« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008.01.23

「岩手日報」に載る、の巻

 時々、インターネットの検索エンジンに自分の名前を打ち込んでみることがある。中には、思いもしないところに自分が登場していることがあって、なかなかに面白い。以前には、「天漢日乗」というブログで、「最近、山田邦和先生経由で、与那原家という沖縄そば屋を知った。早速注文すると、もの凄い太っ腹なお店であった(以下略)」という書き込みに出会って驚いたことがある(私がご紹介した沖縄そばに満足していただけたようで、大変結構でした(^o^))。

 昨日、そうしてやってみると、岩手県の地方紙である「岩手日報」がでてきた。あれっ?、ということで接続してみると、同紙の2008年1月7日号に掲載された「埋文行政の未来 発掘から活用に重点を」(中村紀顕執筆)という記事がでてきた。現在、埋蔵文化財行政は「危機」的な状況にある。バブル崩壊後の不況と小泉改革が相まって、埋蔵文化財調査専門機関はどこもかしこも経営難と行政からの締め付けに喘いでいる。さらに、民間企業も遺跡発掘調査に乗り出しており(いわゆる「発掘会社」)、それが自治体傘下の埋蔵文化財調査専門機関の「パイ」を浸食することにもなっている。学術雑誌『日本史研究』の編集委員会から、こうした現状を考え直すための提言を、という依頼を受けて同誌に執筆したのが、私の「時評 埋蔵文化財をめぐる社会システムの混迷」という一文であった。「岩手日報」はそれに注目し、記事の中でとりあげてくれたのである。

 〔以下、引用〕「行政や関連組織は今後埋蔵文化財に対し、どういう立脚点にあるべきか。貴重な提言が07年10月発行の「日本史研究542号」に掲載された。山田邦和・同志社女子大教授の「時評 埋蔵文化財をめぐる社会システムの混迷」がそれだ。
 「このなかで山田教授は、文化財保護法の<第3条 政府及び地方公共団体の任務>を論拠に「文化財を保存し、国民文化に役立てるという仕事こそ『公』の果たす責務だ」とする。具体的には、目先の発掘調査に追われることから脱して▽遺跡の保護▽民間組織の指導・監督▽出土遺物の保存・管理・研究・活用-こそ重要だ、としている。国民のためにある文化財保護という考え方で、多くの賛同を得られる示唆だ。」〔引用終わり〕

 私の提言の主旨を正確に紹介してくれており、ありがたい限りである。私の現状認識としては、自治体や自治体傘下の埋蔵文化財調査専門機関が民間の「発掘会社」と、少なくなった「パイ」を奪い合うだけでは考古学界の未来はない。バブル期のように、自治体や自治体傘下の埋蔵文化財調査専門機関が休む間もなく遺跡の発掘に追いまくられるという方が異常だったのである。これから絶対にやらねばならないのは、埋蔵文化財の調査研究にとって、民間に委ねても良い部分は何か、その一方で「公」が絶対に果たさなければならない責任とは何か、ということを充分に見極めることなのである。拙文の締めくくりに記した「たとえ政府や地方自治体が財政難に苦しんでいるとしても、それは、このような『公』の責任を放棄することの理由にはならないのである」という文章には、こうした想いをこめたつもりでいる。
 ささやかな提言であるが、それに注目してくださった「岩手日報」に、深謝 m(_ _)m m(_ _)m。

2008.01.22

仁明朝史研究会始動、の巻

2008年1月9日(水)
 法住寺殿の跡に建つ高級ホテル・ハイアットリージェンシー京都で、京都・大阪のホテルマン・ホテルウーマンを対象の研修会。「東山地区の歴史」を話す。ホテルの最前線で接客をやっておられる方ばかり。こういう方々こそ、京都の史跡の魅力を発信する先頭に立っていただかなくてはならない。
 終了後は、ハイアットのY総支配人に誘われて、フレンチ。ウチの奥さんまで呼んでいただき、お相伴にあずかる。ちょっとした奥さん孝行の夜であった。

 1月10日(木)
 昨年のこの頃は、一年中で一番ヤキモキする日々であった。前任校の花園大学では卒論・修論の提出と審査があるのである。しかし、現任校の同志社女子大学では、私のゼミは始まったばかり、ということで、今年は卒論はナシ。昨年までのことを考えると何か拍子抜けするというか、申し訳ないような感じである。ただ、今年度一杯は花園大学の大学院の指導が残っている。聞いてみると、私の担当の四人は、なんとか無事に修論を提出できたという。ホッと一安心である。

