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2005.06.30

京都市指定管理者委員会、の巻

 6月29日(水)
 「京都市文化財学習研修施設指定管理者選定委員会」の委員になった。

 第1回の委員会があるので、会場となった京都市考古資料館にでかける。委員は、私を入れて4人。あとは京都市側から事務局多数と、公開会議ということで市民の傍聴者のみなさんが参加する。開会とともに、いきなり委員長に選ばれてしまった。
 要するに、公共施設の「指定管理者制度」が導入されたことにより、京都市考古資料館と京都市文化財建造物保存技術研修センター(清水寺の近くにある新しい施設。檜皮葺など伝統的屋根葺技能をはじめとする建造物の維持・修理のためのものである)にこの制度が適用されることになる。その、管理団体を公募し、さらに選定して市長に答申する、という役割の会議である。
 このブログの4月4日条で書いたが、私自身は指定管理者制度にかなり批判的である。この制度はたやすく「悪用」することができ、そうなったならば日本の文化施設は壊滅する危険性すらあると思っている。しかし、国の法律として出来てしまったものであるから、今さらやめるわけにはいかない。要は、この制度をいかにうまく運用し、博物館などの文化施設を活性化し、国民のためになるように変えていくか、というところが問題になる。そのためには、そうした文化施設の管理をどのような団体に任せるのかを、慎重な上にも慎重に考えていくことが肝要となる。このために少しでも力をつくせたら、と思う。
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 ウチの奥さんが帰宅する。昨日から、急に思い立って鎌倉に行っていた。推定・北条義時の法華堂(墓堂)が発掘されているので、それを見にいったのだという。私も見たいのはヤマヤマだが、今はとても時間がない。う゛〜・・・・・



2005.06.29

角田文衞先生新著の索引作り、の巻

 6月28日(火)
 昨日の朝一番に、(財)古代学協会に出かけた。私にとっては、いわば古巣の研究機関である。しかし! 協会が入っている京都文化博物館の通用口で顔見知りの警備員の人に言われた。「今日は全館休館日で、古代学協会も誰もいませんよ」。ゲゲッ。私の在職していた時とは休館日が変わってしまっているから、時々こうした間違いがおきる。ムダ足をしてしまった。
 しかたないので、今日の朝一番に出直しである。古代学協会理事長・古代学研究所所長兼教授 角田文衞先生の新著『古代学の構想』の索引のゲラ刷りを届けにいったのである。角田先生といえば古代学の大家であり、その学問領域の広さによって著名である。とにかく、考古学と文献史学の両輪に通暁し、英・独・仏・露・伊・希・羅などの諸語を自在に操り、ヨーロッパと日本の旧石器時代、ギリシア・ローマを始め東欧・ロシアまでも視野にいれたヨーロッパ考古学、中央ユーラシア考古学、縄文時代考古学、国分寺を中心とする奈良時代史、紫式部や平安京などの平安時代史、考古学・古代学史、そして古代学の方法論と、ありとあらゆる分野における一級の業績をあげられてきた。
 今回の新著は、半世紀前の名著『古代学序説』のいわば続編である。角田先生のこれまでの業績のうち、古代学の方法論や古代学の体系化に関するものを集大成した。私も、企画段階から関与することができたのは望外の喜びであった。しかし、私への宿題の中で一番の難点は索引作りであった。世界中の古今東西の知識が縦横無尽に駆使されているこの書物、生半可な知識で歯がたつはずはない。四苦八苦しながら、ようやく索引を完成させることができた。これでやっと肩の荷がおりる。あとは出版を待つだけである。
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 6月25日条の「京女の懇親会、の巻」という題名、もちろん「きょうじょ=京都女子大学」のつもりなのだが、山中章博士の日記ブログ6月27日条で「『きょうおんな』との懇親会? 恋に狂ったのか?」と冷やかされてしまった。なるほど、「京女」と書けば、確かに「きょうおんな」と読むのが普通である。思いがけないことがあるものだが、面白いから訂正せずにこのままにしておこう。


2005.06.26

隣の芝生、の巻

 6月26日(日)
 午前中は佛教大学通信教育部の講義。例によって3時間半の長丁場。例によってなかなか進まず、やっと平安京の概観が終わったところとなる。
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 わが敬愛する呑み友達にして先達、山中章博士(三重大学教授)は、この日記にもしばしばご登場願っている。実名、匿名とりまぜると、その登場度はかなりのものであろう。ところが、山中博士の日記ブログの6月25日・26日両条(こう書くと、まるで貴族の日記の引用のようである)を見ると、私が登場している。びっくりびっくり。
 なんでも、私の日常が
 >寸暇を惜しんで論文を書き、
 >合間に優雅な食事を持ち、
 >優雅な趣味で過ごす。
 >これぞ山田式優雅人生。
だそうである。
さらに、「てらしま」さんという方がこれにコメントをつけて
 >たしかに、山田邦和先生の生活は、
 >かなり、リッチです。
 >クラッシクのコンサートの観客の質の話しから、
 >豪華な食事は恐れ入ってしまいます。
と言っておられる。

