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2006.02.24

田辺昭三先生にお別れを告げる、の巻

 2月24日(金)
 午前、朝日カルチャーセンター京都に出講。「平安京・京都の歴史を歩く(12)足利尊氏と南北朝の動乱」の第2回目として、「南北朝動乱と室町幕府の成立」を話す。南北朝は人間関係が複雑怪奇なので、説明に手間がかかって困る。なにせ、南北両朝に天皇がふたりどころか、北朝建武3年=南朝延元元年(1336)の10月9日から翌年の3月6日までは天皇が3人(!)並立するという異常事態さえおこっていた(京都の光明天皇、吉野に亡命した後醍醐天皇の他に、北陸に新田義貞が擁する「天皇恒良」が立っていた)のだから。でも、その分、面白いのは確か。

 講義が終わると、すぐにタクシーにとびのる。考古学者・田辺昭三先生が亡くなられたので、その葬儀に向かうのである。田辺先生は、平安高校教諭、奈良大学助教授・同教授、京都市埋蔵文化財研究所調査部長、京都芸術短期大学教授・京都造形芸術大学教授、神戸山手大学教授を歴任された考古学者である。弥生式土器や須恵器の研究で名高いし、また京都の遺跡発掘についても主導的役割を果たされ続けた。国際的な活躍も多かったし、日本に於ける水中考古学の草分けでもあった。葬儀場には、たくさんの方々が集まっておられる。

 実は、田辺先生は、私が出会った始めての考古学者であった。私が中学生の頃のことである。考古学に興味を持ち始めていた私は、本を読むだけではなく、直接に考古学の先生に会って教えを受けたい、という気持ちを押さえることができなくなっていた。当時、田辺先生は平安高校の教諭をつとめられており、『古墳の謎』(祥伝社)というわかりやすい古墳の入門書を出されたばかりであった。私は、この先生ならば話を聞いてくれるに違いないと勝手に独り決めして、ある日曜日、本の「著者紹介」に書いてあった住所を頼りにして、田辺先生の御自宅に押しかけていったのである。アポイントメントもとらず、手紙も出していないのだったから、今から思うとまったく無鉄砲な無茶をしでかしたものだとおもう(^_^;)。さすがに先生の家の呼び鈴を鳴らす勇気がなかなか出ず、玄関先で行ったり来たりしていたのを思い出す。
 勇をふるって呼び鈴を押し、しどろもどろになりながらも、出てこられた奥様に来意を告げた。幸い、先生は在宅しておられた。妙な子供が突然にやってきて変なことを質問しようとするのだから、さぞやとまどわれたことだろうと思う。しかし、そんなことはおくびにも出さず、じっくりと話を聞いてくださった。私は、最先端で活躍されている考古学者の先生が私の相手をしてくださったことが嬉しくて嬉しくて、飛び跳ねるような気持ちで帰途についたことを覚えている。

 その後、私は自分の研究テーマとして「須恵器」を選んだ。須恵器といえば、いうまでもなく、「田辺編年」が巨大な山のようにたちはだかっている。私の須恵器研究は、いつもこの巨大な目標を仰ぎ見ていたようなものであった。京都文化博物館に奉職していた時には、「大唐長安展」にあたって御指導をいただくことができた。中国に御友人の多い先生の人脈なしには、あの展覧会はとうてい成功できなかっただろうと思う。

 ただ、最近はお会いできる機会を逸してばかりいた。昨年後半には、風の便りで、先生がまた体調を崩されて入院されているということを聞いた。お元気になられるように、と祈念していたのであるが、ついに訃報に接することになった。ご冥福をお祈りしたいと思う。

