音読みはおかしい、訓読みでなくてはならない」と長年主張し続けられました。確かにこれは正当です。『平安時代史事典』はその原則が貫かれています。藤原彰子は×ショウシ→○アキコ、藤原定子は×テイシ→○サダコ。(ただ、平安時代の貴族の女性は実名があってもそれで呼ばれることはほとんどなく、実名が形骸化していたのも事実ですが、それはまた別問題)。
 「訓読みはいろんな読み方ができるので正確な発音がわからない。だから音読みにするのである」と言う方もおられますし、それは理解できないではないのですが、しかしこれを女性名だけに限定して適用するのはいかがなものでしょうか。応仁の乱の元凶の畠山義就、従来はヨシナリだったのが最近ではヨシヒロが多くなってきましたが、これはどちらも一応は史料的根拠があります。ただ、どちらかわからない者は音読みにするという原則を貫かれるのでしたら、これはハタケヤマギシュウにしなければならないはずですが、日本中世史の研究者でそう発音されている方は寡聞にして知りません。
 ただ、訓読みという原則さえ押さえておいていただけるならば、音読みのアダ名までも全面否定するものではありません。漫画とか映画で安倍晴明を「セイメイ」と発音しているのにいちいち腹をたてていては身がもたないでしょうね。私自身も会話の中では、「藤原道長の娘の中宮アキコ、ショウシともいいますが」と言うことがあります。
 日本中世史の大家・神戸大学名誉教授の高橋昌明先生、正式には「マサアキ」ですが、みなさん会話の中では「ショーメイ」と呼んでおられますよね。ご本人が書かれた『中世都市京都の研究(黒田紘一郎著)』の後書きにも、黒田先生が「ショーメイ」と語りかけている場面が登場します(ここ、黒田先生が力尽きて亡くなられる直前で、涙なくしては読めないシーンです)。
 明治維新後はこの原則は無くなります。西郷隆盛の弟の西郷従道(元帥海軍大将)、おおらかな性格で、自分の名を「隆道リュウドウ」に決めてそれで登録しようとしたら、役人が聞き間違って「従道ジュウドウ」にされてしまい、さらに世間では「従道ツグミチ」と呼ばれるようになったが、本人は、ま、いいか、という感じで全然気にしてなかったらしいです。最後の将軍徳川慶喜も、ヨシノブが一般的ですが、ヨシヒサという史料も残っているようで、また、有職読みのケイキもよく使われており、ご本人もケイキが気に入っていたらしいです。
 とにかく日本人の名前の読み方は難しいですね。正確な発音はご本人でしかわからない。姓では、友人に何人か河内さんがいるが、カワチ、カワウチ、コウチと全部発音が違う。中島さんにナカジマさんというと、いえ、僕はナカシマです、と返されて恐縮する。花房さんにハナブサなのハナフサなのと聞くと、ご本人も、えっ、どっちが本当だったかな、と首をかしげられてしまう。 外国ですが、世界最高のピアニストのひとりであるマルタ・アルゲリッチ Martha Argerich。この方、出身地がアルゼンチンで、アルゼンチンの公用語はスペイン語だから「アルヘリッチ」が正しいんだ、という人がおられます。だがご本人は、私の先祖はカタルーニャ出身で、カタルーニャ語ではこれはアルジェリークと発音するのよ、でも私自身は「アルゲリッチ」が気に入っているのでこれに決めているのよ、とのこと。ご本人がそうおっしゃってるので、やはりこれはアルゲリッチですよね。
 『平安時代史事典』の話に戻りまして、確かに訓読み原則は正しいと思うのですが、音読みに慣れた人からは「引きにくい」と悲鳴が続出しています。難しいものです。それを補うものとして、平安時代史事典には漢字索引が付いているのですが、これは漢字の画数によるもので、正直いってかなり引きにくいものです。実は、打開策として「平安時代史事典音読み索引」というのを作ろうかと夢想したこともあるのですが、めんどくさくて実行していません。すみません。

2019.03.08

子供の頃の文献史料収集の思い出、の巻

 超人気の歴史学者・磯田道史氏の『歴史の愉しみ方』(中公新書)、面白かった。ちょっと嬉しかったのは、磯田さんが古書店を巡りながら文献史料を漁っている話に、京都の古書店がでてくること。中でも、「寺町二条の尚学堂」(86頁)は私の家のすぐ近所だったので、子供の時からよく覗いていた。
 中学生の時、尚学堂の前のワゴンで『幼学綱要』(明治前期の勅撰修身書)や『皇朝史略・続皇朝史略』(水戸藩士青山延于著の編年体史書。いわば『大日本史』のダイジェスト版)のバラ売りを見つけて、内容もわからないクセになんだかとっても欲しくなった(前者は絵が沢山載っていたことに惹かれたダケ。後者は江戸時代に書かれた日本史の本ということでびっくりしたダケ)。いずれも端本の投げ売りなので一冊50円か100円くらいだったが、それでも50年近く前のことだから、中学生としては大金。仕方ないのでお小遣いを貯めながら、1冊か2冊づつ買っていった。のんびりした時代で、それでも一応は売っているものは全部買うことができて、ワケもなく嬉しかった。子供の頃の淡い思い出です。
Img_1838

 それから、磯田さんが、京都で「体育館のような会場に古本屋が集まり、バザーの要領で古本を売っている」「さすがに京都である。驚いたことに江戸時代の古文書をビニール袋に入れて売っていた」(44頁)と書かれている(これ、春の連休の「みやこメッセ」の古本まつりのことだな)のだが、これには逆にこちらがびっくりしてしまった。私はこういうのはごくごく普通だと思ってたのだが、実は京都独自の光景だったのか!

 これは磯田さんが書かれているわけではないが、あと、よく覗いたのは寺町夷川の藝林荘。これは今も京都を代表する古典籍専門店だが、実は私の家の斜め向かいなのです。ただ子供には敷居が高いので、店内にはなかなか入れない。店頭のワゴンに、お経の断簡(経切)が並んでいる。これも内容がわかるハズもないのに、古代中世のモノだというだけで感激して、これも小遣いを貯めながらいくつか買った。店の人にはさぞかし奇妙な中学生だと思われただろうな。
Img_0502

 大学生になってからは、一番の購入先になったのは、丸太町通千本西入ル南側の「八木書店古書部」の通信販売。この店、外側から見るだけでは週刊誌などが漫然と置いてあるごく普通の小さな街の本屋さんなのだが、実は裏には膨大な古典籍・古文書などの在庫があり(聞いたところでは和歌の短冊だけで数万枚あったという)、それは店頭には出さずに目録だけで売っていた。目録が届くたびに目を皿のようにして探した。ここで湯本文彦(『平安通志』の著者)の原稿なんかも入手したな。桓武天皇陵の候補地だった「仏国寺古墓」の史料とか、ここで購入したものをネタに論文を書いたこともしばしば(今年でる某論文集でもそれをやります)。でも、10年ほど前だったか、店主が老齢で引退して目録販売を停止、今は店もなくなってしまった。しかし今でも感謝しております。本当にお世話になりました🙏。
00503

2019.03.04

大河ドラマ「風と雲と虹と」、の巻

CSで1976年のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」総集編の再放送があったので、つい見てしまった。平将門を主人公とした名作。もちろん、「腐りきった都の貴族政治に対抗して、虐げられてきた民衆の代表として雄々しく立ちあがる関東武士」という見方は今となってはナンセンスではあるが、この時代としては一般的な史観であって今の目線で批判するわけにはいくまい。
 しかし、それは別にして、ドラマの出来は良かった。若き加藤剛の将門は飾らない人柄がカッコいい。もうひとりの主役ともいえる、精悍さと人懐っこさを兼ね備えた藤原純友は、緒形拳の名演。ワキを固めるのも、謎の傀儡集団の吉行和子や草刈正雄。クセ者揃いの東国武士団(平国香:佐野浅夫、平良兼:長門勇、平良正:蟹江敬三、源護:西村晃、源扶:峰岸徹)。シブすぎる田原藤太藤原秀郷は露口茂。将門の親友でありライバルであり恋敵であり宿敵となる平貞盛は山口崇がハマり役を見せる。貴族では端正さと傲慢を兼ね備えた藤原忠平を仲谷昇。誠実な能吏でありながら「滅びゆく貴族階級と運命を共にさせてください」と達観する伊予守紀淑人を細川俊之。そして、将門を焚きつける武蔵権守興世王の米倉斉加年の怪演がすごい! 
 女性では、将門の妻良子を演じた真野響子さんの清楚な美しさにも惚れ惚れするのですが、なんといってもブッたまげるのは、吉永小百合さんが将門の恋人の貴子(架空の人物)を演じたこと。貴子は嵯峨天皇の孫という高貴な生まれなのだが、零落して貧困の極にあったところで将門と出会って相思相愛となるのだが、貞盛に無理やり押し倒されて関係を持ってしまい、結局はその恋人となって将門を裏切り、将門が東国に帰るきっかけを作ってしまう。しかし貞盛にも捨てられて人買いに買われて遊女に身を落としてしまい、そこで将門と再会して東国にいざなわれるものの、戦乱に巻き込まれて逃亡する途中で貞盛の軍に捕まり、護送される途中で兵士たちに集団レイプを受けて息絶える、という、なんとも波瀾万丈(ムチャクチャすぎ?)な役回りなのである。
 小百合さんは当時31歳、それまでは可愛い可愛いだけのアイドル的存在だったのが、女性俳優として大きな飛躍を迎えた時期の、自らの殻を打ち破るような挑戦だった。ただ、まだ高校生だった私にはショックが強すぎたぞ。それに、よくも天下のNHKがこういう内容を放送できたものだ。いや、でも、今見直しても小百合さん。この写真のような美しさはさすがに反則でしょ😅。主役すら霞んでしまっているじゃないですか!🥰
2


2019.02.27

『角田文衞の古代学1「後宮と女性」』の宣伝、の巻

51z4if7p3tl_sx351_bo1204203200_

 歴史上の人物の子孫と称する人が、その歴史的人物についての本を出されることがよくあります。ただ、一般論としては、子孫というだけでその歴史的人物について余人にはわからない真実を見抜くことができる、ということは必然ではありませんし、子孫は先祖の賛美に走ってむしろ真実から遠ざかる、ということもありえますので、こうした傾向はいささかマズイことにもなりかねません😡。
 ただ、もし仮に歴史的人物の子孫がおこなうご先祖さまの研究がすばらしいものであるとした場合、ワタクシ個人の愚考ではありますが、まことに申し上げるのも畏れ多いことではございますが、歴史学研究者であるとともに今年に大御位を継承して第126代天皇となられます皇太子殿下におかれましては、父君の今上陛下およびご自身が紫式部の子孫であるということを踏まえられ、紫式部の研究🧐を始められますことを切に期待しているのでゴザイます😀。

 今上陛下そして皇太子殿下が紫式部の子孫といいだしますと、またトンデモと非難されることは必定ではありますが、これは角田文衞先生が立証されておられ、まったく疑いのない事実なのでございます。詳しくは角田先生の小文を読んでいただきたいのですが、これが収められた『角田文衞の古代学1「後宮と女性」』は吉川弘文館から少部数のみ限定発売されており、売り切れますと重版はありませんので、ぜひ買っていたたきたいのであります🙏。
(註)角田文衞「現在に続く血脈 紫式部」(角田文衞著、古代学協会編、吉川真司・山田邦和責任編集『角田文衞の古代学1「後宮と女性」』〈京都、古代学協会〔発売:吉川弘文館〕、2018年〉所収。初出は1993年)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ごくごくかいつまんで簡単に説明してみたく存じます。まず、いうまでもないことでありますが、今上陛下や皇太子殿下をはじめとする現在の皇室は南北朝時代の北朝の子孫であり、それは遡ると鎌倉時代の後深草天皇に始まる「持明院統」に連なっていきます。
 紫式部のたったひとりの子が、筑前守藤原宣孝との間に生まれた藤原賢子すなわち大弐三位であることはどなたもご承知と思います。この賢子は藤原定頼や中納言藤原兼隆とも愛をはぐくんだのでありますが、その後には大宰大弐高階成章の妻となりました。賢子と成章の間に生まれた備中守高階為家がこの話のキー・パーソンなのであります。この為家の子として高階為賢がいます。その娘が式部少輔藤原能兼と結ばれて生まれたのが刑部卿藤原範兼。その娘が尊勝寺執行の能圓と結婚し、生まれた娘の在子が後鳥羽上皇の後宮に入って土御門天皇を産んで承明門院の女院号を贈られる。そして土御門天皇の孫が後深草天皇なのでありますから、同天皇そして現在の皇室が紫式部の子孫であることは明らかなのであります。
 そして、キー・パーソン為家のもうひとりの子は丹後守高階為章で、その孫の女性が中納言藤原家成とむすばれ、その孫が権大納言藤原隆房であり、その子は権大納言藤原隆衡、その娘の貞子が太政大臣藤原(西園寺)実氏の妻となって大宮院藤原(西園寺)姞子〈姞は女へんに吉〉を産み、彼女が後嵯峨天皇との間に産んだ息子が後深草天皇であるから、同天皇には重ねて紫式部の血脈が受け継がれていることになります。
 さらにいうと、キー・パーソン為家のもうひとりの娘は但馬守源家実の妻となって高階基章を産んだのであるが、この基章の娘は平清盛の最初の妻となっており、2012年の大河ドラマ『平清盛』ではこの女性を女優の😍加藤あい様😻が清楚可憐に演じておられたことも記憶に新しいことであります。そして清盛の嫡男の重盛はこの高階氏女の子であるから、重盛もまた紫式部の子孫だということになります。また重盛の同母妹が前述の権大納言藤原隆房と結ばれて権大納言藤原隆衡の母となり、その曽孫が後深草天皇であるから、同天皇の身体にはさらに重ねて紫式部の血が流れているのであります。
 また、後深草天皇の曽孫である北朝崇光天皇が源(綾小路)資子との間に伏見宮栄仁親王を儲け、その子が後崇光院太上天皇(貞成親王)、その皇子がはからずも皇位を継承して後花園天皇となって、それが現在の皇室につながっているのであるが、この資子もまた、キー・パーソン為家の娘のひとりが宮内卿源有賢との間に産んだ権大納言源資賢の子の右近衛中将源(綾小路)時賢の五代の後裔にあたっているから、ここでも紫式部の血は受け継がれているのです。
 さて、後崇光院の妃であって後花園天皇の母は敷政門院源(綾小路)幸子であるが、彼女は栄仁親王妃の資子の兄弟で庭田家を起こした右近衛少将源経有(資子と同じく、キー・パーソン為家の後裔)の娘であるから、彼女もまた紫式部の子孫であることになります。
 それから、後花園天皇の子である後土御門天皇が贈皇太后源(庭田)朝子との間に後柏原天皇を儲けたのであるが、この朝子はキー・パーソン為家の子孫であって庭田家初代の源経有の曽孫にあたっているから、ここでもまた紫式部の血脈が登場しております。
 これだけ簡潔に説明させていただくならば、今上陛下と皇太子殿下には紫式部の血が何重にも受け継がれていることは誰しも疑いのない事実として受け入れていただけるものと存じます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なお、いうまでもないことですが、最初に書いた、皇太子殿下に紫式部の研究をやっていただくことを期待する、というのはあくまでワタクシなりの屈折した冗談でありますので、どうか本気に取らないでくださいませ😅。

2019.02.26

両陛下の譲位後の称号について、の巻

今年退位される両陛下の称号は、上皇は「His Majesty the Emperor Emeritus」、上皇后は「Her Majesty the Empress Emerita」になるのだとのこと。いつもながらであるが、政府のやりかたのいい加減さには呆れる。両陛下の譲位後の称号は歴史的にみると「太上天皇」「皇太后」であるのが当然なのだが、政府は「太上『天皇』」には「天皇」という語がはいっているから、今上陛下との二重権威になってしまう、とか、「太上天皇では天皇に対して『称号上の上下感を生』」(註)むことになってしまう、などと訳のわからんことを言って、本来は太上天皇の省略形にしかすぎない「上皇」を正式名称にしまった。また、「皇太后」では配偶者の天皇が亡くなってるように見える、などというイミフメイのけったいな理屈をこね回して、「上皇后」というまったくの新語を作り出した。歴史的にみると、配偶者生存中の皇太后なんてごくごくフツーに存在する。
 それが英語になると「His Majesty the Emperor Emeritus」「Her Majesty the Empress Emerita」と、きっちりとEmperor、Empressを入れている。Emperorが今上と太上天皇のおふたりいるのはマズイ、と言った舌の根も乾かないうちにこれだ。これがダブルスタンダードでなくてなんだ?

(註)本郷恵子・ 東京大学史料編纂所教授「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議資料」

2019.02.20

福山敏男先生(京都大学名誉教授)のこと、の巻

1
2
 福山敏男先生(1905年4月1日~1995年5月20日)といえば京都大学工学部教授、西日本工業大学工学部教授、京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長をつとめられ、京都大学名誉教授となられた日本建築史学の泰斗である。
 これは私の所蔵品の中にある、福山先生の関係資料。上が「福山敏男写『河内国西琳寺縁起旧記』」。下が「福山敏男旧蔵および書き込み・高橋健自著『遺物より見たる上古の家屋』」。
 やっぱり福山先生ってスゴイな。上のように、コツコツと地道に史料を筆写してこられた。その上に立ってこそ、あの巨大伽藍のような「福山建築史学」が構築された。福山先生こそ「学の巨人」の名がふさわしい方だったと思う。しかし、天賦の才はもちろんですが、それを裏付けたものは超人的な努力だったのだろう。
 下のものは、高橋健自論文の抜刷に福山先生が細かい字で書き込みし、関連資料までトレースして貼り込んでおられる!圧倒される!
私は福山先生とはご縁が薄く、講演会を聞いたことがあるのと、『平安京提要』編集委員会顧問をお願いしに行った程度です。『提要』に原稿をお願いしたのですが、年齢のこともあり(その時にはもう90歳代の後半だったから当然)、新稿は無理だが旧稿を補訂して転載することならば可、ということになりました。しかし、私にとっては碩学の最晩年の謦咳に接することができたのは貴重な経験となりました。

2019.02.16

北近畿型最古式群集墳について、の巻

【Facebookより】
神奈川在住の古墳マニア「ぺん@古墳巡り」さんという方のツイッターを見ていると、前方後円墳総数の都府県別ランキングというのを作られていました。
Dzmvcaqvaaipwqq_2
 この表で興味を惹かれるのは、前方後円墳の数以外に、古墳の総数では兵庫と京都が上位に入ってること。これは恐らく、但馬と丹後に特有の、前期から中期前半の小規模古墳の群集がやたらにあるからです。私はこれを「北近畿型最古式群集墳」と名づけた。その評価はこれからの課題ではありますが、ウソだと思うのでしたら、丹後や但馬の山の尾根を歩いてみてください。気づかないほど小さな小さな古墳が数珠つなぎに連なってます。その様子は、たとえば「兵庫県遺跡地図」豊岡市の部分を参照してみていただければよくわかります。中には、弥生の方形台状墓群と区別つかなかったり、それに接続するものもある。大和や河内ではこんなのは見られません。
 添付の図で、左が北近畿型最古式群集墳(尾根の上に数珠つなぎ、円墳または方墳、埋葬主体は木棺直葬、時期は4世紀~5世紀前半)、中が古式群集墳(初期群集墳とも呼ばれる。丘陵上、円墳が主体、埋葬主体は木棺直葬、時期は5世紀~6世紀前半)、右が一般的な群集墳(後期群集墳とも呼ばれる。丘陵裾や、谷間に立地することが多い。円墳がほとんど。埋葬主体は横穴式石室、時期は6世紀後半~7世紀中葉)。これを比較していただければ、北近畿型最古式群集墳の特異性がお分かりになっていただけると思います。
Photo

 「北近畿型最古式群集墳」なんて聞いたことがない、という方もおられると思いますが、勝田至編『日本葬制史』(東京、吉川弘文館、2012年)所収の拙稿「古墳時代」の項でまとめておきましたので、ご興味ある方はそちらをご覧下さい。ただ、この論考、自分なりの古墳時代像を通史的に確立しようとして一生懸命書いたのに、あんまりどなたも参照してくれない😖。それから、この書物が仕上がってきたのは、ちょうど私が大病で生死の境をさまよっている時。熱にうなされながら私は、病床でのうわ言に「北近畿型最古式群集墳が・・・」などと叫んでいた覚えがかすかにあります。

かなり以前のことですが、私は、現在の京都府京丹後市大宮町の小池古墳群の発掘調査に参加しました。弥生時代の方形台状墓群だと聞かされていたのですが、掘り下げていくと五世紀中葉の須恵器のハソウが出てきて仰天、古墳時代の古墳だということが判明。丹後にはこういうのがたくさんあることがわかってきました。一方、南山城地域の京都府精華町の「精華ニュータウン(関西文化学術研究都市精華地区)」建設予定地の広域発掘では、丘陵の尾根の上に小さな隆起がポコポコしていて、当然これは古墳が並んでいると思われたのですが、掘ってみるとこれが全部自然の高まり。その地区を担当された川西宏幸さんが「今日のもダメだったよ」とボヤきながら宿舎に帰ってこられたのが印象に残っています。どうも、丹後と南山城ではこうした尾根の小古墳群のありかたがまったく違っている。このことが、「北近畿型最古式群集墳」の発想に繋がりました。


2019.02.15

安土城天守復元構想について、の巻

【Facebookより】
 安土城天守復元を滋賀県が検討中というニュース が飛び込んできた。正直言って、バカげていると思う。
 安土城天守復元案、図に示したように、新旧とりまぜるといろいろある(もちろん、かなり以前の説であって今となっては研究史上の意味しか持たないものもある)。本命とされているのは内藤昌説だが、実はこれにも問題が山積している。対抗馬といえるのは宮上茂隆説だが、これも確定、と自信を持って言うにはなかなか難しい。最近では、佐藤大規説もユニークな復元をして注目株ではある。
 たしか、滋賀県立安土城考古博物館の常設展示では、以前には安土城天守の復元図は内藤説、宮上説などが併記されていてなかなか公平だったように記憶するが、近年では内藤説だけしか紹介されなくなったようで、かなり危惧を感じる。

 そもそも、安土城天守・城門について、いちおうは信頼できる絵図は、信長がローマに送らせた「安土山図屏風」を画家フィリップス・ファン・ウィングが見て描いたという、この図だけ。ただ、とてもこれだけに基づいては正確な復元は不可能。
 つまり、安土城天守を学問的に完璧に復元するというのは、現段階ではちょっと無理筋なのである。それを建ててしまうとなると、どうしてもそれは「偽物」ということにならざるをえないのである。あれほど重要な史跡にわざわざ偽物を造ることはないと思っている。

 ただ、その一方では、それじゃ平城宮大極殿・朱雀門の復元や、吉野ヶ里遺跡の復元はどこまで正確なの?、城の復元については悪口を言いながら、そうした遺跡の復元は批判しないの?と言われてしまうと、我ながらグッと詰まってしまう。復元というのはどの程度までが許容範囲で、どこを超えると歴史の捏造になってしまうのだろうか? 難しい問題である。

Photo
Photo_3


2019.02.13

対馬旅行、の巻

2月9日(土)~11日(月・祝)
 対馬に行ってきました。
 白状いたしますと、これまで機会がなく、対馬は初めてです。森浩一先生は戦後すぐの段階で「敗戦でアジア大陸に行くことが不可能になったから、せめて大陸に一番近いところまで行こう」と考えて対馬に渡り、食糧も交通も不足不便な中でこの島を歩き回られました。森先生はしばしば「最近の考古学者の中には、対馬にすら行ったことがない連中がいる。それでよく歴史を語っているな」と嘆かれていました。そういう話題がでるたびに、私は「キミは当然対馬に行ったことがあるだろうな?」と聞かれるのが怖くて、隅っこで小さくなっていたのです。遅すぎましたが、ようやく念願を果たすことができました。

記録のため、行った場所だけを列挙しておきます。
 2月9日:金田城跡登り口、太祝詞神社、越前五郎墓、伝教大師入唐帰国地、雷命神社、小茂田浜神社、矢立山古墳群、若御子(若麻岐)神社、銀山神社=宗資国御太刀塚、法清寺=宗資国御胴塚、宗資国御首塚、椎根の石屋根、安徳天皇御陵墓参考地(佐須陵墓参考地)、銀山上神社、保床山古墳、多久頭魂神社、対馬藩お船江
 2月10日:根曽古墳群、大船越、万関橋、小船越=西漕手、梅林寺、和多都美神社=豊玉姫墓、和多都美神社玉ノ井、豊玉町郷土資料館、浜殿神社・豊玉彦墓伝承地、波自采女の碑、木坂のヤクマと藻小屋、海神神社、峰町歴史民俗資料館、五王神社、志多留の小屋群と志多留貝塚、大将軍山古墳、比田勝港、霹靂神社=朝日山古墳群、サカドウ遺跡
 2月11日:厳原港、金石城跡と庭園、万松院=宗氏墓所、厳原八幡宮、藩校日進館

52129990_401689197266812_2964347450←実は、2月10日は私たちの何十回目かの結婚記念日。小雨だったのがいささか残念ですが、その代わりに、和多都美神社近くの湾を通りかかった時、見事な虹に出会うことができました。神の恩寵のような気がして、嬉しかったです。

 51535123_401797233922675_5914884477←和多都美神社の「豊玉姫墓」。豊玉姫さま👸というと、日本神話では神武天皇のお祖母さまではないか!

