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2007.02.28

揺らぐ近代、の巻

 2007年2月25日(日)
 京都国立近代美術館の特別展「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」が今日まで。遅ればせながら、ウチの奥さんとともに、でかける。岡崎公園でちょうどやっていた「京の朝市」でみたらし団子とオムソバを昼御飯のかわりにする。「揺らぐ近代」展を見た後、フッと思いたって、五条坂の河井寛次郎記念館に行く。強烈な作品の数々。感動。

 2007年2月27日(火)
 ある仕事の見積りを取らねばならないことになり、その道では大手の会社に連絡をとり、営業の人に来てもらう。ところが、来たのは、幽霊のようにボーッとした人だった。ろくろく挨拶もできないし、仕事の内容に精通しているとはとうてい思えない。辟易して、さっさと話を切り上げてお引き取り願う。この会社、いったいぜんたいどんなつもりで、こんな人を営業職に据えているのだろう? 営業職は会社の「顔」。私は、金輪際この会社は使わないことになるだろうな。
 やれやれ、また別の会社を呼ばねばならないではないか。時間を無駄にした。

 午後、TK氏が来学される。来年度からわが大学の教員としてお迎えすることになっている方である。学内をくまなく案内し、仕事の打ち合わせをする。夜は、祇園にでかけて一杯。よしよし、花園大学もどんどん充実していくぞ\(^o^)/ でも、結局は呑みすぎる。


2007.02.26

二日酔い、の巻

2007年2月23日(金)
 忙しい1日。
 京都新聞文化センターに出講。「京都学講座第2期・京都の原点を探る」で、「日本古代都城の展開」の3回目。前回(1月26日)は「天智・天武・持統の都」としたが、飛鳥の話だけで終わってしまった。今回は「平城京と聖武天皇の『彷徨』」。なかなか京都まで行き着きませんな。
 講義が終わると、京都新聞社のM記者と食事をして、取材を受ける。その後、お向かいのホテル・ハーヴェストで(社)紫式部顕彰会とS出版社と打ち合わせ。すぐに家にとって返し、犬君たちの散歩と御飯。そして、すぐに飛び出す。
 タクシーを飛ばして、なんとか、文理閣のK代表の家に間に合う。K代表、Y編集長、KB大学のT教授、そしてウチの奥さんと、宴会の始まり。捌いたばかりの、脂ののりきったウナギを焼いてもらう。うまかった〜。しかし、近来、稀に見る呑みすぎ。ぐでんぐでんも良いところである。最後はほとんど覚えていない。

 2007年2月24日(土)
 二日酔い。頭が朦朧。遅く起きだして、のろのろと仕事。
 夕方、祇園へ。綺麗な女将さんがやっている、こじんまりとした粋なお店。山中章博士、古代史のSM博士、DJ大学のO教授とともに、打ち合わせという名前の宴会。


2007.02.22

夜中の動物病院、の巻

 2007年2月22日(木)
 「平安京閑話」開設2周年記念日。おめでとぅ〜〜〜っ!!!!(自祝)

 昨晩、アクシデントがあった。夜中の11時頃、母からオロオロ声の電話がかかってきたのである。実家で飼っているキャバリア犬のアンドレ、もともと食いしん坊なのであるが、甥っ子の部屋に忍び込み、そこにあったチョコレートを食べてしまった、というのである。よく知られていることであるが、犬にはチョコレートは毒になる。場合によっては痙攣して死んでしまうこともあるという。
 それで、アンドレも案の定、ゲェゲェ吐いているという。どれくらい食べたのか、聞いてみて仰天した。なんと500g!!! 40cm×15cmくらいの板チョコをペロリと平らげた、というのである。これは大変である。場合によっては、致死量を越えていることも充分にありうる。
 しかし、夜中であるからもう動物病院もやっていない。夜間診療のいくつかの動物病院に電話するが、マンの悪いことにどれもつながらない。こうなると、唯一の頼みの綱は、南京都夜間動物診療所しかない。ここは夜の2時までやっているのである。しかし、所在地は京都府久御山町。家からは車でも1時間弱はかかる。しかし、他に選択肢はない。とにかく、車にとびのる。
 アンドレは車の中でぐったりしている。食べた量が量だけに、ダメかもしれないな、という気も心をよぎる。しかし、ただでさえ動転しながらハンドルを握っている母(私は晩酌をやったので、運転するわけにはいかなかった)にそんなことを言うわけにいかない。
 暗い夜道を飛ばしに飛ばして、やっと病院につく。早速、テキパキと処置が始まる。まずは薬を注射してできるだけ吐かせる、ということになる。その後、点滴。夜中2時、もう心配ないでしょう、というところまでくる。ありがたい。

 そうしている間にも、次から次へと患者さん(?)が来る。その中の一匹の老犬は、しばらく前からもう食事ができなくなっているらしい。酸素ボンベを借りて、さあ帰ろう、という時に容体が急変し、手当のかいもなく、キューン、と一声鳴いて、息をひきとる。御家族の女性が、目を真っ赤に泣きはらしている。こちらも、思わずもらい泣きする。
 帰宅は、夜の3時。くたびれているはずなのだが、なかなか寝付かれなかった。
 
 明くる朝には、アンドレは主治医のところに連れて行かれたそうで、きちんと手当をしてもらった。しばらく絶食(可哀想だが、これは仕方ない)だが、もう大丈夫、ということである。良かった。運には見放されていなかったんだね。


2007.02.21

講演ふたつ、の巻

 山中章先生にご忠告。あんまりムチャをしでかしてはダメですよ。踏切を無視してとびこんで、電車にはねられたりしたらどうするんですか!

