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2007.08.31

工藤静香さん20周年、の巻

Sizuka20th 8月31日(金)
 今日は、工藤静香さんがソロ・デビューしてから20周年の記念日である。もちろん、彼女はそれ以前にも「セブンティーン・クラブ」でいったんデビューし(1985)、その後に「おニャン子クラブ」に加入、さらにおニャン子から派生した「うしろ髪ひかれ隊」に所属して活動していたから、芸能生活はさらに永い。この中で本格的なデビューの画期をもとめるとすると、うしろ髪ひかれ隊のデビュー・シングル「時の河を越えて」が発売された1987年5月7日がふさわしい、ということになるかもしれない。ただ、これらはいずれもグループ活動であったから、ソロ・デビューということになると1987年8月31日の「禁断のテレパシー」なのであり、今日はそこから数えて20年目なのである。
 今回、20周年を記念するベスト・アルバム『Shizuka Kudo --20th Anniversary the Best』(ポニーキャニオン、 〔初回限定盤〕PCCA.02519、〔通常盤〕PCCA.02520、2007年8月29日発売)が発売された。初回限定盤はちょっと高めだが、ボーナスDVDがオマケについており、そこには一般初発売のプロモーション・ビデオが収録されている(しかも、映像・曲〈中島みゆきさんの提供だから、良いのはあたりまえ〉・演奏ともに空前の名演「Clavis -鍵-」が含まれている)から、お得である。私が彼女の唄を聞き始めたのは、1988年6月にリリースされた第4シングル「FU-JI-TSU」からだから、それから数えてももう19年になる。我ながら、呆れるほどに永いな・・・・
 ともあれ、めでたいことである。

2007.08.27

中国東北3省を旅する(2)、の巻

 都市史研究にたずさわる私にとって、今回の旅行でのハイライトは、金の都・上京会寧府、渤海の都・上京龍泉府、そして満洲帝国の都・新京という、三つの「首都」を見ることができたことであった。

Kaineiiseki  【上京会寧府】 黒龍江省ハルピン市阿城区に所在する。ハルピン市の中心部からは車で1時間半くらいなのだが、訪れた日本人研究者は決して多くないかもしれない。航空写真で見ると、北・南のふたつの区画からなる都城がよく残っているのがわかる。特に、周囲の城壁がほとんど完全な形で遺存しているのは感激モノである。遺跡の中心部は、「皇城」と呼ばれる部分で、南門から北に向かって、五つ以上の建物の基壇跡が良く残っている。皇城南門は左右に「闕(楼閣)」が附設されていることはよくわかる。時間がないので、南門から北にむかってダッシュ、殿舎跡を踏破する。特筆されるのは、遺跡に隣接して「金上京会寧府博物館」が設置されていること。新しい瀟洒な建築で、展示内容も現代的に工夫がこらされていて、すばらしい。
 都城の西側に隣接して、金王朝の初代皇帝・太祖完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)の陵があることである。これは仰天した。と、いうのは、ここには今、一辺40m、高さ10mの堂々たる方墳がそびえたち、その背後の入り口からは地下の墓室(「地下宮殿」)に入れるようになっているのである。しかし、実はこれは全部ニセモノ。当初の太祖陵は高さ1mくらいの土壇であった(おそらく、本来の太祖陵は、古墳であるというよりも、陵と廟を兼ねたものだったのだろう)のであるが、それを1990年代に整備して今のような堂々たる姿にしてしまった、というのである。さらに、「地下宮殿」は完全な造りモノ。本当の墓室は未発掘であり、まったくわかっていない。これは明らかにやりすぎである。遺跡の捏造であると批判されても抗弁できまい。それにしても、解説を聞いてホントに良かった。現状を見ただけで、金の皇帝陵は堂々たる方墳である、などと思いこんでしまったら、大恥をかくところであった。さらに、模擬「地下宮殿」の内部は地下水が染み出し、モウモウたる水蒸気が充満している。この環境の中に出土品の鉄器などを平然と展示しているのには目が点になった。
 
