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2005.05.30

伏見桃山城に攻め入る? の巻

 5月30日(月)
 午前、伏見桃山城で、京都府埋文センターのM氏、京都市のU氏らと待ち合わせる。なお、秀吉と家康の居城だったのは「伏見城」である。ここでいう「伏見桃山城」というのは、伏見城跡の一角に1964年に建てられた復興模擬天守閣のことを指すのでお間違えのないように。
 この伏見桃山城、復興模擬天守閣と「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地とがセットになるという変わった体制で、建てられてから40年間にわたって親しまれてきた(経営は近鉄の子会社である「株式会社桃山城」が担当)。しかし、一昨年に経営不振のために閉園となった。私も、子供の頃から親しんできただけに、かなりのショックを受けた。ただ、土地売却と模擬天守閣破壊というような最悪の結果はまぬがれ、京都市が運動公園として整備し、模擬天守閣はともかく外観だけは残す、ということになった。
 ところがここで問題がでた。模擬天守閣にはいろいろな歴史資料が展示されていたし、倉庫にもいくつかの資料が収蔵されていた。特に、私がかつて伏見城とその城下町の復原研究(山田邦和「伏見城とその城下町の復元」〈『豊臣秀吉と京都』所収、京都、文理閣、2001年〉)をおこなった際にその資料的価値を高く評価した「伏見御城槨并屋敷取之絵図(伏見城々下町絵図)」、さらには「宝暦七年伏見古地図」などが所蔵されているはずなのである。会社が解散した後、それらはいったいどうなったんだろう? 気にはなっていたのであるが、確かめもせずズルズルと来ていたのである。
 これを心配したM氏が、近鉄本社を始めあちこちに問い合わせ、京都市にも掛け合い、資料を探そうというので声をかけてくれたのである。ありがたいことである。しかし、閉城以来、模擬天守閣の内部はほとんど誰も入っていない。どのような状態になっているかもわからないし、どさくさまぎれに資料が散逸した可能性もある。第一、電気も切断されているということで、懐中電灯持参である。
 とにかく、確認しなければ話にならない。模擬天守閣の鍵をあけてもらい、中にはいる。確かに埃だらけである。ただ、展示室はほとんど以前のままで、展示物もそのままであった。「宝暦七年伏見古地図」は展示室にガラスケース内に以前のままにぶらさがっていた。さらに、懐中電灯の明かりを頼りに倉庫にはいる。ここもかなり荒れているが、U氏が長い包みを見つけた。あった! 「伏見御城槨并屋敷取之絵図」である! 良かった。このまま置いておくことはマズイだろうというので、とりあえずめぼしい資料は京都市側で仮保管してもらうことにして、救い出す。
 とにかく、一安心であった。



たくさんの遺物をいただく、の巻

 5月29日(日)
 朝から福井にでかける。レンタカーを借り、学生3人を率いて、である。実は、福井県在住の考古学研究者F氏から、耳よりな提案をいただいた。氏がかねてから個人で採集してきた遺物、個人で持っていても限界があるので、花園大学考古学研究室に寄贈しても良いというのである。聞いてみると、古墳で採集した埴輪などがかなりたくさんあるという。ありがたい。
 見せていただくと、想像以上に多量で、しかも内容が優れている。京都府下の某古墳や奈良県下の某古墳の埴輪が多量にある。それは、名前をいえば誰でも知っている重要古墳である。個人的に嬉しいのは、ある地域で最古の須恵器窯の採集遺物があること。学生たちもいささか興奮気味である。君たちにとって、これは凄いプレゼントなんだよ。これからじっくりと体制を組んで、整理を進めていこう。


2005.05.27

東京の京都館で明治の京都の話をする、の巻

 5月27日(金)
 東京に出張である。
 京都市が、東京に「京都館」という施設を作っている。まあ、京都の宣伝のための出先機関、といったところであろうか。この京都館が、東京で「京都学講座」を開いており、花園大学がこれに協力をしている。昨年秋に行った時にはちょうど台風にぶつかってエライ目にあった。
 今回は、「京都の三大祭」がテーマで、私の担当はなんと「時代祭」。返事を渋っていたら、いつのまにかやらねばならぬことになってしまった。しかし、祭の話だけでは時間を持たせる自信はないので、「明治の京都復興と時代祭」とする。これならなんとかなるだろう。京都文化博物館に在職中に担当した展覧会「気球があがった—近代京都の一世紀—」の図録をひっぱりだし、映し出す写真を選ぶ。講演では、禁門の変から明治天皇東幸(私は「東京遷都」とは言わない!)にいたる手痛い打撃を乗り越えて、京都がどのように復興してきたか、を述べる。その総仕上げが、明治27年の第4回内国勧業博覧会の開催・平安神宮の創建・時代祭の創設、であったわけだ。聴衆の反応もまずまず。うまくいったのではなかろうか?

