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2009.04.26

長岡京の宴会、の巻

46345901154月19日(日)
 京都駅前の居酒屋「まそほ 京都店」で、宴会。
 国立歴史民俗博物館の共同研究「律令国家転換期の王権と都市」と、それに引き続いての同博物館企画展「長岡京遷都—桓武と激動の時代—」では、昨年までの6年間、本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。さらに、今年一月にはこの展覧会にともなう「歴博フォーラム」、つまり、講演会とシンポジウムをまとめた、国立歴史民俗博物館編『桓武と激動の長岡京時代』(「歴博フォーラム」、東京、山川出版社、2009年1月)がめでたく刊行され、大団円と相成ったのである。それを祝って、みんなで打ち上げ、ということになった。関東からはこの大事業の推進力であった、同博物館のNA・MJ両氏がわざわざお越しいただく。と、いうことで、この店名物の、熊野灘の魚の一夜干しを炭火でじっくりと焼きながらの酒杯、となる。
 『桓武と激動の長岡京時代』という本、自画自賛してもなんだが、なかなかの良い本である。謎が多かった長岡京時代について、コンパクトかつわかりやすくまとめられている。この中で私は、「長岡京・平安京と陵墓」を書かせていただくとともに、「座談会 長岡京から平安京へ—光仁・桓武・嵯峨朝の世相—」でも発言させてもらった。
 この本は一般書であって決して専門論文というわけではないが、よく読んでいただくと、あっちこっちに注目される提言が含まれている。私のかかわりでいうと、従来の通説では「陵寺<りょうじ>」(陵墓に付属する寺院)は平安時代前期の仁明天皇陵に始まるということになっていたが、実はその源流は平安時代初期の悲運の皇族の鎮魂というところにある、ということを指摘した。
 「なぜ長岡京は廃都となったのか? なぜ10年しか保たなかったのか?」という疑問は、長岡京時代を考える上での最大の問題である。これに対しては、怨霊説、洪水説などさまざまな回答案がでているが、決定的なものはなかった。ところが! これについて、座談会の中の132頁で私は結構良い事(?)を言っている(^Д^)。つまり、洪水説を再評価しよう、ということである。そういうと、考古学的にみると長岡京の洪水はたいしたことなかった、洪水説なんてのはナンセンスだ、といわれかねないのであるが、私は次のように考える。「案外洪水説というのは再評価していいではないかと思いました。桓武は自分の権威の基盤を天命においている。洪水なんかが起きると、どれくらいの被害があったのかは別にして、天が桓武を見放したというような考え方がなされる。そうすると、すべてを一新して天命を取り戻そうとする試みとして、遷都が構想されることになる」というわけである。「長岡京の権威」である山中章博士がどう評価してくださるかはわからないが、私は現段階では、この方向で行って間違ってないのではないか、と思っている。
 二次会は、山中博士に引っ張られて、めでたいことがあったR大学のKT氏ととともに、新都ホテルのバーへ。完全に酔いつぶれて、ほとんど意識不明・・・

■京都新聞出版センター編、井上由理子・太田垣實・河村吉宏・熊谷栄三郎・黒田正子・高野澄・中村武生・中村勝・永守淳爾・西村彰朗・前川佳代・山田邦和執筆『第5回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2009年4月)(分担頁不記載)
□山田邦和「歴史探検—京のみやこ」(平成21年度「電友会」〈京都市立洛陽工業高校電気科同窓会〉総会、於京都タワーホテル、2009年4月18日)

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