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2006.12.31

2006年大晦日、の巻

 12月31日(日)
Oomisoka
 世界を股に掛けた山中章博士はヴェトナムの首都ハノイとやらで年越しを迎えるという。私は相も変わらず、京都で新年を迎えることになる。
 年末といえば、どういうわけかベートーヴェンの交響曲第9番を聞かねばならない、らしい。理由は知らない。今年はナマを聞くことができなかったので、せめて、ということで、わが最愛の音楽家・フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の「第9」(1961年録音)を流しながら、年の瀬をおくることしよう。なお、このライナー指揮の第9、かつては名盤として知られていたが、どうも最近は忘れ去られているようで、日本版CDも今は廃盤で貴重品になってしまった。しかし、ライナーのベートーヴェンで悪いはずがない(特に「第5」「第7」は空前絶後.古今未曾有.前代未聞.不世出画期的.比肩不能.の超名演である)。かつては灼熱の火の玉のようなシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団盤もよく聞いていたのだが、時には細部の粗さが気になる。磨き上げられた流麗さと強靱な情熱とを兼ね備えているのは、やはりライナー盤である。

 と、いうことで、お正月の準備。まずは錦の市場へ買い物(写真左)。人混みに揉まれながら、右へ左へと歩き回る。去年も食べた焼き牡蠣を今年もパクつく。

 年越しソバは、実家のみんなと行くのが恒例。私は玉子とじソバと焼酎のソバ湯割りで暖まる。
 大晦日の京都の行事といえば、なんといっても祇園さん(八坂神社)の「おけら詣り」(写真右)。祇園さんの境内は屋台でいっぱいである。みたらし団子と、どういうわけか出ているペルシャ人のシシカバブ・サンドイッチを頬ばる。本殿に手をあわせ、今年の感謝と、来年の多幸を祈る。

 今年もいろいろありました。私にとっては、もしかして、一生忘れられない年になったかもしれない。みなさま、いろいろありがとうございました。新年も、なにとぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。


2006.12.29

2006年、やったこと、の巻

 12月28日(木)
 2006年もそろそろおしまい。恒例の「やった事」は、以下の通り。

〈監修書〉
■山田邦和監修『とらべる京都 虎の巻—ツアーリーダーうんちくブック—』(〈東京〉、〈JR東海「そうだ京都、行こう」〉、〈2006年6月〉)(同書所収:山田邦和「京都 歴史のおさらい」)
〈論文〉
■山田邦和「平安時代天皇陵研究の展望」(『日本史研究』521号 特集「陵墓研究の新地平」掲載、京都、日本史研究会、2006年1月)
■山田邦和「記号の役割」(『文字と古代日本』5「文字表現の獲得」所収、東京、吉川弘文館、2006年2月)
■山田邦和「後白河天皇陵と法住寺殿」(平安京・京都研究叢書1『院政期の内裏・大内裏と院御所』所収、京都、文理閣、2006年6月)
■山田邦和「中世京都都市史研究の課題と展望—「中世都市研究会2005京都大会」の総括と論点提示—」、仁木宏・山田邦和司会「全体討論『中世のなかの「京都」』」(『中世都市研究』12「中世のなかの『京都』」掲載、東京、新人物往来社、200年9月)
〈その他の著作〉
■山田邦和「原爆を投下されかけた京都」(『花園大学人権教育研究センター報』第9号〈通巻28号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2006年4月)
■山田邦和「平安京の平家邸宅」(『国立能楽堂』第272号掲載、東京、日本芸術文化振興会、2006年4月)
■山田邦和「『平家物語』の時代を主導した女人—建春門院平滋子—」(『国立能楽堂』第273号掲載、東京、日本芸術文化振興会、2006年5月)
■山田邦和「中世墓地研究への想い」(『花園大学考古学研究室だより』第49号掲載、京都、花園大学考古学研究室、2006年6月)
■山田邦和「日本人が描いたピラミッド」(『花園史学』第27号掲載、京都、花園史学会、2006年11月)
■山田邦和「考古学とは何か」(『考古学ジャーナル』No.552掲載、東京、ニューサイエンス社、2006年12月)
■山田邦和「伊江島—龍の火焔」(『花園大学人権教育研究センター報』第10号〈通巻29号〉掲載、京都、花園大学人権教育研究センター、2006年12月〉)
■「平安京創世館クイズ」第1回(『まなびすと』創刊号掲載、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、〈2006年12月〉)
■山田邦和監修「東山七条の歴史」(「ハイアットリージェンシー京都」ウェブサイト、2006年公開、http://www.hyattregencykyoto.com/astoryofhigashiyamashichijo/history/index.php)

