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2006.04.28

中世都市とクジラ料理、の巻

 4月23日(日)
 前近代日本都市論研究会、於大阪。会場は阪急淡路駅近くの「クレオ大阪北」。報告は、愛知県立大学の山村亜希さん(歴史地理学)の戦国期「駿河江尻・清水湊」に関するものと、神戸大学の森田竜雄さん(中世史)の中世奈良に関するものの2本。どちらもきわめて刺激的。特に山村さんのは、いつもながら、歴史地理学から見た都市研究の魅力が全開である。
 じっくりと勉強して、それから、例によって懇親会。梅田まで足をのばして、仁木宏さんがみつけてきた「海鮮割烹 初代」というお店。大阪らしく、クジラ料理の専門店である。クジラなんて久しぶりだな。外遊帰りのKさん(私が「外遊」と言ったら、御本人は不満そうである。でも、きっとまちがってはいないと思う)、ウチの大学に「栄転」(かどうかは知らない)されたFさんに、それぞれ乾杯。次から次へと珍しいクジラ料理が出てくる。満足。さらに、Kさんの提案で、Fさん行きつけ(?)の梅田のバーで二次会。

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 4月24日(月)
 忙しい1日。
 10時半、京都駅付近でE出版社のI社長と面談。新たな企画について相談。
 11時半、B出版社に出向く。K代表と、先日打ち合わせした本の企画について相談。
 12時、 河原町高辻のアジア料理店で昼食。いったん帰宅。
 14時、 市内某所で、N氏と相談。
 15時半、大学に出勤。
 16時、 学生と面談。
 16時半、今年度の「花園大学京都学講座」の会議。
 18時、 花園大学人権教育研究センターの会議。今年度の事業計画を練る。
 19時、 大学を急いで飛び出し、遅刻ではあるけれども、日本史研究会古代史部会へ。北康宏さん(同志社大学)の「国造制と大化改新」の報告がたけなわ。難しい議論が続く。
 21時、 日本史研究会古代支部会終了。晴れて飲み会。
 23時、 やっと帰宅。寝ます。

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 4月26日(水)
 ボーッとしながら起床。京田辺市の、同志社女子大学の授業に出かける。今日は同志社大学京田辺キャンパス内の遺跡見学。とにかくここは広い。私も、まだキャンパスの西端までは行ったことはない。まずは下司古墳群。石室の入り口にiPodが落ちていた。まだ使える。どうしようかと思ったが、とにかく拾って歴史資料館に届ける。それから、高地性集落である田辺天神山遺跡に登る。
 京都駅の京都拉麺小路まで戻り、博多一幸舎でとんこつラーメン(山中博士からは、美食も誹られるし、ラーメンも怒られるし、ビールも止められている。進退窮まった可哀想な私である)。電車待ちの時間があるので改札口附近で立っていたら、D大学のS助教授にバッタリ(空を見上げてボーッとしていたので、きっと不審に思われただろうな)。やっとのことで大学に戻り、授業。


2006.04.23

友来たりなば、の巻

 4月22日(金)
 夜、同志社大学の講義。でも、どうもノリが悪いぞ。ウチの大学ならばツボにはまるところが、見事にハズしたりする。私の疲労のせいか?はたまた同志社の学生さんのせいか?

 授業が終わって、同志社大学のM教授のもとに急ぐ。東京から、後輩でもあり友人でもあるM氏が来られているので、一緒に飲みに行くことになっている。実はこのM氏、つい先月まで福岡の九州国立博物館に勤務されていた。それが、この4月から文化庁の文化財調査官という大役に引き抜かれ、東京に転勤されたのである。M教授いきつけの日本料理店に陣を占め、M氏とともに酒杯を傾けながらじっくりと話を聞く。文化庁の文化財調査官というのは全国の文化財保護の元締めであり、これは大変な仕事だ。しかし、もちろんやりがいのある仕事であることは間違いない。M氏の御栄転を祝うとともに、今後の御活躍を祈ろう。
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 山中章博士は、今度は「三重大学考古学資料館」の計画に邁進である。日本の大学には、図書館や体育館の設置は義務づけられている。しかし、大学博物館についてはまったく関心が薄い。でも、これではいけないわけである。およそ大学ともあろうものは、研究が活発化するにしたがっておびただしい量の「学術財(森浩一先生の造語)」が蓄積されていくはずである。それらを活用し、次の研究に活かしていくためには、どうしても大学博物館が必要となるのである。今後は、「大学設置基準」の中に「博物館」の設置の義務化が謳われるくらいであってもよいはずである。
 私の勤務する花園大学には、「歴史博物館」が設置されている。図書館に使っている建物の一角を改装しただけのものであり、設備も予算も人員も決して満足いくものではないけれども、それでも一生懸命に活動している。これは、永い間構想だけは練られていたけれどもぜんぜん実現せず、私が花園大学に着任した時からやっと大学当局も重い腰を上げることになった。そういう時に行きあわせたので、私は着任するいなや博物館建設の準備に追いまくられることになった。しかし、それも今では良い想い出である。
 大学博物館をどう造るか、これは色々なやりかたがあるのだろう。しかし、最初は小さいものからはじめても良いと思う。同志社大学の歴史資料館でも、今は専任の教員をふたりも置く充実した施設になっているが、最初は考古学研究室の入り口に置かれたふたつか三つのガラスケースから始まっていたはずである。それを、森浩一先生が「考古学資料室」として育成され、それが今の「歴史資料館」となったのである。三重大学の博物館も、ぜひ実現してほしいな。山中博士の政治的手腕に期待しよう。


