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2006.09.28

歴博で桓武天皇陵を語る、の巻

 9月22日(金)
 今回から、京都新聞文化センターでも月一回の「京都学講座」を持つことになった。今回はその第1期で「京都の原点を探る」と題して、平安京以前の京都をしゃぺることにする。今日は第一回目「京都のあけぼの」。椿井大塚山古墳を中心として、古墳時代初期の京都を語る。

 9月23日(土・祝)
 国立歴史民俗博物館の仕事で、東国行き。午前中は必死で資料を作り、新幹線にとびのる。まずは東京。上野で降りて、久しぶりに東京国立博物館を見る。改装されて展示がかなり変わっており、楽しめた。感動したのは、国宝室に出品されていた「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」。修理が終わって見違えるようになったので、そのお披露目である。東博本はちょうど京都の部分(四条京極釈迦堂、東市の市屋道場、桂)である。これは思いも掛けぬ儲け物だった。また、佐竹本三十六歌仙絵巻の特集展示も面白い。平成館では、新装なった考古学展示に釘付け。東博所蔵の装飾付須恵器がズラリと並べられていたことも嬉しい。やはり、国立博物館には常に足を運ぶべきだな。
 上野公園を歩くと、長蛇の列が見える。なんだ?と近寄ってみると、上野の森美術館で「ダリ回顧展—生誕100年記念—」の開幕であった。入場に1時間待ち、というのに恐れをなして、まずは東博、それから上野の東照宮にお詣りして時間を見計らう。閉場間際に入ったのだが、それでも15分ほどは並ぶことになった。恐るべし。シュールレアリスムは大好きなので、ダリの世界にしばし遊ばしてもらう。
 例によって山中章博士と一杯やろうと思って電話したが、夕方になってもまだ京都にいるというので、見事にフラれてしまった。しかたないので上野のあたりをプラブラ。ひもの屋という店を見つけ、魚の干物で一杯やる。それから京成電鉄に乗ったら、車内で寝てしまい、成田まで見事に乗り過ごす。あわてて引き返し、勝田台のホテルに沈み込む。

 9月24日(日)
 国立歴史民俗博物館に向かう。来年に予定されている長岡京・桓武朝の展覧会のプロジェクト委員会である。濃い議論が延々と続く。私も何かやらねば、ということで、桓武天皇陵についての展示資料を説明する。
 くたびれての終了後は、佐倉駅前でお疲れ様会。仕事がたまっているから帰る、とダダをこねる山中博士を無理矢理にひっぱって行く。しかし、もちろん私も帰宅時間がある。中座して電車にとびのり、新幹線の中で山中博士とSさんとでまたビール。


