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2008.02.29

ヴェトナム(5)、の巻

 2月28日(木)P1050821 〔ハノイの歴史博物館〕
 ヴェトナムに来て、一週間がすぎた。なんだか、もう何ヶ月もこちらにいるような気がするな・・・
 ようやく、発掘区全体の土層堆積の概要がつかめてくる。とにかく、15〜16世紀頃に、遺物が大量にはいった土で2m以上も分厚く埋め尽くしているようで、しかもその土が北から南へと斜めに傾斜している。
 午後からは、山中博士のお許しを得て、はじめてひとりでハノイの市内にでかけることにする。今まで一週間、ほとんどホテルと現場の往復だけだったから、そろそろ外出がしたかったのである。第一の目的はやはり、ハノイの旧市街に位置する、歴史博物館である。大学で博物館学芸員課程を担当するわが身としては、外国に出かけて博物館を見ずに帰ってはまったく立つ瀬がないのである。
 歴史博物館はヴェトナム語では「Bao tang Lich Su」。なるほど、「リクスー」というのが「歴史」で、「バオタン」が「博物館」だな。フランス支配時代の1932年に建てられた美しく風格ある建物(写真)である。入場料は1万5千ドン、別にカメラ持込代として1万5千ドンが必要だから、合わせて3万ドン。だいたい2百数十円、といったところである。考古学遺物を中心として、ヴェトナムの通史が展示されている。やはり、目玉となるのはドンソン文化の銅鼓であろう。ごくおおざっぱであるが、ヴェトナムの考古学資料を堪能することができた。もっとも、もうすこし展示に地図とか復元図を活用して欲しいとは思うが、それはないものねだりだろうな。図録が売ってなかったのは少し肩すかしだった。
 歴史博物館を出た後、少し時間があるので、隣の「革命博物館」を見て(ガイドブックには有料だとされていたのだが、行ってみるとどういうわけかタダだった)、インディラ・ガンジー公園に立つ李朝大越国の初代皇帝・太祖李公蘊(リー・タイトー)の銅像を眺める。それから、ホアンキエム湖を回り込んで、チャンティエン通の商店街を冷やかす。大きな書店があったので、精密な地図が欲しいと思って入ってみたが、これはかなえられなかった。
 タクシーに乗り込んで、旧市街の中心にある「東河門」へ向かう。阮朝時代のタンロン城の東城壁の門として唯一現存しているものである。ところが、タクシーが悪かった。一昨日もそんなのに乗り合わせてしまったのだが、メーターが見る見るうちにカシャカシャと上がっていく。普通の倍近い値段を払わされてしまったのだが、どういうことかよくわからない。タクシーにも何種類かあって、やたらに高いメーターをつけているものもあるのかもしれない。まあ、日本円に直せばたかが知れている額なのであるが・・・・
 東河門は思ったよりもこじんまりとした可愛らしい城門であった。その周囲はまったくの庶民の街。狭い道路の周りにいっぱいのお店屋さんが並んでいる。その近くには、ハノイを代表する市場であるドンスアン市場もあった。
 くたびれて、やっとタクシーをつかまえると、これがなんと、メーターを使わないタクシーだった。これは危ないのであわてて降りると、逆に、タクシーの兄ちゃんがえらく安いことを言いだす。半信半疑、ドキドキものでもう一度乗り込んだのだが、結局はその安い金額で済んだ。まったく、わけがわからないものである。


