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2010.01.25

飯森範親/プラハ響、西本智実/ラトヴィア響、の巻

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 東ヨーロッパのオーケストラふたつ。
 1月19日には、「プラハ交響楽団ニューイヤー名曲コンサート2010 」。指揮は飯森範親、チェロが遠藤真理である。曲目は、スメタナの交響詩「わが祖国〜モルダウ」 、ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」、ドヴォルザーク「交響曲第9番〈新世界より〉」である。指揮の飯盛さんははじめて聞くのだが、最近は山形交響楽団で活発な活動をやっておられることで知られる。
 しかし、前半が「??」だった。自分の耳を疑ったのだが、こんなに角のとれた丸っこいオケの音を聞くのは初めてだ。プラハ響の持ち味なのか、それとも飯盛さんの主張なのか。しかし、これはちょっとやりすぎだと思う。せっかくの個々の楽器の音が全体に溶け込んでしまい、覇気が感じられないのである。チェロ協奏曲も同様の内容で、協奏曲というよりも独奏楽器付きの管弦楽曲に聞こえてしまう。惜しい。
 しかし、後半の「新世界より」は良かった。当然のことながらプラハのオケとしては自家薬籠中の曲である。正攻法で、まったく安心して聞ける(第4楽章にたった一回だけでてくるシンバル、通常だとクラッシュ・シンバルだと思うが、今回は台に固定されたサスペンデッド・シンバルだった。ちょっと興味深かった)。前半の不満を払拭してくれた。さらに、アンコールは、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集の第2集(作品72)から第7番。ゴキゲンな演奏で、満足。

 1月23日(土)
 午前中は、後鳥羽上皇の水無瀬殿跡の踏査。重要な離宮だが、これまでは実態があんまりわかっていなかった。古代都城史の研究者であるT田H章氏がこの研究にとりくんでおられるというので、案内していただくことになった。ちょうど発掘調査もおこなわれているので、都合がよい。水無瀬、やはり再評価するべきだということがよくわかる。白河・鳥羽・法住寺殿と、嵯峨の間を埋める「院政王権都市」として評価せねばなるまい。

 午後は、京都コンサートホールに急ぐ。大好きな西本智実さんがラトヴィア国立交響楽団を率いての登場だから聞き逃せない。ヴァイオリンはサーシャ・ロジェストヴェンスキーの予定だったが、急病とのことで、代役はパヴェル・シュポルツルだと発表されている。 曲目はオール・チャイコフスキー・プログラムで、幻想序曲「ロミオとジュリエット」、ヴァイオリン協奏曲ニ長調、交響曲第4番ヘ短調である。
 ヴァイオリン協奏曲は、シュポルツルの独奏が緩急いちじるしい(彼が持って出てきたヴァイオリンは、なんと緑色だった。びっくり)。私の趣味とは違うが、チャイコフスキーなんだからこんなのもアリだろうな。好き放題のソリストにきっちり合わせている西本さんの職人芸はご立派。
 前半も良かったのだが、圧倒的だったのはメイン・プロの交響曲第4番。西本さんの指揮姿も、いつもながら絵になるぞ。金管や木管のソロの乱舞もノリノリである。第3楽章の弦のピッツィカートは、私の大好きな部分。西本さん、ここだけは指揮棒を置いて、まるでピアノでも弾くような動作でオケをドライヴする。魅せられる、とはこのことである。さらに第4楽章は息もつかせぬ興奮をかきたてられる。西本さん、やっぱりこういうロシア・東欧のガンガン鳴る曲で最も本領を発揮するな(ライヴDVDででているこの「レズギンカ舞曲」なんか最高だぞ)。すばらしい!
100125b アンコールは一転して、ヴィヴァルディの「四季」の中から「冬」の第3楽章。アンコール用の短縮版だったので、通常とはいっぷう変わった「四季」を楽しむことができる。

 会場でN木宏さん、K樂M帆子さんご夫妻と落ち合い、夜はご夫妻お気に入りのイタリアン・レストランにくりこむ。いつもの「三悪トリオ」のY本M和さんが所用で欠席だったのは残念だが、極上のイタリアンと極上のワインは満足の極みである。水無瀬殿の資料を持っていたら、レストランの主人に見つかってしまい、食後のカプチーノのデザインが、見事に13世紀前半の軒丸瓦の巴文になる(写真)。世界初(?)の瓦当文様のラテ・アートの誕生である(^Д^)。


2010.01.20

『平安京とその時代』刊行!、の巻

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 2010年1月9日(火)
 ついにできあがりました!(o^-^o) 朧谷壽・山中章編『平安京とその時代』。朧谷壽・同志社大学名誉教授の古稀をお祝いするための論文集である。ただし、朧谷先生の強いご意向により、「古稀記念論集」とは銘打たず、平安京と平安時代を論じた研究書として出すことになった。
 私はこの仕事には最初からかかわったし、正直いってこの書物はかなりの難産であった。ヤキモキ、オロオロの繰り返しだったというのが正直なところである。本来ならば朧谷先生の古稀の御誕生日である2009年3月28日に出版する計画だったのであるが、それは果たせず、結局は約一年遅れの刊行となった。それでも、要するに「結果よければ全て良し」だというべきであろう。

 内容と書誌を掲げておく。
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朧谷壽・山中章編『平安京とその時代』(思文閣出版、2009年12月22日発行)(A5版、488頁、9,450円、ISBN:978-4-7842-1497-6)

山中章(三重大学教授)「序―古稀を寿ぐ―」
  Ⅰ
朧谷壽(同志社女子大学名誉教授)「摂関盛期の天皇の葬送」
清水みき(三重大学非常勤講師)「外戚土師氏の地位―桓武朝の皇統意識に関わって―」
瀧浪貞子(京都女子大学教授)「陽成天皇廃位の真相―摂政と上皇・国母―」
竹居明男(同志社大学教授)「王朝貴族と仏名会―仮称「仏名和歌集」の試み―」
田島公(東京大学史料編纂所教授)「祈年祭料の「白猪」と近江の国―『言談抄』第二一話をめぐって―」
西山良平(京都大学教授)「摂関期の身分集団と訴訟・復讐」
仁藤敦史(国立歴史民俗博物館教授)「『新撰姓氏録』からみた京貫と改氏姓」
橋本義則(山口大学教授) 「平安京の中心―中院と縁の松原をめぐる憶説―」
元木泰雄(京都大学教授)「平重盛論」
吉水葉子(奈良女子大学大学院)「桓武天皇の近江行幸」
  Ⅱ
天野太郎(同志社女子大学准教授)「平安京と地名研究の展望―『地名学』の現状と課題をふまえながら―」
上原真人(京都大学教授)「摂関・院政期の京都における讃岐系軒瓦の動向―平安時代を中心に―」
梶川敏夫(京都市文化市民局)「甦る古代京都の風景」
鋤柄俊夫(同志社大学准教授)「院政期の平安京―その予察へ向けて―」
杉本宏(宇治市都市整備部)「平等院伽藍考」
山田邦和(同志社女子大学教授)「保元の乱の関白忠通」
山中章(三重大学教授)「古代王権の伊勢支配―布勢内親王所領の伝領過程から―」

安藤栄里子(元京都新聞記者)「『いまここ』につなぐ―“地べた”に根を張る文化の樹―」
山中恵美子(京まちや平安宮代表)「町屋から、ほの見える平安京」

朧谷壽(同志社女子大学名誉教授)「御礼に代えて」
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 私がこの中で執筆したのは、「保元の乱の関白忠通」である。ちょっと異例なテーマに見えるかもしれない。これは京都女子大学の野口実教授の主宰される研究会に出席して、野口教授、元木泰雄京都大学教授、美川圭摂南大学教授らと討論しながら考えたことが基になっている。
 従来の通説では、保元の乱の「主役」は信西入道藤原通憲であり、源義朝であるとされてきた。しかし、関白藤原忠通という人物に焦点をあててみると、保元の乱の実像は通説とはまったく別の様相を見せ始めると考える。私見では、保元の乱を「夜討」だとするのは『保元物語』の虚構にまどわされているにすぎない。また、源義朝は軍事的にはドジばかりふんでいる無能力者である。保元の乱の真の主役は関白忠通であり、信西は乱の終盤にいたってようやく台頭したにすぎない。かなり「過激」な結論だが、このあたりのことを論じてみたのである。
 実をいうと、この論文、自分では結構気に入っている。御興味ある方はぜひご一読ください。よろしくお願いいたしますm(_ _)m。

【書いたもの】
■「保元の乱の関白忠通」(朧谷壽・山中章編『平安京とその時代』所収、京都、思文閣出版、2009年12月22日)、415〜435頁


2010.01.11

大阪と京都で宇都宮氏を学ぶ、の巻

 1001102_2【←三鈷寺】
 2010年1月9日(土)・10日(日)
 土曜日、早起きして、大阪。大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センターの重点研究国際シンポジウム「都市の歴史的形成と文化創造力」が開催されると聞いたので、勉強させていただくことにした。
 私が聞きたいと思ったのは、第1セッションの「都市の歴史的段階Ⅰ 中世都市文化の形成と変容」である。茨城大学の高橋修教授の「中世東国における都市形成と在地領主」、主催者のひとりである大阪市立大学の仁木宏教授の「中世都市社会の変容――町(ちよう)形成以前の京都」、そして中国・復旦大学の呉松弟教授の「東南沿岸山区的市場与市鎮――以浙江泰順為例」の3報告があるということだからである。
 高橋氏の御報告は大変興味深い。下野を本拠とする東国武士である宇都宮氏の分析であるが、宇都宮氏が単なる田舎武士ではなく、もともとは京都で活躍しており、東国に下ってからも京都と東国の間をひっきりなしに行き来して、両者の仲介役ともいうべき役割を果たしたことが見事に解明される。なるほどなるほど。宇都宮氏の中でも著名な宇都宮頼綱は、出家して実信房蓮生と名乗ってから京都の嵯峨に住居をかまえたことはもちろん知っているし、彼と藤原定家との交流の中で「小倉百人一首」が生まれたとされていることも有名である。そうした京都とのかかわりは、頼綱ひとりだけの性格なのではなく、宇都宮氏の伝統ともいえるものなのだな。勉強になる。
 仁木宏さんのご報告にも聞き入ってしまう。仁木さんといえばいうまでもなく、今や日本の中世都市史研究の中核となる研究者のひとりである。西ヨーロッパやヴェトナムといった諸外国の都市史にも詳しく、国際的比較の中で日本都市史を考えられる希有な研究者でもある。その仁木さんが、御自分の研究蓄積を縦横に駆使し、古代から近世にいたる京都の都市史の全体像を展望してみようというのだから、私としてもこれは聞き逃せなかったのである。鎌倉について「『東国独立国家の首都』といったイメージが先行し、京都に匹敵するような都市であるかのように描写するのは誤りである」、網野善彦先生の都市論について「網野の『無縁・公界・楽』を『都市文化』論としての継承することはできない」、などといった、いかにも物議をかもしそうな明解な切り口の連射は、まさに仁木さんの真骨頂であろう。
 午後は失礼させていただくことにして、仁木さん、高橋さんの御両名と、高橋さんのところの院生さんと一緒に杉本町駅前の中華料理屋で昼食。話の花が咲く。高橋さんが「明日は宇都宮頼綱ゆかりの京都の三鈷寺に行ってから茨城に帰る」とのことを聞く。しかし、三鈷寺というのは京都の西京区の山の奥の奥にあり、公共交通機関で訪れるのは大変である。私も長いこと行ってないから、再訪するのもいい。それに、宇都宮氏の研究者と京都の宇都宮氏史跡を訪ねることができるというのは良いチャンスである。と、いうことで、高橋さんを車でご案内する約束をする。
 皆さんと別れたあと、ふと思い立って住吉大社に参拝。正月は寒くてどこにも行っていなかったから、ちょっと遅くなった初詣である。この日の住吉大社は摂社の市恵比寿大国社の「えべっさん」の例祭の前夜祭である「宵えびす」であるから、ちょうどいい。人波に揉まれながら、今年一年の幸せを祈る。

 日曜日。高橋さんに同乗してもらって、大原野の西峰に分け入る。くねくねとした道を昇りついたところが善峯寺である。西国第20番札所の名刹でもある。もちろん何度か来たことはあるが、やっぱり記憶が薄れている。天然記念物の「遊龍の松」の姿くらいしか覚えていなかった。まったく、歳だな。ともあれ、この善峯寺、巨大な山岳寺院である。建物は江戸時代に徳川綱吉の母・桂昌院による再建であるが、中世の面影は感じることができる。こじんまりとした多宝塔の優美さに感激。最奥部には青蓮院宮の歴代の墓があるが、その隣には、お目当ての宇都宮頼綱の供養塔、頼綱の師となった証空上人の供養塔などが並んでいる。

 善峯寺からいったん下山して、それから、息を切らせながら急な山道を上って、ようやく三鈷寺にたどりつく(帰り道で気がついたが、ホントは善峯寺の北門から行くことができた。でも、山岳寺院を感じるためには正面から挑んだほうが良い)。法然の弟子の証空上人が、宇都宮頼綱(実信房蓮生)のバックアップによって再建した寺院である。本堂にあたる「華䑓廟」(写真)は、証空と蓮生が葬られた開山堂である。さらに、客殿からは京都盆地の全景が見渡せ、まさに絶景。

 そのあと、せっかくだからということで、宇都宮頼綱の嵯峨の邸宅である「中院山荘」の跡にご案内。あんまり目立たないが、藤原定家の息子で頼綱の娘婿となった藤原為家の供養塔や、定家の念持仏を祀ったという「慈眼堂」も残されているから、ここでも宇都宮氏の京都での活動の痕をたどることができる。

 東国武士と京都、なかなか面白い研究テーマであることを実感することができた。ありがたい一日であった。


2010.01.01

2010年謹賀新年、の巻

100101(←恭仁宮大極殿跡。昨年11月に恭仁宮朝堂院跡ではなかなか興味深い調査の現地説明会があった)
 2010年1月1日(金)
 みなさま、あけましておめでとうございますm(_ _)m。旧年中は大変お世話になりました。

 今年は一年かけて『京都都市史の研究』の続編となる論文集の準備をしていきたい。「仁明朝史研究」の論文も仕上げなくては。また、恭仁京を中心として、日本古代都城の全体像を見据えた論文も書くつもり。一般書も一冊仕上げられたら嬉しい。それから、新聞連載の約束があり、締め切りを違えずに続けていきたい。その他もろもろ・・・。
 ともあれ、どこまで実現するかはわかりませんが、少しづつでも着実な積み重ねをおこなっていくことができればな、と思っております。変わらぬ御厚情を賜われますよう、よろしくお願いいたします。


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