2006.09.20

今年の夏休み、の巻

 夏期休暇もそろそろ終わり。日記に書いていなかったことを、ちょっと取り戻しておこう。
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 8月1日(火)〜3日(木)
 花園大学京都学講座。今回は文学部国文学科が担当だから、私はお手伝い程度。
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 8月4日(金)〜6日(日)
 花園大学のオープンキャンバス。私への割り当ては5日。高校生の前で文学部史学科の概要を紹介し、午後には模擬授業と受験相談。しかし、模擬授業では2名しか集まらず、がっくり(>_<)。
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 8月6日(日)続き
 長岡京市生涯学習センターで、前近代都市論研究会。SK大学のKさんのドイツ中世都市フィールドワーク報告(我が家から液晶プロジェクターを提供)と、OK大学のYさんの近世京都の報告。夜は長岡京駅近くで懇親会。
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 8月12日(土)
 京の夏の風物詩、下鴨神社の糺ノ森での古本祭。
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 8月17日(木)
 B出版社で編集会議。
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 8月19日(土)
 京都府埋蔵文化財調査研究センターがやっている、京都府亀岡市の蔵垣内遺跡・国分古墳群発掘調査の現地説明会に出かける。きわめて珍しい八角墳が検出されており、興味津々。ウチの研究室の院生・卒業生も3人ばかりお世話になっている。H君は八角墳を掘らせてもらったらしい。結構なことである。現説終了後には、ウチの奥さんに付き合って亀岡の「頼政塚」を探訪。
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 8月22日(火)
 祇園で飲み会。2次会は花見小路のバー。久しぶり。翌々日にもう一度再訪。
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 8月28日(月)・29日(火)
 犬たちを連れて始めてのお泊まり。Nさん・Kさんご推奨の滋賀県高島市今津町のペンション。帰りは、高島市朽木を通って、興聖寺(旧・秀隣寺庭園)などを久しぶりに見学。将軍足利義晴の「亡命政権」の所在地である。戦国期の室町幕府論に思いを馳せる。それから、邇々杵(ににぎ)神社のこじんまりした綺麗な多宝塔を眺める。
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 9月2日(土)・3日(日)
 2日午前は京都で用事。終了次第、すぐに近鉄に飛び乗って三重県の津市へ。中世都市研究会2006三重大会に参加。懇親会では例によってたんまりと飲む。
 中世都市研究会三重大会、まことに盛況で、御同慶の至りである。進捗いちじるしい伊勢国の中世都市をたっぷりと勉強させてもらう。ありがたや。
 報告の中で「ヨウダ」「ヨウダ」という都市名が何回も出てくる。最初は何のことか判らなかったのであるが、聞いてみると、伊勢神宮外宮の門前町である「山田」(現・三重県伊勢市。隣の「宇治」と併せて「宇治山田」の名で知られる)のことだという。これは驚愕! 「山田」は中世末・近世には「ヨウダ」と発音していたのだという。日葡辞書にもそうあるというから、これは本物だ。近世の山田奉行が「最近、『山田』のことをヤマダと発音する者がいるが、これは怪しからん。ヨウダというべきである」と言っていたともいうから、ますます面白い。
 ウチの奥さん、これがすっかり気に入って、ヨウダというのをハンドルネームにするという。私も、ヨーダ・クニカズと名乗ろうかな? ジェダイの騎士みたいでカッコいいかもしれない(^o^)。
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 9月4日(月)
 巨椋池歴史資源検討委員会の会議。巨椋池を一般に紹介するパンフレットが、ほぼ形になる。その後、ビールで乾杯。
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 9月5日(火)〜7日(木)
 恒例、花園大学人権教育研究センターの研修旅行で沖縄行き。初日は、ハンセン氏病の元患者さんたちが暮らす、国立療養所沖縄愛楽園を訪問。元患者さんたちに話を聞きながら、苦難の歴史に思いを馳せる。それから、船に乗って、沖縄本島の西北に浮かぶ伊江島に渡る。ほとんど平坦な島の中央に、にょっきりと岩山(「城山」)がそびえる不思議な景観の島である。学生連中と城山に登り、島の全景を見渡す。山の麓の「ホテル・ヒルトップ」で宿泊。

 2日目は、伊江島の反戦平和資料館・ヌチドゥタカラの家を見学。建物・展示ともに老朽化がいちじるしいのが残念だが、創設者の「想い」はひしひしと伝わってくる。港に戻って、伊江村の資料館を見学。13世紀頃の中国製陶磁器が大量に散らばっている遺跡があるということを知る。ここも、中世琉球の対外貿易の中心地のひとつだったことを知り、いささか感動。
 沖縄本島に戻り、辺野古へ。現地を見学し、米軍基地反対運動をやっておられるUさんの講義を聞く。この日は、今帰仁村のリゾートホテル、ベルパライソに宿泊。恐るべき広い部屋。晩ご飯のお肉はちょっと固かった。

 3日目、海岸で少しばかりチャパチャパ遊んでから、沖縄国際大学へ向かう。旧友のI・Cさんと合流。同大学の石原昌家教授の講義を聴く。昼御飯は昨年通りの沖縄ソバ与那原屋
 那覇に戻り、I・Cさんと旧交を温める。彼女、最近では泡盛の研究に没頭しているという。がんばってる姿に、こっちも嬉しくなる。
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 9月14日(木)・18日(月・祝)
 大学の歴史博物館で、博物館実習の館園実習。へとへと。
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 9月15日(金)
 京都文化博物館の「マリアテレジアとシェーンブルン宮殿展」を見る。絢爛豪華。同博物館の学芸課に本年度から着任されたHさんを誘い、先斗町で食事。十数年ぶりの旧交をあたためる。
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 9月16日(土)・17日(日)
 京都社会福祉会館でおこなわれた、第14回京都府埋蔵文化財研究会に参加。「京都府内の最新研究成果」に聞き入る。特に、京都府埋蔵文化財調査研究センターの岩松保氏の「仏教以前の死の儀礼」は、古墳時代後期の横穴や横穴式石室での埋葬儀礼についての「目から鱗」の凄い研究である。
 懇親会の一次会は失礼して、日本史研究会の総合委員会に出席。3時間半の濃い議論にヘトヘト。終わるや否や、こちらも抜け出して、埋蔵文化財研究会の2次会に乱入。ビールをがぶ呑み。

 17日の夜は、伯父の米寿記念祝賀会をおこなう。めったにないことだから、かなり贅沢して高級料亭の高台寺土井を使う。料理もお酒も良かったし、伯父も喜んでいたようだ。家族みんなが打ち解けて、幸せこの上ないひとときを過ごす。
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 9月19日(火)
 京都SKY観光ガイド協会の「平成18年度 京都SKY観光ガイド養成講座」に出講(於・起用と府立倉総合社会福祉会館ハートピア)。午前と午後で、「京都の歴史」(1)(2)を話す。平安京から秀吉くらいまでしゃぺるつもりだったが、これは到底無理。結局、中世前半までで終わってしまう。