2006.04.21

法住寺殿&堀河院での大饗、の巻

 4月17日(月)
 B出版社で「京都案内」本の打ち合わせ。外遊帰りのKさんとも久しぶりの再開。

 4月18日(火)
 考古学研究室定例研究会、本年度の開始。新しいメンバーもちらほら。Y新聞社の「大学ゼミ紹介」の取材。けっこう時間がかかって、夜まで食い込む。

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 4月19日(水)
 朝から、ちょっと調子が悪い。疲労がたまっているようだ。なんとか電車に乗り込んで、同志社女子大学大学院の講義に向かう。今日は、同志社大学歴史資料館の見学とする。森浩一先生がどんな「想い」をこめてこの博物館を造られたのか、展示物に即しながら解説。

 夜、東山七条にオープンしたばかりの高級ホテル、ハイアットリージェンシー京都にかけつける。以前は京都パークホテルだったが、その建物をそのまま利用して新しいホテルになった。この場所はいうまでもなく、後白河法皇の御所であった法住寺殿の域内にあたる。パークホテル建設の際には平安博物館が発掘調査をおこない、豪華な甲冑を副葬した武将墓が検出されて話題を呼んだ。
 新しいホテルの建設にあたっては、東山七条というすばらしい立地、特にその歴史的な環境を充分に活かしたホテルを造りたい、というコンセプトが出された。これには共感する。私も、ひょんなことからこのホテルのホームページの一部の「監修」をした。そのご縁で、今日、呼んでもらったのである。
 ホテルのロビーでウチの奥さんと落ち合う。以前とはまったく違ったすばらしい空間ができあがっていて、目を丸くする。社員の皆さんの応対も丁寧で、ますます嬉しくなる。ご案内いただくと、レストランも、バーも、ひと味もふた味も違った洒落た空間になっている。
 しばらく待つと、Y総支配人が来られる。物腰の柔らかい紳士である。一階のレストランで食事をご一緒させていただく。ビールを傾けながら、この新しいホテルのコンセプトを熱っぽく語られるのを聞く。部屋数を押さえ、その分はゆったりとくつろいでもらえる空間を目指した、というのはまことに結構なことである。メイン料理は分厚いステーキ。筆舌につくしがたいおいしさであった。疲労も、いつのまにか消えたような気がする。
 食事の後、総支配人にねだって、客室を見せてもらう。これにも驚嘆した。隅々まで細かい気配りが感じられるステキな部屋である。高級ホテルというのにそうそう縁がないので他のところは知らないが、おそらく、数ある京都のホテルの中でも最高の部類に入るといってまちがいはないだろう(一度泊まってみたいが、そんな機会はないだろうな(^_^;) )。
 この上ない贅沢な時間であった。Y総支配人さんに感謝m(_ _)m感謝。京都に新たなすばらしい空間が産まれたことを寿ぐとともに、このホテルからの歴史・文化情報の発信に、私もお手伝いができたらと思う。
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 4月20日(木)
 午後、考古学概論と大学院の授業。

 夜、またまた「およばれ」である。今日は京都全日空ホテル。ここは、堀河天皇はじめ累代の里内裏となった堀河院の跡である。いつもお世話になっているJR東海京都・近江・奈良文化情報局を運営するE社のG社長が京都に来られるので、呼んでいただく。担当の両Kさんも一緒である。まずは仕事の打ち合わせ。新しい企画をじっくりと聞く。京都の情報発信のことだから、私も喜んで協力させていただく。それから、中華料理での「大饗」のはじまりである。どれもこれも舌の上でとろけるようで、贅沢この上ない。ついつい食べ過ぎてしまう。そのあと、祇園の某所での二次会。
 またまた豪華な日となった。G社長さんに感謝m(_ _)m感謝。

