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2008.12.31

2008年もおしまい、の巻

2008年12月31日(水)
P1100316 大晦日。今年もおしまい。恒例の「第9」を聞きながら、しみじみと今年一年を偲ぼう。今年の「第9」は、ちょっと珍しいものを、と思って、フランツ・リストによる2台のピアノ編曲版を選んだ。第1ピアノがレオン・マッコーリー、第2ピアノがアシュリー・ウェイスによるナクソス盤である。もちろん、ピアノ編曲版なのでオーケストラも合唱もはいらない。しかし、これがなかなかの聴きものである。ピアノの名人であるリストの手によるものだけあって、豪壮華麗な仕上がりになっていて、よくもまあピアノだけでここまでできたものだと唸るほどのできばえである。

 実家の店の大掃除を手伝いに行って、それから下御霊神社にお詣り。境内に護摩壇のようなものがしつらえてあって、あれっ?、と思ったら、そこで儀式が始まった(写真)。信者から供えられた人形<ひとがた>を火にくべて、今年の穢れを払う「大祓<おおはらえ>」であった。これはちょうど良いところに出くわした。私も参列して、今年の厄払いをさせてもらう。

 年越し蕎麦を食べた後、義弟といっしょに祇園さん(八坂神社)の白朮参<おけらまいり>に出かける。ここでも、一年の厄を落とし、新年の多幸を祈る。帰り道で知恩院さんの前を通りかかると、三門が荘厳にライトアップされており(写真)、しばし、みとれる。

 それにしても、今年は時間のたつのがえらく早かったように思う。その割にまとまったことができていないので、これはやっぱり来年に向けて反省、である。

 それでは皆様、どうかよいお年をお迎えください o(_ _)oペコッ。P1100373

2008.12.29

2008年にやったこと、の巻

 2008年12月29日(月)

 2008年ももう暮れようとしている。恒例によって、今年やったことを振り返っておこう。
【著書(分担執筆)】
■京都新聞出版センター編、井上由理子・今西健二・河村吉宏・熊谷栄三郎・黒田正子・高野澄・中村武生・中村勝・永守淳爾・西村彰朗・藤慶之・山田邦和執筆『第4回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2008年4月)(分担頁不記載)
【論文】
■山田邦和「中世京都の被差別民空間—清水坂と鳥部野—」(花園大学人権教育研究センター編『個の自立と他者への眼差し—時代の風を読み込もう—』〔花園大学人権論集15〕所収、東京、批評社、2008年3月)、193〜223頁。
【その他の著作】
■山田邦和「聖武・天武両天皇の首都構想」(第10回考古学研究会東海例会資料集『古代東海と奈良時代王権』所収、津、考古学研究会東海例会、2008年2月)、88〜90頁。
■山田邦和「考古学者スウェーデン皇太子入洛」(丸山宏・伊従勉・高木博志編『みやこの近代』所収、京都、思文閣出版、2008年3月)222〜225頁(「みやこの近代(84)(85)スウェーデン皇太子来洛す(上)(下)」〈『京都新聞』2004年〈平成16年〉7月1日号〈朝刊〉・7月8日号〈朝刊〉掲載、京都、京都新聞社、2004年7月〉の補訂再録)。
■山田邦和「コンスタンティノポリスの思い出」「ニュース」(『土車』第116号掲載、京都、古代学協会、2008年3月)3頁・5頁。
■山田邦和「『源氏物語』の平安京—固定概念にとらわれない真実の姿求めて—」(『京都民報』第2336号〈2008年5月25日号〉掲載、京都、京都民報社、2008年5月)5頁。
■山田邦和「学界消息〜角田文衞氏の訃」(『日本歴史』第724号掲載、東京、吉川弘文館、2008年9月)、139頁。
■山田邦和(監修・文)「リアルイラスト 【鳥瞰】秀吉時代の京都」(『決定版 図説 戦国合戦地図集』〈「歴史群像シリーズ」特別編集〉所収、東京、学習研究社、発行年不記載〈2008年〉)、93〜96頁(「鳥瞰イラスト 秀吉の京都」〈歴史群像シリーズ 戦国セレクション『驀進 豊臣秀吉』所収、東京、学習研究社、2002年4月〉の再録)。
■山田邦和「民族で見る貴州」(西幹夫〈写真〉、黒川美富子〈紀行文編集〉『中国貴州省 少数民族の暮らしと祭り—苗族・トン族・プイ族・老漢族の村々を行く—』所収、京都、文理閣、2008年9月)、213〜222頁。
■山田邦和「平安京大図解」(村井康彦監修、京都新聞出版センター編『平安京と王朝びと—源氏物語の雅び—』所収、京都、京都新聞出版センター、2008年10月)。
■山田邦和「例会要旨 中世都市嵯峨の復元」(『人文地理』第60巻第4号掲載、京都、人文地理学会、2008年)
■山田邦和「森浩一先生の知的格闘技」(『森浩一先生傘寿記念 大寿祝賀文集』所収、枚方、古代学研究会、2008年11月)34頁
■山田邦和「第4回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol4.掲載、京都、京都市生涯学習総合センター、2008年1月)
■山田邦和「第5回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol5.掲載、京都、京都市生涯学習総合センター、2008年4月)
■山田邦和「第6回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol6.掲載、京都、京都市生涯学習総合センター、2008年9月)