2006.02.23

カルメン・オン・アイス、の巻

 世間はトリノの冬季オリンピックで持ちきりである。どこのチャンネルを回しても、オリンピック、オリンピックである。
 しかし、ウチの家は自慢ではないが、まったくオリンピックを見ない。と、いうよりも、スポーツ全般にまったく興味を示さない珍しい家族なのである。ニュースを見ても、スポーツニュースの時間になるとチャンネルを替えてしまう。私など、東海道新幹線の開通は記憶に残っていても、同時期に東京でオリンピックがあったことはまったく知らなかった。もっともこれは、新幹線は京都を通ったが、オリンピックは遠い遠い東国の地でおこなわれたということに起因するのだろう。
 少し前のことだが、新聞のテレビ欄に「静香の舞」という予告がでていた。私はワクワクしながらその番組を待った。ところが、あにはからんや。登場したのはフィギュア・スケートの荒川静香という若い選手だった。私はガックリくるとともに、人騒がせな、と怒ったのであるが、日本広しといえどもこんなことで怒ったのは私くらいだろうな。まったく我ながら無知蒙昧の輩である(^_^;)。荒川静香さん、失礼をお詫びいたします・・・m(_ _)m

witt1 今回のトリノでは、フィギュア・スケートが花形のようである。中には、アイドル的人気を誇る選手もいるらしい。と、いうので、思い出した。一昨年だったか、スカイパーフェクテレビのクラシカ・ジャパンで、「カルメン・オン・アイス」(1989)という映画(写真)を放映したので、ためしにチャンネルを回してみた。少し見て、仰天した。ビゼー作曲のオペラ「カルメン」が、完全にフィギュア・スケートの無言劇に置き換えられて演じられている。あわてて録画したが、残念なことに最初の10分ほどが欠けてしまった。
 びっくりしたのは、カルメンをフィギュア・スケートでやってそれを映画にするという発想だけではない。主役のカルメンを演じた女性が、清楚で、凛としていて、そのくせ情熱的で、しかもスケートの技がバツグンだということで、たちまち私は魅了されてしまった。しかし、スケート選手にしてはキレイすぎるし、女優さんにしてはスケートがうますぎるし、感動しながらも合点がいかないままに終わったのである。
witt2 こんなことをいうと、スポーツ・ファンの人々からは笑われてしまう。この「カルメン」を演じた女性、私が知らなかっただけで、1984年サラエボ(ユーゴ=スラヴィア)、1988年カルガリー(カナダ)の冬季オリンピック2連覇の偉業をなしとげた「フィギュアの女王」カタリーナ・ヴィット(東独)そのひと(写真)であった。カルメンはカルガリーの時からのヴィットの十八番だというから、旨いのはあたりまえである。
 トリノに刺激されて、「カルメン・オン・アイス」を取り出して、見直してみた。ビゼーの曲(ここでの演奏はロベルト・ハネル指揮ウィーン交響楽団&ベルリン放送交響楽団 )はむろんであるが、ヴィットの魅力はやっぱり素晴らしい。クラシカ・ジャパンさん、ぜひ再放送してくださいませ。お願いいたしますm(_ _)mペコリm(_ _)m。

2006.02.20

前近代都市論研究会・於伏見、の巻

 2月19日(日)
 仁木宏氏主宰の「前近代都市論研究会」。本日は伏見でやることになる。午前、K研究所のY氏の案内で伏見を探索。昼食は伏見名物「玄屋」の酒粕ラーメンを堪能する。午後、呉竹文化センターにて本番の研究会。Y氏は平安前・中期の平安京周辺をテーマに報告される。私が最近とりくんでいるテーマとも近いので、ありがたい。仁木宏氏は戦国期の近江石寺・同安土・美濃加納についての最先端の問題点を論じられる。私は全然知識のない分野なので、頭が満杯になる。いずれも、勉強になった。
 夕刻には懇親会。例によって、研究会が主なのか、懇親会が主なのかわからない。Y氏がセッティングしてくれて、「鳥せい」の本店に行く。有名店なので、17時半に行っても、もう行列ができていた。しかし、我々は予約客なので、並んでいる人々を尻目に奥に通される。なんだか申し訳ないような気分。座敷は店の最奥の土蔵。雰囲気があり、鳥料理も申し分なし。

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「天皇陵の話(3)」、の巻

 2月18日(土)
 京都新聞文化センターの「考古学講座」の、私の分担分の3回目。「天皇陵の話」(3)をやる。第1回は神武天皇陵、第2回は「文久の修陵」でやったので、今回は「奈良・平安時代初期の天皇陵」にする。終末期古墳の段階を経て、天皇陵が古墳で無くなる経緯を述べるのである。具体的には元明天皇陵の問題点を詳述することになる。予定では桓武天皇陵までいきたいと思って資料まで作ったのだが、元明陵だけで時間一杯になった。おあとはまたのリベンジで。
 終了後、文化センターのYさんと相談。来年度、私の担当で「京都の歴史」をテーマとした講座を新設しようか、ということになる。

