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2010.09.14

飛鳥・牽牛子塚古墳、の巻

100913 9月11日(土)
 奈良県明日香村の牽牛子塚古墳で発掘調査がおこなわれており、その現地公開。新聞報道で「八角墳であることがわかり、斉明天皇陵であることが確定」という文字が躍っていたから、たくさんの見学者が訪れることは確実である。ちょっと辛いが朝早く起きて、イの一番に訪れることにする。現地到着は九時。しかし、もう並んでいる人々がいる。聞くとも無しに聞いてみると、朝七時から待っているという老夫婦もいる。熱心なことで、御同慶の至りである。
 しばらく待って、古墳に上がることができる。巨石をくりぬいた横口式石槨はさすがに豪壮である。背面に回ると、見所の八角形に敷かれた凝灰岩の石敷と、川原石によるバラス敷が見える。ちょっと不思議なのは、この石敷が背後の地山とのあいだを溝状に削り込み、そこに落とし込むように敷かれていること。また、墳丘部は損壊が著しい(地震による崩壊との説がある)。怪我の功名で、墳丘背面の崩壊部からは大きな切石が検出されていることも興味深い。どうやら、石槨を切石による構築物で囲んでいたらしい。こういう構築物をなんと呼ぶべきだろうか?
 新聞報道ではこの古墳が斉明天皇陵であることが「確定」とされている。私もその可能性は高いと思うが、「確定」とまで言われるのにはちょっとためらいもあるな。それに、もしこの古墳が斉明天皇陵だとしても、この墳丘形態がいつ完成したかは議論の余地がある。斉明天皇の曾孫の文武天皇の時代に斉明天皇陵の修造記事があり、こうした構造はその時代まで時期が下るという可能性も考えておかねばならない。

 なお、私は斉明天皇という女帝には、いささか点が辛い。彼女が創り上げようとした飛鳥の都を高く評価する人は多いが、私の目には歴史の流れに逆行しようとした反動的な姿にしか見えないのである。猿石だとか須弥山石だとか、飛鳥に点在する「謎の石造物」といわれるものはいずれも斉明女帝の時期のものだと思うし、それが飛鳥に対するロマンをかきたてている点はあるのだが、やっぱり、なんじゃこりゃ、というべきシロモノである。もし斉明天皇に会えるならば、あんた、いったい何を目指していたんだ?という質問をしてみたいものである。

 ともあれ、満足して、牽牛子塚古墳を後にする。せっかく来たのだから、ということで、岩屋山古墳、梅山古墳(欽明天皇陵古墳)、宮内庁治定の吉備姫王墓と猿石、鬼の雪隠・俎古墳、中尾山古墳と巡回。しかし暑い! せっかくだから高松塚古墳にまで足を伸ばすのが当然なのだが、中尾山古墳近くの国営飛鳥歴史公園の「公園館」で休憩すると、もうそれ以上歩く気がしなくなる。あえなくギブアップして、帰途をたどることになる。

100913 ところで、山中章博士は例年に輪を掛けての活躍ぶりである。なにせ、この夏の間だけで中国江南、台湾、そしてレバノンと調査に駆け回っておられるのだから、そのバイタリティはほとんど超人的である。京都盆地に閉じこもっている私としては、羨ましい限り。
 ただ、だからといって山中博士に見せつけるわけではないが、この写真は京都のグジ(甘鯛)の塩焼きである。朧谷寿先生に連れて行ってもらって10年会をやったことのある寿司店「満」。たしかその時には、山中博士はこのグジに目を輝かせ、美味しい美味しいと、涙を流さんばかりの感激ぶりだった。ひさしぶりなのだが、ウチの奥さんの誕生日が近いということもあり、行ってみることにした。このグジを始め、脂の乗ったトロ、口の中でスッと溶けていくホンモノのウニ、いいあんばいに締めたサバなど、いずれも絶品中の絶品である。久しぶりの奥さん孝行ができたことになる。


2010.09.10

平泉、の巻

100910(←平泉・毛越寺の庭園)
 皆様ごぶさたしました。艱難辛苦のかいあって、仕事の山も少しは低くなってまいりました。近年稀に見る猛暑も一段落したようです(それにしても京都は暑かった!)。