51638079_401266873975711_2189135575←安徳天皇陵墓参考地(佐須陵墓参考地)。安徳天皇の潜行伝説には非常に興味があります。

52051092_401266787309053_1389408751←矢立山古墳群。1号墳は積石塚の方墳という威容。

51655256_401266810642384_9836368461←矢立山2号墳はT字形の横穴式石室を持つ。T字形石室については学生時代に調べてみたことがあるが、ここには来ることができなかった。念願叶って訪問。

52392558_401797310589334_5609279515←泊まったホテルからもほど近い根曽古墳群は海に面した岬の上にある積石塚群で、35mの前方後円墳もある。

51603081_401266840642381_4796882341
対馬では、元寇の際にわずかな手勢で敢然と立ち向かい、奮戦の後に散った対馬島主宗資国(地元では助国とも)の悲劇が語られる。これは伝・資国の首塚。あと、宗氏一族の対馬防衛戦を描くアニメ、アンゴルモア元寇合戦記というのが放映されたので、それでも盛り上がっていた。

51732448_401797260589339_2800644957←たまたま何の気なしに立ち寄った神社では、豊玉姫の父・豊玉彦の陵の石碑! 明治に諸陵寮から調査に来たことが記されており、陵墓の治定の歴史を考える上で重要。

51742008_401266903975708_8482987891←厳原の港にある、対馬藩の「お船江」。

51755766_402203390548726_7303008793←対馬の朝日。良い旅でした。またぜひ来ます!

2019.02.04

邪馬台国あちこち、の巻

49803103_381585402610525_4613806452

どうでもいい話題の紹介です。邪馬台国だと立候補している土地は数多ありますが、卑弥呼を祀る神社を創建し、卑弥呼の銅像まで建ててしまったところは珍しいように思います。所在地は鹿児島県霧島市です。かなり以前になりますが、あてもなく鹿児島を歩き回っていて出会い、仰天しました。日本国内で、ほかに卑弥呼の銅像があるところがあれば教えてください。なお、ワタクシも、卑弥呼サマが縁結びと学問と心身症に御利益があるとは知りませんでした。
*
卑弥呼の銅像、鹿児島県霧島市以外にあれば教えてください、と言ったら、親切な方が調べてくださいました。吉野ヶ里遺跡近くの神埼駅前にあるらしいです。吉野ヶ里遺跡には久しくご無沙汰ですので、こんなのができているとは知りませんでした。それにしても、デカい巴形銅器!


Photo

邪馬台国畿内説は纒向遺跡で決まり、と思っているそこのアナタ、認識不足でゴザイますね。邪馬台国は神戸にあることをご存知でしたか? 平清盛の福原京の研究(拙著『日本中世の首都と王権都市』〈京都、文理閣、2012年〉参照)のために神戸を歩いていて、福原京跡の中心たる神戸市平野の交差点で邪馬台国を見つけてしまった時に私が受けた衝撃をご理解いただけますでしょうか? 振り向くと私設の古代史研究所があり、邪馬台国神戸説の冊子が配布されていましたので、ちゃっかりともらってきたワタクシでございます。ただ、この立札は公道に立てるのはやっぱりマズかったのか、次に行った時にはなくなっていましたので、この写真は実に貴重な歴史的記録となりました。

50685962_393647261404339_3840221802
なお、こんなのもあります。「佐賀新聞」昭和60年4月1日号。びっくりしますが、佐賀の酒蔵の出した全面広告で「エープリルフール特集」だそうです。

2019.02.03

還暦、の巻

 2月3日
 ついにというか、とうとうというか、満60歳の誕生日を迎えました。いわゆる「還暦」です。干支が一巡したからといって何の意味があるんだ、というのは確かにそうなのですが、やはりいろいろ考えてしまいます。私は大学づとめですから定年退職まではまだ時間がありますが、この歳に定年になって名実ともに人生の第2ステージにはいる、という方も多くおられると思います。ゆっくりですが、着実に歩んでいきたいと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。

Dydrycouuaaql2z_3

本日は、還暦のお誕生日を自祝して(?)、早起きして奈良県橿原市の小山田古墳の発掘調査現地説明会に行く。蘇我蝦夷の「大陵」だという小澤毅さんの説は正しいだろう。

Dyduhnnucaa85bl_3


帰り道には、植山古墳=推古天皇初葬陵。背後の柵列の公園化は完成していたが、墳丘の整備はこれから。20年前の発掘の時に、花園大学の私の前任者の伊達宗泰先生のお供をさせてもらって見学したことを思い出します。

Dyebnlovaaatwly_3

夜は、下御霊神社⛩、節分祭。

Dyx2bru8aahils_4


昨日は摂津高槻城跡🏯発掘調査現地説明会。高山右近時代の堀。滅多にない見ものである。


2019.02.01

映画「ヒトラーに屈しなかった国王」、の巻


衛星放送で録画しておいた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」を観た。実に興味深かった。ナチ・ドイツの侵略を受けたノルウェーにおいて、降伏と抵抗の狭間で苦悩する国王ホーコン7世の物語。孫とたわむれるのを無上の楽しみとするひとりの老人の肩に、国家の運命がのしかかる。身体を折り曲げて苦悩に耐える国王の姿が悲痛。

ノルウェーにおける立憲君主制の国王のありかたも興味深かった。立憲君主制のもとでは国王は儀礼的な役割しか果たさず、実権は持たない。駅や道で国王とすれ違っても、市民はちょっと帽子に手をかけて敬意を表すだけで、大げさなことはしない。空襲の際、国王は市民と一緒になって転げながら逃げ惑う。しかし、国家の最大危機に臨んで、内閣も議会も右往左往して事実上の機能停止に陥った瞬間、決断を下せるのは国王しかいなくなってしまう。「すべては王様のために」と言う若い兵士に対して、「それは違う。『すべては祖国のために』だ」と諭すホーコン国王の姿が印象的。

史実では、ノルウェーは国王の決断によってドイツに抵抗する途を選び、国土がドイツ軍に蹂躙された後には国王と正統政府はイギリスに逃れて亡命政権を樹立、祖国の解放運動を支援し、やがてのドイツの敗北とともに国民の歓呼に迎えられて復帰する、という流れをたどる。北欧諸国はいずれも独立国とはいえ、いずれも人口数百万の小国で、国力という点ではドイツはその十数倍ないし何十倍であろう。さらにドイツの軍事力はまさに圧倒的で、まともに戦ったら小国には勝ち目はまったくない。
最終的にはドイツの敗北によって結果オーライになったとはいうものの、ノルウェーはこうした経緯の中で多大の犠牲を払うことになってしまったことも事実。すぐにドイツに降伏して、被占領国の「優等生」として認められ、抑圧を受けながらも最低限の自治権だけは保つことができたデンマーク(国王はホーコン7世の兄・クリスチャン10世)。いやいやながらもドイツに最小限の協力をし、裏では連合国にも通じることによって、綱渡りのようなかろうじての「中立」を保つことができ、戦後には「戦勝国」のひとりとして認められたスウェーデン。もうひとつの超大国・ソ連の暴風雨のような圧迫を受け続けたがためにドイツに助けを求めざるをえなくなり、その結果としてソ芬戦争(ソ連・フィンランド戦争)に突入して手痛い打撃を受けたあげくに「敗戦国」の立場に追い込まれて苦汁を嘗めたフィンランド。人口十数万という、ほかの北欧諸国と比べてすら比較にすらならない小国中の小国で、独立国というのは名ばかりで事実上デンマークの自治領にしかすぎなかったものの、宗主国デンマークがドイツに降伏したため、それを奇貨としてイギリスに「占領してもらう」ことができ、それによって国民の悲願であった独立を勝ち取ることができたアイスランド。それぞれの運命は異なっていたが、大国に挟まれた小国の対応として、どれが正解だったかを断じることはできないだろう。

映画でちょっと残念だったのは、ドイツの侵略に呼応して政権を奪取した「獅子身中の虫」、ヴィドクン・クヴィスリングQuislingの出演が声だけだったこと。売国奴の代名詞(英和辞典を引いてみても、「quisling」は「売国奴」である)ともなっているこの男の描かれ方を見てみたかった。公平に見て、彼は恥知らずの野心家でとてもとても尊敬に値するような人物ではなかったことは確かのようだが、小国が生き延びるためには隣の大国にすがるしかないと見切ったこと自体は、ひとつの選択肢としてはありえないことではない。ただこの人物の場合には国家の行く末を憂うという愛国心よりも、自らの野望が上回ってしまい、ひたすらにドイツのご機嫌とりに終始して自己の権力確立に腐心したことが裏目に出た。せっかく尻尾を振り続けたにもかかわらず、結局はドイツの信頼を得ることすらできず、国の実権はドイツの駐ノルウェー総督(国家弁務官)のヨーゼフ・テアボーフェン(この男も非情極まりない冷血漢だった)に握られてしまってクヴィスリング自身はまったく権力の実質からは遠ざけられた傀儡と化す。そして、頼みの綱だったドイツが戦争に敗北するとともに彼は、ノルウェー国民の憎悪を一身に受けて死刑に処せられるという末路をたどってしまう。

お気の毒だったのは、駐ノルウェー・ドイツ公使(大使と訳したほうがいい?)のブロイアー氏。彼は彼なりにノルウェーのことを真剣に心配しながらも、ヒトラーの命令との板挟みになり、ドイツ軍将校には軽く扱われるし、妻には見捨てられかけるし、果ては、必死で説得しようとしたホーコン国王にすら怒鳴られてしまう。憔悴してオスロの大使館に帰ってくると、自分の執務室はドイツ軍に勝手に占拠されていて大使館にすら居場所がないという体たらく。はては、ノルウェー降伏をうまく纏められなかった不手際の責任をとらされたのか、東部戦線に回され、そこでソ連軍の捕虜となり、敗戦後の数年間をソ連で抑留されていたというから、やはり不運だな。

第二次大戦時のノルウェーについては、山川出版社の『世界各国史・北欧史』の旧版(角田文衞先生編)などで最低限の流れだけは承知していた。しかし、ノルウェーの抵抗が単なる「英雄的行為」ではなく、その裏には国王の苦悩と苦渋の選択があったことを知ることができたことで、この映画は非常に面白かった。推奨に値する。

2019.01.31

小咄ジョーキューノヘン

【Facebookより】
承久の乱についての有名な小咄のコピペがあるので後半を継ぎ足して改作してみました。あんまり本気にとらないでください。
--------------------------------------------------------------
海水浴場の見張りのバイトやってた時、DQNカップルが遊泳禁止の場所で遊んでるんだよ。
そいつらに「危ないぞ、に流されたらどうするんだ!」って注意すると、そのDQN男、「オキに流されるって、ゴトバジョーコーかよwww」、DQN女「マジ受ける〜 ジョーキューノヘン〜」なんてワケわからんこと言うんだよ。

だから俺は「ふざけるな!帰って来れなくなったらどうするんだ!!」つったら、DQN男「は? ゴダイゴさん普通に帰ってるしww」、DQN女「え〜 ケンムノシンセイじゃんww」とか、またヘンなことを口走ってる。

それでも仕事だと思って「事故に遭ってからてて、シマッタと悟っても遅いんだからな!」と言うと、DQN男「阿波ててシマッタ土佐とってもだって〜〜」、DQN女「今度はなんだ~ ツチミカドインだな~」とヘラヘラするんだよ。

俺「お前らみたいなヤツがいるから、周辺住民から苦情はいているんだぞ!」。DQN男「九条るって、チューキョーテンノー!」、DQN女「在位78日で最短記録〜! ホント可哀想〜!」。さっぱりわからんが、コイツらみたいなのの相手をさせられて、可哀想なのはこっちだ!

イラついた俺は「わかった、もういいさ、どんな目にあっても自己責任だからな!」。そしたらDQN男は「おっ、いい佐渡んな目にあっても、と来ましたか!」、DQN女「ヨッ、真打ち! ジュントクインの登場!」とホザく。

俺、もうキレてしまって、「もう知らんから勝手にしろ! 駐車場出入口の機械が閉まったら、その瞬間からお前らもう出られなくなるんだからな!」と言うと、とたんに慌てだして、「キカイガシマったらその俊寛から出られない! そりゃ大変だ、確かに帰れなくなる!」って逃げ出したんだよ。

このDQNども、最初から最後までいったい何言ってんだ、本当に日本語理解できるんか?、って呆れたぜ。

2019.01.27

歴史研究にあたっての一次史料と二次史料について、の巻

【Twitterより抄出】
〔渡邊大門さんから「『日本書紀』を徹底して史料批判して、歴史研究に用いるというのは、ほんとうに優れた技だ。『吾妻鑑』も同じ。古代史の場合は、古い時代になればなるほど、編纂物を史料批判して使わざるを得ない。」との指摘を受けて、ふだん思っていることを書きました。下記はそれをまとめ直したものです。〕

 歴史学の上で一次史料が大事だというのは当然です。でも若い研究者の中には「歴史は一次史料だけで書くべきであり、編纂物のような二次史料は使うべきではない」と信じ込んでいる方がいます。じゃあお前、古事記も日本書紀も使わずに古代史を書いてみろよ、と言いたくなるのですが、グッと我慢してます。もちろん二次史料の利用には充分な史料批判と情勢分析が必要です。しかし、単に二次史料だというだけで問答無用で排除する、というのは誤りなのです。
 例えば、平治の乱について一次史料だけで叙述することは無理があります。承久の乱についてもしかりです。平家物語のなかには、一次史料に出てこない真実が顔を覗かせていることがよくあります。吾妻鏡なしの鎌倉時代史は、おそらく空気の抜けた風船のようなものでしょう。
 一次史料原理主義者が陥いりがちなもうひとつの陥穽は、一次史料に出ているから無条件に真実と考えることです。史料には必ず、書き手のバイアスがかかっています。それを充分に考慮しておかないと、史料の書き手の無知、偏見、嘘などまで、私たちの歴史叙述に取り入れてしまうことになります。

 それではどうしたらよいか。
 (1)一次史料を分析して、マズいと考えるところを取り去り、的確な部分を抽出し、それによって骨格を組み立てる。
 (2)二次史料から、一次史料と矛盾しないところ、自然に接続できるところを抽出し、一次史料の補完に充てる。
 (3)それでもできる空白部分には、状況証拠、時代情勢などを熟考した上で、もっとも妥当な仮説を立てる。
 (4)もちろん、その間には、先行研究を充分に咀嚼しておく。
 (5)そこまでやると、必ず新しい視点が出てきて新しい見方ができてくる。
 (6)(1)に戻って史料を再検討し、以下、その繰り返し。
 (7)以上のようにして詰めて詰めて詰めても、やっぱり不明なところは残ります。その点は正直に「現段階ではこれは私にはわかりません」と認める。
 (8)ただ、そこでも、今は立証できないけれどもこういう可能性は考えられる、とか、将来の研究への方向性はこれだ、という見通しは示しておいたほうが良い。
こういう循環による止揚こそが、私の思っている歴史研究です。

 かつて小林行雄先生(京都大学名誉教授)は「真の考古学とは実証の上に立つ推理の学である」(『古墳時代の研究』)と喝破されました。私見では、これは考古学だけでなく歴史学全部に適用できる名言です。実証の上に立たない推理は単なる空想ないし妄想です。かといって推理なき実証などは、「研究」の名に値しません
 「推理なき実証」ということで思い出されるのは、ある研究者の論文を批判した棚橋光男氏(『後白河法皇』)です。棚橋氏によるとこの方の論文は、史料については博引旁証・行くとして可ならざことなきものでありながら、結論的論定にはまったく乏しく、テーマになっているものについて疑問を呈するものの、かといってまったくこれを否定する確証はないとし、疑問は疑問として置いておいて、これに関する有力な史料が今後出てくることを期待する、というものであったそうです。この研究者は、自分のこうした態度が実証的で誠実なものだと思っていたのでしょう。しかし棚橋氏はこれに対して「要するに、全否定も、全肯定もせず、判断中止をし、ひたすら河清をまってほとんど不可能事の出現を請い求める」ものであると厳しく批判し、「歴史学は、不可知論が支配する闇の領域では決してなく、蓋然性の精度を方法的に高め歴史的真実に一歩でも二歩でも肉迫しようとする人たちの思想の共同体だ」と高らかに宣言しています。

 むしろ、こんなことは歴史研究者の共通認識だと思っているのですが、近年には一次史料原理主義の若い人が目立ちますので、あえて言いました。私ごときがこんなことを言うと、専門の文献史学者からは、何をエラそうに、と怒られてしまうでしょうが、御不快な点についてはなにとぞご寛恕くださいませm(_ _)m

2019.01.24

中学や高校の先生にも研究者を!、の巻

Facebookとtwitter、いままでは敬遠していたのですが、ふと思いついて書き込んでみると、結構面白い。ただ、ブログとFacebookとtwitterをどう使い分けるか、なかなか難しいです。ブログは記録、Facebookは人との繋がり、twitterはすぐ消えてもいいつぶやき、ということなんでしょうが、実際は重なることも多いです。ただ、これから時々、Facebookとtwitterに書いたものを転載しておきたく思います。

【Facebookより抄録】
(「komei」さんが、「こつこつと地域の歴史を明らかにしようという郷土史家が少なくなっているのはある意味危機感があります」ということをおっしゃりました。以下はそれについての私見です。)
                   *
 まさにその通りだと思います。昔は、中学や高校の先生で郷土史の碩学、という方がおられて、その指導を受けた生徒が歴史学の道に入る、ということがよくありました。仄聞するところでは、今は、中学や高校でも業務に追われ、歴史に限らず、高校や中学の先生をやりながら研究を続けていこうとするのはかなりしんどいことらしいですね。しかし、中学や高校で、研究に真剣に取り組んでいる先生の姿を見せることは、生徒に良い影響を与えるはずだと信じます。教育改革が叫ばれ、なんだかんだと教育制度をいじり、上からの締め付けを強化していくような方向ばかりに進んでいますが、これはいかがなものなんでしょう。日本の国力を上げるには、中学や高校にも研究のできる先生を一定程度揃えて行く、そうしたところから始めるほうが、結局は近道なのではないかと思っています。
                   *
野口実先生(京都女子大学名誉教授)も高校教員の御経歴があり、その時には大変ご苦労されたとのことですね。その大変な中でも研究者として姿勢を貫かれていたことには、影響を受けた生徒さんも必ずおられることと思います。
                   *
(永井晋さんから、「地元の事をよく知る旧家の古老的な人が、絶滅危惧種になっています」という指摘がありましたので、それをうけて)
だからこそ、今のうちにきちんと聞き取りをしておかねばなりませんね。こういうところこそ、地元の中学・高校の先生や、学校のクラブ活動の出番だと思うのです。中学生や高校生が年輪を重ねてきたおじいちゃんおばあちゃんの話をじっくりと聞くなんてことはすばらしいです。

論文を載せる媒体、の巻

【Facebookより抄録】
 渡邊大門さんから、「ある研究者が、商業誌に書いた、一般向けで注などもないものを『論文』としていた。これは良いのかどうか」という問題提起があり、それに私見を綴りました。
                             *
 載る媒体が問題なのではなく、ちゃんと「論」を立てている(もちろん註もあり)ならば論文、そうでないならば論文ではない、ということではないでしょうか。『歴史読本』(懐かしいですね)のような商業出版雑誌に掲載されたものにも、優れた論文は数知れずあると存じます。もちろん、査読アリの学術雑誌に掲載された論文がより高位であることはいうまでもありませんが。
                             *
掲載媒体のランク、査読、論文形式などを厳しくいうのは、理系の習慣が持ち込まれたもののような気がします。人文系の場合にはそこまでガチガチにしてしまう必要はないのではないか、と思っています。商業誌、小さな研究会で出している同人雑誌のような媒体であっても、質の高い論文はいっぱい載っており、それを「媒体のランクが低い」ということだけで軽視するようなことはあってはならないと思うのです。ただ、大学の世界でも理系習慣が絶対的正義のように扱われつつあって、「ちゃんとした学会の学術雑誌や大学紀要(これも問題があるのですが)以外に載ったものを『論文』と言ってはならない」というような風潮は確かにあります。さらに、一般向け媒体に書いたことをリライトしてきちんとした論文にまとめなおそうとした場合ですら、理系に染まっている方々からは「二重投稿だ! 業績の水増しだ!」と言われてしまいかねないという危惧があり、いささか戦々恐々としてしまいます。せちがらいですね😖
                             *
学問分野によって習慣はいろいろなのは確かですね。要するに、ある分野の習慣を別の分野にまで押し付けないでほしいな、と思っています。論文は「総説」「原著論文」等に分けなければならない、などというのは、歴史学の分野においてはまったくなじまないと思っております。
                             *
学史を重視する姿勢、私も、若い人たちに伝えていきたいものだと思っています。この場合の学史は、単なる先行研究の羅列ではなく、先学の生き様なども含めた、それ自体がひとつの歴史叙述になるといいな、と思っています。
                             *
時々、「なんでこんなテーマの依頼を私に? そんなこと、今まで書いたことがないのに・・」と首をかしげるようなものがあって、それが断れない先生や先輩の推薦によるものだったりして、しかたないので一生懸命書いたら、その結果、自分でも驚くほどに良いものが書けて、「よし、新境地を開いたぞ」と自分自身でも感激するような結果になることもあるし、その一方ではやっばりうまくいかず、「引き受けるんじゃなかった」と自己嫌悪に陥ることもあったりするので、なかなか難しいものだと実感します。呑みながらの雑談なんかの中で研究者本人すら気づいていないような「芽」を見つけて、それをうまく育てていくというのが一流の編集者なんでしょうね。
                             *
私の師匠の森浩一先生は、今から思っても、教え子に色々書かせることに関して、サジ加減の名人でした。

2019.01.15

まち猫ミケが旅立つ、の巻

49270370_2071168556295528_403440372
 1月15日(火)
 先日からウチでめんどうを見ていた「まち猫」ミケが旅立ちました。推定7歳。
 もともとウチの町内のあたりで生まれた野良猫で、以前は近所の家の人が餌をやったりして可愛がっていましたが、その家が引っ越されて、また別の家で世話してもらっていた。避妊手術もしてもらっていました。ところが3年くらい前から我が家に来るようになり、ご飯をやるようになりました。発泡スチロールの箱を置いておくと冬の寝ぐらにしたり、夏の暑い時には我が家の玄関前で涼んでいたりします。
 こういう野良猫の世話をすることには批判もあることは承知していますが、町内には可愛がってくれる人も多かったので、正式な手続きはできてはいないものの「まち猫」に準ずるような状態だったとは思っています。けっこう警戒心は強いので、ほとんど身体を触らせてはくれないし、どこかの家に閉じ込めて飼われるのは猫にとっても不本意であり、「まち猫」という生活スタイルが会っていたように思います。時々、あげた餌をカラスに横取りされたりしたりしてはいましたが・・・

