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2012.05.20

病状報告(1)

Bara_3

 緊急入院以来一ヶ月がたちました。みなさまには大変御心配いただくとともにご迷惑をかけ、まことに申し訳ありません。また、たくさんの激励のお言葉も寄せていただきました。まことにありがとうございます。一時は生命の危険に晒されていたことは事実なのですが、医師団の先生方の懸命の治療が功を奏し、なんとか危機を脱することができ、最近ではようやく体調も安定してきました。まだ退院を云々するところまでは至っていないのですが、とりあえずの経過報告をさせていただきます。

 私は、四月中旬にいささか体調を崩しました。単なる風邪かと思ったのですが、診察してもらうと驚いた事に初期の肺炎をおこしていたようで、そちらの治療を実施することになりました。これだけならばそう大きな問題にはならなかったはずなのですが、今回の数々の検査を通じてあきらかになったのは、私の心臓にはもともと欠陥があったということです。すなわち、日常生活には問題はないのですが、他の人よりも機能が悪いために、無理な負荷がかかるとオーバーヒートしやすい、ということです。今回の発作はまさにこの典型で、肺炎の進行状況が思ったよりも速く、そのほかの悪条件もいくつも重なったため、心臓がそれに対応しようとして無理な働きをし、結果としてオーバーヒートして機能不全状態に陥った、ということらしいです。
 4月20日の夜半、自宅にいた私は、急に激しい胸苦しさを覚えました。私は父親を心臓病で亡くしたという経験を持っていますので、自分の心臓になにか重大な異変がおこっている、というのはすぐにわかりました。本来ならば救急車を呼ぶということになるのでしょうが、これは一刻一秒を争う事態であってとてもそんな余裕はない、と判断し、妻に第2日本赤十字病院の「救命救急センター」に連絡してそこに自分を運ぶよう、頼みました。私の自宅から第2日赤までは至近の距離だったことはまことに幸いだったと思います。そうして病院にころがりこんだのですが、待合室にはかなりの人が列を作っています。とりあえず廊下のソファーに横たわったのですが、激痛は増すばかりで、次第に呼吸すらできなくなってきました。ついに私は、たまたま通りかかった医師の足元に最後の力をふりしぼって身体を投げ出し、「助けてください!」と叫ぶととともにそのまま意識を失ったのでした。

 それから一週間の間、私は昏睡状態で、もちろんその間の記憶はありません。後で聞くと、最初の数日間はまったく危険な状態が続いており、医師からは最悪の事態への覚悟を求められ、家族の者は涙に暮れていたといいます。ところが、本当に、本当に幸いなことに、私の心臓は次第に自発的運動を再開してくれたのです。それまでは薬品によって心臓を無理矢理に動かしていたのですが、その薬の量を日に日に減らすことができたことを見たとき、妻は本当に安堵した、といいます。その後は、最初は集中治療室、その後は一般病棟に移り、当初の原因となった肺炎をはじめとして、次から次へと顔を出す感染症への治療が続けられました。現在はその感染症の制圧にほぼメドがたった、という状態です。それから、長時間のベッド生活によって足の筋力がまったく落ち、歩くのもままならないのですが、これはリハビリを通じて必ずや回復できるはずです。
 何らかの身体的麻痺、といった後遺症を心配していただく向きもあったのですが、これも本当に幸いなことに、現状ではその心配はないようです。呼吸確保のための挿管、さらにその後には気管切開してチューブを通していたこともあって、自分自身では「商売道具」である「声」が元に戻るかどうか懸念していたのですが、これも大丈夫なようです(やや声質が変わったような気もするのですが、大きな問題ではないでしょう)。ありがたいことです。
 ただ、近い将来退院することができたとしても、本来的な心臓の欠陥自体までも完治させられるわけではありません。むしろこれは、今後、いかに心臓に負担をかけず長持ちさせ、今回のような事態の再発を防ぐか、ということを、これからの生活設計全体の中で考えていかねばならないことになると思います。

 今回の事態によって、たくさんの方々にご迷惑をかけ、またかけ続けております。特に、私の授業をとっている学生諸姉、急遽私の授業の代行をやっていただいている同僚の先生方には低頭するばかりです。また、夏から秋にかけての講演、講座なども、すべてキャンセルせざるをえませんでした。それぞれの催しの主催者・担当者の皆さんには大変なご迷惑をかけてしまいました。お詫びのしようもないのですが、なにとぞお許しください。

※山田邦和が書いた記事を、代わって更新させました。山田ちさ子

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