 講演の前には、神田神保町の古本屋街をうろつく。先週の考古学協会の際には時間がなくて神保町に行けず、欲求不満がたまっていた。数冊を購入。
 講演の後には、秋葉原の電気屋街をブラブラ。輸入CD屋さんを眺める。しかし、そんなことをして遊んでいたので、駅についたら新幹線がどれも満席だった。半時間ほど並んで自由席に潜り込む羽目におちいる。なんとか座れたので、まあ良しとしなければならないか・・・


2005.05.26

創立記念日、の巻

 5月25日(水)
 花園大学の創立記念日である。したがって授業はお休み。とはいっても、私の水曜日の授業は夕方の「京都学概論」だけであるから、あんまり違いはない。
 ただ、朝からは金曜日の東京での講演の資料作り。正直言うと、あんまり気がすすまない講演なので、なかなか作業が進まない。トホホホ。
 午後は創立記念日の式典と記念講演会にでかける。周囲がお坊さんばっかりである。記念講演はウチの学科の福島恒徳助教授の渡唐天神像についてのものと、沖縄タイムス社の福島輝一さんによる、沖縄から見た戦後60年についてのものである。どちらも興味深い内容で、結構である。実は、去年の創立記念日の記念講演のうちのひとつが、まったくデタラメでくだらない内容のものであり、怒り心頭に発していた。今年は充分に満足である。
 夕刻は全日空ホテルに移動してパーティー。いろんな人にご挨拶。


2005.05.24

古代の「天下」を学ぶ、の巻

 5月23日(月)
 昼から会議2本。薄氷を踏むような思いであったが、なんとか乗り切る。ぐったり。
 
 夕方には日本史研究会古代史部会である。中川佳律氏「倭国における『天』と『天下』」という報告を聞く。「天下」という用語をめぐって、中国と日本とが克明に比較されていく。こういうように、ひとつの単語だけに絞って徹底的に追究するというのも、文献史学の面白いところだ。討論も活発である。
 終了後、ふつうなら飲み会なのだが、今日は我慢する。帰って仕事にとりかからねばならない。いつまでこんな自転車操業を続けることになるのだろうか・・・ (と、思いながら帰宅するが、やっぱり「ER」と「宇宙交響詩メーテル」を見てしまい、仕事を始めるのは午前O時近くになってからになる。我ながら呆れた怠け者だな・・・)


2005.05.23

日本考古学協会2005年度総会、の巻

 5月20日(金)〜22日(日)
 東京の国士舘大学で有限責任中間法人日本考古学協会の2005年度総会があるので、でかける。
 国士舘大学は東京の世田谷区にある。品川駅のほうが近いというので、始めて新幹線品川駅に降り立つ。そこから渋谷に出て、東急に乗り、さらに東急の世田谷線というのに乗り換える。2両編成の可愛らしい電車であった。均一140円というのもなんだか嬉しい。松陰神社前という小さな小さな駅で降りて、歩いて5分くらいで国士舘大学に着く。松陰神社って何かと思っていたら、吉田松陰の墓のあるところだという。国士舘大学は創立者が吉田松陰の松下村塾に憧れて造ったらしいから、その隣接地にあるのもむべなるかな、である。
 20日は私も委員をつとめている埋蔵文化財保護対策委員会の全国委員会である。14時から17時まで、熱心な討論が続く。皆さん、ご苦労様です。終了後は駅前の小さな酒場で懇親会。議論の後のビールがうまい。K大学のSさん(古墳時代須恵器の専門家)と久しぶりに話し込む。呑みすぎでへろへろしながら新宿3丁目のホテルにはいり、すぐに寝込む。

 21日、本番の総会である。いつもは午前中の総会はサボるのだが、なんだか行かなくては悪いような気になって、きちんと時間通りに出席した。150名ほどの新入会員の入会が承認され(日本考古学協会は入会するのに資格審査があるのである)、全員が壇上に上がって一礼したのには驚いた。「前期旧石器遺跡捏造事件」の苦い教訓を受けて、「考古学協会倫理綱領」の案が発表される。ひとことだけ発言する。午後は公開講演会。勉強にはなるが、会場が蒸し暑く、頭がくらくらしてきた。夕方は全体の懇親会。蒸し暑さからやっと開放され、またビール。二次会では、駅前の店に河岸を移し、Kyu大学のMさん、Kyo大学のOさん、OS大学のSさん、Ka大学のNさんらと騒ぐ。またまた呑みすぎ。どうしてこんなに懇親会ばかりに出るのかというと、やっぱり、私がまだまだ死んでおらず、きちんと研究もしているということのアピールが必要だからだ。とにかく、会う人ごとに挨拶をし続ける。T大学のHさんのように、初対面ではあるが仲良くなれるということもある。ありがたいことである。