 ところが、昨年の年末に、しばらく姿が見えなくなりました。どうしたのかな、と思っていたら、路上で衰弱した姿で発見。猫好きの近所の方が救助して病院に連れて行くと、獣医の先生が生きているのが不思議だというほどに腎臓が弱っており、脱水状態と貧血でしばらく入院。ただ、大がかりな治療と毎日の病院通いをやればしばらくの延命はできるかもしれないが、それも余命いくばくというような予想。かといって外に戻すとすぐに死ぬのは確実。病院で安楽死、という手段も提案されたのだが、けっきょく、積極的な延命治療はせずにやすらかに最期を迎えさせてやろうということになり、わが家で引き取ることにしたのです。

 これもご近所さんのご協力でケージを提供していただき、そこに寝床とトイレをしつらえます。そばにオイルファンヒーターを備え付けたので、少なくとも寒さに凍えるということはないはずだし、水とご飯はいつでも食べられるようにしておきます。そうすると、素人目で見る限りではどんどん元気になったようで、食欲も旺盛。一両日で看取るつもりが、この分ではまだまだ生きるような気がしてきました。しかし、やはりそうではないのですね。数日前から次第に動きが鈍くなり、餌も食べなくなってきました。昨晩の真夜中に少しだけ水をやったら飲んでくれたのですが、朝、私たちが目覚めると息をひきとっていました。「家飼い」をしたのはわずか三週間ですが、やはり情が移っているのか、悲しいものでした。ただ、寒風の中の孤独な死ではなく、暖かく、ご飯と水もある環境で送り出せたことは、自己満足かもしれないながら、お互いに良かったと思うことにしております。

2019.01.02

2019年、謹賀新年、の巻

Img_8379
〈イノシシ年といえば、やっぱり護王神社!〉

 2019年正月
 みなさま、あけましておめでとうございます。旧年中はいろいろとお世話になりました。イノシシ年生まれの私としては、本年は「年男」となります。今年もお世話になると思いますが、なにとぞよろしくお引き回しくださいませm(_ _)m。

Img_8083
〈福井県小浜市の岡津製塩遺跡から、小浜湾を隔てて、若狭富士(中央)と大島半島(右側)を望む〉

2018.12.31

2018年、やったこと、の巻

Img_6264← 古代学協会の共同研究で8月に訪れた、岐阜県恵那市の正家廃寺

 アッというまに、今年ももう大晦日。今年で一番悲しかったことは、やはり愛犬ルークとの別れ。今でも思い出しては涙ぐむ自分がいる。また、今年は自然災害が多かった。もちろんほかの地域ほどではなかったのだが、京都も他人事ではなかった。暴風の猛威であちこちに被害があったし、わが家の墓も、すぐ隣に生えていた大木が倒れてきて、墓石の周囲の石柵の一部が壊れたり、私の母の家のファサードの一部が損壊、さらに妻の会社にいたっては壁面が大規模に崩落するなどの被害を受けた。その一方で、めでたいこととしては、伯父・山田晃が100歳の賀を無事に迎えてくれたことがある。

 さて、年末恒例のベートーヴェンの「第9」、バタバタしているうちにチケットを買い逃してしまって、ついに実演を聞けないでしまった。残念! と、いうことで、家での視聴は、オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の全曲演奏から。とはいっても、有名な1957年のベートーヴェン交響曲全集所載のものではなく(そもそもこの全集はまだニュー・フィルハーモニアではなく、フィルハーモニア管弦楽団の段階)、1970年のロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでのライヴ映像というものである。声楽は、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団合唱団、テレサ・ツィリス=ガラ(ソプラノ)、ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)、ジョージ・シャーリー(テノール)、テオ・アダム(バス)。かなり以前に衛星放送テレビで放映されたものを録画したDVDがたまたま手元に残っていた。音はモノーラルであるが、映像がカラーであることは嬉しい。クレンペラーは1973年に没するから、彼の最晩年の姿の記録という点でも貴重である。ちょっと調べてみた程度では、この映像、現在は発売されていないようである。クレンペラーを高く評価する人々は多いから、発売したら売れると思うのだが・・・・
 クレンペラー、史上あまたの指揮者の中でも奇人変人としてはトップ・ランクとして知られており、ホントかウソかわからないような奇妙なエピソードが満載の人である。あるオペラ上演の際にソプラノの既婚の女性歌手と深い仲になり、演奏会が終わるや否や彼女をひっさらってホテルに直行し、翌朝、待ちかまえていた彼女の夫に捕まってムチでしたたかに打たれ、翌日の演奏会には包帯まみれの姿で登場して聴衆を唖然とさせたとか、ヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏会を聞きに行って、演奏中の静かな場面で客席から「悪くない! 悪くないぞ、カラヤン! 『みんなが言うほどには』悪くないぞ!」と叫んでカラヤンを激怒させたとか、ホテルでタバコを吸ったまま寝込んでしまったら夜具に火がつき、とっさに側にあった液体をかけて消そうとしたらそれが水ではなく揮発性の薬品で、大ヤケドとなって一時は生命の危機に陥ったとか、それでキャンセルとなった自分の演奏会に代役として指揮のあんまりうまくない作曲家を推薦し、その結果として演奏会が大失敗に終わると「あんな奴に指揮をさせるからだ!」と言い、「推薦したのはあなたでしょう!」と怒るプロデューサー(ウォルター・レッグ)に対して「他人の不幸は蜜の味なんだよ」と言い放ったとか、とにかく煮ても焼いても食えない困ったオッサンであったことは間違いないらしい。
 この映像でみるクレンペラー、ケガや病気やヤケドと加齢によって肉体はボロボロとなっており、指揮も立ってやることはできずにイスに座っているし、麻痺のために口は半開きで、ただでさえコワイ顔がよりコワく見えている。この人、実際にもコワかったようで、リハーサル中に譜面台を叩きながら「バカモノ! 言われたとおりにやらんか!」とオーケストラの楽員を怒鳴りつけている映像が残っている。ただ、手も不自由になって指揮棒を握れず拳で指揮していたというのは伝説のようで、ここではちゃんと棒は持っている。
 しかし、演奏は立派なものである。この指揮者らしく悠然としたテンポで、全曲に約80分もかけている。速いことで知られるシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団の演奏など、全曲を約61分(ただしスケルツォの繰り返し無し)で駆け抜けていたから、それと比べるといかにテンポが遅いかがわかる。しかも、他の指揮者だと遅いテンポであっても、実はあちこちでテンポを揺らし、速くするところはアクセル全開にするということがままあるのであるが、クレンペラーは常にイン・テンポ、まったく速度を変えない。こういうところ、同じベートーヴェンの交響曲でも「第7」なんかではいかにもしっくりこないことになるし、私の趣味としてはあんまりテンポの遅い演奏は好みでないのであるが、こと「第9」だと不思議なことにまったく違和感無く聞くことができる。いうなれば、水量が豊かで、ゆったりと流れる大河があり、その流れに自分も身をまかせているというようなものであろうか。
---------------------------------------------------------------------------------------

 さて、これも年末恒例の「やったこと」。中でも大事だったのは、吉川真司さんと共同責任編集をつとめさせていただいている『角田文衞の古代学』の1の「後宮と女性」』が発刊できたこと。この著作集、来年にはなんとかあと2巻の刊行をしあげたいと思っている。また、「平安博物館の特質と意義」は京都文化博物館での「平安博物館回顧展―古代学協会と角田文衞の仕事―」にともなうシンポジウム「世界の博物館史と平安博物館」での講演録。平安博物館を博物館史の中に位置づけてみたいというのはかねてからの念願であったから、その一端が果たせたような気がする。また、「聚楽第復元への試案」は、これまでの聚楽第復元研究では軽視されてきた『駒井日記』の聚楽第のデータにこだわってみたもの。正直いうと苦しいところもあるのだが、こういう思考実験をすることも大事だと思っている。
 ただし、そのほかについては、かつての論考を集成して編集しただけとかいうものも含まれており、全体としては「不作」だったと白状しなくてはならない。来年はもっと頑張って、胸を張れるような成果を挙げたいものである。

それではみなさま、どうか良いお年をお迎えくださいませm(_ _)m。


【共著書】
『京都・平泉・首里―都市と宗教・信仰―』髙橋康夫・伊ケ崎鷹彦(編)、髙橋康夫・山田邦和・冨島義幸・伊ケ崎鷹彦(著)(「2015年度~2017年度科学研究費補助金 基盤研究(B) 研究課題番号15H04110 研究成果報告書」、京都、ユーラシアのなかの日本中世都市研究会(髙橋康夫〈研究代表者〉)、2018年3月16日)全370頁
 ~◇山田邦和(著)「世界のなかのアジア古代都市」4~8頁
 ~◇山田邦和(著)「平安京・京都と天皇陵―葬制の変遷と『天皇陵空間』―」15~96頁
『朱雀基金研究会論文集―2015~2016―』沖見勝也(朱雀研究会代表)、沖見勝也・市元塁・佐藤健太郎・田中俊明・富谷至・西本昌弘・山田邦和・菅沼愛語・小澤毅・本庄総子・小野木聡・小川伸・井上光貞(著)(東京、朱雀基金、2017年12月21日)、全195頁
 ~◇山田邦和(著)「古代日本の都城と天皇陵」57~74頁
『織田信長』楠木誠一郎(文)(寺田克也(カバー絵)、藤科遥市(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)「講談社 火の鳥伝記文庫14」、東京、講談社、2018年6月20日)全189頁
『第14回京都検定 問題と解説』京都新聞出版センター(編)(池坊中央研究所・井上由理子・岩澤亜希・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・髙橋寛・十倉良一・中村武生・西村彰朗・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・萬谷彰三・山田邦和(執筆)、京都、京都新聞出版センター、2018年6月30日)本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は「3級問5」010頁、「3級問6」011頁、「2級問4」107頁、「2級問5」108頁、「2級問11」114頁、「1級問4」203頁、「1級問5」204頁、「1級[10]」240頁)
『平成29年度 京都府域の文化資源に関する共同研究会報告書(南山城編)』京都府立京都学・歴彩館京都学推進課(編)、上杉和央・竹門康弘・香川貴志・山田邦和・佐伯俊源・久保中央・島津良子(著)(京都、京都府立京都学・歴彩館、2018年9月〈発行日不記載〉)、全162頁
 ~◇山田邦和「不整形プラン都城案による恭仁京復元」72~93頁
『中世纪东亚都城制度研究国际学术会议论文集』牛润珍・村元健一・山田邦和・文昌鲁・韩準洙・崔完奎・裴明志・肖爱玲・宋娟・王岗・王静(執筆)(〈北京〉、中国人民大學、2018年10月〈発行日不記載〉)、全452頁
 ~◇山田邦和(著)「日本古代都城と平安京」(图版暂缺, 待编辑)123~198頁
 ~◇山田邦和(著)、潘向东(訳)「日本古代都城与平安京(中译)」(未定稿, 待编辑)199~250頁
『日本都市史・建築史事典』都市史学会(編)、伊藤毅(編集委員長)、岩淵令治・岩本通弥・北村優季・高橋慎一朗・中川理・山岸常人(編集幹事)、青井哲人・石田潤一郎・岩本馨・北河大次郎・谷川章雄・中島直人・藤田裕嗣(編集委員)、網伸也・井上信正・小笠原好彦・小倉慈司・鐘江宏之・川本重雄・北康宏・北村優季・黒田龍二・坂上康俊・佐藤信・宍戸香美・積山洋・十川陽一・鶴見泰寿・冨島義幸・中村順昭・西本昌弘・西山良平・箱崎和久・橋本義則・馬場基・古川淳一・増渕徹・丸山茂・宮川麻紀・村田健一・森哲也・山岸常人・李陽浩・渡辺晃宏・岩本馨・上島享・上野勝久・宇佐見隆之・及川亘・大澤研一・大野敏・大村拓生・落合義明・河内将芳・鍛代敏雄・桜井英治・鋤柄俊夫・鈴木沙織・関周一・高木久史・高橋慎一朗・高谷知佳・辻浩和・中澤克昭・永村眞・仁木宏・野村俊一・浜島一成・藤田盟児・藤本頼人・松井直人・山田邦和・荒木裕行・井田太郎・伊藤毅・今岡謙太郎・岩田浩太郎・岩淵令治・上野大輔・宇佐美英機・大久保純一・小野健吉・金行信輔・岸川雅範・小林文雄・小松愛子・斎藤善之・沢山美果子・渋谷葉子・下田桃子・杉本史子・杉森哲也・髙橋元貴・髙屋麻里子・髙山慶子・竹ノ内雅人・谷直樹・多和田雅保・中村利則・鳴海祥博・日塔和彦・藤澤彰・藤村聡・藤本仁文・麓和善・牧知宏・水田丞・森下徹・渡辺浩一・青井哲人・石川祐一・石田潤一郎・岩本葉子・内田主蔵・梅宮弘光・小野芳朗・川島智生・木方十根・小林丈広・清水重敦・砂本文彦・高木博志・田中禎彦・中川理・中嶋節子・西川英佑・西澤泰彦・野村正晴・速水清孝・原田敬一・藤原惠洋・堀田典裕・牧紀男・町田祐一・松山恵・三宅拓也・矢ヶ崎善太郎・山形政昭・五十嵐太郎・石榑督和・市川紘司・門脇耕三・木多道宏・佐藤美弥・祐成保志・砂本文彦・戸田穣・中島直人・南後由和・松田達・山崎幹泰・饗庭伸・秋田典子・秋本福雄・有田智一・加藤仁美・嘉名光市・川西崇行・五島寧・杉崎和久・鈴木伸治・田中暁子・田中傑・中島伸・中野茂夫・西成典久・初田香成・藤井さやか・真野洋介・岩本通弥・重信幸彦・阿部貴弘・上島顕司・大沢昌玄・尾崎信・小野田滋・片山健介・北河大次郎・鈴木淳・知野泰明・中井祐・中村晋一郎・原剛・福島秀哉・山口敬太・安藤哲郎・上島智史・牛垣雄矢・小野田一幸・門井直哉・古関大樹・柴田陽一・島本多敬・塚本章宏・鳴海邦匡・長谷川奨悟・藤田裕嗣・渡辺理絵・石井克己・谷川章雄・萩原三雄・橋本博文・比田井克仁・堀内秀樹・八重樫忠郎・山路直充・岸泰子・小岩正樹・登谷伸宏・松下迪生(執筆)(東京、丸善出版、2018年11月20日)、全670頁
 ~◇山田邦和(著)「中世~政治都市~京都」114・115頁

【編著】
『角田文衞の古代学 1「後宮と女性」』角田文衞(著)、古代学協会(編)、吉川真司・山田邦和(責任編集)(京都、古代学協会〈発売所:吉川弘文館〉、2018年9月30日)、全419頁

【論文】
「聚楽第復元への試論」山田邦和(著)(同志社大学考古学研究室〈編〉『同志社大学考古学シリーズXII 実証の考古学—松藤和人先生退職記念論文集—』、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、2018年8月31日)、631〜643頁

【その他の著作】
■「〈教員著書 Book Review〉山田邦和共著『「天橋立学」への招待―"海の京都"の歴史と文化―』」山田邦和(著)(『Vine』Vol.77、〈京田辺〉、同志社女子大学、2018年4月〈発行日不記載〉)、20頁
■「はじめに」「(司会者発言)」山田邦和(著)(中村信博(講師)、同志社女子大学史料センター(編集)『同志社女子大学のキリスト教主義教育―その伝統と理想―』〈同志社女子大学史料センター講演会記録 10〉、京都、同志社女子大学、2018年3月31日)、1頁(「はじめに」)、2・38・39頁(「(司会者発言)」)
■「〈新刊紹介〉栄原永遠男編『館長と学ぼう 大阪の新しい歴史Ⅰ』」山田邦和(著)(『市大日本史』第21月号、大阪、大阪市立大学日本史学会、2018年5月12日)142~145頁
■『ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城』香川元太郎(イラスト)(青木豊昭・上里隆史・遠藤啓輔・加藤理文・木島孝之・佐伯哲也・坂井尚登・千野原靖方・髙田徹・髙橋康夫・寺井毅・中井均・中西義昌・西ヶ谷恭弘・西股総生・樋口隆晴・平山優・福永素久・誉田慶信・松岡利郎・三島正之・水澤幸一・宮坂武男・山上至人・山田邦和(執筆・監修・考証者)、東京、学研プラス、2018年7月3日)全230頁(山田〈監修・文〉147頁)
 ~◇山田(監修・文)「【山城】伏見城」147頁(歴史群像シリーズ特別編集『決定版・図説 戦国女性と暮らし』2011年所収のものを再録)
■「〈教員著書 Book Review〉山田邦和(現代社会学部社会システム学科教授)『京都 知られざる歴史探検』上巻・下巻」山田邦和(著)(『Vine』Vol.77、〈京田辺〉、同志社女子大学、2018年Summer〈発行日不記載〉)20頁
■『同志社女子大学史料センター第23回企画展示「学寮140年のあゆみ」展示目録』同志社女子大学史料センター(編)、山田邦和〈史料センター長・運営委員長〉、飯田毅・池ノ内寛治・松野浩之・森公一・森紀之・仲万美子・中山まき子・大島中正・齋藤朱美・玉田佳子・山縣恵美〈2018年度史料センター運営委員〉、山下智子〈専門委員〉、塘利枝子〈学術情報部長〉(京都、同志社女子大学史料センター、2018年11月23日)全20頁+折込図
 ~◇山田邦和(著)「はじめに」1頁(その他、分担明記なしだが、折込図「同志社女子大学キャンパス内の寮(1957年6月)」「無題(京都市内の同志社女子大学寮)」が山田製図)
「平安博物館の特質と意義」山田邦和(著)(『土車』第135号、京都、古代学協会、2018年12月20日)、6~12頁
■「記念シンポジウム 世界の博物館史と平安博物館―ICOM(国際博物館会議)京都2019を見据えて―~パネルディスカッション」村野正景・長村祥知(司会)、朧谷寿・山田邦和・渡邉淳子・古藤真平(パネラー)(『土車』第135号、京都、古代学協会、2018年12月20日)、13~17頁
■「書評『宿所の変遷からみる 信長と京都』著・河内将芳」山田邦和(著)(『京都民報』第2865号、京都、京都民報社、2018年12月23日)、6頁

【学会・研究会報告】
○「考古学的遺跡・遺物からみた南山城の歴史―恭仁京復元への試み―」山田邦和(報告)(京都府立京都学・歴彩館「南山城の文化資源共同研究会中間報告会」、京都、同館京都学研究室、2018年1月6日
◯「大会報告『都市の荘厳―幢幡を立てる儀礼をめぐって―』質疑・討論」舘野和己・山田邦和(座長)、志村佳名子・大澤正吾・海野聡(パネラー)(条里制・古代都市研究会「第34回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2018年3月3日)
◯「討論」福島克彦・山田邦和(司会)、豊田裕章・木村友紀・長村祥知(パネラー)(第36回 平安京・京都研究集会「後鳥羽院の権門都市 水無瀬」、京都府大山崎町、大山崎ふるさとセンター、2018年9月16日)
◯「日本古代都城と平安京」山田邦和(報告)、史楚怡(通訳)(中国人民大學(主催)『中世纪东亚都城制度研究国际学术会议』、中国・邯郸、溢泉宾馆、2018年10月14日)
◯「(シンポジウム)都市の戦乱と復興」図師宣忠・山田邦和(司会)、仁木宏・久保田和男・高津秀之(パネラー)(歴史科学協議会第52回大会「歴史における危機と復興の諸相III」、京都、同志社大学今出川キャンパス良心館、2018年12月2日)

【講演】
○「中世都市としての天橋立」山田邦和(講演)(京都府、宮津市、伊根町、与謝野町、天橋立を世界遺産にする会(主催)「天橋立世界遺産講演会」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2018年2月4日)
○「豊臣秀吉の政権構想と京都」山田邦和(講演)(京都商工会議所(主催)「京都検定講演会『信長・秀吉と京都(2)』」、京都、京都商工会議所、2018年2月10日)
○「『鎌倉との比較』から見た'中世の嵯峨’」山田邦和(講演)(NPO法人さらんネット(主催)「第15回文化講演会」、京都、ひと・まち交流館 京都、2018年2月17日)
○「中世京都の都市構造」山田邦和(講演)(京都市生涯学習総合センター・京都市生涯学習振興財団(主催)「アスニーセミナー(京都市平安京創生館関連講座)」、京都、京都アスニー、2018年3月2日)
◯「【嵯峨】考古学研究者とめぐる、幻の巨大都市・嵯峨―今も残る中世の都市計画!600年前の地図で嵯峨を歩く―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、JR嵯峨嵐山駅集合、龍門橋・長慶天皇陵〈慶寿院跡〉・晴明塚・天龍寺・長辻通・毘沙門堂・嵯峨釈迦堂〈清涼寺〉を見学、2018年4月15日)
◯「嵯峨天皇と淳和天皇―唐の文化と薄葬思想―」山田邦和(講演)(ラボール学園〔京都勤労者学園〕「日本史講座~人物から見る京の歴史<古代・中世編>」第2回、京都、ラボール学園〔京都勤労者学園〕、2018年4月16日)
◯「京都・歴史探検の楽しみ」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年4月21日)
◯「【室町幕府】考古学者とめぐる義満の王都、巨大権力の中枢・花の御所と相国寺へ―史上最高・幻の七重塔はどこにあった!?“日本国王”義満の最強首都構想―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄今出川駅集合。相国寺山門、塔の段町(相国寺大塔跡) 、相国寺境内、相国寺慈照院前、同志社大学寒梅館、持明院御所跡(光照院)、細川邸跡、小川通、畠山図子、花の御所跡、2018年5月13日)
◯「清水・鳥辺野を歩く」山田邦和(案内)(京都教区カトリック正義と平和協議会〈主催〉、カトリック大阪教会管区部落差別人権活動センター〈共催〉「フィールドワーク」、京都、悲田院跡、長仙院、五条橋中島跡、物吉村跡(松田家内稲荷社)、弓矢町、愛宕念仏寺跡、西福寺、六波羅蜜寺、六道珍皇寺、南無地蔵跡、馬町十三重塔跡、鳥辺山墓地、清水寺、2018年5月19日
◯「森古代学と古代窯業生産」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター中之島「森浩一古代学をつなぐ」、大阪、朝日カルチャーセンター中之島、2018年5月26日)
◯「平安京の変遷」山田邦和(報告)(古代学協会「『緑釉科研』研究会」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年6月2日
◯「戦国時代におけるキリスト教と京都」山田邦和(報告)(同志社女子大学宗教部〈主催〉「教職員聖書研究会」、京都、同志社女子大学今出川キャンパス栄光館、2018年6月27日)
◯「戦国時代におけるキリスト教と京都」山田邦和(報告)(同志社女子大学宗教部〈主催〉「教職員聖書研究会」、京田辺、同志社女子大学京田辺キャンパス、2018年7月4日)
◯「京都に棲み続ける『世間さま』─巨大村落都市としての洛中─」山田邦和(講演)(衆議院議員伊吹文明後援会「新しいいぶきの会」〈主催〉第35回伊吹文明政経セミナー「社会の掟である道義・規範を考える―『世間さま』を探す一日の旅―」、京都、国立京都国際会館、2018年8月3日)
◯「京都と天皇陵」山田邦和(講演)(花園大学「2018年度「京都学講座」『天皇・朝廷と京都』」、京都、花園大学無聖館ホール、2018年8月4日)
◯「保元・平治の乱」山田邦和(講演)(姫路市教育委員会主催「平成30年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉『中世の戦乱』」、姫路、姫路市市民会館、2018年8月6日)
◯「平安博物館の特質と意義」山田邦和(講演)(京都文化博物館〈主催〉「記念シンポジウム 世界の博物館史と平安博物館-ICOM(国際博物館会議)京都2019を見据えて-」、京都、京都文化博物館別館ホール、2018年8月12日)
◯「パネルディスカッション」村野正景・長村祥知(司会)、朧谷寿・山田邦和・渡邉淳子・古藤真平(パネラー)(京都文化博物館〈主催〉「記念シンポジウム 世界の博物館史と平安博物館-ICOM(国際博物館会議)京都2019を見据えて-」、京都、京都文化博物館別館ホール、2018年8月12日)
◯「長岡京・平安京と陵墓」山田邦和(講演)(栄中日文化センター「飛鳥・奈良・平安時代の都城と陵墓」、名古屋、栄中日文化センター、2018年9月6日)
◯「飛鳥・奈良・平安時代の都城と陵墓」今尾文昭・山田邦和(対談)(栄中日文化センター「飛鳥・奈良・平安時代の都城と陵墓」、名古屋、栄中日文化センター、2018年9月6日)
◯「葭屋町近辺の歴史―検非違使庁址のあるまち―」山田邦和(講演)(京都文化創生機構(主催)「講演会 葭屋町近辺の歴史を学ぼう」、京都、京都建築専門学校葭屋町町家校舎、2018年9月8日)
◯「【京都の墓制】考古学者・山田先生の白熱教室! 〈死者の都市〉京都の墓制史―都市内部へ侵入していく墓地! 山麓の風葬地から、現代の寺院経営墓地まで―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、ひと・まち交流館京都、2018年10月6日)
◯「コメント(家原圭太『平安京の貴族邸宅をさぐる』)」山田邦和(コメンテータ)(古代学協会(主催)「第8回角田文衞古代学奨励賞受賞記念講演会」、京都、京都文化博物館別館講義室、2018年10月6日)
◯「豊臣秀吉の京都改造」山田邦和(記念講演)(「京都大蔵会創立80周年記念総会」、京都、新・都ホテル「陽明殿」、2018年11月9日)
◯「平安京の郊外地域の歴史的意義」山田邦和(講演)(京都市生涯学習総合センター・京都市生涯学習振興財団(主催)「アスニーセミナー(京都市平安京創生館関連講座)」、京都、京都アスニー、2018年12月14日)
◯「平安京の復元研究」山田邦和(講演)(青山学院大学團紀彦ゼミ学生との懇談会、京都、同志社女子大学栄光館、2018年12月19日)

