« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010.02.24

第19回平安京・京都研究集会御案内、の巻

 直近になってしまいましたが、「平安京・京都研究集会」の御案内を申し上げます。単なる書評会ではなく、考古学からみた京都都市史の最新成果を、同じ考古学のみならず、文献史学の立場からも分析するものにしたいと思っております。どうぞご参集ください。

========================================
 ◆第19回平安京・京都研究集会◆
『検証 考古学が明らかにした古代・中世の京都像(1)』
   —書評:鋤柄俊夫氏著『中世京都の軌跡』—
       主催)平安京・京都研究集会 後援)日本史研究会

03017154 平安京・京都研究集会では、「検証 考古学が明らかにした古代・中世の京都像」と題する一連の企画を催すこととしました。近年刊行された、京都の考古学にかかわる3冊の論集を順次とりあげ、連続書評会をおこないます。これらの研究集会によって、考古学を中心とする京都研究の成果を確認するとともに、今後の研究の課題を見出すことができれば幸いです。
 第19回は、そのうちの第1回として、鋤柄俊夫著『中世京都の軌跡』(雄山閣、2008年)をとりあげます。同書で鋤柄氏は、11世紀から16世紀までの京都内外のさまざまな歴史事象に注目し、多角的、学際的に都市京都の特色を解明しようとしておられます。研究集会では、権門都市論、室町幕府論などの視角や、考古学の方法論をめぐって議論したいと考えています。

 日時:2010年2月28日(日) 13:00~17:00
 会場:機関紙会館 5F大会議室(京都市上京区新町通丸太町上ル東側。日本史研究会事務所の建物)(市バス「府庁前」バス停すぐ。地下鉄「丸太町」駅下車、2番出口より西へ、2筋目を北へ。徒歩6分。http://homepage2.nifty.com/kikanshi-keiji/kaizyou.html)
  報告(評者);美川 圭氏(摂南大学、日本中世史)
          桃崎有一郎氏(立命館大学、日本中世史)
          山本雅和氏(〈財〉京都市埋蔵文化財研究所、日本考古学)
 コーディネート;仁木 宏氏(大阪市立大学、日本中世史) 
 著者・鋤柄俊夫氏(同志社大学、考古学・文化史学)も参加されます。

*事前の申込不要。一般来聴歓迎。
*当日、資料代をいただきます。

 本シリーズの第2回では、堀内明博『日本古代都市史研究』(思文閣出版)、第3回では、山田邦和『京都都市史の研究』(吉川弘文館)をとりあげる予定です。
=========================================

2010.02.23

ダライ・ラマ14世法王、オバマ大統領と会談、の巻

100223 世界中のニュースになっているが、2010年2月18日、ダライ・ラマ14世法王が訪米、アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領との会談に臨んだ。ふたりのノーベル平和賞受賞者が初めて対面したのである。前回の法王の訪米の際には、オバマ大統領は就任直後でしかも訪中を間近にひかえていたため、法王との会談を見送ってしまい、アメリカ国民から強い非難を受けてしまった。それが今回、やっと実現したのである。ともあれ、良かった(^^)/。
 オバマ大統領のために言っておくと、決して彼もチベットを無視していたのではない。2009年11月に訪中した際の、中華人民共和国の胡錦濤国家主席との共同記者会見が注目に値した。オバマ大統領、会見の最後の段で「人権はアメリカだけの価値でなく、普遍の価値だ。少数民族の人権も守られるべきだ」「チベット問題を解決するためにダライ・ラマ特使との会談を再開すべきだ」と言明したのです。共同記者会見だから、真横に胡錦濤主席が立っている、その場での出来事だった。つまり、中国の政策に対して、面と向かっての批判を投げつけたということになる。日本の政治家ではとてもできないこんな芸当、さすがはアメリカの大統領である。
 今回の法王と大統領の会談について、中国はあいも変わらず、なんたらの一つ覚えの悪口雑言である。これを聞いていると、中国のやりかたはかつてのナチ・ドイツにおける政治宣伝のやりくちとそっくりである。

