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2012.05.28

病状報告2

病状報告(2)
 私の体調は少しづつ改善してきています。社会復帰にはまだしばしの時間が必要ですが、将来に明るい展望も見えてきたように思うのはありがたいことです。
 ただ、この一週間の間、私の体調は一進一退を繰り返していたことは事実です。痛感したのは、人間の体調は精神状態とシンクロしている、ということでした。私は5月24日(木)に胃カメラの検査を受けることになっていました。これは今回の事態とはまったく関係なく、3月に受診していた癌検診で胃のバリウム検査を受けたところ、「要精密検査」という結果が出たので、心配になって胃カメラを受診することにしたところ、先に心臓発作がおきてしまったために延び延びになっていた、というものでした。ところが、胃カメラ検査が近づくにつれて、もしこの検査で胃に悪いものが見つかったらどうしよう、という思いがわきあがってきます。それこそ考えても仕方ないことなのですが、ベッドに横たわっていて他にすることもない身では、そんな妄想を打ち消すことができないのです。「弱り目に祟り目」などという慣用語句までも頭の中をぐるぐる回っています。それによって体調も悪くなり、検査の前日などは起き上がるのもおしゃべりをするのも億劫な状態に陥っていました。自分はもっと強い精神力の持ち主のように自認していただけに、私自身の思いがけない「弱さ」に直面させられ、唖然とする気分でした。胃カメラ検査自体は眠り薬を併用するという方法をとってもらったために、懸念していた苦痛もなく、意識を失っている間にアッという間におわりました。目覚めて、「胃は大丈夫でしたよ」との医師の明るい声を聞いた時、それまでの憂鬱がパァッと晴れた思いがして、たちまち元気になりました。我ながら現金なものです。
 もうひとつ、25日(金)の昼食後、急に胃がキリキリと痛みだし、七転八倒の思いをしました。医師に来てもらいましたが、現在のところは感染症治療の最終段階という微妙な時期なので安易に他の薬を投与するわけにはいかないようで、半日はしんどい思いをしました。結果的には、食事の量を減らすことによって胃を休ませる、ということでなんとかおさまったのですが・・・・

 一昨日26日(土)と昨日27日(日)には、立正大学を会場として日本考古学協会の総会と春期大会が開催されたはずです。本来でしたら私は理事のひとりとして奔走しなくてはならなかったのですが、こんなことになってしまい、参加すらかないませんでした。また、日本考古学協会の理事は任期2年ですが、多くの場合には2期4年つとめることが慣例となっています(3期の在任は不可)。私もそのつもりで再任の立候補をおこない、過日の投票では会員の皆さんからの望外の票をいただいて再選させていただいたところでした。しかし、その直後のこの入院です。回復までには時間が必要ですし、その間は日本考古学協会の仕事をすることは不可能であることを考えると、自分にとっても大変々々残念なのですが、再任を辞退せざるをえませんでした。これまで一緒に仕事をしてきた理事の皆様方にはご迷惑をかけてしまいましたし、また、貴重な一票を私に投じていただいた会員の皆様の信頼に背く結果となってしまったのは断腸の思いです。本当に申し訳ありません。

※この記事は、山田邦和が作成し、山田ちさ子が更新させました。


2012.05.20

病状報告(1)

Bara_3

 緊急入院以来一ヶ月がたちました。みなさまには大変御心配いただくとともにご迷惑をかけ、まことに申し訳ありません。また、たくさんの激励のお言葉も寄せていただきました。まことにありがとうございます。一時は生命の危険に晒されていたことは事実なのですが、医師団の先生方の懸命の治療が功を奏し、なんとか危機を脱することができ、最近ではようやく体調も安定してきました。まだ退院を云々するところまでは至っていないのですが、とりあえずの経過報告をさせていただきます。

 私は、四月中旬にいささか体調を崩しました。単なる風邪かと思ったのですが、診察してもらうと驚いた事に初期の肺炎をおこしていたようで、そちらの治療を実施することになりました。これだけならばそう大きな問題にはならなかったはずなのですが、今回の数々の検査を通じてあきらかになったのは、私の心臓にはもともと欠陥があったということです。すなわち、日常生活には問題はないのですが、他の人よりも機能が悪いために、無理な負荷がかかるとオーバーヒートしやすい、ということです。今回の発作はまさにこの典型で、肺炎の進行状況が思ったよりも速く、そのほかの悪条件もいくつも重なったため、心臓がそれに対応しようとして無理な働きをし、結果としてオーバーヒートして機能不全状態に陥った、ということらしいです。
 4月20日の夜半、自宅にいた私は、急に激しい胸苦しさを覚えました。私は父親を心臓病で亡くしたという経験を持っていますので、自分の心臓になにか重大な異変がおこっている、というのはすぐにわかりました。本来ならば救急車を呼ぶということになるのでしょうが、これは一刻一秒を争う事態であってとてもそんな余裕はない、と判断し、妻に第2日本赤十字病院の「救命救急センター」に連絡してそこに自分を運ぶよう、頼みました。私の自宅から第2日赤までは至近の距離だったことはまことに幸いだったと思います。そうして病院にころがりこんだのですが、待合室にはかなりの人が列を作っています。とりあえず廊下のソファーに横たわったのですが、激痛は増すばかりで、次第に呼吸すらできなくなってきました。ついに私は、たまたま通りかかった医師の足元に最後の力をふりしぼって身体を投げ出し、「助けてください!」と叫ぶととともにそのまま意識を失ったのでした。

 それから一週間の間、私は昏睡状態で、もちろんその間の記憶はありません。後で聞くと、最初の数日間はまったく危険な状態が続いており、医師からは最悪の事態への覚悟を求められ、家族の者は涙に暮れていたといいます。ところが、本当に、本当に幸いなことに、私の心臓は次第に自発的運動を再開してくれたのです。それまでは薬品によって心臓を無理矢理に動かしていたのですが、その薬の量を日に日に減らすことができたことを見たとき、妻は本当に安堵した、といいます。その後は、最初は集中治療室、その後は一般病棟に移り、当初の原因となった肺炎をはじめとして、次から次へと顔を出す感染症への治療が続けられました。現在はその感染症の制圧にほぼメドがたった、という状態です。それから、長時間のベッド生活によって足の筋力がまったく落ち、歩くのもままならないのですが、これはリハビリを通じて必ずや回復できるはずです。
 何らかの身体的麻痺、といった後遺症を心配していただく向きもあったのですが、これも本当に幸いなことに、現状ではその心配はないようです。呼吸確保のための挿管、さらにその後には気管切開してチューブを通していたこともあって、自分自身では「商売道具」である「声」が元に戻るかどうか懸念していたのですが、これも大丈夫なようです(やや声質が変わったような気もするのですが、大きな問題ではないでしょう)。ありがたいことです。
 ただ、近い将来退院することができたとしても、本来的な心臓の欠陥自体までも完治させられるわけではありません。むしろこれは、今後、いかに心臓に負担をかけず長持ちさせ、今回のような事態の再発を防ぐか、ということを、これからの生活設計全体の中で考えていかねばならないことになると思います。

 今回の事態によって、たくさんの方々にご迷惑をかけ、またかけ続けております。特に、私の授業をとっている学生諸姉、急遽私の授業の代行をやっていただいている同僚の先生方には低頭するばかりです。また、夏から秋にかけての講演、講座なども、すべてキャンセルせざるをえませんでした。それぞれの催しの主催者・担当者の皆さんには大変なご迷惑をかけてしまいました。お詫びのしようもないのですが、なにとぞお許しください。

※山田邦和が書いた記事を、代わって更新させました。山田ちさ子


2012.05.03

お休み

山田邦和は、4月20日、重症心不全と重症肺炎により緊急入院いたしました。
救急救命センターのみなさまのおかげで、危険な状態を脱することができました。
現在は、感染症の治療と、生活復帰のためリハビリを行っています。

ご心配をおかけして申し訳ありません。

※山田ちさ子が更新しました。


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