【学会・研究会報告】
◎山田邦和「仁明天皇陵とその関連陵墓」(古代学協会「仁明朝史の研究」第2回研究会、於思文閣会館、2008年1月20日)
◎山田邦和「コメント 聖武・天武両天皇の首都構想」、山中章司会、榎村寛之・天野三恵子・大崎哲人・山田邦和「ミニシンポ 文献・考古資料からみた聖武東国行幸」(第10回考古学研究会東海例会「古代東海と奈良時代王権」、於三重大学、2008年2月2日)
◎山田邦和「中世都市嵯峨の復元」(人文地理学会第263回例会「歴史都市の景観復元研究」、於佛教大学四条センター、2008年4月12日)
◎山田邦和「タンロン皇城遺跡出土須恵質円筒形土器の型式変化について」(「GISを用いた東アジア都市・王城遺跡形成史の比較研究」2008年度第1回研究会、於三重大学、2008年6月1日)
【講演、その他】
□「東山地区の歴史」(於ハイアットリージェンシー京都、2008年1月9日)
□「戦国武将ゆかりの地を訪ねる」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於豊国神社と巡検、2008年1月12日)
□「  同  」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於豊国神社と巡検、2008年1月26日)
□「嵯峨は平安〜室町時代にかけて政治の中心だった!」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於嵯峨野コミュニティプラザと巡検、2008年3月22日)
□「  同  」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於嵯峨野コミュニティプラザと巡検、2008年3月29日)
□「山田先生の平安京講座」(JR東海「そうだ 京都、行こう!」イヴェント、於京都アスニーと巡検、2008年3月23日)
□「平安京・京都の歴史を歩く」(京都SKY大学「総合活動コース」、於京都新聞文化ホール、2008年3月25日)
□「京都・歴史から未来へ」(京都市職員研修センター 平成20年度「京都市職員研修」、於京都会館会議場、2008年4月1日)
□「平安京への道」(ラボール学園〈京都勤労者学園〉「日本史講座—歴史のなかの京都と他所(古代・中世)—」、於同学園、2008年4月28日)
□「平安京の天皇陵—大規模陵墓から仏式陵墓へ—」(京都アスニー「ゴールデン・エイジ・アカデミー講座」、於同センター、2008年5月16日)
□「平安京の世界」(京都府立嵯峨野高校社会人講師の講義、2008年6月3日、於京都府立嵯峨野高校)
□「奈良山丘陵の天皇陵」(木津川市・木津の文化財と緑を守る会・興福寺「第5回木津川市ふれあい文化講座」、於木津川市中央交流会館、2008年6月28日)
□「京都の歴史(1)(2)」(京都SKY観光ガイド協会「京都SKY観光ガイド養成講座」、於はーとぴあ京都、2008年7月4日)
□「ブライトンから見る平安京と源氏物語」(京都ブライトンホテル「第20回京都ブライトンホテル協力会 定期総会」、於同ホテル、2008年8月26日)
□「洛中洛外図に見る京都」(京都SKYセンター、於京都新聞文化ホール、2008年9月10日)
□「清水寺・地主神社」(姫路市教育委員会「平成20年度市民教養講座・歴史講座Cコース 世界遺産の寺社を訪ねる 第6回」、於姫路市文化会館、2008年9月22日)
□「伏見城と城下町を復元する」(聖母女学院短期大学「秋の公開講座・伏見学」、於同大学、2008年10月18日)
□「王朝貴族と平安京」(下京区身体障害者団体連合会「平成20年度福祉のつどい」、於京都東急ホテル、2008年11月2日)
□「現地見学」(姫路市教育委員会「平成20年度市民教養講座・歴史講座Cコース 世界遺産の寺社を訪ねる 現地見学」、清水寺・醍醐寺・東寺巡検、2008年11月7日)
□「平安京」(於祇園「福島」、2008年11月18日)
□「源氏物語を歩く 第4回 源氏・別れの舞台」(京都新聞文化センター、嵯峨野方面巡検、2008年11月22日)
□「源氏物語を歩く 第5回 千年の時空を超えて・平安宮の旧跡を辿る」(京都新聞文化センター、平安宮跡巡検、2008年12月20日)
□「日本国第一の大天狗・後白河院の謎多き肖像に迫る!」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於今熊野観音寺と法住寺殿跡巡検、2008年12月21日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第6期「平安王朝の諸相」(京都新聞文化センター、於同センター、2008年1月25日、2月8日、3月28日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第7期「院政期の京都」(京都新聞文化センター、於同センター、2008年4月25日、5月23日、6月27日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第8期「保元・平治の乱」(京都新聞文化センター、於同センター、2008年7月25日、9月26日、10月3日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第9期「平治の乱と源平合戦」(京都新聞文化センター、於同センター、2008年10月17日、12月26日)(2009年に継続)
□「平安京・京都の歴史を歩く(20)初期摂関時代の京都」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2008年1月11日、2月1日、3月14日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(21)初期摂関時代の展開と御室仁和寺」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2008年4月11日、5月9日、6月13日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(22)平安王朝の爛熟」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2008年7月11日、9月12日、9月19日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(23)藤原道長の栄華」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2008年10月10日、11月14日、12月12日)
【展覧会担当】
△「DWCLAの誕生—今に受け継がれるリベラル・アーツの精神」(同志社女子大学史料室第14回企画展示、於同志社女子大学今出川キャンパス ジェームズ館・史料室、2008年11月21日〜2009年7月31日)(2008年度同志社女子大学史料室運営委員会委員としての分担)
【社会活動】
▼財団法人古代學協會 評議員
▼財団法人古代學協會 古代文化刊行委員会 編集委員
▼平安京・京都研究集会世話人
▼文化史学会監事
▼京都民俗学会監事
▼有限責任中間法人日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会全国委員
▼京都市環境影響評価委員

