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2012.12.31

2012年、やったこと、の巻

121231(←大晦日の寒い晩。下御霊神社)
12月31日(土)
 今年もいよいよおしまい。今年は私にとっては、人生の転機になるような波乱の年だった。しかし、幸運にも生き延びさせていただくことができた。人生の「限界」というものを突きつけられたのであるが、もう少しばかりこの世に滞在することを許されたのであるから、無理をせず、できる範囲のことをやっていかねばならないのだと思う。

 年末恒例の「第9」は何にしようかと思ったのだが、ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の演奏を聴くことにした。1970年代に録音されたクーベリックのベートーヴェン交響曲全集のうちの一枚であるが、この全集、指揮者はクーベリックひとりであるが、なんと、曲ごとにオーケストラを変えているのである。つまり、第1番:ロンドン交響楽団、第2番:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、第3番《英雄》:ベルリン・フィル、第4番:イスラエル・フィル、第5番:ボストン交響楽団、第6番《田園》:パリ管弦楽団、第7番:ウィーン・フィル、第8番:クリーヴランド管弦楽団、第9番《合唱》:バイエルン放送交響楽団、ということになる。レコード録音史上前代未聞ともいえるこんな企画、考えたプロデューサーもプロデューサーだが、実行に移したクーベリックもクーベリックである。しかしそれがキワモノになったのではなく、実に立派なベートーヴェンに仕上がっている。その中でも「第9」は、クーベリックが心血を注いで育成してきた手兵との演奏であるから、悪かろうはずがない。堂々として、清らかな響きをかもしだす、どこをとっても不足のない名演である。

 さて、恒例の「やったこと」。ただ、今年は病気のことがあったので、後半はまったく身動きがとれなかった。ただ、第3論文集『日本中世の首都と王権都市』を出版することができたのが、なにより嬉しい。なお、『古代文化』第64巻第3号(古代学協会、2012年12月)に、高橋慎一朗さん(東大史料編纂所)が拙著の紹介をやっていただいている。高橋さん、ありがとうございました。

【著書(単著)】
■山田邦和『日本中世の首都と王権都市—京都・嵯峨・福原—』(京都、文理閣、2012年3月30日)、全409頁。

【監修・分担執筆】
■京都新聞出版センター編、池坊中央研究所・井上由理子・太田垣實・黒田正子・小嶋一郎・高野澄・徳丸貴尋・中村武生・永守淳爾・西村彰朗・平井孝征・前川佳代・町田香・山田邦和執筆『第8回京都検定 問題と解説』(京都、京都新聞出版センター、2012年4月20日)、本文254頁(分担頁不記載)。
■京都市都市計画局歩くまち京都推進室編、山田邦和(歴史監修)『京都 フリーパス—電車・バスでまわる「歩くまち・京都」—』(京都、同推進室、2012年12月〈発行日不記載〉)、全31頁。

【論文】
■山田邦和「原始社会の葬送と墓制〜古墳時代」「古代の葬送と墓制〜飛鳥・奈良時代から平安時代前期」(勝田至編『日本葬制史』所収、東京、吉川弘文館、2012年5月20日)、48〜90頁、91〜118頁。(同書執筆者:西澤明・若林邦彦・山田邦和・勝田至・木下光生・山田慎也)
■山田邦和「伏見城跡(桃山陵墓地)の立入り調査」(「陵墓限定公開」30周年記念シンポジウム実行委員会編『「陵墓」を考える—陵墓公開運動の30年—』所収、東京、新泉社、2012年6月9日)、61〜85頁。(同書執筆者:宮川ススム〈=「徏」〉・岸本直文・山田邦和・後藤真・茂木雅博・高木博志・谷口榮・今尾文昭・大久保徹也・森岡秀人・福島幸宏・坂靖・松尾信裕・仁木宏・丸山理・瀬畑源・宮瀧交二)

【その他】
■山田邦和「陵墓報告」(『日本考古学協会会報』No.175掲載、東京、日本考古学協会、2012年3月1日)、18〜19頁。
■山田邦和「遺産のなりたち—寺社の創建と復興のスポンサー—」(『週刊日本の世界遺産』第4号「特集 古都京都1」所収、東京、朝日新聞出版、2012年4月29日)、28・29頁。
■森岡秀人・谷口榮司会、宮川ススム・岸本直文・山田邦和・後藤真(パネラー)、坂靖・今尾文昭・高木博志・松尾信裕・仁木宏・丸山理・福島幸宏(会場より発言)「討論Ⅰ」、森岡秀人・山田邦和司会、今尾文昭・高木博志・大久保徹也・谷口榮・茂木雅博(パネラー)、瀬畑源・丸山理・宮瀧交二・岸本直文・宮川ススム(会場より発言)「討論II」(「陵墓限定公開」30周年記念シンポジウム実行委員会編『「陵墓」を考える—陵墓公開運動の30年—』所収、東京、新泉社、2012年6月9日)、105〜129頁・263〜308頁。〈「ススム」=「徏」〉
■山田邦和「伏見城とその城下町を訪ねて」(同志社大学京都観学研究会編『大学的 京都ガイド—こだわりの歩き方—』所収、京都、昭和堂、2012年11月5日)、257〜273頁。(同書執筆者:天野太郎・井上一稔・岩坪健・植木朝子・太田孝彦・神谷勝広・岸文昭・小枝弘和・佐藤郁子・鋤柄俊夫・高久嶺之介・竹居明男・田中励儀・仲井牧子・新見康子・西村卓・浜中邦弘・松本直子・武藤直・森川眞規雄・山田和人・山田邦和)
■山田邦和「歩いて楽しむ京都の歴史」(『中日新聞』連載、名古屋、中日新聞社〈『北陸中日新聞』『東京新聞』にも同時掲載〉)
  ・「望楼をもつ小学校—新時代、教育こそが必要—」(2012年1月7日号朝刊)、15頁。
  ・「石清水八幡宮の青山祭—疫神もてなし、侵入を防ぐ—」(2012年1月14日号朝刊)、15頁。
  ・「毘沙門堂の灯籠—徳川家光の霊廟から移転—」(2012年1月21日号朝刊)、17頁。
  ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(1)—『源氏でなかったから』は俗説—」(2012年1月28日号朝刊)、19頁。
  ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(2)—『野心なし』・・・ 情報源に疑問—」(2012年2月4日号朝刊)、16頁。
  ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(3)—軍事力だけによる征服に失敗—」(2012年2月11日号朝刊)、17頁。
  ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(4)—足利義昭とのビミョーな関係—」(2012年2月18日号朝刊)、15頁。
  ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(5)—当代一流の策士、今出川晴季—」(2012年2月25日号朝刊)、19頁。
  ・「秀吉はなぜ将軍にならなかったのか(6)—晴季から羅山へ、秘話が伝わる?—」(2012年3月3日号朝刊)、19頁。
  ・「平清盛の西八条第—貴族が住む都市空間の象徴—」(2012年3月10日号朝刊)、25頁。
  ・「仏国寺古墓の石槨—史料との巡り合わせに感激—」(2012年3月17日号朝刊)、17頁。
  ・「平安京検非違使庁址—自宅敷地に顕彰碑と説明板—」(2012年3月24日号朝刊)、16頁。

【学会報告】
□「古市晃『5・6世紀における王宮の存在形態―王名と叛逆伝承―』検討報告」(日本史研究会古代史部会「古市晃氏業績検討会」、2012年4月9日、於日本史研究会事務所)。

【講演】
□「福原京と平安京—平清盛の夢と挫折—」(京都市生涯学習総合センター「アスニー・セミナー」、於京都アスニー、2012年1月20日)。
□「平安京と天皇陵」(よみうり文化センター京都、於同センター、2012年2月4日)。
□「中世の京都—洛中と衛星都市—」(京都商工会議所「平成23年度毎月の京都検定講習会第2部〜“平安京遷都”&“中世の京都”—平安京の歴史シリーズ—」、於京都商工会議所講堂、2012年2月11日)
□「天皇陵古墳について」(よみうり伊丹文化センター、於同センター、2012年3月3日)
□朝日カルチャーセンター京都「平安京・京都の歴史を歩く」(於同センター)
 (36)「応仁の乱と室町幕府」(2012年1月25日、2月25日現地見学、3月1日)
 (37)「洛中洛外図屏風に見る戦国時代の京都」(2012年4月13日)
□京都新聞文化センター「京都検定・京都学講座『京都の原点を探る』(於同センター)
 (第20期)「徳川政権下の京都」(〈2011年より継続〉、2012年1月20日、2月24日)
□栄中日文化センター「天皇陵古墳を考える」(於同センター)
 (6)「終末期古墳の天皇陵―舒明天皇陵と斉明天皇陵―」(2012年2月3日) 
    「ヤマト政権初期の巨大古墳―崇神天皇陵・景行天皇陵―」(2012年2月24日)
    「嵯峨天皇と淳和天皇の薄葬」(2012年3月16日)