〈学会報告〉
□(司会)「弥生・古墳時代の実年代論」(日本史研究会7月例会、於機関紙会館5階会議室、2006年7月15日)
□「日本古代都城における複都制の系譜—もうひとつの都城史—」(花園大学史学会大会記念講演、於花園大学無聖館、2006年11月18日)

〈講演〉
□「平安京・京都の歴史を歩く(12)足利尊氏と南北朝の動乱」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2006年1月13日・2月24日・3月10日)
□「長岡宮〈翔鸞楼〉発見の意義」(乙訓文化遺産を守る会「歴史文化教室」、於長岡京市中央公民館、2006年1月28日)
□「天皇陵の話(3)」(京都新聞文化センター「考古学講座」、於同センター、2006年2月18日)
□「山田先生の博物館ゼミ」(JR東海京都・奈良・近江文化情報局イヴェント、於花園大学歴史博物館、2006年3月12日)
□「神武天皇陵をめぐる諸問題」(朝日カルチャーセンター川西「天皇陵古墳」、於同センター、2006年3月18日)
□「研究成果に対する講評」(三重県立斎宮歴史博物館「学芸員による研究成果発表会」、於同博物館、2006年3月19日)
□「源平争乱と中世都市」(三重県立斎宮歴史博物館歴史講座「源平合戦とその時代」、於同博物館、2006年3月26日)
□「京都の歴史—歴史に学び 未来をつくる—」(京都市「平成18年度新規採用職員研修」記念講演、於京都会館会議室、2006年4月3日)
□「花園大学の人権教育に対するとりくみ」(花園大学「教務等懇談会」、於花園大学返照館、2006年4月5日)
□「コメント」(文化財・博物館関係労組連絡会「2006年度 文化財・博物館関係団体交流会」、於ルビノ堀川、2006年4月9日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(13)院政の時代と鳥羽離宮」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2006年4月14日      )
□「誕生 平安京」(サールナートホール「京都学講座(第1期)」、於同ホール〈静岡市宝泰寺〉、2006年4月15日)
□「院政期女院群像」(キャンパスプラザ京都シティーカレッジ科目「京(みやこ)を彩る女性たち」、於キャンパスプラザ京都、2006年5月27日)
□「秀吉の京都」(大学コンソーシアム京都プラザ科目「京都学総論」、於キャンパスプラザ京都、2006年5月21日)
□「豊臣秀吉と京都」(Kissポート財団〈港区スポーツふれあい文化健康財団〉・京都館「京都学講座」「知られざる京都の魅力VII〈戦国時代編〉」、於赤坂区民センター〈東京〉、2006年6月24日)
□「古墳よもやま話」(京都五月村クラブ例会、於「京新山」、2006年6月28日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(14)天智天皇と幻の大津宮」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2006年7月14日・8月11日・9月8日)
□「京都学講座(第1期)京都の原点を探る」(京都新聞文化センター、於同センター、2006年9月22日・10月27日・11月24日)
□「京都の歴史(1)(2)」(京都SKY観光ガイド協会「平成18年度 京都SKY観光ガイド養成講座」、於京都府立総合社会福祉会館ハートピア、2006年9月19日)
□「中世京都の都市景観」(京都SKYセンター「新・京都SKY大学」、於京都新聞社ホール、2006年10月2日)
□「戦国時代と京都」(臨済寺禅道会「臨済寺文化講座」、於臨済寺〈静岡市〉、2006年10月8日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(15)王朝の極楽浄土・宇治」(朝日カルチャーセンター、2006年10月13日、11月10日、12月8日)
□「同志社今出川キャンパスから中世上京を考える」(第170回新島会例会、於同志社大学今出川キャンパス、2006年10月14日)
□「歴史探検・京のみやこ」(洛陽高校同窓会、於京都タワーホテル、2006年10月15日)
□「京都御所について」(平成18年度全国古川柳研究者大会、於平安会館、2006年10月28日)
□「山城国宇治郡と藤原氏」(同志社大学公開講座『山城の古代豪族』、於同志社大学京田辺キャンパス、2006年10月31日)
□「考古学からみる平安貴族の邸宅」(紫式部顕彰会「平安の京都を歩く」〈講演と巡見〉、2006年11月12日)
□「女人群像—女院の世紀としての院政期—」(サールナートホール「京都学講座(第2期)」、於同ホール〈静岡市宝泰寺〉、2006年12月16日)
□「京都学講座(第2期)日本古代都城の展開」(京都新聞文化センター、於同センター、2006年12月22日)