 22日は研究発表の連続。朝一番に行って、古墳に関する報告をいくつか聞く。榛名山の火山噴火で埋もれた古墳や、東国ではめずらしい上円下方墳など、面白い報告が続く。それから、午後にやる陵墓問題の連絡会のために、食堂に考古学関係者だけ集まって下準備。TB大学のOさんが詳細な資料を作ってこられたので、あわてて私も補足資料を作ってコピーに走る。午後は本番の陵墓問題連絡会。この問題に関係を持つ十数の学会の代表者が集まる。今年、宮内庁に対してどのような要望を出すか、真剣な議論をする。私も、持論を展開。皆さんに快く受け止めてもらえて嬉しい。
 ただ、この会議が終わったのが15時。あややや。本を買う時間がないぞ。あわてて図書交換会場に走るが、時すでに遅し。撤収が始まっている。悲しい・・・・ 仕方ないので、出版社の販売ブースに行き、中身も見ずに数冊の購入にとどめる。特に、学生社の社長と編集者には挨拶。ずっと懸案になっていた京都関係の本の出版企画について相談する。その後はもう一度会場に戻り、古代の祭祀についての報告を聞く。
 京都帰着は20時過ぎ。あわただしかったが、いろいろ収穫のあった学会参加でした。


2005.05.19

唐の女性たちに会う、の巻

 5月18日(水)
 朝、天王寺の大阪市立美術館へでかける。特別展「大唐王朝 女性の美」が今週いっぱいだからだ。展覧会というやつは、油断をしているとすぐに見逃してしまう。自分の尻をひっぱたいて、とにかく見に行かねば。
 さすがに大阪市美。しっとりとおちついた展示である。中国・陜西省と山西省から出土した、最新資料も含む展覧会で、なかなか結構である。ただ、「唐の前段階を語る」とのことで、けっこう南北朝時代(特に魏〈北魏〉)の資料もはいっていた。もちろんきちんと展示は区別されているし、北魏の美術品の野性味が好きな私にはありがたいのだが、一般の観客にはこれも唐のものと誤解されてしまうように思う。ちょっと気になる。また、やっぱり美術展示だね。私なんかがやってきた歴史展示とはまったく展示構成のポリシーが違う。空間を贅沢に使い、ひとつの部屋に数点だけがポン、ポンとおいてある、というところもある。解説やパネルも最小限である。私がやるとするとたぶん、ぎっしりと詰めこんで、解説や写真パネルなんかもギチギチに入れ込むだろうな・・・ これはもちろん、どちらが良くてどちらが悪いというものではない。ただ、美術展示では美術品そのものに語らそうとするあまり、その資料の背景などの解説がどうしても二の次になってしまう傾向は否めない。
 今回の展覧会でも、隅っこに「陜西省斉陵出土/白玉製 奉天皇帝・恭応皇后謚印、同皇后謚冊」が並んでいたのには絶句した。解説もなんにもなく、誰にも見向きもされていない。奉天皇帝というのは皇帝玄宗の長子の李ソウ(偏が「王」、旁が「宗」)のことで、薨後に皇帝号を追贈されている。つまり、これは唐の「皇帝陵」の出土遺物である! 2002年に発掘されたというのだが、迂闊ながらそんな情報をまったく知らなかった。唐の皇帝陵の研究は、私のやっている日本の天皇陵研究にも裨益するところが大きい。こんな凄いものを並べるんだから、その遺跡についても解説を加えておいてよ、と思う。

 美術館を出ると、小雨。せっかくだから、公園内の茶臼山に登る。周濠とも見える「河底池」という池があり、古墳であるかどうか永年にわたって議論が繰り返されてきたところである。四天王寺境内に石棺があり、それがこの茶臼山古墳の出土だとまことしやかにささやかれてもいる。しかし、これまでは茶臼山本体からは確実な出土品はまったく知られていない。古墳ならば埴輪のかけらくらいあってもおかしくないのに。電気探査でも、遺構は見つかっていない。久しぶりに訪れたのだが、疑いの目で見ると、やっぱり古墳には見えないな。「墳丘」の傾斜がきつすぎる。すくなくとも、この「古墳」を資料にして大阪の古代史を語ることは避けねばなるまい。

 大阪市立美術館に行く時は、ふつうは天王寺駅から行くのだが、今日は気分を変えて地下鉄動物園前からのコースをとった。これだと、ジャンジャン横丁と新世界を通ることになる。いつもながらの庶民の町である。新世界ではやはりこれだろう、ということで、昼食はジャンジャン横丁の串カツ屋の暖簾をくぐる。ドテ焼きの串がめっぽううまい。揚げたての串カツ(名物「ソース二度漬け禁止」)もいい。付きもののキャベツをバリバリと頬ばる。しかし、昼間っから、しかもこれから仕事があるのに、ビールを飲んでしまったぞ・・・
 
 すぐ京都にとって返して、古代学協会へ。角田文衞先生の新著『古代学の構想』の最終校正を受け取る。索引作りという怖ろしい仕事がやっと最終段階だ。もう一息である。それから、ぎりぎりで大学に飛び込み、「京都学概論」の授業をこなす。