 夕刻、すぐに日本史研究会の事務所へ向かう。研究委員会がもう始まっている。それに引き続いて総合委員会。いつもながらの濃い議論である。終了後、T代表委員とS研究委員長と一緒に飲みに行く。

2006.02.16

ディズニーの「ヘラクレス HERCLES」を見る、の巻

 1月15日条で「大きなスクリーンを買って、ホーム・シアターでも作ろうかな・・・」と書いたら、ホントにその気になってきた。液晶プロジェクターとDVDプレーヤーは持っている(時々、研究室に持っていって学生諸君に学術的内容の番組を見せるため)から、あとはスクリーンだけである。電気屋さんやカーテン屋さんを回るところまでやったが、どうも思うとおりのものがない。結構、値段も張ることになるし、取り付けもめんどくさそうだ。う〜ん・・・と考えていて、ハッと気が付いた。別に、スクリーンが無いと見ることができないわけではない。と、いうことで、我が家の和室の隅に台を置いてプロジェクターを設置、壁に映すことにする。すると、あら不思議、簡単に90型相当の画面(横幅約180cm)ができた。調子に乗って、和室の窓に黒布をぶら下げられるように工夫すると、昼間でも映画をみることができるようになる。「10年会」の皆様心づくしのコタツを置くと、これが大変に具合がいい。ちょっとしたホーム・シアターの完成である。

 と、いうことで、ビデオ屋さんに行って、いくつものDVDを借りてきた。そのうちのひとつが、ウォルト・ディズニーのアニメ映画「ヘラクレス HERCLES」である。1997年作だからもう9年にもなるのに今まで見ていなかったなんて、まったく恥じ入るばかりである。
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この作品、ディズニー版はもともとのギリシア神話を好き放題に改作しているようで、さらにディズニーらしからぬところも満載だったようで、一般の評判はあまり良くなかったらしい。しかし、私には面白かった。

 食い入るように日本語吹替版の画面を見ていると、ウチの奥さんが入ってきた。なんでディズニーのアニメなんかを見ているんだ?と怪訝そうである。いつバレるかな、と思っていたのであるが、しばらくは気づかない様子である。しめしめ。と、思っていたら、やっぱりバレた。画面を見ずに音声だけを聞くと、一目瞭然(一聴瞭然?)なのである。
 そう、このアニメのヒロインであり、主人公ヘラクレスの恋人になるメグ(メガラ)、日本語版の吹き替えを工藤静香さんが演じているのである。これが、まさに驚嘆すべき名演に仕上がっている。そもそもこのメグちゃん、大人びて、斜に構えて、ワルぶっていて、強がりで、実は内心は寂しがりで、という、ディズニーのヒロインとしては珍しい屈折したキャラクターなのである。こういう役をやらせると、静香さんはまさに敵なし。彼女の、ちょっと鼻にかかったような甘いセクシーな声がドンピシャにハマっている。アニメにもかかわらず、メグと静香さんが二重写しになるような錯覚に陥るのは、ファンの贔屓目なのであろうか? 映画中でメグ=静香さんが「恋してるなんて言えない」という挿入歌を歌ってくれるのもゴキゲンである。
 ともあれ、楽しめた。でも、こりゃいかんな・・・遊ぶことばかりを考えている・・・・

2006.02.15

怒濤の卒論試問、の巻

 2月8日(水)〜14日(火)
 1月後半から2月中旬は、私にとっては一年中で最も気の重い期間となる。今年度の場合、1月12日に卒業論文が提出された。それを一ヶ月足らずの間に読み込み、2月8日から14日までは口頭試問をおこなう、という段取りになる。気が重いというのは、卒論の出来不出来に一喜一憂するということもあるが、なによりも本数が多い。国公立大学や大手私学であれば主担当の卒論は数本(せいぜい10本以下)というのが通り相場である。しかし、たとえば今年の場合、私は主担当の卒論だけで20数本を抱えていたし、さらに同数の副査論文も待ちかまえている。このあたり、まさに弱小私立大学の悲哀といわざるをえない。これを一ヶ月で読め(その間、ほかの仕事も山積みである)というのはほとんど無茶苦茶である。しかし、仕事は仕事で仕方ないから、この期間ばかりは自宅の和室に籠もり、コタツ(これは山中博士はじめ10年会の皆様からのプレゼント)にはいってひたすら卒論を読むということになる。そして、その後の一週間は口頭試問。入れ替わり立ち替わり学生を呼び出して、朝から夕方まで、ほとんどぶっ続けで、おどしたりすかしたり、ということを繰り返す。