 それに対してのダライ・ラマ法王。雪の残るホワイト・ハウスの庭を、いつもの裸足とサンダル姿でぺたぺたと歩いておられる。寒いはずだが、そんなそぶりは毛ほどもみせられない。雪をつまんで廻りを取り囲んでいる記者団に向けて飛ばしたり、記者団に対して「質問を準備しておいてね。良い質問をね。愚かな質問はダメだよ(笑)」など、例によっての冗談も忘れない余裕綽々ぶりである。
 「私にはチベット人600万人を代表して話し合う責務がある」、
 「チベット問題は大義の問題だ。平和を願う大義だ」、
 「今日の中国の共産主義者は本当に腐敗しており、潔く引退すべきだ。民衆の支持も、堅固なイデオロギーもないからだ」、
 「中国共産党も、国民の幸福よりも、権威主義と金を稼ぐ資本主義を追求し、堕落している」、
 「『人民解放軍』とか『人民共和国』とか、名前は美しいが、実は人民ではなく役人のものだ」、
 「中国共産党には共産思想がない。これはとても素晴らしいことだ(笑)」、
 「私は今もマルクス主義者(註)だと自認しており、私の脳ミソの中味の方が中国の指導者よりはるかにアカい
など、今回の法王、いつもにも増して絶好調である。

 ダライ・ラマ法王、今年も来日されるという情報がある。せっかくの世界的な敬愛の的になっている人物なのだから、日本の首相をはじめとする指導者も会談を申し入れなくちゃソンだよ。どうせ中国は「内政干渉だ」などとワケのわからないことを言うだろうが、アメリカ大統領や日本の首相が自国の中で誰と会おうが、文句を言われる筋合いはない。そのうち、天皇とダライ・ラマの会談、なんてことまでもが実現したら良いのに。
 
