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2010.06.29

法勝寺八角九重塔と日本考古学協会理事会、の巻

100629_2〈←法勝寺八角九重塔跡(クリックで拡大)〉
6月26日(土)
 東京行き。ただ、京都市埋蔵文化財研究所の法勝寺跡の発掘調査の現地説明会とバッティングする。残念、と思ったのだが、時刻表とにらめっこすると、僅差で両立させることは不可能ではなさそうだということに気づく。十時からの現地説明会に参加して、十数分間だけ見学させてもらい、そのあとすぐに地下鉄に飛び乗れば、なんとか会議にまにあうように東京につける。綱渡りではあるが、なんとかなりそうだ。
 しかし、外は雨。蒸し暑いこときわまりない。現地の京都市動物園につくと、全身から汗が吹き出してくる。難儀なことである。しかし、遺跡は期待通り。法勝寺の八角九重塔といえば、総高80mを越える、古代日本でもっとも高い建造物である。その基壇の跡は小高いマウンドになって戦前まで残っていたが、進駐してきたアメリカ軍によって無惨にも削り取られてしまった。だから、遺構はまったくのこっていないものだと考えられていたのだが、今回の発掘調査によって、ひと抱えもある大きな石を多数叩き込んだ地業(基礎工事)が発見された。見事に八角形の平面がでており、塔の平面規模が明らかになった。院政期を考えるためにこれ以上重要な遺跡は考えられない。
 ただ、この遺跡がどうなるのか、気にかかる。京都市は動物園の再整備計画を持っており、今回の調査もそれにともなうものであるはずだ。しかし、これだけ見事な遺構が見つかったのだから、これは遺跡保存→史跡指定→顕彰(遺構の復元など)が当然である。ただ、京都市がそういう方向に動いてくれるのかどうか。注視したいと思う。

 地下鉄に飛び乗って、東京行き。一般社団法人日本考古学協会の理事会があるのである。新体制になっての最初の理事会は先回の総会会場の国士舘大学であったから、考古学協会の事務所で開かれる理事会は今回が初回。私も、考古学協会の事務所に行くのは初めてである。
 ところが、ちゃんと調べてこなかったので、場所がわからない。「平井駅前共同ビル」だということは知っていたので、平井駅まで行けばなんとかなるとタカをくくっていたのだが、駅のどっちに出ればいいのかもわからない。さんざ迷って、結局は交番で尋ねるハメにおちいる。お巡りさんいわく「平井駅前共同ビル?(地図とにらめっこして)ああ、駅の北口のスーパーの西友のビルですね」。ん? 西友? 考古学協会、そんなところにあるのか? 半信半疑で西友に行く。西友はすぐにわかったのだが、考古学協会の表示はまったくみつからない。ウロウロしていると、あちらからT海大学のH条Y隆さんが近づいてこられた。助かった!
 聞いてみると、またまたびっくり。西友に入って、スーパーマーケットのお客さん用エレベーターに乗る必要があるのだという。つまり、ビルの一階に考古学協会用の出入口があるわけではなく、スーパーの店の中を通り抜けねばならないというのである。エレベーターに乗ると、確かにその押しボタンに「日本考古学協会」の表示が貼り付けてある。むむ、これは確かに、知っている人でないとわからないな。
 と、いうことで、なんとか無事に到着。理事会は14時から始まり、内容の濃い議論が19時まで続く。誰かが考古学協会の理事会は非民主的だと言っていたが、ぜんぜんそんなことはない。非常に民主的で、発言しやすい場である。ちょっとビビッていたので、これは安心した。
 終了後は呑み会だというが、ちょっと遅くなりすぎた。今日中に帰洛せねばならないので、後ろ髪をひかれながらも今回はパス。

