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2011.09.27

長尾山古墳、の巻

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 9月25日(日)
 兵庫県宝塚市の長尾山古墳を、大阪大学考古学研究室が発掘調査している。全長42mの古墳時代前期前半にさかのぼる前方後円墳である。昨年には見事に完存していた粘土槨が検出されて非常な話題となった。今年度は調査最終年度ということである。
 阪急電車宝塚線の山本駅で下車。古墳までは地図で見ると近距離なのだが、実際は坂道と山の階段をえっちらおっちらと昇らねばならない。しかしその分、眺望は絶景である。おお、眼下に一望に見渡せるのは伊丹じゃないか。つまり、平清盛と高倉上皇による小屋野京(児屋野)の予定地である、と、全然古墳と関係ないところで悦にいる(^^;)。
 息を切らせながら山頂まで上がると、たくさんの人々が集まっている。福永教授、高橋准教授、中久保助教に御挨拶。いちおう私もこの9月末日までは大阪大学非常勤講師であるし、調査団に参加している学生諸君もみんな顔なじみなので、なんとなく心易い。最終年度ということで調査面積は小さいが、後円部の葺石が見事に残されている。墓坑から続く排水溝は深く、頑丈である。前期古墳の発掘調査を見せていただくのは久しぶりなので、ちょっと感激。

 京都に戻って、夜は家族でささやかながら伯父の誕生祝い会。93歳になるが、カクシャクとして元気に過ごしてくれているのが嬉しい。どうかいつまでもお元気で。

2011.09.24

第3論文集『日本中世の首都と王権都市(仮)』、脱稿、の巻

 9月22日(水)
 夏季休暇中にはいくつかの仕事を仕上げねばならなかったのだが、なんとか間に合ったものと、思うにまかせなかったものがある。その中でも最大の仕事は、『須恵器生産の研究』『京都都市史の研究』に続く第3論文集である。前著を出してからまだ2年なのでちょっと早いかな、とも思ったが、逆に、出せる時に出しておかねばズルズルと後回しになってしまう、と決意した。
 もうひとつの理由は、「平安京・京都研究叢書」の第2巻にすることである。この叢書、意気込んで始めたものの、第一巻『院政期の内裏・大内裏と院御所』を2006年に出してから、だいぶ間が空いてしまっている。あちこちから問い合わせがあるようで、やはりこれは第2巻を出さねばならない。そこで、手前味噌ではあるが私の論文集をこれに宛てることにしたのである。
 今回の論文集は、『京都都市史の研究』に収録しきれなかった論文を中心にして一書にまとめることにした。第1章「平安京・京都の都市と都市民」、第2章「院政期京都とその周辺」、第3章「『福原京』の復元研究」、第4章「中世都市嵯峨の変遷」、第5章「京都の歴史遺産とその活用」という構成になる予定で、まだ仮題だが、いちおう『日本中世の首都と王権都市』という題名を付けている。
 あんまり売れ行きの期待できない学術書であるから、わが大学の出版助成金を申請したら、ありがたいことに通していただくことができた。感謝々々である。しかし、逆に、今年度中の出版が義務づけられることになった。だからどうしても夏季休暇明けにはメドをつけておかねばならない。と、いうことで、この夏は必死で原稿まとめにとりくむことになる。まだ一部の図面などが調整ついていないところはあるのだが、夏季休暇最終日の21日、なんとか稿了して文理閣の黒川美富子さんのところに届けることができた。無理をしたせいか身体の節々が痛むが、少しだけ肩の荷を降ろすことができる。ささやかにお祝いを、ということで、黒川さんとウチの奥さんと一緒に、京都駅のグランヴィアの中華料理屋さんの紹興酒で、乾杯。

夏季休暇終了、の巻

 Photo(←『月刊京都』722号〈2011年9月号〉に掲載された記事。行きつけの店を紹介してくれ、というので、迷ったあげく、子供の頃から親しんできた中華料理「鳳舞」の後身店「鳳泉」にした)