 あぁ、くたびれた。


2006.09.13

鈴鹿関を睥睨する、の巻

 9月8日(金)
 朝日カルチャーセンター京都の「平安京・京都の歴史を歩く(14)天智天皇と幻の大津宮」の三回目、現地見学「天智天皇陵と大津宮跡を訪ねる」をおこなう。地下鉄東西線御陵駅に集合、天智天皇山科陵(御廟野古墳)を見学する。一度駅に戻り、京阪電車を乗り継いで近江神宮前で下車、大津宮跡を歩く。市街地の中に小さな遺跡公園がいくつも分布するが、前に来た時よりもまた公園が増えている。少しづつであっても、遺跡を残していくというのは大したものだ。偉いぞ!大津市!。近江神宮まで行き、久しぶりに時計博物館を見る。
 京都駅に戻り、ぷらぶらしながら時間をつぶす。間もなく山中章博士と落ち合うことになっているのである。夜8時、博士登場。JR伊勢丹の階上のお店で、なかなか高級なお刺身で一杯。現在進行中の鈴鹿関の発掘について詳しく伺う。その後、京都タワーホテルのパーで二次会。個人的な相談事を聞いていただいたこともあって、やはり、飲みすぎる。

 9月12日(火)
 山中博士と固く約束した(酔っぱらっていたので忘れられていたかな?)ので、博士が情熱を傾けている鈴鹿関の発掘を見せていただくことにする。ちょっと雨が心配だが、博士によると雨でも現場をやっているという。ゲゲッ・・・
 朝一番の近鉄特急に乗り、まずは、先日見逃した斎宮歴史博物館「第25回三重県埋蔵文化財展・北畠氏とその時代」展へ。突然うかがったにもかかわらず、同博物館のE氏がにこやかに出迎えてくれる。ありがたや。これは大した展覧会だ。決して派手な内容ではないが、進捗いちじるしい伊勢国の中世史・中世考古学研究の勢いがビンビンと伝わってくる。会場では、担当をされたおひとりである三重県埋蔵文化財センターのT氏が、つきっきりで説明してくださる。m(_ _)m感謝、感謝m(_ _)mである。

 ホントはすぐに山中博士の現場に行くはずなのだが、ちょっと浮気心が出た。せっかくここまで来たのだから、ということで、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)に足を伸ばすことにする。信仰心も無いでは無いが、実は、本当の目的はお土産物の仕入れである。近鉄宇治山田駅に降り、大好物の真珠漬と帆立貝の浜焼きを買い込む。さらに、駅前の庶民的商店街をうろうろ。小さな小さな乾物屋さんを覗くと、あった! お酒のつまみにもってこいのさめんたれである。なんだか嬉しくなる(^o^)。お腹が空いたので、外宮前の大衆食堂で伊勢うどん。そんなことをして遊んでいたので(^_^;)、思わぬ時間になる。あわてて外宮に参拝して、JRに飛び乗る。
 しかし、何だかおかしい。この電車、伊勢市から亀山まで2時間以上もかかるという。そんなはずはないと首をかしげる。やがて謎が解けた。この電車、途中の多気駅で40分間(!)も時間待ちをするのだという。ありゃりゃ。しかし、何もない(失礼!)駅での時間待ちはたまらない。仕方ないので、別方面行きの快速に乗り換え、とりあえず県都・津駅にまで出ることにする。津駅で差し入れのビールなどを買っていると、さっき乗った電車がゆっくりと入ってくる。結局、亀山着は15時38分。

 Yamanaka
【鈴鹿関を睥睨する山中大王】(←コラージュ、つまり合成によるウソ写真)
 亀山駅では、亀山市教育委員会のK氏がお出迎えくださる。恐縮するm(_ _)m。現場に着くと、まもなく山中博士と、同市教育委員会のM氏が登場。懇切丁寧な説明をしていただく。今まで博士のブログで見てはいたし、飲み会の席上でも詳しく聞いてはいたのだが、やっぱり現場を見るのとは大違い。これは大した遺跡である。それも、山の中に残っていたわずかな痕跡を、よく探し当てたものだ。「発見者」M氏の慧眼にはまったく脱帽の限りである。
 山中博士に誘われて、その上の山のてっぺんの岩に登る。鈴鹿関の全貌が見えるのである。軽度な高所恐怖症の私はややもするとへっぴり腰になるのであるが、山中博士はそんな私を尻目にしながら、崖のぎりぎりの線に立ち(足を滑らして落っこちないかと、こっちはハラハラである)、「こちらに行くと近江、あちらは伊賀、そっちは伊勢。壬申の乱では・・・ 聖武はここで・・・」と説明をしてくださる。抜群の環境の中での、一対一の贅沢この上ない講義であった。それにしても、岩の上に立って鈴鹿関を睥睨する山中博士の雄姿(上の合成写真)を見ていると、博士の姿が次第にぼやけて行き、「国見」をする古代の大王の姿が浮かび上がってくるような錯覚に襲われてしまうではないか。
 情熱あふれる調査を見せていただき、心地よい感傷の中で帰途につくことができた。帰りの予定さえ無ければ例によって飲み明かすのであるが、それはまた今度の機会にさせてもらおう。