 これを読んで、涙が出るほど笑ってしまった。こういう風に見えることもあるんだね。いつも自転車操業で仕事に追いまくられ、締め切りを催促する電話におびえ、大学では雑用に疲れ果てている。一寸先の予定がたたないためにコンサートもほとんど行けず、行けたとしてもお金がないためにせいぜい京都市交響楽団(京響をバカにしていうのではありません。海外著名オケの来日公演と京響では値段が5倍くらいは違う、ということです)。同じ理由で、CDも一枚1000円以下の廉価盤や輸入盤しか買えない。そもそも、好きなクラシック音楽にしても、音楽の基礎的教養に欠ける(楽譜が読めないのは致命的だね)のでせいぜい上っ面しか聞けていない。あとはせいぜい工藤静香さんと中島みゆきさんを聞くくらいで、「ご趣味は何ですか?」と聞かれるのが一番困る。食事も、ひとりにされるとラーメンか親子丼ですませてしまうので、まったく栄養価が偏っている。だから、豪勢そうに見える食事は、実は誰か食道楽の人のお供をしている時である〈6月23日の場合は母と妻がいた〉。毎年、「今年こそは海外に行くぞ!」と言っていながら、休暇は雑用と締め切りでどんどんと潰されていき、結局涙をのんで諦めている。

 それに引き替え、山中博士の日常はうらやましいとの一言そのものである。何よりも凄いのは、世界を股にかけたその活躍ぶり。いったいこの人は、一年のうち何回、海外に行っているんだろう。中国(中心部だけでなく隅々まて)、韓国、ヴェトナム、アメリカ、確かロシアの沿海州も含まれているはず。大きな荷物をガラガラとひきずっている山中さんに「今回はどこからのお帰りですか?」と尋ねるのはほとんど毎度のことである。海外の研究者にも友人が多く、彼らが来日した際には必ず案内に立っている。私も何回かお相伴にあずかったが、そのうちの1回は、ふだんは私など前も通れない祇園の高級料亭だった。私が6月21日条で中国・遼の遺跡に行ってみたいな〜っ、と書くと、早速、すました顔での「ぼくは行きましたよ」という証拠写真入りのメールが来る。アメリカの大学に招聘されて、日本の古代都城研究の現状を普及させるんだと、パワーポイントでの英語の講演準備に熱中されていたのにも驚愕した。羨ましさを通り越す、とはこのことである。

 結局のところ、みんな、それぞれ隣の芝生は青く見える、ということなのかしらね? ともあれ、山中先生、これからも仲良くしてくださいね。
 
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京女の懇親会、の巻

 6月25日(土)またまた続き
 少し時間をつぶして、夜は懇親会。今日は京都女子大学宗教・文化研究所の公開講演会があった。私も行きたかったのだが、自分の講座があったので断念。ただし、懇親会だけは否が応でも参加しなくてはならない(全然意味が通っていない?)。京都駅前の居酒屋の前で皆さんを待つ。まず、D大学大学院のTさんに声をかけられる。次に、ウチの奥さん登場。さらに、今日の主催者の野口実教授、講演者の高橋慎一朗氏(東京大学史料編纂所助教授、日本中世史)と堤邦彦氏(京都精華大学教授、国文学)が到着される。高橋氏とは旧知、彼と会いたいために、厚かましくも懇親会に押しかけたというわけ。堤氏とは初対面だが、同氏も参加された、東アジア恠異学会編『怪異学の技法』の書評をやったことがある(『ヒストリア』第191号掲載)ので、はじめてという感じはしない。
 飲み会は、和気藹々、いつもながら楽しい集まりである。すばらしいのは、ワイワイ騒ぐ中が、学問的な雰囲気で筋が通っていること。ここに集まる学生さんたちは、みんな学問への好奇心に顔が輝いている。やっぱり、大学ってのはこうありたいもんだね。