 9月21日(水)
 22日から秋学期授業開始。今年度秋学期の授業(特記なきものは同志社女子大学現代社会学部)は下記の通りで、やっぱり10コマ(>_<)。
〈月〉4講時「考古学特論」(同志社女子大学大学院文学研究科)、5講時「博物館概論」、7講時「日本史」(同志社大学文学部)
〈火〉3講時「卒業研究」、4講時「博物館学各論A」、5講時「博物館実習」
〈水〉3講時「博物館概論」
〈木〉2講時「応用演習」、3講時「史跡・文化財論」、4講時「考古学I」
〈金〉朝日カルチャーセンタ−、京都新聞文化センター、中日栄文化センターなど出講、その他

2011.09.15

中世史研究会、の巻

Img_0015〈←中秋の名月。夜であったが、広沢池にでかける。上は広沢池から見た満月。下は広沢池の汀に立つ石仏〉

 そろそろ夏季休暇も終了に近づいてきた。焦りばかりがつのる。また、9月3・4日の大型台風では近畿地方南部や四国・中国地方に大きな被害がでた。痛ましく、悲しいことである。いつも行く東京での中世都市研究会、初日だけは参加しようと考えていたのであるが、台風の進路によっては帰洛できなくなる可能性があるので、迷ったあげくに結局は諦めざるを得なかった。

 9月4日
 台風が通り過ぎている最中ではあるが、長岡京市の粟生光明寺を総本山とする西山浄土宗の中部第1支所の教学講習会(於京都西山短期大学)に出向く。蹴上の青龍山安養寺の村上純一住職からの御依頼である。この安養寺はわが家の菩提寺。御住職は現在、西山浄土宗の中部布教区の第1支所長として、こうした行事のお世話役をされているというので、私に依頼があった。テーマを迷ったのだが、やはりお寺関係がいいだろう。ただ、私は浄土宗については正直いって疎いので、そのあたりは御容赦いただくとして、「中世の首都京都と寺院」として、都市史と寺院のかかわりを通観させていただくことにする。悪天候の中、あちこちのお寺の関係者がお集まりいただき、感謝。

 9月10日
 名古屋でおこなわれている「中世史研究会」の大会。『年報中世史研究』を刊行して活発に活動されていることはもちろん知っていたが、文献史学の学会なのでこれまではお邪魔したことはなかった。それが、同会の代表を務められている愛知学院大学の松薗斉教授にお誘いいただき(松薗先生とは、京都女子大学の野口実先生の研究会でしばしばお目にかかっていた)、報告させていただくことになる。しかも、毎月の例会ではなく、年1回の大会報告という誉れである。いささか緊張。
 テーマはこれも迷ったのだが、やはり得意とする分野がいいだろうし、考古学の細かい資料操作よりも文献史学とのコラボレーションがはかれるような通時的なものにした方が議論が活性化するだろう、と考え、「院政王権都市と天皇陵」 とする。要は、平安時代から鎌倉時代にいたる、都市と天皇陵の関わりを整理してみたのである。これまで発表してきたものと重なる部分は多いが、今回は特に注目したのは御室(仁和寺周辺)にあった四円寺と天皇陵との関係である。以前の論文で四円寺と天皇陵の関係について述べたことはあるが、これに対しては上島享さんから御批判をいただいた(上島享『日本中世社会の形成と王権』、名古屋大学出版会 、2010年、891頁)。ありゃりゃ、と思って史料を見直してみると、やはり上島さんが正しい。私は天皇の菩提所と埋葬地を混同するというミスを犯している。もちろん、広い意味での「御室・四円寺」の都市区画に歴代の天皇の陵と菩提所が存在したことまでは修正の必要はないので、致命的なミスとまではいかないと思う。ただ、やっぱりいささか恥ずかしいので、今回は四円寺について調べ直してみると、いろいろわかってくることがある。そこで、この報告では四円寺の天皇陵についていささか詳しく述べてみた。
 終了後は、懇親会。充実した時間を過ごさせていただく。良い機会をいただいた松薗先生、そして中世史研究会の事務局の皆さん、どうもありがとうございましたm(_ _)m。