2006.09.01

『中世のなかの「京都」』刊行、の巻

Tyuuseitosi
 8月31日(木)
 新人物往来社から小包が届いた。昨年度に花園大学を会場としておこなった「中世都市研究会2005京都大会」の報告である、高橋康夫編(中世都市研究会編集協力)『中世のなかの「京都」』(「中世都市研究」12、東京、新人物往来社、2006年)が完成したのである。約500頁、「中世都市研究」の中でも最大のボリュームを持つ大冊になった。ゲラ刷りの段階では目を通してはいたが、やはり出来上がってみるとずっしりと重たい。嬉しい(^_^)。もちろん分厚ければ良いというものではないけれども、私たちの研究グループとしたらそれなりの自負と自信を持っている仕事だもんな。

第1部 日本のなかの京都
 仁木 宏(大阪市立大学)「日本のなかの京都−政治、経済、地域と「首都」−」
 百瀬正恒(日本考古学協会「中世京都 都市域の様相と生産・流通・消費」
 野口 実(京都女子大学)「中世前期の権力と都市−院御所・内裏・六波羅−」
 高橋康夫(京都大学)  「描かれた京都−上杉本洛中洛外図屏風の室町殿をめぐって−」
 瀬田勝哉(武蔵大学)  「秀吉が果たせなかった花見−伏見向島の植樹とその後−」
第2部 都市空間を読み解く
 河角龍典・原澤亮太・吉越昭久(立命館大学・パスコ・立命館大学)
             「中世京都の地形環境変化」
 山本雅和(京都市埋蔵文化財研究所)
             「中世京都の街路と町屋」
 河内将芳(奈良大学)  「中世の祭礼と都市空間−祇園会神輿渡御と御旅所を素材に−」
 福島克彦(大山崎町歴史資料館)
             「洛中洛外の城館と集落−城郭研究と首都論−」
第3部 全体討論
 山田邦和(花園大学)  「中世京都都市史研究の課題と展望−『中世都市研究会2005 京都大会』の総括と論点提示−」
 全体討論 中世のなかの「京都」 司会:仁木宏・山田邦和
第4部 都市・城館研究の最新情報

 上記の通り、私はこの中で、全体討論に向けての「総括と論点提示」を担当した。必ずしも自分の得意分野だけで話ができるわけではないので、私にとってもかなり負担の大きな仕事であった。でも、その分、他の方々の報告を食い入るように聞くことができた。緊張はしたが、やはり良い勉強の機会だった。

 私の報告でもうひとつ力を入れたのは、「『都市』とは何か」という命題を考えることである。もちろん私も、こうした大問題に関してきちんとした解答を用意しているわけではないが、この機会に自分なりの問題意識と旗幟を鮮明にしておくことは必要だと思ったのである。私は、都市の本質は「情報」であり(梅棹忠夫の「都市神殿論」)、その他の条件はいずれも「情報」に付随する副次的なものにすぎない、と考えている。したがって、他の人に比べて私の都市概念はいちじるしく広い。私にとっては、都市とはあらゆる時代、あらゆる場所に無数に存在しても良いものなのである。
 そして、都市を理解するてかがりとして、「都市の階層性」の視点の導入を主張した。都市はあらゆる場所に無数に存在する。しかしそこには、必ずや階層差や発展段階が存在するはずだ、と思うのである。もちろん、私の議論がうまく展開したかどうかはわからない。しかし、こうした問題意識が都市史研究に必須であることだけは確信している。

 ただ、研究者の中には、こうした問題にまったく関心を持たなかったり、果ては、そんなものは「空論」だとして冷笑する人がいる。情けないな(>_<)。「都市」を研究しているという者にとって、「『都市』とは何か」というのは、絶えず自分自身に問いかけ続け、苦闘し続けるべき永遠のテーマであるべきじゃないだろうか。その苦闘から目を背けて、いったい何のための都市史研究だ?、と思う。

 ともあれ、ひとつ仕事が完成した。間もなく店頭にも並ぶでしょうし、ご関心のある方はぜひお手にとってみてくださいませm(_ _)m。


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