廉価盤3枚、の巻

 6月25日(土) つづき
 講義が終わって、CD屋さんを覗く。フィリップス・レーベルの新しい廉価盤が出ている。往年の名盤が、一枚1000円というからお買い得である。しかも、3枚買うとタダでもう1枚オマケになる、というお得品である。見ていくと、ストラヴィンスキー「兵士の物語」(マルケヴィッチ指揮アンサンブル・ド・ソリスト)、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」(ハスキル〈ピアノ〉、マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管)が含まれているのにびっくりするやら嬉しいやら。前者はこの曲の歴史的名盤として有名なものであるが、従来は堂々たるレギュラー盤で、2000円以下で売られることは絶対になかった。それがようやく廉価盤となったのである。「兵士の物語」は、斎藤ネコ指揮の日本語盤(女優の戸川純や歌手のデーモン木暮がナレーターをつとめる変わり種)と、語りの入っていないマゼール指揮バイエルン放送響盤を持っている。オリジナルのフランス語盤もきっと楽しいだろう。
 ハスキルのベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」は待望の復活である。私は、ずっとずっとこれを待っていた。この曲の良い演奏のCDを持っていなかったので、これは嬉しい。
 もう一枚、ラベック姉妹のピアノ連弾のブラームス「ハンガリー舞曲集」を手に入れる。美人姉妹として有名な彼女たち、この曲でも、緩急の揺れの激しい、自由闊達な演奏を聴かせてくれる。

 しかし、最近はCDもお買い得の輸入盤か、廉価盤かどちらかしか買っていないな・・・



保元・平治の乱を話す、の巻

 6月25日(土)
 あわただしい1日の始まりである。今日の講義のレジュメができていない。朝、起きるとすぐにコピーの切り貼りである。う〜ん、時間がないぞ。ダッシュで家をとびだす。間に合わないので、仕方ないからタクシーをつかまえ、大学へ。ぎりぎりで会議にすべり込む。建物の建て替えの検討である。今後の会議の日程を決めると、どんどん夏休みがつぶれていく。悲しい・・・・

 円町の駅前でラーメンを掻き込んで、京都駅前のキャンパスプラザ京都にでかける。花園大学が提供する「京都学講座(みやこの中の戦さ)」の1コマ。聴衆は80人ほどで、ほとんど全てが年配の市民である。私は「都を舞台とした戦さ」として、保元・平治の乱(ホントは法住寺殿合戦までやるつもりだったが、時間切れになった)をテーマとする。まず、「『この前の』戦争といったら応仁の乱だ」という京都の都市伝説を批判し、次に大河ドラマ「義経」に文句をつける。保元・平治の乱については、古態本の「保元物語・平治物語」と「愚管抄」「兵範記」等を対照させて読むと、かなりなところまでわかるように思う。両戦争を源氏と平氏の覇権争いとみる「源平合戦史観」を批判する。聴衆の皆さんの反応はまずまずかな?


2005.06.24

西本智実さんステキ、の巻

 6月23日(木)
 やっと「福原」の原稿が完成。昨日、某学会に提出する。6月4日の京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナールで諸先生方からご教示いただいたことを、自分なりに消化し、当初の構想をかなり変えてみた。うまくいっているかどうか、それは神のみぞ知る(大げさだ)。
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 授業をさっさと終え。京都コンサートホールへ行く。今、人気絶頂の女性指揮者・西本智実さんが指揮する京都市交響楽団の演奏会があるのだ。私は、1998年の彼女の日本デビューコンサートを聴いたことがある(自慢自慢)。京都市交響楽団で、場所も同じ京都コンサートホールだった。その時の西本さんは、不慮の災難にあったとかで、杖をつき、足を引きずりながらであったが、印象的な熱演を聴かせてくれた。彼女の師匠の故・イリヤ・ムーシン氏も同道し、ただ一回だけの演奏を振ったのも思い出に残る。その時から、西本智実という指揮者がなんとなく気になっていた。期待通り、その後の彼女の活躍はめざましい。何枚もCDを出しているし、ロシアでのポストも充実している。バリバリの関西弁で話されるところも親近感を持たせるひとつの要因であろう。

 その西本さんのコンサート。やはり人気はもの凄く、大ホールがほとんど完璧なまでの満席だった。きっと、ふだんクラシックなど聴かない人も来ているんじゃないだろうか。切符を取るのが遅れたので、席は最悪。2階席のサイドの一番後ろである。悲しい・・・
 満場の拍手とともに西本さん登場。スラリとした長身(実際はそうでもないのかもしれないが、そう見えるだけのオーラがあるのは確か)に燕尾服をキリリと着こなし、颯爽と指揮台に登る。タカラヅカの男役と見まがう、と形容される通り、やっぱりステキだね。「華」があるというかなんというか、この人の演奏は音だけよりも、絶対に映像で見たほうが良い(DVDも出ている)