【講座】
◎古代学協会「古代学講座」~京都学講座
◯「院政期京都の研究4(3)平家の滅亡」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年1月19日)
◯「院政期京都の研究4(4)平泉の奥州藤原氏とその滅亡」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年3月2日)
◯「院政期京都の研究4(5)源頼朝と鎌倉幕府の成立」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年3月16日)
◯「院政期京都の研究5(1)征夷大将軍論」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年4月20日)
◯「院政期京都の研究5(2)鎌倉の混乱と承久の乱」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年5月18日)
◯「院政期京都の研究5(3)京都と鎌倉の都市構造」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年6月22日)
◯「院政期京都の研究5(4)後鳥羽上皇の新都市・水無瀬」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年7月20日)
◯「院政期京都の研究5(5)後高倉院政の意義」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年9月21日)
◯「院政期京都の研究6(1)後嵯峨院政と院政王権都市嵯峨」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年10月26日)
◯「院政期京都の研究6(2)皇統の分裂と衣笠の新都市」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年11月16日)

◎栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」
◯「(1)淳仁・称徳天皇の保良宮・由義宮・改造平城京」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年1月19日)
◯「(2)桓武天皇の登場」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年2月9日)
◯「(3)長岡京遷都」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年3月23日)
◯「(1)平安京遷都」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年4月27日)
◯「(2)平安京の設計と実態」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年5月25日)
◯「(3)平安京の変容」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年6月22日)
◯「(1)平清盛と『福原遷都』計画」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年7月27日)
◯「(2)鎌倉と奥州平泉」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年7月~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年9月14日)
◯「(3)中世京都の実像」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年7月~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年9月21日)

◎栄中日文化センター「京都の歴史を読みなおす」
◯「(1)京都文化の特質」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「京都の歴史を読みなおす」(2018年9月~11月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年10月26日)
◯「(2)巨大古墳の時代の京都盆地」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「京都の歴史を読みなおす」(2018年9月~11月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年11月23日)


◎朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」
◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(1)聖武天皇の『彷徨5年』」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年1月12日)
◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(2)恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮の構造」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年2月9日)
◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(3)現地見学 称徳天皇の西大寺を訪ねる」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年3月23日)
◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(3)現地見学 称徳天皇の西大寺を訪ねる」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年3月23日)
◯「桓武天皇の登場と長岡京遷都(1)光仁天皇即位と桓武天皇の登場」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(5)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年4月13日)
◯「桓武天皇の登場と長岡京遷都(2)長岡京遷都」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(5)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年5月11日)
◯「桓武天皇の登場と長岡京遷都(3)(現地見学)長岡宮跡を訪ねる」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(5)、向日、長岡宮跡、2018年6月8日)
◯「平安京の誕生(3)平安京模型と平安宮跡を訪ねる(現地講座)」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(6)、京都、平安京創生館、豊楽殿跡を見学、2018年9月14日)
◯「平安京の展開(1)下鴨神社を訪ねる(現地講座)」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(7)、京都、下鴨神社を見学、2018年10月5日)
◯「平安京の展開(2)前期平安京の実態」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(7)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年11月9日)
◯「平安京の展開(3)桓武天皇の後継者たち」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(7)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年12月14日)

【テレビ出演】
◯『京都ぶらり歴史探訪』4時間スペシャル「信長・秀吉〜知られざる天下人の素顔〜」中村芝翫・中村橋之助・中村福之助・笹野高史(出演)、井上満郎(監修)、BS朝日・EAST ENTERTAINMENT(制作)、大木由起子・手塚公一(プロデューサー)、保田正明(総合演出)、岩橋正憲・田島優・山本雅泰(演出)、間マサムネ・岡本靖司正・内堀隆史(構成)、飯島肇(ナレーション)、伊東潤・木村宗慎・後藤典生・山田邦和(出演)、松原宏・拾井司雄・細辻伊兵衛・磯村良定・小林太玄・真神啓仁・清水珠代・清水泰博・若山泰應・東川楠彦・藤田典男・高家啓太・平野良明・安田容造・町田亨宣・土屋幸子・仲田順英・吉田武雄(案内)(BS朝日1、2018年9月4日放送)
◯『京都ぶらり歴史探訪』「都を造った天下人・秀吉」中村芝翫・中村橋之助・中村福之助・笹野高史(出演)、井上満郎(監修)、BS朝日・EAST ENTERTAINMENT(制作)、大木由起子・手塚公一(プロデューサー)、保田正明(総合演出)、田島優・山本雅泰(演出)、間マサムネ・内堀隆史(構成)、飯島肇(ナレーション)、後藤典生・山田邦和(出演)、東川楠彦・藤田典男・高家啓太・平野良明・安田容造・町田亨宣・土屋幸子・仲田順英・吉田武雄(案内)(BS朝日1、2018年9月25日放送)

【2018年度の授業】
◎春学期
同志社女子大学現代社会学部:博物館実習(今出川クラス)、博物館実習(京田辺クラス)、京都学概論、考古学I、基礎演習、専門基礎演習、応用演習、卒業研究、京都の文化E(集中講義、オムニバス)
京都橘大学文学部:遺産情報演習Ⅱ
◎秋学期
同志社女子大学現代社会学部:博物館概論(今出川クラス)、博物館概論(京田辺クラス)、博物館実習(今出川クラス)、博物館実習(京田辺クラス)、京都学概論、考古学II、応用演習、卒業研究、現代社会入門(オムニバス講義)


2018.12.28

若狭・大島半島でニソの杜を訪ねる、の巻

O0397055714265226597

Img_8219
浦底の杜(神社の左側の小さな祠)

Img_8006
船岡製塩遺跡

 時間軸はさかのぼるが、備忘録として。

 11月24日(土)・25日(日)
 福井県、若狭のおおい町でおこなわれる「ニソの杜と先祖祭り」のシンポジウムを聞きに行く。私も興味はあったのだが、妻(大学生の時代に、民俗学研究会の会員だった)の強い希望である。ニソの杜といってもなんのこっちゃわからない方もおられるだろうが、民俗学の学界ではむかしからよく知られていた。福井県・若狭の大島半島に固有の信仰で、村落の各所に聖地があり、そこを家ごとまたは複数の家集団で11月22日または23日に祀る。ただ、かつては32ヶ所があったが、今も祭祀が継続しているのは10ヶ所くらいだという。今回、『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』というすばらしい調査報告が刊行され、その記念のシンポジウムである。なおこの報告書、妻が早速に注文したのだが、その代金は福井銀行の口座に銀行振込をせよという指示。福井銀行の支店って京都にあるんかいな、と思って調べてみると、小さいながら、四条烏丸にちゃんとあったのにびっくり。

 若狭に着いて、まだ少しばかり時間があるので、まずはおおい町の郷土資料館に立ち寄る。すばらしく立派な博物館。建物の側が、1958~61年頃に同志社大学考古学研究室が発掘調査した船岡製塩遺跡があり、その製塩作業の様子が再現されているのにびっくり。この遺跡、奈良時代の若狭製塩土器の標識遺跡で、大きなバケツのような形の奇妙な製塩土器で知られている。報告書では人里離れたところと書かれていたのだが、今は行きやすいところである。なお、「船岡」、説明板では普通に「ふなおか」とふりがなが振ってあるのだが、報告書では「ふのか」になっている。おそらくもともとは「ふのか」だったんだろうな。

 会場に滑り込んで、まずはシンポジウムのパネラーの八木透・佛教大学教授にご挨拶。八木さん、今回のニソの杜の調査にも大きな役割を果たされたとのこと。尊敬する先輩の話を聞くことができて嬉しい。

 シンポジウムが終わったあとは、すぐに帰洛するのももったいないので、小浜に宿泊してカニ料理を楽しむことにする。ホテルの窓の下が岡津製塩遺跡、さらにそこから小浜湾を隔てて、「若狭富士」の別称で知られる青葉山が正面に望めたことも儲けもの。 

 翌日は、いろいろと探訪。小浜市内では、若狭武田氏の守護館跡・空印寺(八百比丘尼伝説あり)、小浜城跡(本丸石垣だけが神社境内として残る、可愛らしいお城)、船に乗っての小浜湾巡り、海産物市場での海鮮丼若狭歴史博物館と若狭国分寺を楽しむ。

 本命のニソの杜は、全て巡る時間はないので、報告書を見ながら場所を限定。それぞれのニソの杜は、かつては祭祀の時以外は立ち入り禁止だったというのだが、今はそこまでのタヴーはないようで、敬虔な気持ちさえ忘れないならば良いということで、浜禰の杜、瓜生の杜、浦底の杜を拝ませていただく。なお、浜禰の杜の隣接地が、これもかつて同志社大学考古学研究室が発掘した浜禰製塩遺跡なのだが、これはまったく薮になっていてよく確認できなかったのは残念。
 しかし、ニソの杜、本当に、大木を中心とした小さな「森」である。小さな祠が設けられているところもあるが、それもそんなに頑丈なものではない。供物も質素そのもの。こういうのは、時間がたつと考古学的な遺構として確認することは難しいだろうな。

2018.12.23

工藤静香クリスマスディナーショー2018(於名古屋)、の巻

Img_1617

12月19日(水)
恒例の、年に一度の自分へのご褒美(って、7月にはAcoustic Live Tour 2018にも行ったな・・・)。今回は、残念ながら関西がなく、愛媛県今治、鹿児島、新潟、名古屋、東京だということで、名古屋にいかざるをえない。大学の業務を終えて、すぐに飛び出して、電車を乗り継いで名古屋に到着。場所は名古屋駅から徒歩5分くらいのホテル・キャッスルプラザ。そんなに大きなホテルではないのだが、ディナーは絶品だった。

 千流の雫、恋一夜、in the sky、あなたのいない風景、おたより、Again、雪・月・花、丘の上の小さな太陽~カレリア、鋼の森、Ice Rainに、アンコールで嵐の素顔、Blue Roseの計12曲。いつもながら、パワフルな曲と繊細な曲をとりまぜた名演集。よかったよ~

2018.12.17

中世紀東亜都城制度研究国際学術会議、の巻(1)

 ずいぶんご無沙汰になってしまったが、記録だけアップ。
019
 10月13日に関空から中国へ。その日の夜に、邯鄲の溢泉湖賓館というホテルに入る。10月14日~16日午前までが研究会。写真前列左から、私、ブイ・ミン・チー(ヴェトナム社会科学院古都研究所長)、牛潤珍(会議主宰者、中国人民大学教授)、催完奎(韓国・円光大学教授)、ひとりおいて、村元健一(大阪歴史博物館学芸員)。

Img_7105
 鄴城博物館。

Img_7225
 鄴城博物館の中央の、北朝の鄴城の巨大模型。内郭だけでなく、近年の研究では巨大な外郭城の存在が推定されている。

Img_7236
  鄴城の遺跡。かなり以前にも来たことがあるが、その時に比べると整備が進んでいる(整備しすぎ?)。曹操の巨像がまわりを睥睨。

中世紀東亜都城制度研究国際学術会議、の巻(2)

Img_7328
 2014年に新設された、臨漳仏造像博物館。四角四面の威圧感ある建物。

Img_7281
 この博物館は、2002年に北朝の巨大寺院跡が発掘調査され、破壊された仏像の埋納坑が見つかった。北周の武帝による「建徳法難(建徳3年〈574〉、同6年<577>)」にともなうものと推定されている。

Img_7338
 日本でも話題となった、曹操の陵墓「高陵」。いま、整備工事中。

Img_7381
 北斉の皇族(北斉建国者の文宣帝高洋の甥)の蘭陵王高長恭の墓。蘭陵王って雅楽の奇怪な仮面で有名なのだが、あれ、蘭陵王が優しい顔立ちだったので、戦の時にはワザと猛々しい仮面をつけたことに由来するんだってね。墓は小円墳。墓前に石碑がたつ。


中世紀東亜都城制度研究国際学術会議、の巻(3)

Img_7424
 北朝の陵墓群(磁県北朝墓群)のうち、「天子冢」。東魏の孝静帝の陵だという。こちらは直径約100mの巨大な円墳。古墳の上には道観がのっかっている。

Img_7470
Img_7493
Img_7524
 響堂山石窟(北群)。あの山の上に壮麗な石窟寺院群がある。登るのにビビったが、なんとか制覇。

Img_7593
 こちらは響堂山石窟(南群)。これは登らなくて良い。前面は博物館になっている。

Img_7625_2
 みんなで乾杯(ただ、中国名物白酒<パイチュウ>の乾杯攻めで、日本に帰ってからはしばらくお腹を壊していた( ;∀;))。良い機会を与えていただいた牛潤珍先生、不慣れな私を先導してくれた村元さん、それから参加者の先生方に、感謝!


2018.10.12

行ってきます

10月12日(金)は大阪で全国大学博物館学芸員課程連絡協議会西日本部会大会。
そのまま大阪府岸和田まで行って、そこで宿泊して、10月13日(土)~17日(水)は中国での研究会に出席します。行くまでにかたづけなければならない仕事がいくつもあり、バタバタしておりました。向こうは寒いらしく、何を着ていくかで悩みます。ともあれ、行ってきます!

2018.10.07

ルークありがとう、安らかに、の巻

Img_62892

 10月1日(月)
 わが家にとって、本当に辛い日になりました。愛犬ルーク、黒いペキニーズが私たちのもとから旅立っていったのです。2007年10月8日生まれですから、あと一週間で11歳になるところでした。
  そもそもペキニーズという犬種はフォーンやホワイトが多く、ルークのような真っ黒というのは珍しい。ただ、もう40年以上前、私のウチでは黒いペキニーズを飼っていて大変可愛がっていた。その思い出があるものですから、私としては黒ペキには大変愛着があったのです。2008年の新年、いつも犬のゴハンを買いに行くペットショップで、妻が、生まれたばかりの黒ペキがいるのに気がつきました。いい飼い主に恵まれるように、と願っていたのですが、なかなか引き取り手が見つからなかったようで、いつまでたってもそこにいます。そのうち妻が「ウチで飼おう!」といいだしたのですが、すでにウチにはマックとクイールという2匹のペキニーズがいるので、私としてはもう1匹増えると世話しきれるかな、と不安で、なかなか決断できませんでした。しかも、悪性のカゼにやられて難儀したり、またヴェトナムの調査行きが迫っていてその準備に追われていたので、とても新しい犬のことまで頭が回りません。それでも妻があまりにヤイヤイ言うので、「僕がヴェトナムから帰ってきて、それでもまだ飼い主が見つかっていたかったならば、ウチに迎えよう」と言いました。内心ではその間にどこか良い飼い主が現れることを願っていたのですが、実際に帰国してみると、相変わらずそこにいたのです。これはもう「縁」かなぁと思って、やっと私も決断し、2008年3月11日にわが家に迎えたのです
 「末っ子」となったルークは、どうも躾がうまくいかなかったのか、とうとうオシッコの場所を覚えることができません(長男のマックはなんとか覚えた。次男のクイールは不思議なことに生まれつきオシッコ場所を感知して躾すらいらなかった)。ちょっと油断すると家の中に水たまりができていて、そのたびごとに怒ったり慌てたりしてのバタバタが続きました。そういう難儀なことはありましたし、私たちも犬の世話に追われながらも、賑やかな三匹のペキニーズたちがじゃれあう姿に和み、心穏やかな日々を送ることができました。犬たちに感謝してもしきれません。

 しかし、 2014年5月18日にマックが昨年9月4日にクイールが虹の橋をわたっていきました。ルークも10歳ともなりますと真っ黒の顔の中に白いものが目立ってき、お兄ちゃんたちの姿が見えなくなったことに寂しそうでしたが、まだまだ元気で走り回っていました。

 ルークの様子が急変したのが9月30日(日)です。朝に呼吸がゲホゲホし、ゴハンもまったく食べなかったので心配になったのですが、あいにく日曜日でお医者さんは休み。明日にはお医者さんに連れて行こう、と思ったのですが、夜にはいる頃からどんどん呼吸がおかしくなります。これは待てないと判断して、看てくれる動物病院を探したのですが、ようやく見つけたひとつは予約でいっぱい、上鳥羽にある京都夜間動物救急センターは運の悪いことに台風で臨時休業。さらに大荒れの台風で、外に出ると不意の落下物で二次被害を受けそうな状況です。
 深夜、やっと風が下火になったので、最後の頼みの綱である京都夜間動物診療所(旧称:南京都夜間動物診療所)に行くことにしました。ただ、この病院は久御山なので、私の家からは車で約1時間かかります。祈るような気持ちでやっと着いたのですが、検査の結果の診断は急性肺炎。それから薬の注射と点滴、そして高濃度の酸素を供給できるICUに入院ということなったのですが、ここは夜間の救急が専門(夜間の緊急疾患に対応し翌日に主治医の先生のところに移すまでの繋ぎのための診療所)でそれ以上の入院はできないため、翌朝に主治医のもとに移すという段取りになりました。ただ、酸素室に入れると、それまではうって変わったように呼吸が楽になり、いつものキョトンとした表情を見せるようになったので、私たちも安堵して一旦帰宅します。翌朝、私は自分の病院の定期検査の受診があるので迎えにいくことができず、妻が久御山に向かいました。しかし、病院の話では深夜にまたルークは容体は悪くなったとのことで、急いで主治医の先生の病院に運ぼうとしたのですが、帰路の車中でルークは息をひきとってしまいました。泣きながら電話をかけてきた妻に、私は掛ける言葉がありませんでした。

 上の2匹が14歳まで生きてくれましたので、私はなんとなく、あと数年はルークと一緒に暮らせると信じ込んでいました。また、上の2匹と同様に最後の半年くらいは「介護」の日々になるのだろうが充分に世話をしてやろうと決めていました。しかし、そうした心づもりはまったく外れてしまいました。こんなに早く別れがくるとは思いませんでした。ただ、ルークとしては、旅立ちの時に大好きなママが側にいてくれたというのは、慰めだったのではないかと思っています。
 この18年間、私たちの生活は常に犬たちと一緒でした。それが終わってしまい、いまは茫然自失、わが家は火が消えたような状態の日が続いています。今でも、扉の向こうから犬たちが人懐っこい顔を見せるような気がします。夜、そろそろ犬の散歩に行かなくちゃならないな、と思って腰を上げかけたものの、あ、もうそれはないんだと気がついてヘタリ込むということも続いてます。私たちも、自分の歳を考えると、幼犬を引き取ってきて最期まで看取るということは、もうないでしょう。
 ルーク、ありがとう。私たちはお前がいてくれたので幸せな日々を送ることができました。天国では2匹のお兄ちゃん犬と再会して、また遊んでもらってください。私たちもお前のことを忘れません。ルーク、本当にありがとう。

2018.09.30

古代学講座(仁和寺)の紹介、の巻

Photo

【台風が近づいております。気象情報にご注意の上、万全の体制をとっていただければと思います】

 公益財団法人古代学協会が開催している「古代学講座」(私も出講させていただいております)、講座数も増え、第一線の研究者からなる多士済々の講師が少人数の講義に臨んでいただけるということで、好評をいただいております。会場が、かつて平安博物館の館長室だった重厚な部屋(古代学協会角田文衞記念室)であることも魅力かと存じます。

 この秋の講座の狙い目のひとつは、総本山仁和寺学芸員の朝川美幸講師によるもっと知りたくなる仁和寺―これまで語られてこなかった仁和寺の歴史―(10/17、11/23、1/16、2/20、 3/20。15:00~16:30)。現地見学会も含まれている充実した内容で、私も受講したいくらい(授業日なので無理( ; ; ))です。まだ残席があるらしいので、どうかこぞってお申し込みください。もちろん、そのほかの講座もよろしく!