 2007年2月17日(土)
 先週と今週、京都アスニーで「京都市平安京創生館」開館記念「平安京講座」が開かれる。村井康彦京都市美術館長、朧谷寿同志社女子大学教授など、そうそうたるメンバーが講演をされるのであるが、私もその一角に入れていただいた。私のテーマは「遷都以前・古墳時代の京都」。桃山の黄金塚2号墳と嵯峨野・太秦古墳群を中心にして、古墳時代の京都を話す。ただ、ちょっと最後が駆け足になってしまった。
 ロビーでは、できあがったばかりの「京都市平安京創生館ガイドブック 平安京講話」も販売中。500円です。京都市生涯学習振興財団の雑誌『創造する市民』に掲載された記事をまとめたもので、私は「平安京の須恵器」を書いている。こういう、手軽なガイドブックが出るのは結構なことである。

 2007年2月18日(土)
 本当は、いつもの前近代都市論研究会に行かねばならなかったのであるが、講演のために欠席とあいなる。彼ら彼女らは通天閣をのぞむにぎやかな巷で、おいしい韓国料理を堪能していた、らしい。ちょっとくやしいぞ。(ホントのホントは、研究会すらもサボって、京都市交響楽団第497回定期演奏会〈なんと、京都初登場の諏訪内晶子さんと、井上道義さんの共演!〉を聞きに行きたかったのだが、それもかなわかなった。ホントに残念!)
 と、いうわけで、あたふたと京都府長岡京市にでかける。長岡京市中央生涯学習センターが主宰する「長岡京カルチャーカレッジ!」で、「名作古典の中の長岡京」の連続講座。私はその6回目で、与えられたテーマは「平家物語と長岡京—長岡京と福原の都—」。長岡京と福原というのはどう考えても無理のあるテーマだが、これは先方からのご指定であって、私の責任ではない。ともあれ、平家都落ちの際のルートとしての乙訓地域(含・長岡京市)をマクラとして、久しぶりに福原の話にもっていき、オチは長岡京をはじめとする古代都城と福原のような中世初期の都市の比較論でなんとかまとめていく。終了後、若いお母さんに連れられた小学生の可愛らしいお嬢ちゃんが質問にくる。ハキハキとしっかりした子で、大したものである。

 2007年2月19日(月)
 山中章博士に負けていることは多いが、これだけは、私が逆立ちしても、足元にひざまずいても絶対に勝てない、ということがある。博士はあのお歳になっても、虫歯が一本もなく、抜けた歯もなく、キレイな歯並びを保っているのである。ご存じの方は少ないかもしれないが、博士の胸ポケットにいつも、小さな歯ブラシがこっそりと忍ばせてある。とにかく、大したモノである。私はそれに比べて歯はガタガタ。結局、歯医者にいくハメになった。今日も、歯医者で歯石取りの苦行。歯茎をつつかれて、拷問にあっているようなものである。しかし、確かに、終わった後はいかにもツルツルの歯になって、爽快。
 午後、大学で会議と教授会。一作年度からの「火中の栗」が、いよいよ花を開かせる時がきたのである。やっと、やっとここまで来た。感無量。

 2007年2月20日(火)
 東京からSH先生がおこしになるので、会いに行く。いろいろと詰めておかねばならないことが多く、えらく長時間、ご一緒させてもらう。夕方はKB博物館で会議。19時まで。その後、KJ大学のNM教授と食事。


2007.02.19

広島で「軍隊」に触れる、の巻

2007年2月13日(火)
 やっと、やっと、卒論・修論の口頭試問が終了。今年は特に長かったような気がする。ともあれ、ほっと一息。Y副学長のお供で、ビール。

 2007年2月14日(水)
 雨。しかし、京都国立博物館の「京都御所障壁画展」にでかける。今週いっぱいまでなので、見逃すわけにはいかない。午後は、某学会の会議。15時から19時までびっしり。くたびれる。

