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2010.03.31

フランス・イギリスの旅、の巻(1)

 2010年3月31日(水)
100331(←イギリス・カンタベリーの都市壁と城跡にて)
 帰国しました。

 今回の旅では、フランス・パリには一人で滞在。それからイギリスに渡って友人の「某古代史研究者」ことKMさんと落ち合い、さらにケンブリッジ留学中の歴史地理学研究者YAさんをひっぱりだしてロンドンとイングランド南部の中世都市を回る、というプランでした。旅の後半はKMさんによって「新YYK珍道中」と名付けられてしまったぞ。
 今回の旅自体は収穫多し。しかし、私に関していうといささかツイていなかったところもある。最大のアクシデントは、パリでクレジットカードのはいった財布をなくしたこと。これはマジ、アセッた。
 ルーヴル美術館のミュージアム・ショップに行ったら、エジプト第18王朝の推定・王妃ネフェルティティ像の精巧なレプリカを売っていた。これ、アマルナ美術の傑作のひとつで、私の大好きな作品である。しかし、本格的な石製でかなり重たいので最初はためらったのだが、やっぱり欲しい気がつのり、翌日にルーヴルを再訪して購入することにしたのである。しかし、それだけの現金の持ち合わせはないので、ここはクレジットカードの出番となる。ただ、だいたいは私は日本でもクレジットカードをほとんど使わない。調子に乗って買い物をしてしまい、あとでドッと請求が来るのがコワいのである。当然、クレジットカードにはまったく慣れていないのである。
 支払いを済ませて、愛しのネフェルティティ王妃をかかえて意気揚々とホテルに戻る。ホテル近くのスーパーマーケットでミネラル・ウォーターを買い込み、お金を出そうとした時にハタと気がついた。現金を入れた財布はあるのだが、クレジットカードの方の財布が見あたらない。ショックで焦る。落ち着け、と自分に言い聞かせながらとりあえずホテルの部屋に戻り、荷物をひっくり返すのだが、やはり、ない。しかも、とんだ阿呆な話なのだが、その財布には予備も含めて2枚のカードを入れてしまっていたのである。
 こんな時にはどうしたらよいかわからなく、全身に汗が噴き出し、ほとんどパニック状態である。一刻も早くカードの使用停止の手続きをせねばならないことくらいはわかっているのだが、カードに慣れていない身なので、カードの番号も、さらにはカードの発行会社の連絡先もメモしていない、という間抜けさ加減なのである。
 しかたないので、藁にもすがる思いで京都の自宅に国際電話をかけることにする。日本は夜中だということはわかっているが、そんなことは言ってられない。最初は留守電になったが、二度目にはウチの奥さんの眠たそうな声が出た。ありがたい。とりあえず、カード番号と発行会社についての書類を探すよう、お願いする。
 ここまできて、やっと頭が回り出した。こんなアクシデントの時のためにこそ、海外旅行保険をかけているのではないか! 保険会社に電話すると、さすがはこんなことは日常茶飯事なのでしょうね。テキパキと対応を教えてくれる。ちょっと安心した。そして、もう一度自宅に電話すると、ウチの奥さんは奥さんで、すぐにカード会社を調べてそちらに電話してくれて、もうカード効力停止の手続きをとってくれたという。この時ほど、ウチの奥さんのありがたさが身に染みたことはないぞ(←大げさ(^^;))。

 後日のためには警察で紛失証明書をとっておいたほうが良いだろう、ということで、翌日は警察にでかけるのだが、これも一苦労。日本のように交番があちこちにあるわけではないので、まずは警察の支所探しから始まる。やっと警察を見つけ、英語のできる警察官に出てきてもらって、たどたどしい英語で状況を伝える。どこまでわかってもらえたのかまったく不明だが、数頁分のフランス語の証明書を書いてもらう。
 翌々日(翌日はルーヴルは休館日)、あきらめきれないので、ダメモトで再々度ルーヴルに行く。開館と同時にミュージアム・ショップに入り、マネージャーに聞いてみるが、やっぱりそんな財布は見たことない、という。それではというのでインフォメーション・センターで遺失物の書類をめくってもらい、さらには遺失物保管所まで確かめてもらったが、やっぱり出てこない。

 ただ、不幸中の幸いは、私にしては珍しく転ばぬ先の杖で、現金は数ヶ所に分散保管していたこと。無茶をしなければなんとか旅は続けられる。最終的には、直截の被害は財布に入れておいた数万円の日本円だけだったのでまだ諦めはつく。しかし、やっぱり旅の途中でこんなことがおきると、自己嫌悪、後悔、腹立ちが入り交じって、かなり落ち込むのである。それに、ヨーロッパのようなカード社会では、イザというときにはやはりカードがないと不便きわまりない。

