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2009.08.28

さようなら鳳舞、の巻

8月27日(木)
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 夕食は、賀茂川の西岸の中華料理店「鳳舞」(写真左)にでかける。行ってみると、長蛇の列。40分ほど待って、やっと食事にありつける。と、いうのも、実はこの店、今月いっぱいで42年の歴史に幕を降ろし、閉店することになっている。私たちと同じように、ひそかに別れを告げようというお客さんがいっぱいだったのかもしれない。
 私の中では、中華料理(正確に言うと、日本ナイズされた広東料理、かな?)の味の標準が、この店だった。家族で最初に行ったのはもういつだったか忘れてしまうほど遙かな昔だから、おそらく開店の当初から通っていたのだと思う。そうか・・・ 42年もおつきあいしていたのか・・・ 店の壁に、袁世凱の書が飾られている(写真右)のも、子供の頃から変わっていない。実は、袁世凱という人物の名前を最初に覚えたのも、この店のインパクトだった。
 我が家の定番は、アワビと鶏肉とマッシュルームをとろりとした甘い汁に絡めた「アワビかしわ」(写真中上)とか、ちょっと辛子をきかせたアンが特徴的な「エビかしわソバ」(写真中下)。少なくとも、他の店では食べたことのない独特の品であり、絶品。今思い出しても口の中にヨダレがあふれてくるぞ。しかも、値段も手頃。この味ともうお別れだとは、残念無念の極みといわねばならない(;ω;)。
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 そういえば、今年のはじめには、ラーメンの新進亭も閉店してしまった。マラソンで鍛えていたハズだった店主がお怪我をされたようで、リハビリにだいぶかかるということでこの仕儀にあいなったのである。これも残念無念であった。この店にも、子供の頃から数え切れないくらい通って、ひそかに「京都最高のラーメン」だと信じていたもんな・・・(一乗寺には、店主の弟さんがやっておられる一乗寺店があるので、もしかするとあの味は継承されているのかもしれないが、まだ行っていない)。


2009.08.24

妻の乳ガン手術、の巻

 8月21日(金)
 しばらくブログが散発的になったり、私にメールしていただいても返事が遅かったりして、不審に思われていた方もおいでかと存じます。申し訳ありませんでした。

 実は、1ヶ月前に、妻の身体に乳ガンが見つかりました。

 妻が急に、「胸にシコリがある。おかしい」と言い出したのです。見てみると、確かにその通りです。「乳ガンかもしれない」というのですが、まさかそんなことはないだろう、女性の乳房には良性腫瘍が出来ることも多いというから、どうせそんなところだろう、とは言ったのですが、不安が黒雲のように拡大してきます。とにかく病院に行ったほうが良い、ということになったのですが、はたしてどんな病院に行けばよいのやら、私にはさっぱりわかりません。
 しかし、こんな時には女性は強い(私ならば、なんやかんやと理屈をつけて医者に行くことを1日延ばしにしてしまっていただろうな・・・)。ほとんど思考停止状態に陥っている私を尻目に、妻はどこから調べたのか、そうした方面の専門の病院を探してきて、早速の予約をとりました。翌日、病院に行った妻から携帯電話に連絡が入りました。「やはり、乳ガンの疑いが濃い。日を改めて精密検査をする」とのことです。頭が真っ白になる、というのはこのことです。その時、私は何かの打ち合わせをしていたのですが、それから後はほとんど上の空になってしまいました。
 数日置いて精密検査をすると、やはり乳ガンであると断定されました。この段階でわずかに希望がでてきたのは、骨や内臓には転移は見られないようである、ということ。乳ガンを四段階に分けると一段階くらいにあたるということで、腫瘍がやや大き目なのが気になるのですが、まだしも早期発見の部類にはいるようです。乳ガンは早期発見ならば外科手術で根治の可能性が高い、と聞いていましたので、その希望にすがりつく思いです。
 ただ、この段階ではまだわからなかったのは、リンパ節への転移の可能性。おそらくは大丈夫だろう、とは言っていただいたのですが、こればっかりはリンパ節にメスを入れて組織検査をしてみないと断定的なことはいえない、ということです。リンパ転移があるかどうかで乳ガンの「段階」が分かれ、その後の治療がだいぶ変わってきます。どうかリンパ転移がありませんように、と祈るような気分です。とにかく、お盆をはさんで8月21日に手術をしていただくことになります。

