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2005.10.31

水平社博物館を見る、の巻

 10月29日(土)
 朝から雨。少し風邪気味で、調子が悪い。花園大学人権教育研究センターのミニ・フィールドワークとして、奈良県御所市の水平社博物館を訪ねる。前から行ってみたかったのだが、ちょっと遠い感じがして、なかなか足が向かなかった。午前中にマイクロ・バスで大学を出て、昼は道の駅・ふたかみパーク當麻でうどんを食べる。この「道の駅」、地場の野菜などの販売で大繁盛である。結構なことである。
 昼過ぎに、水平社博物館に着く。まずはこの博物館の沿革などについて館長の講義を聞く。1922年に全国水平社大会が京都・岡崎の公会堂で開かれたことはもちろん知っていたし、「水平社宣言」も読んだことはあるが、詳しい経緯には無知だった。勉強勉強。それから、展示を見せてもらう。こじんまりとしているが、生き生きとした素晴らしい展示である。たくさんの人に見て欲しいものである。
 思いがけない儲け物だったのは、水平社博物館の隣に「神武天皇社」があることを教えてもらったことである。江戸時代には神武天皇陵の候補とされたこともあるというから、私には必見である。さらに、被差別階級の信仰に迫るためにも見逃せない。

 帰りの国道は渋滞に継ぐ渋滞。京都まで、ほとんど3時間かかる。くたびれた。
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『六條院へ出かけよう』刊行、の巻

 10月26日(水)
 風俗博物館の仕事でたずさわっていた『六條院へ出かけよう—源氏物語と京都—』がようやく刊行された。園田学園女子大学の五島邦治教授の監修、風俗博物館の編集になる書物である。ホントは夏に京都文化博物館でやった出張展示「源氏物語と京都—六條院へ出かけよう」の際には出ているはずだったのだが、どういうわけか遅れてしまった(私の責任では無いハズ)。先日、編集担当の林屋緑さんから「やっと出ましたよ〜」という嬉しそうな電話がかかってきた。ともあれ、めでたしめでたし。
 この本、私は第三部の「平安京を歩く」という項を担当した。ただし、衣装の解説など、私が不得意なところは五島先生や西いおりさん(国文学)にお願いしている。一方、図面はたくさん書いた(しんどかった〜)。さらに、「平安京の石碑」の欄はウチの奥さんにやってもらった。さらに、ありがたいことに彼女はこの本の「モデル」にも抜擢された。写真の中で、市女笠をかぶった虫垂れぎぬ(壺装束)姿で平安京の各所を闊歩している女性がいる。あれがウチの奥さんです。ただしアングルが工夫されていて、顔はまったく見えない。ともあれ、奥さま、いい経験が出来てよかったね。

 今日は、その「打ち上げ」会。風俗博物館の井筒館長と共に、某フランス料理店でフルコースである。五島先生、西さん、林屋さんともども、おしゃべりに華が咲く。いい時間でした。ありがとうございましたm(_ _)m。
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再び、京女の懇親会、の巻

 10月24日(月)
 夕刻、日本史研究会古代史部会。先日の大会の「反省会」である。いつもならばそのまま呑みに行くのだが、ウチの奥さんから電話がはいってきた。彼女は今日は、野口実教授率いる京都女子大学宗教・文化研究所ゼミナールの研究会に参加している。ちょうど今終わったから、これから懇親会をやる、来ないか?というのである。ちょっと遠いと思ったが、京阪電車丸太町駅まで自転車で行き、そこから電車で七条駅に行き、駅前の飲み屋に合流(乱入〈?〉)する。報告者の前川佳代さん、野口先生、S大学の中世史のM教授、などなどと一緒に、たのしく呑む。
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2005.10.28