 〈う〜ん、こんなことを書くと、久しぶりに、山中博士から贅沢を誹られそうな予感・・・・(^_^;) 〉


2006.04.16

駿府で平安京を語る、の巻

 4月15日(土)
 静岡行きである。
 静岡の臨済宗の名刹宝泰寺が運営しているサールナートホールで、連続6回の「京都学講座」が開かれることになった。その第1回目として、「誕生 平安京」という題名をいただいたのである。この宝泰寺の住職の藤原東演師は、花園大学でも教鞭をとっておられるし、また花園大学の母体である学校法人花園学園の理事もつとめておられる方である。最近は私も、学園の会議でよく御一緒させていただく。
 とはいっても、私は静岡市はほとんどはじめてである。子供の頃の家族旅行で登呂遺跡に連れて行ってもらった覚えはあるし、また静岡県でも遠江や伊豆には何度も足を運んだことがあるのだが、どういうわけか駿河地域には縁が薄かった。その点では、今回の機会はありがたい。
 ちょっとだけ早く静岡駅に着き、タクシーをとばして静岡浅間神社に行く。城郭建築を思わせるような巨大で壮麗な拝殿に驚愕。摂社の少彦名神社は学問と知恵の神様だというので、お賽銭をあげて、自分の研究が進むことを祈る。さらに、境内にある国指定史跡・賤機山古墳<しずはたやまこふん>に登る。考古学界では超有名な古墳だから、一度は行ってみたかった。美しく復元整備され、石室入り口の柵を通して内部の見事な石棺が見える。

Sizuoka 境内には、静岡市文化財資料館もある。施設の規模は小さいけれども、賤機山古墳の出土遺物などが展示されているのがありがたい。しかし、ここに展示されていた「年表」を見てキモをつぶした。「時代」と「西暦」「元号」「天皇」の対照表なのであるが、「縄文文化時代」のところに「神武〜孝安」、「弥生文化時代」のところに「孝霊〜応神」、「古墳文化時代」のところに「仁徳〜皇極」の天皇名が対比されているのである!(写真=クリックで拡大) つまり、記紀に記載された各天皇の在位年代をまったく疑わず、そっくりそのまま西暦と考古学的時代区分にあてはめているのである。しかも、何十年も前に作った年表がそのまま忘れ去られたように残っているだけ、というならばまだ話はわかるが、そうではない。最後は「平成」で終わっているから、明らかにここ十年くらいの間に新しく作成されたものなのである。そうか〜、神武天皇は縄文時代で、応神天皇ってのは弥生時代末期で、仁徳天皇は古墳時代初期の人なのか〜(笑)、なんて感心している場合じゃない。おいおい、静岡市教育委員会さんよ、いくら民間の「静岡市文化財協会」ってところに管理をまかせっきりにしているといっても、さすがにこれはマズイだろ。これを信じ込んだ子供が「登呂遺跡は仲哀天皇の時代の遺跡です」なんて言い出したらどうするんだ? この一事だけで、静岡市文化財資料館は「トンデモ博物館」の中に入る資格は充分になってしまった。

 さて、静岡駅前に飛んで帰り、サールナートホールに急ぐ。行ってみてびっくりした。これは大したモノである。建築も凝っているし、内部も洒落ている。映画、落語、文化講座など、ひと味ちがった企画がてんこ盛りになっている。「京都学講座」、どれくらい入るのか心配していたが、フタを開けてみると70席ほどの講座室が満席になっている。良かった良かった。
 藤原師と、同師のうつくしい娘さんに見送られて、ホールを出る。1時間ほど時間があるので、前から見たいと思っていた駿府城跡に向かう。復元された二ノ丸巽櫓に登り、しばし城内を散策。本丸の天守台が残っていると思っていたが、影も形もなくなっている(日本軍の師団司令部時代に破壊)のにびっくり。
 いささか足が痛くなった。帰りの新幹線内でビールを飲んだら、ぐっすり寝てしまう。


2006.04.14

同志社大学の講義始まる、の巻

 4月13日(木)
 2講時目の「考古学概論」をやるために、朝から出勤。教務課で教室を確認しようとした。と、どういうわけか、私の授業が載っていない。???、ということで、時間割を嘗めるように見直すが、やっぱり載っていない。よく見ると、「考古学概論」は3講時目(午後1番の授業)になっている。これはどうしたことか。私が登録しまちがったのか?、それとも事務局のどこかで変更されたのか? しかし、いまさら、また変えるわけにはいかない。しかし、冷や汗ものであった。ダブル・ブッキングなんかしていたら、目もあてられない悲劇になるところだった。
 そういうわけで、3講時目に「考古学概論」。教室に入ってみると、大入り満員で立ち見がたくさん出ている。いったいどういうわけだ? わけがわからない。もっと大きな教室に変更しなければならない。
 4講時目と5講時目は大学院の授業。これは例年通り、私の個人研究室でみっちりとやることにする。 

