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2009.02.27

ペキニーズいっぱい、の巻

P1110083
 2月22日(日)
 神戸の鈴蘭台のドッグカフェCandyCandyにおいて、ペキニーズ・オフ会がおこなわれるというので、ウチの三匹をつれて出かけてみる。とはいっても、オフ会なんて何をやるのか、まったく見当もついていない。少し早い目に着いて待っていると、続々とペキニーズたちが到着。結局、30匹近くのペキが集まったことになる。マック、クイール、ルークも楽しそうに遊んでいる。白黒のペキニーズはクイールひとりだけ。ルークのようなブラックペキニーズは数匹いる。その中に、顔がルークそっくりの仔がいた。むこうさんは足先が白いのだが、それがなかったらどっちがどっちかわからないぞ。驚いたのは、とっても大きなフォーンのペキニーズがいて、それが実はマックの年上の甥にあたるのだという。しかしこの2匹、なかなか仲良くならず、しばらく睨み合って(写真中央)からいきなり吠えだす。オイオイ、覇権争いなんかするなよ・・・
 くたびれましたが、面白い経験でした。ウチの三匹も疲れ果ててぐったり。でも、また行ってみよう・・・・

2009.02.23

伏見城跡立ち入り調査、の巻

P1100969(写真:明治天皇陵への正面階段。伏見城跡の増田郭の南面にあたる)
 2月20日(金)
 翌日の新聞やテレビニュースで既報で、あちこちに私の談話やインタビューもでていたようだが、大阪歴史学会・京都民科歴史部会・考古学研究会・古代学研究会・古代学協会・史学会・地方史研究協議会・奈良歴史研究会・日本考古学協会・日本史研究会・日本歴史学協会・文化財保存全国協議会・歴史科学協議会・歴史学会・歴史学研究会・歴史教育者協議会の16学協会による、第2回目の「陵墓立ち入り」が、宮内庁の許可と案内のもとでおこなわれた。午前中には奈良市の佐紀陵山古墳(宮内庁治定の、垂仁天皇皇后日葉酢媛命陵)、午後には京都市伏見区の通称「桃山陵墓地(または桃山御料地)」内に所在する伏見城跡に立ち入りが許された。雨に祟られたのはいささか残念。立ち入り調査の成果については、近い将来に16学協会によって報告会がおこなわれる予定であるし、また16学協会のそれぞれの媒体によって公表されるであろうし、それを待たねばならない。ただ、伏見城跡の立ち入り調査で感じた私見を述べることは現時点でも許されると考える。

 ◎16学協会の陵墓公開運動にとっては、陵墓に秘められた古墳以外の文化財に目を向けたという点で、画期的。
 ◎しかし、これまでも学術的な研究グループの要請に応えて伏見城跡への立ち入りが認められた例もあり、同遺跡に立ち入るのは16学協会が始めてではない。
 ◎今回の立ち入りでも、判明した諸点は数々ある。しかし、短時間の立ち入りで何かの謎がパッと解明できると考えるならば、それは誤りである。わかったことよりも今後の課題が増えたというのが正確。
 ◎今回の公開にこぎつけるまでには、予想しがたいさまざまな困難にぶつかった。それがひとつひとつ解決されて今日の日をむかえることができたのは、この運動にかかわったメンバーや関連の諸司の努力と善意の賜物である。この運動に関心を持つ方々は、そうした苦労にも思いを馳せてほしい。
 ◎「明治天皇陵」に立ち入ったと誤解されている向きもあるが、これは誤りである。私たちが入れてもらったのは、広大な、通称「桃山陵墓地(または桃山御料地)」の中の、明治天皇陵や昭憲皇太后陵を除く部分である。
 ◎私たち参加者は、個々の思想の違いを乗り越えて、同じ人間の永眠の地として、明治天皇や昭憲皇太后の山陵に対して礼を尽くした。
 ◎私の談話も新聞に出ていたが、私の真意とはズレを感じた。マスコミへの対応の難しさをつくづく感じさせられた。
 ◎宮内庁は、私たち学会側の、時にはワガママな要求に対して、真摯かつ親切に対応していただいた。私は、それに心より感謝している。