 とにかく、くたびれる。しかし、今年のウチのゼミは、総じて出来が良い。もちろん中には首をかしげるようなものも含まれてはいるが、全体的にはかなりレヴェルが高いものとなった。こういう年は、心安らかに試問にとりくむことができる。
 14日、やっと終了。学科会議で点数つけをやる。晩は、研究室の学生有志諸君と打ち上げ会。

2006.02.13

森浩一先生に会う、の巻

 2月7日(火)
 四条河原町にほど近いところにある、森浩一先生(同志社大学名誉教授)の事務所におじゃまする。
 先生にお目にかかるのは久しぶりである。ご無沙汰を詫びる。昨年の後半にはまた少し体調を崩されたというが、今はすっかり元気を取り戻されておられるので、一安心である。今、一番関心を持っておられるという、食物史の話題をじっくりと聞かせてくださる。食物史なんて、私はまったく無知蒙昧であるから、感心してうなずくことしかできない。まったく、先生と会うたびに、(知的な意味で)ノックアウトされたような気にさせられる。まだまだ勉強不足であることを痛感するな・・・・ ぐったりと疲れ、しかし、爽快な気分にしていただいて、辞去することができる。ありがたや。

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巨椋池歴史資源検討委員会、の巻

 しばらく日記を休んでしまった。山中博士の「大根の呪い」のせいかもしれない。なお、博士が「大根教」と呼んでいるものは、私が秘かに信仰している宗教である。この宗教はさまざまな秘儀に彩られているが、最大のタヴーとして、大根を決して食べてはいけないという教義を持っているのである。世間では、私が偏食で大根を食べないと思っているらしいが、実はこうした宗教上の理由があるのである。「そんな宗教があるはずないではないか!!」と怒られるかもしれないが、ありがたいことにわが日本国憲法は「信仰の自由」を保障しており、どんな宗教を信じようと信じまいと、他人に迷惑をかけない限りは個人の自由なのである。よって、これは合法。
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 2月4日(土)・5日(日)
 大学の一般前期入試。う〜ん。とにかく精神がくたびれる。
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 2月6日(月)
 農林水産省近畿農政局巨椋池農地防災事業所が立案し、(社)農村環境整備センターが担当する巨椋池の調査事業が始まることになった。その、「第1回巨椋池歴史資源検討委員会」が伏見の呉竹文化センターで開かれる。委員長の高橋康夫先生(京都大学)に言われて、私も委員の末席を汚させてもらうことになっているので、でかけていく。
 会議室にはいると、びっくり。内輪の会議かと思っていたら、えらくたくさんの人が座っているし、さらにはテレビ局の撮影まではいっている。ありゃりゃ、これは大変だ。ヘタなことは言えないぞ。まあ、ネクタイをしてきただけ良かった。と、いうことで、今後の調査をどのようにすすめるか、議論する。
 終了後には、懇親会に呼んでいただく。巨椋池事業所のS所長が愉快かつ豪放磊落な方で、えらく楽しませてもらう。所長さんが大きな箱をぶらさげているので、楽器でも出てくるんじゃないかと冷やかしていたら、ホントに出てきたのには驚いた。多趣味な人で、所長さんみずから、津軽三味線と沖縄三線でノドを聞かせてくれる。なかなかのものである。