2005.05.16

火中の栗と永遠の女性、の巻

 5月16日(月)
 午後から、会議に継ぐ会議。拾わされる羽目におちいった火中の栗が、ますますふくれあがっていく。気が重い。しかし、「大学全入時代」に向けて、改革に取り組まない大学には未来はない。ふぅ〜っ。もしかすると今年は夏休みは無しかな・・・ せっかく、今年こそはヨーロッパに行こうと思っていたのに、それもお預けかな・・・ (涙)

 ぐったり疲れて帰宅。遅い夕食を終えたあと、ソファーに横たわり、テレビに向かう。録画も含めて、続けさまに「ER」と「HEY! HEY! HEY! 」と「宇宙交響詩メーテル—銀河鉄道999外伝—」を見る。「ER」はスピーディでスリリングな展開が印象的なアメリカの医療ドラマ。女優モーラ・ティアニー演じる看護士兼医学生アビー・ロックハートの寂しげな笑顔が好きで、いつも楽しみに見ている。「HEY! HEY! HEY! 」は工藤静香さんがゲスト出演。過去の「秘話」での爆笑シーンに、いささか心なごむ。「宇宙交響詩メーテル」は、いわずと知れた松本零士さん原作の名作「銀河鉄道999」の前段階編である。永遠の女性メーテル、今回のドラマでは若い時代が舞台で、ちょっと少女っぽい感じに描かれているが、やっぱり素敵だね。私にとって、永遠の憧れだ。
 ところで、工藤静香さんはメーテルにそっくりだって誰かが言っていた。そうだそうだ、とも思うし、そうかな?とも思う。 



法事とお誕生日祝い、の巻

 5月15日(日)
 先日なくなった伯母(父の姉)の納骨の儀式があり、比叡山延暦寺の大霊園に行く。しめやかに納骨の法要。はるかに琵琶湖を望む巨大墓地である。中に、他を圧するような巨大な石塔がいくつも立っているのに仰天。そのうち、前方後円墳を造営しようとする人が出るんじゃないか? 下山してからは大津のホテル紅葉でお供養の食事。源氏物語をテーマにした和食で、おいしかった。ただ、ホテル紅葉にくっついている木下美術館(重要文化財・法住寺殿跡武将墓出土品を所蔵している)の扉が閉まっていたぞ。ちょっと気になる。
 夜は、甥(妹の長男)の誕生日祝いとのことで、焼き肉屋さんに行く。そうか、この子ももう18歳になるんだ。どんどん大人になってくるんだな。
 ちょっとくたびれた。大河ドラマを見て、すぐに寝る。



博物館を論じ、マンガン鉱山に潜る、の巻

 5月14日(土)
 1講時は「博物館実習」の授業。先日見た「人体の不思議」展をネタにしつつ、収益至上主義、研究・資料収集軽視、指定管理者制度導入など、博物館業界の直面している危機について話す。あたりまえのことだが、博物館とは
 (1)資料収集・保存
 (2)研究
 (3)展示・普及・生涯教育
が三位一体となってバランスをとっていなければならない。そのうち、(3)だけは、やりかたによっては金銭的利益につながる。それに対して、(1)(2)は支出ばかりである。しかしそれでも(1)(2)が重要なのは、それが普遍的な「公益」に属することだからである。また、(3)のうちで儲からない部分(学術的な展覧会など)についても、「公益」であるからこそ必要とされるのである。
 しかし、現在の博物館業界は、(3)のうちで利益を上げることのできる部分にばかり偏り、(1)(2)の「公益」がおろそかにされつつある。たとえば、現在東京に建設中の「国立新美術館」では、館長予定者が声高らかに「新美術館は資料の収集・保存はやらない。展覧会だけをやる」と宣言している。この人物(高名な美術史研究者だという)は、果たして博物館・美術館の本質を理解しているのだろうか? 背筋が寒くなる、とはこのことである。