日本考古学協会福島大会、の巻

 10月22日(土)続き、23日(日)
 やっとここまで来た。
 午後から、福島県文化センターで、日本考古学協会2005年度福島大会が開催される。今回の福島行きは、これがメインである。22日は渡辺誠氏(名古屋大学名誉教授)と工藤雅樹氏(福島大学名誉教授)の記念講演。私にはやはり、工藤先生の「衣の関と白河の関」が興味深かった。
 夜は福島市内のホテルで懇親会。いつもならば立食のヴァイキング形式のパーティーなのだが、会場に入ってみて驚いた。今回はなんとテーブル席のコース料理である。なんか、どこかの結婚式場に紛れ込んだような気がして、なんとなく居心地が悪い。それでも、お酒が入るといつものように大騒ぎになる。こういうところでの情報交換が一番大事である。記念講演者の工藤雅樹先生(1999年に工藤先生が「雄山閣考古学大賞」を受賞された時、私もお相伴に預かって「考古学特別賞」をいただいた)や、穴沢和光(「和」は異体字)先生にもご挨拶。さらに、どこかにいるはずだ、と探していた、大学での同級生のN氏にも巡り会える。
 終了後、やっぱり2次会。N氏を始めとする福島の研究者の皆さんに連れてもらって、福島駅近くのスナックに移動する。入ってみると、先客はKG大学のN・Y教授、SG大学のT・H教授らのグループだった。一緒になって、やっぱり大騒ぎ。さらに、その後にはやっぱりラーメンを食いにいくことにあいなる。
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 23日は研究発表を聞く。「七世紀の東北」というテーマで、ズラリと報告が並ぶ。ただ、東北の土地勘の無い悲しさ、半分も理解できなかった。その中では、古代史の今泉隆雄氏(東北大学教授)(お久しぶりです!)の講演が一番の聞き物だった。
 午後は、別室での埋蔵文化財保護対策委員会の会議に出席する。

 17時32分の新幹線に乗り、東京で乗り継ぐ。21時過ぎに京都着。くたびれました。
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福島郊外をうろつく、の巻

10月22日(土)・23日(日)
 やっとのことで福島市の朝をむかえる。22日の午前中は少し時間があるので、どこかをフラつくことにする。といっても、アテがあるわけではない。駅でもらったガイドマップを頼りに、「義経」ネタで話題になっているという、福島市北郊の医王寺を訪ねる。ここは、義経の忠臣・佐藤継信&忠信兄弟の父母が建立した寺だという。どうせ単なる伝説だろ、とタカをくくっての訪問である。境内には真新しい義経・継信・忠信の石像が建てられており、また宝物館には「弁慶の笈」「能登守平教経が屋島の合戦で継信を射殺した時のヤジリ」「義経の衣の裾」などなど、 「トンデモ宝物」(失礼!)が並ぶ(とは言っても、これらの宝物のうちには松平定信の『集古十種』に採録されているものもあるといい、伝説が具現化する過程を考えるのにはそれなりに面白い)。
22222 境内の奥の院には、佐藤継信&忠信兄弟やその父母の墓というものがある。しかし、そこに足を運んでみて、驚愕した。鎌倉時代〜南北朝時代の板碑が60数基、ずらりと並んでいる(写真)。福島県指定重要文化財にもなっているそうで、これは思いもかけぬ儲け物であった。やっぱり、どんなところでも足を運んでみなくちゃダメだね。
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 一度、福島駅に戻る。あと、わずかに時間がある。どうしようかな? 迷った末に、東北本線に乗り換えて、福島市の北東方にある伊達郡桑折町<こおりちょう>を訪ねることにする。
 福島駅から約20分。1時間に一本くらいしか電車はない。私がどうしてここを訪ねる気になったのか? 実は、この桑折町は、角田文衞先生の出身地なのである。先生は1913年4月9日にここに生まれられた。そして、11歳で仙台に転居するまでの少年時代をこの桑折町で過ごされたというのである。私としては、あの稀代の才能を育んだ土地とはどんなところなのか、ぜひ見てみたかったのである。雨の中、15分ほど歩いて、かつての町の中心だった旧・伊達郡役所(国指定重要文化財)まで行く。近代初期の地方の活気を示すように、優美な明治建築である。しかし、あまり私には時間がない。すぐに駅までとって返し、福島市内へと戻る。
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2005.10.27