 2007年2月15日(木)〜16日(金)
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 花園大学人権教育研究センターのフィールドワーク。今回は、広島行きである。
 京都から東海道本線新快速と新幹線とを乗り継ぎ、さらにJR呉線に乗って瀬戸内海沿岸を進み、竹原市の忠海(ただのうみ)の港に着く。そこからフェリーに乗って、瀬戸内海の真ん中に浮かぶ小さな小さな島、大久野島に上陸する。現在は国民休暇村になっているが、この島には昭和初期から第二次世界大戦中にかけて、日本陸軍が秘かに毒ガス兵器の研究設備・製造工場を建てていた。このことから、「毒ガス島」の別名で知られている。小さいけれども「大久野島毒ガス資料館」も建てられており、島の歴史をじっくりと学ぶことができる。資料館には、毒ガス製造に使われた陶器製の蒸留装置がある。京都の清水焼で作られたものだという。おもいがけないところに京都が関係していることを知り、驚愕。
 この島の歴史の研究にとりくんでいる民間団体の毒ガス島歴史研究所のYさんの案内で、島中をじっくりと見て回る。島のあちこちには毒ガス工場の跡が残っているし、毒ガス兵器の貯蔵設備跡(写真)も不気味な姿をとどめている。驚いたのは、山の中に、いまだに毒ガス製造に使った攪拌道具の残骸がちらばっていることである(写真)。もう毒性はない、といわれても、やっぱり気持ちのいいものではない。また、今でも時々、海に沈めた毒ガス兵器の破片が海岸にうちあげられることもあるという。その他、島の各所に姿を見せる日本軍の施設の廃墟を観察する。心なごむのは、島中に可愛いウサギがたくさんたくさんいることである。しかし実は、彼らの先祖は毒ガスの実験台として島に連れてこられたものなのだという。

 大久野島からまだ忠海港に戻る。ここもまた、面白い歴史を持っている港である。鉄道の時間待ちの間、ミニ・フィールドワークとしゃれ込む。夜は呉の町で、すき焼きの食べ放題とビールの飲み放題。

 16日、呉港に向かう。ここは、現在でも「軍」の町である。戦艦大和の巨大模型で話題となった「大和ミュージアム」を横目で見て(私は入りたかったのだが、時間がなかった(>_<))、港からまた船に乗って、江田島に上陸。言わずと知れた、旧・海軍兵学校、つまり現在の海上自衛隊第1術科学校の所在地である。学校の見学にもいろいろな制限がかけられており、ちょっとばかり緊張する。学校博物館とでもいうべき「参考館」が工事中で、仮展示場だけしか見ることができなかったのがちょっと残念。ともあれ、わが国の「軍隊」の実状の一端に触れる。

 呉から広島市に戻り、原爆ドームと広島平和記念資料館。資料館は久しぶりである。涙なくしてはみることができない展示である。

 19時44分、帰洛。


2007.02.11

鎌田元一先生のお通夜、の巻

 2007年2月4日(日)
 急に山中章博士が拙宅に襲来。なんかよくわからないが、Adobe Illustrator の操作法を教えてほしい、とのこと。しかし、いったい何に使うのか、何度聞いても口を割らない。おそらく、また良からぬたくらみをしているのに違いない。
 
 19時、山中博士とともに京都駅南側の葬祭場へ向かう。京都大学教授・鎌田元一先生(日本古代史)がお亡くなりになり、そのお通夜がおこなわれるのである。享年60歳。まだまだこれからのお歳なのに、悲嘆の限りである。
 鎌田先生とはここ数年間、京大の上原真人先生がリーダーを務められている京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」の『王権とモニュメント』の共同研究でご一緒させていただいていた。この研究のメインとなる安祥寺の調査研究では、その基本史料である「安祥寺資財帳」の分析を担当され、私も大変に勉強させていただいた。いかにも日本史学界の重鎮らしい風貌で、御声がずしりと響くような艶のある低音なのが印象的だった。しかし、研究会の末期には欠席されがちで、体調を崩されたとはうかがっていた。しかし、これほど早くお別れせねばならないのは、まったく意外であった。
 お通夜は盛大だった。受付にYS先生が立っておられる。いつも朗らかなこの人が、今日は憔悴しきった表情を見せておられる。こちらの心も重くなる。廻りを見回すと、日本古代史・中世史の大先生が綺羅星のように並ばれている。みなさん、鎮痛な表情。
 山中博士とともにお焼香をすませ、間もなく登場したSM博士とともに、鎌田先生を偲びつつ、しめやかに酒杯を傾ける。

 2007年2月5日(月)
 朝からコンピューターの前にはりついて、必死の思いで原稿と図版をしあげる。ぎりぎりで完成。すぐにタクシーにとびのり、京都駅前の法華クラブに急行する。18時になんとかまにあった。農林水産省の巨椋池調査会の最終会合。不充分ではあるけれども、2年間の研究成果の報告を提出することができる。そのあとは、打ち上げ。

 2007年2月7日(水)
 一年で一番忙しい日々が、またやってきた。これから一週間にわたって、卒論の口頭試問をおこなうのである。次から次へと緊張した面持ちの学生がやってくる。誉めたり、叱ったり、なだめたり、というのをくりかえす。
 夜は、久しぶりの歯科。けっきょく、しばらく通わねばならないことになる。
 8日(木)には、卒論試問と会議。忙しいことである。しかし、会議は良い方向に進んでいる。ありがたや。


2007.02.03

誕生日、の巻

 2007年2月3日(土)
 誕生日。48歳になった。あと2年で50歳の大台。やはり、それまでにいくつか大きな仕事を仕上げておきたいものである。しかし、せっかくの誕生日である2日・3日は入試。大学の会議室で、ひたすら待機する。


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