2008.02.27

ヴェトナム(4)、の巻

P1050714〔← 山中博士の人生は、このようにたくさんの人たちに支えられているのです〕
 2月26日(火)
 この季節のヴェトナムではしばしばあることらしいが、朝から天気が悪い。雨とはいっても、日本風にいうならば「霧雨」である。巨大な噴霧器で空中全体に霧を吹きかけているようなものである。なるほど、これでは洗濯物が乾かないのもさもありなん。しかし、ヴェトナムの作業員の人たちは勤勉で、この霧雨の中でも黙々と仕事をつづけている。私たちも、100円ショップで買ってきた簡易レインコートに身を包んで、現場に立つ。とはいっても、雨は雨。地面が泥濘んで、歩きにくいことはこのうえない。
 困ったことに、学生諸君が次々に体調を悪くする。女子学生のひとりはホテルで寝ているし、男子学生のひとりは現場の簡易ベッドに身体を沈める。疲れが出てきたのだろうな・・・
 夕方、A地区にある研究所での会議に臨む。重要な点でかなりの駆け引きがあったが、結果としては山中博士の粘り勝ちとなる。最低限ではあるが、うまくいけばヴェトナム考古学の都市遺跡調査に新たな画期となるかもしれない。
 晩にはN氏の友人の日本人がやっている日本食レストラン「紀伊」に連れて行ってもらう。南郊殿の遺跡のすぐそばの場所である。ホヤのシオカラやウニなんて、ヴェトナムで食べられるとは思わなかったぞ。

 2月27日(水)
 現場の土層の認識はほぼできつつある。もう少しすれば、掘り下げにかかれるだろう。それに備えて、現場の地区割と基本的層序を決定する。
 それにしても、ヴェトナム側の作業員の皆さんは実に勤勉である。我々が現場入りする前の、朝の7時からもう作業を開始しており、昼の11時半まで、まとまった休憩無しに黙々と働き続ける。午後も、2時間の休みを挟んで、13時半から17時までが仕事である。私たちとは言葉が通じないのがもどかしいのであるが、こちらがあいさつするとこの上ない親しげな笑顔がかえってくる。こんな笑顔を見ていると、ヴェトナム人には悪い人はいないような気がしてくる。
 びっくりしたこと。現場の付近の樹木、青々とした葉っぱを豊かにたくわえているのは良いのであるが、風が吹くと、葉っぱがまるで嵐のように降り注ぐ。現場の写真撮影しようとしてせっかく奇麗に掃除しても、すぐに葉っぱの嵐となる。あとからあとから、まったくキリがないのである。なかなか、難儀なことである。


2008.02.25

ヴェトナム調査は続く、の巻

 2月25日(月)
P1050586
 23日(土)には、調査区の西壁を精査と掘り下げ。要は、堆積層の状況を確認しなくてはどないもこないもならないのである。しかし、堆積の状況は近世の京都都市遺跡(平安京左京)に似ている‼ 大量の遺物を含む土で、分厚い埋土が形成されているのである。違いといえば、こちらの埋土にはイヤになるほど大量の塼(レンガ)が含まれているということくらいである。
 この日の夜は、ヴェトナム側のご招待による宴会(写真)。ホテルの近くのシーフード・レストランで、貝とカニに舌鼓をうつ。
 ところが、どうも疲れが出てきたようである。宴会の最後の頃から、どうも調子が悪い。ホテルに帰ってすぐに寝るのだが、お腹がシクシクと痛みだして、眠れない。
 
 2月24日(土)
 ふらふらしながら起床。外国に来て体調を崩すのは例のごとしとはいえ、どうにも気分が滅入るものである。山中博士にいたわられながら、なんとか出立。まずは、ハノイ南部にあるタンロン城の「南郊殿」跡の発掘現場に向かう。これはぜひ見たかった。行ってみてびっくり!! 巨大な工事現場のようなところに、一辺1.5mくらいの木箱が数えきれないほどに列をなしている。なんと!!、現地保存ができないとかで、遺構を切り取って移設する作業をしているというのである。日本でも小規模な遺構を切り取り保存することはあるけれども、ここではいわば、ひとつの遺跡を丸ごと、バラバラに分解して切り取っていこうとしているのである。しばし、絶句。
 われわれの現場にもどるが、やはり調子悪い。微熱もあるようで、ほとんど立っていられないのは情けない限りである。なんとか現場作業を終えてからホテルに戻り、薬をしこたま飲んで、布団にもぐりこむ。