 午後、花園大学人権教育研究センターのミニ・フィールドワーク。京都市右京区京北(ついこの間までは京都府北桑田郡京北町だった)の「丹波マンガン記念館」に行く。教職員・学生含めて19人である。丹波地域はかつて、日本最大のマンガン鉱業地帯だった。近代にはいってマンガンが軍需物資として重視されるにともない、この地域には数百の鉱山が採掘をおこなっていた。しかし、それぞれの鉱山の経営は零細で、その過酷な労働は貧しい人々(特に、被差別部落出身者や朝鮮半島出身者)によって担われていた。戦後になって鉱山は次々と閉山したのであるが、そこに最後まで携わった李貞鎬<リ・ジョンホ>さんが、自分たちの生きてきた証しを残したいという考え、ほとんど独力で作り上げたのがこの博物館である。1995年に李さんは過酷な労働の後遺症である「じん肺」によって亡くなられたが、彼の子息である李龍植さんが2代目館長をひきついで現在にいたっている。
 京都市内からちょうど1時間、記念館に着く。李館長がにこやかに迎えてくれる。彼自身も少年・青年時代には鉱山での苦しい労働を経験してきたのだが、そんな「暗さ」はみじんも感じさせない。よく笑い、よくしゃべる、豪放磊落なおっちゃん(失礼!)である。「『マンガン記念館』と聞いて、漫画の博物館だと誤解して来る人がいるんですよ」という李さんの言葉には笑った。ここでは鉱山の坑道(もちろん、原状そのままではなく、見学用に掘り広げてある)が300mにわたって見学コースになっているのだが、これは凄まじい。日本近代史の「暗部」を照らすのはもちろんであるが、そんなことに興味のない人であっても感嘆することはうけあいである。一見の価値どころか、何度も何度も繰り返し見学する値打ちがある博物館である。展示されている手作りの「丹波のマンガン鉱山分布図」には驚愕。金閣寺や鷹峯の裏山でもマンガンの採掘をやっていたなんて、京都の歴史を書いた他のどんな本にも載っていない重要な事実だ。とにかく、京都のすぐ近郊にこんなすばらしい施設があるのだから、どうぞ皆さん、訪れてください。

 それにしても、これが個人の努力によって維持されているんだよ。利益至上主義・観客動員至上主義・事なかれ主義に毒され、権力と癒着して恥じない博物館関係のエライ先生方やお役人様方よ、丹波マンガン記念館関係者のツメのアカを煎じて、喉が焼けただれるまで呑むがいい!

 大学に帰ってからはいつものようにお酒の会。おや、来ている学生のほとんどはウチの研究室の関係者だぞ。よしよし。



2005.05.13

博物館の将来像に暗澹となる、の巻

 5月13日(金)
 午前、朝日カルチャーセンターの講義。しかし、昨日の疲れで資料と映像の準備ができていない。朝、バタバタと作ってタクシーに飛び乗る。開始2分前、滑り込みである。「嵯峨野・太秦古墳群と秦氏」の話をする。
 午後、京都文化博物館の「人体の不思議展」へ行く。人間の遺体の実物に合成樹脂を染みこませて保存、縦切りや輪切りにして見せるというものである。私にはいささか悪趣味に見えるが、解剖学・医学の面では役に立つのだろう。会場では、近年見ないほどの大入り満員であることに驚く。しかも、ふだんは博物館になんか足を運ばないような感じの(失礼!)若いカップルが多い。展覧会というのは、こういうのがウケるのかな? でも、どうもこの展覧会は、ある程度の資料のセットが用意されており、それをあちこちに巡回させているようである。博物館としてはこんな展覧会ばかりでも困るぞ。最近の博物館ではとにかく観客動員ばかりが叫ばれ、博物館本来の機能が忘れられようとしている。こういう展覧会の「成功」はそうした悪い傾向に拍車をかけるのではなかろうか。
 我が古巣である京都文化博物館、別館(重要文化財旧日本銀行京都支店)のリニューアル工事が完成し、明日がオープニングだそうだ。確かに、以前とはいろいろと変わっていて驚く。しかし、これもまた危惧をいだかせるものだ。展示室を潰してテナントを入れたり物置にしたりしている。確かにこの方が人集めには良いのだろうが、それって博物館のあるべき姿だと言いうるのだろうか?
 博物館の別館の中にある古代学協会に寄るが、会議で研究員は皆さん不在。事務室でちょっと雑談してから館を出る。博物館界の将来を考えながら、ちょっとむしゃくしゃした気持ちで街に出る。CD屋さんと本屋さんをぶらぶら。ただ、買ったのは推理小説のアンソロジー1冊のみ。


印刷屋さんに原稿を回す、の巻

 5月12日(木)
 昨晩は遅くまで報告書の原稿を整える。ぐったり。朝、あわてて飛び出す。2講時目に『考古学概論』の授業。今日は「型式学」をやるが、どうも気分がのらない。昨日の疲れが残っているのかな? ボーっとして授業を終わって食堂に行く。注文したところで、昼休みに会議が入っていたことを突然思い出す。あわてて注文をキャンセルして会議にとびこむ。う〜ん、大学の建物建て替えの話がでているぞ。そうなると、事前の発掘調査の仕事がこちらに回ってくる・・・
 午後は大学院の授業。気分を変えて、場所を大学の歴史博物館学芸員室に移す。私の所蔵史料の何点かを収蔵庫から出してきて、「江戸時代における天皇陵研究」の話をする。松下見林の『(増補)前王廟陵記』、蒲生君平の『山陵志』など、原本を開きながら解説。しゃべりながらも、やっぱりいろいろと新しいことに気がつく。院生諸君、史料の現物を見ながらの授業なんて贅沢なんだから、きちんと内容を頭に叩き込んでね。
 夕方、印刷屋さんに来てもらう。懸案の『幾地地蔵山遺跡現状調査報告書』を印刷に回す。大学院生のKさんにも立ち会ってもらう。研究をやっていこうと思うと、印刷屋さんとのおつきあいも大事なんだよ。ともあれ、やっとひとつ肩の荷がおりた。やれやれ。ビールを買ってきて研究室で乾杯。隣室のF助教授も合流して騒ぐ。