 とはいっても、本人は外見で見る限りでは元気そのもの。「あたしはもう死ぬかもしれないから、今のうちに好きなことをやっておきたい。おいしいものも食べておきたい」とのことで、あっちこっちに連れ回されることになります。奈良・生駒の聖天さん(宝山寺)での世阿弥や金春禅竹の能楽史料の特別公開に連れて行かれたのも、その一環でした。こんなに走り回っていて、果たしていいのだろうか(´ρ`)。

 地に足がつかないような気分の3週間が過ぎ、8月20日に入院、21日の手術の日を迎えました。そのあたりの経緯は、本人がこちらに書いているとおりです。幸い、手術は成功裏に終わり、心配していたリンパ節への転移も確認されませんでした。いわば、乳ガンの手術としてはもっとも「軽い」措置で済んだことになりますし、根治の可能性も高いということになったと見てよいと思います。不幸中の幸い、とはこのことであったと思います。また、手術も、昔ならば乳房の全切除が推奨されたといいますが、現在では部分切除で、できる限り乳房の形を残すことが考えられているようで、これもありがたいことです。
 もちろん、今後の再発の可能性はゼロというわけではないですし、今後も根気よく治療を続ける必要があります。しかし、ともあれ、当面の最大の危機を脱したということになります。

 しかし、つくづく思い知らされました。「乳ガン検診」といったポスターやチラシはあちこちで見ていましたし、歌手アグネス・チャンさん(私は子供の頃、彼女のファンだったhappy01)が乳ガンの手術を受けた、などというニュースも知っていました。でも、所詮はそんなのは余所事、とタカをくくっていて、それが自分のところにふりかかってくるなど夢にも思っていなかったのです。つくづく、反省、です。

 これを読んでいただいている女性の方々には、ぜひ定期的に乳ガン検診を受けられることをお勧めします(また、男性の方は周囲の女性に勧めてください)。何よりも早期発見!、そして早期治療!です。


2009.08.20

ダライ・ラマ法王の冗談、の巻

 いやあ、法王猊下、やっちゃってくれてますね〜〜〜!!!(・∀・)イイ!!!、というのが、8月4日のスイス・ローザンヌでの記者会見のこのニュース。新型インフルエンザについて意見を求められたダライ・ラマ14世法王、なんと、記者団の前で鼻薬を鼻の穴に突っ込んでみせた、というのである。この御方、亡命中とはいえひとつの国の元首であり、世界的な宗教の最高指導者ですよ。そんな立場にありながら、こんなことがスッとできてしまうのは世界広しといえどもこの人くらいであろう(o^-^o)。出席していた海千山千の記者たちも、さすがに毒気を抜かれて、それから大爆笑だったに違いない。さらに、同行の側近たちが「また、猊下のいつもの悪いクセが始まった・・・」と苦笑いしている様子まで目に浮かぶようである。おそらく、法王自身も自分のジョークに満足して、記者たちと一緒になって、あの有名な腹の底からの豪快な高笑いをしていただろうな。

 報道では、法王が鼻につっこんでいるのは「鼻スプレー」となっていたけれども、これは誤りのようです。ホントはタイの庶民的な嗅ぎ薬の「ヤードム」だったらしい。使ったことはないが、メンソレータムを強烈にしたようなもので、鼻も頭もスーッとする薬のようで、単に嗅いでもよいが、鼻に突っ込んでおくのもよいということで、法王が鼻に突っ込んだのも、使い方としては別におかしいことではないらしい。たぶん、法王の日頃の愛用品なんだろうな(私もいろんなところでしばしば居眠りしてしまうから、ぜひ使ってみたいぞ〈追記〉)。

 ダライ・ラマ法王がスイスを訪問していたのは、ジュネーヴでの「和解のための国際共同体」と「スイスチベット友好協会」が主催した「チベット・中国会議」に出席されたためである。報道では「中国とチベットの代表団が、二つの共同体間により良い理解を醸成するための方法を議論し、チベット問題の平和的解決の方法を検討するために集った、というのだが、もちろん中国政府や中国共産党が出席したわけではなく、海外在住の中国人で、現在の中国政府・共産党のやりかたに反対する人々の団体が代表を送ったのだろう。