 曲目は、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」、ドビュッシー「小組曲」、ラヴェル「ボレロ」(それにしても、「シェエラザード」が真ん中にくるとは、いささか変わったプログラミングである)。
 お目当ての「シェエラザード」は、揺れの激しい、ロマンティックな演奏である。西本さんのダイナミックな指揮姿に見とれる。第1楽章と第2楽章をほとんど隙間なく演奏したのにはちょっとびっくりした。かつてのストコフスキー指揮ロイヤル・フィル盤の影響か? それはいいのだが、指揮者とオケの意志疎通不足なのか、どうも演奏によそよそしさが抜けきれないように思える。
 後半のメインは「ボレロ」。DVDでも出ているし、西本さんの得意曲なんだろうな。しかし、最初のフルート・ソロがあまりの弱音に耐えかねたようで、ちょっと不安になる。西本さん、弱音が苦手なのだろうか? でも、爽快なテンポでクレッシェンドしていくと、次第に彼女の本領発揮になっていく。最後の爆発的な強奏まで、ほぼ満足して聴くことができた。

 しかし、聴衆にはがっくりさせられる。予感が的中し、「シェエラザード」の第2楽章が終わると同時に盛大な拍手が巻き起こった。オイオイ! さらに、第3楽章終わりや、ドビュッシーの曲の切れ目でもパラバラと拍手が聞こえ、興をそがれる。まったく! 曲を知らないのならば、拍手するのは待てよな! 演奏者にも迷惑だということをなぜ考えない? さらに、曲の最後で、まだ指揮者の棒が降りきっていないのに拍手する連中がいるのはゲンナリだ。聴衆のレヴェルの低さを見透かされるように思い、ちょっと心配になる。

 演奏会の後は、京都コンサートホール内のフレンチ・レストランで、ステーキとフォアグラのコース。柔らかく、ジューシーで、結構でした。でも、贅沢しちゃったな。



2005.06.22

遼の皇帝陵を学ぶ、の巻

 6月21日(火)
 夕刻、京都大学へ急ぐ。京都大学大学院文学研究科21世紀COE〈グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成〉『王権とモニュメント』研究会である。会場は京都大学の旧・考古学陳列館一階の会議室。京大考古学の輝かしい伝統を示す由緒ある建物だ。
 今日のテーマは「慶陵」を始めとする遼の皇帝陵である。京大大学院のMさんが、昨年おこなわれた慶陵の現地調査の結果を報告する。同時に、昨年の調査の報告書をいただく。聞いていると、遼の皇帝陵はまったく独特だ。丘陵の谷間の奥に墓室をうがち、その前には儀式用の建物を建てる。また、谷間を出たところには「奉陵邑」という城壁をめぐらした施設を付属させる。「奉陵邑」とは、皇帝が参拝する時の行宮、陵に奉仕する人々の居住区、陵を管理するための役所、などからなるらしい。
 遼の遺跡は、かつて鳥居龍蔵博士が調査をおこなったことで知られている。徳島の鳥居記念館には、博士の調査で収集された遼文化の遺物がいくつも展示されている。遼の遺跡は、中国・内蒙古自治区のまったくへんぴなところのようだが、私も行ってみたいな。



2005.06.19

ベルギー中世都市論、の巻

 6月19日(日)
 日曜日だが、朝から仕事である。佛教大学通信教育部の面接授業(集中講義の形式)の「京都の歴史と文化」を、3週にわたってやらねばならない。授業は9時から12時50分まで。もちろん休憩は挟むが、いささかしんどい。しかし、前日の会議ともあわせ、疲れが溜まっているのが実感される。自分でも、話を引き締めることができないのがわかる。

 八方破れの授業をなんとかこなして、すぐに京都大学へ急ぐ。仁木宏氏(大阪市立大学)主宰の研究グループ「前近代日本都市論研究会」の研究会になんとか間に合う。京都大学本部(時計台)の2階の綺麗な会議室である。でも、アタマの奥がズシリと重い。きちんと聞けるかどうか・・・
 報告は、Ko大学の西洋史の若手研究者・Aさんの、ベルギー・フランドル地方の中世都市についてである。興味深いものではあるが、基礎知識の全然ない分野であるということと、くたびれているのと、暑さに参っているのと、喉もカラカラであるのとで、話を聞くのになかなか集中できない。都市における祭礼の問題なんか、日本の中世都市とも大いに共通することがあるのだが・・・・ せっかく良い報告を聞かせてくれた報告者には申し訳ない。SK大学のKさんからも「くたびれているようですね。いつもの元気がないみたいですよ」と気遣ってもらう。面目ない次第である。
 研究会が終わった後は、京都大学時計台1階のレストランで懇親会。なかなか豪勢なコースである。今日の報告にちなんで、ブルゴーニュ・ワインをたくさん注文する。ワインを傾け、アホを言っているうちに、だんだんと調子が戻ってくる。我ながら現金なものである。まあ、終わり良ければ全て良し、というところか・・・



