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2006.05.29

院政期の女院を語る、の巻

 5月25日(木)
 わが大学の創立記念日。授業はお休み。巨椋池の調査研究でお世話になっている(社)農村環境整備センターの皆さんの訪問を受ける。巨椋池を紹介する小冊子を作られるということで、あれこれと希望を申し上げ、資料を紹介する。お役にたてますように。
 創立記念式典のあと、京都市内某ホテルで記念パーティー。二次会までつきあうと、完全に酔いつぶれる。どうやって家に帰ったのか、断片的にしか覚えていない。

 5月26日(金)
 ウチの奥様は3日間、東京で開催される歴史学研究会大会に出張。文理閣の本売りである。完成したばかりの『院政期の内裏・大内裏と院御所』(文理閣)、たくさん売れますように。(あとで聞くと、編者の高橋昌明先生、「平安京・京都研究集会」世話人代表の仁木宏さん、滋賀県立大学の京樂真帆子さんが本売りを手伝ってくれた〈!〉(←6/5追記 これは「畏れ多くも」という意味のビックリマーク)そうで、売れ行きはなかなか好調だったようだ。なかなか幸先は良いぞ。皆様、ぜひご購入をご検討くださいませm(_ _)m。)

 5月27日(土)
 キャンパスプラザ京都に出講。先週も行ったから、2週続けてということになる。花園大学提供の京都学関係のシティーカレッジ科目(これも、いったいなんのことやら、何度聞いてもわからない(^_^;))を5回でやることになり、今年は「京(みやこ)を彩る女性たち」を統一テーマに掲げる。オムニバス的にいろんな教員が出講するものである。私は「院政期女院群像」ということにさせていただく。配布資料を作ろうとして、昨晩から「院政期の女院たちの系図」を書き始めたら、ついつい熱中してしまった。いろんな家系が絡まり合っていて、なかなか面白い。しかし、そんなことをしていたため、その他の部分がやっつけ仕事になる。講義では、角田文衞先生の待賢門院論を紹介していくとこれがついつい時間をとってしまう。本来は主体にする予定だった建春門院論が駆け足だったのが残念。

2006.05.28

平安京・京都研究叢書1『院政期の内裏・大内裏と院御所』完成、の巻

 肩の荷が軽くなった、と言ったら、あちこちからねぎらいの言葉をかけてもらった。感謝m(_ _)m感謝。しかし、まるで間合いを測ったように、某出版社から電話がかかってきた。またしても平謝りをし、キチンと仕事をすることを確約。身から出たサビというか、なんというか・・・・

 5月24日(水)
 Insei 平安京・京都研究集会の成果報告である、『院政期の内裏・大内裏・院御所』(平安京・京都研究叢書1、高橋昌明編、文理閣)がいよいよ出来上がった。完成までにいろいろとヨソではいえない苦労をしただけに、感無量。
 やはり学術書の出版は大変である。編者の高橋昌明先生も大変なご苦労であった(しかし、その辣腕はやはり見事なものであった)。それから、こういう「固い」本の出版を引き受けてくれた文理閣黒川美富子さんの心意気にも感激。儲からない本は出さない、などという出版社が増えてきている中で、文理閣のような情熱ある出版社がまだまだ存在することは心強い。こうした会社こそ、大事に大事にしていかなくてはならないことだと思う。
 完成してみると、やはり、すばらしい内容の本になった。装丁もなかなか洒落ている。今後の京都研究、初期中世史研究には必須の基本書である。改めて自慢したいと思うとともに、こうした書物を造り上げることにいささかなりとも寄与することができたことを誇りにしたいと思う。

 目次は下に示す通りであるが、私はこの中で「後白河天皇陵と法住寺殿」という論文を書いた。その主要部分はすでに、野口実・山田邦和「六波羅の軍事的評価と法住寺殿を含めた空間復元」(『研究紀要』第16号、京都、京都女子大学宗教・文化研究所、2003年)と山田邦和「消えた建春門院陵を探る」(『同』第17号、同、同研究所、2004年)で展開していたものであるが、その両論文は一般には手に入りにくいであろう。本書の出版によって、このテーマに関する私説がよりたくさんの方々に読んでいただけるチャンスができたことは、本当に嬉しい。
 この論文の中での「目玉」のひとつは、後白河天皇の妃であった建春門院平滋子の陵の位置を想定復元したことである。私はこれは、三十三間堂の真向かい、後白河天皇陵の北側に隣接する場所にあったと考えている。現在は養源院というお寺の境内参道になっている部分である。私説があたっているかどうかはわからないけれども、いつか発掘調査で確認できたらいいな、と夢見ている。