(註)ダライ・ラマ法王は若き日にマルクス主義を学び、その平等思想に大きな感銘を受けていた。

2010.02.21

河内大塚山古墳の陵墓公開、の巻

 2(←航空写真は「Google マップ」による
 2月18日(木)
 陵墓関係16学・協会(大阪歴史学会、京都民科歴史部会、考古学研究会、古代学協会、古代学研究会、史学会、地方史研究協議会、奈良歴史研究会、日本考古学協会、日本史研究会、日本歴史学協会、文化財保存全国協議会、歴史科学協議会、歴史学会、歴史学研究会、歴史教育者協議会)が宮内庁に要望してきた「陵墓公開」の一環として、河内大塚山古墳(宮内庁のいう「大塚陵墓参考地」)の立ち入り調査が実現した。直前になるまで日程が決定されなかったので、参加できるかどうか、ひとりでヤキモキしていた。これまでの例だと金曜日なのだが、今回は木曜日。ちょっと無理をしたが、無事、参加できることになった。
 この古墳、全長335m、全国でも第5位の規模を誇るという超々巨大古墳である。私もこれには以前から注目してきた。2008年には周濠にかかっている土橋の部分の発掘調査も見せていただいている。そんな巨大古墳であるにもかかわらず、実体を推定できるようなデータがほとんどない。時期も、古墳時代中期後半(雄略天皇の真陵説もある)だという説、後期前半という説、後期後半だという説にわかれており、要するにサッパリわからないのである。私もいろいろ考えるところはあるのだが、それも状況証拠にもとづく思考実験ばかりで、確実に立証できるものはまったくない。だからこそ、これはぜひ入ってみたかった。
 10時、古墳近くの松原市民情報ライブラリーに集合して事前の学習会。ここでもいろんな仮説がとびかう。13時、古墳に到着。宮内庁の皆さんのお世話を受け、いよいよ待望の古墳に立ち入る。
 見聞した内容については改めて学会誌に公表することになるだろうが、やはり実際に入ってみることの重要性を骨身に染みて感じる。ちょっとショックだったことがある。宮内庁管理の陵墓に関する重要資料として公開されているのが「陵墓地形図」である。古墳研究、陵墓研究の基礎資料である。特に、河内大塚山古墳についてはこの地形図がほとんど唯一の資料であるといって過言ではない。ただ、この河内大塚山の地形図、ちょっと墳形が不自然だとは感じていたが、ほかの陵墓地形図はほぼ信頼できるから、河内大塚山もこんなもんかな、と思っていた。しかし、実地にはいってみると、地形図に描写されていない部分が続出。結論として、河内大塚山のこの地形図は墳丘の細部がぜんぜん現れていない、ということが判明。陵墓地形図によりかかって研究してきた身としてはちょっとショックである。陵墓地形図、どうも、作られた時期と担当者によってかなり精度にバラツキがあるらしい。
 結局、何がわかったかというと、何ひとつ確定的なことはいえなかった。私自身はこの古墳を古墳時代後期後半(6世紀中葉〜後半)と考えてきたし、今もそれでいいとは思うのだが確証はつかめなかった。新聞紙上では「未完成の古墳」などという刺激的な言葉も飛び交っていたが、これもひとつの仮説にとどまっており、証明できたわけではない。謎が謎を呼ぶ、というのが正直なところである。それにしても、全長335mの巨大古墳の位置づけいかんによっては、日本古代史はかなりの修正が必要になってくる。わずかな知見ではあるがこのたび得られたデータを入れこんで、この「謎の巨大古墳」の評価を真剣に考えてみなくてはならないと思う。
 毎度のことであるが、宮内庁の職員の方々、特に、主担当者であるFM主任調査官にはお世話になった。ありがとうございました。それに、このたびの立ち入りの学会側の実務を担当されたTB大学のOT教授(K研究会)の御奮闘にも、感謝。

2010.02.04

下海印寺遺跡、女谷横穴群、の巻

100203
 1月30日(土)
 (財)京都府埋蔵文化財調査研究センターのやっておられる発掘調査のうち、ふたつの現地説明会があるというので、出勤途中に見せていただくことにする。
 ひとつは、長岡京跡右京第970次(7ANOSJ-5)・下海印寺遺跡。京都第2外環状線の高速道路建設にともなう発掘調査である。ここでの見ものは平安時代後期の巨大な堀。最大幅は6.5m、最大深さも1.7mもあり、堀を渡る土橋や、堀に沿ったところの塀跡も検出されているから、明らかに中世初頭の豪壮な居館の跡である。在地領主の館なのか、それとも貴族の別業なのかわからないが、鳥羽殿などと同じ時期の邸宅遺跡として興味を引かれる。
 もうひとつは、八幡市の女谷・荒坂<おんなだに・あらさか>横穴群の女谷D支群。京都市を中心とする北山城には横穴は数少ないのであるが、南山城地域にはたくさんの横穴がある。特に八幡市から京田辺市にかけては、美濃山、狐谷、女谷・荒坂、堀切などの横穴群がいっぱい分布しているのである。それを一括して発掘している様子を見られるのは貴重である。8基の横穴が並んでいるのは壮観。出土須恵器からみると、初葬時からかなり時期をへだてて再利用がなされているようであり、これも重要な研究テーマとなる。奈良時代の瑞雲双鸞八花鏡が出ているのも貴重。

1002032_2 2月3日(水)
 誕生日。ついに満51歳になってしまった。とはいっても何を祝うわけではなく、運転免許証の更新に行ったくらい。。ウチの奥さんははるばる山形に能を見に遠征していて、吹雪で夜行列車がストップしてしまい、一泊して在来線と新幹線をのりついで夕方にやっと帰洛。ささやかな誕生祝いとして、韓国風スキヤキの「ちりとり鍋」であったまる。

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »