チベット民族蜂起50周年、の巻
3月10日
(写真左:1959年3月12日、ポタラ宮殿の周囲で反中国のデモ行進をするチベットの民衆。写真右:1959年3月、ダライ・ラマ法王を守ろうと、法王の住居のノルブリンカ離宮に集結したチベットの民衆。ダライ・ラマ〈木村肥佐生訳〉『チベットわが祖国』、同〈山際素男訳〉『ダライ・ラマ自伝』に拠る)
この日は、チベット民族蜂起50周年記念日である。この日にあたって、ダライ・ラマ14世法王は声明を出しておられる。なお、日本のマスコミは「チベット動乱50周年」と言っているが、「動乱」ではチベットの人たちが何か悪いことをしたようにもとられかねないので、中央チベット行政府の用語である「民族蜂起」を使うべきであろう。
中華人民共和国は建国後すぐにチベットへの野望をあらわにし、1951年10月にはついに「人民解放軍」の武力によってチベットを侵略・併合するにいたったのである。ダライ・ラマ14世法王ひきいるチベット政府はその絶望的な状況のなかでなんとか事態の打開をはかったが、その努力もむなしく終わった。今から50年前の1959年3月10日、法王自身の身の安全も脅かされる局面を迎えたことによって、チベットの民衆は法王を守るために続々とノルブリンカ離宮(法王の住居)の周囲に集結し、それとともにラサを中心とするチベット各地に中国への抗議活動が拡大したのであった。しかしそれに対して中国は残忍な弾圧によって応え、ダライ・ラマ法王はついにラサを脱出、インドに亡命することを余儀なくされたのであった。
1959年2月3日が私の誕生日である。つまり、生まれたての私が温かな布団に包まれてすやすやと眠っていたその同じ時、同じ地球上のチベットではこうした悲劇が進行していたのである。それから50年にわたって中国のチベット抑圧政策は変わることなく続いていることに驚愕するし、心が痛む。最近では、中国に抗議して焼身自殺をはかったチベット人の若い僧侶が、中国の兵士によってすぐに射殺されるという事件がおこった。中国兵は、油をかぶって火だるまになっている人を助けようとするのではなく、逆に銃撃するのだから恐ろしい。
中国政府と中国共産党の強権手法がすぐに改まることは考えにくい。大多数の中国民衆も、政府と党の都合の良い情報しか流されない統制の中で知らず知らずのうちに洗脳されているから、あてにはならない。しかし、わずかな光明は見えている。それは、中国の心ある知識人たちが昨年、「08憲章=中華連邦共和国憲法要綱」を公表し、賛同の署名を集めていることである。中国政府と党はこの憲章を無視するとともに、一方でこの憲章の広がりを徹底的に封じ込めようとしている。しかし、この憲章に書かれていることは、一言一句までまったく理の当然であり、私は双手を上げて賛同する。特に、「大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する」とされている点はチベット問題の全面的解決につながる。また、「今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない!」と結論づけている点は、やっと中国の国内からもこういう正当な主張をする人々が現れだしたということで、素直に感動する。
いつの日にか中国が、この憲章が示しているような、世界中の人々の尊敬を集めることのできる国として生まれ変わることを心から望んでいる。
【2009.3.14追記】
(下記のリンクには衝撃的な画像が含まれていますのでご注意ください) 続報によりますと、上に記したニュースの、2月27日に中国に抗議の焼身自殺をはかって中国兵からの銃弾を浴びたチベット人僧侶は、なんとか一命をとりとめたようです。ただ、中国兵による銃撃は足を狙ったものであった可能性が高いとされており、この僧は両足切断を迫られているといいます。