 4月14日(金)
 午前中は、朝日カルチャーセンター京都へ出講。「平安京・京都の歴史を歩く(13)院政の時代と鳥羽離宮」の第1回目として、「院政の開始と白河・鳥羽法皇」。白河法皇までの天皇の系図を説明しだすとどんどん話がひろがる。
 午後、京都文化博物館で「京の食文化」展を見る。「食」にはあまり興味がないので期待していなかったのだが、これが結構面白い。展示を見るだけでこれを企画した担当学芸員が誰だかわかってしまうほどの個性を持った展覧会である。見学後には、S・U両主任学芸員、O・F両学芸員と話し込む。博物館を取り巻く環境はますます厳しくなっているらしい。暗澹。

 いったん自宅に帰り、ちょっと一休みした後、同志社大学今出川キャンパスに出講。今年から、夜の講義(18:25〜19:55)を担当することになった。「日本史(1)−101」という科目で、テーマは「京都・都市の歴史」をやることにする。同志社大学の通年の科目は久しぶりの担当であるから、ちょっとばかり緊張。全学共通科目なのでどんな学生が集まっているのかな? 学生諸君に聞いてみると、文学部文化史学科(ふつうの大学の史学科に相当)の学生はおらず、他学科ばかりだという。とりあえず、「京都で歴史を学ぶとはどういうことか」ということを、実例をあげつつ論じる。
 烏丸寺之内のおいけラーメンさまたでまったりとしたラーメンを食べ、帰宅。


2006.04.12

授業開始、の巻

 4月11日(火)12日(水)
 月曜日から、授業開始。

  本年度の担当授業(特記なしは花園大学)(オムニバス講義は、それぞれ数回のみ担当)
 月曜日 2講時 《同志社大学》シルクロード(オムニバス講義)
 火曜日 1講時 日本史学入門(オムニバス講義)(前期のみ)
     2講時 研究入門演習 (=2回生ゼミ)
     3講時 日本史学演習A(=3回生ゼミ)
     4講時 日本史学演習B(=4回生ゼミ)
     5講時 卒論指導
 水曜日 2講時 《同志社女子大学大学院》考古学特論
     5講時 京都学概論
 木曜日 2講時 考古学概論
     4講時 《大学院》考古学特論
     5講時 《大学院》日本史学演習
 金曜日 6講時 《同志社大学》日本史
 土曜日 1講時 博物館実習(オムニバス講義)
  ごらんのように、けっこう忙しいのである。

 12日(水)には、ひさしぶりに同志社女子大学(京都府京田辺市の同志社京田辺キャンパス)に出講である。以前からこの大学の大学院で「考古学特論」を担当してるのであるが、一昨年・昨年と連続で受講生ゼロとなり、休講になっていた。まあ、大学院であるから、通常でも受講生は1名から数名程度であり、ゼロとなっても不思議ではない。今年はどうかな、と思っていたら、受講生が2名登録してくれたということで、無事に開講となる。2年ぶりの同志社女子大は、桜が満開で華やか極まりない。知らぬ間に薬学部が新設され、建物も増築されていて、キャンパスの雰囲気もかなり変わっている。受講生の専攻などを聞き、講義をどう進めるか、相談する。
 その後、同志社大学歴史資料館に寄る。永年にわたってここに勤務されたUさんが御退職となったので、ちょっと寂しい。その代わりに、以前にここの仕事をされていたTさんが「復帰」されている。またお世話になります。さらに、同資料館の収蔵庫に立ち寄る。W専任講師が在室でちょうど良かった。3月にやっておられた同志社大学今出川キャンパス内(烏丸通今出川北東角附近)の発掘調査の成果を教えてもらう。

 花園大学に戻って、今年初めの「京都学概論」の講義。教室に入ってびっくり。中教室が満員になっている。いつもは半分くらいなのに、いったい何がおこったのだろうか? 「この授業では出席をとりませんから、聞きたい人だけが聞けばよろしい」と説明しておいたから、まあそのうち人数も減っていくだろう。