【書いたもの】
■山田邦和・茂木雅博「陵墓報告」(『日本考古学協会会報』No.172掲載、東京、日本考古学協会、2011年3月1日)、22〜25頁(3—〈2〉を茂木、それ以外を山田〈山田執筆分22〜24頁〉)。
■山田邦和「陵墓報告」(『日本考古学協会会報』No.173掲載、東京、日本考古学協会、2011年8月1日)、49〜51頁。
■山田邦和「歩いて楽しむ京都の歴史」(『中日新聞』連載、名古屋、中日新聞社)
・「壬生寺と壬生官務家—朝廷の文書を守り続ける—」(2011年3月5日号朝刊)、17頁。
・「北野天満宮の竃社—供物の調理に活用された大釜—」(2011年3月12日号朝刊)、29頁。
・「京都御苑の宗像神社(上)—花山院からの伝統を受け継ぐ—」(2011年3月19日号朝刊)、12頁。
・「京都御苑の宗像神社(中)—皇太子の要求に道長も絶句—」(2011年3月26日号朝刊)、23頁。
・「京都御苑の宗像神社(下)—美と信仰と愛を選んだ"帝王失格者"—」(2011年4月2日号朝刊)、15頁。
・「西大谷のめがね橋—美しき"全円アーチ"の白眉—」(2011年4月9日号朝刊)、17頁。
・「北野の経王堂—義満、『我が世の春』の巨大建築—」(2011年4月16日号朝刊)、15頁。
・「慶長の大地震と東山大仏(上)—秀吉の権力の象徴も崩れる—」(2011年4月23日号朝刊)、17頁。
・「慶長の大地震と東山大仏(下)—さらなる悪夢、人災を呼ぶ—」(2011年4月30日号朝刊)、11頁。
・「桑原町—住む人いないが厳然と『存在』—」(2011年5月7日号朝刊)、17頁。
・「葵祭—境界またぐ警備キッチリ—」(2011年5月14日号朝刊)、18頁。
・「北野天満宮の野見宿禰社—菅原道真の祖先のヒーロー—」(2011年5月21日号朝刊)、14頁。
・「『七条』の発音—『シチ』でなく『ヒチ』が伝統—」(2011年5月28日号朝刊)、17頁。
・「二条富小路内裏—建武の新政の本拠地—」(2011年6月4日号朝刊)、22頁。
・「尊良親王墓—前代未聞 3人の天皇併存—」(2011年6月11日号朝刊)、16頁。
・「白山神社—清盛と後白河法皇が対立—」(2011年6月18日号朝刊)、17頁。
・「宴松原—予定地は無用となり・・・—」(2011年6月25日号朝刊)、15頁。
・「蹴上発電所—クリーンで安全に運転—」(2011年7月2日号朝刊)、19頁。
・「建春門院と法住寺殿(上)—平家の栄華支えた女性—」(2011年7月9日号朝刊)、17頁。
・「建春門院と法住寺殿(下)—後白河法皇と並んで埋葬—」(2011年7月16日号朝刊)、15頁。
・「二尊院の空公行状碑—渡来人が築いた文化—」(2011年7月23日号朝刊)、15頁。
・「丹波マンガン記念館—過酷な史実 再び公開—」(2011年7月30日号朝刊)、17頁。
・「清浄華院の横死者供養塔—天明大火の犠牲者鎮魂—」(2011年8月6日号朝刊)、12頁。
・「深草の秦氏と伏見稲荷大社—経済に明るく東国と交易か—」(2011年8月13日号朝刊)、13頁。
・「青蓮院の胞衣塚—赤子を守り、役目を終えて—」(2011年8月20日号朝刊)、15頁。
・「孝明天皇陵—過去の栄光を求めて—」(2011年8月27日号朝刊)、15頁。
・「大炊道場聞名寺—目の不自由な人たちの拠り所—」(2011年9月3日号朝刊)、14頁。
・「本居宣長と京都—憧れの都で充実した日々—」(2011年9月10日号朝刊)、13頁。

【しゃべったこと】
◎「中世の首都京都と寺院」(西山浄土宗中部布教区「中部地方教学講習会」、於京都西山短期大学、2011年9月4日)
◎「院政王権都市と天皇陵」(中世史研究会「中世史研究会大会」、於名古屋大学文学部、2011年9月10日)
◎「聖武天皇 幻の宮跡へ」(「JR西日本ジパング倶楽部 特別企画旅行」、史跡紫香楽宮跡・恭仁宮跡・海住山寺・山城郷土資料館を案内・解説、2011年9月1日・9月11日)

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