2010.06.25

ダライ・ラマ14世法王長野講演に参加する、の巻

100625
 6月20日(日)
 日帰りで、長野行き。
 ダライ・ラマ14世法王が、今年も来日された。これで3年続けての来日だということになり、まことにありがたい話である。法王も74歳という御高齢になっておられるのであるが、相も変わらぬ精力的な御活動には頭が下がる。今回の来日は、長野の善光寺の招聘に応じてである。善光寺といえば、2008年の北京オリンピックの際、長野での聖火リレーの出発地に選ばれながら、中国政府と中国共産党のチベット弾圧を憂い、聖火リレーを辞退するという英断を下したお寺である。私はオリンピックに関心がなかったが、あの時のニュースを見ると、全国から中国人や中国シンパの人々が長野に集まり、長野は中国の赤い国旗によって埋めつくされていた。その中でチベット国旗を持っていようものなら警察に誰何されて聖火リレーの沿道には近づけず、さながら長野は中国の領土と化したような感すらあったという。しかし、脳天気な人々がオリンピックと聖火リレーに浮かれている中で、善光寺だけはその裏側に潜む不正義を正しく認識し、チベットの人々の安寧を祈り続けていた。やはり宗教者たる者はこうでなくてはなるまい。まことに見上げた心意気である。このことを聞かれた法王も、チベット人を代表して善光寺に謝意を表し、それが機縁となって法王と善光寺の交流が生まれた。そして、そうした活動が今回の法王の招聘となって実を結んだのである。
 長野に足を運ぶのは久しぶりであるが、京都からはやっぱり遠い。それに、名古屋からの特急の列車内が蒸し暑くて閉口である。長野駅に到着したのは昼前。講演会場は長野市郊外にあるビックハットという巨大なドーム。長野オリンピックの会場としてたてられたものらしい。長野駅東口からは臨時のシャトルバスがでているので、さっそくそれに乗り込む。
 会場はさすがにたくさんの人である。聞いてみると、7千人ほどの人々が参集されたという。決してチベット問題に関心が深いといえない我が国でこの数なのだから、やはり大したものだといわねばなるまい。会場のセキュリティと警備が厳しすぎるのはいささか閉口だが、法王猊下の安全を守るためだというならば、これもいたしかたないだろうな。
 般若心経のあと、法王の御登壇。私は、ギリギリまで行けるかどうかわからなかったのでチケットをとるのが遅くなってしまい、後ろの方の席になったのが残念。双眼鏡を持ってくればよかった・・・
 御講演のテーマは「善き光に導かれて—今、伝えたい心—」。最初に般若心経を唱えたこともあって、般若心経の解説から始まる。般若心経とは観音菩薩のお経であり、ダライ・ラマ法王はチベットでは観音菩薩の化身と信じられているから、いわばこれはもっとも正統的な般若心経講義だということになる。ただ、内容の理解がちゃんと及ばなかったのは、当方の無知無学。せっかくの機会なのに、恥ずかしいことである(>_<)。
 今回の御講演の中で感銘深かったのは、「優れた知性とは、落ち着いた精神と平和な心があってこそ正常に機能する。それでこそ、現実を知る客観的な目を養うことができる。怒りの心や欲望に満ちた精神では現実を正しく見ることはできない」といわれたところ。これ、研究の分野にもぴったりと当てはまることだな。
 ともあれ、3年連続でダライ・ラマ法王と同じ場の空気を吸うことができた。ありがたいことである。

 せっかく長野に来たのだから、善光寺にお参り。ひさしぶりである。美しい石畳の参道をたどりながら、長野という都市が、善光寺の門前町であることを改めて認識する。帰り道で、刈萱道心と石童丸の伝説が残る刈萱山西光寺にもたちよる。絵解きの寺としても有名なようで、今度はぜひ絵解きを聞かせてもらうことにしよう。