2006.04.11

ブラームス全曲を聴く、の巻

 4月9日(日)つづき
 午後、京都コンサートホールにでかける。京都市交響楽団創立50周年記念演奏会として、ブラームスツィクルス、つまり、ブラームスの4曲の交響曲を1日で演奏するという、近来稀に見る贅沢な演奏会がある。指揮は、第1番と第3番が現・常任指揮者(第11代)の大友直人さん、そして第2番と第4番が第9代常任指揮者の井上道義さんである。
 さすがに、会場はかなりの人数が入っている。午後2時から始まって、途中に1時間半の休憩をはさんで午後7時半まで。演奏する方は凄いエネルギーがいるんだろうな。休憩時間中には、京響市民合唱団によるロビー・コンサート(わが大学の事務局のSさんが参加されている)、大友・井上両氏による対談など、まったく盛りだくさんで嬉しい限りである。
 演奏は、とにかく井上さんの指揮の第2番と第4番が凄かった。第2番はあまり好きな曲ではないのだが、それでも目が離せない。さらに名曲の第4番は、指揮者もオケも素晴らしいエキサイトぶりを聴かせてくれる。井上さんの自信に満ちた指揮振りが特に印象的であった。第4番の終了後、たまらずにスタンディング・オベーションをしてしまう。
 ただ、大友さんが振った第1番と第3番は、ちょっと物足りないように聞こえた。大友さんの指揮ぶりが、手堅いけれども真面目すぎたのだろうか。とにかく、井上さんの大発散に比べて、オケがパワーをセーブし続けたような印象を受けた。ただ、第3番の第3楽章終了時に、バカなひとりのオッサン客が、曲がもう終わったのだと勘違いして、拍手をしてしまった。指揮者もズッこけたように見えた。しかし、不思議なことに、それに続く第4楽章は、エネルギーに満ちあふれた大熱演になり、ここは充分に感動して聴かせてもらった。大友さん、オケの全体に責任を持つ常任だといっても、あんまり自分の力を押さえ込まずに、好き放題の音楽を奏でた方が良い結果を生むように思う。
 終演後、拍手が鳴りやまない。井上さん、大友さんが両方とも登場し、アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第1番。しかも、曲の途中で指揮者が交代するという遊び付きである。京響の皆さんも、実に爽快そうに演奏しておられた。
 ブラームスづくしの1日だった。

 夕食は、ラーメンが食べたくなり、京都最大のラーメン激戦区=通称「一乗寺ラーメン街道」まで足をのばす。どこに入ろうか、迷っていると、東大路通の北大路上ルにらーめん大蔵という新しい店を見つける。小さな小さな店だが、客がいっぱい並んでいる。しばらく待って、看板の魚介ラーメンを頼む。これが大正解。まったりとした甘めのスープに海の香りが染みこんで、それが細めの麺と実によく合っている。良い店を見つけた。ありがたい。

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文化財団体交流会、の巻

 4月9日(日)
 文化財・博物館関係労組連絡会の「2006年度 文化財・博物館関係団体交流会」に出席する。ホントは昨日からの日程なのだが、本務のオリエンテーションのために欠席。今日だけの参加となる。この会は、文化財関係団体や博物館の労働組合の集団が開催しているもので、私は2004年の第1回の交流会で「基調講演」をさせていただいた。今回は「コメンテイター」としての出席となる。私の家からすぐのところのルビノ堀川が会場なので、行きやすい。
 各地の参加者から、自分のところの組織について、さまざまな現状が語られる。どこもかしこも、予算削減、人員削減、さらには組織廃止など、良い話はひとつもない。まさに、文化の氷河時代の到来である。だが、この中でもなんとか文化の大切さと学問の独立を守っていかねばならない。コメントを求められたので、我々が担うべき「公」の利益とは何なのか、という話をする(ただ、理解されなかった部分もあるようである)。
 もとの同僚であるT大学のS氏に久しぶりにお目にかかる。どこかでお茶でも、ということになったので、我が家にご案内し、しばし歓談。


2006.04.10

嵐山の夜桜、の巻

 4月8日(土)つづき
 大学に帰ってから、すぐにタクシーを拾って飛び出す。急に、「10年会」の集まりが入ったのである。DJ大学のO先生、M市教育委員会のS博士、鍼灸師のAさん、例によっての山中章博士、そして私という奇妙な組み合わせである。ホントは別の研究会の懇親会に行くことになっていたのだが、申し訳ないことながらそちらはキャンセルしてしまった。しかし、私にとって(そして、山中博士にとっても)、Aさんと会える機会は他の何事にも代え難く、絶対に逃すことはできないのである(別の懇親会に声をかけていただいていたK研究所のTさん、ホントにすみませんでしたm(_ _)m。でも、こういう事情なのです。御寛恕ください)。
10nen 会場は、Aさんお勧めのフランス・和食混合創作料理の店鳥居本の「遊山<ゆさん>」。ちょっと道に迷ったが、なんとか到着。雰囲気のある店で、みんなはもう宴たけなわである。赤ワインで乾杯。お料理も結構なものばかり。お料理を運んでくれたお店の方がとても綺麗で素敵な人だったのにもびっくり。飲み、食べ、笑い、さざめき、まさに至福の時間をすごす。
 Sakura 一次会が終わった後、渡月橋に向かう。大堰川の中之島の桜が満開。春爛漫である。鎌倉時代の後嵯峨上皇はこの地に離宮・亀山殿を造営し、対岸の嵐山に吉野の桜数千本を移植したという。その子孫の木くらい、どっかに残っていないかな? 夜桜を堪能した後、阪急嵐山駅近くのショットバーで二次会。テキーラの杯を傾けながら、ここでもすぐに時間がすぎてしまう。
 いつまでも、余韻の残る夜であった。