〈テレビ出演〉
○「夢よ咲けまぼろしの湖に〜実りの大地 京都・巨椋池〜」(BS朝日)(KBS京都テレビ、2006年7月22日再放送)
○「京都!ちゃちゃちゃ」(「KBS京都テレビ」および「関西テレビ☆京都チャンネル」〈スカイパーフェクTV〉、2006年10月16日)

〈インタビュー記事〉
○「歴史都市・京都と匠インタビュー 4」(講談社MOOK『京都《匠》倶楽部』創刊号掲載、東京、講談社、2006年6月)
○「観光・京都おもしろ宣言—とっておきの京都論— 〜重層する歴史 嵯峨の奥深さ—有機的につながり合う都市—」(『京都新聞』2006年11月9日号掲載、京都、京都新聞社、2006年11月)
○「京都物語」第15話「山田先生の平安京ゼミ」(「そうだ京都、行こう」ウェブサイト掲載、2006年8月・9月・10月公開、http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/story/story_index_15)

〈社会活動〉
▼平安京・京都研究集会世話人
▼日本史研究会研究委員
▼文化史学会監事
▼有限責任中間法人日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会全国委員
▼国立歴史民俗博物館「長岡京の光と陰(仮称)」展示委員
▼京都市環境影響評価委員
▼加悦町史編纂委員会執筆委員
▼農林水産省近畿農政局巨椋池農地防災事業所・(社)農村環境整備センター「巨椋池歴史資源検討委員会」委員

 以上、である。
 今年こそまとまった本を、という誓いは果たせなかった。論文は他にも書いたが、出版は来年回し、というものがいくつかあるので、2006年は4本ということにとどまってしまった。残念! ただ、平安京・京都研究叢書1『院政期の内裏・大内裏と院御所』(高橋昌明編)と、『中世都市研究』12「中世のなかの『京都』」(高橋康夫編)の2冊は、私は編者ではないけれども、最初から最後までけっこう緊密にかかわった書物となった。


2006.12.28

終い天神と忘年会、の巻

 12月25日(月)
 クリスマス。でも、家で籠もっている。あんまり気乗りのしない仕事で、うんうん唸りながら、やっと形をつける。
Simaitennjin 気晴らしに、「終い天神」の北野天満宮に出かける。今年一年の感謝と、来年の多幸を祈り、屋台のみたらし団子をお土産にして帰宅。

 「のだめカンタービレ」、終わる。某古代史研究者のブログ、なかなか。
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 12月26日(火)
 大学で、本年最終の会議。また一歩、懸案事項が進む。もうじき峠越えだ!