 しかし、背伸びをして『平安京・京都研究叢書』というシリーズを出していくことを天下に公言してしまったぞ。はてさて、第2巻はいつごろ具体化するのか。とにかく、がんばって成果をあげていくしかない。


     目  次
はじめに                  高橋昌明
I 大内・内裏・大内裏・閑院内裏
   院政期平安宮−瓦からみた−      上原真人   
   大内裏の変貌−平安末から鎌倉中期まで−高橋昌明
   閑院内裏の空間構造−王家の内裏−   野口孝子
   中世における政務運営と諸官司の空間  本郷恵子
   王権・内裏と大番           木村英一 
II 後白河院御所論
   続法住寺殿の研究           川本重雄
   法住寺殿の考古学的検討        上村和直
   後白河天皇陵と法住寺殿        山田邦和
   法住寺殿成立の前提としての六波羅   野口 実
   六条殿長講堂の機能と荘園群編成    高橋一樹
III 起点としての白河・鳥羽
   「六勝寺」の成立とその歴史的意義   上島 享
   白河街区における地割とその歴史的変遷−考古学の成果から−
                      堀内明博          
   鳥羽殿と院政             美川 圭
   鳥羽殿と交通             大村拓生
   鳥羽離宮跡の発掘調査         前田義明
平安京・京都研究集会の記録         仁木 宏 

2006.05.25

肩の荷が軽くなる、の巻

 5月21日(日)
 B出版社(仮名にする必要はないか・・・ ウチの奥さんもお世話になっている、図書出版・文理閣である)の見学ツアーということで、清水坂・鳥部野の跡地を歩く。今度、同社で企画している京都案内本の関連、ということである。黒川美富子代表を始め、文理閣の社員の方々、KセンターのM氏御一家、SK大学のKさん、というメンバーである。四条の南座前で集合して、ひたすら歩く。清水坂はいつもながら、観光客でいっぱい。
 馬町でいったん解散。さて、ビールだ、ということなのだが、Kさんは先に帰宅される。こんな席には欠かせない人であるはずなのに、そうとう仕事が煮詰まっているのか? 残念。東山七条のホテル・ハイアット=リージェンシー京都のイタリアンで、おいしくビールとワインとピザをいただく。2次会は黒川さんとウチの奥さんとで、京都駅前のぱるるプラザの最上階で、京都タワーの夜景をながめながら酒杯を傾ける。

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 5月23日(月)
 煮詰まっていた仕事を、やっと完了。去年の「中世都市研究会2005 京都大会」の論考を『中世都市研究』に掲載するという仕事である。ホントは連休明けまでということになっていたのだが、先だってのR博の仕事がズルズルと延びたあおりをくってしまった。SJ社(これも仮名にする必要がないな。新人物往来社です)のSさん、Hさん、ホントにホントにすみませんm(_ _)m。それから、締め切りを守られていた他の執筆者の皆さん、ホントにホントにすみませんm(_ _)m(しかし最近、原稿を書くたびに謝ってばかりいるな・・・(^_^;))。私の原稿は「総括と論点提示」。「中世京都都市史研究の課題と展望」と改題させてもらう(ちょっとカッコいい?)。それに、シンポジウムの記録にも手を入れねばならない。
 テープ起こし原稿があるので、それを論文化するのはたやすいように見えるが、これがなかなか大変。口頭だといかに支離滅裂なことを言っているかが晒されて、イヤになる。日本語では口語と文語は違うのだから仕方ない、などとつぶやきながら、シコシコと手を入れる。
 ともあれ、ちょっとだけ肩の荷をおろす。

2006.05.21

大学コンソーシアム京都の授業、の巻

 5月21日(土)
 犬君たちの散歩に付き合い、ビデオ屋さんにビデオを返しに行った後、京都駅前のキャンパスプラザ京都にでかける。いつもの通りぼやぼやしていたので、ギリギリ。
 (財)大学コンソーシアム京都の「プラザ科目」(何回聞いても、これが何を意味しているのかよくわからない(^_^;))の「京都学総論」。いろんな大学のいろんな教員でオムニバス的に分担する科目なのだが、これをわが花園大学がコーディネイトおよび提供することになっている。花園大学で禄を食んでいる身としては出講しないわけにはいかない。と、いうことで、私も一回だけ分担することになった。
 ウケ狙いというわけではないが、例によって「大河ドラマ」便乗ネタで、テーマは「秀吉の京都」にする。キレイな教室で、いつもながら快適である。受講生も、わざわざ自分の大学からここまで足を運ぶだけあって、なかなか熱心である。中には、ウンウンうなずきながら聞いている学生もいる。また、じっくりと耳を傾けている社会人の人もいる。こういうところでは、なかなか気持ちよく話をすることができる。さらに、教室の窓からは秀吉の築造した御土居堀の跡地にあたる京都駅O番プラットホームが見えていて、それもネタにすることができる。ただ、秀吉政権の本質論に時間をとりすぎて、かんじんの聚楽第をゆっくり語ることができず、また、最も得意とするはずの伏見城についてはまったくの駆け足状態となってしまう。
 