2006.02.05

誕生日のご馳走、の巻

 2月2日(木)つづき
 18時20分、京都駅着。同行の教職員・学生たちと別れを告げて、私は駅前のキャンパスプラザ京都に向かう。せっかくだから、18時30分からの京都民俗学会第194回談話会に顔出しをしておこうと思ったのである。今日のテーマは、佐藤亜聖さん(元興寺文化財研究所)を始めとする研究グループの「近世志摩の葬送墓制の一考察—三重県志摩市浄土近世墓地遺跡の調査成果から—」。なんとか間に合った。佐藤さんにとっては、私とこんなところで出会うのは意外だったらしく、目を丸くしておられる。それから、関東のM大学のDさんにもひさしぶりに出会う。報告は圧倒的。考古学・文献史学・民俗学などの見事な共同研究である。
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 2月3日(金)
 外は寒い。突風が吹き付ける。実は、本日は私の誕生日である。もう私も47歳に突入してしまった。エライことだ。50の大台まで、あと僅かである。
 夜は、楽しみにしていた宴会である。別に、私の誕生日祝いということではないのであるが、たまたま友人のKさんの御自宅にご招待いただいた。そう、ウチの奥さんが仕事をさせていただいているB出版社の社長のKさんである。K大学の日本中世史のT先生とご一緒させていただくのも、いつもの通りである。ウチの奥さんは介添え役として目を光らせている。
yakigaki メニューはまず、Kさんが特に注文してくれた、播州赤穂の丸々と太ったカキ。これを焼ガキにし、レモンで食べる。そこに、Kさん手作りのフキの味噌和えがつく。kamoharihariメインは、なんと、たっぷりと脂ののった鴨と、シャキシャキの切れミズナのハリハリ鍋。う〜ん、思い出しただけでもヨダレがでてくる〜。
 結局は、いつものようにグデングデン。でも、良い誕生日になりました。Kさん、ありがとうございました。
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祝!山中博士復活!、の巻

 インフルエンザでへたばっていた山中章博士が完全復活! 聞く者全てを焼き尽くす、炎のような舌鋒は健在でした。まずはめでたしめでたし。
 私のことを、客観的な人間だとか、正当学者だとか、隅々まで気配りができる学者なんて言っていただきましたが、とんでもないことです。私は何をやっても人より血のめぐりが悪いので、本で読んだり、人から聞いたとしても、ほとんど実感として理解できていない。しかし、これは大変マズイわけで、その私がなんとかいろんなことを理解できるようになる方法は、とにかくその場に立ってみること。現地に出かけていくこと。実際のモノに触れてみること。それに尽きる。だから、靖国の問題でも、そこに足を運んでみなくちゃわからない。それだけのこと。
 靖国のことで付言。日本多神教的アニミズムの信奉者としての私は、どんな宗教施設に行っても、一応は頭を下げることを原則としています。ヤハウェであろうとアッラーであろうとケツァルコアトルであろうと大物主命であろうと天理王命であろうと、私の感覚からするとそれはすべて八百万の神々の一人にすぎないからです。ただ、今回だけは違った。靖国神社には行ったけれども、頭をさげることはできなかった。それは前に書いた通り、靖国に「参拝」することは、同時に靖国的歴史観への共感を表明することであると感じたから。これは私なりのスジの通し方なのであり、誰にも文句は言わせない。もうひとつ付言。靖国神社の遊就館、博物館としては第一級だという意見には変わりはない。しかし、歴史的事実の隠蔽やねじ曲げも、またかなりなモノであるということも確かである。歴史学にたずさわるひとりとして、これにどう対抗していくべきか、熟考中。

2006.02.03

靖国神社!、の巻

 2月1日(水)
 またまた、東京行きである。今回の目的地は、なんと、靖国神社! 私はこれまでの人生で東京には数え切れないくらい(と、いうほどではない)行っているが、靖国神社には行ったことがなかった。そばを通ることはあるのだが、全然意識にはのぼってなかったのである。なにせ、東京滞在の時間は限られるし、地下鉄で1駅向こうには我が愛しの神田神保町古書店街があるのだから、わざわざ靖国に時間を割く理由を見いだせなかったのである。
 それが今回に限ってどうしたわけか? 我が花園大学人権教育研究センターで、冬季のフィールド・ワークを組むことになった。いろいろと案を出したのだが、所長の八木晃介教授が「靖国に行こう」と言い出した。確かに、これは盲点であった。首相の靖国参拝がこれだけ論議の的となっている現在、我々としてもその問題に無関心でいるわけにはいかない。もちろん、「靖国」に賛成する人も反対する人もいる。しかし、確かなことは、現地に行ったこともない人間に発言の資格は無い、ということであろう。「靖国」に賛成するならばそこに行くことは当然である。一方、反対するならばなおさらのこと、現地をじっくりと観察し、そこがどういう場所であるのかを見極めておかねばなるまい。ヤバイのは、行かずして、見ずして、頭の中の知識だけでわかったつもりになっていることであろう。