Ryuusenyamada 【上京龍泉府】 これは日本とも関係の深い渤海の都であるから、行った日本人研究者は多いはず。世界を股にかけた山中章博士などは、何度も訪れているんではないかしら。私はそのたびにヤキモチを焼いていた。唐の長安城を模倣したという点でも、日本の平安京と同時代の都城であるという点でも、行きたくてしかたなかった。今回、ようやく念願がかなった。
 ここも、城壁が本当に良く残っている。時間さえあれば都城の周囲を一周したいところであるが、さすがにそれは果たせなかった(この日、数百キロ離れた吉林に宿泊しなくてはならず、結局、午前中に上京龍泉府跡を見た後、10時間バスに揺られることになってしまった。これはさすがにしんどかった)。
 ここにも博物館があるが、規模も小さく、設備も古ぼけてしまっている。将来、すばらしい博物館が建つといいな。遺跡の中心である宮城の部分は、綺麗に整備されている。宮城南門(長安城の承天門に相当)は、左右に闕(楼閣)を附設している。先ほど、「桓武朝における楼閣附設建築」という論文を書いたばかりなので、感慨深い。ただ、ここでの闕はL字形に突出するのではなく、門の左右に一直線に配置されている。

Sinkyoyamada 【新京】 吉林省の省都・長春は、かつての満洲帝国の首都「新京」である。日本に担がれて皇帝となった康徳帝(清の宣統帝)・愛新覚羅溥儀については、映画「ラストエンペラー」でおなじみである(なお、溥儀の伝記を題材にした映画としては、一市民となってからの彼の後半生を題材とした中国・香港合作「火龍 ザ・ラスト・エンペラー」〔李翰祥監督〕というのも面白かった。小心者のダメ男だがどこか憎めない溥儀と、しっかり者の奥さんの掛け合いが絶品だった)。映画のシーンのあちこちを思い出しながら、溥儀の宮殿をながめる。最近になって改修された展示部分は、博物館として見ても明らかに一級の展示をしている。ただ、宮殿全体は思ったよりもスケールが小さかったのは意外だった。
 ひとつ、疑問があった。溥儀の宮殿は、新京の市街地の中では西北にかたよった町ハズレにあり、どう見ても帝国の中枢にはふさわしくない。おかしいな、と思っていたら、謎が解けた。市街地の一等地に、現在は「文化広場」などになっている広大な土地があり、これが本格的な宮殿建設予定地だったのである。いわば、今見ることのできる「宮殿」は、もともとは「仮御所」だったことになる。そうやって見ると、新京の都市計画を良く理解することができた。宮殿建設予定地の前面にはT字形の「大路」が通り、その周囲には国務院、最高裁判所などがならび、まさに帝国の中枢としての都市が建設されていたのである。もっとも、この新「宮殿」は結局は完成にいたらなかった。日本にしたら、自分たちが支配するための設備は一生懸命造ったが、皇帝の宮殿は最期まで後回しにしていたんだろうな。

 尻の重い私ではあるが、これからも、機会を逃さず、世界の都市と遺跡を歩き回りたいものである。

2007.08.26

中国東北3省を旅する、の巻

 中国から帰ってきました。2ヶ月のうちに2回も外国に行くとは、出不精の私としては新記録である。今回の旅行は、中国の東北の3省、つまり黒龍江省・吉林省・遼寧省の歴史を訪ねる、というものである。「団長」格のO先生を筆頭として、総勢19名。楽しい旅であった。

2007年8月18日(土)
 13時10分、関西国際空港を飛び立ち、中国時間15時10分に黒龍江省の省都・ハルピンに到着。スターリン公園、松花江など、市内を観光。ハルピン泊。

 8月19日(日)
 ハルピン市内観光。松花江クルーズ、中央大街、黒龍江省博物館、聖ソフィア教会、極楽寺と廻る。ハルピン泊。

 8月20日(月)
 ハルピンをたち、金王朝の前期の都である上京会寧府跡を見学。それから牡丹江市へ向かい、同市泊。

 8月21日(火)
 牡丹江市をたち、渤海王朝の都である上京龍泉府跡を見学。それから吉林省の吉林市へ向かい、同市泊。

 8月22日(水)
 吉林市で、高句麗の山城跡の残る龍タン山公園を見学。それから吉林省の省都・長春市へ向かう。長春はいうまでもなく、戦前の満洲帝国の首都・新京である。そこで、満洲帝国の皇帝宮殿(現在の中国では「偽満皇宮」と称している)をゆっくりと見学、さらに市内を回る。空いた時間を利用して、満洲帝国の新宮殿建設予定地であった「文化広場」を散策。同市泊。

