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2007.09.30

秋学期の授業開始、の巻

 今週から、授業開始である。
 本年度秋学期の授業(特記なきものは同志社女子大学現代社会学部)。
(月)2講時【同志社大学】「シルクロード」(オムニバス講義)
   3講時「博物館概論」
(火)4講時【花園大学文学部】「京都学概論」
   5講時【花園大学大学院文学研究科】「日本史学演習」
(水)2講時【同志社女子大学大学院文学研究科】「考古学特論」
(木)2講時「応用演習 II」(3回生ゼミ)
   3講時「史跡・文化財論」
   4講時「考古学 II」
(金)6講時【同志社大学文学部】「日本史」

 最近の大学は、春学期と秋学期とが独立した授業になる「セメスター制」になっていることが多い。花園大学では春学期と秋学期をセットで受講する不完全なセメスター制だったのだが、同志社女子大学は完全なセメスター制を採用している。
 まったく新しい授業は、木曜日の「史跡・文化財論」。私の赴任にともなって、同志社女子大学としては始めて開設することになった科目である。他の大学を含めても、こういう名前の講義は珍しいかもしれない。ただ、私にとっても始めてだけに、準備が大変。文化財保護法とか、史跡整備とか、城郭復元とか、とにかくデータをせっせとパワーポイントに落とし込んでいった。開いてみると、結構な数の受講生がいる。はてさて、ご期待に沿えるかどうか?

2007.09.16

工藤静香さんライヴ、の巻

Sizuka9月15日(土)
 大阪行き。
 工藤静香さんのソロ・デビュー20周年記念ライヴ「Shizuka Kudo 20th Anniversary the Best」(毎日放送主催、ポニーキャニオン後援、Purple/ON THE LINE企画製作)が、大阪・難波にある湊町リバープレイスの中のライヴ・ハウスなんばHatchで開催されるのである。これに先だって、8月31日には東京・渋谷でライヴがおこなわれ、えらく盛り上がっていた、というから、期待大である。実は、静香ファン歴は永いのだが、恥ずかしながら、ナマの静香さんを見るのは、これが始めてになる。ちょっと、ドキドキである。並ばなくちゃならないのかな?と思って、早くに会場に駆けつけた。しかし、チケットの番号順に入場、ということを知らされて、ちょっとガックリ(>_<)。私の番号は、かなり後の方なのである。やっと入場できたが、会場は立ち見で、もはや立錐の余地もない。後ろの方にもぐりこみ、人の肩越しではあるが、なんとか場所を確保する。
 18時。暗くなった会場にデビュー曲「禁断のテレパシー」の大音響が轟く。万雷の歓声の中、白のタンクトップ・シャツにゴールドのデニムのパンツ、それに黒のベストをひっかけた静香さん(リンク先は東京公演の写真)が颯爽と登場。いやぁ、カッコいい! カッコ良すぎるぞ!!\(^o^)/ 昔からスリムな体型で抜群のプロポーションを謳われてきた人であるが、10代の頃はいささか細すぎて痛々しいようなイメージを感じさせていた。それが30歳を超えてから(特に、子供さんを産んでから)というもの、それまでの危なっかしい印象は次第に影をひそめていき、バランスのとれた美しさが輝くようになった。世代を問わず女性の間に根強い人気があるのも当然かもしれない。
 次から次へと、懐かしいヒット曲の数々を披露する(私はほとんど全部、唄えるぞ(^_^;))。その合間々々には、気さくなトーク。次第に、会場との掛け合い漫才のようになる。これなんか見ていると、ホントにファンを大事にする人なんだな、というのがよくわかる。「東京では記者さんが来られていて何を書かれるかわからないのでこんなことは言えなかったんだけど、今日は大阪だから言っちゃおう」、などと言いながらの本音トークの炸裂には、えらく得をしたような気になる。東京ではお笑いタレント・にしおかすみこさんのモノマネで「今日は〜〜〜、工藤静香の〜 20周年ライヴに〜 来てくれて〜、どうもありがとぅ」を披露したらしいが、大阪ではそれは途中で切って、その代わりにお笑いの小島よしおの「そんなの関係ねぇ!」のモノマネが飛び出したのにはびっくり。サービス精神旺盛である。
 聞いていて、ハッとするところがあった。この人、もともと歌唱力には定評があるところであるが、音域は決して広いとはいえない。だから、自分の音域に合った曲や、持ち前のパワーとバツグンのリズム感で押し切ることができる曲ではゴキゲンな出来になるのだが、そこからハズれた曲では音域の限界が露呈してしまうことがある。特に、低域から高域へスッと変化する部分でバランスを崩すことがしばしば見られ、ファンとしての贔屓目から見てもしばしばヤキモキさせられてきたのである。要は、曲によって出来不出来が著しいのである。しかし、今日はどうだ! 危なっかしい場所にさしかかると、ほとんどわからないほど微妙に音階をコントロールし、ごく自然に、サラリと走り抜ける! この人、いつのまにこんなワザを身につけたのだろうか。 寝る暇もないほどに仕事に追いまくられていたトップ・アイドル時代と違い、今はじっくりと音楽に向かい合い、自分なりの「歌」を練り上げていっているのだと思う。歌手としての静香さんのプロ魂に、感動。
 ライヴも最後に近づいたが、会場との掛け合いで、なかなか曲にいきつかない。静香さん、「お名残り惜しいけれども、最後の曲に・・・」を、いったい何回言っただろうか。「もしかして、引き延ばそうとしているだろぅ?」「やっぱ、大阪だね」などと言いながら、彼女自身も楽しそうである。やっと歌いだせた「Ice Rain」では、感極まった静香さん、途中で涙を浮かべて絶句する。最後は、アンコールに継ぐアンコールの繰り返しで、なんと、終了は21時。実に3時間(!)に及ぶ大熱演だったのである。東京公演は2時間強だったというから、これもやっぱりとっても得をした感じである。
 静香さんの20周年にあたって、過去の録音からセレクトしたベスト盤が出たし、近く、これまでのコンサート映像を集大成したDVDも発売される。これももちろん悪くないのであろうが、ファンとしては彼女の新録音が欲しいものである(彼女自身、「ジャズを出す予定」と語っていた。楽しみ)。また、過去の曲も、円熟の域に達しつつある静香さんのリフレッシュ録音で聴いてみたい。さらには、こんな熱気あふれるライヴをやった時には、その映像も発売しなきゃもったいないぞ。ポニーキャニオンさん、ぜひともよろしくm(_ _)m。