 もうひとつ、最終日の今日にもアクシデントがあった。ロンドンからアムステルダム経由で関西国際空港に到着、預けた荷物を待つが、なかなかでてこない。ん?、と思っていたら、放送で何人かの名前を呼んでおり、その中に私の名前が含まれている。ありゃりゃ、ロスト・バゲッジだ。係員のところに行くと、どうもアムステルダムで止まってしまっていたらしい。これも初めての経験である。ただこれも不幸中の幸いなのは、用心をしてスーツケースには衣類などだけであんまり大したものは入れていなかったこと、そして、旅の始めではなく旅の終わり、しかも日本でのことだったということである。ともあれ、こちらは航空会社におまかせしておけば良い。

 こんなふうにトラブルに巻き込まれましたが、それでも旅自体は楽しかった。博物館・美術館はたっぷりと見たし、中世都市の遺跡も歩き回った。徐々に紹介していきます。

2010.03.20

拡大十年会と卒業式、の巻

 100318(←卒業式のあとの卒業パーティで、ゼミ生たちと。背後の「DWCLA」は、ウチの大学の英語の略称。)

 3月17日・18日
 17日には、拡大10年会。朧谷壽先生を囲んで、親しい仲間が集まる。久しぶりのA藤E里子さんにお会いできたことも嬉しい。皆さんから、パワーをいっぱいいただく。

 18日はウチの大学の卒業式。学生諸君の巣立ちを見守る。卒業パーティは宝ヶ池プリンスホテル。あいもかわらずの華やかさである。でも、くたびれた。

 20日から31日まで、パリとロンドンを旅するので、不在となります。パリでは主として博物館・美術館巡り。ロンドンでは、イギリス南部の古代・中世都市をめぐる予定です。インターネット環境がどうなるのかわからないので、その間はブログもお休みです。帰りましたら、どっさりとお土産話をさせていただくつもりです。
 では、行ってきますm(_ _)m。

2010.03.17

チベット展を大阪で見る、の巻

100314
 国外逃亡(?)を週末にひかえているので、それまでに片付けねばならない仕事が山積み(;ω;)。

 3月14日(日)
 そうはいっても、会期末がせまっている展覧会はみておかねば。最たるものは大阪歴史博物館でやっている「聖地チベット—ポタラ宮と天空の至宝—」である。福岡、東京などと巡回して、やっと関西にやってきた。
 ただ、実はこの展覧会、チベット・サポーターの団体からはかなりの批判を受けている。要するに、これは中国政府によるチベット支配の正当性を主張するための展覧会であり、展示される文化財も中国政府がチベット侵略によって奪い取ったものである、そして、「チベット文化を総合的に紹介する」と謳いながら、中国がチベットを侵略した歴史や、ポタラ宮の主であったダライ・ラマ14世については全く触れていない、というのである。

 東京の上野の森美術館で開催された時には、かなりの抗議行動がまきおこり、美術館側もピリピリしていたらしい。まあ、抗議の内容は正当だし、抗議したい気持ちもよくよく理解できるのであるが、博物館に勤めた経験のある私としては、批判の矢面に立たされた博物館職員にはいささか同情的である。宮仕えの身は、必ずしも意ならずといった仕事もやらなくてはならないからである。

 ただ、大阪展を見た限りだと、危惧していたような中国のプロパガンダという面は目立たなかった。展示物へのキャプションも、チベットのものにはちゃんと「チベット 何世紀」と書かれていたし、中国のものには「清代 何世紀」、インドのものには「何王朝 何世紀」と区別されて書かれていた。これすなわち、チベットと中国が別個の歴史を歩んだことを暗に示している。また、「チベットは中国の一部である」と声高に叫んでいる中国当局の「挨拶」のパネルは、どうしたわけか、気づかないほどの隅っこにあった。

 それに、展示された文化財はやっぱりすばらしかった。私たちの文化とはまったく違う感性ではあるが、圧倒的なチベット文明の迫力である。中国政府のチベット弾圧に憤る気持ちとは別にして、やはりこの展覧会は見ておくべきである。そして、見て、チベット文明の精華を胸に刻んだ上で、この展覧会に欠けている部分は何かということを真摯に考えたらよいのだろう。

 チベット亡命政府が、この展覧会に対して声明を出している。ダライ・ラマ法王の基本方針に忠実にのっとり、この展覧会に対して抗議をする際にも、「平和的に活動し、一切の暴力を行わないよう」と要求しているのは賞賛に値する。

 それでも、いささか笑ったのは、一階の特設売店(中国物産店が出店しているのだろう)。チベットに関する本が山積みされているのだが、チベット仏教とかチベット案内ばかりであり、日本でもおびただしく出版されているダライ・ラマ14世法王の御著書は一冊もない。チベットに関心のある人々に対しては法王の御著書は最も売れ筋のはずなんだが、商売を度外視してまでも中国の顔色を伺わねばならないというのは、物産店もお気の毒なことである。結局はこうした対応が、「大国」であるはずの中国の小心さを露呈しているのだと思う。もっとおおらかに、どっしりと構えることができないのかね。