白水の浄土に遊ぶ、の巻

 10月21日(金)
IMG_3187 21日は、二日酔いの頭をかかえながら上野駅にはいり、常磐線のスーパーひたち号に飛び乗る。これから福島行きなのである。この日は1日だけの中休みとなったので、前から行きたかった白水阿弥陀堂を訪ねることにしたのである。
 事故があったとかで、電車が遅れる。福島県の「いわき」の駅に着いた時は、もう昼である。白水阿弥陀堂行きのバスの時刻を確かめる。時間に一本であるから、このバスを逃すわけにはいかない。駅前のラーメン屋にとびこんで腹ごしらえをして、また飛び出すと、なんとかバスに間に合った。
 白水阿弥陀堂は正式名称を願成寺という。平安時代末期に建立された国宝・阿弥陀堂をとりかこんで、広大な浄土庭園が再現されている。最近は私も院政期の研究にハマッているから、これはぜひ行きたいと思っていた。
 バスを降りて、とぼとぼと参道をたどる。キレイな水の流れる川を越えると、大きな駐車場と広場が見える。広場は史跡公園として整備されている。その奥に庭園と阿弥陀堂が見え隠れしている。庭園の周囲はなだらかな山に囲まれている。まるで山に抱きかかえられているようで、美しいことこの上ない。阿弥陀堂は、規模は決して大きくないけれども、よくまとまったすばらしい建造物である。次のバスまではきっかり1時間あるから、お堂と庭園を堪能し、平安人の浄土に遊ぶことができる。心が洗われるな・・・

 まだ少し時間があるので、いわき市の考古資料館を覗いてみることにする。しかし、どうやって行けばいいのかわからない。資料館に電話するが、バスの便も悪そうだ。結局、タクシーしかないことになる。私は今でも、タクシーというのはすごく高級な乗り物だという観念を持っており、乗るのに抵抗がある(一方、ウチの奥さんはなにかにつけてはタクシーに乗りたがる)。しかし、ここではそんなことは言っていられない。ただ、とにかくエラく高くついた。
 いわき市考古資料館は、同市の財団と一緒になったこじんまりとした建物である。展示も、いかにも手作りといった感じが充満している。さすがに東北地方で、縄文式土器がズラリと並んでいる。奈良・平安時代では、金属の鋳造遺跡の資料に興味を引かれる。銅印の鋳型が面白い。さらに、2階では遺物整理室がガラス窓ごしに覗けるようになっている。ただ、難点はやはり、いかにも交通が不便だということだな。

 夕方、いわき駅前に戻る。高速バスに乗り込んで2時間10分、福島駅前に着く。やっぱり福島県は広いな、ということを実感する。福島駅前のえびすグランドホテルというちょっと妖しい(!?)感じの宿に泊まる。
 夕食をどうしようかと迷って、福島駅前の飲み屋街をうろつく。置賜伍番という店を見つけて、とびこむ。これが大正解。イタリア風・和風ミックスの居酒屋で、変わったメニューばかり。しかもリーズナブルな値段である。店長の手作りという、アンコウの干物が絶品。ひとりなので、そうたくさんは食べられないのが悲しい。充分に満足しました。
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東京の京都館で講演、の巻

 10月20日(木)
 さて、四日のあいだ京都を離れることになる。
 20日はお江戸である。京都ではこれを「東下り」と称することになっている。少し早い目に出発して、まずは何をおいても神田神保町の古本屋街にかけつける。とにかく、東京に行って神保町に立ち寄らねば禁断症状で苦しむことになるから困ったものだ。前から欲しかった『中世史講座』全11巻を始め、かなりの本を買い込む。
 午後からはホントの仕事。港区の高輪区民センターで講演である。東京に所在する京都館と花園大学は以前から協力しており、いろんな講座などをやっている。今回は「Kissポート財団特別連携事業 知られざる京都の魅力<平家物語の時代編>」ということで、私は例によって「平清盛の夢の都—福原京—」を話すことにする。かなり常連さんも増えてきたようで、話しやすい。私の最新の福原京研究を聞いていただく。

 講演終了後、Y出版社のM氏と落ち合う。前から電話などではおなじみだったのだが、顔をあわせるのははじめてである。私が東京に出掛けるということを聞いて、わざわざ私の講演を聴きに来ていただいた。そのあと、喫茶店と飲み屋をハシゴ。いい気分になれる。Mさん、ありがとうございましたm(_ _)m。ふらふらしながら上野駅前の場末のホテルに泊まる。

2005.10.25

急いで中継ぎ、の巻

 10月17日(月)
 教授会。ケンケンガクガク。覚悟はしていたが、矢面に立たされて、集中砲火を浴びることと相成る。疲労困憊である。
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 10月18日(火)
 京都大学の「王権とモニュメント」の研究会にでかける。立命館大学の中世史の本郷真紹氏の、平安時代の御願寺についての報告を聞く。今書いている論文にも多大の示唆を与えてもらう。深謝m(_ _)m。
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 10月19日(水)
 「人権講座」の割り当てが廻ってきたので、でかける。耳が御不自由な在日朝鮮人2世の方の苦難の歩みを聞き、現行年金制度の問題点を考える。
 さて、明日からはしばらく出張である。
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法勝寺跡で京料理、の巻