2005.05.11

ゼミの日、の巻

 5月10日(火)
 1講義目からの授業があるのを忘れるところだった。くわばらくわばら。オムニバスの「日本史学入門」で、発掘調査の実際を、平安京左京五条三坊、京都府精華町畑ノ前遺跡の巨大井戸、エジプトアコリス遺跡の事例をとりながら説明する。2〜4講時はゼミ。2回生には土器の実測図の見方と編年表の使い方。3・4回生はそれぞれの研究発表。しかし、昨日の疲れで頭が回っていないのが自分でもよくわかる。夜には研究室の定例研究会。4回生のH君が「丹波の方墳」の発表をする。今年度の研究室の運営も、序々に軌道にのってきたようだ。
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 帰宅すると、友人Iさんからメールが届いている。先日、とてつもない理不尽な災厄に襲われた方である。私はその時、怒りに震えた。メールによると、その災厄をなんとか乗り切れそうだという。最悪の結果にはならなかったようで、少しばかり安堵。それでも、その災厄の原因の理不尽さを思うとなんともいえない気分になる。ともあれ、Iさんには心機一転してまたがんばってほしいと、切に祈る。


発送作業に披露困憊、の巻

 5月9日(月)
 午前、中世史・考古学研究者のM・Kさんが来宅。家を建てることを決意したので、拙宅を参考にさせてほしいのだという。私の家は、書庫に大幅なスペースをとった奇妙な建物である。他の人に参考になるのかどうかわからないが、ともかく良くいらっしゃいました。しばし歓談する。

 午後は教授会。ケンケンガクガク、疲労困憊。結局、火中の栗を拾わされる羽目におちいる。先が思いやられることだ。

 夜、拙宅で「中世都市研究会京都大会」の案内状の発送作業。Kさん、Yさん、もうひとりのKさん来る。いざとりかかろうとして、700通のプリント(総枚数2千数百枚)と封筒の山を目の前にして呆然とする。しまった、こんなに作業量があるのだったら、学生の手伝いを何人か手配しておくんだった。後悔の臍を噛んだがすでに遅い。案内状を折り、まとめ、封筒に入れ、封をする。なかなか山が低くならない。救いだったのは、いつも朗らかなYさんの冗談。気分がなごむ。とにかく、ぶっつづけで4時間、なんとか片づける。ここでもまた疲労困憊。日記を書く気にもならず、すぐに寝込む。


2005.05.09

ミニ同窓会、の巻

 5月8日(日)
 新聞を開くと、万年筆の会社がやった、有名人の「かっこいいママ」アンケート調査結果というのがでている。ダントツ1位に輝いたのは黒木瞳さんだという。これは当然だな。そして、2位に工藤静香さんがはいっている。どうでもいいニュースだが、ファンとしてはなんだかちょっと嬉しい。せっかくだから結果を転載しておこう。1位 黒木 瞳(343票)、2位 工藤静香(133票)、3位 松嶋菜々子(113票)、4位 松田聖子(75票)、5位 村上里佳子(58票)、6位 山口百恵(54票)、7位 竹下景子(42票)、8位 岡江久美子(32票)、9位 三浦りさ子(20票)、10位 アグネス・チャン(14票)《投票総数1526票》
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 明日、来客があるので、午前は部屋の掃除。それまで私の書斎は、床のすみずみまで「書類塚」が分布し、足の踏み場もない惨憺たる状況になっていた。片づけなければならない、と思っていても、なかなかやる気になれない。今回、ようやくひさしぶりの掃除ができた。しんどかったけども、良かった。
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 午後は、日本史研究会古代史部会。大会準備報告の一回目であり、「6・7世紀の地方支配」(毛利憲一氏)と「古代天皇と天命思想」(水谷千秋氏)の二本。報告者ふたりはいずれも気合いが入っている。もちろんまだまだ荒削りではあるが、これを、何回も準備会を重ねて、みんなで練り上げていくことになる。勉強になる。
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 夜は中学校時代の同級生とミニ同窓会。去年から、なぜかはわからぬが5月8日を指定し、集まれる者だけ集まろう、ということになった。私をいれて7人のささやかな会になる。会場は先斗町の小さな料亭で、鴨川を望むことができる座敷。綺麗な京ことばを使う元芸妓の女将さんのいる店なのだが、実は、ここの女将さんもまた私たちの同級生である。私の出身中学校(いまはもう無くなってしまった京都市立銅駝中学校)は妙なところで、北は広小路通(府立医科大学附属病院前の東西道路)、南は四条通、東は鴨川、西は寺町通という、きわめて変則的な細長い地域を校区にしていた。そこで、新京極・河原町・木屋町・先斗町という、京都の繁華街の主要部分が全部この校区に入っているので、こんなところにも知り合いがいることになる。
 幼なじみというのはやっぱりいいね。みんな、心おきなくしゃべり、心おきなく呑み、心おきなくおいしい料理を楽しむことができる。気持ちよかった。来年もまたこの日、この場所で集まることにしよう。


2005.05.08

中世嵯峨の講義をする、の巻

 5月7日(土)
 ウチの奥さんは亀岡に出かける。義経と頼政という講演会があるそうだ。朧谷寿・元木泰雄両先生らが講演されるという。

 私は午後から、キャンパスプラザ京都での授業である。花園大学が大学コンソーシアム京都(京都の大学の連合体。単位互換授業をやっている)に提供している授業として、「京都学総論」というのがある。オムニバスでいろんな教員が話をすることになっているが、今日が私の出番である。テーマは「中世京都と嵯峨」に決める。単位互換授業なので、聴講生は花園大学以外の学生がほとんどである。ただ、ちらほらと社会人の聴講生の姿が見える。これは手抜きはできない。一般市民の方でこういう授業を聴講する人は好学の意識がものすごく高いからだ。ただ、中世都市嵯峨は私がここしばらく追いかけ続け、やっと論文にまとめたばかりのテーマである。「今日しゃべることはこれまでのどこの本にものっていません。私の最新の研究をお話しします」と前置きをした上で講義にはいり、中世都市としての嵯峨の巨大さを強調する。大学の授業なんだから、やっぱりたまには最先端の研究成果を出さなければな。

 講義が終わった後、京都駅前のプラッツ近鉄に寄る。いつもの通り、CD屋さんの新星堂を覗く。マリー・クレール・アランがオルガンを弾いたフランクのオルガン曲集(2枚組)を見つけたので、すぐに購入。今まで、フランクといえば「交響曲ニ短調」と若干のオーケストラ曲しか聞いていなかった。でもこの作曲家はもともと教会オルガニストで、オルガン曲にこそ本領を発揮したはずだ(有名な交響曲も、オルガンの響きを取り入れたシンフォニーということで知られている)。未知の曲に挑戦してみるのもいいもんだ。



2005.05.07

学会の案内状準備、の巻

 5月6日(金)
 雨がきつい。原稿、例によってなかなか進まず。
 夕刻、大学にでかける。夏にやる「中世都市研究会京都大会」の準備のため、N大学のK氏と落ち合う。一緒に案内状を印刷。大量の紙の山が積み上がる。これを発送しなくちゃならないのか・・・ はぁ〜。それにしても、ひとつのイヴェント(学会の大会は学術上のイヴェントである)をなしとげようとすると、やっぱり裏方は大変だな。他の学会に出るときも、裏方に回った皆さんの努力をよく考えて、マジメに参加するようにしよう。


2005.05.06

神社に祈祷をお願いする、の巻

 5月5日(木・祝)
 午前、卒業生のK君が来る。玄関で、上がるように言ったら、扉の外を気にしながらモジモジしている。何?、と思ったら、若い女性が入ってきた。結婚することになったので、その報告に来たのだという。なるほど、それでわかった。
 K君は花園大学の大学院で考古学を専攻した。修了後は、埋蔵文化財調査を事業とするK社に入社した。最近執筆した報告書も持ってきてくれた。よしよし、なかなかがんばっているな。結構結構。民間企業に所属して研究を続けるのはかなりしんどい面がある。特に、一ヶ所に定住するのではなく、仕事があるところであれば全国どこでも飛び回らなければならないのは、正直言ってなかなか辛いものだろう。しかし、人間の値打ちとは、それぞれが置かれた環境の中で、どれだけ努力するかというところに現れるものである。むしろ、全国あちらこちらの経験ができるということを活かして、良い研究をやってほしいと思う。ともあれ、K君、結婚おめでとう。
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 私にとってのかけがえのない大事な友人であるY氏。人生の先輩であり、いつも深夜までおつきあいしていただく呑み友達でもあり、学問的にはまさに「師匠」ともいえる存在であるY氏。先日、その奥様が急な病気で倒れられた。Y氏のすばらしい仕事ぶりはこの奥様あってこそだというのは、この業界にいるものならば誰でもが知っていることである。いつお会いしても、にこにこした微笑みを絶やさない素敵な女性である。その彼女が、今はまだ集中治療室で病魔と闘っているのである。なんとか回復してほしい。良くなってほしい。でも、私にできることは何もない。いても立ってもいられない気分。いたたまれなくなり、昨晩はつい深酒をしてしまう。
 家の近所の晴明神社にでかける。苦しいときの神頼みであることは重々わかってはいるが、祈らずにはおられない。それから、下御霊神社に行く。私(の実家)の氏神様である。神主さんにお会いして祈祷をお願いし、お札をもらう。ここは平安京創設にかかわる「御霊」たちを祀る神社だ。怖ろしい荒ぶる神であるだけに、そのパワーは強烈なはずである。神よ、その無限のパワーを、少しばかりY氏の奥様のために裂いてあげてください・・・・
 そのまま病院へと向かう。京都では、その病気については権威ある病院だとされているから、まずは最善の措置が受けられているのであろう。もちろん集中治療中で私は面会はできない。家族も、時間を限って会えるだけだという。待合室で、ひたすら待つ。小一時間たったころ、Y氏とご家族が現れる。お札をわたし、ひたすら祈っていることを伝える。むしろY氏自身の憔悴が心配だったが、思っていたよりも元気になっておられ、ちょっと安心する。