 1月11日(金)
 朝日カルチャーセンターの出講を終えてから大学へ。在学生への「博物館学芸員課程説明会」をこなす。ただ、同女の学芸員課程は今年始まったばかりのヨチヨチ歩きである。現在の1回生には問題ないのであるが、2回生以上には完全対応することができない。ちょっと気の毒であるとは思うがやむをえない。とにかく、博物館学芸員資格の魅力、を話す。
 終了後は、今出川にとって返して、同志社大学の夜の授業。

 1月12日(土)
 JR西日本「京の魅力探訪ウォーク」で、豊国神社。

 1月15日(火)
 花園大学出講。私にとっては、花園大学での授業は専任8年+非常勤1年の9年間におよんだ。それが、この日で最後となった。特に、花園大学での「京都学概論」は、私が一番力を入れた講義であった(そもそも、この授業は私の着任とともに新設していただいたもの。いわば、私のために作ってくれたような授業だった)。他の大学でも同様の授業はおこなっているのであるが、やはり学生気質に違いがあるというのか、大学によって学生の反応が違う。一概にどこが良くてどこが悪いかということは言えないけれども、花園大学での受講生諸君は反応が一番ストレートだった感じがする。私も、ホームグラウンドということでゆとりをもって話をすることができ、なかなかにやりがいがあったのである。しかし、それも今日でおしまい。いささか感無量である。
 その後、修論を提出したばかりの院生諸君を誘って、いつものお好み焼きとビールでささやかに祝宴。

 1月16日(水)
 文理閣で会議。少しづつ、新しい本の形ができあがってくる。

 1月17日(金)
 同志社女子大学での授業の最終日。一年間、なんとかやってこれたな・・・ ただ、授業によっては、我ながらまだまだ形が整っていないものがある。それをどう再構成してキレイなものにしていくか、来年度の課題だな。

 1月18日(金)
 (財)古代学協会の評議員会。

 1月19日(土)
 OS社のYMさんから京都劇場でやっている劇団四季の「ユタと不思議な仲間たち」のチケットをいただく。実は、今までミュージカルのナマはなんとなく敷居が高くて、見るのはこれが初体験である。楽しみにして行ってみると、これがなかなかに面白い。ミュージカルというのはまさに近世の歌舞伎芝居の伝統の上にたつ芸能である。たっぷりと堪能することができた。YMさん、どうもありがとうございましたm(_ _)m。

 1月20日(日)
 (財)古代学協会の新しい研究事業である「仁明朝史の研究」の第2回研究会(山中博士、御都合の悪い日での設定となってしまい、どうもスミマセン・・・m(_ _)m)。実は、ここでの報告のことを年明けからずっと考え続けていたが、なかなかまとまらなかった。この研究会、関西で考え得るベスト・メンバーに近い研究者の皆さんが揃っておられる。そこでの報告だけに、胃が痛くなる思いをしたのである。なんとか「仁明天皇陵とその関連陵墓」という報告をまとめる。しかし、まだまだ未完成で不充分なところだらけ。出席の先生方からは痛いところを突く質問が続出で、冷や汗三寸とはこのことである。でも、勉強になることはこの上ない。
 O大学のY氏の日中交流についての報告を聞いた後には、緊張を一気に解き放つように、百万遍の呑み屋で騒ぐ。

2008.01.06

年始年末、の巻

 2008年1月6日(日)
 正月休みも、今日でおしまい。なんともぐうたらした正月だった。

 年末はテレビ朝日のドラマスペシャル「吉原炎上」ですごす。主人公の遊女・内田久野を演じた観月ありさも熱演だったが、その友人でライバルの遊女・浅井雪乃役の星野真里がなかなか良い味を出していた。何の気なしに見ていると、主人公が失恋して倒れ付す川岸が、明らかに伏見の濠川だったのにびっくり。そう気づいてよく見ていると、「外務省」に扮していたのは京都府庁の本館(明治37年竣工)だった。なるほど。東京で撮っているのかと思ったらそうではなかった。東映の太秦撮影所で撮影しているんだな・・・ 正月の新春スペシャルの「のだめカンタービレ ヨーロッパ編」も涙と笑いの感動モノ。存分に楽しめた。のだめ役の上野樹里、千秋真一役の玉木宏、これ以上は考えられない適役だな。なお、年末を、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の「第9」で過ごした、といったら、セル・ファンのMK教授からお褒めにあずかった(リンク先のNo.6061)。光栄である\(^o^)/。それから、山中章博士はまたまた病院通いをされている、とのことである。どうぞお大事に、といいたいところであるが、ブログの絶好調ぶりからすると心配はないのだろうな・・・