 2月25日(月)
 やはり疲れがたまっていたようである。こんな時にはなによりの薬は睡眠。一晩ぐっすりと寝たおかげで、なんとか回復した。ご心配おかけしました(山中博士は、山田が調子が悪いのは自分がイジめたためではないとか、毒をもったわけではないと強調しておられるが、これはウソではないだろう。犯罪には必ず動機がある。今、私に毒を飲ませても、山中博士には一文の得にもならないのである。念のため・・・)。
 午前中、われわれの現場の東側に隣接する「A区」を見学。タンロン皇城跡でも最も調査が進んでいる地区である。ちょうど現地指導に来ておられたN研究所のI氏にお目にかかり、遺跡について意見交換。そして、A区をじっくりと見学。
 われわれの現場の南側では、旧・国会議事堂の建物を壊している。ここも近く発掘調査が開始されるはずである。ふと覗いてみると、敷地の真ん中に机を持ち出して、地鎮祭の祭壇が設けられている。かわいらしい馬の作り物、花、お菓子、お酒、紙銭、鶏肉などが捧げられている。終わった後は、敷地の隅っこで作り物や紙銭を燃やして煙にする。面白い場面に出会うことができた。


2008.02.23

ヴェトナム2日目、の巻

 2月22日(金)
 ゆっくり寝て、6時起床。朝はホテルでヴェトナム式のウドンをすする。なかなかに美味なものである。外国に行って現地の食事をおいしく食べられるというのは、幸先の良いものである。
 現地の共同研究者のN氏御夫妻に出迎えていただき、さっそく現場へ。ヴェトナムの大統領官邸の目の前という、日本で言うと霞ヶ関のど真ん中という信じられないところにある遺跡である。ヴェトナム側の責任者のT氏のご案内で、遺跡をじっくりと見学する。
 実は、今日は遺跡の見学と調査計画立案だけでのんびりできるだろうと思っていたのであるが、これは甘かった。なんのなんの、山中章博士をボスとする調査がそんなことで済むはずはないのである。しごく自然な流れとして、現場作業が開始される。私も手ガリを手にして、あわてて現場にとびこむ。まずは既掘部分の土層断面の精査である。最初は何がどうなっているか検討もつかなかったが、削っていくうちに、なんとなく遺構全体の雰囲気がつかめてくる。
 夜は、ホテル近くのヴェトナム料理店で乾杯。ヴェトナム料理といえば香草がギンギンきいているようなイメージでちょっと心配していたのだが、案ずるより産むが易しだった。これくらいの香草ならば、刺激物嫌いの私にもまったく問題はなくおいしく食べられる。カエル料理やイノシシ料理など、めずらしいものも堪能させてもらう。


2008.02.22

ヴェトナム入り、の巻

 2月21日(木)
 ヴェトナム・ハノイのタンロン城調査プロジェクトに参加の1日目。
 早朝5時に起きて、そのまま関西国際空港へ。9時に山中章博士御一行と合流。11時のホーチミン行き飛行機に乗り込む。ホーチミン経由で、ハノイ着は現地時間夜の19時半。ホテルはハノイ北郊の、小さいがなかなか奇麗なところで、ほっと一安心である。インターネットも無事つながるようで、これもありがたい。さあ、明日からは現地調査の開始である。


2008.02.20

明日からヴェトナム、の巻

 しばらくブログを休んだから、どうしてるのか?と思ってくれた方もいると思う。何のタタリか、この3週間、タチの悪いカゼに取り憑かれて難渋していた。治ったと思うとまたぶり返しという連続で、エライ目にあってしまった。今日もまだボーッとしているのだが、とにかく明日からはヴェトナムに行くことになっている。とにかく今日は早く寝て、明日に備えねばならない。