 8月23日(木)
 長春で、旧・長春映画製作所を見学。満州帝国時代には、かの甘粕正彦が理事長をつとめる満州映画協会の映画製作所であったところである。その後、長春から飛行機で遼寧省の大連へ。大連市内(星海公園、老虎灘など)観光。同市泊。

 8月24日(金)
 大連市の旅順口区へ。日露戦争の激戦地である旅順で、東鶏冠山、203高地、水師営会見所を見学した後、旅順博物館へ。それから大連に戻り、同市泊。

 8月25日(土)
 早朝、大連をたち、関西国際空港に13時10分着。

2007.08.17

天橋立、の巻

8月17日(金)
Amanohasidate
 丹後の宮津へ行く。天橋立世界遺産登録可能性検討委員会の第3回の本会議、これまでは京都市内でやっていたが、やはり現地開催を、ということで、天橋立のすぐそばの旅館で開催することになる。昼前に現地入りをして、智恩寺を見学して、いったん食事。それから、バスに乗せてもらって、籠神社、成相寺、パノラマ展望台、大内峠一字観、と廻る。
 15時前、旅館に戻って、本会議。密度の濃い議論を重ねて、ようやく、報告書の段取りまでができあがる。果たして世界遺産登録にこぎつけるかどうかは不確定であるが、とにかく、駆け足でここまで来た。

 さて、明18日から25日まで、中国・吉林省にでかけます。念願の、渤海の都・上京龍泉府の遺跡なども見学できるはずです。したがって、ブログ更新は25日以降になります。

大文字、の巻

8月16日(木)
Daimonzi
仕事に一段落つけて、向日市文化資料館へ行く。京都府埋蔵文化財調査研究センターの特別展「第23回 小さな展覧会—平成18年度京都府内遺跡発掘調査成果速報—」が開かれているのである(〜8/26)。その名の通り小さな展覧会なのだが、内容は充実。京都の考古学の精華を堪能することができる。知らなかった遺跡もたくさんあり、自分の勉強不足を痛感する。
 暑い中の帰り道は、長岡宮朝堂院跡を通り抜ける。しばらく来なかったうちに、大極殿跡の前面の「宝撞遺構」が綺麗に整備されているぞ。一昨年に発見された朝堂院南門(「会昌門」)の「闕」(楼閣)跡はすでに買収が済んでおり、あとは整備を待つのみ。

 夜。今年も、大文字の送り火の日がやってきた。いにしえの鷹司小路(現・下長者町通)に立って、今年も美しく輝いてくれた「大」の字に手を合わせる。

 ウチの奥さんがどういうわけか急にグルメ趣味になりだして、いろんな国の料理を食べたいと言う。一昨日は、JR花園駅近くのスロヴェニア料理店「ピカポロンツァ」。聞いてみると、日本唯一のスロヴェニア料理店であるばかりか、おそらくはアジア唯一、さらには、スロヴェニア本国以外では世界唯一のスロヴェニア料理店である可能性もある、らしい。私は2回目の来店なのだが、優しい大男の御主人(後で調べてみると、実は京大の博士号を持つコンピューター学者でもあるらしい)が私を覚えていてくれたのに、感激。

2007.08.16

新生『古代文化』始動、の巻

Kodaibunka
8月15日(水)
 先日、(財)古代学協会の雑誌『古代文化』第59巻第1号ができあがった。いささか感無量である。

 この『古代文化』、50年以上の伝統を持つ学術雑誌なのであるが、2005年12月の「第57巻第12号」をもって、休刊に追い込まれていた。母体である古代学協会の財政難と、それにともなうリストラをめぐっての労使紛争の中での休刊だったのである。以前にも書いたように、古代学協会を古巣とする者のひとりとして、私もこれには心を痛めていた。最終的にはこの「紛争」は、専任職員のほとんどの退職および解雇という結末をむかえることになった。慣れ親しんだ職場を心ならずも去っていかれた皆さん(その多くは私の元の同僚諸氏である)は本当に気の毒だったし、彼らの心中を察すると、私も胸が張り裂ける思いがする。そして、これにともない、(財)古代学協会は、それまで経営していた「古代学研究所」を廃止したのである。
 ただ、世間では、この経緯をもって、(財)古代学協会それ自体が消滅したと受け止める向きもあるが、それは間違っている。確かに事業は縮小したものの、古代学協会自体は存続しているし、今後、どのような活動をおこなっていくかを模索中なのである。