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新入生学外オリエンテーション、の巻

 4月5日(水)
 大学で、新任の専任教員および非常勤講師の諸先生方を対象とした、「教務等懇談会」。メインは「花園大学の人権教育に対するとりくみ」の講演。これ、ふだんならば本学人権教育研究センターのY所長がやることが通例なのだが、今回に限って同所長が多忙のため、できなくなった。そのオハチが、副所長の私に回ってきた。これは困ったぞ。人権のことなんて、人前で話をしたことがない。俎板の上の鯉の心境で、四苦八苦する。
 その後は、学科にわかれての懇談会。史学科共同研究室で、遅くまで和気藹々の時間をすごす。

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 4月7日(金)・8日(土)
 7日は、朝一番に会議。くたびれる。その後、S出版社のM氏の訪問を受ける。
 午後から、史学科の新入生対象のオリエンテーション。ウチの学科は、通例として一泊旅行をやる。今回は時間が1日半しか使えないので、近場の滋賀県方面とする。大学で新入生約130人を集め、4台のバスに10人の教職員とともに乗り込む。まずは三井寺(園城寺)の見学。そこから、琵琶湖の水際にたつ温泉のホテルにはいる。新入生のオリエンテーションとして、学科案内、教員の自己紹介、新入生の自己紹介などをおこなう。
 どうしたわけか、夜があまり寝られなかった。目の下にクマを作って、ノソノソと起き出す。朝風呂でちょっとさっぱりした後、出発。まずは近江八幡。学生を自由見学にして、私とF専任講師(古代史の新任)、M専任講師(情報歴史学)はロープウェイに乗って山上の八幡城跡に向かう。急峻な山頂に、石垣が綺麗に残っている。次は滋賀県立安土城考古博物館。私が簡単な解説を加える。最後は彦根城。久しぶりに天守閣に登るが、ずいぶんたくさんの人である。帰り、渋滞にひっかかってしまったため、帰洛は18時20分になる。

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シュタウフェンベルク夫人死去、の巻

 4月4日(火)
 新聞の隅っこに、あれっ、と思う訃報が載っていた。ニーナ・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク夫人が92歳で死去されたそうである(ベルリン3日ロイターES=時事)。ご本人には失礼なことながら、御存命だったとはまったく知らなかった。
 「シュタウフェンベルク」とは、現代史に関心のある者にとっては特別な名前である。彼女の夫・伯爵クラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件の実行者であり、その後のクーデターの首謀者であった。もしこの暗殺が成功していたら、また、もしこのクーデターがもっと手際よく進んで政権奪取に成功していたならば、戦争はその場で終わったであろう。そして、数百万の人々の命が救われ、ドイツ国土も廃墟となることはなかったし、戦後のドイツ分裂もなかったであろう。しかし、暗殺とクーデターは共に失敗。シュタウフェンベルク大佐は「我らが聖なるドイツ万歳!」と叫びながら銃殺されたのである。

10001700923 この記事に刺激されたので、ビデオ屋さんに行って、シュタウフェンベルク大佐を主人公として7月20日事件を扱ったドイツのテレビ用映画「オペレーション・ワルキューレ」(原題はそのものずばり、「Stauffenberg」。邦題の「ワルキューレ作戦」とは、ヒトラー暗殺後のクーデター作戦のこと)を借りてきた。多少の不満もあるが、細部はよく作り込まれているし、まずまず楽しめる出来であった(ただ、ニーナ夫人は最後には夫を見捨てたみたいに描かれていた。真相は知らないが、この映画の制作の時には夫人は存命だったのだから、ちょっと気の毒なように思う)。