2010.06.19

全国大学博物館学講座協議会@京都、の巻

100619(←泉屋博古館における見学会。皆さん熱心に鑑賞しておられる)
 6月18日(金)・19日(土)
 しばらく余裕がなくて、ブログにも向かえなかった。というのは、18日と19日の両日、全国大学博物館学講座協議会(「全博協」)の平成22年度全国大会をわが同志社女子大学で引き受けたからである。全博協というのは、日本全国の博物館学芸員課程をもつ大学の連絡組織であり、国公私立の180ほどの大学が加盟している。ウチの大学はやっと今年で学芸員課程の完成年度をむかえたところであり、この中では新参者そのものなのであるが、どうしたわけか全国大会の開催という重責を引き受けることになってしまった。
 と、いうことでむかえた本番。会場は同志社女子大学今出川キャンパス(私は広くて綺麗な京田辺キャンパスでやろうと言ったのだが、ほかのみんなは異口同音に京都の中心部にある今出川キャンパスがいいという意見だった)。
 1日目は総会と研修会。研修会のテーマは「博物館危機の時代と大学の学芸員課程」とした。博物館に対する無理解と圧迫(典型はお隣の府のH下とかいう知事)が強まっている現在、博物館の社会的意義と、大学の学芸員課程の役割をもう一度見直すべきだと思ったのである。そこで基調講演と報告には、國學院大學の青木豊教授(全博協の委員長大学)、京都橘大学の一瀬和夫教授、大阪城天守閣の宮本裕次主任学芸員をお願いし、そこに私が司会する討論を加えることにした。時間が限られていたのが残念だったが、各先生ともに熱烈な報告をおこなっていただき、私の企画の意図は充分に達せられた。ありがたい限りである。
 そのあとは、京都駅ビルのホテルグランヴィアに会場を移し、情報交換会。ここでも、私は司会。司会者は飲み食いをひかえるのが原則なのかもしれないが、やっぱり呑んでしまう(^^;)。
 2日目は見学研修会。バス4台を仕立てて、「京都の大学博物館と特色あるコレクションを持つ博物館」をテーマとした。京都大学総合博物館大谷大学博物館佛教大学宗教文化ミュージアム泉屋博古館をめぐる。私たちはツアー・コンダクター役である。どの博物館でも、ご担当の方々がこちらの趣旨を御理解いただき、大変な御協力をいただいた。これも、ありがたい。
 正直いって、準備は大変だった。やはりこうした行事を遂行するのは私には重荷すぎた。私だけではホント、途方にくれていたであろう。これをなんとか乗り切れたのは、一緒に博物館学芸員課程を担当しているA野T郎准教授、教務部のS田K樹次長を中心とする皆さん方のご尽力と奮闘あってのことだった。感謝のきわみである。

 さて、明日は日帰りで長野行き。今日は早く寝よう。

2010.06.01

伏見城を巡り、ヴェトナムを学ぶ、の巻

100601_2(←伏見城の見学に歩く参加者の皆さん)
 5月29日(土)
 大阪歴史学会の見学検討会「伏見城研究の成果と課題」。午前中は伏見城と城下町の見学会、午後はシンポジウムである。私は「紙上報告:伏見城・城下町の研究史と陵墓問題」としての参加。私にしては珍しく、締め切り前に原稿を提出してしまったから気が楽である。
 集合時刻の10時直前に、集合場所である近鉄桃山御陵前駅に到着。しかし、なんだか様子がおかしい。この見学検討会をご担当された大阪歴史学会のK本N文さんがおられたので聞いてみると、予想を上回る数の参加者が押し寄せてこられており、皆さん、もう初見学地の御香宮神社へ移動しているという。私もそちらに行ってみて驚いた。確かにおびただしい数の人々である。私はせいぜい数十人を予想していたから、嬉しい驚きである。資料集は150部用意していたのがアッというまに無くなり、今、印刷屋さんに行って増し刷りの最中だという。
 正確な数はわからないが、おそらくは300人近い数の方々が参加されたらしい。大阪歴史学会の担当の皆さんのご苦労が察せられる。ただ、これだけの皆さんが伏見城に関心を持っていただけるというのは、確かに嬉しいことである。ウチの大学の学生も、ふたり参加していた。
 午後のシンポジウムの会場に入りきれないのではないかと恐れたが、K本さんらの機転により、会場の前半分の椅子を取っ払い、そこにゴザを敷いて座ってもらうことになった。なるほど、これはいい。椅子席ばかりよりもはるかにたくさんの方々が参加できる。とはいうものの、やはり会場の入り口から外へもはみだしているぞ。私などは一応は関係者だから、こんな中で席を確保しているのは申し訳ないな。そこで、報告者のN井Hさん、F島K彦さん、M島Y雄さんとともに、大きなスクリーンの裏側に隠れて報告を聞くことにする。みなさんいずれもリキのはいった報告で、満足。
 終了後は、桃山御陵前の飲み屋で打ち上げ会。大阪歴史学会の皆様、ご苦労さまでした。そしてありがとうございました。

 5月30日(日)
 前近代都市論研究会。本日はゲスト・スピーカーで、H島大学教授のY尾T生さんからヴェトナム・タンロン(昇龍)の研究の現状を学ばせていただく。私にとっては、2008年の2〜3月に発掘調査に参加しているから、興味津々の遺跡である。遺跡を(ちょこっと)発掘したとはいうものの、ヴェトナム史やヴェトナム考古学を本格的に学んだわけではないから、その道の専門家から全体像を語っていただくのは本当にありがたい。報告を聞いていると、もう一度、ヴェトナムの遺跡に行ってみたくなったぞ。


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