会議のロングラン、の巻

 6月18日(土)
 朝8時45分、大学に出勤。普通は土曜日は行かなくてもいいのだが、今日は会議である。例の「火中の栗」そのものである。大学改革のための委員会で、なんと!私は委員長なのである。なんでまた、よりにもよってこの私が・・・・・ タメイキしきり。午前中は休みなしのぶっ続け。30分で昼ご飯をかっ込み、また2時間の間、延々と議論を続ける。やっと終わると、他の先生方はホッとした表情で解散する。私は研究室に居残り、今日の議論をまとめなければならない。
 そうこうしているうちに、いつのまにか夕方6時になっている。あわてて大学を出て、帰宅。すると、忘れ物をしたことに気づき、また大学へとんぼ返り。それからすぐに、今度は日本史研究会の総合委員会に出席である。遅刻して、おずおずと会議室に忍び込む。ちょうど、委員への交通費という議論をしていた。しかし、私の自宅から日本史研究会事務所までは徒歩10分なので、どう逆立ちしても私は交通費をもらうことはできない。また、濃い議論が続く。
 夜、8時半。やっと会議が終わる。ぐったりとして外に出る。代表委員のK大学のT先生と飲みにいく。会議後のビールはどうしてこう美味いんだろう? じっくり、平氏政権論と福原遷都論を闘わす。


2005.06.17

授業とお好み焼き、の巻

 6月16日(木)
 昨晩、懸案になっていた(というよりも、締め切りが過ぎてもズルズルと引き延ばしていた)『図録』の原稿が、完成とはいえないけれども、なんとか目途がつく。ちょっとばかり肩の荷がおりる。しかし、今月中の仕事があと、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・ う〜ん、どうなるんだ?
 今日の授業は、まず「考古学概論」。年代決定法を話す。特に年輪年代法の持つ問題点に力点を置く。年輪年代法は素晴らしい方法だが、その反面では使える資料がきわめて限定されるという弱点を持っている。しかし、昨今の考古学界では、その弱点に知らぬ顔をして、勝手な我田引水をする拙劣な論が横行している。困ったことである。学界にみられるそうした問題点を、じっくりと述べる。
 大学院の特講では、引き続いて平塚飄斎の『聖蹟図志』を読んでいく。江戸時代の天皇陵研究の最高峰に位置する傑作である。今日からは京都の巻にはいったので、いろんなことを説明しなくちゃならず、なかなか進まない。時代もあちこちに飛ぶ。それにしても院生諸君、日本史の専攻なんだから、日本史の基礎的知識くらい持っておいてね。
 授業が終わってからは、ウチの研究室の学生たちが来月の研究室旅行(岡山に行くことになった)の打ち合わせをやっている。計画を立てるとは難しいもので、なかなかうまく進まない。まあこれも経験。気長にやってくれたまえ。その後、院生たちとお好み焼きを食べ、ビールを飲む。


2005.06.14

地図の扱い方を教える、の巻

 6月14日(火)
 またまたびっしりと授業の日である。1回生には「考古学とは?」の話。エジプトでの発掘の体験談などをネタにする。さっそく、「どうやれば海外の発掘に行けるんですか?」と聞いてくる学生がいる。しかし、これは答えにくいな。あんまり甘いことを言って変な夢を見させるわけにはいかないし・・ とにかく、一生懸命考古学をやること。あちこちにアンテナをはること、幅広い知識をたくわえること。そうすると、いつかどこかでチャンスがめぐってくることもある、としか言えない。

 2回生のゼミでは、「地図の扱い方」。同一縮尺に調整した京都の地図を、現代と明治との2枚を用意する。色鉛筆を持たせて、まずは現代地図に我が大学と、京都御苑と、二条城をマーキング(「京都御苑」の説明からしなくちゃならない・・・)。次に、明治の地図にあらわれた京都御苑と二条城をマーキング。ふたつを重ねると、あら不思議(でもない)、我が大学の位置を明治の地図に落とすことができる。それから、明治の地図に現れている巨椋池と淀城下町と御土居堀を確認させ、それを現代の地図にトレース。わずか100年のうちにこれだけ景観が違ってきている、というところを実感させる。
 考古学というよりも歴史地理学の実習みたいになった。でも、もちろん、考古学にとってもこういう作業は必須。みんな、わかったかな?


