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2011.07.31

やっとひとつ(須恵器編年)、の巻

 7月29日(金)
 毎度のことながら、仕事がズルズルと遅れている。「前方後円墳が好き」さん「まだ原稿を出していないのは、オレを含めて3人だそうだ(もう一人の人の話による)」と書かれていたが、白状します、この「もう一人の人」とは私のことです。遅まきながらなんとか仕上げることができ、出版社に原稿を送付する。「前方後円墳が好き」さんも、3人のうちのもうお一方の先生も、もう提出されたのだろうな。結局、私が最後になったのではないだろうか。我ながら、どうしてこう仕事が遅いのだろうか。つくづくイヤになる。D成社さん、編者のF永先生、さらに早くから原稿を寄せられている先生方、すみませんでしたm(_ _)m。
 私の担当は「須恵器の編年(西日本)」。手をとられたのは、古墳時代の須恵器の編年図である。前著『須恵器生産の研究』には、力及ばずして須恵器編年図を入れることができなかったので、ずっと心残りだった。いろいろな本には須恵器編年図が掲載されてはいるが、必ずしも変遷の型式学的組列がうまく読み取れなかったりして、私としてはどこか欲求不満が残るものばかりである。いつか、私の頭の中にある「理想」の須恵器編年を簡潔な図にしたい、と思い続けてきた。しかし、これはおもいのほか難作業である。あちこちの古墳の出土資料をつまみ食い的に並べるのならば事は簡単なのだが、やはり生産地を重視する立場からは日本最大の須恵器生産地である大阪府南部窯址群(「陶邑窯址群」と言われるが、私はこの名称を採らない)の出土資料を使うことを原則としなくてはならない。田辺昭三氏が『須恵器大成』で提示された資料を無批判に使えれば楽なのだが、大筋はともかくとして、細部では異論がある。中村浩氏の『和泉陶邑窯出土須恵器の型式編年』の編年については、一番重大なところ(中村編年のⅡ型式第6段階からⅢ型式第1段階にかけて)で、私とは決定的な理解の相違がある。それに、田辺氏のものも中村氏のものも、資料が一杯挙げられているのはいいのだが、その中のどの資料をその時期の典型と理解されているのか、ちょっとわかりにくいところがある。
 よって、研究室から大阪府南部窯址群の数十冊の報告書を担いで帰り、ひとつひとつ、最適の資料を選び出すことになる。これが結構な重労働。やっと仕上げられたと思うと、別の資料を忘れていたことに気づき、なんべんもなんべんも編年図を修正する羽目になる。久しぶりにホワイト修正液を大活躍させたぞ。
 その甲斐あって(?)、なんとかできあがった。ホントはもっと大部なものにしたかったが、紙数の関係で器種を限定せざるをえなかったのはちょっと残念。ただ、私の理解する型式変遷は明確にさせたつもりだから、これから学び始める学生さんとか、他の時代をやっているがちょっと古墳時代の須恵器も理解しておきたいという研究者には、お役にたてていただけるものになったような気がする。

 ともあれ、ひとつ完成。しかし、息継ぐ間もなく次の仕事にかからねばならない。はぁ〜、先が思いやられるぞ(>_<)。

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