 不満点の例:シュタウフェンベルクを演じたセバスチャン・コッホはなかなかの熱演だし、堂々とした軍人姿は悪くないのだが、実際の同大佐はもっと細面の美男子だった。また、シュタウフェンベルクは戦傷によって左目・右腕・左手の2本の指をそれぞれ失っていた。しかし、映画では、左目と右の「手首」を失い、左手の2本の指はマヒした、というように改変されていた。まあ、これは事実通りには作りにくいだろうから、仕方ないかな。しかし、ヒトラー側の動きを描かず、反乱側に視点を固定するという特異な演出をとってしまったため、全体の流れが薄っぺらになってしまった点はホントに惜しいな。ぜひ描いてほしかったシーンがいくつもある。たとえば、爆破の塵煙の中から、ボロボロになったヒトラーが、しかし一命をとりとめてさまよい出てくるところ。こんなの、最大の見せ場になるはずのシーンであるが、まったくカットされているのはもったないな限りである。事件直後に、たまたまイタリアのムッソリーニがヒトラーの大本営を訪ねてくるのであるが、 これもカット。さらに、クーデター失敗の最大のヤマ場となったのは、ベルリンの護衛大隊の隊長・オットー・レーマー少佐がゲッベルス宣伝相を逮捕に来て、そこで宣伝相の巧みな弁舌に丸め込まれて反乱軍から離脱したところなのであるが、これもえらくあっさりと描かれてしまった。
 細部のこだわりの例:飛行機とか武器はかなりよく考証されていたらしいが、これは私にはよくわからない。ただ、レーマー少佐とゲッベルス宣伝相との対面のシーンで、ゲッベルスの後ろに、頭髪の薄くなった男がひとり、ひっそりとたたずんでいたのが一瞬だけ写ったのには驚愕した。これ、説明はなんにもなかったからほとんど気づかれないかもしれないが、明らかにアルベルト・シュペーア軍需相である。シュペーアがこの時に同席して一部始終を目撃していたことは、彼の回想録(『ナチス狂気の内幕』〈読売新聞社〉、後に『第三帝国の神殿にて』と改題〈中公文庫〉)にも明瞭に書かれているのである。


2006.04.04

京都市職員研修、の巻

 4月3日(月)
 入学式。本年度の史学科の新入生は138人。みんな、がんばって勉強してね。

 午後からは、京都会館の会議場へ急行する。京都市の「平成18年度新規採用職員研修」の記念講演を依頼されたのである。京都市の新規採用職員238名に対して、「伝統ある京都市の職員となったことに誇りを持ち、京都のさらなる発展に力を尽くすための意欲を高める」ための話をする、ということである。演題は「京都の歴史—歴史に学び 未来をつくる—」。私も生まれながらの京都市民であり、市民税もきちんきちんと払っているから、その立場からの話をさせてもらうことにする。
 会場に入ると、あたりまえのことではあるが、みんなきちんとしたスーツ姿。演壇に立つと、「起立!礼!着席!」の号令がかかる。いささか気恥ずかしい。京都市の職員である限り、やはりいつでも歴史の重みというものを感じていただかなけれがならない。平安京から中世、さらに近世にいたるまでの京都の都市構造の変転を概観することになる。
 講演が終わった後は、しばらく河原町通の本屋さんをブラブラ。足を棒にして帰宅する。

 今日から、アメリカのテレビドラマ「ER—緊急救命室—」のXIシーズンが始まる。一年ぶりなので、楽しみにしていた。モーラ・ティアニー(声:葛城 七穂)演じるアビー・ロックハートが、看護師から研修医となってカッコ良く登場。さらに、タイトル・クレジットでは準主役扱いに昇格している。この人のさみしげな笑顔が大好きなので、とっても嬉しい。

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中世都市四天王寺門前を歩く、の巻

 4月2日(日)
 1617会(いちろく・いちなな・かい)の第27回例会に出席。今回は「四天王寺門前町を訪ねて」、ということで、古代以来、大阪の代表的な都市的な場であった四天王寺門前町を歩かせてもらう。ただ、雨なので少し心配する。13時に地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ケ丘駅に集合。雨は止んでいる。良かった良かった。大阪市文化財協会の松尾信裕さんと大阪歴史博物館の大澤研一さんのご案内で、藤原家隆塚→勝鬘院→大江神社(夕陽ケ丘)→清水寺→→茶臼山→四天王寺境内を廻る。勝鬘院というお寺には、大阪の現存最古、豊臣秀吉の建立になる木造多宝塔(国重要文化財)が存在するなんて、まったく知らなかった。四天王寺の門前町は、「大乗院寺社雑事記」に「7千軒」の家があったとされている。これはちょっと誇張だと思うが、それでも繁栄を究めた中世都市であったことは間違いない。最新の成果を聞く。
 四天王寺の境内にはいる頃から、空がどんよりと曇ってくる。突然、雷が鳴る。と、思うまもなく大粒の雨が滝のように降り注いでくる。間一髪、四天王寺の休憩所にとびこむことができた。しばらくみんなで雨宿り。仁木宏さんが買ってくれた釣鐘饅頭を頬ばる。

 驚嘆したのは、天王寺の茶臼山「古墳」の調査成果。古墳であるという証拠はまったく見つかっていないが、かといってあの大規模なマウンドが何なのか、よくわからない。しかし、松尾さんに拠ると、その頂上から大量の瓦が出ているという。しかも、「正平」の年号が入っている。もちろん、正平というのは南北朝時代の南朝の年号である。あの時期、南朝の支持勢力がこの天王寺門前に何か拠点施設を造ったのだとすると、すごく面白いことになる。