2018.09.14

平安京・京都研究集会「後鳥羽院の権門都市  水無瀬」のご案内

01_3
下記の通り、平安京・京都研究集会「後鳥羽院の権門都市 水無瀬」を開催いたします。こぞってご参加ください。今回は、はじめて「山城国」を離れて、摂津国の水無瀬を扱います。なお、集会の会場はいつもの機関紙会館ではなく、現地の近くの大山崎ふるさとセンターとなっておりますのでご注意ください。
-----------------------------------------------------------
第36回 平安京・京都研究集会「後鳥羽院の権門都市 水無瀬」
 主催)平安京・京都研究集会、後援)日本史研究会 
平安時代から鎌倉時代前期の京都周辺には、天皇や貴族によって数多くの離宮、別業が構築され、一部は権門都市と評価されています。なかでも鎌倉時代前期に権勢を振るった後鳥羽院の水無瀬離宮は有名ですが、未解明な点も多く、評価が定まっていません。近年、水無瀬離宮に関する文献史料や考古資料の調査が進展し、その全体構造が推定できるようになってきました。今回の研究集会では、諸資料から水無瀬離宮の遺物・遺構を検討し、その機能や歴史的役割、他の権門都市との比較について考えていきたいと思います。

期日:2018年9月16日(日)
【現地見学会】 9:00、JR島本駅改札口集合「権門都市 水無瀬の旧地を巡る」
【研究集会】  13:00~17:30
 会場:大山崎ふるさとセンター(阪急大山崎駅下車、徒歩1分)
 報告;
  豊田裕章氏(国際日本文化研究センター、日本史・東洋史) 「水無瀬殿(水無瀬離宮)の構造と機能について」
  木村友紀氏(帝塚山大学考古学研究所、歴史考古学)「水無瀬離宮の発掘調査」
  長村祥知氏(京都文化博物館、日本中世史)「院政の展開と水無瀬」
  ◆司会;福島克彦氏、山田邦和氏

※参加自由。一般来聴歓迎、但し内容は専門的です。
※要資料代

 世話人;上杉和央、登谷伸宏、河内将芳、中村武生、仁木 宏、浜中邦宏、福島克彦、桃崎有一郎、山田邦和、山本雅和

2018.08.18

映画「ゲッベルスと私」、の巻

Photo

予告編

 8月17日(金)
 新聞を眺めていて、映画「ゲッベルスと私」の京都公開が開催中なのを思い出した。このあいだ東京に言った時に、神田神保町の岩波ホールに大きな看板が掲げられてるのを見て、へぇ、こんな映画があるんだ、と興味を惹かれたものである。ただ、東京ではとてもとても時間がなく、見ることはできなかった。データは次の通り。
原題:A German Life
監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー
脚本:フロリアン・ヴァイゲンザマー
製作年:2016年
製作国:オーストリア
 
 チラシの宣伝文句では「ナチス宣伝大臣ゲッベルスの秘書、ブルンヒルデ・ポムゼル103歳。彼女の発言は、20世紀最大の戦争の記憶を呼び起こす」。「なにも知らなかった/私に罪はない」。どんな凄いドキュメンタリーなのだろうか、と思い、期待しながら映画館に足を運んだ。主役のブルンヒルデ・ポムゼルという老婦人、撮影当時103歳で、映画の公開直後の2017年1月27日に106歳で没した人だという。100歳を超えているとは信じられないくらい、頭も言葉も明晰で、このこと自体は驚嘆に値する。シワだらけの風貌はさすがにお年であるのは当然(ただ、ライティングとモノクロの高解度映像によって、シワの一本一本をワザと強調しているのはちょっとお気の毒な感じ)。
 この映画には、ブルンヒルデ・ポムゼル、トーレ・D. ハンゼン『ゲッベルスと私─ナチ宣伝相秘書の独白』(石田勇治監修、森内薫・赤坂桃子訳、東京、紀伊国屋書店、2018年)という、同時進行で作られた「双子」にあたる本があるらしく、映画を真に理解するためには本も読んでおかねばならないのかもしれない。しかし私はこの本は読んでいない。だから軽々な批評は慎むべきかもしれないが、とりあえずは映画だけの感想はいってもいいだろう。

 申し訳ないのであるが、正直言ってこの映画、私には期待はずれだった。老婦人の延々とした独白につきあうのには、眠気をふりはらいつつ、かなりの忍耐力がいったことは白状しておかねばならない。要はこの邦題「ゲッベルスと私」が誤解のもとだ。原題の"A German Life(あるドイツ人の生涯)"のほうがよほど内容に即しており、そのままであるならば文句をつける筋合いはない。しかし、それでは話題性がないということで、えらく風呂敷を広げてしまった邦題をつけたのが間違い、ということになる。

 主役のブルンヒルデさん、「ゲッベルスの秘書」だとされており、そのこと自体はウソではないのだろう。しかしその語感からは、ヒトラーの秘書であったトラウドゥル・ユンゲのような立場を想像してしまう。トラウドゥルはヒトラーのもっとも身近に仕えていた数少ない人物のひとりであり、しかも最後の土壇場の総統地下壕でのヒトラーの自殺のすぐ側にいた、まぎれもない「歴史の生き証人」であった。だからブルンヒルデさんも国民啓蒙宣伝大臣としてのゲッベルスの側近として彼の行動の逐一の貴重な証人のように期待してしまうのであるが、これが大きな誤り。映画を見る限り、彼女は国民啓蒙宣伝省の職員ではあったが、大臣官房にたくさん配置されていた秘書たちの中のワン・オヴ・ゼムにすぎず、究極の上司であるゲッベルスの姿を眺めていたことはあったとしても、直接に命令を受けたり、親しく話をしたり、ましてや機密事項にかかわるような立場にはなかったようである。その点で、ブルンヒルデからいままで語られなかったゲッベルスとナチ・ドイツの裏面を知ることができるという期待は見事に裏切られるのである。

 最大のネックは、ドイツの中央官庁のひとつに勤務しながら、ブルンヒルデが政治にはまったく興味を持っていなかったところにある。彼女の関心は、待遇と居心地がよい職場に勤めて高い給料をもらい、自分の社会的ステイタスを高めるということ以外にはなかった。その点では国民啓蒙宣伝省は彼女にとっては望外ともいえる理想的な職場なのであった。彼女は自分の仕事を完璧にこなすことに誇りを持っていたが、かといって自分の所属する国民啓蒙宣伝省とドイツ政府がどんな悲惨な現実を引き起こしていたかまで想像をめぐらすことはなかった。だからこそ、上司であるゲッベルス大臣がおこなった1943年2月18日のいわゆる「総力戦演説」(ゲッベルスの演説の最高傑作とされている)の場にいあわせながら、演説の内容すらきちんとは理解することができず、ただ「聴衆たちはなぜこんなに熱狂しているのだろう? ゲッベルスはどういうマジックで聴衆をこんな興奮に叩き込むことができるのだろう?」とノンキなことしか考えておらず、側にいた親衛隊員から「拍手くらいしなさいよ」と呆れられる始末だった。それは彼女の冷静さなどではなく、国の行く末などにはとんと無関心な彼女の視野の狭さによるものだったのは明らかである。

 もちろん、だからといって100歳を超えた彼女の証言に意味がないわけではない。どこにでもいる平凡な人物が、思いがけずも歴史の惨劇の中に放り込まれて辛酸を舐めた経験として、記録にとどめておく価値は確かにある。もっと多くを語ってほしかったのは〈もしかすると本には書かれているのかもしれないが・・・〉、ヒトラーとゲッベルスの自殺を受けて、最後まで仕事を続けていた宣伝省が機能を停止するところ。ブルンヒルデさん、最後の土壇場まで職場に止まっていたのだな。宣伝省に残っていた最後の幹部であったハンス・フリッチェ(宣伝省ラジオ放送局長。戦後、ニュルンベルク裁判に主要戦犯のひとりとして起訴されるが、無罪となる)の詳しい動静など、もっといろいろ興味深い場面があったはずだ。

 あと、さすがにブルンヒルデさんの独り語りだけでは場がもたないと判断されたのか、いろんな映像が挿入される。ただそれらの多くはドイツの、アメリカの、ポーランドのプロパガンダ映像の断片であることは、かえって観客を真実から遠ざけているような気がする。一部には目を覆いたくなるような強制収用所の悲惨な映像もあるのだが、これも断片的にすぎる上に、ワザと説明が省かれているので、撮影にいたった背景を理解することが難しい。ゲッベルスの総力戦演説も、映像が残っているはずなのに、どういうわけかここだけは音声だけ。もうちょっとなんとかならなかったのかな、という感じはする。

2018.08.13

最近やったこと、の巻

最近ちょっとサボり気味。あんまり大したことができていない。せっかくの夏休み、ちょっと踏ん張らなくては・・・・


【書いたもの】
■「〈教員著書 Book Review〉山田邦和共著『「天橋立学」への招待―"海の京都"の歴史と文化―』」山田邦和(著)(『Vine』Vol.77、〈京田辺〉、同志社女子大学、2018年4月〈発行日不記載〉)、20頁
■「はじめに」「(司会者発言)」山田邦和(著)(中村信博(講師)、同志社女子大学史料センター(編集)『同志社女子大学のキリスト教主義教育―その伝統と理想―』〈同志社女子大学史料センター講演会記録 10〉、京都、同志社女子大学、2018年3月31日)、1頁(「はじめに」)、2・38・39頁(「(司会者発言)」)
■『朱雀基金研究会論文集―2015~2016―』沖見勝也(朱雀研究会代表)、沖見勝也・市元塁・佐藤健太郎・田中俊明・富谷至・西本昌弘・山田邦和・菅沼愛語・小澤毅・本庄総子・小野木聡・小川伸・井上光貞(著)(東京、朱雀基金、2017年12月21日)、全195頁
 ~◇山田邦和(著)「古代日本の都城と天皇陵」57~74頁
■「〈新刊紹介〉栄原永遠男編『館長と学ぼう 大阪の新しい歴史Ⅰ』」山田邦和(著)(『市大日本史』第21月号、大阪、大阪市立大学日本史学会、2018年5月12日)142~145頁
■『織田信長』楠木誠一郎(文)(寺田克也(カバー絵)、藤科遥市(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)「講談社 火の鳥伝記文庫14」、東京、講談社、2018年6月20日)全189頁
■『第14回京都検定 問題と解説』京都新聞出版センター(編)(池坊中央研究所・井上由理子・岩澤亜希・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・髙橋寛・十倉良一・中村武生・西村彰朗・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・萬谷彰三・山田邦和(執筆)、京都、京都新聞出版センター、2018年6月30日)本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は「3級問5」010頁、「3級問6」011頁、「2級問4」107頁、「2級問5」108頁、「2級問11」114頁、「1級問4」203頁、「1級問5」204頁、「1級[10]」240頁)
■『ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城』香川元太郎(イラスト)(青木豊昭・上里隆史・遠藤啓輔・加藤理文・木島孝之・佐伯哲也・坂井尚登・千野原靖方・髙田徹・髙橋康夫・寺井毅・中井均・中西義昌・西ヶ谷恭弘・西股総生・樋口隆晴・平山優・福永素久・誉田慶信・松岡利郎・三島正之・水澤幸一・宮坂武男・山上至人・山田邦和(執筆・監修・考証者)、東京、学研プラス、2018年7月3日)全230頁(山田〈監修・文〉147頁)
 ~◇山田邦和(監修・文)「【山城】伏見城」147頁(歴史群像シリーズ特別編集『決定版・図説 戦国女性と暮らし』2011年所収のものを再録)
■「〈教員著書 Book Review〉山田邦和(現代社会学部社会システム学科教授)『京都 知られざる歴史探検』上巻・下巻」山田邦和(著)(『Vine』Vol.77、〈京田辺〉、同志社女子大学、2018年Summer〈発行日不記載〉)20頁

【しゃべったこと】
◯「【嵯峨】考古学研究者とめぐる、幻の巨大都市・嵯峨―今も残る中世の都市計画!600年前の地図で嵯峨を歩く―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、JR嵯峨嵐山駅集合、龍門橋・長慶天皇陵〈慶寿院跡〉・晴明塚・天龍寺・長辻通・毘沙門堂・嵯峨釈迦堂〈清涼寺〉を見学、2018年4月15日)
◯「嵯峨天皇と淳和天皇―唐の文化と薄葬思想―」山田邦和(講演)(ラボール学園〔京都勤労者学園〕「日本史講座~人物から見る京の歴史<古代・中世編>」第2回、京都、ラボール学園〔京都勤労者学園〕、2018年4月16日)
◯「京都・歴史探検の楽しみ」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年4月21日)
◯「【室町幕府】考古学者とめぐる義満の王都、巨大権力の中枢・花の御所と相国寺へ―史上最高・幻の七重塔はどこにあった!?“日本国王”義満の最強首都構想―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄今出川駅集合。相国寺山門、塔の段町(相国寺大塔跡) 、相国寺境内、相国寺慈照院前、同志社大学寒梅館、持明院御所跡(光照院)、細川邸跡、小川通、畠山図子、花の御所跡、2018年5月13日)
◯「清水・鳥辺野を歩く」山田邦和(案内)(京都教区カトリック正義と平和協議会〈主催〉、カトリック大阪教会管区部落差別人権活動センター〈共催〉「フィールドワーク」、京都、悲田院跡、長仙院、五条橋中島跡、物吉村跡(松田家内稲荷社)、弓矢町、愛宕念仏寺跡、西福寺、六波羅蜜寺、六道珍皇寺、南無地蔵跡、馬町十三重塔跡、鳥辺山墓地、清水寺、2018年5月19日
◯「森古代学と古代窯業生産」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター中之島「森浩一古代学をつなぐ」、大阪、朝日カルチャーセンター中之島、2018年5月26日)
◯「平安京の変遷」山田邦和(報告)(古代学協会「『緑釉科研』研究会」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年6月2日
◯「戦国時代におけるキリスト教と京都」山田邦和(報告)(同志社女子大学宗教部〈主催〉「教職員聖書研究会」、京都、同志社女子大学今出川キャンパス栄光館、2018年6月27日)
◯「戦国時代におけるキリスト教と京都」山田邦和(報告)(同志社女子大学宗教部〈主催〉「教職員聖書研究会」、京田辺、同志社女子大学京田辺キャンパス、2018年7月4日)
◯「京都に棲み続ける『世間さま』─巨大村落都市としての洛中─」山田邦和(講演)(衆議院議員伊吹文明後援会「新しいいぶきの会」〈主催〉第35回伊吹文明政経セミナー「社会の掟である道義・規範を考える―『世間さま』を探す一日の旅―」、京都、国立京都国際会館、2018年8月3日)
◯「京都と天皇陵」山田邦和(講演)(花園大学「2018年度「京都学講座」『天皇・朝廷と京都』」、京都、花園大学無聖館ホール、2018年8月4日)
◯「保元・平治の乱」山田邦和(講演)(姫路市教育委員会主催「平成30年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉『中世の戦乱』」、姫路、姫路市市民会館、2018年8月6日)
◯「平安博物館の特質と意義」山田邦和(講演)(京都文化博物館〈主催〉「記念シンポジウム 世界の博物館史と平安博物館-ICOM(国際博物館会議)京都2019を見据えて-」、京都、京都文化博物館別館ホール、2018年8月12日)
◯「パネルディスカッション」村野正景・長村祥知(司会)、朧谷寿・山田邦和・渡邉淳子・古藤真平(パネラー)(京都文化博物館〈主催〉「記念シンポジウム 世界の博物館史と平安博物館-ICOM(国際博物館会議)京都2019を見据えて-」、京都、京都文化博物館別館ホール、2018年8月12日)


◯「京都学講座・院政期京都の研究4(3)平家の滅亡」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年1月19日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究4(4)平泉の奥州藤原氏とその滅亡」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年3月2日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究4(5)源頼朝と鎌倉幕府の成立」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年3月16日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究5(1)征夷大将軍論」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年4月20日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究5(2)鎌倉の混乱と承久の乱」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年5月18日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究5(3)京都と鎌倉の都市構造」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年6月22日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究5(4)後鳥羽上皇の新都市・水無瀬」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2018年7月20日)


◯「(1)淳仁・称徳天皇の保良宮・由義宮・改造平城京」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年1月19日)
◯「(2)桓武天皇の登場」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年2月9日)
◯「(3)長岡京遷都」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年3月23日)
◯「(1)平安京遷都」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年4月27日)
◯「(2)平安京の設計と実態」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年5月25日)
◯「(3)平安京の変容」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年4~6月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年6月22日)
◯「(1)平清盛と『福原遷都』計画」山田邦和(講師)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2018年7~9月期)、名古屋、栄中日文化センター、2018年7月27日)


◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(1)聖武天皇の『彷徨5年』」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年1月12日)
◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(2)恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮の構造」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年2月9日)
◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(3)現地見学 称徳天皇の西大寺を訪ねる」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年3月23日)
◯「聖武天皇と称徳天皇の複都制―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮・平城宮―(3)現地見学 称徳天皇の西大寺を訪ねる」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(4)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年3月23日)
◯「桓武天皇の登場と長岡京遷都(1)光仁天皇即位と桓武天皇の登場」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(5)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年4月13日)
◯「桓武天皇の登場と長岡京遷都(2)長岡京遷都」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(5)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2018年5月11日)
◯「桓武天皇の登場と長岡京遷都(3)(現地見学)長岡宮跡を訪ねる」山田邦和(講師)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(5)、向日、長岡宮跡、2018年6月8日)

2018.08.11

平安博物館回顧展、の巻

Photo
Img_6338

 7月10日から9月9日まで、京都文化博物館で「平安博物館回顧展―古代学協会と角田文衞の仕事―」を開催しています。平安博物館は、角田文衞先生が渾身の情熱を注ぎ込んで創り上げた空前にして絶後の研究機関でした。しかし、今の若い人たちはもはや平安博物館というのは知らないでしょうし、また、知っていたとしても紙の上の知識だけでしょう。この博物館を、できる限り蘇らせたのがこの展覧会です。しかしおそらく、もう二度とこのような「再現」の試みをやることはできないでしょうから、今は無き平安博物館を偲んでいただけるのは、これが最後のチャンスになろうかと思います。幸い、プロの研究者の皆さんにはたくさん見ていただいており、「面白かった」「すごかった」「角田文衞の『怪物』ぶりに圧倒された」などという感想をいただいております。あと1ヶ月、どうかお見逃しのないようにお願いいたします(会場は、ストロボや三脚さえ使わなければ、写真撮影自由〈キャプション、パネルを除く〉という大盤振る舞いです!)。
 なお、明日の12日の13:30分からは、朧谷寿先生と私が登壇し、この展覧会の記念シンポジウム「世界の博物館史と平安博物館」をおこないます。ウェブサイトによると、「ホームページからのお申込みは締切らせていただきました。若干お席に余裕がございますので、ご希望の方はお電話にてお問い合わせください」とのことですから、今からでもご参加いただける方は、京都文化博物館に問い合わせてみてください。よろしく。

2018.07.23

工藤静香Acoustic Live Tour 2018(於京都・城陽)、の巻

Img_6046
 7月21日(土)
 行ってきました! 工藤静香Acoustic Live Tour 2018―POP IN 私とピアノ‥そしてあなた―! 京都に来てくれたのがありがたい。ホールは京都府城陽市の文化パルク城陽プラムホール。京都市中心部からはちょっと離れているが、とても雰囲気の良いホールである。
 今回のライヴは、静香さんのヴォーカルと、澤近大輔さんのピアノだけという冒険的な組み合わせ。というのも、ピアノの場合、メロディー・ラインをヴォーカルと一緒に歌い上げることは得意中の得意である。ただ、普通のバンドならば、ドラムスやベースギターがリズムをきっちりと刻んで音楽を前へ前へと進めていくエンジン役を務めているのであり、そうした点ではピアノはどうしてもバンドには及ばない、ということになる
。そうすると、ヴォーカルが音楽全体の推進力を兼ねなければならないことになり、その負担はかなりのものとなる。静香さん、こんな挑戦をして大丈夫かな?、という不安を覚えざるを得なかったのである。
 しかし、これは完全に杞憂であった。静香さんのヴォーカルは、ある時には強烈なパワーを発して聴衆を圧倒し、またある時には繊細で叙情的なメロディーをじっくりと歌い上げる。ライヴに行くたびに、この人、こんなに上手かったんだ!と感動してしまうのである。澤近さんのピアノとの息もぴったりである。
 感動の2時間弱が終わって、会場の外に出ると、人の行列ができている。もしかして、と思ってその後ろにくっつく。会場を後にする静香さんの見送りでもできれば幸せだと思ったのだが、なんと静香さん、お疲れのはずなのに、観客のひとりひとりに握手で応えてくれている。ホント、ファンを大事にする人だな。この点でも感動。ちゃっかりと握手の栄に預かったものの、「また京都に来てください。待ってます」と言うのが精一杯だった(^^;;。
 最近、暑すぎるのと、ちょっといろいろ立て込んでいて、かなりくたびれていた。でも、このライヴ・コンサートで元気を取り戻せたような気がする。静香さん、ありがとうございましたm(_ _)m。

2018.06.29

中国(北京)旅行、の巻(2)

08
 6月10日(つづき)
(8)孔廟国子監博物館。ここも初めての訪問。牛教授の教え子が研究員をつとめているので、つきっきりで解説いただくのがありがたい。写真は国子監で皇帝が講義をした辟雍の天井の模様。なかなか綺麗に撮れた。

09
 6月11日(月)
(9)北行して、居庸関。左から、村元さん、私、牛先生。
10
(10)居庸関の万里の長城。風邪の症状がひどく、見上げると絶望的な気分になる。しかし、これを逃すと今度はいつ来れるかわからない。必死の思いで、よじ登る。
11
(11)明十三陵。以前に来たのは1979年だから、ほとんど40年ぶりだということになる。これは神宗万暦帝の「定陵」の墓室(地下宮殿)。
12
(12)定陵の墳丘。版築の痕がよくわかる。中国の古墳研究では、どういうわけか墳丘の部分には関心が薄いから、じっくりと見たくなってくる。
13
(13)明十三陵のうち、成祖永楽帝の「長陵」。これは墓室は未発掘だが、礼制建築群がよく残っている。

 6月12日(火)
午前は自由時間。村元さんは市内の本屋さんめぐりに出かける。私もついて行きたかったのだが、やはり風邪を直すほうに力点を置くべきだということで、ホテルでひたすらに、寝る。
 午後、牛先生の見送りを受けつつ、空港へ。ただ、上空の天候が悪いとかで、三時間以上も機内に閉じ込められる。関空着は22時30分を過ぎる。なんとか、最終よりひとつ手前のバスに乗り込んで、日付が変わる頃に京都着。風邪に祟られたということはあったが、良い経験をさせていただいた旅でした。牛先生、村元さん、ありがとうございました。

中国(北京)旅行、の巻(1)

 6月8日(金)
9時30分京都発の特急「はるか」に乗車。11時30分、関西国際空港で村元健一さん(大阪歴史博物館学芸員)と合流。ただ、飛行機がなかなか離陸せず、かなり遅れて北京に到着。北京空港では、セキュリティ・チェックがものすごく厳格になっており、長蛇の列に驚く。中国人民大学近くのホテル燕山大酒店に入り、招いてくださった牛润珍教授と合流。夕食は同大学内の立派なレストラン。

 6月9日(土)
残念ながら、雨。紫禁城の正陽門を眺めながら、北京の中心軸として整備された前門大街を散策。さらに天安門広場の横を通って紫禁城(故宮博物院)へ向かう。あちこちで、またまたセキュリティ・チェック。太廟、故宮博物院、鼓楼および烟袋斜街、前海・後海(大運河)と火德真君廟、オリンピック森林公園と回る。ただ、風邪をひいてしまったようで、だんだんに調子が悪くなってくる。
 01_2
(1)紫禁城の午門。以前に「桓武朝における楼閣附設建築」(『京都都市史の研究』所収)という論文を書いたことがあるので、感慨深い。
02_2
(2)紫禁城の太和殿。ここにくるのも久しぶり。
03_2
(3)もしかすると、今回、一番感激したのはこれかも。故宮博物院の解説装置は、中国語(漢語の普通話)が4種類(スタンダード版、詳細版、子供向け版、男女対話版)、広東語、閩南語(福建語)、チベット語、ウイグル語。さらに外国語は、英語、日本語など35言語(!)が用意されている。驚愕したのは、エスペラント語版までがちゃんと存在していること。帰国してから授業でとりあげてみたが、ウチの学生たちは誰ひとりとしてエスペラント語という言語の存在すら聞いたことがなかったぞ(泣)。日本では「国際化」などといってもしょせんはそれは「英語」オンリーで、良くても中国語(漢語の普通話だけか、またはそれに台湾の繁体字版を加えるくらい)と韓国語を加えるくらいだ。それに比べて中国のこの徹底ぶりはたしかに賞賛に値する!
04_2
(4)昼食は北京名物「老北京炸醤麺」。美味。
05_2
(5)北京の美しい公園「前海」「後海」。知らなかったのだが、隋の煬帝で有名な「大運河」が元の時代にここまで延長されたものだという。
そのあとは、新しい北京の中央軸を眺めることができるオリンピック森林公園に登る。

6月10日(日)
06_2
(6)10年ほど前に新設された「首都博物館」。ここに来るのははじめて。北京の歴史の常設展はなかなかに丁寧。
07_2
(7)首都博物館でやっていた特別展示「チベット歴史文化展」。


2018.06.07

明日から中国

 明日の6月8日(金)から12日(火)まで、5日間だけではありますが、中国(北京)にでかけます。中国人民大学の牛润珍教授が主催される共同研究「中世紀東アジア都城研究国際学術会議」に誘っていただきました。2012年に大病をして以来、海外旅行はずっと自粛してきたのですが、「解禁」ということになります。それでは、行ってきます。