 鎌倉時代の元寇の際、鎌倉武士たちが実際の戦闘行為にたずさわったのは当然である。しかしその一方、寺院の僧侶や神社の神官たちは喉が張り裂けるまで「敵国降伏」の祈祷をおこなった。中世にあっては戦争とは、実際の武力のぶつかり合いである以上に、それぞれが信仰する神同士の闘いだったのである。その伝でいくと、病気もまた、実際の医療行為、患者の精神力、そして人智を超えた何かの力(「神」というのがふさわしくないならば、「運」というべきかもしれない)が相互にかかわりあわなければ治っていかないのだと思う。Y氏の奥様に「運」が恵まれますように!!


2005.05.04

なんとか原稿一本、の巻

 5月3日(火・祝)
 世間は連休のはず。私は・・・よくわからない。
 うんうん唸っている原稿がある。(財)東京市政研究会が発行する『都市問題』で「世界遺産」の特集をやるということで、京都のことを書くように依頼された。京都の都市史を研究している以上、歴史遺産の保存と活用の問題は避けては通れないし、普段に考えていることもないことはないのでお引き受けしたのであるが、やっぱりちょっと勝手が違う。結局、なかなか原稿が進まない。ちょっと書いては休み、また再開してはまた遊ぶ、ということの繰り返し。でも、四苦八苦はしたがなんとか書き終えたぞ。ただ、読み直してみると、雑誌の企画に沿ったものになったかどうか、よくわからなくなる。でも、自分なりの視点を出していることにまちがいはない。
 この雑誌の編集者がずいぶん私のことを良く知っているような口ぶりだった。聞いてみると、その彼は、以前には私とも付き合いのある出版社SJ社に勤めていたという。そこでは歴史関係の雑誌の編集を担当しており、京都のN・M先生やN・T氏と一緒に仕事をした時に私のことを聞いていたのだという。なるほど。
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 暗澹とするニュースを受ける。
 私にとって、大事な大事な、本当に大事な友人の奥様が、急な重い病気で倒れられたのだという。なんとか一命はとりとめられたとのことだが、それでも安定するまではまだまだ油断はできないのだという。私にできることといえば、ただただ祈ることしかない。もどかしい。歯がゆい。悲しい。


2005.05.02

古本屋さんにどっぷりとつかる、の巻

 5月1日(日)
 う〜ん、連休のかき入れ時だというのに、ぜんぜん原稿が書けないよ〜。

 現実から逃避するために、外に出ることにする。今日からは、京都の年中行事である「みやこメッセ(京都市勧業館)」での古本祭りがある。京都では、春のみやこメッセ、夏の糺の森、秋の百万遍と、大きな古本祭りがある。いずれも大々的なもので、おそらく全国的に見ても有数の古書市のはずである。私も、必ずこの機会に古書を漁ることを楽しみにしている。
 雨が降っていたので、車で出る。丸太町通が渋滞している。しまった。今日はメーデーだった。市役所前広場に向かうデモ行進の列に巻き込まれ、さらには寺町通も車両通行止めで、ぐるぐると回る羽目におちいる。まあ、寺町を越えたらスムースに進んだから良いとするか。
 会場は凄い人の数。本好きがこれだけいるのだから、結構なことである。顔なじみの古書店の主人にあいさつし、さっそく会場を回る。入手不可能な発掘調査報告書をゲット。かなりくたびれたので、昼食に出る。前にも行った店だったのだが、これがぜんぜんおいしくなかった! 損をした気分。午後もひたすら会場回り。結局、4時間くらいかけたかな? 拾い物は、天保3年の方広寺大仏殿の御開帳の時の「御宝録」。要するに、現在でいうならば博物館の特別展示のカタログにあたるものである。

 疲労困憊して家に帰る。中島みゆきさんのDVDを鑑賞しながらリビングで寝そべる。ちょっとウトウト。夜は、大河ドラマ「義経」を見る。いつもながらの噴飯物のドラマである。これも毎週の恒例行事として、京都女子大学宗教・文化研究所の掲示板(http://donkun.ath.cx/~sion/bbs/)にこのドラマへの文句を書く。ドラマを見るから文句をいうのか、文句をいうために我慢してドラマを見ているのか、だんだんわからなくなってきた。チャンネルを回すと、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルのコンサートをやっている。オルフの「カルミナ・ブラーナ」、私の好きな曲であるからついつい見てしまう。



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