 それにしても、この「鼻薬」の写真、よく考えてみると、単なるウケ狙いのパフォーマンスではない。もし私が中国共産党の対外プロパガンダ担当者であったなら、この写真を見せられたら絶望的な気分に陥ってしまうだろう。だってそうでしょう。これまで営々として、「ダライ(中国共産党は法王をこのように呼び捨てにする)は悪魔だ」「ダライは人の血肉をすすっている」「ダライは人間の皮をかぶった鬼だ」と口をきわめて罵ってきたのに、その、「悪魔」であるはずの当の本人は世界中のマスコミの前で茶目っ気たっぷりに鼻薬を鼻につっこんで大爆笑をとっているのだから!! 中国側がせっかく一生懸命続けてきた宣伝が、法王の一発の冗談の前に木っ端みじんに粉砕されてしまっている。格の違いを見せつけられる、というのはまさにこのことである。
 中国の宣伝担当者は、こんな途方もない人物を相手にしなくてはならないのである。しかも、ダライ・ラマ法王は自分は100歳まで生きると確信している、と発言している。これも中国の対外宣伝担当者にとっては頭をぶん殴られたようなショックだと思う。100歳ということが本当に実現したとすると、彼らはあと四半世紀の間(中国の公務員の定年は何歳なのだろう?)、この、多大な労力がかかるのにまったく成果のあがらない、割に合わない仕事を続けなくてはならないのだから。中国政府および中国共産党の対外宣伝担当の皆さん、自業自得とはいえ、ホントにお気の毒なことである( ̄ー ̄)。

〈追記〉ヤードムとその類似品の中で、アメリカ製の「ヴィックス インヘラー(L−デソキシエフェドリンを含有するもの)」だけは、日本には輸入禁止です。


2009.08.16

「大文字」、「法」の頂点に立つ、の巻

090817 (写真上:「大文字五山の送り火」の「妙法」の「法」。写真下:燃え上がる「法」の字)
 8月16日(日)
 今年もお盆。四苦八苦していた原稿になんとかメドをつけてポストに投函。ひとつ仕事が終われば、そのことはスッパリと忘れることにする。しかし、仕事の山は全然低くならないぞ・・・(ρ_;)
 今日は「大文字」の日。いつもの年ならば家の近所から「大」の字を拝むのであるが、今日は違った。ウチの親戚が「大文字・五山」のひとつである「妙法」の「法」の字の下に住んでいて、その護持にたずさわる保存会でも活動しているので、そこにお邪魔することになる。ワクワクである。
 親戚の家は松ヶ崎でも旧家のひとつで、お盆のお精霊<しょうらい>さん送りの行事もきちんとやっている。今年はそれを、京都市文化財保護課と、MBSテレビが撮影するそうである。京都市からは誰が来るのかな?と思っていたら、大学の後輩にあたるMT氏だった。向こうは、民俗調査に来たらその家から私が顔を出したので、なんでこんなところに山田さんがいるの?と面食らったようである。
 おいしい鳥のスキヤキをごちそうになってから、山に登る。もちろん、普通はたちいることができない場所なので、「妙法保存会」の手ぬぐいをいただいて、首に巻く。これが通行手形代わりである。真っ暗な山の斜面を、ややもすると滑り落ちそうになりながら、登る。親戚の家の担当は、「法」の字の一番頂点の火床。ゼイゼイ言いながら登りつめて後ろを振り返ると、すばらしい光景が広がる。なにせ、京都の夜景が一望なのである。あまりの見事さに、しばし立ちつくす。
 夜の8時。「大」の字に火がともる。この山の上からはよく見えるのであるが、いささか斜めの角度なので、「大」の字がちょっと歪んで見えるのはご愛敬。8時10分。いよいよ「法」の番である。世話役の「点火」のかけ声に合わせて、一斉に火がはいる。間近にいるので、炎が熱い。しかし、乱舞する炎はまさに筆舌につくしがたい美しさである。手を合わせて、しばし、ご先祖様を念じる。
 この貴重な行事を大事に守っておられる地元の保存会の皆さんの熱意には本当に脱帽である。そして、このすばらしい体験をさせていただいたことに、心より感謝。


2009.08.08

やっと夏期休暇、の巻

ながらくご無沙汰しました。ちょっとゴタゴタしていて、一ヶ月近くブログをお休みいたしました。
簡単に、日記を取り戻しておきます。

2009年7月12日(日)
第18回 平安京・京都研究集会「京都の歴史イメージはどのようにつくられたか—公共の歴史学のために—」。今回は私は裏方。小林丈広氏(京都市歴史資料館)のコーディネイトによって、てきぱきと進む。当然のことであるが、古代・中世を扱うことの多いいつもの会とは、かなり「客層」が違うようである。会場もほぼ満席で、成功。