2018.05.07

今城塚古墳ほか、の巻

Img_4694
 5月5日(土)
 この連休は、めずらしく、予定が詰まっているということにはならなかった。まあ、たまには骨休めの時間があってもよい。
 ただ、行っておかねばならないところはある。ということで、大阪府高槻市行き。

 高槻市駅で降りたが、バスの時刻まではかなり時間があるので、反対側に歩いて、普門寺を訪ねることにする。いうまでもなく、足利義栄が陣所とし、ここで征夷大将軍の宣下を受けて室町幕府の15代(14人目)将軍となったものの、ついに上洛を果たせずに終わったという史跡である。どういうわけか、いままで行ったことがなかった。ただ、拝観は予約制で午後限定ということで、門がしまっていたのは残念。
 そのまま今城塚に向かおうと駅に向かうと、途中に酒蔵の販売店があって、地酒の試飲ができるという。ついフラフラと誘いにのってしまう。濃厚で、なかなかの銘酒。帰りに求めることにする。

 バスに乗って、おめあての今城塚古代歴史館の特別展「古代の日本海文化‐太邇波の古墳時代‐」。5月13日までなので、今、行っておかねば、絶対に見逃すことになる。京都府北部の最新の古墳時代研究の精華を学ばせてもらう。そのあとは、今城塚古墳を散策。

 知らなかったのだが、お隣の茨木市文化財資料館では、企画展として「太田茶臼山古墳と古市古墳群」をやっているという。やはりこの機会を逃さない方がよいだろう。阪急で南茨木駅まで行って、文化財資料館を訪れる。展示は小さいが、これも古市古墳群の新しい情報を得ることができる。さらに、受付で、茨木の「隠れキリシタン」関係の図録などを買い込む。

 高槻に戻って、今度は高槻市立しろあと歴史館。これも5月13日までで、「樫田―丹波の山村と仏像・信仰―」展。樫田は高槻市最北端の山間部の村だが、実はここは摂津国ではなく丹波国。江戸時代には丹波の亀山藩領で、昭和33年までは京都府だった。ただ、京都府亀岡市まではかなり遠く、住民の生活は高槻とのつながりが深かった。ということで、当時としては珍しい府境を超えた合併がおこなわれ、京都府から切り離されて大阪府高槻市に編入されたところである。平安前期の仏像などが大切に守り続けられていたことを知る。

2018.05.02

考古学研究会2018年度大会、の巻

Img_4584(←岡山大学考古学資料展示室)

 4月21日(土)22日(日)
 岡山大学での、考古学研究会の第64回(2018年度)大会に出かける。
 考古学研究会、いうまでもなく、わが国を代表する考古学の学会のひとつであり、学術雑誌『考古学研究』を出し続けている。私がこの学会に入会したのは大学の学部2回生の時だから、会員歴はほとんど40年にわたっているということになる。ところが、会員歴はこれだけ長いのに、どういうわけか、これまで大会に参加したことがなかった。毎年四月という、新年度はじまったばかりのちょっとバタバタしている時期だからということもあり、いままで足を伸ばせなかったのである。
 でも、やはりちょっと反省。会員なのだから、大会に出席する権利は充分に持っている。今年の大会テーマは「権力とは何か-祭祀・儀礼と戦争から考える-」というなかなか魅惑的なものだから、やはり参加して勉強させてもらうことにしよう、ということで、出かけていったのである。
 岡山大学も、考古学研究室の新泉納教授や清家章教授にはこれまでもいろいろ良くしていただいてきたのであるが、大学自体には足を踏み入れるのは初めてである。考古学資料展示室の見学の時間も設けられている。そんなに規模は大きくないけれども、充実した内容の展示は羨ましい限りである。
 大会では、アンデス、ハワイ、縄文、弥生、古墳、そして飛鳥・奈良という広分野にわたっての研究発表が続く。関雄二氏のアンデスは学ぶところ大。ハワイをやられた後藤明先生(南山大学教授)は、元同志社女子大学教授で、私が同女に入る時にお世話になり、仕事をご一緒させていただくのを楽しみにしていたのであるが、私と入れ違いで同志社女子から転出された。久しぶりにお目にかかり、視野を広げさせてもらう。
 懇親会も大いに楽しませてもらい、さらに、例によっての二次会。これも例によって、ちょっと飲み過ぎ。
 知らなかったのだが、閉会にあたって、会場から「コメント」をもらうことが恒例になっているとのことで、どういうわけか私が指名を受ける。ただただ謝意を表するのみ。
 良い会でした。いままで参加しなかったのが悔やまれる。これからは、できるだけ毎年でかけることにしよう。

 追記:
 岡山大学考古学研究室を長く率いてこられた新納泉先生、昨年度で定年を迎えられ、今年度からは特任教授となられたという。もちろん、これからも精力的な活動を続けられるのであろうが、定年という一応の区切りを自祝してエッセイ集「蜻蛉遊記」を自費出版されたとのことで、同書をちょうだいすることができた。すばらしく瑞々しい感性があふれる端正なエッセイの数々、特に、イギリス、アイルランドでの(失敗譚も含めた)軽妙な語り口の体験談に魅了される。

2018.03.28

まもなく新年度、の巻

Img_4146
(桜景色の平安宮大極殿跡碑)

卒業式が終わり、春がきて桜景色。まもなく新年度がはじまる。

【書いたもの】
■『京都・平泉・首里―都市と宗教・信仰―』高橋康夫・伊ケ崎鷹彦(編)、髙橋康夫・山田邦和・冨島義幸・伊ケ崎鷹彦(著)(「2015年度~2017年度科学研究費補助金 基盤研究(B) 研究課題番号15H04110 研究成果報告書」、京都、ユーラシアのなかの日本中世都市研究会(髙橋康夫〈研究代表者〉)、2018年3月16日)全370頁
~◇山田邦和(著)「世界のなかのアジア古代都市」4~8頁
~◇山田邦和(著)「平安京・京都と天皇陵―葬制の変遷と『天皇陵空間』―」15~96頁

【しゃべったこと】
○「考古学的遺跡・遺物からみた南山城の歴史―恭仁京復元への試み―」山田邦和(報告)
(京都府立京都学・歴彩館「南山城の文化資源共同研究会中間報告会」、京都、同館京都学研究室、2018年1月6日
○「中世都市としての天橋立」山田邦和(講演)
(京都府、宮津市、伊根町、与謝野町、天橋立を世界遺産にする会(主催)「天橋立世界遺産講演会」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2018年2月4日)
○「豊臣秀吉の政権構想と京都」山田邦和(講演)
(京都商工会議所(主催)「京都検定講演会『信長・秀吉と京都(2)』」、京都、京都商工会議所、2018年2月10日)
○「『鎌倉との比較』から見た'中世の嵯峨’」山田邦和(講演)
(NPO法人さらんネット(主催)「第15回文化講演会」、京都、ひと・まち交流館 京都、2018年2月17日)
○「中世京都の都市構造」山田邦和(講演)
(京都市生涯学習総合センター・京都市生涯学習振興財団(主催)「アスニーセミナー(京都市平安京創生館関連講座)」、京都、京都アスニー、2018年3月2日)
◯「大会報告『都市の荘厳―幢幡を立てる儀礼をめぐって―』質疑・討論」舘野和己・山田邦和(座長)、志村佳名子・大澤正吾・海野聡(パネラー)
(条里制・古代都市研究会「第34回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2018年3月3日)

2018.02.25

四条塚山古墳(治定綏靖天皇陵)、の巻

 Img_0772←山田蔵本『文化山陵図』にみる四条塚山古墳(現在の治定神武天皇陵)

 2月23日(金)
 「陵墓関係16学・協会」による、「陵墓立ち入り調査」。今年度の対象は奈良県橿原市の四条塚山古墳(宮内庁治定の綏靖天皇桃花鳥田丘上陵<つきだのおかのえのみささぎ>)。

 整理しておくと、初代天皇である神武天皇の陵については、洞の丸山、四条塚山、山本ミサンザイの三説が拮抗していた。元禄の修陵で神武天皇陵とされたのは四条塚山であったが、その後には本居宣長らによる洞丸山説が勃興、そちらに決まりかけたかと思ったのであるが、幕末に谷森善臣による山本ミサンザイ説が急迫する。結局、孝明天皇の勅裁を得て山本ミサンザイに決定、宇都宮藩の「文久の修陵」によってそれを整備したのが現在の神武天皇陵なのである。そして、神武天皇陵争いに敗れた(?)四条塚山は第2代の綏靖天皇陵に治定替え、また洞丸山は神武天皇陵の付属地に編入され、さらには洞丸山の麓に広がっていた洞村は紆余曲折のあげくに村ごと移転した、ということになる。つまり、今回の四条塚山古墳は、もとの「神武天皇陵」だということになるのである。

 本体の四条塚山の見学に先立って、10時に近鉄畝傍御陵前駅に集合し、大正時代まで存在していた洞村<ほらむら>の跡の見学。この場所は宮内庁治定の神武天皇陵の陵域(畝傍御陵地)に含まれていて立ち入りには宮内庁の許可が必要なため、私も入ったことがなかった。ただ、宮内庁の方針により、今回は洞丸山のところまでの見学は許可外となったのはいささか残念。

 昼休みを利用して、橿原市の「大久保まちづくり館」を見学。来たい来たいと思っていたのだが、今までその機会を逃していた。大正の姿を残す大規模な住宅建築を保存しており、内部には模型やパネルによって洞村の移転とそれによって成立した(新)大久保村の歴史がわかりやすく展示されている。ちょっと嬉しいのは、この展示の中でパネルに使われている神武天皇陵の絵図の写真のうち、2枚は私の所蔵品であること。お役にたてて何よりである。
 まちづくり館で教えてもらって、昼食はその近くの大衆食堂「ほていや」。小さな店であるがメニューが豊富で、昼のお弁当定食はいずれも550円というリーズナブルさ。

 午後、いよいよ本番の四条塚山古墳の立ち入り。まずは拝所にたっている石灯籠(福尾正彦「綏靖天皇陵前東側所在の石灯籠について」〈高木博志・山田邦和編『歴史のなかの天皇陵』所収、京都、思文閣出版、2010年〉、参照)の観察。そして墳丘のところによっていく。ただ、今回はどういうわけか墳丘の間近まで寄ることが許されなかったので細部の観察ができなかったのは遺憾であるが、古墳であることは間違いない。ただ、従来、測量図から測定していたよりもかなり規模は小さくなると思う。このあたりは、見学終了後に橿原市万葉ホールの講座室をお借りしておこなった検討会でも議論となった。

 最後は、例によっての有志で八木駅前に移動しての呑み会。ここでも濃い議論が続く。

2018.02.22

沖縄旅行、の巻

 2月18日(日)~20日(火)
 沖縄行き。今回は完全に、沖縄の御嶽・拝所めぐりに熱を入れている妻のお供で、友人に会う時間さえとれないという強行軍。
 普天間宮と神宮寺。浜比嘉島で御嶽・拝所めぐり、同島で宿泊。今帰仁まで行って、「源為朝上陸記念碑」と、今帰仁グスクでガイドさんを頼んで「今帰仁上り」の御嶽・拝所めぐり。今帰仁文化センターを駆け足で見学したあと、沖縄料理の「名護曲レストラン」で遅い昼食。宜野湾市の「森の川」になんとか滑り込んだあと、遅くに那覇に戻る。翌日は、那覇市小禄地区で街並み見学。モノレールでホテルに戻り、そこから車で海軍壕公園と豊見グスク跡。

Img_3477
 浜比嘉島での朝日。こんなに綺麗な夜明けは久しぶり。

Img_3613
 今帰仁の御嶽のひとつ、「ティラガマ」。伝説ではあるが、源為朝(!)が逃げてきて沖縄の運天に上陸し、この洞窟に隠れ住んでいたという(!)。洞窟の壁の窪みがなんとなく手形に似ているので、為朝の手形と言われている。私の手よりも何倍も大きいぞ。

Img_3669
 森の川。宜野湾市博物館の近くの公園にある泉。天女が降臨し、地元の人と結婚して、中山王になる察度を産んだという。時代も空間も違うが、飛鳥の酒船石遺跡を思いおこしてしまう。

2018.02.14

「豪商の蔵―貝塚廣海家コレクション」展、の巻

Photo

 2月14日(水)
 京都国立博物館の貝塚廣海家コレクション受贈記念  豪商の蔵―美しい暮らしの遺産―」展に出かける。2月3日から3月18日まで。泉州貝塚(大阪府貝塚市)の廻船問屋の豪商であった廣海家に所蔵されていた膨大な量の美術品を展示する展覧会である。見てみると、確かに凄い。茶道具などの水準の高さにも感じ入るし、豊臣秀吉の書状とか、明月記の写本(確認していないが、おそらくは室町時代の摹本<もほん>)の断簡、古墳時代の単鳳環頭大刀柄頭や金環、平安時代の銅経筒(花入に改造)など、私の観点からしても興味深い物も含まれている。中国南部の銅鼓にいたっては、なんでこんなものまであるんだ!という感じ。

 実は、私の母はこの泉州の貝塚の出身。そして、母から聞いたところでは、母の、母方の曽祖父というのが明治時代にこの廣海家の支配人(大番頭)を務めていたのだという。この展覧会の図録の解説にも、明治20年代に北海道に魚肥の大量買い付けに出かけた人物として支配人の治平という人が出てくるのだが、この治平さんこそ、母の曽祖父すなわち私の先祖にあたる方だということになる。ぜんぜん知らなかったのだが、私自身の源流の一端がこんなところで飛び出したことは、なんだか嬉しい。

2018.02.03

2018年節分、の巻

Img_3274
Img_3283_3

 2018年2月3日(土)
 節分、というか、私の誕生日。大台まであと僅かである。それにしても、以前だったら私の誕生日には必ず雪が積もっていた。今年は稀にみる寒冬だったから、今日は雪だろうと予想していたが、大外れ。京都の冬にしてはどちらかというと暖かい部類である。

 やはりどこかにお詣りを、と思うが、人混みにさらされるのは好きじゃない。と、いうことで、「京の伊勢」の異名をもつ、東山の日向大神宮。我が家の菩提寺の安養寺と参道入り口が共用(?)なので、私としては子供の頃から親しんできた神社である。ただ、観光スポットではなく、知る人ぞ知る、という神社だから、落ち着いてお詣りできる。
 上の写真は、外宮。奥に見えているのが内宮。小さいながら、伊勢の神宮そのまま。神明造の社殿がうつくしい。山の上にある伊勢神宮遥拝所までえっちらおっちらと登ると、平安神宮の大鳥居から御所、船岡山、そして左大文字までが一望の絶景。また、内宮の上には「天の岩戸」という洞窟。
 この神社、社伝ではなんと、顯宗天皇の御代(!)に伊勢から勧請されたという。裏付ける史料はないし、社伝は社伝、としか言えないだろうが、京都で顯宗天皇の名を聞くというのはかなり珍しく、これはちょっと面白い。

2018.01.24

東寺の初弘法、の巻

Img_3054

1月21日(日)
 自動車の免許更新に行くつもりだったが、ハッと気づくと、21日だった。つまり東寺の初弘法(新年度最初の弘法市)の日である。このごろ弘法さんには日が合わなくてご無沙汰だったし、免許の話は来週に回すとして、東寺に出かける。
 まずは、東寺の北側の川魚屋さん「鮒末」で、名物の「まむし(ウナギ丼)」。店の正面でどんどんウナギを焼く。普段は店売りだけで、弘法さんの市の日だけ、室内で丼を食べることができる。なかなかの美味。続いて、東寺の境内に分け入り、人波に揉まれながら、あちらこちらと屋台を冷やかす。西院の御影堂(大師堂)は建物修理中により、仮堂でお大師様を拝む。同じく西院の毘沙門堂では、お坊さんが一心に護摩祈祷中。燃え上がる炎に、しばし見とれる。

2018.01.22

ジャッド指揮京都市交響楽団、の巻

20180121105700

 1月20日(土)
 京都市交響楽団第619回定期演奏会。指揮はイギリス人でイスラエル交響楽団音楽監督、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督をつとめるジェームズ・ジャッド、独奏ヴァイオリンは木嶋真優。曲目はプロコフィエフのヴァイオンリン協奏曲第2番、ホルストの組曲「惑星」である。
 ジャッドという指揮者、私は聞くのは今回が初めて。お目当ての「惑星」は、驚くようなエネルギッシュかつパワフルな演奏。火星とか木星では、痛快に連打される打楽器に乗って、京響がこれまで聞いたことがなかったような大音量を出している。しかし力で押しまくるだけではなく、水星でのチェロの艶やかな響きも印象的だった。

 夜は、妻に連れられてお酒の会。ちょっと飲みすぎる。

2018.01.03

2018年新年、の巻

Img_2591(← 今年の初詣は下鴨神社〈賀茂御祖神社〉)

 みなさま、あけましておめでとうございます。旧年中はさまざまな分野でお世話になりました。今年は、焦らず、マイペースで、しかも着実に、いろいろなことに取り組んでいきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

2017.12.31

2017年、やったこと、の巻

Img_0640_2(←宮城県仙台市の大崎八幡宮の絢爛豪華な本殿〈国宝〉)
 12月31日(日)
 今年ももうおしまい。今年、悲しかったのは、なんといっても愛犬クイールと別れなければならないことだった。

 バックに流すベートーヴェンの交響曲第9番、今年はアンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による1957年の録音。声楽はグレ・ブロウェンスティーン(ソプラノ)、ケルステン・マイヤー(メゾ・ソプラノ)、ニコライ・ゲッダ(テノール)、フレデリック・ガスリー(バリトン)、声楽はベルリン聖ヘドヴィヒ大聖堂合唱団である。クリュイタンスのベートーヴェン交響曲全集の一枚。ちょっと不思議なことなのは、ベルリン・フィル最初のベートーヴェン交響曲全集という栄誉を担う録音であるというのに、音楽監督のヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮ではなくベルギー生まれのクリュイタンスが起用されている。カラヤン就任からまだ2年足らずしかたっていないということもあるのかもしれないが、あの独占欲と自己顕示欲の強いカラヤンが、よくベートーヴェンを他人に委ねることを許したな、と思う。
 演奏は、悠揚迫らぬ落ち着いたテンポで進められる、クリュイタンスらしい気品あるもの。第4楽章においても、決してオケを煽り立てて興奮をかきたてるようなことはしない。もうちょっと高らかに歌い上げてもよいのに、と思うほどの抑制のきいた演奏である。でも、特別な時ではなく日常的に聴くためには、これくらいのほうがよいのかしれない。

 さて、恒例の「今年やったこと」。
 なんといっても大きかったのは、ずっと懸案だった『京都 知られざる歴史探検(上・下)』が刊行できたこと。いろんな人から「面白かった」「知らないことがいっぱいだった」と言ってもらえたのは嬉しい。売れ行きも好調のようで、これもありがたい。私にとっても代表作のひとつができたかな、と思う。
 また、角田文衞先生の"第2著作集"である『角田文衞の古代学』も刊行開始され、その一冊目の「自叙伝」が刊行できたことも、万分の一ながら先生へのご恩返しができたような気分。
 論文は、「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」と「森浩一の須恵器研究」の2本。前者の完成によって、私独自の平安京変遷の体系化にメドがついた。

 さて、来年はどんな年になりますやら。とにかく無理せず、ゆっくりと、自分のやるべきことを着実に積み重ねていきたいと思う。それではみなさま、どうか良いお年をお迎えください。

【単著書】
『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全286頁
『京都 知られざる歴史探検(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全285頁

【共著書】
■『「天橋立学」への招待―"海の京都"の歴史と文化―』天橋立世界遺産登録可能性検討委員会(編)、宗田好史・仲隆裕(編集委員)宗田好史・上杉和央・仲隆裕・深町加津枝・奥敬一・森宣和・山口睦雅・高原光・赤瀬信吾・天野文雄・吉野健一・山田邦和・菱田哲郎・上田純一・福島恒徳・吹田直子・今井一雄・小田彰彦(著)(京都、法蔵館、2017年3月12日)全321頁
 ~◇山田邦和(著)「天橋立の歴史的景観」211~221頁
 ~◇山田邦和(著)「宗教都市としての天橋立」248~252頁
■『京の三条―SANJO STREET―』京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉(編)山田邦和・笠原一人・大塚活美(執筆)(京都、京都文化博物館地域共働事業実行委員会〈京都府・京都文化博物館・姉小路界隈を考える会・京の三条まちづくり協議会〉、2017年3月〈発行日記載なし〉)、全14頁
 ~◇山田邦和(著)「三条通を俯瞰する―三条通の歴史をひもとく―」2~4頁
■『京の三条 Sanjo-dori, Kyoto―SANJO STREET―』The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference)(Compiled)Kunikazu Yamada, Kazuto Kasahara, Katsumi Otsuka(Author), Kyoto, The Museum of Kyoto Neighborhood Joint Executive Committee(Kyoto Prefecture, The Museum of Kyoto, Aneyakoji Neighborhood Association, Kyoto Sanjo Machizukuri Conference), March, 2017〈day,unknown〉,pp.1-14
 ~◇Kunikazu Yamada(Author)"A Bird's-Eye View of Sanjo-dori ―Unraveling Its Historiy―"pp.2~4
■『京の三条 京都的"三条通"-SANJO STREET-』京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府・京都文化博物馆・姊小路区域侦探讨会・京都三条城区规画协会〉(编辑)山田邦和·笠原一人·大冢活美(执笔)(京都京都文化博物馆区域联锁项目实行委员会〈京都府政府・京都文化博物馆・姊小路区域侦探讨会・京都三条城区规画协会〉,2017年3月〈没有发行日期记载〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三条通-解读"三条通"的历史-」2~4頁
■『京の三條 京都的"三條通"-SANJO STREET-』京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉(編輯)山田邦和·笠原一人·大冢活美(執筆)(京都,京都文化博物館區域聯動項目実行委員會〈由京都府政府·京都文化博物館·姉小路區域探討會·京都三條城區規劃協議會〉,2017年3月〈沒有発行日期記載〉),全14頁
 ~◇山田邦和(著)「俯瞰三條通-解讀”三條通"的歴史-」2~4頁
■『京の三条―교토의 산조 도리(거리)―』교토 문화박물관 지역혐동사업 실행위회 <교토부·교토 문화박물관·아네야코지 일대를 생각하는 모임·교토의 산조 동내 만들기 협의회>(편집)야마다 구니카즈・가사하라 가즈토・오쓰카 가쓰미(집필)(교토,교토의 산조 동냬 뫈들기 혐의회,2017년3월〈「일」은 기재되지 않고 있다〉),전체로 14페이지 있다
 ~◇야마다 구니카즈(집필)「산조 도리(거리)를 부감한다―산조 도리(거리)의 역사를 펴서 읽는다―」,2-4페이지
■『第13回京都検定 問題と解説』京都新聞出版センター(編)、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・丘眞奈美・清原邦雄・黒田正子・髙橋寛・徳丸貴尋・十倉良一・中村武生・西村彰朗・細田香織・前川佳代・三谷茂・村岡真千子・町田香・萬谷彰三・山田邦和(執筆)(京都、京都新聞出版センター、2017年6月30日)、本文255頁(分担頁不記載だが、山田執筆は「3級1(4)」009頁、「3級1(5)」010頁、「2級1(4)」107頁、「2級1(5)」108頁、「1級1(4)」203頁)
■『同志社女子大学史料センター第22回企画展示「同志社女子大学のキリスト教主義教育 愛以貫之」展示目録』同志社女子大学史料センター(編)、山田邦和〈史料センター長・運営委員長〉、飯田毅・川田隆雄・北村博子・神田知子・松野浩之・三橋美和・仲万美子・中山まき子・大島中正・斎藤朱美・玉田佳子〈2017年度史料センター運営委員〉、小崎眞〈専門委員〉、塘利枝子〈学術情報部長〉(京都、同志社女子大学史料センター、2017年11月17日)、全26頁(山田執筆:「はじめに」〈1頁〉、その他、執筆分担明記なしだが、「Ⅰ キリスト教の伝来と同志社」〈2~8頁〉が山田執筆)

