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2012.06.24

病状報告(5)

 この20日間ほど、京都府立医科大学附属病院でさまざまな心臓検査を受けてきました。その結果、私の心臓にはふたつの大きな欠陥があることがわかってきました。ひとつは生まれつき私の心臓が持っていた、ある種の障害です。これにより、心臓が働ける許容量がもともと小さい。これについては、現段階では根本的な完治にいたる療法は確立していないといいます。子供の頃にこの障害が顕在化すると大事<おおごと>で、場合によってはそのまま死んでしまったり、心臓移植しか助かる方法がない、ということもありうるとのことです。ただ、私の場合には50数年間なんとかこのままで生きてくることができましたので、一刻を争う問題とはいえないだろう、とのことです。ただ、欠陥があることは事実ですので、今後は心臓にできるだけ無理をかけずに、いたわりながら使っていかねばならないことは確かですし、また、この障害に起因する心臓肥大、さらにはそれによる心不全などには注意を払っていかねばなりません。

 もうひとつの欠陥は、心臓の大動脈弁不全です。心臓の弁がうまく開閉していないために血液の逆流がおこり、これが心臓の機能をいちじるしく阻害している、ということです。こちらについてはやはり心臓手術による弁の取り替えが最善の選択肢であろうということで、来る7月2日(月)に手術を受ける運びとなりました。

 ということで、6月26日(火)に現在の循環器内科から心臓血管外科へと転科し、そこで手術に向けたいくつかの検査を受けた上で、来週の手術に臨むことになります。胸にメスを入れ、さらには心臓を一時停止させて人工心肺につなぎ、その間に手術をするというのは、いささか恐ろしい気がするのは確かです。ただ、現代の医療ではこの手術はかなりポピュラーなものであり、百%とはいえないにしても成功率がきわめて高い手術であるということですので、ここはマナイタの上に乗ったコイで、医師の先生方を信じてお任せするつもりです。

書いたもの、その他

 私が病床にある間も、いくつかの出版物がでました。中には私が急に倒れたために、他の方に余分な仕事が回ってしまったものもあり、心苦しく思っております。

 この中では、まず、2年間103回にわたって連載していた「歩いて楽しむ京都の歴史」(『中日新聞』)が無事に終了したことが大きかった。我ながらマニアックで奇妙な「京都案内」だったと思いますが、かなりの好評をいただいていたとも聞きますので、これはこれなりに意味があったのではないでしょうか。なお、このうち、6回にわたった「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか」では、学界でもしばしば話題となるこの問題について私見を述べてみました。学界の多数意見とは異なっているとは思いますが、こういう問題提起もアリかな、と思っていますので、ご興味をもたれる方は読んでいただけると幸いです。

 また、勝田至さんの編になる『日本葬制史』(東京、吉川弘文館、2012年5月20日)が出て、その中に「古墳時代」「飛鳥時代から平安時代前期」を書かせていただいています。中学生の頃、森浩一先生の『カラーブックス 古墳』や『古墳の発掘』を読んで感激して以来、いつかは自分も「古墳」について通観したまとまったものを書いてみたい、というのが念願でした。ただ、これまでは古墳時代についてはそのごく一部分にすぎない須恵器研究に立て籠もってしまったり、その後は平安京をはじめとする都市史研究に研究の力点を移したりして、「古墳」をきちんとまとめるということができないままでした。それでもやっぱり、今でも古墳を見ると血が騒ぎますし、自分の研究の原点は古墳なんだな、ということを痛感することがよくあります。今回、不充分とはいえ、古墳から平安前期までの「葬制(どっちかというと『墓制』に偏ってしまった感はあるのですが・・・)」をまとめることができ、ちょっと嬉しい気がしています。まあ、古墳の定義を勝手に変更し、「弥生時代にも古墳はあった」とか、学界の多数意見からすると袋だたきに遭いそうな意見も述べておりますが・・・

 なお、以前書きました「都の葬地」(『恒久の都 平安京』〈『古代の都』3〉所収、東京、吉川弘文館、2010年)と接続していただきますと、古墳時代から平安時代にいたる私なりの「葬制・墓制史」(もちろんこれも不充分ですが)となっているような気もしますので、併読いただけると幸いです。

2012.06.17

病状報告(4)

 その後もたくさんの皆様から励ましのお言葉を頂戴し、恐縮するとともに感激しております。本来でしたらおひとりづつに御礼を申し上げるところですが、現状ではそれがかないません。ここでの御報告をもって御礼に替えさせていただくことをお許しください。

 6月の第1週と第2週は、今後の方針を決めるための心臓検査の連続でした。レントゲン検査や胸の外側からの心臓エコーなどは楽だったのですが、食道エコー検査(食道に胃カメラのような器具を入れて、そこから超音波を出して心臓の様子を調べる検査)と、心臓カテーテル検査(腕の肘の動脈と足の付け根の静脈から管を心臓まで挿入する検査)は、正直言って苦しかった。それから、腕の血管が細いのか(こんなこと、思ってもみなかった)、点滴の針を入れようとしてもなかなか入らない、というのも辛いものでした。しかし、これらによって私の心臓の現状をほぼ正確に把握することができたようです。ここから得られた情報が分析され、今週には今後の方針が提示されることになると思います。

 今のところ聞いている限りでちょっと安心できたのは、私の心臓は、4月の心不全でダメージを受けた割には良く動いてくれているということと、心臓の冠状動脈に目立った狭窄が見受けられなかったということです。前者に問題が見つかってしまうと次段階の治療の選択肢が大幅に狭まることになりますので、これはホッとしました。また、後者については、私の父親が心筋梗塞(つまり心臓冠状動脈の狭窄による心筋の壊死)で亡くなっていることから、私もその症状が出る可能性を恐れていました。正直、4月の心不全の時には、私はてっきり自分も心筋梗塞をおこしたと思ったくらいでした。これも、当面は心配することはないというようなので、目の前が明るくなった気持ちです。

 今週には初めての外出、昨日と今日は外泊を許可していただき、久しぶりに帰宅しました。犬たちとの対面も1ヶ月半ぶりです。やはり家で落ち着くというのはいいですね。健康な時にはまったく日常的なことが、こうして病を得てみるとかけがえのない幸せだったのだということを痛感しております。

2012.06.02

病状報告(3)

病状報告(3)
 5月31日に、第2日本赤十字病院から京都府立医科大学附属病院へ転院いたしました。
 これまでの一ヶ月、第2日赤では、私の身体のあちこちから顔を出す各種の感染症の治療がおこなわれきたのですが、5月いっぱいでほぼこれらにメドがつきました。急性心不全から生命を救うのを第1段階、感染症の制圧を第2段階とすると、第2段階が終わったわけです。生命を救っていただき、その後も懇切な治療を担当していただいた第2日赤の成宮、山田、土屋の3先生には、本当に、感謝の言葉さえみつからないほどです。
 しかし、治療はこれで終わりではありません。心臓そのものの治療という第3段階が待ち受けております。当初は、日常生活をしながら内科的な服薬と生活改善で経過を観察する、という選択肢も考えられたようですが、さまざまな検査をくりかえす中で、医師の先生方はそれでは限界があるという判断をくだすにいたりました。結論として、第2日赤から京都府立医科大学附属病院に転院し、そこで心臓に関する高度な検査を受けた上で今後の治療方針を固めていく、というのが良い、ということになりました。
 今のところ、体調は良好です。ただ、問題点をあげるならば、心臓の鼓動がかなり速い、ということがあります。安静にしていても普通の人よりも速いのですが、ちょっと動くと、それがさらに速くなります。転院当初は、トイレに行くだけで鼓動が跳ね上がるので、モニターしていて驚いた看護師さんが駆けつけてくる、ということもありました。つまり、今回の心不全というダメージを受けながらも、それをなんとか乗り越えてくれた私の心臓なのですが、健気にも一生懸命働こうとしてくれている、ということになります。しかしこれは今の私の身体にとって望ましいわけではないので、現在は、心臓に「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」と言ってあげるような薬を服用させていただいているところです。これによって、心臓をちょっと休ませてあげることができるといいます。
 来週からは、さまざまな心臓の検査が始まります。もちろん不安はあるのですが、確実に明るい光は見えてきておりますので、それにむかって一歩一歩進んでいきたいと思っております。

※山田邦和が書いた記事を、代わって更新しています。山田ちさ子

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