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2009.12.31

2009年もおしまい、の巻

 0912303(←ウチの奥さんのブログから。おととい買った大画面テレビに映る幼少時代の自分を見つめるクイール)
 2009年12月31日(木)
 大晦日。2009年もまもなく終わりである。
 恒例の「第9」(実演のほうでは、12月26日に井上道義さん指揮京都市交響楽団で「第9」を聞いてきた)。今年はひとつ超有名演奏で行こう、ということで、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団の1951年ライヴ盤をかけている。この「バイロイトの第9」は周知の通り、クラシック音楽好きならば誰知らぬ者もない録音であり、未だにCDガイドなどではトップにランキングされていることが多い。ただ、この録音については従来から聞かれてきたイギリスEMIの録音に、最近になって疑義が登場した。つまり、イギリスEMI盤は実は本番ではなく、本番とゲネプロ(本番前の通しのリハーサル)とを混合した編集モノである、というのである。そして、本当の本番(変な言い方だ)の録音を標榜するドイツ・バイエルン放送協会の録音が登場して論争になっているのである。私にはこのあたりはよくわからないのであるが、イギリスEMI録音は多年にわたってマスター・テープが酷使されてきて劣化しているらしく、劣化前のマスター・テープのコピーを原盤としたから音質がいいというオタケン・レコード盤が登場したので、そちらで聞いている。
 私は本来、フルトヴェングラーの良い聞き手ではない。したがって、世評の高いこの録音も、実はあんまり性にあわないのである。おそらく実演で聞いたら魂が震えるほどに感動するのであろうが、録音ではテンポの揺れが激しすぎて不自然さが目立つように思うのである。特に、第3楽章のスロー・テンポと、その中でホルンがトチっているところが気になってしまう。ただ、そうはいっても、第4楽章での歌手の名技は感動的だし、合唱も圧倒的な力感を出している。さらに、第4楽章コーダでのトチ狂ったような猛スピードは凄い。時々とりだして聞くのには、こういう演奏もアリだと思う。

 本当ならば今日は祇園さんにおけら詣りにいくのであるが、近年稀に見る寒波襲来ということで寒すぎるので諦める。実家の近所の下御霊神社に参拝してゆく年のお礼と、来る年の幸福を祈る。

 それでは皆様、どうか良いお年をお迎えくださいm(_ _)m。


2009.12.30

2009年にやったこと、の巻。

 2009年12月30日(月)
 2009年ももう暮れようとしている。この一週間ほど、書斎の大掃除に大忙し。しばらくサボっていたので、目もあてられない散らかりようになっていた。これではとても仕事ができる状態ではない、というので一念発起したのである。おかげで、近年ないほどの美しい状態になった。さあ、これでバリバリ論文が書けるぞ!(←ホントかな?)
 恒例によって、今年やったことを振り返っておこう(一部、2008年の年末・2010年初頭の発行名義を含む)。

【著書(単著)】
■山田邦和『京都都市史の研究』(東京、吉川弘文館、2009年6月)本文294頁+索引18頁

【著書(分担執筆)】
■京都新聞出版センター編、井上由理子・太田垣實・河村吉宏・熊谷栄三郎・黒田正子・高野澄・中村武生・中村勝・永守淳爾・西村彰朗・前川佳代・山田邦和執筆『第5回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2009年4月)本文252頁(分担頁不記載)

【論文】
■YAMADA Kunikazu,“L'urbanisation de Shirakawa et de Toba à la fin du XIe siècle”,“Kyôto à l'époque des luttes entre les provinces (1467-1573)”,“Les châteaux forts et les bastions médiévaux autour de Kyôto”,“La résidence de Jurakudai et le château de Fushimi”,“Le château de Nijô, le palais impérial et le quartier des nobles de Cour”,“Les groupes de quartiers à l'époque d'Edo”, in Nicolas FIÉVÉ ed., ATLAS HISTORIQUE DE KYOTO, Analyse spatiale des systèmes de mémoire d'une ville, de son architecture et de son paysage urbain (Paris, 2008), pp.113-116,145-150,157-161,167-174,175-182,201-206.
■山田邦和「長岡京・平安京と陵墓」(国立歴史民俗博物館編『桓武と激動の長岡京時代』〈歴博フォーラム〉所収、東京、山川出版社、2009年1月)200〜211頁。
■山田邦和「『文久の修陵』による天皇陵改造」(花園大学考古学研究室30周年記念論集『花園大学考古学研究論叢II』所収、京都、花園大学考古学研究室30周年記念論集刊行会、2009年3月)201〜211頁。
■山田邦和「平安京の空間構造」(舘野和己編『古代都城のかたち』〈同成社古代史選書3〉所収、東京、同成社、2009年6月)、51〜73頁。
■山田邦和「都市遺跡としての京都」(文化財保存全国協議会第40回記念京都大会実行委員会編『文化財保存全国協議会第40回記念京都大会 都市遺跡の調査と保存・活用・整備 予稿集』所収、〈大阪〉、文化財保存全国協議会、2009年6月)、1〜5頁。
■山田邦和・中井均「伏見城跡(桃山陵墓地)の立入調査」(『日本史研究』565号掲載、京都、日本史研究会、2009年9月)72〜78頁。

【その他の著作】
■山田邦和「銅鏡の国」(宮崎興二・小町谷朝生・細矢治夫編集『日本文化のかたち百科』所収、東京、丸善 、2008年12月)、494〜497頁。
■永井路子・朧谷寿(出席者)、山中章・山田邦和(司会)「座談会 長岡京から平安京へ—光仁・桓武・嵯峨朝の世相—」。清水みき・仁藤敦史(司会)、網伸也・榎村寛之・河角龍典・中島信親・三上喜孝・吉川真司(パネラー)、朧谷寿・永井路子・山田邦和・山中章(コメント)「討論 長岡京時代を考える」(国立歴史民俗博物館編『桓武と激動の長岡京時代』〈歴博フォーラム〉所収、東京、山川出版社、2009年1月)5〜30頁、125〜146頁。
■山田邦和「角田文衞博士の古代学」(『古代文化』第60巻第4号掲載、京都、古代学協会、2009年3月)、5〜7頁。
■山田邦和「求めよ、さらば与えられん」(『Chapel』第14号掲載、京都・京田辺、同志社女子大学宗教部、2009年3月)、17〜19頁。
■山田邦和「平安京と京都」(地球の歩き方MOOK『京都の歩き方』所収、東京、ダイヤモンド・ビッグ社、2009年3月)、134・135頁。
■山田邦和監修、黒澤達矢イラスト「鳥瞰:平安京」(歴史群像シリーズ特別編集『最新古代史論』所収、東京、学習研究社、2009年4月)、13頁。
■山田邦和「京都で学ぶ歴史」(『Vine』Vol.50掲載、〈京田辺〉、同志社女子大学、2009年4月)、14・15頁。
■山田邦和「最終回 平安京創生館クイズ」(『まなびすと』Vol.8掲載、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、2009年4月)、17頁。
■山田邦和「平安京復元模型製作の思い出」(『まなびすと』Vol.10掲載、〈京都〉、〈京都市生涯学習総合センター〉、2010年1月)、13〜15頁。

【学会発表・研究会報告】
□山田邦和・仁木宏・松尾信裕・中井均「伏見城跡(桃山御陵地)の立ち入り調査」(陵墓関係16学・協会〈主催〉シンポジウム「陵墓公開運動の30年-佐紀陵山古墳・伏見城の報告とともに-」、於キャンパスプラザ京都、2009年5月17日)
□山田邦和「都市遺跡としての京都」(文化財保存全国協議会・文化財保存全国協議会第40回記念京都大会実行委員会〈主催〉「文化財保存全国協議会第40回記念京都大会〜都市遺跡の調査と保存・活用・整備」、於同志社大学明徳館、2009年6月14日)
□山田邦和「複都制再論」(前近代都市論研究会、於同志社女子大学純正館、2009年7月26日)
□山田邦和「仁明天皇とその関連陵墓」(古代学協会仁明朝史研究会、於京都大学文学部、2009年8月2日)
□山田邦和「平安前期天皇陵の選地」(奈良陵墓研究会、於奈良県立橿原考古学研究所会議室、2009年11月7日)
□山田邦和・森岡秀人(司会)、茂木雅博・高木博志・谷口榮・今尾文昭・大久保徹也(パネラー)「シンポジウム 陵墓公開運動30年をふり返って」(陵墓関係16学・協会〈主催〉シンポジウム「陵墓公開運動30年の総括と展望」、於駒澤大学深沢キャンパス、2009年11月23日)

【講演その他】
□「世界の十字路・コンスタンティノポリス」(同志社大学学際科目2「シルクロードの歴史と文化」ゲスト・スピーカー〈授業の一部公開〉、於同志社大学京田辺校地、2009年1月19日)
□山田邦和・中村武生「歴史フォーラム 豊臣秀吉と京都」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於本能寺会館、2009年1月24日)
□「後白河法皇と法住寺殿」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於今熊野観音寺、2009年2月1日)
□「平安京・京都の歴史を歩く」(京都SKY観光ガイド協会「京都SKY観光ガイド養成講座」、2009年2月10日、於京都府総合福祉会館)
□「戦国武将ゆかりの地を訪ねる」(JR西日本『京都おこしやす大学〜京の魅力探訪ウォーク』、於豊国神社、2009年2月28日)
□「伏見城—天下人終焉の地—」(「楽々キャンパス」、於同志社大学今出川キャンパス、2009年3月10日)
□「京都を愛する」(京都市職員研修センター 平成21年度「京都市職員研修」、於京都会館会議場、2009年4月1日)
□「藤原種継暗殺事件—長岡京から平安京へ—」(ラボール学園〈京都勤労者学園〉「日本史講座—検証・京の事件簿(古代・中世)—」、於同学園、2009年4月6日)
□「歴史探検—京のみやこ」(平成21年度「電友会」〈京都市立洛陽工業高校電気科同窓会〉総会、於京都タワーホテル、2009年4月18日)
□「源融と六条河原院」(中国古典に学ぶ会主催「平成21年見学研修会」、2009年8月29日、於鶴清)
□「『源氏物語』の舞台」(姫路市教育委員会主催「平成21年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉」、2009年9月7日、於姫路市市民会館)
□「中世京都の町衆」(和歌山県高校社会科研究会主催「和高社研秋期現地研修会」、2009年10月16日、於京都文化博物館講義室)
□「『源氏物語』の世界 現地見学」(姫路市教育委員会主催「平成21年度姫路市市民教養講座〈歴史講座〉」、2009年10月30日、廬山寺、伝紫式部墓、友禅美術館、 渉成園(枳殻邸)、京都市平安京創生館を巡見)
□「京都下京区の歴史について」(下京区身体障害者団体連合会主催「平成21年度福祉のつどい」、2009年11月3日、於京都東急ホテル)
□「戦国期京都の魅力—秀吉と京都—」(徳島県教育委員会主催「勝瑞学アカデミー」、2009年11月28日、於徳島県藍住町コミュニティセンター)
□「平安京・京都の歴史を歩く(24)平安王朝の信仰文化」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2009年1月9日、2月13日、3月13日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(25)白河法皇と院政の開始」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2009年4月10日、5月8日、6月19日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(26)院政の展開と武士の時代の開始」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2009年7月3日、7月31日、9月11日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(27)平治の乱と二条・後白河」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2009年10月9日、11月6日、12月11日)
□「平安京・京都の歴史を歩く(28)平清盛の覇権と後白河法皇」(朝日カルチャーセンター京都、於同センター、2009年12月25日〈翌年に続く〉)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第9期 平治の乱と源平合戦」(京都新聞文化センター、於同センター、〈2008年より続く〉2009年1月23日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第10期 平家の滅亡と鎌倉幕府」(京都新聞文化センター、於同センター、2009年2月21日、3月27日、4月24日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第11期 鎌倉幕府の覇権」(京都新聞文化センター、於同センター、2009年月日、月日、月日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』第12期 皇統の分裂と院政王権都市嵯峨」(京都新聞文化センター、於同センター、2009年9月25日、10月23日、11月27日)
□「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』13期 鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱へ」(京都新聞文化センター、於同センター、2009年12月25日〈2010年に続く〉)
□「平安京・京都の歴史を探る〜古代=平安京の都市構造、古代から中世へ=中世京都の繁栄、中世から近世へ=秀吉はなぜ将軍にならなかったか」(栄中日文化センター、於同センター、2009年10月23日、11月27日、12月25日)

