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2010.03.17

チベット展を大阪で見る、の巻

100314
 国外逃亡(?)を週末にひかえているので、それまでに片付けねばならない仕事が山積み(;ω;)。

 3月14日(日)
 そうはいっても、会期末がせまっている展覧会はみておかねば。最たるものは大阪歴史博物館でやっている「聖地チベット—ポタラ宮と天空の至宝—」である。福岡、東京などと巡回して、やっと関西にやってきた。
 ただ、実はこの展覧会、チベット・サポーターの団体からはかなりの批判を受けている。要するに、これは中国政府によるチベット支配の正当性を主張するための展覧会であり、展示される文化財も中国政府がチベット侵略によって奪い取ったものである、そして、「チベット文化を総合的に紹介する」と謳いながら、中国がチベットを侵略した歴史や、ポタラ宮の主であったダライ・ラマ14世については全く触れていない、というのである。

 東京の上野の森美術館で開催された時には、かなりの抗議行動がまきおこり、美術館側もピリピリしていたらしい。まあ、抗議の内容は正当だし、抗議したい気持ちもよくよく理解できるのであるが、博物館に勤めた経験のある私としては、批判の矢面に立たされた博物館職員にはいささか同情的である。宮仕えの身は、必ずしも意ならずといった仕事もやらなくてはならないからである。

 ただ、大阪展を見た限りだと、危惧していたような中国のプロパガンダという面は目立たなかった。展示物へのキャプションも、チベットのものにはちゃんと「チベット 何世紀」と書かれていたし、中国のものには「清代 何世紀」、インドのものには「何王朝 何世紀」と区別されて書かれていた。これすなわち、チベットと中国が別個の歴史を歩んだことを暗に示している。また、「チベットは中国の一部である」と声高に叫んでいる中国当局の「挨拶」のパネルは、どうしたわけか、気づかないほどの隅っこにあった。

 それに、展示された文化財はやっぱりすばらしかった。私たちの文化とはまったく違う感性ではあるが、圧倒的なチベット文明の迫力である。中国政府のチベット弾圧に憤る気持ちとは別にして、やはりこの展覧会は見ておくべきである。そして、見て、チベット文明の精華を胸に刻んだ上で、この展覧会に欠けている部分は何かということを真摯に考えたらよいのだろう。

 チベット亡命政府が、この展覧会に対して声明を出している。ダライ・ラマ法王の基本方針に忠実にのっとり、この展覧会に対して抗議をする際にも、「平和的に活動し、一切の暴力を行わないよう」と要求しているのは賞賛に値する。

 それでも、いささか笑ったのは、一階の特設売店(中国物産店が出店しているのだろう)。チベットに関する本が山積みされているのだが、チベット仏教とかチベット案内ばかりであり、日本でもおびただしく出版されているダライ・ラマ14世法王の御著書は一冊もない。チベットに関心のある人々に対しては法王の御著書は最も売れ筋のはずなんだが、商売を度外視してまでも中国の顔色を伺わねばならないというのは、物産店もお気の毒なことである。結局はこうした対応が、「大国」であるはずの中国の小心さを露呈しているのだと思う。もっとおおらかに、どっしりと構えることができないのかね。

 東京展の会期中には、たまたまダライ・ラマ法王が来日されていた。中国が本当に度量を見せるならば、このチベット展に法王と在日亡命チベット人の皆さんを御招待するべきであった。法王とチベット人こそが、この展覧会の出展文化財の本来の所有者なのだから。中国はチベット文化を大事にしてます、という自信を持っているならば、それを法王の御前で堂々と見せるべきである。それもできないというのは結局は、中国はチベット支配に自信が持てない、ということを告白しているのも同様なのだろうな。

 ともあれ、3月31日までです。関西の皆様、どうか御覧ください。

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