 うう〜〜〜。これはヤバイ。「論文」が1本キリに終わってしまった(しかも、これも、純粋な学術論文とは言い難い・・(゚ー゚;)。一昨年は4本、昨年は6本だったから、明らかに失速である。成稿した論文ならば何本かある、とか、単著の論文集の刊行のメドがついた、というのは言い訳にはならないだろうな。確かに、今年はスランプ状態に陥っていたような気がする(´・ω・`)ショボーン。
 来年はひとつ、褌を締め直してがんばろう!!!

2008.12.22

朽木の池の沢遺跡から若狭へ、の巻

12月13日(土)
Ikenosawa いささか二日酔気味で寝過ごしていたら、ウチの奥様がどうしても、滋賀県高島市朽木の「池の沢遺跡」の現説に行きたい、と言い出す。たしかに、平安時代末期から鎌倉時代初期の頃に作られた庭園遺跡の傑作だということは、地元出身のHK君から以前に聞いた事がある。よし、行くか、ということで京都から若狭へ通じる、いわゆる「鯖街道」に沿った朽木とでかける。
 行ってみて、確かに良かった。これはすばらしい遺跡である。古代末〜中世初期の大規模な庭園遺跡が、そっくりそのままといってよいほど良好な状態で残っている。平安京内の貴族邸宅の庭園遺跡はズタズタになっているものがほとんどであるし、寺院の庭園は後世に改変されているものが多い。その点、この池の沢遺跡は、池の跡は窪地となって明瞭に判別できるし、庭石も露出していたらしい。要は、落ち葉とわずかな表土を掻き分ける程度で庭園遺構を検出することができるのである。それに、池に注ぐ泉はまだ生きていて、清らかな山水をサラサラと生み出している。それが、石組みの水口を経て、数十m下の安曇川に瀧となって落ちていくのも圧巻である。この遺跡は、古代・中世の庭園研究の基本となるに違いない。
 この遺跡はおそらく平安貴族の山荘だったのであろうが、いったい誰がこんな庭園を築いたのだろうか。興味津々である。