【インタビュー記事】
○「京都・洛中 平安京へ旅しよう—同志社女子大学教授・山田邦和先生と歩く—」(地球の歩き方MOOK『京都の歩き方』所収、東京、ダイヤモンド・ビッグ社、2009年3月)20・21頁

【テレビ番組監修】
○山田邦和監修「THE 世界遺産 第55回『日本の古都スペシャルII 古都京都の文化財』」(毎日放送〈TBS〉テレビ、2009年4月26日放送)

【展覧会担当】
△「同志社スピリットと女性たち—医療・幼児教育・矯風の世界への飛翔—」(同志社女子大学史料室第15回企画展示、於同志社女子大学今出川キャンパス ジェームズ館・史料室、2009年11月20日~2010年7月30日)(2009年度同志社女子大学史料室運営委員会委員としての分担)

【社会活動】
▼財団法人古代學協會 評議員
▼財団法人古代學協會 古代文化刊行委員会 編集委員
▼平安京・京都研究集会世話人
▼文化史学会監事
▼京都民俗学会監事
▼有限責任中間法人日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会全国委員
▼京都市環境影響評価委員
▼京都府 天橋立世界遺産登録可能性検討委員会委員
▼文化財保存全国協議会第40回記念京都大会実行委員会事務局長
▼条里制・古代都市研究会事務局長
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 なんといっても大きかったのは、第2論文集である『京都都市史の研究』を刊行することができたことである。あと、いちおう論文の体裁になってるものは「長岡京・平安京と陵墓」「『文久の修陵』による天皇陵改造」「平安京の空間構造」の3編かな? 
 今年は思わぬアクシデントで、ウチの奥さんの発病と手術があった。それでちょっとアタフタしたけれども、不幸中の幸いで見通しの明るい闘病をおこなっている。来年はぜひ、心安らかな年になりますように。そして、また新しい著書の出版に向けて、一歩でも二歩でも歩みを進めていきたいと思う。


2009.12.27

クリスマスに尾張名古屋で豊臣秀吉を語る、の巻

091227【←名古屋市中村公園の、伝・豊臣秀吉誕生地】
 12月25日(金)
 今年の大学の授業は、12月22日(火)でやっと終了。
 25日はクリスマスのはずなのだが、カルチャーセンターの講義が2件。ひとつはずっと以前から続けている京都新聞文化センターの <京都学講座>京都の原点を探るで、今回は南北朝動乱期の京都をあつかう。後醍醐天皇の話。『京都都市史の研究』のあとがきにも書いたが、私の小学校の近所にあって、いつも放課後に遊びに行っていたのが富小路殿公園だった。富小路「殿」公園(私たちは「とみのこうじでんこーえん」と呼んでいた)とは一見すると奇妙な名前に思えるが、これが後醍醐天皇の里内裏である「富小路内裏(二条富小路殿、冷泉富小路殿)」に由来しているのである。したがって、私にとっては後醍醐天皇は、子供の頃の「お隣さん」のような感覚だった。もっとも、川上貢氏によると富小路内裏は正確には現・富小路通よりも東側にあったようである。西側に比定したのは、花園上皇の勘違いの記載を準用したことによるらしい。花園天皇、博学で知られるが、時々方角を間違うという癖がある。私もよく方角を間違って恥をかくので、なんだか親近感がある (^-^;。

 それから、名古屋行き。今年から、名古屋の栄中日文化センターの講座を依頼された。「平安京・京都の歴史を探る」ということで、三回完結。それぞれ、古代、古代から中世、中世から近世で、トピックス的な話をすることにする。ということで、この日は中世〜近世編。「豊臣秀吉はなぜ将軍にならなかったか」という、最近考えていることを話す。このことを話すのは、今回がはじめてである。なぜ山田がこんなことを、といぶかしがる向きもあるかもしれないが、周知のように秀吉は将軍になって幕府を開くのではなく、関白に就任して豊臣政権を作り上げた。将軍ならば大坂幕府ということになったかもしれないが、関白は天皇のお膝元に居るのが原則だから、秀吉政権は京都を本拠とすることになった。ということで、秀吉が将軍か関白かを選択することは、京都の都市史に対してこの上なく大きな影響を与えた。その点では、京都都市史の研究者としては必ず向き合っておかねばならない課題だと思うのである。
 秀吉が将軍にならなかった要因については、ふたつの説に大別されると思う。ひとつは、「将軍になりたかったが、なれなかった」というもの。もうひとつは、「将軍になろうと思えばなれたのであるが、ならなかった」というもの。最近の学界の大勢は後者の「なろうと思えばなれたが、ならなかった」であることは承知しているが、私の結論は前者の「なりたかったが、なれなかった」というものである。
 私見では、秀吉が将軍になれなかったのには、ふたつの要因がある。ひとつは、小牧・長久手の戦い。もうひとつは、室町幕府最後の将軍足利義昭の猶子(養子)にしてもらって将軍になろうと試みたのだが、義昭に断られたから。このふたつのうち、前者に関しては学界でもほぼ問題はない。小牧・長久手の戦いで徳川家康を屈服させられなかったことが、秀吉の天下統一戦略を大きく転換させる画期となったことは、多くの研究者が認めている。
 しかし、後者の説は最近は評判が悪い。その急先鋒は共立女子大学の堀新教授であろう。同教授はたくさんの著書の中で、秀吉が義昭の養子になろうとしたなんてのは、江戸時代になって徳川将軍の権威を高めるために捏造されたイカサマ話である、と一蹴されているのである。インターネットの百科事典ウィキペディアの「豊臣秀吉」の項でも、おそらくは堀教授の所説を引き写して、「これは後の創作である」と書かれているから、一般の方々に与える影響も甚大である。三重大学の藤田達生教授のように秀吉の義昭養子希望説に好意的な研究者もおられるにはおられるのだが、学界の大勢としては養子希望説は相手にされていないと見てよい。
 しかし、私見では、養子希望説はまったくのヨタ話ではない。あくまで私の見るところではあるが、養子希望説を否定する説はいずれもそんなに明確な根拠があるわけではない。アマノジャクの私としては、この説も充分になりたつと考えるし、むしろそう考えたほうが、秀吉の政権構想をよりよく理解できるという結論に達した。そのうちに何かにまとめてようと思っているのだが、とりあえず今回はその一歩として、秀吉の生まれ故郷の名古屋で開陳して、構想を煮詰める一助にしたいと思ったのである。
 講義の前には伝・秀吉の誕生地の中村公園(写真)を訪れ、秀吉を祀る豊国神社にお参りし、さらには名古屋市秀吉清正記念館を見学。よしよし。これで完璧だ(?)。
 私が名古屋で講演することを聞いて、花園大学での教え子で今は東海地方の某地方公共団体で文化財の仕事をしているM島君が挨拶にきてくれた。私のことを忘れないでいてくれて、感謝。と、いうことで、M島君を誘って名古屋駅前で酒杯。彼には色気のないクリスマスになったかな?


2009.12.20

工藤静香さん2009年クリスマスディナーショー、の巻

091220
 2009年12月19日(土)
 いやぁ、良かった〜〜ヽ(´▽`)/。もう、夢見心地でした。大阪シェラトン都ホテルの2009年工藤静香クリスマスディナーショー。
 でも、この日は忙しかった。東京で従兄弟が結婚式をあげる日とぶつかったからである。かくして、朝早くに京都を出発。昼間は東京。とんぼ返りで夜は大阪、ということになった。東京での結婚式は、丸の内の高層ビルにはいっているレストラン。なんでも、ミシュラン・ガイドにも掲載された有名店だという。皇居(東京城〈旧江戸城〉)を見下ろすというなんとも畏れ多いような立地。江戸城の全景写真が撮れたぞ。それにしても、昼も夜もフルコースというのははじめてだ。食べすぎであることはまちがいない。
 ほどよく酔っぱらってから、新幹線にとびのる。新大阪駅では人の波。京都大阪間で人身事故発生のため、東海道線がストップしているという。いささか右往左往。
 静香さんのディナーショー、一昨年はじめて参加したのだが、去年は大学の仕事と重なってしまい、地団駄を踏んだ。静香さん、最近はテレビも含めて芸能活動を極力抑制しているようだから、こういう機会は逃せないのである。ディナーメニューは、「蟹のエフィロシェとパプリカピユュレ フロマージュブランの香り」「フォワグラと丹波黒豆 杏のコロンヌ フルーツコンポートとプティサラダ添え」「森の茸のクリームスープ」「牛フィレ肉のステーキ シャンパンビネガーとトリュフの香りを添えて」「レアチーズケーキのラズベリー シャーベット添え」ということである。もっとも、文字だけ読んでもなんのことかわからないが(^-^;。会場には、静香さんの絵の最新作が飾られている。二科展入選作ではないというが、女神降誕、といったところか。この女神の顔の輪郭など、やっぱりどことなく静香さん本人に似ている。
 おまちかねのショーが始まる。目の覚めるようなブルーのドレス姿。美しい! 曲目は以下の通り。
 1.Lotus~生まれし花~
 2.存在
 3.in the sky
 4.MUGO・ん・・・色っぽい
 5.Silent Night
 6.雨夜の月に
 〈バンドのメンバーによるクリスマスの曲〉
 7.〈会場を回りながら〉めちゃくちゃに泣いてしまいたい
 8.〈会場を回りながらの予定外の追加〉抱いてくれたらいいのに
 9.黄砂に吹かれて
 10.Ice Rain
 11.(アンコール)嵐の素顔
今回はクリスマスらしく、アップテンポの曲は押さえて、バラードが中心である。私個人の趣味からすると静香にはロックが似合う、と思っているのだが、バラードもしっとりとして良いね。目を見張ったのは、「きよしこの夜」の英語版の「Silent Night」。静香さんの声、高域までスッと伸びて、絶品である。この人、こんなに巧かったんだ、と改めて感じさせられた。デビューから間もない時期の曲の「抱いてくれたらいいのに」は予定外の追加であった。静香さんが大事に大事にしている曲であるが、若いころは低域から高域への転換がうまくつながらず、どこかバランスを崩したような歌い方を披露することが多かった。それが今は、自信に満ちた安定感で堂々と歌い上げる。歌手としての工藤静香、ますますの円熟である。
 会場の巡回の時には、手を差し出してちゃっかりと握手してもらう。信じられないほどの細い手である。こんな華奢な身体の持ち主のどこからあんなパワーがでてくるのか、不思議にも思えてしまう。
 予定ではショーは1時間のはずだが、トークに熱がはいって延長々々である。きっとホテル側はやきもきしただろうな。トークがはずんで、子供たちからは「ターたん」、ご主人の木村拓哉さんからは「しー」と呼ばれていることが暴露された。アンコールは素敵な黒のドレスでの「嵐の素顔」。
 幸せな気分で帰洛。しかしさすがにくたびれ果てて、ベットに倒れ込んで爆睡でした。


2009.12.10

ダライ・ラマ法王ノーベル平和賞受賞20周年、の巻

 12月10日
 本日は、ダライ・ラマ14世法王がノーベル平和賞を受賞されてから20周年の記念日である。20年前のこの賞こそは、蒙昧と野蛮に敢然と立ち向かった高貴な精神に対する、文明世界からの偉大な贈り物だった。しかし、チベットをめぐる情勢は今も好転するきざしをみせていない。チベットの人々が真の自由を手にし、中華人民共和国が世界中の人々の尊敬を集めることのできる国家に生まれ変わる日が来ることを、心より祈りたい。


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