2005.06.13

歴博の展示委員会、の巻

 6月12日(日)
 朝から(ちょっと宿酔い、寝不足)、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館(略称歴博)に出かける。
 この3年間、歴博の共同研究「律令国家転換期の王権と都市」に、共同研究員として参加していた。研究代表者はわが尊敬する山中章教授(三重大学教授・歴博客員教授)であり、歴博側の受け入れは仁藤敦史助教授と村木二郎助手がやっていただけた。桓武朝という時代を文献史学・考古学双方から問い直そうという壮大な試みで、研究会後のお酒の会とともに、談論風発、和気藹々、喧々囂々の、まことに楽しい集まりだった。
 3年間の研究期間が終わってちょっと残念に思っていたら、この成果を基盤として次なるプロジェクトが動き始める。再来年に、歴博を会場として、桓武朝を主題とした企画展示をやる、ということになる。まことに結構な試みで、喜んで参加させてもらうことにする。関西のNJ大学から今年春に歴博に異動されたH先生も「顧問」格で参加されていた。お久しぶりです。
 私も、博物館に永く携わっていたものとして、展覧会には格別の思い入れがある。ただ、私が以前勤務していた館でもそうだったが、研究面を表に出した展覧会はなかなかやりづらいものである。しかし、「研究博物館」である歴博は違うはずだ。もちろん予算やその他の制約はあるだろうが、「研究展示」をコンセプトとすることができる。それだけでもワクワクしてくる。
 会議後は、京成佐倉駅前で例によってお酒の会(ただ、研究機関としての歴博のひとつの欠点は、近くに良い呑み屋が少ないことだ)。帰りの新幹線は、例によって山中さんとM市教育委員会のSさんと同道し、ビールをグビグビ。帰った時にはヘロヘロで、すぐに寝入ってしまう。


2005.06.11

Y氏夫人ご退院、の巻

 6月10日(金) また続き
 急な重い病気で倒れられたY氏の夫人だったが、心配された手術後の急変もなく、今日、無事に退院されるということである。良かった〜。嬉しい〜。やはり、下御霊神社の御祈祷が効いたのであろうか? まだまだ本調子とはいえないのであろうが、ともあれ一安心である。Y先生、奥様、今後もお大事になさってください。


2005.06.10

ドヴォルザーク交響曲全集、の巻

 6月10日(金) 続き
 大学で仕事をしていると、ウチの奥さんから電話がかかってきて、イメージ・スキャナー&カラー・プリンターを買い換えるから直ぐに来い、と言われ、京都駅前のプラッツ近鉄のソフマップへ出動する。さんざん悩んでやっと買うことができ、奥さんは満足げである。

 私は例によってプラッツ近鉄にはいっているCD屋さんを覗く。これもさんざん迷って、オトマール・スウィトナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団が演奏したドヴォルザーク交響曲全集+ブラームス交響曲全集のセット(不思議な組み合わせだ!)を買う。
 ドヴォルザークの交響曲全集が前から欲しかったのだが、世評の高いケルテス盤(ロンドン交響楽団)とクーベリック盤(ベルリン・フィル)は、現在出回っている輸入盤はどちらも詰め込み過ぎで、曲の途中でCDを入れ替えしなければならないというバカなことになっている。CD会社、どうしてそういう作り方をするのかね? 無神経の限りであり、演奏者には悪いが、この2種はどんなに演奏が良くても買う気にならなかった。ノイマン盤(チェコ・フィル)ならばちゃんちゃんと収録されているのだが、私はこの指揮者にはあんまりきちんとした印象を持っておらず、これもなかなか手が出せなかった。
 スウィトナーのドヴォルザークとはあんまり知られていないレパートリーだが(おそらく、日本盤は発売されていないと思う)、曲が分断されずにきちんと入っているのと、ブラームス全集とのカップリング(CD8枚セット)で4,284円という驚くべき安さであったのと、オケがベルリン・シュターツカペレだというのに惹かれてしまった。
 とにかく、やっとのことでドヴォルザークの交響曲が全部揃ったのだから、じっくりと聞いていくことにしよう(今、これを書いている後ろでは「イギリス」というケッタイな通称で知られる「第8番」が流れている。悪くない演奏だと思う)。

《追記》 と、思っていたら、たった今気が付いた。ドヴォルザークはいいのだが、ブラームスの3番だけがCD2枚にまたがっていた。もう〜っ! こんなところで盤をケチるなよ〜っ! 仕方ない、今後これは、ドヴォルザーク全集としてだけ聞くことにしよう。


太秦の古墳を案内<あない>する、の巻

 6月10日(金)
 午前、朝日カルチャーセンター京都の講座。「嵯峨野・太秦古墳群と渡来人秦氏」の最終回で、今日は現地見学をやる。
 10時30分、嵐電(京福電鉄嵐山線)の蚕の社駅で集合する。小さな小さな無人駅である。来年くらいには、この近くに京都市営地下鉄東西線が開通することになっており、大工事が進んでいるのが見える。まずは、そこから南下して天塚古墳を見学する。6世紀前半の前方後円墳だが、横穴式石室ふたつを持つところが珍しい。さらに、その隣接地の、破壊されて駐車場となった清水山古墳跡、千石荘児童公園を見る。
 駅に戻り、電車にとびのり、一駅で太秦まで。広隆寺にはいる。国宝・弥勒菩薩像に久しぶりに会う。やっぱり、いつも綺麗ですね。再度電車にとびのり、また一駅で帷子の辻まで行く。住宅街の真ん中の蛇塚古墳をめざす。累々とした巨石石室が露出していることで著名である。ところが、石室入り口の柵の鍵が開いていなかった。京都市文化財保護課にはきちんと手続きをしたので、地元の「古墳保存会」に連絡してくれているはずなのに・・・ 古墳の側の保存会会長さんのお宅のインターホンを鳴らしてもお留守のようだ。これは困ったぞ・・・
 困惑していたら、幸いにもその2軒となりの奥さんが出てきてくれた。この人も保存会の会員で、鍵を預かっているという。ありがたい! 助かった! 蛇塚古墳の石室の重量感は、やはり玄室の中に入ってみなくてはわからない。みんな、しばし見とれる。
 昼に解散。家に帰ると、どういうわけか疲れが出て、目をあけていられなくなる。ウトウト。一時間ほど休んで、大学に出勤する。例の「火中の栗」が真っ赤に熱せられ、今にも弾けそうになっている。戦々恐々としながらそれを扱い、思わずタメイキをつく。


2005.06.08

平安宮巡見、の巻

 6月7日(火)
 2回生ゼミを、屋外巡見に連れ出す。先週は双ヶ岡に古墳を見に登ったので、今週は平安宮跡に行くことにする。このあたりは、「平安京内にある大学」としての花園大学の利点である。大学最寄り駅のJR嵯峨野線円町駅で集合し、丸太町通を東に10分ほど歩く。京都アスニー(京都市社会教育総合センター)で平安宮造酒司跡の遺構復元を見たあと、そこに展示されている平安京の1/1000復元模型を見学し、平安京の概要を説明する。それから、この模型を造った時の苦労話も。あとは、豊楽殿跡を経て、千本丸太町の大極殿跡にいたるというコースである。
 とにかく、市街地の中の遺跡は、現在の地図や復元図をじっくり見ながら、想像力を働かせなければいけない。学生諸君、わかってくれたかな?


2005.06.07

長安を語り、本を買う、の巻

 6月6日(月)
 朝、京都新聞の朝刊を開くと、私が登場している「歴史探検 京のみち」が載っている。今回は白河・六勝寺の特集である。私の写真は、京都市動物園内の法勝寺九重塔跡の石碑をのぞき込んでいるところ。ちょっと気恥ずかしい。

 今日と来週月曜は、同志社大学の全学共通科目「シルクロード」の日である。いろんな先生がオムニバスで話をするものという形式の授業で、私は「シルクロードの都市」について2回しゃべることになっている。今日は、シルクロードの出発点としての唐の長安の講義をやる。1994年に京都文化博物館でやった特別展「大唐長安展」を担当したこともあって、長安(現・西安市)は私にとって懐かしく、親しい都市である。ただ、出席率がむちゃくちゃ悪く、大教室がガラガラだぞ。どうなっているんだ、同志社の学生諸君?
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 講義が終わって、同志社生協書籍部をブラブラ。やっぱり大きな大学はこういう設備が整っていて羨ましい。かなり時間をつぶす。新刊を3冊購入。
 まずは羅宗真『古代江南の考古学—倭の五王時代の江南世界—』(白帝社)。日本の古墳時代の勉強には中国の南北朝時代の特に南朝(六朝)の知識が欠かせない。
 次は関雄二・青山和夫『岩波 アメリカ大陸古代文明事典』(岩波書店)。世界史的に「都市」を考えるには、アメリカ大陸の古代都市をきちんと把握しておかねばならない。旧大陸の都市しか見ずに「都市」を語るなんてのはまったくおこがましいことである。というのが、私の持論である。今回の書物は「核アメリカ」(アメリカ大陸の高文明地帯=メソアメリカ&アンデス)はいうまでもなく、南北アメリカ大陸全土にわたる古代文明の知識がコンパクトに網羅されていて、なかなか読み応えがありそうである。
 もう一冊は、尚樹啓太郎『ビザンツ帝国の政治制度』(東海大学出版会)。「中世ローマ帝国」(私は角田文衞先生の御主張にしたがって、「ビザンツ帝国」という名称は使わないことにしている)に関する知識は、「中世」というものを真に理解するためには必須であろう。著者の尚樹氏はこの分野の日本の最高権威のひとりである。かなり以前になるが、氏の著作を片手にしながら、コンスタンティノポリス(現・トルコ共和国イスタンブル市)の街中をテクテク歩き回ったことを思い出すな。そもそも、中世ローマ帝国の細部なんて、日本語ではほとんど読むことはできないから、尚樹氏の業績は貴重である。きちんと勉強しなければ・・・・