2009.02.19

朧谷壽先生最終講義、の巻

 山中章博士は今度はレバノン。あちらでずっと調査にたずさわっているTSさんに呼ばれたそうだが、ホント、忙しい人だな。

Photo 2月14日(土)
 わが同志社女子大学の「顔」ともいえる名物教授だった朧谷壽先生が、今年度で定年退職を迎えられる。それを記念して、最終講義「摂関家の確立—道長と望月の歌」がおこなわれた。会場は今出川キャンパスに新装オープンした純正館。一般公開だから、市民の方々にわが大学を紹介するのにも良い機会である。なお、私にとっては、今を去ること32年前、私が同志社大学に入学して最初の授業だったのが、当時は非常勤講師をつとめておられた朧谷先生の「基礎演習」だった。私としては、それからずっとお世話になりっぱなしである。なお、2年前に私が同志社女子大学に移籍したのも、形式上では朧谷先生の後任というわけではないのであるが、実質的にはそれに近い人事であった。
 会場は、大入り満員だった。300人入る大教室が用意されたのであるが、あとからあとから人々が詰めかけ、補助席を出しても出しても追いつかない。おそらく450人くらいは入っていたのではないだろうか。朧谷先生の人気のほどがうかがえる。開口一番からユーモアにあふれた語り口で、たちまちのうちに聴衆をグッと掌握してしまう話術は先生ならではの名技である。
 夜は、全日空ホテルに場所を移し、大学の有志による「朧谷先生を励ます会」。事実上の退任記念パーティである。それにしても、我が大学にこれだけ芸達者がそろっているとは思わなかったぞ。
 楽しい一日であった。朧谷先生、これまでどうもご苦労様でした。今後ともなにとぞよろしくご指導くださいますよう、お願いいたしますm(_ _)m。

 2月15日(日)
 大阪で、前近代都市論研究会。いつもながらの楽しい学びの場。懇親会は、仁木宏さんが見つけてきたちりとり鍋のお店「えい吉」。ちりとり鍋? それなんじゃ? と思ったのだが、大阪・鶴橋で生まれた、いわば韓国風のホルモンすき焼きだという。唐辛子の許容量が人より少ない私としてはちょっと警戒したのだが、箸をつけてみるとこれが大変美味である(写真下)。終了後のおじや(雑炊)も含めて、いくらでも胃袋にはいってしまう。お値段もリーズナブルで、大変結構でした。調べてみると、京都にもいくつかちりとり鍋をやっている店があるらしいから、今度ぜひまた行ってみよう。

2009.02.07

鳥羽の離宮と鳥の鍋、の巻

 2月4日(水)
P1100658 (写真上:安楽寿院本御塔、下:城南宮を歩く一寸法師とウチの学生)
 ウチのゼミの巡見。鳥羽殿(鳥羽離宮)の跡を散策することにする。と、いうのも、「京の冬の旅」の非公開文化財特別公開の中に、安楽寿院がはいっているからである。いうまでもなく、鳥羽法皇が建立し、そこで亡くなった名刹である。新たな御堂兼収蔵庫が建てられて面目を一新したのだが、入る機会は始めてである。これは見逃せない。
 感慨深かかったのは、新築された御堂兼収蔵庫が「本御塔<ほんみとう>」と名付けられていたこと。本御塔とは、鳥羽法皇が自らの陵として安楽寿院に生前から建てていた塔のことである(それに対して、「新御塔」と呼ばれたのが現在の近衛天皇陵)。ただ、この塔は早くに失われてしまい、江戸時代には安楽寿院のひとつの堂が代用をつとめていた。さらに、幕末の文久の修陵でこの堂を取り除けて法華堂を新築したのが、現在の鳥羽天皇安楽寿院陵なのである。今回、もともとの本御塔の本尊であり、鳥羽法皇自身が造らせたすばらしい阿弥陀如来像をおさめるための御堂兼収蔵庫が新設され、ゆかりの「本御塔」の名が復活したのである。堂の周囲には鳥羽殿跡の発掘調査で出土した庭石を再利用して庭園が造られている。鳥羽殿の遺構そのものではないけれども、それを偲ぶよすがには充分になりうるであろう。
 新しい本御塔の中で拝ませていただく阿弥陀如来像はさすがに見事である。さらに嬉しいのは、室町時代頃の製作と推定される鳥羽法皇・美福門院・八条院の肖像が公開されていたこと。これ、本ではよく見るのだが、現物を拝見させていただくのは滅多にない機会である。最近、保元の乱について考える機会があったので、食い入るように眺める。