 1月23日(水)
 古い友人のOHさんが九州より久しぶりの上洛。MS氏・NJ氏御夫妻とともに、歓迎の宴。西陣の小洒落た料亭でのひとときを過ごす。

 1月27日(日)〜30日(水)
 入学試験の前期日程。ひたすら、襟を正して待機。

 1月29日(火)
 脇田修・脇田晴子両先生の『物語京都の歴史—花の都の二千年—』ができあがった。私は、同志社大学の鋤柄俊夫准教授とともにこの本の巻頭図版の歴史地図の作成に協力させていただいた。新書としてはムリを言って、歴史地図はすべてカラー印刷にしてもらう。でも、なかなかの出来上がりとなった。今日はその打ち上げの宴。国登録有形文化財にも指定されている洛中の料亭・近又で、ゆっくりとした時間を過ごさせていただく。ありがたや。

 2月1日(金)
 久々の、平安京・京都研究集会の準備会。五月開催予定です。皆様、お楽しみに。

 2月2日(土)・3日(日)
 山中章博士のお膝元、三重大学に出向く。第10回考古学研究会東海例会「古代東海と奈良時代王権」が開かれるのである。のんびりと近鉄特急に乗っていたら、山中博士から電話。なんと、打ち合わせ会はもう始まっているという。あわてて電車を飛び降り、三重大学に滑り込む。
 私に当てられたのは、初日のシンポジウムで「コメント」をやること。例によって何も考えずに行こうかと思ったのだが、山中博士の怒顔を想像するとそういうわけにもいかない。温めていた「聖武・天武両天皇の首都構想」のサワリを話させてもらう。私の持論なのだが、要するに、聖武天皇と天武天皇は難波宮を正都(第1首都)と構想していた、という結論である。思いがけずも山中博士からは、「めずらしくふたりの意見が一致しましたね」との評をいただく。コメントをしてしまうと、あとはひたすらに勉強させてもらう。頭がいっぱいになったところで、おいしいお酒。
 3日の朝、おきると、窓の外は一面の銀世界であった。この日は私の誕生日。ついに49歳になってしまった・・・・
 
 ◎山田邦和「聖武・天武両天皇の首都構想」(第10回考古学研究会東海例会資料集『古代東海と奈良時代王権』所収、津、考古学研究会東海例会、2008年2月)、88〜90頁。
 ○山田邦和「コメント 聖武・天武両天皇の首都構想」 山中章司会、榎村寛之・天野三恵子・大崎哲人・山田邦和「ミニシンポ 文献・考古資料からみた聖武東国行幸」(第10回考古学研究会東海例会「古代東海と奈良時代王権」、於三重大学共通教育190番教室、2008年2月2日)。

 2月10日(日)
 前近代都市論研究会。アスニー山科で、SK大学のKM氏の「平安京都市文化とニオイ」、H大学のFA氏の「五・六世紀の王宮をめぐる基礎的問題」を学ぶ。懇親会は琵琶湖畔に立つドイツからの移築民家のドイツレストラン・ヴュルツブルグで、ドイツ料理。間もなくドイツに遊学される仁木宏さんの壮行会を兼ねる、ということだったが、何か雰囲気がおかしい。ありゃ?と思っていると、おもむろにサープライズ発表がある。いや、おどろきましたが、でも実にめでたい。次のサープライズの時には「3悪トリオ筆頭」某古代史研究者のフレンチカンカン踊りが見られるという約束までとりつけたので、ますますめでたい。

 2月11日(月・祝)
 東京からSH先生が来られるので、じっくりと相談事。

 2月12日(火)
 花園大学の修士論文の口頭試問。私は、四人の主査ということになる。夜は、審査を終わったばかりの院生5人(考古学4、古代史1)と、古代史担当のFA先生、考古学担当のTK先生をお招きして、我が家でささやかな「打ち上げ」をやる。試問が終わったから、みんなホッとしている。巣立っていく彼ら彼女らの前途に幸いあれ!

 さあ、明日は早起き。2月21日(木)〜3月5日(水)の2週間、山中博士のプロジェクト、ヴェトナム・ハノイのタンロン城(昇竜城)の遺跡調査へ参加させていただくのである。はてさて、どうなることか? (うまくインターネットにつながれば、向こうから更新することもありえます。でも保証はできませんので、本格更新は帰国後になります。それでは・・・m(_ _)m) 


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