 年末に、森浩一先生から「宿題」をいただいた。京都の某寺に、ある時代の年号の入った重要な遺品があるから調べてほしい、というのである。ん? この某寺、私はよくよく知っている。また、京都のその時代についても、私は専門家の部類に入るはずである。しかし、その寺にそんな遺品があったということはまったく記憶にない。あわてて資料をあたってみても、そんな遺品のことについてはまったくどこにも触れられていない。ともあれ実地確認だ、ということで、でかけてみる。しかし、どこにもそれらしき物はみあたらない。なにかの間違いだっただろう、と独り決めして帰ろうとすると、なんと!視野の隅っこに何かがとびこんできた。あった! まちがいなく、森先生ご指摘のその遺品だった。
 なんたることだ。私はこれまで、その品のそばを何回も何回も通ってきているのである。しかし、今までまったく、「見えていなかった」のである。恥ずかしや。穴があったら入りたい、というのはこういうことである。落語によく出てくる、「お前の眉毛<まみげ>の下にふたつ光っているのは何だ? 目だろ? 目だったら良く見ろ! 見て見えないような目なら、刳り抜いて、後、銀紙でも貼っておけ!」という啖呵を思い出してしまった。何回も実地を踏むことの大切さ、細部までじっくりと観察することの大事さを、改めて胸に刻み込む。それにしても、森先生の非凡な観察力の鋭さに、改めて、驚愕。

2008.01.04

藤森神社に初詣、の巻

 2008年1月2日(水)
Inosisi 元旦は呑みすぎで、2日は昼前までぐうたらと寝ている。2日は、わが家恒例の、一族を集めてのボタン鍋(写真上)。寺町の改進亭で厳選された、特上の猪肉をはりこむ。当然、またまた呑みすぎ。

 1月3日(木)
 今日こそ、初詣。どこに行こうかと迷ったのだが、今年はちょっと目先を変えてみよう、ということで、伏見の藤森神社へ向かう。この神社の現在の御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰、舎人親王、天武天皇、早良親王、伊豫親王、井上内親王の十二座であるが、この中で「主祭神」格とでもいえるのは神功皇后である。面白いのは、参集殿前に「力石」が並べられていること。上杉本「洛中洛外図屏風」の中の、三条の「弁慶石」を彷彿とさせる光景で、なんだか嬉しくなる。本殿裏側にある摂社の八幡社と大将軍社(写真中)の建物は、いずれも室町幕府第6代将軍足利義教によって造営されたもので、国の重要文化財に指定されている。応仁の乱以前の建造物は京都には本当に数少ないから、貴重な遺産である。
Huzinomori_2 森浩一先生も近著『京都の歴史を足元からさぐる〔洛東の巻〕』でも触れておられるし、私も前から気になっていたことは、この中に早良親王(光仁天皇皇子、追尊崇道天皇)と舎人親王(天武天皇皇子、追尊崇道尽敬皇帝)が含まれていることである。私が興味深いと思っているのは、早良親王が蝦夷征討の大将軍となった、とか、同親王が蒙古襲来を迎え撃つために出陣した、とかいう、奇妙な伝承が伝えられていることである。崇道天皇を祀っていた社はもともとこの北方の小古墳(塚本古墳)の上にあり、そこは現在は宮内庁管理の「東山本町陵墓参考地」となっている。崇道天皇=早良親王とはいうまでもなく、その怨霊が長岡京廃都・平安京遷都に大きくかかわったのであり、その点では京都に所在する崇道天皇伝承は無視できない、と思っているのである。
Toneri 新たな「発見」もある。日本書紀の編者としても知られる舎人親王=崇道尽敬皇帝、通常は「とねりしんのう」と発音しているし、私もその他の発音があるとは思ってもみなかった。しかし、この神社では伝統的に「いえひとしんのう」と発音しているというのである(写真下)。確かに「舎人」は「いえひと」とも訓める。なるほどね・・・

2008.01.01

謹賀新年、の巻

2008年1月1日(火・祝)
P1050239 みなさま、あけましておめでとうございますm(_ _)m。ブログ上からではありますけれども、謹んで新年の御挨拶を申し上げます。

 昨年は、花園大学から同志社女子大学へ転出するという、私の人生にとって大きな節目を迎える年となりました。新しい職場でも仕事は徐々に増加していますが、その中でも、本分である「研究」を忘れることなく、地道にとりくんでいきたいと思っています。特に、今年こそ、懸案になっている第2論文集『京都都市史の研究(仮題)』の刊行を果たす所存でおります。さらに、第3・第4論文集にむけての予備作業も進めていきたいと思っております。
 
 今年一年が、皆様にとって良い年となりますように・・・・・・ m(_ _)m。

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »