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2010.11.27

ひさしぶりの「静」の巻

101127_2 11月25日
 早くに家を出て、ホームセンターでなんやかやと買い物をすませて、大学に放り込んで、ゼミの学生たちをつれて、山城郷土資料館にでかけて、同館で開催中の「恭仁宮」展を同館のM島Y雄さんに御案内いただいて(M島さん、ありがとうございましたm(_ _)m)、大学にギリギリで滑り込んで、さっさとうどんをかっ込んで、補助金の申請書類を事務室に提出して、授業を2コマこなして、急ぎの書類を書いて、すぐに帰宅。
 先日刊行することができた『歴史のなかの天皇陵』のことで、共編者の高木博志さんと会う。仕事が終わって、ちょっといっぱいやろう、ということになって、ひさしぶりに「静」(「静香」ではありません、念のため)に行ってみたくなった。京都随一の繁華街の四条河原町の近辺でありながら、裏の裏という隠れ家的な飲み屋。京都ですら今は珍しくなった、正統的な学生酒場である。学生時代にはよく通ったな。なつかしい。「静」のトレードマークともいうべき、壁面いっぱいの落書きも昔のままである。ぶっとりとした出汁巻きも健在なのが嬉しい。ついつい長居してしまう。しかし、ご主人が最近お亡くなりになったそうである。ご冥福をお祈りする。こういう飲み屋、時代の流れに抗していつまでもあってほしいな、と心より願う。


2010.11.22

京都はそろそろ紅葉、の巻

101122_2 だんだん、秋。紅葉も色づいてくる。見頃まではもうちょっとかもしれないが、それでもなかなかのものである。写真は、京都府長岡京市の粟生光明寺(浄土宗西山派総本山)。ふだんはひっそりとしているお寺なのに、拝観者でいっぱいだった。


2010.11.17

奈良県新木山古墳の陵墓限定公開、の巻

10111411月12日(金)
 宮内庁が治定している「三吉陵墓参考地」、つまり考古学的にいう奈良県広陵町新木山古墳の発掘調査の「限定公開」。今年は私は、日本考古学協会の陵墓問題担当理事として、全体のとりまとめを仰せつかっている立場での参加である。ただ、実働の面では大阪歴史学会の岸本直文さん(大阪市立大学准教授)がとり仕切ってくださっているので、まことにありがたい。
 新木山古墳は葛城の馬見古墳群の中でもトップクラス、全長200mに達する大型前方後円墳である。ただ、陵墓参考地なので断片的な情報しか伝わってこなかった。今回は墳丘の裾部に十数ヶ所のトレンチを開けているというから、かなりのデータが得られると期待される。近鉄の大和高田駅に集合し、タクシーに分乗して現地に向かう。13時の少し前に、見学開始。宮内庁の調査担当者であるS氏の御案内のもと、トレンチを順番に見て回る。葺石、埴輪列など。ただ、墳丘はけっこう改変が著しく、後世の盛り土が分厚く被っていることが印象的である。
 二時間ほどかけて、じっくりと発掘区を観察。その後は、周濠部での広陵町教育委員会の「同時調査」のトレンチを見学。それから広陵町の公民館に移動して検討会。とりあえず、私が司会をつとめさせていただく。最後は、大和高田駅前の安い飲み屋で「反省会」。一仕事終えた解放感からか、つい飲み過ぎ。電車は終電の一本前にあわてて乗り込む。

 ともあれ、大きな成果があがった見学会でした。真摯に対応していただいた宮内庁の皆様、とくにいつもお世話になっているF調査官、ありがとうございました。積極的に参加していただいた15の学会の皆様方、特に裏方で獅子奮迅の活躍をみせてくださった大阪歴史学会の岸本さんにも、あらためて、感謝m(_ _)m。


2010.11.11

ダライ・ラマ14世法王、東大寺御講演、の巻

101112 今年は日本在住のチベット・サポーターにとってはすばらしい年となった。6月に続いて二度も、ダライ・ラマ14世法王が来日されたのである。今回の御来日は、広島でおこなわれるノーベル平和賞受賞者世界サミットに出席するためのものである。しかも、その途中には久方ぶりに関西に立ち寄られるというのであるから、なんとしてでも参加して、法王の御尊顔を拝するべきなのである。しかし、今回の法王、11月6日に成田空港に降り立たれてから、大阪、奈良、愛媛県新居浜市(2回)、そして広島と、息をもつかせぬ強行軍である。相もかわらぬ精力的なご活躍に頭が下がる。例によって中国は、日本政府に対して「ダライ・ラマを入国させるな」などという横槍を入れてきたようであるが、お間抜けな話である。

 今回は、東大寺での法王御講演に参加するために、奈良にむかう。近鉄電車に乗っていると、途中から高校生の大群が乗り込んでくる。なんじゃこりゃ、正倉院展の集団見学でもやるのかいな、と思ったのであるが、聞くともなしに聞いていると、法王がどうのこうのという声が聞こえる。あとでわかったのであるが、彼らは東大寺が経営する高校の生徒たちで、学校の行事として法王の御講演に参加するのである。高校生のあいだにそんな機会に恵まれるというのは、うらやましい限りである。
 東大寺に着く。いったいどこが会場かいな、と思うと、なんと大仏殿の裏側である。大仏様を背にしての法話、なかなか洒落た趣向である。しばらく待って、いよいよ法王の御登場。横に長い座席配置であるから、今までで一番法王の御座に近い。ありがたい。法王の表情の細かなところまで見えるぞ。
 しかし、法王が口を開かれて、ちょっとびっくりした。いつもの明快で歯切れの良い口調ではなく、元気のないしゃがれ声である。お風邪を召されて、ノドの調子を崩しておられるのがありありとわかる。講演中にもしばしば咳き込まれたり、ちり紙を出して鼻をかんでおられた。ついに、いつもの片肌脱ぎを止めて袈裟で身体を包み、首には毛糸のマフラーを巻くにいたられる。こんな法王の御姿を見たのは初めてである。時には袈裟を頭からすっぽりとかぶって、その中で鼻をかまれる。あとで聞いたところでは、すでに11月5日のインドでのITSG(国際チベット支援団体)全体会議の時にすでに風邪をひいておられたらしい。それにもかかわらず長旅での来日、そして連日の講演である。またマンの悪いことに、東大寺大仏殿の後堂広場は吹きさらしで寒いことこのうえない。法王様、もうこんな寒いところでの講演なんて切り上げて、どうか暖かいところでお休みください、かけがえのない大事な大事なお身体なのですから、と叫びたくなる。しかし、さすがは法王、できるだけ周囲に心配をかけないよう努力しておられる様子が手に取るように伝わってくる。

 例の東大寺学園高校の生徒たち、会場の北側に集団で座っている。大丈夫かな、とちょっと案じていたが、法王が御登壇されると水を打ったような静けさで法王の御法話に聞き入る。なかなか大したものである。法王も、こうした若い人々との対話をしたがっていたようで、質疑応答の後半部は彼らを指名する。中で面白かったのは、ひとりの男の子が「僕は入学3日でこの高校が大嫌いになったが、それでも今まで続けていたために今日、ダライ・ラマさんのお話しを聞くことができた。これも何かの縁なのかな、と感じる」と言ったところ。うん、物怖じせずにここまで言えるとは、これもなかなか大したものである。「僕はお笑い芸人になりたいと思っているのだが、舞台に立つためには周囲の人々からの信頼が必要だと思う。でも今の僕はあんまり他人から信頼されていないように感じる。どうしたらよいのだろうか」。法王は微笑みを浮かべながら聞き入り、「信頼を得るには正直に生きること、嘘をつかないこと、表面と裏面に矛盾がないようにすること」といった内容を答えられる。
 
 法王猊下、なにとぞご無理なさらないで、御身体をいたわってくださいませm(_ _)m。


2010.11.10

第20回平安京・京都研究集会で俎上にあげられる、の巻

101110
(←平城遷都1300年記念祭、第一次大極殿前。天平復元衣装を着させてもらって、ウチの奥様と)

 11月7日(日) 
第20回平安京・京都研究集会。ご案内の通り、私の著書『京都都市史の研究』の書評会をしていただいた。評者は山本雅和さんと仁木宏さん、そしてコメントを高橋昌明先生にしていただくという、豪華メンバーである。私も、自分がマナイタの上に載せられるというのは初めての経験である。みなさんのご意見を聞いてみると、やはり自分では気がつかなかったことばかりである。特に、私の説明不足で誤解をまねいているところがめだつ。反省するところしきり、である。
 中でも話題になったのは、
  ◎「巨大都市複合体<コンプレックス>」論が、具体的な「衛星都市」の解明がまだまだであること。
  ◎      〃          都市ネットワークの解明ができていないこと。
  ◎全体的に、絶対年代(世紀)による時期区分が曖昧なこと。
  ◎考古学固有の方法論をもっとつきつめるべきこと。
  ◎復元地図を重視しているが、地図上に表現できない部分があるという認識が必要なこと。
  ◎都市を広義にとらえることが逆にそれぞれの都市の概念を曖昧にしていること。
などである。いずれも確かにその通りであり、真摯にとらえて今後の「宿題」にしていかなくてはならない。
 評とコメントをいただいた仁木さん、山本さん、高橋先生、本当にありがとうございましたm(_ _)m。


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