 だいぶ日記の間が空いてしまった。できるだけ取り返そう。

 10月16日(日)続き
 午後は、仁木宏さん主宰の「前近代都市論研究会」がある。今日は地理学の河角龍典さんの報告である。この研究会、どういうわけか、懇親会が凝ったものになる。本日は私がセッティング担当ということで、知恵を絞る。結局、やや離れていたが、岡崎にでかけることにした。
 地下鉄蹴上駅で降りて、個人的事情でその上の安養寺に寄り道。実は、私の家の菩提寺である。今日は、私の父の祥月命日なのだが、ちゃんとお参りができなかった。お寺の方に向けて手を合わせる。

 お目当ての会場は白河院である。名前の通り、摂政藤原良房の別業・白河院の跡地であり、またそれを白河法皇が寺院にした「国王の氏寺」法勝寺のちょうど真ん中にあたる。庭園は七代目「植治」小川治兵衛の作で、京都市の指定文化財。さらに、建物も武田伍一の設計と、いたれりつくせりである。今日は、メンバーのKさんの「国外逃亡」壮行会を兼ねて(?)いるから、こうした日本情緒しっとりのところもふさわしいと思う。
 メニュー:食前酒=城陽の梅酒。先付=アーモンド豆腐。前菜=栗葉餅・三色串刺し・柿麩・茗荷黄身刺身寿司・川海老。吸い物=土瓶蒸し。造り=鯛・鮪・紅蓼・大葉。焼物=茄子鉄砲焼き。炊き合わせ=南瓜・栗麩・小茄子・紅葉人参・絹さや。油物=太刀魚天婦羅・丸十・青唐。御凌ぎ=里芋饅頭蟹餡掛け。酢物=もずく・白玉団子。御飯=ゆかり御飯。留椀=赤味噌仕立て。香物=京野菜三種盛。果物=梨柿。

 綺麗な日本庭園をながめながらの京料理。結構でした。

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2005.10.18

最澄と天台の国宝展、の巻

 10月16日(日)
 午前は京都国立博物館で「最澄と天台の国宝」展を見る。これは正真正銘、凄い展覧会だ。さすがは京都国立博物館。その底力を見せつけられた思いで、圧倒される。こんなに見事な展覧会を創り上げられた学芸担当者はどなたかな?と思ったら、同館工芸室長の久保智康さんだという。さすが。納得。

 なによりも感銘を受けたのは、この展覧会が「1年半にわたり京都の天台宗寺院60余ヵ寺の寺宝を調査」してからおこなわれたということだ。充分な調査研究をおこない、その成果を展覧会で見せる。最近では忘れ去られていることが多い、博物館のあるべき姿がここにある。
 最近、通常の博物館では、調査研究などは二の次で、とにかく観客動員が見込める展覧会をやれ、とやかましく言われる。もちろん、誰も見てくれない博物館などは意味がないけれども、観客の数だけを競うようでは単なるテーマパークと変わりはあるまい。それは、博物館の自殺行為だということに気づかない連中が多すぎる。特に、最近の博物館界の「台風の目」となっている「指定管理者制度」であるが、 こうした博物館の本質を考えて作られたとはとうてい思えない。「指定管理者制度」は、博物館を単なるハコモノとしてしか見ていないのである。

 博物館における調査研究の重要性をどうやって担保してくか、博物館にたずさわる全ての人々が考えねばならない時が来ているのではなかろうか。
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日本三景展、の巻

 10月14日(金)
 午前は朝日カルチャーセンター京都に出講。今回は、平清盛と六波羅をあつかう。

 午後には、京都文化博物館でやっている「日本三景展」を見る。日本三景というのはいうまでもなく、天橋立・安芸の宮島・松島である。特に、天橋立についての絵画資料が集大成されているのはありがたい。天橋立の根元附近には丹後国の府中があり、最近ではこれを中世都市として評価しようという研究が出始めているからだ。絵画からそうした都市の様相がにじみ出てこないか、じっくりと眺める。

 アングルの「泉」のことを書いたら、山中章博士から「老いらくの恋」だとからかわれてしまった。なるほど。いつまでも若いつもりでいてはいけないのだな。ただ、山中博士を見ていると「老いてますます盛ん」という言葉を思い出してしまうのだが・・・(もちろん、盛んといっても学問の面のことである。誤解なきよう)