 意気込んで新幹線に乗り込んだのだが、東京は雨だった。九段下の駅から靖国神社までの間だけでも、ずぶぬれになる。靴にキズがあったようで、水がしみこんできて不快この上ない。広い参道の中央では、大村益次郎の巨大な銅像が周囲を睥睨している。大村益次郎と靖国が深くつながっているなんて、知らなかった。巨大な「神門」をくぐると、その奥に堂々とした拝殿が見える。確かに、見る者を圧倒させる効果のある建築物であることに間違いはない。拝殿の前に立ち、雨を避けながら、奥の本殿をのぞき込む。賽銭箱の横には、初老の警備員がうさんくさそうに我々を睨み付けている。もっとも、靖国にとっては「不敬の輩」の集団なのであるから、睨まれるくらいは仕方ないな。

 今回の大きな目的地は、靖国神社遊就館である。いわば靖国神社博物館ともいえる施設で、2002年には新館を建立するとともに展示の全面的なリニューアルをおこなった。どんな展示なのか、ワクワクである。
 正直、これは大したものである。規模からしても第一級の博物館であるし、神社の博物館としては明らかに日本最大であろう。昔の展示は知らないが、今のそれは実によく構成されている。展示のデザインもなかなか洒落ている。私のような「博物館屋」の目から見てもこれは驚嘆に値する博物館である。
 そして、この博物館の特徴は、「展示とはひとつの思想(この場合は歴史観)の表現である」というコンセプトを、極限まで追究していることである。世間では靖国というと「戦争賛美」一色だと思われているが、必ずしもそれだけではない。しかし、近代の日本がおこなってきた数多くの戦争を「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、 皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、 避け得なかった」と位置づけ、そこで命を落とした人々の「武勲、御遺徳を顕彰」するという目的は最初から最後まで一貫しているのである。そうした思想が、この良く出来た博物館の展示によってこれでもかこれでもかというほどに展開されているのである。「思想宣伝機構としての博物館」というテーマを追求できそうなほどに思う。

 遊就館を見て、よく実感できた。靖国の問題は、単にそこに「A級戦犯」が合祀されているかどうかというものではない。また、靖国の問題は単なる「信仰の自由」の問題にとどまるものではない。靖国に参拝することは同時に、こうした歴史観に対する共感の表明にほかならないのである。
 靖国に「参拝」するかどうかは別。しかし、こうした問題を考える上では、日本という国にかかわりを持つすべての人々が靖国の土を踏み、遊就館を見ておくべきである。

 今日のお泊まりは両国。両国では当然、ということで、ちゃんこ鍋でお腹がいっぱいになる。
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 2月2日(木)
 浦本誉至史<よしふみ>さん(部落解放同盟東京都連合会)に講演をしてもらう。2003年から翌年にかけて、全国の被差別部落出身者や団体をターゲットとして、「連続・大量差別はがき事件」がおきた。浦本さんはその主要な被害者となった方である。これには驚愕した。人間が、同じ人間を、これほどまでにキズつけることができるのか。それも、まだ、何らかの個人的な恨みがあったというのであれば、わからないでもない。しかし、この事件の犯人は、浦本さんにも、被差別部落にも、なんらの恨みを持つ者ではなかった。それが、自分のストレスの発散ということだけから、これだけ執拗な行動をとっていたのである。人間の「怖ろしさ」をつくづく感じてしまう。

 講演後、浦本さんに案内してもらって、近世の全関東の被差別民衆の支配者・浅草弾左衛門の根拠地でもあった旧・浅草新町、東京最大(日本最大?)の日雇い労働者の街である「山谷」、江戸の刑場として知られる小塚原〈こづかっぱら〉の跡をとどめめる回向院などを見てまわる。知らないことばかりで、勉強になることこの上なし。帰りの新幹線では、ぐっすりと寝込む。

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