伏見桃山城に攻め入る? の巻
5月30日(月)
午前、伏見桃山城で、京都府埋文センターのM氏、京都市のU氏らと待ち合わせる。なお、秀吉と家康の居城だったのは「伏見城」である。ここでいう「伏見桃山城」というのは、伏見城跡の一角に1964年に建てられた復興模擬天守閣のことを指すのでお間違えのないように。
この伏見桃山城、復興模擬天守閣と「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地とがセットになるという変わった体制で、建てられてから40年間にわたって親しまれてきた(経営は近鉄の子会社である「株式会社桃山城」が担当)。しかし、一昨年に経営不振のために閉園となった。私も、子供の頃から親しんできただけに、かなりのショックを受けた。ただ、土地売却と模擬天守閣破壊というような最悪の結果はまぬがれ、京都市が運動公園として整備し、模擬天守閣はともかく外観だけは残す、ということになった。
ところがここで問題がでた。模擬天守閣にはいろいろな歴史資料が展示されていたし、倉庫にもいくつかの資料が収蔵されていた。特に、私がかつて伏見城とその城下町の復原研究(山田邦和「伏見城とその城下町の復元」〈『豊臣秀吉と京都』所収、京都、文理閣、2001年〉)をおこなった際にその資料的価値を高く評価した「伏見御城槨并屋敷取之絵図(伏見城々下町絵図)」、さらには「宝暦七年伏見古地図」などが所蔵されているはずなのである。会社が解散した後、それらはいったいどうなったんだろう? 気にはなっていたのであるが、確かめもせずズルズルと来ていたのである。
これを心配したM氏が、近鉄本社を始めあちこちに問い合わせ、京都市にも掛け合い、資料を探そうというので声をかけてくれたのである。ありがたいことである。しかし、閉城以来、模擬天守閣の内部はほとんど誰も入っていない。どのような状態になっているかもわからないし、どさくさまぎれに資料が散逸した可能性もある。第一、電気も切断されているということで、懐中電灯持参である。
とにかく、確認しなければ話にならない。模擬天守閣の鍵をあけてもらい、中にはいる。確かに埃だらけである。ただ、展示室はほとんど以前のままで、展示物もそのままであった。「宝暦七年伏見古地図」は展示室にガラスケース内に以前のままにぶらさがっていた。さらに、懐中電灯の明かりを頼りに倉庫にはいる。ここもかなり荒れているが、U氏が長い包みを見つけた。あった! 「伏見御城槨并屋敷取之絵図」である! 良かった。このまま置いておくことはマズイだろうというので、とりあえずめぼしい資料は京都市側で仮保管してもらうことにして、救い出す。
とにかく、一安心であった。