2007.09.11

ロック・ライヴと太閤堤、の巻

9月7日(金)
荷物があったので、車で大学に行く(普通は電車通勤)。そこで、昼食には遠出をして、噂のラーメン店「無鉄砲 本店」に足を伸ばす。前から行きたかったのだが、なにせ、京都府木津川市梅谷という、正直いってよくもこんなところに、というような辺鄙な場所である。それでも、噂が噂を呼んで、いつもいつも押すなへすなの大行列だということだから、大したものである。確かに、平日の昼間にもかかわらず、列ができている。Muteppouしばらく並んで、やっとラーメンにありつく。驚いたことに、トロトロの濃厚スープ。さすがに「天下一品」ほどではないが、それでもこれだけのねっとりとしたスープはめったにお目にかかれない代物である。豚骨主体だが、豚骨特有の臭みはまったくないし、ほんのりとした甘みも感じられる。珍品である。麺が繊細さに欠けるのはちょっと減点だが、スープがユニークなので、おもわず「替え玉」を頼んでしまう。

9月8日(土)
朝日カルチャーセンターに出講。これまでの「京都」シリーズとは別に何か新規ものを、ということで、花園大学の松田隆行准教授と古市晃専任講師を誘って、「戦の日本史」という連続講座をやることになる。今日はその一回目、私が「保元の乱」を話す。
講義を終えて、あたふたと京阪電車に乗車。宇治に向かう。「乙方遺跡」において、宇治川に設けられた「太閤堤」のすばらしい遺構が検出された、のである。当てずっぽうで歩いてみると、驚いたことに、宮内庁治定の「莵道稚郎子宇治墓」のすぐ西側の隣接地である。遺構はさすがにすばらしい。伏見城研究・巨椋池研究を再度やりなおしてみたくなる。

9月9日(日)
Snoozer家で寝坊していたら、甥(妹の息子)から電話。彼がやっているロックバンド「SNOOZER」解散ライヴなので、来てくれ、という。彼のグループのステッカーの作成などにはウチのパソコンが奮闘したから、ご招待いただく。夕方、河原町三条のVOX HALLに出かける。耳を貫く大音響がはじまる。甥はベースギター。みんな、解散ライヴだというので、ノリノリの大熱演である。挨拶に感極まって、甥は涙をぼろぼろこぼしている。若いって、やっぱり、いいね。帰りは、妹等といっしょに、その向かい側のイングリッシュ・パブで一杯。

9月10日(月)
同志社大学等が主催する「楽洛キャンパス」(主催:京都観学研究会〈同志社大学・JTB西日本〉・京都商工会議所)に出講。その中の「京の川—鴨川逍遙ガイダンス—」の中の「伏見・巨椋池〈ときめき
〉探検—秀吉の町づくりと治水—」
を担当する。土曜日に見たばかりの「太閤堤」の最新情報がさっそくに役に立つ。午前中は同志社大学今出川キャンパスで講義。15時から現地に場所を移し、課外講座「秀吉の伏見城下町探訪と老舗料亭・魚三楼の夕食」となる。大手筋→伏見銀座跡→御香宮→松平筑前公園→伏見城〈木幡山城〉治部少丸西側→治部池→伏見桃山城公園→伏見城〈指月城〉舟入跡→同城本丸跡→観月橋→向島の太閤堤跡→伏見奉行所跡、と巡見。雨が降らなかったのは幸いだが、暑くてへとへとになる。それから、伏見の老舗(格子戸には鳥羽伏見の戦の弾痕が残る)の京料理「魚三楼」で歓談を兼ねた夕食。

2007.09.09

長岡京展、完成へ!、の巻

9月2日(日)
 京都大学で、国立歴史民俗博物館の特別展「長岡京遷都−桓武と激動の時代−」の展示プロジェクト会議。2002〜2004年にやった共同研究「律令国家転換期の王権と都市」(研究代表 山中章三重大学教授)の成果をわかりやすい形で示す展覧会である。歴博側の担当者である仁藤敦史准教授と村木二郎助教の御努力により、ほぼ、形ができつつある。私も、宿題(単にサボリで遅くなっただけです(^_^;)。村木さん、ご心配をかけてすみませんでしたm(_ _)m )をようやく提出することができる。
 今回はその打ち合わせの最終回。関連催事である講演会などの細部を詰める。私に割り当てられたのは、11月18日に東京でおこなわれる歴博フォーラム第62回「激動の長岡京時代」の、永井路子氏(作家)と朧谷寿先生(同志社女子大学)の対談を、山中博士とともに共同司会すること。11月10日の歴博講演会第287回「桓武の王権を考える」で講演をすること。そして、11月11日に会場でギャラリートークをやること、である。なかなか、出ずっぱりなのである。
 山中博士は常々、山田は機会さえあれば長岡京の評価を貶めてやろうと虎視眈々と狙っている、根性のひん曲がった悪辣な平安京至上主義者である、と宣伝しておられるが、これこそがまったく事実に反する内容であることは、私のブログを読んでいただいている方ならばよくよくご存じのはずである。そもそも、「可愛い妹」の平安京が「頼りになるお兄ちゃん」の長岡京を貶める、なんてことがあるはずがないのである。今回の特別展と関連催事は、長岡京の意義を、特に東京を始めとする関東の方々にアピールする絶好の機会である。ぜひ皆様、展覧会と講演会の両方に、こぞって足をお運びくださいませm(_ _)m。

 終了後は、京都駅前に場所を移して楽しい楽しい飲み会。はっと気が付くと、すでに6時間以上呑んでいる。へべれけになっての帰りは、Y大学の古代史のMY准教授(同病相憐れむの痛風仲間!)と、タクシーに乗り込む。

2007.09.04

中国東北3省を旅する(3)、の巻

Ryozyunn 今回の中国旅行でもうひとつ楽しめたのは、いろいろな博物館を見ることができたことである。中でも、金の上京会寧府に隣接して新築された「金上京会寧府博物館」は瀟洒な建物で、なかなかに立派であった。
 大連市の旅順では、日露戦争の戦跡を訪ねることができるとともに、旅順博物館に行くことができた。そういえば、10年ほど前に、私の勤務していた京都文化博物館で「旅順博物館展」が開催されたことがある。大谷探検隊の収集資料など、貴重な文化財がかなり出品されていた。
 しかし、旅順は、なかなか行きにくいところである。軍港であるため、今も外国人の立ち入りは厳しく制限されている。確かに町の入り口には「許可を得ていない外国人の立ち入り禁止」という中国語と日本語によって記された看板が立っている。それでも、日露戦争戦跡は許可されやすいのだが、博物館は軍事地区にすぐ隣接しているため、なかなか外国人には許可が下りない、のだという。そこに行くことができたのであるから、ありがたい話である。
 旅順博物館の前身は、日本が経営していた「関東庁博物館」(最後の館長は考古学者・島田貞彦)である。行ってみて、驚愕した! 建物は関東庁博物館当時のそのまま。内部の陳列ケースなども、そのままのものが使われている。日本にも東京・京都・奈良の「帝室博物館(現・国立博物館)」があるが、ここでは建物は戦前のものが残っているが、内部はかなり改装されているし、もちろん当時の陳列ケースは使われていない(実は、京都国立博物館本館の戦前のケースの一部は、同志社大学歴史資料館に移されてそこでいまでも使われている。これ自身が今や文化財である)。要するに、旅順博物館には、戦前の日本の「国立」博物館の様相がそのまま残っているのである。これは、日本の博物館史を語る上でも本当に貴重な遺産である。元・京都国立博物館学芸課長であったS先生と、すごいね、すごいね、と囁きあう。
 旅順博物館では、この本館に対して、近年に作られた新館が隣接している。これも面白い。本館の展示が戦前からの伝統を彷彿とさせる「美術史展示(つまり、陶磁器、絵画、彫刻、などという分類)」であるのに対して、新館では「歴史展示(つまり、その地域の歴史を、時代を追って展示する)」であるのも、なかなかに良い対照をつくりあげている。また、新館には関東庁博物館時代からの「日本絵画」「日本・朝鮮陶磁器」などの一大コレクションがある。おそらく、中国では最大の日本の文化財のコレクションではなかろうか。私の知る限り、他の中国の博物館では日本の文化財に独立した展示室を設けているところはないから、これは中国の人たちに日本文化を知ってもらうためにも超重要な施設だということになる。
 せっかくの充実したすばらしい博物館なのに、そこが「未解放地区」であるのは、本当に惜しいと思う。

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