 夜、わが考古学研究室の忘年会。本務の御都合によって今年度一杯で非常勤講師を退任されるY町教育委員会のNM氏も参加していただく。新規の学生も一名が参加。四回生は卒論前だが、この時ばかりは大騒ぎに加わる。仮想グッズなんかも用意してあって、なかなか周到である。
 終了後、NM氏と院生のKさんを誘って、いつものバーに行く。けっきょくは酔いつぶれる。
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 12月27日(水)
 図書出版・文理閣で、本年最終の編集会議(先週、私の体調不良によってお流れになった分)。こたちらも、少しづつ形ができてくる。


2006.12.23

2006年の授業、終了、の巻

 12月22日(金)
 体調不良、まだ続く。
 午前。京都新聞文化センターに出講。「京都の原点を探る(第2期)日本古代都城の展開」の始まり。今日はその第1回で「日本古代都城のはじまり」とする。しかし、やっぱり日本古代都城を語るには中国から、と思い始めたら、結局は中国古代都城史だけで終わってしまった・・・ 日本にはいるのはまた、来月。
 夜。同志社大学の「日本史」に出講。戦国時代の京都にまで、なんとかたどりつく。

 ともあれ、今年の授業、これで終了。また、来年正月に再開することになる。ともあれ、受講生のみなさま、よいお年をお迎えくださいませm(_ _)m。


2006.12.22

スロヴェニア料理、の巻

 12月20日(水)
 調子が悪い・・・(T_T)。私が、藤原仲麻呂(恵美押勝)のタタリによって巷で流行りのノロウイルスにやられたという噂を世界中に振りまいている某古代史研究者がいるが、これは明らかに誤伝である。医者からは「ノロウイルスではありません。それならば、もっと嘔吐と下痢をするはずです」という太鼓判をいただいている。じゃあカゼかというと、これもよくわからない。医者に言わせると「どうもよくわかりませんね。もうちょっと症状が悪化したらハッキリするでしょうから、しばらく様子を見ましょう」だと! あの〜、お医者さんは「症状が悪化する前に見せに来なさい」というのがフツーだと思うのですが〜〜(T_T)。とにかく、大学の講義を休講にし、さらにはB出版社の会議もキャンセル、院生を連れて行ってやるといっていたお好み焼きとビールもキャンセルである。う゛〜〜(T_T)。
 気を取り直して。

 12月17日(日)
 わが花園大学を会場として、前近代日本都市論研究会の例会。ただ、他の研究会に拉致されたYM氏とか、ホントにホントのノロウイルスにやられたFK氏とかが続出して、結局は5名のみの参加。ちょっと寂しい。報告は、FA氏の「飛鳥都市論」と私の「日本古代宮都における複都制—もうひとつの都城史—」。私のは、11月18日の花園大学史学会でやったテーマの再演(と、いうか、本当は前近代日本都市論研究会のために温めていたテーマだったのに、急遽、花園大学史学会の記念講演が割り込んできたのである)である。
Slovenia 報告が終わった後は、いよいよ本番(?)の懇親会。西に少し歩いて、天神川通沿いにあるスロヴェニア料理「ピカポロンツァ」にでかける。スロヴァキア、ではない。スロヴェニア、である。大学からそう離れていないのだが、私も始めてである。同僚のMS講師のブログで知り、行く気になった。なんせ、日本で唯一のスロヴェニア料理店だというから、これはなかなか見逃せない。しかし、無知蒙昧の我々としては、その国はいったいぜんたいどこにあるのか?ということから学習しなくてはならない(^_^;)。
 探索(?)の結果(スロヴェニアの皆さん、失礼!)、ようやくわかったのは、もとのユーゴ=スラヴィア連邦を構成していた共和国で、その中では一番西寄りで、イタリアと接した国である。同連邦が崩壊して独立したのだという。ユーゴというと連邦崩壊後の内戦によって大変気の毒なことになってしまったことで知られているが、スロヴェニアだけは幸いなことに内戦に巻き込まれずにすんなりと独立し、経済的にもかなり恵まれた国になったのだという。なるほど、世界政治の勉強にもなるな・・・
 10人余り入れば一杯になる小さな小さな店である。店主はまなざしが優しい髭モジャの巨漢である。来日してもう30年にもなるという。てきぱきとした日本人の奥さんとともに、いろんな料理がでてくる。いろんなものを詰めこんで、柔らかいパイ状にした料理(パクついていたので、名前が上の空)がおいしかった。また、スロヴェニアはワインの名産としても知られた国なのだという。調子に乗って、わからないなりになんやかやと注文する。重厚さはないが、あっさりとして何杯でもおかわりできそうな品の良いワインである。
 おいしかった〜。