 そもそも、古代学協会の原点は学術雑誌の刊行(当初は季刊誌『古代学』であった)というところにある。それが、協会の図体が大きくなるにしたがって、さまざまな研究事業が付加されてきたのである。今、協会が縮小を余儀なくされたのであれば、原点に戻るしかないと私は考える。さらに、『古代文化』は古代学協会というひとつの団体の機関誌にとどまるものではない。それは、高水準の学術雑誌として、いわば学界全体の財産なのである(若い研究者の中には、『古代文化』に良い論文が掲載されたことが決め手となって、念願だった研究職への就職がかなったという人が何人もいることを、私は知っている)。その点で、古代学協会として最も大事にしなくてはならないのは、学術雑誌『古代文化』だと思うのである。

 『古代文化』の再建にあたって、従来は月刊誌(年12冊)だったのが、季刊誌(年4冊)に改められた(月刊誌を楽しみにしておられた方々には申し訳ないことであるが・・・)。一冊あたりの頁数は3倍に増加したから、年あたりの総頁数に換算すると従来のレベルを保っていることになるのは確かである(写真参照)。従来は(上)(下)に2分割して掲載されざるをえなかった長い論文も、ひとつにおさめることが可能となる。
 
 混乱した『古代文化』の再刊も、緊急避難的ではあったが、2006年度版の第58巻の編集長に山中一郎・京都大学教授が就任され、同編集長の指揮のもとで収拾が図られた。そして、いささか遅れはしたが、現在までに第58巻は3冊が刊行されており、残る一冊(第58巻第3号)もまもなく出来上がると聞いている。そして、今回、山中編集長の後を受ける形で、本格的な編集委員会が結成され、第59巻の編集にあたっていたのである。

 『古代文化』刊行委員会
 委員長 : 角田文衞(古代学協会)
 副委員長: 江谷 寛(古代学協会)
 編集主任: 鈴木忠司(古代学協会)
 編集委員: 角谷常子(奈良大学)、関川尚功(橿原考古学研究所)、野口実(京都女子大学)、門田誠一(佛教大学)、森岡秀人(芦屋市教育委員会)、山田邦和(同志社女子大学)
 編集参与: 桑山由文(京都女子大学)、古藤真平(京都大学)、高橋克壽(花園大学)、田中俊明(滋賀県立大学)、寺前直人(大阪大学)、中村健二(滋賀県文化財保護協会)、西野悠紀子(女性史総合研究会)、古市晃(花園大学)、宮本純二(京都橘大学)
 事務局 : 山崎千春・麻森敦子

 編集委員のひとりとして自画自賛するわけではないが、第59巻第1号は、なかなかヴァラエティに富んだ、『古代文化』らしい内容になったと思う。これも、新・編集主任に就任された鈴木忠司氏と、編集事務局に「復帰」された山崎千春氏の御努力のたまものである。今回の号の中で特に嬉しかったのは、九州国立博物館研究員の市元塁氏が「北魏俑の発生と画期をめぐって」という力作を寄せてくれたこと。実はこの市元氏、8年前に私が花園大学に着任した時に最初に指導した学生のひとりであった。やはり、自分がいささかでも関わった若い研究者が見事に育っていってくれる様子を見るのは、研究者冥利につきるといわねばなるまい。

 今後の『古代文化』の継続的な刊行は、ひとえに、良い論文の掲載、そして、購読者の増加というところにかかっている。どうか研究者の皆さん、新生『古代文化』をあたたかく見守っていただくことをお願いいたしますm(_ _)m。そして、ぜひ、御研究の成果を積極的に御投稿してくださいm(_ _)m。さらには、『古代文化』の応援者として、その講読会員(会友)にもなってくださいませm(_ _)m(今、会友になっていただくと、『古代文化』第51巻〜57巻までのバックナンバー(一部欠号あり)もしくは古代学協会出版物の進呈という豪華特典\(^o^)/が用意されています)。
 投稿・入会の問い合わせは下記にどうぞ。
(財)古代学協会
  〒604-8131 京都市中京区三条高倉
  ℡:075-252-3000 FAX:075-252-3001
   E-mail:kodaigaku@deluxe.ocn.ne.jp