【編著(共編著)】
『角田文衞の古代学 4「角田文衞自叙伝」』角田文衞(著)、古代学協会(編)、山田邦和・吉川真司(責任編集)(京都、古代学協会、〈発売所:東京、吉川弘文館〉、2017年10月31日)、全406頁
 ~◇山田邦和(補註)「角田史学の構想~補註」283~297頁
 ~◇山田邦和(著)「[解題] 角田文衞の軌跡」389~405頁

【監修の書物】
■『徳川家康(新装版)』松本清張(文)寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫1」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1982年9月30日発行〉)、全337頁
■『豊臣秀吉(新装版)』岡田章雄(文)寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫2」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1981年11月19日発行〉)、全205頁
■『武田信玄(新装版)』木暮正夫(文)寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫3」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1986年6月15日発行〉)、全179頁


【論文】
「平安京の都市的変容―京・鎌倉時代における展開―」山田邦和(著)(『条里制・古代都市研究』第32号、東大阪、条里制・古代都市研究会、2016年3月1日)、1~18頁
「森浩一の須恵器研究」山田邦和(著)(『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2017年10月26日)、107~133頁

【その他の著作】
■『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』歴史群像編集部(編)、かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・小沼理・丹羽篤志)(編集)板垣真誠・伊藤展安・香川元太郎・黒澤達矢・中西立太・藤井康文(鳥瞰イラスト作成)、小田和利・山田邦和・平井聖・九州歴史資料館・平山優・和根崎剛・西ヶ谷恭弘・福島克彦・中井均・跡部信・坂井尚登・勝見譲・越中哲也・村松伸・伊東宗裕・山村竜也・中村武生・有坂純(イラスト監修)(「学研ムック」、東京、学研プラス、2017年1月12日)、全143頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「平安京―平安時代―」13~16頁
 ~◇黒澤達矢(イラスト)、山田邦和(イラスト監修)「戦国の京都―戦国時代―」69~72頁
■「書評『世界遺産と天皇陵古墳を問う』編・今尾文昭、高木博志」山田邦和(著)(『京都民報』第2775号、京都、京都民報社、2017年2月26日)、5頁
■「新刊紹介 歴史家の案内する京都 山田邦和他編著」山田邦和(著)(『同志社時報』第143号、京都、同志社、2017年4月1日)、85頁
■「三笠宮崇仁親王殿下の薨去」山田邦和(著)(『土車』第131号、京都、古代学協会、2017年3月20日)、1頁
■「角田文衞『平安京と羅城門』解説」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、7頁
■「清水睦夫博士の逝去」山田邦和(著)(『土車』第132号、京都、古代学協会、2017年6月20日)、8頁
■「全体討論『宗教都市』奈良を考える」佐藤亜聖・大田壮一郎(討論司会)、河内将芳・高谷知佳・狭川真一・前川佳代・山田邦和・吉澤悟・大藪海・仁木宏・山川均・幡鎌一弘・五味文彦(討論発言)(中世都市研究会(編)五味文彦・佐藤亜聖・前川佳代・狭川真一・山川均・高谷知佳・吉澤悟・河内将芳・幡鎌一弘(執筆)『「宗教都市」奈良を考える』所収、東京、山川出版社、2017年8月31日〈全239頁〉)、山田発言は205~239頁中の214・215頁
■「歴史探検の楽しみ(上)」山田邦和(著)(『中日新聞』2017年12月12日号朝刊、名古屋、中日新聞社、2017年12月12日)、15頁、および(『東京新聞』2017年12月17日号朝刊、名古屋、中日新聞社、2017年12月17日)、21頁
■「歴史探検の楽しみ(下)」山田邦和(著)(『中日新聞』2017年12月19日号朝刊、東京、中日新聞東京本社、2017年12月19日)、15頁、および(『東京新聞』2017年12月24日号朝刊、東京、中日新聞東京本社、2017年12月24日)、21頁
■「『角田文衞の古代学』刊行開始」山田邦和(著)(『土車』第133号、京都、古代学協会、2017年12月20日)、1頁

【学会報告・研究会報告など】
◯「(調査レポート)質疑・討論」山田邦和・舘野和己(座長)、山本亮・滝沢匡・猪狩俊哉・坂本嘉和・堀内和宏(パネラー)(条里制・古代都市研究会「第33回条里制・古代都市研究会大会」、奈良、奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2016年3月5日)
○「鴨川の禹王廟と治水神信仰」山田邦和(記念講演)、(治水神・禹王研究会「第4回総会・研究大会」、京都、佛教大学1号館415教室、2017年3月26日)
◯「討論」仁木宏・山田邦和(司会)、河内将芳・長宗繁一・登谷伸宏(パネラー)、中村武生(関連報告)(第34回平安京・京都研究集会「東山大仏と豊臣政権」、京都、機関紙会館、2017年5月7日)
◯「世界遺産と天皇陵古墳を問う」今尾文昭・大平聡(報告)、高木博志・山田邦和(コメント)(日本史研究会古代・近現代史合同部会「世界遺産と天皇陵古墳を問う」、京都、機関紙会館、2017年6月10日)
 ~◇「『陵墓』の名称問題をめぐって」山田邦和(コメンテーター)、日本史研究会 古代・近現代史合同部会「世界遺産と天皇陵古墳を問う」、京都、機関紙会館、2017年6月10日)

【講演】
◯「【鳥辺野】考古学者と巡る清水坂、生と死が交差する周縁の地―陰陽師や非人たち最大の根拠地、死者の都市・鳥辺野へ―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、京阪清水五条駅集合。松原橋、物吉村跡、西光寺、六波羅蜜寺、六道珍皇寺、清水坂、大谷本廟、妙見堂、鳥辺山墓地、安祥院、清水寺を見学、2017年1月22日)
◯「豊臣秀吉の天下統一と首都づくり―御土居・聚楽第・伏見城―」山田邦和(講師)いなべ市教育委員会生涯学習課〈主催〉「いなべ市民大学講座―平成28年度生涯学習事業―」第5回いなべ員弁コミュニティプラザ2017年2月5日
○「京の武士と町衆―洛中洛外図の時代―~パネルディスカッション」山田邦和(コーディネーター)、マシュー・スタブロス、川嶋將生、三枝暁子(パネリスト)(京都府立京都学・歴彩館〈主催〉、京都府立大学〈共催〉平成28年度国際京都学シンポジウム「京<みやこ>の武士と町衆―洛中洛外図の時代―」、京都、京都府立京都学・歴彩館大ホール、2017年3月19日)
○「信長は何をめざしたか―将軍か関白か太政大臣か―」山田邦和(講師)(シニア文化塾事務局〈主催〉「南河内シニア文化塾」平成29年度前期講座〈歴史コース〉、富田林、すばるホール、2017年3月21日)
◯「天下人秀吉のふたつの伏見城」山田邦和(講師)(京田辺市・京田辺市教育委員会・同志社大学〈主催〉「2017(平成29)年度 京たなべ・同志社ヒューマンカレッジ」、京田辺、同志社大学京田辺校地恵道館、2017年5月20日)
◯「白河・鳥羽」山田邦和(講演)(姫路市教育委員会主催「平成29年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉」、姫路、姫路市市民会館、2017年6月19日)
◯「京都学へのいざない」山田邦和(講演)(2017年度私立大学図書館協会西地区部会京都地区協議会第1回研究会「世界へ翔け! 京都学 」、京都、京都府立京都学・歴彩館小ホール、2017年6月30日)
◯「須恵器の編年と森浩一先生」山田邦和(講演)(森浩一先生に学ぶ会(主催)「第3回 森浩一先生に学ぶ講演会」、泉大津、泉大津高校同窓会館、2017年8月6日)
◯「聖武天皇の首都構想―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮の三つの都―」山田邦和(講演)(「けいはんな学研都市7大学連携 市民公開講座2017」、京都府精華町、国立国会図書館関西館、2017年9月15日)
◯「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈千石荘公園、清水山古墳跡、天塚古墳、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2017年9月16日)
◯「《座談会》『森浩一古代学』を語る」山田邦和(司会)、川崎保・松田度・辰巳和宏・深萱真穂・今尾文昭・前園実知雄・小泉武夫(パネラー)(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』、春日井、春日井市民会館、2017年11月12日)
◯「世界遺産と天皇陵古墳」山田邦和(講演)(京都高等学校社会科研究会〈主催〉「秋季研究会~シリーズ・関西フィールドワーク『埴輪・古墳・天皇陵―北摂を歩く―』、高槻、高槻現代劇場(市民文化会館)、2017年11月25日)
◯「【室町幕府】考古学者とめぐる義満の王都、巨大権力の中枢・花の御所と相国寺へ―史上最高・幻の七重塔はどこにあった!?“日本国王”義満の最強首都構想―」山田邦和(ガイド)(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都地下鉄今出川駅集合〈相国寺山門、塔の段町(相国寺大塔跡)、相国寺境内、相国寺慈照院前、同志社大学寒梅館、持明院御所跡(光照院)、細川邸跡、小川通、畠山図子、花の御所跡を見学〉、2017年11月25日)
○「王朝貴族の􏰀理想郷・宇治」山田邦和(講演)(公益財団法人JR東海生涯学習財団〈主催〉、ジェイアール東海エージェンシー〈企画・運営〉「講座 歴史の歩き方」第80回「宇治のものがたり―境界の風土が生み出した文学、戦、極楽浄土―」、東京、よみうりホール、2017年12月1日)
○「信長・秀吉と京都(1)織田信長の政権構想と京都」山田邦和(講演)(京都商工会議所〈主催〉「平成29年度京都検定講演会(Fシリーズ)」、京都、京都商工会議所、2017年12月16日)

【講座】
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(3)平治の乱の勃発」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年1月20日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(4)平治の乱の展開」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年2月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究2」「(5)平清盛の栄華と建春門院」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年3月17日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(1)六波羅と法住寺殿」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年4月21日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(2)福原遷都とその挫折(1)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年5月19日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(3)福原遷都とその挫折(2)」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年6月16日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(4)福原京の復元」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年7月21日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究3」「(5)以仁王の変と治承・寿永の内乱の勃発」山田邦和(講座)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年9月29日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究4」「(1)以仁王の変と清盛の死」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年10月20日)
◯「京都学講座・院政期京都の研究4(2)源頼朝と源義仲」山田邦和(講師)(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年11月17日)
—————————————————————*—————————————————————————
◯「(1)皇室の菩提寺『御寺』泉涌寺と月輪陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年1月20日)
◯「(2)明治・大正・昭和天皇陵」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年2月17日)
◯「(3)天皇陵・拾遺」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年3月24日)
◯「(1)ヤマト政権歴代の「都」と大型古墳」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月28日)
◯「(2)飛鳥の都」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「天皇陵問題を考える」(2017年1~3月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年4月年5月26日)
◯「(3)天智天皇の近江大津宮」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年4~6月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年6月23日)
◯「(1)唐の長安と洛陽」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年7月28日)
◯「(2)孝徳天皇の難波長柄豊碕宮」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年8月25日)
◯「(3)天武天皇の飛鳥と難波」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年10月6日)
◯「(1)持統天皇の藤原宮と新益京」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2017年11~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年10月27日)
◯「(2)青丹よし奈良の都―平城京―」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2017年11~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年11月17日)
◯「(3)聖武天皇の三つの都―恭仁宮、難波宮、紫香楽宮―」山田邦和(講座)(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」(2017年11~12月期)、名古屋、栄中日文化センター、2017年12月22日)
—————————————————————*—————————————————————————
◯「明治維新と京都の近代化(1)明治天皇の東幸と京都の衰退」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年1月13日)
◯「明治維新と京都の近代化(2)京都の近代化」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年2月10日)
◯「明治維新と京都の近代化(3)(現地見学)琵琶湖疏水とインクライン」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(48)、京都、琵琶湖疏水・インクライン・琵琶湖疏水記念館を見学、2017年3月10日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(1)弥生時代から古墳時代の京都盆地」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(2)巨大古墳の時代の京都」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年4月14日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)恵解山古墳と勝龍寺城跡」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(1)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年6月9日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(1)嵯峨野・太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都朝日カルチャーセンター京都、2017年7月14日)
◯「嵯峨野・太秦の古墳と古代寺院(2)秦氏と広隆寺」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年8月4日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)太秦の古墳群」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、天塚古墳、蛇塚古墳、2017年9月29日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(1)『大化改新』と天智天皇・藤原鎌足」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年10月13日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(2)(現地見学)天智天皇の大津宮跡を訪ねる」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、大津、近江大津宮跡・近江神宮、2017年11月3日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(3)奈良時代の京都盆地の寺院・集落」山田邦和(講座)(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年12月8日)

【テレビ出演】
◯『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第75回「歴史ミステリーを追え!」尾上松也(出演)、伊東潤(監修)BS11(制作著作)、EAST ENTERTAINMENT(制作)、斉藤良・成田肇・手塚公一(プロデューサー)、塩崎智晴(演出)、間まさむね・栗子じょん(構成)、勝野洋・山本博文(ゲスト)、山田邦和・草野道雄・三和敏郎・木村幸比古(出演)(BS11、2017年3月29日放送〈シリーズ最終回の総集編。2015年12月29日放送の『尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究』第75回歴史ミステリーを追え!」の山田出演部分を含んでいる〉)

【大学での役職】
△同志社女子大学史料センター長(2017年4月~2019年3月〈予定〉)

【非常勤講師】
△京都橘大学文学部歴史遺産学科非常勤講師(「遺産情報学演習II」担当〈春学期〉)

2017.12.30

井上道義の「第9」と、百鬼ゆめひなの人形舞台、の巻

 12月28日(木)
Img005
 今年の「第9」は、井上道義さんの指揮する京都市交響楽団の演奏会。カップリングはショスタコーヴィチの「ジャズ組曲第1番」という変わり種である。井上さんの指揮姿はいつもながらダイナミックでエレガント。それでいて奇をてらっているわけではなく、オーケストラの隅々まで丁寧で精緻な指示を出し続けている。井上さんの指揮に応えて京響も、一音一音が「立っている」。見事な「第9」であった。終演後は山崎千春さんを誘って、焼き鳥の居酒屋。


 12月29日(金)
Img_2512
 長野県伊那谷を本拠として活躍している人形師の「百鬼ゆめひな」こと飯田美千香さんの京都公演。場所は膏薬図子(四条通新町西入ル下ル)のミミズクヤ。公演といっても、京町家の座敷で定員20人というこじんまりとしたもの。演目は、一休宗純和尚と遊女地獄太夫の伝説を翻案した「『地獄太夫』。「ひとかた(等身大人形)」を操って、百鬼ゆめひなさんが一休と黒子と人形遣いのひとり3役をこなす。彼女にかかると、「ひとかた」に生命が吹き込まれ、自在に舞う。まさに夢幻の世界へのいざないである。
 終了後は、最近できた「ざ・らくちん―室町横丁」のフレンチマンJrでワインとローストビーフ。ついつい、呑み過ぎ。

2017.12.24

細見美術館「末法 / Apocalypse」展、の巻

Photo

12月24日(日) 
 京都にある細見美術館は、私の大好きな博物館のひとつである。日本美術品の収集家として知られる細見古香庵からの細見家三代のコレクションを中核として設立された私立美術館で、他ではみられないようなユニークかつコンセプトのはっきりした展覧会を毎回おこなっている。建物も小規模ながらの瀟洒で、私は大学の博物館学の授業の際、「未来指向の博物館」の実例のひとつとして必ずこの細見美術館をとりあげてきている。
 その細見美術館が「末法 / Apocalypse─失われた夢石庵コレクションを求めて─」という魅力的なテーマの展覧会をおこなっていたのだが、気付いてみると今日が最終日。これはぜひ見とかなくてはいけない、ということで、雨が降りそうななか、美術館に駆けつける。

 この展覧会、説明によると
「釈迦の死より1,500年後、仏法が廃れ、争い、憎しみがはびこる暗黒時代が一万年続くといわれた「末法」の世。その恐怖におののいたのは、摂関政治で栄華を極めた貴族たちであった。ある者は美麗の上にも美麗を尽くして荘厳した阿弥陀堂を建て、またある者は装飾を凝らした料紙に経典を書写して、極楽浄土への往生を願うことで末法から逃れようとしたのである。そんな時代精神の中から生み出された美術作品を愛し、蒐集したコレクターの一人に、夢石庵と号する人物がいる。抜群の鑑識眼と内外の人脈を通じて、戦後60年代まで驚くほど質の高い美術作品を精力的に蒐集した。彼の死後散逸したコレクションの中から、白眉といえる平安時代の仏教美術を中心に、長く秘されてきたその全貌を、初めて紹介する」。夢石庵というコレクター、いまから50年前に亡くなっており、生前にはほとんど表舞台に立たなかったために忘れられているが、美術品収集にとりつかれ、すばらしいコレクションを築き上げたのだという。

 しかし、期待に胸をふくらませながら展示室に入ったのであるが、この展覧会、どうも奇妙なのである。確かに、展示品自体は悪くない。『平治物語絵巻』の「六波羅合戦巻断簡」とか、伝金峯山伝来の『紺紙金字弥勒上生経残闕(藤原道長願経)』(寛弘4年〈1007〉)・『紺紙金字法華経~無量義経残巻(藤原師通願経)』(寛治2年〈1088〉)・『紺紙金字法華経(平基親願経)』(治承4年〈1180〉)とか、平安時代の経筒など、へぇ~と思う作品も並んでいる。しかし、キッチリとしたコンセプトというか、強固な骨組みというか、筋の通った構成力が伝わってこないのである。普通の展覧会では、こうした砂を噛むような味気なさを味わうことはめったにない。
 ただ、こうした欠点は単に収集品を並べただけだと、確かにあり得ることである。だからこれも、この「夢石庵」というコレクターの資質によるものなのかな、と思ったのであるが、ただ、この展覧会の唄い文句では夢石庵は「抜群の鑑識眼と内外の人脈を通じて、驚くほど質の高い美術作品を精力的に蒐集した」人だというのだから、頭の中をクエッションマークがいっぱいになっていくのである。それに、個人コレクターのコレクションを主体とする展覧会では、良くも悪くもそのコレクターの強烈な「思い」というか「体臭」というか、そんな「こだわり」が会場から漂ってくるものなのであるが、それも感じられない。不思議な無臭さなのである。
 そもそも、コレクターのコレクションが多少一貫性を欠いていても、展覧会の担当学芸員がそうした欠点をカヴァーするのが普通である。そうすると、この展覧会のこうした奇妙さは学芸担当者の力不足によるものなのかな、と思いながら見学を終えた。

 会場の出口で、一枚の紙が配られていた。「種明かし」と題されて、「会期終了まで皆様の胸の内におさめておいてください」などと書かれている物々しさである。ただ、もう会期は終わったので、公表しても良いのであろう。
2_2
つまり、この展覧会が「夢石庵」というコレクターのコレクションから構成されているというのはまったくのウソ。そんなコレクターはこの展覧会の担当者たちが作り上げた架空の存在であって、まったく実在しなかった。これは通常の展覧会でなく「アートプロジェクト」であり、定量的な指標によってのみ美術が語れられる現在の状況への挑戦なのである、ということなのである。

 私はこれを見て、幻滅してしまった。アートだからなんでもありというわけではないだろう。担当者だけが悦に入っているひとりよがりではどうしようもないし、少なくとも私は、アートのためなら観客を騙くらかしてもかまわないという奇妙な倫理観はもちあわせていない。それに、そうした能書きを云々する以前に、展覧会自体が薄っぺらでは話にもならないのである。
 せっかくの良い品物を集めたというのに、学芸担当者の自己満足がそれを台無しにしてしまうという、世にも稀な、そして本当に残念な展覧会だった。

2017.12.18

工藤静香クリスマスディナーショー2017、の巻

Img_1311

12月11日(月)
 講義を終えてすぐに退出し、兵庫県伊丹市の伊丹シティホテルに向かう。途中、阪急電車が遅延してヤキモキしたが、なんとか間に合ったのでひと安心。工藤静香クリスマスディナーショー2017。自分へのささやかなご褒美である。ただ、今年は9月にも名古屋でのライヴに参加することができたから、1年のうちに2回、静香さんに「会えた」ことになる。
 席は先着順だったようで、結局は後ろのほうであんまりよくなかったのであるが、会場巡りタイムで私の前を静香さんが通っていただけたのは僥倖。キッチリと握手をしてもらう。細く、ひんやりとした手。

2017.12.10

『角田文衞の古代学』4「角田文衞自叙伝」刊行、の巻

Img_1503

 完成しました! 『角田文衞の古代学』4「角田文衞自叙伝」

 平成20年(2008)に95歳で亡くなられた角田文衞先生は、その永い生涯の中でおびただしい研究業績を残し、「古代学」という学問体系を確立されました。それは方法論的には考古学と文献史学を両輪とし、日本や西ヨーロッパといった狭い範囲のみを対象とするのではなく、世界史的な視野に立脚するものでした。こうした角田先生の膨大な業績は、60冊近い先生の著書にまとめられているし、また日本の古代史関係の諸論文は昭和59年から61年にかけて刊行された『角田文衞著作集』(京都、法蔵館)全7巻に収められています。しかし、こうした多数の書物ですら、先生の業績の全てを収録するにはまだまだ不足です。そのため、先生の「第2著作集」とも言える書を編むことが計画されていたのですが、種々の事情でのびのびになっていたのです。

 この「第2著作集」の編集作業は、昨年から私が担当することになりました。ただ、私がこの仕事を引き受ける際の必須の条件と考えたのは、まずは、古代学協会で永い間にわたって学術雑誌『古代文化』の編集にあたってこられた山崎千春さんに編集事務局をお願いすること。もうひとつは、私と一緒にこの仕事の責任編集にあたってくださる、全幅の信頼を寄せることができる研究者として、吉川真司さん(京都大学教授)にお願いしたいということ。しかし、忙しい吉川さんのこと、果たして引き受けてくれるかどうか不安だったのですが、恐る恐るお願いをしてみたところ、二つ返事で承諾していただくことができました。大変嬉しいことです。

 吉川さん、山崎さんといろいろ検討した結果、このシリーズは『角田文衞の古代学』と題し、2017年秋から2ヶ年計画で全4巻を刊行していく予定としました。今回の第四巻『角田文衞自叙伝』はその初回配本です。特に、晩年の角田先生が口述筆記によって執筆された「自叙伝」が残されていたのですが、これまで公表することができていませんでしたので、本巻にはそれを主体としました。また、生前の角田先生が克明に記録されていた自らの「年譜」もこれに加えました。ただ、「自叙伝」はもとが口述筆記であるという性格上、ところどころに先生自身の記憶違いや重複、文字起こし上のミスなどが散見しましたので、それの修正に思わぬ時間をとってしまいました。
 また、古代学協会、平安博物館、勧学院大学といった、先生が生涯にわたって追究してきた「理想の研究機関」の構想についての資料をも集成したことも特徴です。中でも注目されるのは「勧学院大学」です。ほとんど知られていないことなのですが、角田先生は昭和32年(1957)頃、歴史学の専門の大学を設立することを計画されていたのです。それは単に絵空事なのではなく、実現の一歩手前まで進んだというのですから驚きです。勧学院大学の予定地は、京都府乙訓郡長岡町(現・長岡京市)の長岡競馬場跡地の12万平方メートルで、そこには歴史学部と人文学部で専任教員139名(そのほかに副手66名)を擁するという一大大学が構想されていたというのですから、角田先生の思考の桁外れの大きさが伺い知れます。