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2005.10.15

アングル「泉」に惚れ直す、の巻

 10月11日(火)
 K大学で中世都市研究会京都大会の反省会と「打ち上げ」会がある。収支もなんとか赤字を出さずに済んで、一安心。
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 10月12日(水)
 izumi 京都市美術館で開催中の「ルーヴル美術館展—19世紀フランス絵画・新古典主義からロマン主義へ—」に行く。出かけるのが遅れて昼前になってしまった。凄い人混みである。認識が甘かった。長蛇の列に並ぶ。
 どうしても「再会」したかったのは、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(1780-1867)の名作中の名作「泉」(写真)である。もう30年以上前だったと思うが、千里にあった国立国際美術館にこの作品が来たことがある。その時、私はこの作品にすっかり魅せられてしまったことを覚えている。20年前にバリに立ち寄った時、「彼女」との再会を望んだのだが果たせなかった。落胆した私は、その代わりといっては変だが、パリのペール=ラ=シェーズ墓地に行って作者のアングルのお墓参りをしたことであった。

 黒山のひとだかりをかき分けるようにして展示室に入る。遠くに、お目当ての「泉」が見える。磁力に引きつけられたように、私の足はフラフラとそちらに向かってしまう。高さ163cmだから、等身大よりもわずかに小さい。人間の記憶とはアテにならないもので、もっともっと巨大な作品のように記憶違いをしていた。おそらく、この画のあまりのすばらしさに、勝手に頭の中で巨大化させてしまっていたのであろう。再会した「彼女」の魅力は今でもまったく変わっていない。放心したように見とれてしまう。しかし、いつまでも前に立ち止まっていたのでは他のお客さんに迷惑である。見つめては離れ、また近寄っては見つめ、というのの繰り返しで、絵の前をぐるぐると何周も廻ってしまう。離れがたい。しかし、次に会うことができるのは、いったい何時になるかな?
 その他の作品群も名作の洪水である。新古典主義・ロマン主義だから、写実的でわかりやすいのが一番である。人混みには閉口したが、すばらしさに堪能である。売店に立ち寄って、「泉」の一筆箋やポスターを買い込んでしまう。

 ゆったりとした気分で美術館を出たら、大学の同僚の先生から携帯電話に連絡がはいった。イヤな予感がしたら、やっぱり当たった。あわてて大学にとって返す。豊かな気分が台無しである。ガックリ。

2005.10.14

日本史研究会大会、の巻

 10月8日(土)・9日(日)
 日本史研究会2005年度大会が、京都女子大学を会場として実施される。
 私は一応、研究委員の末席(「権研究委員(ごんのけんきゅういいん)」と自称している)を汚しているので、朝一番の出勤が義務づけられる。しかし、やっぱり遅刻してしまった。すみません m(_ _)m。会場に着くと、事務局のTさんを先頭に、テキパキと設営が進んでいる。代表委員の高橋昌明先生(神戸大学教授)にご挨拶する。

 8日午前は総会である。昨年度の報告と今年度の計画が披露される。委員の交代もあったが、私は留任である。私をここに引っ張りこんだ吉川真司さん(京都大学助教授)は任期満了でめでたく退任。ちょっと寂しい。ただ、研究委員長の佐藤泰弘さん(甲南大学教授)は任期満了にもかかわらず、続投が決まる。ご本人は大変であろうが、私としては、気心の知れた研究委員長の下でまた仕事をすることができることになり、ホッとする。あと、来賓で来ておられた歴史学研究会事務局長の山田邦明さん(愛知大学教授)にご挨拶することができる。御覧のように、私と名前が一字違いなので、お互い「義兄弟」と称している。

 8日午後は全体会シンポジウム「中世仏教の国際環境」。上川通夫「日本中世仏教の成立」、横内裕人「自己認識としての顕密体制と『東アジア』」、古松崇志「考古資料・石刻史料よりみた契丹(遼)の仏教」の3本の報告がある。どれも興味深いが、特に私にとっては古松報告が勉強になる。ますます、契丹(遼)の遺跡に行ってみたくなる。
 会場の別室には、本売りに来ている出版社が並ぶ。ウチの奥さんも、B社のお手伝いに来ているはずだ。そう思って探すが、B社のブースには誰もいない。しばらく待っていると、ウチの奥さん、買い込んだ本を両手に一杯かかえて戻ってくる。まったく、本を売りに来ているのかそれとも本を買い込みにきているのか、さっぱりわからない。