2005.06.05

福原京の報告をする、の巻

 6月4日(金)
 京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナールの研究会に出席し、研究報告をさせてもらう。
 このゼミは、同研究所の野口実教授が主宰するもので、京都女子大学に限らず、関西の各地から意欲ある中世史の若い人たちが集まってくる。私も、この研究所の研究協力者を数年にわたってつとめさせてもらった。今回は「拡大研究会」ということで、野口教授が編集をされた『古代文化』(古代学協会発行)今年4月号の「平家と福原」特集号についての書評会をやることになったのである。ついでに、といってはなんだが、私の「福原遷都の混迷と挫折」の報告を聞いてもらうことになる。この時代の権威として知られる、K大学のMO先生とS大学のMI先生も出席され、豪華な顔ぶれである。
 私の報告は、『古代文化』に書いた「『福原京』の都市構造」の副産物または続編である。「福原=副都論」といわれているのが私の前からの持論(骨子はhttp://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike04.htmlを参照してください)なのだが、それをさらに詳細に展開することにする。新しい発見もいくつかあった、つもり、である。
 しかし、やはり人前で報告してみるものである。野口先生、MO先生、MI先生、それぞれから厳しい批判と懇切なご教示をいただく。特に、現在の学界における清盛研究の最高峰であるMO先生の発言は、どれもこれもありがたい限りである。私の史料の読みが浅かったことを痛感させられることもしばしばであった。感謝m(_ _)m感謝。ここでいただいた成果を私なりに消化し、論文に仕上げていきたいと思う。
 研究会が終わった後のビールはやはりうまい。二次会まで行き、いっぱい騒ぐ。帰宅した時にはもうヘロヘロである。


2005.06.04

工藤静香さん新譜、の巻

 6月3日(金) つづき
 福原京を見て、満足して、帰途につく。三宮と梅田の古本屋さんに寄り道をして、大学へ。おっとっと。やっぱり大学に行くといろいろな仕事が入ってくるぞ。気乗りしないまま、ウニウニと仕事を片づける。

pcca02136 あたふたと職場を後にして、CD屋さんに急ぐ。工藤静香さんの新しいアルバム「月影」(ポニーキャニオン)が出ているはずだからだ。ジャケットが凄くワイルドで、思わずクラクラとなりそう。静香さんの新境地を聞く。さらに、「山口百恵トリビュート Thank You For .... Part2」(Sony Music)をゲット。山口百恵さんの歌をいろんな歌手の人が唄っているCDである。「なんでこんなCDを??」とウチの奥さんが不思議がっていたが、「曼珠沙華」で工藤静香さんが参加しているのである。アレンジがまったく新しく、サンバ調の、変わった「曼珠沙華」である。静香さんの艶のある歌声を堪能する。

 それから、NAXOSレーベルを2枚購入。これは香港のクラシック専門会社で、他会社が手をつけない意欲的なラインナップで知られている。しかも、一枚1000円という廉価盤なのがありがたい。最近のお気に入りは、この会社が推し進めている「日本作曲家選輯」シリーズである。近代日本のクラシック音楽を体系的に紹介しようという、嬉し涙が出そうな企画である。今日買ったのは、芥川也寸志「エローラ交響曲、他」と深井史郎「パロディ的な四楽章、他」である。どちらも初めて聞く曲ばかりであるが、躍動的で鮮烈な響きに満足する。近代日本の音楽界も、決して捨てたもんじゃないじゃないか(ただ、他のCD会社もNAXOSを見習ってこんな良い企画を出せよ!といいたくなる)。



幻の福原京に触れる、の巻

 6月3日(金)
 神戸市教育委員会の須藤宏さんが、祇園遺跡13次調査をやっているという連絡をくれる。ありがたい。祇園遺跡というと、平清盛の造営した福原京の関連遺跡である。私もここしばらくは、福原京の研究(山田邦和「『福原京』の都市構造」〈『古代文化』第57巻第4号掲載、京都、古代学協会、2005年〉)にとりくんでいるから、見逃すことはできない。なんとか予定をやりくりして、でかける。
 行ってみると、土地所有者の御厚意で確認調査をさせてもらっているとのことで、小さな小さなトレンチを2本開けている。それでも、見事に遺構にひっかかったのは万々歳だ。池の跡が顔を出している。明らかに、福原京の平家一門(おそらくは清盛その人)の邸宅の一部である。私の福原京復元図は、早速に修正しなければならないかもしれない。でも、それでもかまわない。ひとつの仮説を立て、それを新しい調査によって検証し、修正しながらより良いものに仕上げていけばよいのだから。
 須藤さん、本当にありがとうございました。勉強になりました。(^o^) ペコリm(_ _)m


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