 終了後、駅前のプラッツ近鉄の新星堂で数枚のCD購入。最近、ヴィヴァルディなんかにちょっと凝っている。
 家に帰って御飯を食べたあと、寺町の実家に行く。自転車なので、クイールだけがお供で、ウチの奥さんとマックはお留守番。今日は下御霊神社のお祭り。寺町通は夜店で賑わっている。本殿に手を合わせ、しばし祈る。
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 山中章博士のご一家に、悲しい出来事。どう言葉をかけるべきか、まったくわからない。落涙。私も、ただただ祈るのみ。

2006.05.19

『京都時代MAP 安土桃山編』、の巻

 5月16日(火)
 宴会。場所は祇園。なりゆきのままに任せていると、結局は筆舌につくせない豪華な宴になる。内容はご想像におまかせします。

 5月17日(水)
 新創社の松岡満氏より、新刊の『京都時代MAP 安土桃山編』(光村推古書院)をいただく。既刊の『京都時代MAP 幕末・維新編』『東京時代MAP 大江戸編』に続く第3弾だということだ。現代の都市図の上に、トレーシングぺーバーに刷った歴史地図を重ねるという手法をとっている。こうしたやりかたは従来にも例がなかったわけではないし、また京都や東京の「歴史地図」は数多く出ている。しかし、これまでの類例がせいぜい数万分の1の小縮尺地図で一枚モノにまとめていたのに対して、これは約8500分の1という大縮尺の地図をベースとしており、その結果としてひとつの時代だけで一冊の本にしてしまうという贅沢さである。
 今回の『安土桃山編』を作成するにあたって、協力の依頼を受けた。この地図作製にあたって、私の研究成果である「戦国期上京復元図」(「戦国期上京の復元」〈同志社大学考古学シリーズVIII『考古学に学ぶ〈II〉』所収、京都、同志社大学考古学シリーズ刊行会、2003年〉)や「伏見城城下町復元図」(「伏見城とその城下町の復元」〈『豊臣秀吉と京都—聚楽第・御土居と伏見城—』所収、文理閣、京都、2001年〉)を使わせて欲しい、というのである。いずれも既に公表している成果であるから、典拠が私の研究であることを明記さえしていただければ、異存があるはずはない。どうぞどうぞ、ということになる。できあがりは、まことに綺麗な本になった。結構なことである。
 ただ、「安土桃山編」とはいうものの、純粋の織豊期に限定してしまうと地図がスカスカになってしまう。この時代の京都は、まだまだわかっていないところが多いのである。どうするのかな、と思っていると、松岡氏は戦国期や江戸初期までもとりこみながらうまく作図された。歴史地図である限りこれはやむをえないし、また、それだけに、戦国期や江戸初期の勉強にも役立つと思う。
 ともあれ、面白い試みができあがった。多くの人がこの本を手にしながら京都の町を歩いてみていただきたいものである。

2006.05.15

歴博からの生還、の巻

 5月13日(土)・14日(日)
 締め切りを守らないのは良くない。プロの物書きの端くれである以上、期限を破るなんて最も恥ずべきことだ(拠:K大学T教授)。
 それはわかっているのだが、やっぱり守れないことが多い。それで、結局は自分で自分のクビを締めることになる。
 煉獄の苦しみを味わっていた論文原稿。正直に言います。ずっとずっと遅れてしまいました。締め切りを守ってきちんと原稿を提出した方々には、まことにまことに申し訳ない次第です。ごめんなさいm(_ _)m。業を煮やした国立歴史民俗博物館のM氏からは、「もう待てません。○月■日までに原稿をいただけなければ、落っこちということにさせていただきますからご了承のほどを」という怖い怖いメールがきた。こうなると小心者の私は震え上がらざるをえないのである。
 と、いうことで、運命の○月●日がやってきた。なんとか、なんとか書き上げた。まだ不充分なところもありそうだが、こうなったらもはやそんなことは言っていられない。メールで原稿を送付。400字詰め原稿用紙換算で約55枚。しばし放心状態におちいる。でも、まだまだ安心はできない。鬼より怖い(?)原稿審査が待っている。はてさて、どうなることやら。