 夜は古代史部会の懇親会。ウチの大学の学部生(ただし、私の研究室ではない)のSを連れて行く。大学院に進学したいと希望しているので、最先端の学問が紡ぎ出されている「現場」を見せてやりたいと思ったからである。大学院生ともなれば、こういう学会に絶えず出席して自分を鍛えていかねばならないんだということを叩き込んだつもりなのだが、わかってくれただろうか?
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 9日、いささか二日酔いで眠たい。とにかく、這うようにして会場にかけつける。古代史・中世史部会の共同研究報告がある。古代史は毛利憲一さん「六・七世紀の地方支配—「国」の歴史的位置—」、水谷千秋さん「古代天皇と天命思想—七世紀を中心として—」、中世史は宇佐見隆之さん「中世末期の流通・商業の展開」である。いずれも、一年間かけて練りに練られてきただけのことはあった。

 全部のプログラムが終わって、全体懇親会。さらに、Bホテルのバーに河岸を変えての二次会。皆さん、お疲れ様でした。さて、明日は家に籠もって原稿書きだ・・・・
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ウチの奥様のブログの記事「パンダのマット」、クイールがあんまり可愛いので、思わず大笑いする。
親バカであることは我ながら承知していますが、ぜひ御覧くださいませ。

2005.10.12

角田文衞先生『古代学の展開』刊行、の巻

 だいぶ、日記の間が空いてしまった。友人からは「どうしたの?」と聞かれることがしばしばである。そのたびごとに、こんな人にも見てもらっていたんだ、と驚く。
 しばらくごぶさただったのには、他意はない。単に、忙しさにかまけていたにすぎない。その中でも、某学術雑誌に投稿するための論文を書いていたのが決定的だった。ホントはとっくに締め切りが過ぎているのに、なかなか筆が進まない。我ながら情けないと思っていたところに、鬼より怖い(?)編集者から電話がかかってきた。有無をいわさぬ厳しい口調である。思わず、週明けには必ず提出します、と口走り、そこからは「地獄の苦行」が始まった。しかし、根を詰めたおかげで、それも何とか形が整ってきた。やっぱり、私みたいな怠惰な人間には、誰か厳しく叱ってくれないとダメだな。情けないことである。

 さて、気を取り直してまた日記である。
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 10月5日(水)
PA130047 待望の書物を手にする。角田文衞先生の『古代学の展開—THE DEVELOPMENT OF PALEOLOGICAL STUDIES FROM 1954 TO 1994—』(東京、山川出版社、2005年)がようやく完成したのである。角田先生は今年で92歳。(財)古代学協会理事長・古代学研究所教授兼所長であり、わが国考古学界・歴史学界の最長老のおひとりである。早くから、考古学・文献史学を総合した「古代学」を提唱され、その体系化に力を尽くされてきた。主著『古代学序説』(東京、山川出版社、1954年)は、この分野に関する古典的名著である。
 その角田先生が、『古代学序説』以来の自らの学問の集大成を考えられたのが、今回の『古代学の展開』である。ありがたいことに、私は本書の企画の当初からその一部のお手伝いをさせていただくことができた。角田先生の広範な御業績から古代学の理論に関わる御論考を選び出していくのは、私にとっても得難い勉強の場であった。いささか苦労したのは「索引」の作成である。索引だけは、誰かひとりの目で項目を選び出さないといけないし、これだけは出版社にまかせるわけにもいかないからである。ともかく、700頁にわたる大著の校正刷を読み直して項目を選んでいくのは、結構たいへんな作業だった。このためにかなり出版が遅れたのは先生には申し訳なかっただけに、今日のこの日の完成が私も待ち遠しかった。

 その角田先生、少し前に体調を崩されてちょっと心配したが、また回復された。さすがに足や目にはちょっとご不自由がきているようで、「本がなかなか読めない。原稿が書きづらい」とボヤいておられるが、御年齢を考えるとそれはさすがに仕方ないだろう。92歳とは思えないお元気さであるし、気力がまだまだ充実しておられるのが心強い。どうぞ先生、いつまでもお元気で。

