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2009.01.25

古市古墳群と豊臣秀吉と、の巻

 正月以降、ずっとノドを痛めていた。ホント、しつこい風邪である。三週間近くのガラガラ声だったのだが、やっとマシになってきたぞ。どうしてこうノドが弱いのかな・・・・

P1100586 1月16日(金)
 大阪府松原市と藤井寺市にまたがる河内大塚山古墳にでかける。しかし、阿倍野橋で急行と準急を乗り間違えてしまい、さらには待ち合わせ場所も間違ってしまい、大幅に遅れてしまう。申し訳ありませんでしたm(. ̄  ̄.)m。
 I大学のMM名誉教授と食事のあと、せっかくここまで来たんだから、津堂城山古墳も見学。後円部頂上だけが陵墓参考地になっており、中世の城郭の建設によって墳丘はかなり原形を損ねているが、さすがは古市古墳群の開始を飾る巨大古墳である。横にあるミニ資料館兼休憩場所も充実。
 藤井寺の駅に戻り、これもせっかくだから欲張って、西国三十三ヶ所第五番札所の葛井寺に参詣。驚いたのは、山門の前に、「遣唐留学生井真成(葛井真成)生誕之地」の木標と、「おかえりなさい藤井寺へ いのまなりくん」という可愛らしいイラストの看板があったこと。井真成というのは、2004年に中国・西安市で墓誌が発見され、遣唐使として渡海して異国で亡くなったとして大きな話題を呼んだ人物である。この墓誌と井真成という人物についてはまだまだ検討の余地が残っていると思うのであるが、藤井寺市ではすっかり「郷土の英雄」扱いになっているんだな・・・・
 もうひとつ驚いたのは、岡ミサンザイ古墳の東側に建てられている、藤井寺市生涯学習センター「アイセル・シュラホール」。なかなか充実した考古学展示室があって勉強になるし、また、井真成の墓誌の精巧なレプリカも展示されているのは貴重である。それはいいのだが、建物が「市内から出土した古代の木ぞり「修羅」と、古代船の埴輪の形を組み合わせた姿をイメージしたもの」だという(写真)。しかし、この建物、ガミラスの侵略の際にはイスカンダル星へコスモクリーナーをもらいにいくため、波動エンジンが点火して宇宙に飛び立つとしか思えないぞ(笑)。

 1月19日(月)
 同志社大学学際科目「シルクロードの歴史と文化」のゲスト・スピーカーとして出講。この科目、10年ほどずっと分担していたのだが、今年からは本務校の都合で退任させてもらった。それへのゲストであるから、喜んでやらせてもらう。一般公開授業にもあたっているので、市民の方々もかなり参加されておられる。
 テーマは何にしようかな、と考えたのだが、ちょっと目先を変えて、シルクロードの終着点をとりあげることにして、「世界の十字路・コンスタンティノポリス」とした。古代ローマ帝国から中世ローマ帝国、そしてオスマン帝国と、1000年以上にわたって世界帝国の首都となってきた巨大都市であり、世界中でもこれほど憧れに満ちた都市は(日本の京都を除くならば)ちょっと考えられない。かなり以前になるが、私もこの町を訪れ、ウチの奥さんと一緒に、足を棒にしながら歩き回ったものである。ただ、ノドがまだガラガラで聞きづらかったであろうことは聴衆の皆さんには申し訳なかった。

 1月24日(土)
 JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』のイヴェントに出講。いつもは講演と巡検をセットにするのだが、今回はひとつ趣向を変えて、歴史地理研究者の中村武生氏と「豊臣秀吉と京都」をテーマにしたシンポジウムをすることになる。あらら。中村氏は京都の御土居の専門家として知られる研究者だから、ヘタは打てないぞ。と、いうことで、前日までいろんな図書館に籠って豊臣秀吉について予習。やっぱり、いままで気づかなかったことがいろいろ発見できて面白い。よく言われる「秀吉はなぜ征夷大将軍にならなかったか?(またはなれなかったか?)」というテーマについても、従来の諸説のアラがだいぶ見えてきたし、自分なりのささやかな仮説もたてることができそうだ。本番では、中村氏の適切なリードによって、気持ちよくしゃべらせてもらう。ありがたいことである。

【書いたもの】
■山田邦和「長岡京・平安京と陵墓」。永井路子・朧谷寿(出席者)、山中章・山田邦和(司会)「座談会 長岡京から平安京へ—光仁・桓武・嵯峨朝の世相—」。清水みき・仁藤敦史(司会)、網伸也・榎村寛之・河角龍典・中島信親・三上喜孝・吉川真司(パネラー)、朧谷寿・永井路子・山田邦和・山中章(コメント)「討論 長岡京時代を考える」(国立歴史民俗博物館編『桓武と激動の長岡京時代』〈歴博フォーラム〉所収、東京、山川出版社、2009年1月)200〜211頁、5〜30頁、125〜146頁。
【しゃべったこと】
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第9期「平治の乱と源平合戦」(京都新聞文化センター、於同センター、2009年1月23日)(2008年より継続)
□「世界の十字路・コンスタンティノポリス」(同志社大学学際科目2「シルクロードの歴史と文化」ゲスト・スピーカー〈授業の一部公開〉、於同志社大学京田辺校地、2009年1月19日)
□山田邦和・中村武生「歴史フォーラム 豊臣秀吉と京都」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於本能寺会館、2009年1月24日)


2009.01.11

研究初めの百舌鳥古墳群と大御堂観音寺、の巻

 1月9日(金)・10日(土)
 年始年末は大変だった。最近は俳人となられた山中章博士の名句「初詣 祈る心に 風痛し」さえも、私のように僻み根性で見るならば、「通風が痛くなるように」という呪詛だと解釈されてしまうのである。さらにノドをやられて、年初の授業では声がでなくて四苦八苦してしまう。
 RityuuTinooka とはいうものの、今年の「研究初め」。朝日カルチャーセンターのの講義をやってから、バタバタと大阪に向かう。大阪府堺市の百舌鳥陵山古墳(石津丘古墳ともいう)、つまり宮内庁治定の履中天皇陵、日本第3位の巨大古墳である。久しぶりに来たのだが、周囲を回るとさすがにデカいな。渇水期で、西側の造り出しがよく見えているのも面白い。少し時間があったので、TB大学のOT教授、H県A市教育委員会のMH氏、H県立考古博物館のY氏等とともに、ついでに乳の岡古墳へと足をのばす(写真右)。巨大古墳揃いの百舌鳥古墳群の中にあるから目立たないが、全長155mの堂々たる大古墳である。しかも、百舌鳥古墳群の中では一番最初に築造されたと考えられているから、この古墳群の性格を考える上でも無視できない遺跡である。
 昼飯を食いそびれていたので、皆さんと別れてから、乳の岡古墳近くで見つけた回転寿司屋にとびこんで遅い昼食。中途半端な時間なので客は私ひとりだったが、なかなか良いネタをそろえた、おいしい店だった。

Oomidou 土曜日の朝に外を見ると、みぞれ混じりの雪が降っていた。どうしよう、サボろうかな、とも思ったが、大学へ向かう。OH教授、AT准教授とともに、ウチの大学の「京都研究会」の見学会におつきあい、である。まずは同志社大学京田辺キャンパスを通り抜け(これがまた広いんだな・・・)、同志社のちょうど西側にある、大御堂観音寺<おおみどう・かんのんじ>へ行く。鄙びた小さな寺だが、実は奈良時代に創建された古刹で、本尊十一面観音菩薩像は天平彫刻の逸品で国宝に指定されている。国宝の観音さまは、日本でもわずか6体しかないという。ウチの学生諸君に聞いても、この寺には始めて来る、というのばかりである(私も久しぶり)。京田辺市には史跡が何も無いと思っている諸君も多いが、大学から歩いてこれる範囲にこんなすばらしい仏像があるのだから、見ておかなきゃソンだよ。
 それから、今度はみんなで酬恩庵一休寺へ向かう。いうまでもなく、室町時代の名僧・一休さんのお寺である。これも、せっかく京田辺にあるのに、学生諸君は始めてくる、という人ばかり。おいおい、もったいないぞ。一休さんは実は後小松天皇の皇子だから、その墓は宮内庁が管理して「宗純王墓」という厳めしい形になっている。方丈に安置される一休禅師木像は、その生前に作られたという逸品。

【書いたもの】
■山田邦和「銅鏡の国」(宮崎興二・小町谷朝生・細矢治夫編集『日本文化のかたち百科』所収、東京、丸善 、2008年12月)、494〜497頁。


2009.01.03

梅宮大社初詣、の巻

1月3日(土)
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 3匹のおトボケ犬(左から、ルーク、マック、クイール)からもご挨拶。あけましておめでとうございます m(_ _)m
  
 今年の初詣はどこにしようか、と考えていたが、梅宮大社にいくことにした。近頃ごぶさたである、という以外には特に理由はない。
 梅宮大社は、橘氏の関連の古社である。お酒造りの神様であるから、私も日頃お世話になっている、ということになる。檀林皇后・橘嘉智子が仁明天皇を産む時の安産の神様である、という伝承をも持っている。現在、古代学協会で「仁明朝史研究会」をやっているから、こちらからしてもまんざらゆかりがないわけではない。
 本殿は修理中で、神様は脇の仮本殿に御動座中であるが、本殿の屋根は綺麗に吹き替えられていて檜皮の色が美しかった。恐る恐る、おみくじを引いてみる。かつて、おみくじを引くと二回続けて「凶」がでたことがあるから、ちょっとトラウマになっているのである。幸い、ここでは「大吉」。良かった良かった。


2009.01.01

2009年謹賀新年、の巻

P1100385 2009年1月1日(木・祝)
(←我が家のささやかなおせち料理) みなさま、あけましておめでとうございます。ブログの場を借りまして、ご挨拶申し上げます。

 昨年はチベットの民衆蜂起とそれに対する中国政府の残虐な弾圧から始まり、秋にはグルジアにおける南オセチアの紛争、世界的金融危機とその日本への波及、さらにはイスラエルのパレスチナ・ガザへの空爆という暗いニュースの中で年末を迎えました。そして、パレスチナの悲劇は、新年を迎えた今もまだ継続中です。近い将来、人類がこのような愚行の繰り返しを回避できる日がくることを心より念じております。

 今年は、永らくの懸案となっておりました第2論文集『京都都市史の研究(仮題)』の刊行をようやく果たせる見込みとなりました。また、それに引き続いていくつかの研究成果も開陳できると思います。牛歩のような歩みではありますが、着実に進んでいきたいと思っております。

 今年一年が、皆様にとっても良い年となりますように・・・・・・ m(_ _)m。 


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