2007.08.13

チベット料理からイタリア料理へ、の巻

最近の講座・講演(予定含む)

◎朝日カルチャーセンター京都『平安京・京都の歴史を歩く』
(17)「王朝の都を訪ねて」
  4月13日 講義「王朝時代の京都」
  5月11日 講義「貴族邸宅の構造」
  6月8日 現地見学「平安貴族の邸宅跡を訪ねて」
(18)「聖武天皇遷都の謎—恭仁京・難波宮・紫香楽宮—」
  8月10日 講義「聖武天皇の遷都騒ぎ」
  9月14日 講義「聖武天皇彷徨5年の謎を解く」
  9月21日 現地見学「難波宮と大阪歴史博物館」

◎京都新聞文化センター〈京都検定・京都学講座〉『京都の原点を探る』
第3期「平安京前夜」
  3月23日 桓武天皇の登場
  4月27日 長岡京遷都
  5月25日 長岡京研究の現段階
第4期「平安京の誕生」
  6月22日 平安京遷都
  7月27日 平安京の構造
  9月28日 前期平安京の実像

◎『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』(主催:JR西日本)
  7月22日「戦国武将ゆかりの地を訪ねる」(於豊国神社)
  8月4日「    同        」(於 同神社)

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7月21日(土)
 19日に春学期の授業終了。この日はイギリス行きの分の補講を4コマ続けてやる。土曜日だというのに、出てきてくれる学生諸君は本当にご苦労様。

7月22日(日)
 「京都おこしやす大学」。豊国神社で豊臣秀吉の京都を語る。その後、暑い中、耳塚、方広寺、大仏殿跡、豊国廟、智積院と巡見。豊国廟に登ると、汗だらけ。しばらく動けなくなる。

7月26日(木)
 春学期の試験、終了。

8月2日(木)
 数日前より、腰痛を発症(ギックリ腰では、ない)。情けない(>_<)。湿布をしていたがどうにも一進一退なので、仕方ないから医者に行く。注射からコルセットから血液検査からレントゲンから、えらい騒ぎになる。

8月3日(金)
 京都の埋蔵文化財関係者が集まって、飲み会。京都T大学にI教授、H大学にT准教授が着任され、京都に考古学の仲間がふたり増えた、ということのお祝い。さんざっぱら、騒ぐ。

8月5日(日)
 ウチの奥さんに引っぱっていかれて、京都コンサートホールに能楽の演奏家会「囃子堂」を聞く。帰りは、北区の中華料理「サカイ」で、「日本一」の冷麺

8月7日(火)
 KF大学のHT准教授に誘っていただいて、丹後の宮津行き。天橋立世界遺産登録可能性検討委員会の仕事が進んでいるので、現地見学である。調査現場と遺跡と資料館を駆け足で走り回り、最新の情報を仕入れる。特に、天橋立をのぞむ成相寺における最近の成果に、瞠目する。

8月8日(水)
 ウチの奥さんにねだられて、チベット料理にくりこむ。素朴な家庭料理である。

8月9日(木)
 京都府庁で、天橋立世界遺産登録可能性検討委員会のワーキング・グループ会議。正報告に向けて、いよいよ大詰めである。

8月10日(金)
 朝日カルチャーセンターにでかけたあと、京都文化博物館の「世界遺産 ナスカ展—地上絵の創造者たち—」を見学。アンデス文明の精華を堪能。ヴァーチャル・リアリティによる遺跡鳥瞰映像がすばらしい。
 いったん帰宅して、中国・隋唐洛陽城の復元図を四苦八苦しながらプリントアウト。機械から打ち出されるペーパーを引っ掴んで、とんぼ返り。山中章博士と落ち合う。博士は近く洛陽に調査旅行だということで、なんとか資料を手渡す。先斗町で見つけた落ち着いた鳥料理の店で、ふたりで怪気炎。

8月11日(土)
 午前中は下鴨神社糺の森の「古本祭」。とにかく汗だく。
 夕刻、いつものメンバー(通称3悪トリオ+2名)でのイタリア料理。次から次へと絶品の料理と、これまたすばらしいワイン。おいおい、気が付くと、高級ワインを4本も平らげているぞ! 時計を見るとびっくり。4時間半も騒いでいたことになる。至福の時間がすぎる。

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