 下記の目次に示される通り、この書物はまさに角田先生の学問の幅広さをあらわして余すところがない。以前、何かのサイトの掲示板を見ていたら、「紫式部の研究をやっている角田文衞という人と、ヨーロッパの考古学をやっている角田文衞という人がいますが、これは同一人物ですか?」という質問が目につき、大笑いしたことがある。さらに笑い転げたのは、それに対して「はい、そのふたりは別人です」というおマヌケな「解答」をした人がいたことである。しかし、これもムリはないかもしれない。これだけの学問の広大さは、常人の理解を絶しているところがあるから。

 角田先生の学問を貫いているのは、歴史を「世界史」として考察しようという強い意欲である。たとえば、日本の歴史家は、ヨーロッパといえば西ヨーロッパ(イギリス・ドイツ・フランス・イタリア等)しか眼中にないことが多い。しかし、先生は早くから東ヨーロッパ(特にコンスタンティノポリスを首都とする中世ローマ帝国)、ロシア、北ヨーロッパなどの歴史の重要性を説き続けてこられた。そこから生まれ出たのは、西ヨーロッパを基準としたこれまでの「世界史」とは、まったく異なった世界史の体系である。私たちがつい安直に「古代」とか「中世」とかいう用語を使ってしまう(私もそうだ)ことに警鐘を鳴らし続けられたことも忘れられない。

 ともあれ、歴史学(考古学・文献史学を含む)をこころざす全ての若い人々、さらにはそれにたずさわるすべての研究者に、真剣にとりくんで欲しい書物であると思う。
 

 『古代学の展開』 目次
第1部 古代学の概念と方法
 第1章 考古学の定義とその本質
   考古学の形而上学
   考古学の概念
   考古学の本質
    —日本古代学の諸問題—
   先史考古学について
   考古解釈学の問題
 第2章 文献学の方法論
   文献学概論
   銘辞学の方法論
 第3章 ヨーロッパ古代史研究の問題点
   西洋史とヨーロッパ史
   歴史学における西ヨーロッパ主義
   ヨーロッパの古代史研究の問題点
    —特に日本の場合—
第2部 古代史の再構成と中世
 第1章 始源時代から古拙時代へ
   原始社会
 第2章 古拙時代から古典時代へ
   ヨーロッパ古典文化の成立
    —イオニア文化の再評価—
 第3章 古代の終末と中世の成立
   中世ローマ帝国緒論
   オドアケルの立場
    —貨幣からみた一考察—
   マルコスとその歴史観
 第4章 周辺文化圏と混成古代の様相
   ユーラシア内陸文化の展望
   遊牧的社会構成の成立
   北欧史考察の視点
   日本における古典文化の成熟
   日本史における中世の意味
第3部 学史的展望
   ヨーロッパ考古学史
   揺籃期のロシア考古学
付 載
   『古代史通論』第1分冊の序
   『増補 古代学序説』の目次と解説(関野雄)
   角田史学の構想
   庚辰雑記
あとがき

2005.10.04

正真正銘の美味の洪水、の巻

 10月3日(月)
 大学では会議の連続。神経をすり減らす。

 さて、19時半にNさん・Kさん御夫妻と待ち合わせる。ウチの奥さんともども、イタリア料理とワインに誘っていただいたのである。場所は、四条烏丸にほど近いイタリアン・レストラン。ここは以前は京都郊外某所の、Nさん・Kさんのお宅のすぐ近くにあって、御両人の御用達だった。それが洛中に移転したのである。郊外某所の時には何度か連れて行ってもらったが、洛中移転後は初めてである。

 定刻きっかりに店に着く。入り口でNさんとばったり。先に来られていたKさんは、早くも食前酒を傾けておられる。シェフのお薦めメニューを教えてもらい、イタリアン・ワインを注文する。関サバ、関アジ、さまざまなパスタ、兎肉、山ウズラ等々、珍しいものばかり。どれも、舌の上でとろけるようだ。パスタは少量づつをとりわけてくれる。これも絶品! 特に仔牛のキノコのパスタは美味だったな。さらに、手作りの焼きたてパンもすばらしい。
 調子にのって、ワインを次から次へと空けていく。最初は白ワイン、次はKさん好みのズシリと重厚な赤、次はやや軽やかな赤、というふうに、それぞれを堪能する。私とKさんの飲みっぷりに、Nさん(この人、学問には強いが、アルコールにはあまり強くない)はいささか心配顔である。まあ、Kさんは間もなく、半年間の予定でヨーロッパに発たれるのだから、その壮行会と思っておけばよい、と理屈をつける。最後は、イタリアン焼酎ともいうべき強い酒(何度聞いても名前が覚えられない)と、ふんわりとしたデザートでしめくくる。結局、なんやかんやで4時間も過ごしてしまう(おしゃべりの分量を概算すると、約120分はKさん、約90分は私、約20分はNさん、約10分はウチの奥さん、ということになると思う。つまるところ、Kさんと私で漫才の応酬をやっていたようなものだ)。