 9月3日(金)・4日(土)
 京都盆地に閉じ込められていたこの夏、ほとんど唯一(>_<)の遠出。久方ぶりに、平泉に行くことになる。中世都市研究会2010年度平泉大会が開催されるのである。久しぶりなので、行き方にちょっと迷った。飛行機で行くか、それとも新幹線で行くか考えたのだが、飛行機嫌いの私としてはできれば空路は使いたくない。しかし、時は金なり、という格言もその通りである。そこで調べてみると、ちょっとびっくりしたことに、京都から平泉までなら、飛行機でも新幹線でもそんなに時間は変わらないことが判明。と、いうことで、朝の6時46分京都発の新幹線に乗り込む(ところで、会場でお会いしたS南大学のM川K教授は、なんと船でお越しになったという。びっくり。名古屋から仙台経由苫小牧行きというフェリーがあるそうだ。そんな手があったとは! ただ、もちろん名古屋から仙台まではほとんど1日がかりだそうだ。でも面白そう。船は大好きなので、今度、時間があるときにはトライしてみよう)。東京乗り換えで、昼前に平泉着。
 金曜日は自由行動。さっそく平泉のシンボル、中尊寺にでかける。金色堂はやはり見事なのだが、未だによくわからないところがある。ひとつは、屋根が木の瓦で葺いてあること。どう考えても、覆屋無しでは永く保つはずがない。もうひとつは、奥州藤原氏4代(4代泰衡は首だけ)の遺体が須弥壇の中に入れ込まれていたこと。堂塔式陵墓は京都にもいくつかあるが、いずれも遺体や遺骨は堂塔の床下に埋納するのが通例で、須弥壇の中というのは他に例がないと思う。
100910_2(←平泉「夢館」のロウ人形「藤原泰衡の殺害」)
 ウチの奥さんの依頼で、中尊寺白山神社の能舞台の写真をパチパチ。能の絵馬も買う。これは奥様孝行。
 中尊寺を出てからは、門前にある平泉文化史館奥州藤原歴史館「夢館」。前者は昔からある博物館施設で、だいぶ老朽化しているのが気になるが、平泉研究の先駆者・藤島亥治郎博士の設計になる見事な模型や復元図が貴重である。後者は最近できたもので、要するに観光目的のロウ人形館。バカにする人も多いが、私はこんなのが大好きである。藤原泰衡断末魔の場面は、上の写真で御覧ください(^^;)。
 それから、山のうしろをテクテク歩いて平泉文化遺産センター。ん? 確か、平泉郷土館というのがあったはずだが、と思ったのだが、同郷土館が発展的解消して文化遺産センターになったそうだ。なかなか充実した展示で、平泉の出土遺物を一堂に見ることができるのはありがたい。
 でも、ここまでで、くたびれてしまう。歩くのがイヤになったので、町内巡回バスをつかまえて、無量光院跡へ向かう。本堂跡の発掘調査をやっているところである。そろそろ誰か捕まえてくれないかな?と思いながら遺跡へ足を運ぶと、遠くから大声で「山田さ〜〜〜ん」と叫ぶ声。見ると、地元の研究者であるY重樫T郎さんが手をふってくれている。ご挨拶すると、ちょうど他の方々に遺跡を御案内しているところであるので、車に同情せよとの温かいお言葉。ありがたい(^^)/。それから、夜には前夜祭の呑み会をやるから来ないか?というありがたいお誘い。一も二もなく、飛び入りをさせてもらうことにする。と、いうことで、柳御所遺跡資料館を見たあと、呑み会。

 二日目。午前中は見学会である。少し時間があるので、駆け足で観自在王院跡毛越寺(写真)をまわってくる。10時から開始で、バスに乗り込んで、柳御所遺跡(「柳御所跡」という人がいるが、これは間違い。念のため)で国立R史M俗博物館のT井T雄教授のご解説を聞く。そのあとは、12世紀と推定される石仏がある月館大師堂、北上川の要衝を制する白鳥館遺跡、さらには長者原廃寺の発掘現場を見学。どれも、こんな機会でないと行けない遺跡なので、大変にありがたい。
 午後は研究会。例によって密度の濃い報告が続く。充分に勉強した後は、懇親会。平家琵琶の演奏なんかもあって、充分に楽しめる。
 日曜日にも研究会は続くのだが、私は次の日、どうしても東京に行かねばならない。後ろ髪ひかれる思いをしながら電車に乗り込み、東京行きの新幹線に接続する。上野着は夜の十二時前。ホテルのベッドに倒れ込む。


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