 そのあとは、鳥羽殿の跡地を巡見する。鳥羽殿の中心部の金剛心院跡のあたりは、まったく残念なことに現在はラヴ=ホテル街になっている。昼間とはいえ、そんなところを女子学生を引き連れてウロウロするのはかなり勇気がいるのであるが、平安時代の重要な遺跡がこんなふうに破壊されてしまっているということを知ってもらうのも意義があるだろう。ホテルとホテルの間の隙間に挟まるようにして後宮塚陵墓参考地が残されているところなどを見せると、さすがに学生諸君も驚いたようである。それから、鳥羽離宮跡公園を経て、城南宮まで歩く。城南宮の本殿の前に一寸法師の可愛らしいお人形がいる(写真)のはご愛嬌である。これだけでもだいぶ疲れたのだが、せっかくだから伏見にまで足をのばし、伏見奉行所跡の発掘調査現場を見学させていただく。
 
 洛中にもどってしばらく時間をつぶし、今度は京都府立大学考古学研究室のコンパ。今年度一年間、この大学の大学院の「考古学特講」を担当させていただいた。菱田哲郎准教授が率いておられるこの研究室、良い意味での昔風の考古学研究室で、そこに集っている学生諸君の学問的熱気はもの凄い。私も、そうした学生さんたちと一年間つきあわせていただいて、本当に楽しく授業をやらせてもらった。こんな機会を与えていただいた菱田先生に、感謝m(_ _)m。今回のコンパは私に対する謝恩の意味もあるという。ありがたいことである。会場は高倉通錦のそば酒菜さかえ庵。いつも前を通っているはずなのだが、こんな店があるなんて気がついていなかった。ソバ屋でコンパ?と最初は疑問に思ったが、これがめっぽううまい。カモと鶏の鍋を堪能する。充分にダシが出たところで、締めはソバ。鍋にソバ?と、これも疑問だったが、やってみるとなかなかすばらしい。お値段もリーズナブルで、充分に楽しめた。菱田先生、そして府立大学考古学研究室の皆さん、本当にありがとうございましたm(_ _)m。

2009.02.03

五十の賀、の巻

 2月3日は私の誕生日。ついに満50歳になってしまった・・・・ それにしても、いつもならば私の誕生日には必ず雪が降るのに、今年は雪ではなく雨だった。地球温暖化の影響かしら?

Ts2d0034山中章博士のブログでは既報だが、1月25日(日)には恒例の「10年会」の新年会。ウチの大学の卒業生でもあるYEさんのご好意で、風格ある京都の町屋を会場として提供していただく。冬らしく、あったかいお鍋。メインは、山中章博士が伊勢湾から届けてくれた新鮮な金目鯛と伊勢エビで、これにサザエの壺焼が加わる。これでおいしくなければウソである。朧谷寿先生おんみずからサザエを焼いてくださる。畏れ多いことである。それにしても、さすがは伊勢湾。サザエなんか、普通のものならばシッポのところが生臭いのだが、これはまったくそんなことはない。シッポまで磯の香りが染み付いて、とろけるようである。
 極め付きは、鍋のあとのお雑炊。誰がなんといおうと、鍋のあとの幸福はなんといってもお雑炊である。この時ほど、日本人として産まれた幸せを実感し、日本文化の偉大さに感極まる瞬間はない。具材のダシがこってりと溶け込んだスープを一滴のこさず味わいつくすことができるのだから。
 おいしく食べて、たくさん飲んで、気がつくとほとんど正体不明。でも、幸せな日でした。

 1月28日(水)には、再開された、京都府の「天橋立世界遺産可能性検討委員会」。昨年の文化庁の判定で、天橋立は世界遺産リストへの暫定登録を逃した。確かに、年々登録基準が厳しくなっているのだから、これはやむをえまい。ただ、文化庁の判断としては、暫定登録を逃した中では最高ランクの評価だったということで、リベンジの可能性は充分残されている。

 1月31日(土)は、古代学協会の「仁明朝史研究会」。山中博士と、K研究所のAN氏が報告される。多分野からの検討で、いつもながら和気あいあいの楽しい時間となる。

 2月1日(日)。「京の魅力探訪ウォーク」に出講。今熊野観音寺に集合し、後白河法皇をテーマとした講演と巡検をおこなう。

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