 12月18日(月)
 会議続き。夜までかかって、延々と話し合う。ただ、一番気にかけていたことと二番目に気にかけていたことが少し前進。ヤマ場が過ぎたような心持ちである。
 19時、タクシーに駆け込んで、K新聞社が設定してくださったお席に向かう。打ち合わせには間に合わなかったが、とにかく新しい仕事がはいる。初お目もじのTK先生、それに、おなじみのNT氏。お酒はおいしかったのだが、締め切りの厳重な仕事は気が重い。はてさて、間に合うかどうか・・・


2006.12.18

登呂遺跡、の巻

 12月16日(土)
 静岡行き。
 せっかく静岡に行くんだから、ということで、朝早く起きて新幹線にとびのり、登呂遺跡へと向かう。今さらいうまでもない弥生の有名遺跡である。久しぶり、というよりも、実は子供のころに1回行ったきりで、その後はまったくご無沙汰だった。バスを降りて遺跡に向かうと、なにやら色々と工事をしている。あれれ?、と思うと、史跡公園の再整備工事の進行中であった。公園の入り口付近になにやらいくつもの穴が開いている、と思ったら、もともとここに復元高床式倉庫や復元住居が建てられていたのを、新しい方針にもとづいて別の場所に移築したのだという。よく見ると、高床式倉庫は一昨日に移築され、工事中であった(写真)。おもしろいところにでくわしたものである。登呂博物館ももうじき閉館し、新しい博物館が建設されるという。今の博物館を見る最後のチャンスにまにあって、よかった。Toro
 登呂を堪能してから、静岡市内に戻る。臨済禅の名刹・宝泰寺のサールナートホールで「京都学講座(第二期)」。今回は「中世の京都」が総合テーマということで、待賢門院と建春門院を中心として「女人群像—女院の世紀としての院政期—」を話す。
 帰りの新幹線まで少し時間があるというので、時間つぶしにと思って、駿府博物館に入る。まったく基礎知識なしだったのだが、「飛べなくなった人—異才・石田徹也 青春の自画像&マイコレクション展」というのをやっている。石田徹也という人はまったく知らなかったが、会場にはいってみて仰天した。怖ろしいばかりの「異形」の作品が並んでいる。広い意味では夢の世界=シュールレアリスムの絵画なのだろうが、夢は夢でも「悪夢」である。これでもか、といわんばかりに、人間疎外の現代社会への風刺が続く。凄いものを見てしまった。


2006.12.15

異国からの客人たち、の巻

 11月30日(木)
 ウチの研究室の大学院生を引き連れ、桂の駅で山中章博士と待ち合わせ。山中博士が中国社会科学院の洛陽考古隊の陳良偉先生をご案内されてくる。陳先生のご要望で、博物館に展示される模型の製作会社を見学したい、ということなので、博物館業界では知る人ぞ知る老舗・(株)さんけいにご案内する。社長さんと専務さんの直々のお出迎え。ありがたい。じっくりと、嘗めるように見学。陳先生もご満足されていたようだし、ウチの大学院生たちも興味津々だった。
 夜は、陳先生を囲んで洛中で豆腐料理。SK大学の朝鮮古代史のTS教授や、日本古代史のS博士も合流。目の前でできあがっていく湯葉があまりにおいしいのでパクパクやっていたら、山中博士から「湯葉ドロボー」の称号を頂戴してしまった。あまりといえばあまりな言われ方である(T_T)。とにかく、たのしいひとときをすごす。