 ちょっと早いが、夕方4時頃からJR天王寺駅の階上で飲み会。遠く関東から、K大学T短大のK氏(中世史)も来られている。久しぶりなので、ビールを傾けながら和気藹々。


2006.04.02

新年度!、の巻

 4月1日(土)
 新年度の開始である。
 私たちにとって一番だったのは、ウチの学科に新しい先生をお迎えしたことである。永きにわたって花園大学文学部史学科で日本古代史を担当されたY教授が定年により御退任、名誉教授の称号を受けられた。それとともに、その後任としてF専任講師をお迎えすることになった。F氏はこれまではO博物館の学芸員をつとめておられたから、わが大学の歴史博物館や博物館学芸員課程の仕事も分担していただくことができる。文献の古代史ばかりではなく考古学にも造詣が深いし、さらには都城研究・都市史研究のスペシャリストでもある。さらに、これまで「前近代日本都市論研究会」で一緒に学んできた気心の知れた研究仲間でもあるから、私にとってはまさに願ったりかなったりである。まだ35歳という若さだから、ウチの学科に新しい風を吹き込んでくれるに違いない。
 新年度始めての教授会で、新任の教職員の皆さんがご挨拶される。夕方には、大学の食堂で恒例の教職員歓送迎会。さらには、学科の研究室に場所を移して二次会。他の学科の先生方も合流され、したたかに酔っぱらう。
 今日が、花園大学の新しい船出の瞬間になりますように。


2006.04.01

森浩一先生の「2005年度の考古学」、の巻

 3月25日(土)
 急に思い立って、佛教大学四条センターへ行く。
 ここでは、一般市民向けの講座のひとつとして、「考古学の論点」というのをやっている。その最終日として、森浩一先生の「2005年度の考古学—その成果と問題点—」が開催されるというのである。ただし、先生単独の講演ではなく、門田誠一佛教大学教授との「対談」という形をとる。森先生の講演もしばらく聞いていないから、こういう機会は見逃せない。センターに入って、入場券を買う。教室の隅っこで待っていたら、森先生と門田教授、そして杉本憲司佛教大学教授が登場。入り口でご挨拶。
 まず、森先生が最近の考古学についてのいくつかの危惧を述べられる。近年の考古学界は「学界」というよりも「技術者集団の業界」のようになってしまっている。史跡整備などでも、あまりにも乱暴で目に余る事例が多い、等々。いずれも胸につきささる警句である。それから、門田教授が昨年度の発掘調査での重要な事例を紹介し、それにひとつひとつ森先生がコメントを加えられる。私にとっては、重要性に気が付かなかったものばかりであり、穴があったら入りたくなる。それにしても、なんの変哲もないと思われたような遺跡が、森先生の手にかかると眩しいばかりの光芒を放つことになる。森先生の学問の広大無辺さに改めて感動する。
 講座が終わった後、門田教授に誘っていただいて、控え室で森先生・杉本先生としばらくお話しすることができる。森先生の奥様も来られている。旧知の新聞記者の方々や、森先生ゆかりの方々も加わって、賑やかになる。ありがたや。

 3月27日(月)
 今年度最後の教授会。

 3月28日(火)
 う〜ん、論文原稿が書けない。困った困った。だんだん気分が落ちこんできて、自分でも精神状態が不安定になりつつあることがわかる。マジな話、鬱状態におちいりそうである。これはヤバイぞ。仕方ないので、別の原稿を先行させることにする(R博のNさん・Mさん、ごめんなさいm(_ _)m)。かなり以前に依頼されながら、そのままにしてしまっていた。うんうんいいながら、少しづつ、少しづつ、文字を叩き込んでいく。書いていると、やっぱり自分の勉強不足がどんどん露呈する。

 3月30日(木)
 大学で、「博物館学芸員課程」の予備登録。希望者の学生をあつめて、脅しまくる。だって、いいかげんな気持ちで博物館学芸員資格を採って欲しくないもの。「せっかく大学に来たんだから、なんか資格のひとつくらい欲しいな。まあ、博物館学芸員資格でも採っておくか」なんて、言語道断である。そのための選抜試験もやる。

 3月31日(金)
 やっとのことで、ひとつ原稿をあげる。出版社に電子メールで送信。出版社様、遅れに遅れて、本当にすみませんでしたm(_ _)m。ちょっと一安心となったので、お気に入りの新進亭にでかけ、ラーメンを食べる。そのあと、書店に行って何冊かの新刊書を購入。
 さあ、明日から新学期だ。


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