7月13日(月)
東京行き。16学会・協会の宮内庁との「陵墓懇談」に臨む。今年度の陵墓公開、期待できそうである。

7月16日(木)
祇園祭の宵山。せっかくだから浴衣を着る。とはいっても着替えている時間はないので、浴衣姿で大学に行き、浴衣姿で授業をする。ウチは「京都学・観光学コース」なのだから、これも実践である。
ドイツに留学してあちらで日本中世史の研鑽をされているHKさんがご主人とともに一時帰国されたので、NHさん、KMさんのご夫妻とともに、鉾町で食事。のちほど、祇園祭研究の第一人者であるKMさんも合流。ふらふらと宵山の人波を楽しむ。

7月18日(土)
1617会の奈良例会。元興寺極楽坊から、奈良町を丁寧に歩く。

7月19日(日)
ゼミの巡検で、二条城。

7月20日(月)21日(火)
来年度の博物館実習の開講にむけて、博物館学芸員課程の面接指導。いよいよ完成年度が近づいてきた。

7月26日(日)
前近代都市論研究会。このたびはウチの大学の今出川キャンパスが会場。と、いうことで、午前中は相国寺周辺のミニ巡検に御案内。
午後は、来年度の論文集刊行に向けて(できるかな・・・(゚ー゚;)、日本古代の「複都制」について報告する。とはいってもかなり穴だらけで、KYさん(古代史)、YMさん(考古学)から厳しい批判を受ける。う〜〜〜。主宰者の仁木宏さんからも厳しい総括。もう一度戦線を再構築しなくては・・・

8月2日(日)
ここ2年余り続けてきた古代学協会の「仁明朝史研究会」の最後の総括研究会。故・角田文衞先生が生前に発案された最後の仕事なので、なんとか形にしなくてはならない。

8月3日(月)〜5日(水)
わが大学では、この夏に部屋の大移動がある。一部の学科が京田辺キャンパスから今出川キャンパスに移転したので、京田辺キャンパスも再編がおこなわれる、ということで全研究室や学部事務室も移動になるのである。私の研究室は2階から3階へ移動することになる。多くの仕事は運送屋さんまかせであるが、私の部屋には土器や埴輪という特殊な品物があるし、また、書類や細々としたものは自分で箱詰めが必要となる。と、いうことで、汗水たらして移動の準備。

8月7日(金)
ウチの奥さんに引かれて、奈良・生駒の聖天さん(宝山寺)にお詣り。世阿弥や金春禅竹の能楽史料の特別公開をながめる。T郷土資料館のSNさんが来ておられて、お互いびっくり。なんでも、同資料館で今秋、能楽の特別展をやるという。
山からおりてけっこうヘトヘトなのだが、せっかくなので奈良国立博物館に足をのばし、「聖地寧波<ニンポー>—日本仏教1300年の源流〜すべてはここからやってきた〜—」展を観覧。すばらしい。要するに中世日宋交流史の大展覧会である。

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6日に、ショッキングなニュースがとびこんできた。女優の大原麗子さんが自宅でお亡くなりになったというのである(亡くなられたのは8月3日と推定されるらしい)。最近は難病を患われて芸能活動から遠ざかっておられたのは知っていたが、まさか亡くなられるとは思わなかった。以前からファンだっただけに、大ショック。麗子さんが主演された大河ドラマ「春日局」がCSで再放送されており、この日の夕方にも録画を見ながら、やっぱり綺麗な人だな〜、と見とれていただけに、衝撃もなおさらである。
ご冥福を祈るために、市川崑監督の「おはん」を見る。この映画、吉永小百合さんが主演なのだが、大原麗子さんの存在感が圧倒的で、明らかに主役を喰ってしまっている。麗子さんのキビキビとした芸者役が、無責任ダメ男(オイオイお前、もうちょっとしっかりせ〜よ!、といいたくなるシーンが満載。石坂浩二さん、名演!)との対比によっていやがおうでも引き立つ。
20世紀後半の日本を代表する名女優であった大原麗子さん。ご冥福をお祈りいたします。


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