 普通、こういうレストランにふたりだけで入ると、あんまりたくさんのメニューを頼むことができない。すぐにお腹がいっぱいになってしまうからだ。今日は4人連れなので、いろんな料理を注文することができる。最近の「東アジア宮都研究」には私の話題がでてこず、山中博士から食道楽を誹られることもとんとご無沙汰なのであるが、今日だけは胸を張って自慢しておこう。「贅沢したぞ〜」。

2005.10.03

「平安京サミット」、の巻

 10月2日(日)
 二日酔いの目をこすりながら起床。むりやりシャンとして、大学に向かう。今日は、学部の「自己推薦A方式(アピール入試)」である。これは、受験生を面接し、そこで自分の得意分野をアピールさせる、という入試である。午前一杯、この面接にあてる。

 午後は京都文化博物館に行く。別館ホールで、NPO平安京が主催する「平安京サミット—京雀 都のにぎわい—」というイベントがあり、そのシンポジウム「今に生き 未来に生かす 平安京」のパネラーとして呼んでいただいた。同NPOの代表理事でもあり、シンポジウムのコーディネイターでもある三輪泰司氏にご挨拶する。なにをしゃべっても良い、というので、平安京の史跡をいかに顕彰して市民に公開していくかということと、「京都を博物館で埋め尽くそう」という持論を展開する。

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京都府埋蔵文化財研究会、の巻

 10月1日(土)
 土曜だが大学に出勤。大学院の入試のためである。ウチの研究室からも、複数名が受験している。今年から、試験問題をいささか手直しし、専門分野の実力をよりよく見ることができるようにした。さあ、ウチの連中、出来はどうかな?

 夕方、やっと試験が終わり、同志社大学へと急行する。この日と翌日は、京都府埋蔵文化財研究会がおこなわれるのである。でも、私は入試のために両日ともにパスである。残念、グスン(>_<)グスン。16時半頃に会場に着くと、ウチの卒業生のM君が受付に座っている。会場にもぐりこむと、私が「紙上報告」で参加した、木村泰彦さん(長岡京市埋蔵文化財センター)の「長岡京右京六条一坊の再検討」をちょうどやっている。謹聴する。さらに、最後の報告、東高志さん(宮津市教育委員会)の「成相寺旧境内遺跡について」を聞くことができる。宮津の成相寺には、大規模な古代・中世寺院の遺跡が残っているという。特に驚愕したのは、そこに中世の大墓地が存在するということである。これを知ることができただけでも、素晴らしい収穫である。

 研究会が終わった後は、京都駅前の懇親会(違った、「情報交換会」だった)の会場に移動。気心が知れた京都の埋蔵文化財関係者ばかりであるだけに、最初から大騒ぎである。当然のごとく、飲み足りないことになり、二次会へと移動。ここでも、さんざっぱら騒いで騒いで騒ぎまくる。

 会場校であった同志社大学のSさん、司会にあたられていたKF大学のHさん、お疲れ様。そして、ありがとうございましたm(_ _)m。

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伏見で飲む、の巻

 9月30日(金)
 夜、日本史研究会古代史部会の会合が、伏見の呉竹文化センターである。「共同研究報告」、大会前の最後の読み合わせである。いつもながら、家の玄関を出るのがちょっと遅れて、着いたのは定刻を10分ほどまわっていた。毛利憲一さんの「六・七世紀の地方支配—「国」の歴史的位置—」、水谷千秋さんの「古代天皇と天命思想—七世紀を中心として—」、どちらも、ほぼ形になっている。めでたいことだ。でも、実際に報告してみると、やはり時間調整が必要。
 終わって会場を出たのは、もう21時30分になっている。伏見の中心街である大手筋で一杯やろうとするが、どこの飲み屋も満員である。伏見では、何かめでたいことでもあったのか? 10月1日からは御香宮神社のお祭りだそうだが、それと関係あるのかどうかはわからない。とにかく、やっと一軒の飲み屋に滑り込む。ところが、回りがうるさいうるさい。声をはりあげなければ話ができない。やっぱり、しこたま飲む。

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