 12月2日(土)
 文化史学会の大会で、同志社大学にでかける。9時半に駆けつけたのに誰も来ていない、と思ったら、いつもと違って10時半始まりだった。せっかくあわてて来たのに、がっくり。しかたないので、考古学研究室で時間をつぶす。考古学の発表では、ちょっとだけ質問。昼休みには文化史学会の評議員会。私は今回から「監事」を仰せつかっているので、末席を汚すことになる。夜は、平安会館で懇親会。続いて、KJ大学のS教授、SKK美術館のK主任学芸員とともに、京都ブライトンホテルのバーで酒杯を傾ける。

 12月3日(日)
Pizyo
 アメリカ・南カリフォルニア大学のピジョー教授がお越しになるということで、山中章博士、DJ大学の日本古代史のO教授、日本古代史のS博士とともに、歓迎。場所は、私の母校の小学校近くの寿司のお店。ピジョー教授はアメリカを代表する日本古代史の研究者で、日本の研究者にも馴染みが深い。もちろん日本語はペラペラである。今回はブック・デザイナーの御夫君および御友人の女性とともの来日である。本日は、S博士のご案内で嵯峨野の紅葉を堪能されたらしい。結構なことである。大盛りの刺身と寿司を堪能しながら、同教授が計画されている日本研究のプロジェクトをじっくりとうかがい、あわせて打ち合わせをおこなう。

 12月4日(月)
 同志社大学の京田辺キャンパスで授業をおこなった後、京都駅前の新京阪ホテルにとってかえし、巨椋池の調査の最終の委員会。終わってすぐに大学に急行し、花園大学人権週間の「前夜祭」に参加。ルワンダの内戦の時の実話に題材をとった映画「ホテル・ルワンダ」を鑑賞。すばらしい内容に感激するとともに、深く考えさせられる。

 12月8日(金)
 朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く(15)王朝の極楽浄土・宇治」の3回目、現地見学「宇治の王朝遺跡を歩く」。10時30分に京阪電車宇治駅に集合、宇治橋→橋寺→源氏物語ミュージアム→宇治上神社→塔島→平等院をめぐる。橋寺(放生院)では「宇治橋断碑」を見学するはずだったのだが、今は公開のお休み期間だという。残念。なんといっても圧巻は、平安時代の庭園の復元整備が完了した平等院と、その宝物館である鳳翔館である。感動が心の底から吹き上がってくるのを感じる。
 
 12月9日(土)
 花園大学歴史博物館で、資料の写真撮影。夕方より、花園大学人権教育研究センターで、毎年恒例の「人権週間」打ち上げ会。センターの研究室にコンロを持ち込み、キムチ鍋をやる。所長のY教授とちびちびやりながら待っていると、ぼつぼつ学生も集まってきて、次第に賑やかになる。

 12月10日(日)
 家に閉じこもり。うんうん唸りながら、なんとか、短い原稿を仕上げる。

 12月11日(月)
 「京都市遺跡地図」改訂版のための「埋蔵文化財包蔵地実態調査会議」に参加。新発見の遺跡の情報を教えていただき、ありがたい。夕方は花園大学人権教育研究センターの研究員会議。私は4年にわたってここの副所長をつとめたが、今年度いっぱいでの無事の退任が決まる。後任の副所長はN教授がやっていただけることになり、ホッと一安心。来年度からは、改めて「委嘱研究員」という形で勉強を続けさせていただけることも承認していただく。その代わり、来年秋の研究会での報告をやらねばならないことになってしまった・・・


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