 池の沢遺跡見学を終えて、朽木で「十割蕎麦」と鯖寿司のセットを頼む。値段は張ったが、味はよかった。それから、朽木陣屋跡と資料館を見学。
 そのまま帰洛しても良いのだが、急に気が変わった。ここまで来たのだから、ひさしぶりに若狭に抜けてみよう。と、いうことで、昔ながらの街道町の面影を残す若狭熊川宿で遊びながら、たらたらと山越えをする。いぜんの上中町の役場の一部を改装した若狭町歴史文化館では、有名な十善の森古墳の冠帽に出会う。それから、須恵器の「脚付連結壺」の新例にも出会う。東海地方特産の脚付連結壺がこんなところにも出ているなんて知らなかったぞ。さらに、若狭の一宮の若狭姫神社に参拝、ひさしぶりの福井県立若狭歴史民俗資料館を見学する。

Tutimikado 京都へ抜けるために、福井県おおい町の旧・名田庄村を通ることにする。名田庄というと、昔なつかしい高石ともやとザ・ナターシャ・セブンを思い出してしまうが、それとともにこの地は陰陽道の土御門家関連史跡の宝庫である(写真)。前から行ってみたかったのだが、やっと念願が果たせた。資料館である暦会館では、京都の梅小路の土御門家の邸宅指図の存在を知る。うんうん、なかなか収穫だぞ。実務家貴族である土御門家が室町時代にこの地に下向して荘園経営をおこない、しかもまったく土着するのではなくてしばしば京都と往復していたというのは、中世の京都の貴族のありかたに面白い示唆を与えるものだと思う。

2008.12.21

河内大塚山古墳を見る、の巻

 12月10日(水)
P1090531
 考古学・歴史学の16の学会連合の要望に応えて、宮内庁も陵墓の調査の公開に少しづつ前向きにとりくんでくれるようになってきている。もちろん、私たちの立場からしたらまだまだ不十分ではあるのだが、それでも以前に比べると隔世の感であることは確かである。今回、大阪府松原市の河内大塚山古墳(大塚陵墓参考地)の立会調査の見学が許されることになった。
 この古墳は全長330mの超巨大古墳で、従来から「謎の前方後円墳」と言われてきた。以前はこれを雄略天皇の真陵に宛てる説がほぼ通説となっていたが、雄略天皇陵だとすると古墳時代中期の5世紀後半だということになる。最近では、それよりも古墳時代後期後半の6世紀後半に降るとする説が有力となってきているし、私もそれが正しいと思う。そうすると、奈良県橿原市五条野丸山古墳(見瀬丸山古墳)と並んで、古墳時代後期後半に築造された、ただふたつの超巨大前方後円墳ということになり、その時代の歴史を考える上で最重要の古墳だということになる(ついでに言ってしまおう。よく、河内大塚山古墳を大阪府高槻市今城塚古墳と奈良県五条野丸山古墳の間に編年している考古学の本があるが、これは根拠薄弱である。知られている資料による限り、五条野丸山古墳と河内大塚山古墳の間にはそんなに時期差を考えることはできないと思う。それから「江戸時代、河内大塚山古墳の前方部の上には村があった。だからこの古墳の前方部は大幅に削平されている」とされることも多いのであるが、私見では、これも、ムリ。)。しかし、この古墳についてはほとんどデータが無く、その位置づけについては従来から頭を悩ませてきたのである。
 行ってみると、前方部の西端にあって周濠をまたぐ渡り堤の部分が調査されている。ちゃんとした検討は宮内庁の正式報告と、来年度に予定されている反対側の渡り堤の調査の成果を待たねばならないので、まだ軽卒なことをいうべきではないが、この発掘の結果には仰天した! この謎の古墳の位置づけが、よりはっきりしたように思う。 

 それから、地元研究者のNT氏のご案内で、河内大塚山古墳周辺のあちこちを見学。山中章博士に捧げた柴籬神社(しばがきじんじゃ)の「歯磨き面」はこの時に行ったものである。
 皆さんと別れてからは、大阪市立美術館での「三井寺展」を見学。会場への道で同僚のRT客員教授と、また会場内ではR大学のFK客員教授と、それぞれバッタリ。今後数十年は見る事ができないかもしれない秘仏群との出会いに、感動する。

2008.12.18

その時歴史が動いた第346回「平安京誕生」の巻

12月18日(水)
Captur1 NHKの「その時歴史が動いた」、今回は「平安京誕生—千年の都に秘められた苦闘—」でした。どなたはんが出はるんかいな、と思っていたら、山中章博士だったんですね。ををっ! カッコいい〜〜〜!!(^Д^)。いつもはこの番組、ゲストと称してケッタイな作家はんとかを出すことが多いのですが、今回は専門家の中の専門家の井上満郎先生(京都産業大学教授)で、結構なことでした。さらに、書架の前で研究にいそしむSM博士のお姿まで拝見することができました。

Capture6←しかし、早良親王の怨霊のこの無惨な姿は、ちょっと酷いと思います・・・・

2008.12.10

文化史学会大会で高橋昌明先生を聞く、の巻

 12月6日(土)
Takahasi 恒例の「文化史学会」大会。つまり、同志社大学文学部文化史学科が母体となって結成している学会である。小さいけれども、雑誌『文化史学』の刊行を着実に続けているし、同志社大学の文化史の卒業生の懇親を深める場としても機能している。私は監事を仰せつかっているので、数日前には事務局にでかけていって領収書と帳簿の首っ引きをやった。どちらも完璧で、めでたしめでたし。
 例年ならばこの大会では研究発表も聞くのだが、所用のためそちらは欠席。公開講演だけにかけつける。どうしても聞き逃せないのは、神戸大学名誉教授・高橋昌明先生が御登壇で、「平家都落ちの諸相を話されることになったのである。高橋先生、滋賀大学から神戸大学という国立大学の教授を永く勤められていた(今春、無事退官されて名誉教授となられた)のであるが、御出身は同志社大学の文化史であり、滋賀大学に迎えられる前には同志社高校でも教鞭をとっておられた。私にとっては、母校での大々々先輩ということになる。先生、普段は口に出されないのであるが、お酒が進んだ時などには同志社に対する熱い想いを語ってくださることがある。
 会場には早く着きすぎたが、しばらく待つと、KJ大学のNM教授も聞きにこられる。ウチの奥様もやや遅れて合流。
 高橋先生の御講演は、さすがにリキの入ったものである。平家都落ちという、わずか一ヶ月程度の大激震を、ひとつひとつ克明に分析される。その中で、あらゆる障害をモノともしない後白河法皇の強烈な意思の貫徹を強調されたところなど、従来の優柔不断な後白河法皇像を一変させるものではなかろうか。「朝敵」という言葉が本来の漢語ではなく、おそらく源頼朝の造語だなんて、まさに目からウロコ、である。終了後は、懇親会。高橋先生は、ここぞとばかり待ち構えていた大学院生連中に取り囲まれて質問攻めにあい、ちょっとしたスター並みである。とっても満足の日、だった。
 
Ts2d0032_2←12/9。ウチの奥さんと食事に出ようと思ったら、お気に入りの中華料理屋さんはもう閉まっていた(;ω;)。しかたないので奥様御勧めのフレンチにしようとしたら、そちらも臨時休業。あらら。ふと見ると、そのフレンチの隣にインド料理(+ネパール料理)レストランのTAJ MAHALという店がある。たまにはインド料理もいいか、というのではいってみる。おおきなおおきなナン。焼きたてで、とっても美味。左側は、ネパール風のシューマイ。
P1090359←これは、裏寺町の四条にあるフランス料理店、キッチン今村亭。ダンナさんと女将さんのふたりだけでやっている小さな小さなお店である。昔々はよく行ったのだが、どういうわけか足が遠のいており、今回は久しぶりの訪問となった。昔と味が変わっていたらどうしよう、と思ったのだが、杞憂だった。決してゴージャスではないが、心のこもった絶品のフランス料理を出してくれる。おいしかった〜〜(o^-^o)

2008.12.05

西大寺で遊ぶ、の巻

山中章博士も中国から無事に帰国し、バリバリと仕事を片付けていっている御様子、まったく御同慶のいたりである(^Д^)。この分だと未来は明るいぞ。

 12月1日(月)
 出勤するために近鉄電車に乗ったら、ついウトウトとしてしまい、ハッと目を覚ますと新田辺駅でドアが閉まるところだった(つд⊂)。授業疲れで帰りの電車で寝過ごすことはしばしば経験しているが、往路でこんなことは始めてだ。これも、復路であれば京都駅が終点だから、そんなに実害はない。しかし往路となると、この電車は急行だから、次の新祝園駅で降りて引き返さなくてはならないことになる。
P1090374_2 しかし、転んでもタダで起きず、地頭は倒るるところに土を掴め、崖から落ちてもキノコを採って這い上がれ、と、いうほど大げさではないのだが、せっかく乗り過ごしたし、今日の授業にはまだ時間があるから、そのまま奈良まで行ってしまうことにした。最近、直木孝次郎氏の論文を読んで称徳天皇陵についてちょっと勉強してみたので、久しぶりに西大寺を訪れる。いうまでもなく、これは奈良時代後期に称徳天皇が創建した巨大寺院である。
 やっぱり行ってみるもんだね。もちろん、始めて来たというわけではないのだが、今まで知らなかったことばかり。愛染堂では、叡尊上人サマ(興正菩薩、というそうだ)の木像にお目にかかる。中世前期に大活躍したお坊さんであり、京都でもあちこちでこの方の事績に出会うことができる。現境内から少しはなれたところの奥の院は、この人の墓所。堂々とした立派な五輪塔に感銘を受ける。
 本堂の前の巨大な東塔の基壇(写真)を眺めていて、周囲に八角形の石列が並んでいることに気づいた。ふ〜ん、と思いながら説明板を読んで、たまげた。この塔、もともとは八角九重塔として建て始められ、それが途中で方形塔に変更されたのだという。八角九重塔といえば平安時代後期に建てられた京都の法勝寺のものが有名なのだが、それより数百年前に西大寺には同様の巨大タワーが計画されていたのである! 称徳天皇という人、単なる異常性格の困ったバアさんかと思っていたのだが、それだけで済ませたら気の毒だということがよくわかった。
 それから、四天王堂にはいる。薄暗い中に安置されている四天王像の邪鬼は称徳天皇時代のものだという。ほうほう、なるほど。その真ん中の十一面観音像を見て、圧倒された。身長6mを超える巨大像である。これは凄い。しかし、解説を読んで、またまたぶっ飛んだ。この像、もともとは鳥羽法皇が造らせて京都の法勝寺に安置していたものを、亀山上皇の命によってこの西大寺に移したのだという。つまりこれは、院政期の白河・六勝寺の重要な構成要素の仏像なのである。偶然とはいえ、またまたここで法勝寺が出てきた! この巨大な彫刻、やっぱり院政期の破天荒な文化的風潮が生み出したものなんだな。
 こんなことがあると、電車の乗り過ごしも悪くないな。これからちょくちょく寝過ごしてみよう( ̄▽ ̄)。もっとも、授業に遅刻すると困るけれども。

2008.12.01

百舌鳥御廟山古墳を見、ゲルギエフを聴く、の巻

P109031311月28日(金)
 現在も、宮内庁によって天皇・皇后や皇族の陵墓に治定(「ちてい」ではなく「じじょう」と訓む)されている古墳や遺跡や建造物には、原則として立ち入ることはできない。これが考古学・歴史学研究への大きな障害となっているのは周知の事実である。そこで、考古学や歴史学の学会では、この30年の間、共同して宮内庁に陵墓公開を求めてきた。なかなか宮内庁のガードは固いのだが、最近では少しそれに変化も見えてきた。
 と、いうことで、今回は宮内庁の「陵墓限定公開」として、大阪府堺市の百舌鳥古墳群にある百舌鳥御廟山古墳(宮内庁では「百舌鳥陵墓参考地」と呼ぶ)が選ばれた。各学会から合計40数人が参加。私は、(財)古代学協会の陵墓担当の資格での参加である。
 今回の陵墓限定公開の特徴は、百舌鳥御廟山古墳の墳丘裾部の発掘調査を、宮内庁と堺市埋蔵文化財センターが「同時調査」をおこなっており、堺市による調査地は市民への公開がなされる、ということである。なぜこんなことになったかというと、百舌鳥御廟山古墳は墳丘部だけが宮内庁管理であり、周濠は堺市管理の民有地であるからである。宮内庁と堺市は綿密に打ち合わせして調査にはいったということであり、一本のトレンチ(試掘溝)が、境界線を境にして宮内庁分と堺市分とに分かれている。この場合、もちろん土層断面図などは一続きになるものが作成されるはずだし、遺物も場合によっては両者の調査のものが接合するということもありうる。そして、墳丘に接した部分に堺市が見学用の仮設通路を設置しており、11月29・30日にはこれを市民の方々にも公開する、ということになっている。
 我々も、この仮設通路からの見学ということになり、トレンチに近づくことに限界があったので、いささか隔靴掻痒の気分である。このことを陵墓公開の退歩とみるか、堺市との同時調査と市民公開という点を評価して陵墓公開の進歩と見るか、いささか悩ましいところである。でも、埴輪列や葺石が綺麗にでているところがあり、これは堪能する。
 見学終了後には、みんなで堺市博物館を見学し、その一室をお借りして討論会をおこなう。
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 さて、討論会終了後には、ビールの誘惑に後ろ髪を引かれながらも帰洛を急ぐ。京都コンサートホールに滑り込み、頭を古墳から音楽に切り替える。「京都の秋音楽祭」の掉尾を飾るロンドン交響楽団の演奏会があるのである。指揮は、今、人気絶頂のワレリー・ゲルギエフ。曲目は、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」(ピアノ:アレクセイ・ヴォロディン)とプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」組曲である。あれっ、と思うと、私の目の前の席にはKF大学のIN教授が座られる。幕間にロビーに出ると、某古代史研究者ことKMさんに声をかけられる。NHさんとご夫婦で来られているとのこと。
 ヴァイオリンを両翼に配置し、チェロやコントラバスを向かって左手に、金管楽器を向かって右手奥に島状にかためるのはゲルギエフの趣味だろうか? あんまり見たことのない楽器配置である。オーケストラはやっぱり凄い。クライマックスでは身震いがするほどの迫力である。ラフマニノフでのピアノは若いピアニスト。初めて聞く名前なのだが、ゲルギエフに同行するくらいだから注目株なんだろうな。ただ、ちょっとピアノがオケに呑まれてしまったような感を受けたのは残念(ピアノのアンコールのショパンのマズルカのロマンティックな演奏は良かった)。ゲルギエフの指揮は指揮棒が無く、10本の指をヒラヒラさせながらなので、なんだかピアニストがふたりいるようなイメージを受けてしまった。プロコフィエフは管楽器が活躍する曲だけに、ロンドン響の名手の妙技が炸裂。チューバなんか、度肝を抜かれるほどの圧倒的な存在感だった。
 どうでもいいことだが、チェロの真ん中の黒髪の女性奏者、なかなかの別嬪さんだった。また、コンサートマスターはなんだか若き日のウラディーミル・ホロヴィッツを想わせる風貌の人。ホロヴィッツがヴァイオリンを引きまくっているようで、なんだか可笑しかったヘ(゚∀゚ヘ)。

 ロンドン交響楽団を聞くのは、実は約30年ぶり。ただ、前の機会の指揮者は、当時は「幻の指揮者」と言われていた故セルジュ・チェリビダッケだった。チェリさんを聞いたことがある、というのは、今ではちょっとした自慢かもしれないな┗(^o^ )┓。
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P1080987←11月18日、祇園のお茶屋「福島」に招いてもらって「平安京」のミニ講演。祇園だということで、祇園歌舞練場の裏側の崇徳天皇廟をネタにすると、聞いてくれた人の中に「自分の先祖は崇徳上皇が讃岐に流された時に同道した従者だったと伝えられている」という方がおられて、びっくりびっくり。拙い講演の後は、すばらしい京料理と舞妓・芸妓さんの踊りを堪能。

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