 5月13・14両日は、その、当の歴博に行かなくてはならない。来年に予定されている企画展示「長岡京の光と影(仮題)」の展示プロジェクト委員会なのである。原稿がなんとか出せたので、まあ、そしらぬ顔で出席することができる。歴博のN氏やM氏にお詫びを申し上げる。
 会議室で待っていると、このプロジェクトの大親分、山中章博士御登場。私の顔を見るなり「あれっ、死んでいたのじゃなかったんですか?」と氷のように冷たい冷たいお言葉である。(>_<)涙、涙(>_<)。
 早速、会議が始まる。歴博で勉強を続けている院生クラスの若い方々が、ホントによくやってくれている。ありがたや。私も、何もしないのは申し訳ないので、今回の原稿に入れた「隋唐洛陽城の復元図作成」について話をさせてもらう。
 土曜日の夕方は、例によって飲み会。京成佐倉駅前の飲み屋で大騒ぎ。あの人も、またこの人も痛風仲間だということが判明。けっきょく、いつもの通りヘロヘロ。ユーカリが丘駅前の定宿に倒れ込む。日曜日も質の高い議論が続く。題名をいろいろと出し合うが、なかなか決まらず。
 今日こそは早く帰ろう、と思って早々に歴博を辞する。でも、東京駅でS氏が「蕎麦が食べたい」と言い出す。結局はビールを飲んでしまう。新幹線は、いつもながら山中博士と同道。ここでもまた、柿の葉寿司にワンカップの日本酒。もとの黙阿弥とはこのことである(^_^;)。

2006.05.08

苦しみの日々、の巻

 5月7日(日)
 連休が終わってしまった・・・ ずっと籠城して論文の原稿書きの日々だった。それにしても、遅々として進まず、まだ完成していない。論文書きで、これほど苦しむのは久しぶりのことだ。なぜ書けないのか? 答えはわかりきっている。勉強不足で、まだ考えがよくまとまっていないからだ。いわば自業自得なのだが、それでも苦しいのは苦しい。つい、現実逃避を考えてしまう。
 とにかく、ギリギリのところまできている。あと少し。自分で自分を奮い立たせよう。

2006.05.04

煮詰まりかけ、の巻

連休。原稿書き。遅々。煮詰まりかけ。焦げ付くか? 間に合うか?

明日の5月5日から、WOWOWで新番組「ぽこよ」がはじまるらしい。見ている時間はないので、録画だけはするつもり。

2006.05.01

『平安京・京都研究叢書1 院政期の内裏・大内裏と院御所』校正、の巻

 4月29日(土・祝)
 朝から短い原稿にうんうん唸る。やっと終わった後は、校正。途中で投げ出して、夕方からはわが研究室の学生諸君に合流。彼らは、遺跡見学をしたあと、「新入生歓迎コンパ」となる。私はコンパだけ出席。会場は嵐電の西院駅(「さいいん」ではなく、「さい」と訓む)近くの飲み屋。新入生歓迎といっても、一回生はおらず、二回生もしくは三回生ばっかりである。

 4月30日(日)
 午前、市内某所でK氏と相談。
 午後、豊国神社に行って、テレビの取材をうける。朝日放送テレビのBS番組で、巨椋池を特集するのだという。ホントは巨椋池の跡地でやるべきだったのだが、私の都合がつかず、秀吉ゆかりの豊国神社でということになった。インタビューの相手役は、可愛らしいタレントのAさん。撮影じたいは拍子抜けするほどに簡単に終わってしまう。Aさんが方広寺の釣鐘を見たい、というので、案内して説明をする。

 それから、ウチの奥さんおよび高橋昌明先生と落ち合い、文理閣の黒川美富子代表の御自宅に押しかける。今月末に刊行予定になっている論集『平安京・京都研究叢書1 院政期の内裏・大内裏と院御所』の校正がいよいよ大詰めなのである。高橋先生と一緒にページを一枚づつめくり、問題点を抽出していく。ただ、かなり色々なものが出てきたぞ。タイム・リミットは迫っているし、なかなか大変である。
 それでも、全体を通観してみると、すばらしい内容の本になった(自画自賛(^o^) )。平安時代後期の研究には、なくてはならぬ基本文献になることは間違いないと思う。
 やっと校正を終えて、それからは黒川さんご自慢の手料理で乾杯。今日は、鰹のタタキとサバのキズシと軟らかいタケノコである。例によってぐでんぐでんになる。

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