 また「角田史学の構想」(原題は「私の歴史学」)というのも収録しました。これは、昭和58年に角田先生が自分の学問の全容を余すことなく語ったという貴重なものです。ただ、これはもともと口述筆記によって書かれたという由来から、文献註がなく、その点では使用に不便なところがありました。また、昭和58年以降の先生の業績が盛り込まれていないのは当然です。そこで、今回の収録にあたっては161項という多数の補註を加えることによって、そのあたりを補うことにしました。こうした作業を加えたことによって、角田先生の学問の全体像をより深く理解することが可能となったのではないかと思っています。さらに、本巻の「解題」は私が「角田文衞の軌跡」と題して執筆していますので、こちらもぜひご覧ください。

 本シリーズは公益財団法人古代学協会から刊行され、各地の図書館などに寄贈いたします。また、入手したいという方も多いことと思われますので、吉川弘文館に委託して一般への販売をお願いすることとしましたので、購入希望者は吉川弘文館にお問い合わせいただくか、書店を通じて同社に注文してください。この機会にぜひ本書を紐解いていただき、角田先生という稀代の歴史学者の歩みを追体験していただきたいと思います。

 第4巻が出たのですが、続いてあとの3冊の編集が控えております。しばらくはこの仕事で大車輪が続きそうです。

【書いたもの】
■『角田文衞の古代学 4「角田文衞自叙伝」』角田文衞(著)、古代学協会(編)、山田邦和・吉川真司(責任編集)
(京都、古代学協会、〈発売所:東京、吉川弘文館〉、2017年10月31日)、全406頁
~◇山田邦和(補註)「角田史学の構想~補註」283~297頁
~◇山田邦和(著)「[解題] 角田文衞の軌跡」389~405頁
■『同志社女子大学史料センター第22回企画展示「同志社女子大学のキリスト教主義教育 愛以貫之」展示目録』同志社女子大学史料センター(編)
山田邦和〈史料センター長・運営委員長〉、飯田毅・川田隆雄・北村博子・神田知子・松野浩之・三橋美和・仲万美子・中山まき子・大島中正・斎藤朱美・玉田佳子〈2017年度史料センター運営委員〉、小崎眞〈専門委員〉、塘利枝子〈学術情報部長〉(京都、同志社女子大学史料センター、2017年11月17日)、全26頁(山田執筆:「はじめに」〈1頁〉。その他、執筆分担明記なしだが、2~8頁「Ⅰ キリスト教の伝来と同志社」が山田執筆分)

【しゃべったこと】
◯「世界遺産と天皇陵古墳」山田邦和(講演)
(京都高等学校社会科研究会〈主催〉「秋季研究会~シリーズ・関西フィールドワーク『埴輪・古墳・天皇陵―北摂を歩く―』、高槻、高槻現代劇場(市民文化会館)、2017年11月25日)
◯「【室町幕府】考古学者とめぐる義満の王都、巨大権力の中枢・花の御所と相国寺へ―史上最高・幻の七重塔はどこにあった!?“日本国王”義満の最強首都構想―」山田邦和(ガイド)
(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都地下鉄今出川駅集合〈相国寺山門、塔の段町(相国寺大塔跡)、相国寺境内、相国寺慈照院前、同志社大学寒梅館、持明院御所跡(光照院)、細川邸跡、小川通、畠山図子、花の御所跡を見学〉、2017年11月25日)

2017.11.29

筑後国を巡る、の巻

Img_1778←石人山古墳の祠と、そこに祀られた石人

Img_1865←権現塚古墳

Img_1914←久留米城(篠山城)

11月23日(木・祝)・23日(金)
 全国大学博物館学講座協議会西日本部会大会(全博協西日本部会)のため、福岡県久留米市行き。本当は金・土の日程なのだが、あいにく25日土曜日に大阪の高槻市での講演と京都の史跡案内の予定を入れてしまったため、金曜日でトンボ帰り(九州からの最終電車)とあいなった。でも、せっかく筑後国まで行くのだからということで、木曜日から前泊して、少しばかり歩いてみることにした。

 23日は京都―(新幹線)→JR久留米駅。そこから歩いて日輪寺古墳、水天宮、駅に戻って駅前で久留米ラーメンで昼食。バスで西鉄久留米駅に出て、そこからまたバスに揺られて八女古墳群の岩戸山古墳あたり(乗場古墳、善蔵塚古墳、岩戸山歴史文化交流館、岩戸山古墳、岩戸山4号墳)。八女古墳群では石人山<せきじんさん>古墳もぜひ行きたいのだが、岩戸山から石人山までは歩くとかなりあってこれは勘弁してほしい。かといってバスだと一度久留米市内に戻ってからV字ターンとなって、これも現実的ではないというので、岩戸山資料館でタクシーを呼んでもらう。そして、広川町古墳公園資料館とその横の石人山古墳・弘化谷古墳。またタクシーに来てもらって、秀吉の時の羽根の生えた犬の伝説がある羽犬塚駅に到着。そこから西鉄久留米駅に戻り、駅前のエンナンホテルに宿泊。やや古びたホテルであるし、私の部屋にエアコンが効かなかったは減点だが、そのほかのところは良かったし、またびっくりするほど安かった。夜は久留米の繁華街で店を物色していたら、なかなか綺麗なお姉さんが客引きをやっている居酒屋がある(いかがわしい店ではありません。念のため)のでそこに飛び込んだが、こちらはあんまり良くなかった。残念。

 24日は西鉄久留米駅から西鉄に乗って大善寺駅で下車。玉垂宮(大善寺)を通り抜けて徒歩で御塚<おんつか>古墳と権現塚古墳。バスの時間を合わせて久留米市内に戻り、バスを乗り換えて久留米城(篠山城)。またバスに乗って、久留米市埋蔵文化財センター。

 筑後の古墳、特に筑紫君磐井の墓として造られた岩戸山古墳は、行きたい行きたいと思っていたのがどういうわけか今まで機会を逃していた。今回、やっと念願がかなう。岩戸山古墳の「別区」は、いままでなんとなく、墳丘にくっついているように思っていたのだが、実はこの古墳には狭く浅い堀があり、その外堤が拡大されて別区になっていることを知る。私の勉強不足による錯覚とはいえ、やっぱり行ってみなくちゃわからないな。ということは、磐井の敵役である継体天皇の真陵と推定される大阪府高槻市今城塚古墳の堤の一部が拡張されてそこに埴輪群が並べられているところと共通するんだな。

 磐井の息子の葛子の墓という説もある乗場古墳も、前方部が開いたなかなか綺麗な後期型の前方後円墳。ただ、装飾で飾られた石室は非公開なのが残念(というよりも、保護施設の扉の把手は明らかにひん曲がっていたぞ。たとえ鍵を持っていても、果たして開くのだろうか?)
 乗場古墳からえっちらおっちらと20分くらい歩いたところにある善蔵塚古墳は、そもそも存在を知らなかった。しかし行ってみると、乗場古墳よりも大きな前方後円墳である。こんなのもあるんだな。ただ、家に帰ってから『前方後円墳集成』の九州の巻を開いてみても、善蔵塚古墳については測量図が載せられていない(最近は地元教育委員会が詳細な測量をしたらしい)から、あながち私の勉強不足だけということもあるまい。

 石人山古墳、「せきじんやま」ではなく「せきじんさん」と読むらしい。隣に、広川町古墳公園資料館という小さいけれどもなかなかに充実した博物館があるのが嬉しい。石人山の初期須恵器が並べられているのもありがたい。古墳の上には「石人社」という祠があって石人は御神体になっている。ついでに、石室と石棺もコンクリート製の祠の中にある。

 弘化谷古墳・権現塚古墳は、大型の円墳で、しかも巨大な堀と周堤を持っていることにびっくり。権現塚はなんと二重の水濠と幅広い周堤で囲まれている。御塚古墳にいたっては、帆立貝形前方後円墳と呼ぶべきか造り出し付き円墳と呼ぶべきか迷うが、三重の堀(現状では一重目だけが水濠)という破天荒なもの。近畿地方の大型円墳では水濠を持つものは本当に少ないから、これはなかなかの見ものなのである。

 日輪寺古墳はJR久留米駅からすぐなのがありがたい。石室には覆屋がかかっていて見学は事前予約が必要と聞いていたので中をみることは諦めていたのだが、行ってみると扉が開かれていてすぐに見学できるようになっていたことはありがたい。文様を彫り込んだ石障を持つ九州型の初期の石室に見とれる。

 久留米城は別名が篠山城だという。丹波国福知山城主だった有馬氏が転封されて築いたというから、京都府とも関係がないわけではない。本丸はそんなに大きくはないのだが、石垣の見事さに感銘を受ける。ほとんど90度といってよいほどにそそり立っていて、石垣というよりも石壁のようである。

 これで遺跡見学は時間切れ。でも、なかなかに廻ったぞ。そこから、久留米市中心部の巨大複合文化施設の久留米シティプラザにとって返し、全博協西日本部会の役員会と大会に出席。大会では、長らく西日本部会長をつとめてこられた花園大学の芳井敬郎先生が今年度で定年により大学を去られ、それとともに部会長も退任されるということで、基調講演をされる。いつもながらの「芳井節」の名調子を堪能。

2017.11.17

第5回東海学シンポジウム「森浩一古代学を読み解くⅠ」、の巻

Img_1496
 11月12日(日)
 「第5回東海学シンポジウム2017」に参加。このシンポジウム、森浩一先生が主導して20年にもわたって続けられてきた「春日井シンポジウム」の後継であり、今回で5回目。
 11日まで沖縄にいて、那覇空港発18時5分の飛行機で19時55分に伊丹空港着。ホントは、なんとか那覇から名古屋の空港に直行できればいいなと思っていろいろ算段してみたのだが、予算執行上の都合からはこれはムリとなってしまい、伊丹空港から新大阪駅に急ぎ、そこから新幹線で名古屋入り。ホテルにはいったら、お風呂を浴びただけですぐに就寝。

 今回のテーマは「森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―」。今年と来年の2回にわたり、森先生の学問をふりかえってみようという意欲的な企画である。内容は次の通り。

《報告》
川崎 保(長野県埋蔵文化財センター調査第二課長) 「森先生の『縄文文化見直し論』」
松田 度(奈良県大淀町教育委員会) 「森先生の『熊襲・クナ国論』」
辰巳和弘(古代学研究者)「水の王権~井伊谷から拡がる古代~」
深萱真穂(フリーライター)「森先生と文学~清張との交流を中心に~」
今尾文昭(関西大学文学部非常勤講師)「森先生と天皇陵古墳」
前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)「藤ノ木古墳の発掘 ~森先生の被葬者論~」
小泉武夫(東京農業大学名誉教授・東海学シンポ実行委員会副委員長) 「森先生と『日本の食文化』」

《座談会》「『森浩一古代学』を語る」司会:山田邦和(同志社女子大学教授)

《資料集への誌上参加》
 ◆山田邦和(同志社女子大学教授)「森浩一の須恵器研究」
 ◆佐野允彦(歴史ジャーナリスト・元朝日新聞記者)「森先生とマスコミ―教え子・元記者から見た―」
 ◆穂積裕昌(斎宮歴史博物館主幹)「森先生と神仏の考古学」
 ◆兼康保明(東海学センター理事)「邪馬台国論争と森先生―『銅鏡百枚』と『卑弥呼以死』を中心に―」

 今回は私は座談会の司会ということで、報告ではなく誌上参加の論文に回る。この論文は、かつて書いた「森浩一 学の稜線〜須恵器の編年」(深萱真穂・『歴史読本』編集部(編)『森浩一の古代史・考古学』、東京、KADOKAWA、2014年)を大幅に増補改訂したもの。前稿と比べると内容はかなり詳しくなっているので、ご興味ある方はぜひお読みください(この資料集は本屋さんには出回らない本だし、図書館にもあまり入らないものなので、購入希望は東海学センターにお問い合わせのほどを)。

 座談会の司会は、正直、疲労困憊。7人の報告者は時代的にも内容的にも多岐にわたるので、発言者のひとことひとことに耳を澄ましながらも、脳の半分は次の展開を考え、さらにはそれをひとつにまとめようとするのはかなりの力技なのである。さらに、討論に与えられた時間はわずか一時間。時間厳守を誓ってはいたが、こればかりは発言者の発言の長さに影響されるので、うまくいくかどうかは大げさに言えば神のみぞ知る、なのである。結果としては、予定時間を1分超過しただけとなったから、これはまあ許容誤差と認めていただけるであろう。私としても大変いい経験になったシンポジウムであった。

【書いたもの】
■「森浩一の須恵器研究」山田邦和(著)
(『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解く Ⅰ―昭和・平成の考古学界―』資料集、〈春日井〉、NPO法人東海学センター、2017年10月26日)、107~133頁

【しゃべったこと】
◯「《座談会》『森浩一古代学』を語る」山田邦和(司会)
川崎保・松田度・辰巳和宏・深萱真穂・今尾文昭・前園実知雄・小泉武夫(パネラー)(NPO法人東海学センター・東海学シンポジウム実行委員会〈主催〉『第5回東海学シンポジウム2017 森浩一古代学を読み解くⅠ―昭和・平成の考古学界―』、春日井、春日井市民会館、2017年11月12日)


2017.11.15

沖縄調査旅行、の巻

Img_0987_3←(「浦添ようどれ館」で、浦添ようどれの復元墓室および石棺〈レプリカ〉の観察)

 11月9日(木)~11日(土)
 今年は、高橋康夫先生(京都大学名誉教授・元花園大学教授、都市史・建築史)の科研費の分担に入れていただいているので、しばしばいろんなところに出かけることができる。この日は沖縄行き。同行者は冨島義幸京都大学准教授と伊ヶ崎鷹彦花園大学助手。沖縄は京都とともに高橋先生のメイン・フィールドであるので、安心して回ることができる。日程は次の通り。

 9日:浦添ようどれ館→沖縄ワールド→ガンガラーの谷

 10日:古座島→運天(崖墓・百按司墓・大北墓)→今帰仁村仲馬場→諸志の散策道と赤墓→今泊(集落・津屋口墓)→クバの御嶽→今帰仁城城下町→備瀬集落フクギ並木道→海洋博記念公園おきなわ郷土村→瀬底土帝君→塩川

 11日:久高島→垣花樋川→具志川城→真壁ちなー(金城増治住宅)→南山城(大里城)

 ご覧のように、結構な強行軍である。浦添ようどれ館は何度も訪れたことがあるが、今回は仏教儀礼の専門家である冨島さんと同道であるから、まことに学ばせていただくこと大。沖縄ワールドや海洋博記念公園おきなわ郷土村はいわば民家の野外博物館。ガンガラーの谷では、旧石器時代からグスク時代にかけての洞窟遺跡の調査が綿々とおこなわれており、調査担当の沖縄県立博物館・美術館の山崎真治博士から詳しい説明をいただくことができる。

 久高島ははじめての訪問。沖縄最高の聖地である斎場御嶽から拝められてきた、創生神アマミキヨの霊地である。島内の主要交通機関はレンタル自転車なのだが、「歩こう」ということになって、細長い島を東西に往復することになる。小さな島とはいえ歩くとやはり結構くたびれるのであるが、その分、島のあちこちをじっくりと観察することができる。それに、島の北端の岩海岸と海はやはり絶景。

Img_1163_3(←運天の崖墓)
 なかでも異様な感動を受けたのは、運天(国頭郡今帰仁村)の港の周囲にある崖墓群(百按司墓・大北墓を含む)。海に臨む崖の洞窟を墓としているのだが、中には厨子甕や木製厨子がぎっしりと収められており、それが破損して中の白骨が大量に露出している。時間も忘れて見入ってしまった。

2017.10.23

『京都 知られざる歴史探検』(上巻・下巻)刊行!!、の巻

Img_0871

 10月23日(月)
 ようやくできあがりました! 山田邦和『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』『同(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』(東京、新泉社、2017年10月25日、各巻定価2000円+税)。おそらく、今日くらいから書店に並ぶんじゃないかと思います。本屋さんで買っていただけるのが一番いいのですが、アマゾンならば、上巻はこちら下巻はこちら
 これのもとになったのは、PHP研究所『歴史街道』平成11年(1995)5月号〜同17年(2005)4月号(通巻第133号〜204号)に連載した「まちかど歴史散歩」と、『中日新聞』(『北陸中日新聞』『東京新聞』にも同時掲載)平成23年(2010)3月27日号〜同24年(2012)3月24日号の毎週土曜日版に連載した「歩いて楽しむ京都の歴史」です。ただ、本にするにあたって、最新の研究成果をも取り入れながら徹底的な増補改訂を加えましたので、内容としては新しいものになったと思います。

 ありきたりのものではない京都の史跡と歴史の本をまとめたい、というのは、永い永い間の私の念願でした。京都で生まれ育って、京都の歴史研究の道に踏み込んだ私としては、そういう本をまとめることができたらどんなにいいだろう、と思っていたのです。そこで、これまでの研究生活の中で、お寺や神社に行った時、本を読んだ時などに、それぞれネタになりそうなものを少しづつメモしてきました。ただ、言うは易しおこなうは難しという言葉の通り、なかなか執筆にとりかかることはできないでいたのです。
 また、わが師・森浩一先生には、『交錯の日本史』『新・日本史への旅(上・下)』というとっても素敵な著書があります。私にはとうてい及びもつかないのですが、これの「京都版」のような本ならば、私にもできるかもしれない。そう思ってきました。今回のこの本は、森先生のこの両書に対する私なりのオマージュともいえると思います。

 たまたま、JR東海エージェンシーから『歴史街道』に連載の話をいただき、毎月1回、6年間にわたって72回の記事を書くことができました。連載終了後、これを本に、と決意し、某出版社から出版していただけるというところまで話を詰めたのですが、その頃から私が急に忙しくなってしまい、ついにお流れになってしまったのです。今度はそれからかなりたって、『中日新聞』から京都の史跡案内の連載の依頼を受けました。2年間毎週で計103回という大仕事をなんとか完結させて、ようやく本にするぞ、と意気込んだのですが、連載終了直後の2012年4月に私自身が大病に襲われて死にかけたので、またまた機を逸しました。なんとか生き返らせてもらって自宅に帰り、療養生活をしながらその合間に少しづつ原稿に手をいれていきました。やっとそれがまとまって、今度こそ、という思いをしたのですが、一冊にまとめられる分量ではないところが最大のネックになったようで、以前お願いをした会社を始めいくつかのところと交渉したのですが、引き受けてくれるところがなかなか見つかりません。信頼していたある編集者に相談したところ、予想外の言葉で冷たく突き放される、などというできごともあってかなりのショックを受け、しばらく意気消沈して仕事を投げ出してしまいました。なんとか気をとりなおして、ようやく乗り気になっていただける出版社を探し当てたのですが、今度は私の希望と出版社側の要望がちょっと異なっていて、うやむやのうちに私の方からお流れにしてしまい、大変申し訳ないことをしてしまいました。
 もうダメかな、と諦めかけていたところでしたが、そこにようやく救いの神として現れてくれたのが新泉社さんです。昨年、『森浩一著作集』を刊行していただいたことから親しく仕事をさせていただくご縁を得、編集長の竹内将彦さんと編集者の望月佳子さんに相談申し上げたところ、ついに出版にこぎつけることができたのです。

 しかしそれからがまたまた大変です。連載原稿は揃っているし、それの改訂原稿も仕上がっている、さらには写真もほぼ自分で撮影済みなので、編集は簡単に終わると楽観していたのですが、実はこれが大間違い。自分の原稿ながら次から次へと問題点が続出、望月さんからは夜討ち朝駆けの電話とメールで疑問点の確認が連発。そのたびに、穴があったら入りたいような恥ずかしい気分を味わいました。さらに、写真も、掲載許可に思わぬ時間をとったり、なかには文化財所蔵者から掲載の許可をいただくことができなかったりして、この点でも七転八倒してしまいました。

 最後まで修正がはいって気が抜けなかったのですが、ようやく完成したのはありがたい限りです。望月さん、ありがとうございましたm(_ _)m。全ページがカラーという、綺麗な仕上がりになって、とっても嬉しいです。自分でいうのもなんですが、「知られざる京都の史跡案内」というキャッチフレーズに恥じないものになったと思います。その点では、京都の初心者向けというよりも、ありきたりの京都の史跡は一通り見てしまったとか、京都をもっともっと深いところまで知りたいとかいう「通」向けの本にすることができたと思います。

 あとは、できるだけ多くの皆さんに手にとっていただけると嬉しいです。どうか宜しくお願いしますm(_ _)m。


【書いたもの】
■「全体討論『宗教都市』奈良を考える」佐藤亜聖・大田壮一郎(討論司会)、河内将芳・高谷知佳・狭川真一・前川佳代・山田邦和・吉澤悟・大藪海・仁木宏・山川均・幡鎌一弘・五味文彦(討論発言)(中世都市研究会(編)、五味文彦・佐藤亜聖・前川佳代・狭川真一・山川均・高谷知佳・吉澤悟・河内将芳・幡鎌一弘(執筆)『「宗教都市」奈良を考える』所収、東京、山川出版社、2017年8月31日、全239頁)、205~239頁(山田発言は214・215頁)
■『徳川家康(新装版)』松本清張(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫1」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1982年9月30日発行〉)、全337頁
■『豊臣秀吉(新装版)』岡田章雄(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫2」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1981年11月19日発行〉)、全205頁
■『武田信玄(新装版)』木暮正夫(文)、寺田克也(カバー絵)、八多友哉(本文さし絵)、山田邦和(監修)、八重野充弘(人物伝執筆)、黒須高嶺(人物伝イラスト)(「講談社 火の鳥伝記文庫3」、東京、講談社、2017年10月18日〈旧版は1986年6月15日発行〉)、全179頁
『京都 知られざる歴史探検(上)―上京 洛北 洛東・山科―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全286頁
『京都 知られざる歴史探検(下)―下京 洛西 洛南・伏見 乙訓・宇治 南山城 丹波・丹後―』山田邦和(著)(東京、新泉社、2017年10月25日)、全285頁

【しゃべったこと】
◯「聖武天皇の首都構想―恭仁宮・難波宮・紫香楽宮の三つの都―」山田邦和(講演)、(「けいはんな学研都市7大学連携 市民公開講座2017」、京都府精華町、国立国会図書館関西館、2017年9月15日)
◯「【太秦】考古学者と巡る日本最大の渡来系豪族・秦氏の本拠地へ―始皇帝を祀る社、元糺の池、京都一の巨大前方後円墳に潜入―」山田邦和(ガイド)、(まいまい京都実行委員会〈主催〉「まいまい京都」、京都、地下鉄太秦天神川駅集合〈千石荘公園、清水山古墳跡、天塚古墳、木島神社(蚕ノ社)、広隆寺・大酒神社、蛇塚古墳、垂見山古墳を見学〉、2017年9月16日)

◯「京都学講座・院政期京都の研究3(5)以仁王の変と治承・寿永の内乱の勃発」山田邦和(講座)、(古代学協会「古代学講座」、京都、古代学協会角田文衞記念室、2017年9月29日)
◯「(2)孝徳天皇の難波長柄豊碕宮」山田邦和(講座)、(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年8月25日)
◯「(3)天武天皇の飛鳥と難波」山田邦和(講座)、(栄中日文化センター「日本の『都』の歴史」2017年7~10月期、名古屋、栄中日文化センター、2017年10月6日)
◯「弥生・古墳時代の京都盆地(3)(現地見学)太秦の古墳群」山田邦和(講座)、(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(2)、京都、天塚古墳、蛇塚古墳、2017年9月29日)
◯「飛鳥・奈良時代の京都(1)『大化改新』と天智天皇・藤原鎌足」山田邦和(講座)、(朝日カルチャーセンター京都「歩いて学ぼう!京都の歴史」(3)、京都、朝日カルチャーセンター京都、2017年10月13日)

2017.10.20

10月22日総選挙

2_4
「東京藝大のShall We 選挙?ポスターアクション」より。
良いポスターです。感激ものです。

3
久しぶりに、本当に久しぶりに、政治家からまともな言葉を聞いた、そんな思いです。こういう瞬間を、どれほど待ったことだったろう。言わねばならないことが、最も正しい言葉で語られる、それはこんなにも美しいものだったのです。

選挙に行こう!!!

«工藤静香デビュー30周年記念ライヴ、の巻