 東京展の会期中には、たまたまダライ・ラマ法王が来日されていた。中国が本当に度量を見せるならば、このチベット展に法王と在日亡命チベット人の皆さんを御招待するべきであった。法王とチベット人こそが、この展覧会の出展文化財の本来の所有者なのだから。中国はチベット文化を大事にしてます、という自信を持っているならば、それを法王の御前で堂々と見せるべきである。それもできないというのは結局は、中国はチベット支配に自信が持てない、ということを告白しているのも同様なのだろうな。

 ともあれ、3月31日までです。関西の皆様、どうか御覧ください。

2010.03.09

疲労困憊、の巻

 2月28日(日)に第19回平安京・京都研究集会『検証 考古学が明らかにした古代・中世の京都像(1)—書評:鋤柄俊夫氏著『中世京都の軌跡』—』、3月6日(土)・7日(日)には第26回条里制・古代都市研究会大会を開くことができた。
 特に後者は、従来は奈良文化財研究所平城宮跡資料館で開催していたのだが、今回に限っては平城遷都1300年の関連の平城宮跡資料館の改装にぶちあたってしまったため、同資料館を使うことができなかった。ほかの会場もあたってみたのだがうまくいかず、結局はウチの大学で教室を借りることになった。ただ、わが同志社女子大学は、京都市内中心部にある今出川キャンパスと、京都の南郊外にある京田辺キャンパスとに分かれている。私の研究室は京田辺キャンパスにあるのでそちらを会場にする方が私にとっては何かと便利なのであるが、交通の便を考えると今出川が有利である。結局、今出川でやることになった。ただ、自分の大学とはいえ、やはり「本拠地」ではないキャンパスはちょっとしたことでもいろいろある。早い話が、荷物の置き場ひとつにしてもいちいち気をつかわねばならないのである。難儀なことである。会場の手配から立て看板から資料レジュメ作成から、なんやかやとやることが多い。事務局の実務をお願いしているK田K美子さんがテキパキとやってくれて、なんとかこなすことができた。
 ふたつが終わって、3月8日(月)には頭を切り換えて、懸案になっている別の仕事にとりくむ。びっちりと、ほとんど12時間ほどは働いたぞ。その間にも、某社からの仕事のファックスが続々と届き、そちらにも目を通さねばならない。23時をこえて、やっと、一定のメドがつく。まあ、これは私自身に責任がある仕事なので、誰にも文句はいえないのですが・・・ ともあれ、疲労困憊で布団に倒れ込む。

2010.03.03

第26回 条里制・古代都市研究会大会の御案内、の巻

私が事務局長をつとめております条里制・古代都市研究会は、第26回大会を開催いたします。
総会は会員限定ですが、研究報告および調査レポートには会員以外の御参加も歓迎いたします(要資料代)。
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第26回 条里制・古代都市研究会大会
大会テーマ:山城と都市・交通
於:同志社女子大学今出川キャンパス(京都市上京区、地下鉄今出川駅より東へ徒歩5分)

3月6日(土)
 12:50〜13:20 総 会 (純正館地下 S013教室)
【研究報告】「山城と都市・交通」(純正館地下 S013教室)
 13:30〜14:10 向井一雄(古代山城研究会代表)「西日本古代山城の調査成果と研究展望」
 14:10〜14:50 渡邊芳貴(西条市教育委員会)「永納山城とその周辺環境—伊予国における古代山城の位置づけ—」
 14:50〜15:00   〈休 憩〉
 15:00〜15:40 草場啓一(筑紫野市教育委員会)「阿志岐城跡について」
 15:40〜16:20 鈴木拓也(近畿大学)「文献資料からみた古代山城」
 16:20〜17:30   〈討 論〉
3月7日(日)
【調査レポート】(純正館地下 S013教室)
  9:30〜10:10 中尾智行(〈財〉鳥取県教育文化財団)「集落遺構から条里地割の導入—讃良条里遺跡の調査から—」
 10:10〜10:50 金原正明(奈良教育大学)「新薬師寺の調査成果」
 10:50〜11:05    〈休 憩〉
 11:05〜11:45 伊藤武士(秋田市教育委員会)「秋田城跡の調査成果」
 11:45〜13:00    〈昼 休〉
 13:00〜13:40  飯田剛彦(宮内庁正倉院事務所)「正倉院収蔵古代荘園図の性格をめぐって」
 13:40〜14:55   〈質疑・討論〉
 14:55〜15:00 閉会挨拶

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