【映像番組・模型】
■神戸市(企画)、nep・NHKエンタープライズ・デジタル・メディア・ラボ(制作)、高橋昌明・山田邦和(監修)「平清盛の夢—幻の福原京—」「幻の福原京—1180年平清盛が行った神戸への遷都—」(コンピューター・グラフィックスによる映像番組、2012年1月21日~2013年1月14日、平清盛ドラマ館〈兵庫県神戸市中央区 ハーバーランドセンタービル内〉において公開)
■神戸市(企画)、NHKエンタープライズ(制作)、高橋昌明・山田邦和(監修)「福原京復元模型」(模型、2012年1月21日~2013年1月14日、平清盛ドラマ館〈兵庫県神戸市中央区 ハーバーランドセンタービル内〉において公開)
■同志社女子大学(企画)、さんけい(制作)、山田邦和(監修)「同志社女学校最初の校舎(1878年建立)模型」(80分の1模型、2012年11月23日~2013年7月31日、同志社女子大学史料室において公開)

【テレビ番組】
■TBS(制作)、山田邦和(監修)、深津絵里(ナレーター)『THE 世界遺産』「古都京都の文化財」(2012年11月11日18:00~18:30、TBS〈毎日放送〉放送)

【社会活動】
〔退任〕
▼同志社大学文学部 嘱託講師(〜2012年3月31日)
▼財団法人古代学協会 評議員(〜2012年3月31日)
▼一般社団法人日本考古学協会 理事(〜2012年5月26日)
▼一般社団法人日本考古学協会 埋蔵文化財保護対策委員会 全国委員(〜2012年5月26日)
▼京都民俗学会 監査(〜2011年12月)
▼兵庫県教育委員会「平清盛と源平合戦関連文化財群 調査検討会」委員(〜2012年3月)
〔継続〕
▼財団法人古代学協会 古代文化刊行委員会 編集委員(継続)
▼平安京・京都研究集会 世話人(継続)
▼文化史学会 監事(継続)
▼京都市環境影響評価委員(継続)
▼京都府 天橋立世界遺産登録可能性検討委員会 委員(継続)
▼社団法人京のふるさと産品協会 ブランド認証審査会 総合審査会 委員(継続)
▼条里制・古代都市研究会 会計委員(2011年3月5日〜2013年3月〈予定〉)
〔新任〕
▼財団法人古代学協会 理事(2012年4月14日〜)
▼文部科学省 平成24年度科学研究費補助金における評価に関する委員会「人文・社会系委員会」委員、「研究成果公開発表委員会」委員(2012年2月〜2013年3月〈予定〉)

【共同研究】
▼国際日本文化研究センター共同研究員(「日本庭園のあの世とこの世―自然、芸術、宗教」班)(2012年4月〜)
▼科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究-『新・輿車図考』の構築を目指して-」連携研究者(研究代表者:京樂真帆子滋賀県立大学人間文化学部教授。研究課題番号24520764。研究期間2012年4月1日~2016年3月31日〈予定〉)

【学内業務】
△同志社女子大学入学センター所長(2012年4月1日〜6月)
 ・この業務も、4月の入院により、中途で投げ出すことになってしまった。

【講義】(2012年度秋学期。すべて、同志社女子大学現代社会学部)
2012年度秋学期は、私の病状を御配慮いただいた大学の御厚情により、3コマに減免していただくことができた。非常勤講師としての学外出講も、無し。
〈水〉2講時「応用演習」、3講時「博物館概論」
〈木〉3講時「卒業研究」


2012.12.28

祝・工藤静香さんデビュー25周年、の巻

121228

 2012年ももう終わり。12月24日(月)には、京都府埋蔵文化財調査研究センターの聚楽第跡発掘調査の現地説明会に行くことができた。私の自宅から至近のところだから、ありがたい。35mにわたって聚楽第本丸の石垣が検出されている。実に見事。『豊臣秀吉と京都—聚楽第・御土居と伏見城—』(文理閣)の共同研究における聚楽第の復元に、ほぼドンピシャで当たったことも嬉しい。京都の地下、まだまだ色んなものが埋もれていることを実感する。

 御承知のように、このブログは時々、突発的に工藤静香ファンブログに変身する(^^;)。静香さん、1987年8月31日に「禁断のテレパシー」でソロ・デビューしたから、今年の8月はデビュー25周年という記念すべき時となった。とはいうものの、静香さん、最近は歌手としての活動が最低限に押さえておられるので、ファンとしてはいささか寂しかった。今年4月21日〜5月27日には青森県立郷土館で「あふれる感情—工藤静香展」という絵画展が開催され、トークショーもあるということで行きたかったのだが、青森はやっぱり遠いのと、私は4月20日に倒れて死にかけたのだから、とうていこれは無理に終わった。

 それが、25周年ということで実に4年ぶりの新曲「キミがくれたものが発表された。キャンペーンも兼ねてのことだろうが、テレビにもたびたび出演されることになり、変わらぬ美しいお姿(ライヴなんかで静香さんが登場した時など、会場が一斉に「細〜〜い!」「キレ〜イ!」と、どよめく)に接することができて実に嬉しい。シンガーソングライターの絢香さんから提供を受けた楽曲で、現在放映中のテレビ・アニメ「FAILY TAIL」のエンディング・テーマにも採用されている。静香さん、アップテンポのロックンロール調もすばらしいのだが、こういうバラードも実に旨いのである。心に染みいるような名曲なので、ぜひ、じっくりと聞いてほしいものである。なお、25周年を記念して11月に東京と大阪でライヴがおこなわれたのだが、このうち東京ライヴの完全版が来年1月3日22時〜にwowowで放送される。これも楽しみ。皆さんもぜひ見てくださいませm(_ _)m。


2012.12.18

安藤栄里子さんを偲ぶ、の巻

Cimg0623(←2005年2月1日の「10年会」。左より、山中章さん、朧谷寿先生、安藤さん、清水みきさん、私)

 12月17日(月)
 「10年会」(朧谷寿先生、山中章さん、清水みきさん、山中恵美子さん)の皆さんとともに、故・安藤栄里子さんの家にお邪魔し、ご両親とお姉様、そして彼女の愛犬と語り合い、霊前に祈りをささげる。

 安藤さんは1969年6月に京都市西京区の嵐山で、漢方薬局を営んでおられたご両親のもとに生まれられた。京都女子高校在学中の1985年、アメリカ・アイダホ州に1年間留学。その後、同志社女子大学学芸学部英語英文学科入学。大学在学中に、朧谷先生の指導のもとに京都を学ぶためのグループを結成し、京都の歴史と文化への関心を高める。1993年、大学卒業とともに、京都新聞社に記者として入社。同新聞社洛西総局に配属される。この時に朧谷先生から向日市埋蔵文化財センター(当時)の山中章さんや清水みきさんを紹介され、長岡京をはじめとする乙訓地域の文化財の重要性を訴える記事を多数執筆(安藤栄里子「『いまここ』につなぐ—"地べた"に根を張る文化の樹—」〈朧谷寿・山中章編『平安京とその時代』所収、京都、思文閣出版、2009年〉461〜467頁)。1995年、グァテマラ旅行。1997年、太田裕之さん(毎日新聞記者)と結婚。1998年8月、京都新聞社を退職。鍼灸師の修行を始める。2003年、鍼灸師資格取得、京都市西京区に鍼灸院開設。2003年、太田さんと離婚(太田さんはその後も、安藤さんのパートナーとして献身的に彼女をサポートし続ける)。2003年、「多発性骨髄腫」であることが判明、その後はしばしば入退院をくりかえしながら鍼灸師と実家の漢方薬局の仕事を続ける。2012年4月14日早朝、自宅において逝去。享年43歳(満年齢)。
(上記略年譜には、『論楽社ほっとニュース』「2012.05.22 安藤栄里子さんとともに――君はほんとうによく頑張ってきてくれたね(その2)」を参照させていただきました)

 栄里子さんは私にとっては、大事な大事な友人のひとりであった。朧谷先生、山中章さん・清水みきさん、私、そして栄里子さんがちょうど10年づつ歳が離れているということで、「10年会」と称する気の置けない宴会をずっと続けてきており、私にとっては本当に楽しい場であった。栄里子さんはその中でも最も若く、いつも弾けるような笑顔で場を盛り上げてくれていた。たいそう美しい方であるが、それは決して置物のお人形さんのような美ではないのであり、それよりも、全身から溢れかえる生のオーラが、彼女をこのうえなく魅力的な女性にしていたのである。
 しかし、そんな栄里子さんを病魔が襲ったのは2003年。転倒して激痛をおぼえた彼女はすぐに病院に行くと、骨折していることが判明。しかし、これくらいで骨折するのはおかしい、ということで自発的に多くの検査を受けた結果、血液の癌の一種であり、完治にいたる治療法が確立していない難病である「多発性骨髄腫」であることが判明したというのである。これは世界でも5年以上生存した人はきわめて稀であるという難病であり、栄里子さんもそこで「余命2年」の宣告を受けられたのである。
 しかし、そんな絶望的な状況に陥れられても、彼女は決して弱音をはかなかった。きっと治療は辛い辛いものであったと思うのだが、長期の入院にも「恒例の『強化合宿』に行ってきます!」と称して、笑顔で出て行かれた。退院した時には、グァテマラの被差別マヤ民族のサポート運動、パレスチナ支援運動、反原発=自然エネルギー普及運動などに積極的にその身を投じていかれた。そんな彼女だったからこそ、当初の「余命2年」の宣告を遥かに越えて、宣告から8年半にわたって闘い続けることができたのであろう。朧谷先生は彼女のことを「いつも前だけを見て走っていた」と評されたが、まさにその通りだったのだと思う。あんなに精一杯生きていた彼女がこんなに早く逝ってしまうというのは、なんと不条理なことであろうか。

 栄里子さんは2011年3月28日から12年2月3日まで、自らの活動を「想ひのたけ」という文章にまとめて、86回にわたってメール配信されている。その第55回(2011年7月11日)に「蹴上発電所」という項がある。私が中日新聞に連載していた「歩いて楽しむ京都の歴史」で京都の蹴上発電所をとりあげて、もしかしたら安藤さんも関心がおありかな?と思ってお送りしたら、早速に反応してくれたのである。以下、転載させてもらおう(転載については、栄里子さんもきっと許してくれると思う)。
=====================転載開始======================
あんどうです。先日のぞいた再生可能エネルギーの学習会で、京都の蹴上にある水力発電所の話が出てきました。ふむふむ、もう少し蹴上発電所について知りたいな、と思ったのは事実。ほどなくして中日新聞文化面に『歩いて楽しむ京都の歴史』を連載中の山田邦和さん(同志社女子大学教授)から飛んできたパスがこれ!この「蹴上発電所」を紹介する記事であります。山田せんせいに念が届いたかなー。

この蹴上発電所のコンセプトは、農業用水として琵琶湖から人工的に引いた疎水の水をも発電に使っちゃおう、ですよ。考えてみれば、この徹底した有効利用の水力発電をこんな京都の街なかでやってのけ、日本初の路面電車まで走らせた、と!
しかも、その赤煉瓦の発電所は120年後のいまも現役で仕事をしているというじゃありませんか。当時の政治家の先見性といいますか、なんともうれしくなるおはなしです。添付ファイル、ぜひお読みください。
戦時国家体制の下で、電力会社は9つの大きな配電会社に統合されて現在に至りますが、昔は日本各地に小さな発電所が点在し、その土地その土地に適した発電が行われていたのしょう。いまより発電所自体が人びとの暮らしに近いものであったと推測します。そういえば、蹴上発電所のすぐ下流で、子どものころ、水泳の授業を受けていたと昭和ひとけたの父に聞いたことがあります。踏水会の前身ですかね?ちょっと話がそれました。とにかく、造った技師が束になっても制御不能なんて代物ではなかったろうと思います。
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※それにしても、いくら引き出しがいっぱいこの山田さんとはいえ、てくてくモノの週一連載、アタマが下がります。
====================転載終了=====================

 安藤さんの死は2012年4月14日早朝。その前々日に退院して自宅に戻ってこられたのだが、その時には、やるべき治療はすべてやってしまい、もはや病院でできることは何もなかったのだという。自宅に帰った直後、意識が混濁し始め、そのまま旅立たれたのだという。
 4月16日、彼女の通夜がおこなわれ、私もそこに出席させていただいた。涙が溢れてとまらなかった。4月28日には彼女を偲ぶ会がおこなわれたというのだが、4月20日には今度は私が死にかけたので、私はそちらの会には当然、出席できていない。

 短かったが太い人生を全速力で走り抜けた安藤栄里子さん。どんな時でも精一杯生きた彼女のことを、私は、決して忘れることはないだろう。


2012.12.15

ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、諏訪内晶子演奏会、の巻

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諏訪内晶子さんの新しいCD「EMOTION」。諏訪内さんのサイン入り(o^-^o))

 少しづつではあるが、行動範囲を広げていくようにしている。コンサートもしばらくご無沙汰だったが、やはり行きたいものがいろいろある。

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 12月12日(木)には、久しぶりの京都コンサートホール。わが同志社女子大学学芸学部音楽学科の第42回定期演奏会で、同志社女子大学音楽学科合唱団音楽学科管弦楽団が演奏する。後者では、指揮は神奈川フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者の現田茂夫氏で、ブラームスの「大学祝典序曲」とチャイコフスキーの第6交響曲「悲愴」というプログラム。わが大学の学生諸君、なかなかの熱演を聞かせてくれた。

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 12月14日(金)には、ふたたび京都コンサートホールにでかける。フランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の演奏会である。地下鉄北山駅でK樂真帆子さんとバッタリ(春の緊急入院の際にはいろいろとお世話になりましたm(_ _)m)。指揮は音楽監督のトゥガン・ソヒエフ。最近売り出し中の若手実力者で、各地でバリバリと仕事をして好評を博しているらしいが、CDがまだ少ないこともあり、私は未だ聞いたことがなかった。ロシアの指揮者だといわれているが、調べてみるとこの人、ロシア連邦はロシア連邦でも、いわゆる狭義のロシア(ロシア人のロシア)ではなく、連邦構成主体のひとつである北オセチア共和国の出身なんだって。オセチアというとオセット人の国だから、もしかしてこのソヒエフさんもロシア人ではなくオセット人なのだろうか? まだ35歳という若さらしいが、頭髪はやや薄くなっておられる。
 曲目は、ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」 、サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」組曲(1919年版)、ラヴェル:ボレロという内容。超大作はないが、聞きやすいものばかりでありがたい。ソヒエフの指揮は、妙な手練手管はいっさい使わない正攻法。噛んで含めるような明解な指揮ぶりである。トゥールーズのオケの音は、実に艶っぽい美音である。迫力にも欠けるところはないにもかかわらず、大音量の部分でも決して野蛮にならず、実に美しいのである。色彩感豊かな曲目が並べられたワケもわかるな。
 サン=サーンスのヴァイオリン独奏は、憧れの諏訪内晶子さん。指揮者とともに登壇した諏訪内さんの姿をみて、目を奪われた。全身、ゴールド色のワンピース・ドレスである。おいおい、晶子さん、こりゃどう考えても反則でしょ(笑)、といいたくなるほどの豪華さで、形容ではなく実際に全身から光芒が放たれている。演奏もその衣装に負けないくらいの馥郁<ふくいく>たる美音で、トゥールーズのオケと一体化した名演だった。

 休憩時間には、K樂さん、N木宏さんを始めとして、M木Y雄さん、M川Kさん、I岡N和さんといった、いつもの京都コンサート・ホール常連の歴史学者の皆さんと集まる。皆さんから体調をねぎらっていただいたことはありがたいし、こうしてまた再会することができたことが実に嬉しい。

 終演後、ロビーで諏訪内さんの最新アルバムを購入したら、横に行列ができている。何かな、と思ったら、指揮者ソヒエフさんと諏訪内さんのミニ・サイン会があるという。我ながらミーハーではあるが、私も列の後ろに回り込む。だいぶ待ったが、無事に諏訪内さんのサインがいただけたことも嬉しい。良い一日でした。

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【おしごと】
■京都市都市計画局歩くまち京都推進室編、山田邦和(歴史監修)『京都 フリーパス—電車・バスでまわる「歩くまち・京都」—』(京都、同推進室、2012年12月〈発行日不記載〉)、全31頁。
 ↑ 期間限定販売(来年3月22日まで)で、京都市内のほぼすべての鉄道とバスが1日乗り放題になる乗車券「京都フリーパス」の「こども券」が販売されている。それを買うと、オマケとしてこの小冊子がついてくることになっている(o^-^o)。


2012.12.03

譫妄(せんもう)のこと、の巻

今回の入院でさまざまな体験をしたが、その中でも強烈だったこと。

悪夢
 人間は死の淵にいる時、それまでの人生が走馬燈のように浮かんでくる、というようなことが言われる。しかし、そういうことはなかった。本当に意識不明の状態にあった時の記憶はまったくない。
 しかし、意識を取り戻す直前には、夢とも幻ともいえない不思議な映像がランダムに浮かんできた。しかし、良い夢ではなく、悪夢といってさしつかえないものである。しかも、そのそれぞれがまったく脈絡ない奇妙なものだった。いずれの中でも、身体がまったく動かなくて冷や汗をかく思いをしたが、これは現実の身体の状態を脳のどこかが察知していたのではなかろうか。

 1. 私は中国のどこかの町にいて、広場で転がったままの姿で、そこに設置された大スクリーンに映し出されている映画を見ている。そこでは、清朝末期らしい貧しい人々の悲惨な生活が登場する。いつのまにか、自分もその荒廃した風景の中に投げ込まれている。
 2. とある新宗教の団体の壮大な寺院に行く。ペット供養で儲けて急成長したが、実はその管長は相当の生臭坊主で、愛人をしこたま抱えて豪勢な生活をおくっていることを見聞する。この寺院はどういうわけか宇治川の側にあって、夕方からは川船で宴会が始まる。
 3. 私に敵意を抱いている人物の事務所に連れ込まれて、その階段の暗闇の中にひとりで転がされている。周囲には七夕の短冊のように、私や私の友人に対する呪いの言葉が数知れずぶらさがっており、戦慄する。
 4. 私は戦後すぐの時代にいて、汚い国鉄の車両に乗り込んでいる。南山城の片町線(現、学研都市線)である。大雨で木津川が溢れて汽車が泥濘の中に立ち往生し、進退窮まる。ウチの奥さんに電話して車で迎えにきてもらおうとするが、道路も不通らしい。
 5. アラブかどこかの金満国家の空港に設置された金融関係ショップ街の椅子に転がっている。私はその時、何かの貴金属の先物取引に手をだしたもののそれが失敗し、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれている。もちろん身体は動かず、不安ばかりつのる。

 以上のように、どうしてこんな悪夢を見たのかわからないようなものばかりであった。4.については、昭和28年に実際におこった南山城大水害に該当するように思うが、そうだとしてもその年には私は未だ産まれてもいないから、そんな記憶があるはずがない。不思議なことである。
 5.で冷や汗をかく思いを味わっている時、どこからか必死で私の名前を呼ぶ声が聞こえた。妹の声で、「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」と呼んでいる。声は次第に大きくなっていき、「知佐子さん(私の妻)がぜんぶやってくれたから、安心して!」と言っている。私は、「妻が先物取引の後始末をやってくれて、苦境からは脱したのか・・・」と思うと、急に安心して身体が動くようになるのを感じた。それと同時に、私は唐突に意識を取り戻した。枕元には妻と妹と母の姿が見えた。私はあの世の入口からこの世に戻ってきたのである。
 後で聞くと、生命の危機を脱して、もう目覚めさせても良いだろうという時になって、医師から「とにかく何か呼びかけてあげてください。患者さんは意識のない中でも、どこかで聞いておられますから」という指示があったらしい。ただ、もちろん、私が実際に先物取引で大損をしたという事実はないし、妻がその後始末をやったわけではない。「ぜんぶやってくれたから」というのは、私が引き受けていた講演とか会議とかをキャンセルして回ることだった。それにしても、悪夢の中であっても、現実の呼びかけ声が聞こえ、その両者がなんとなくつじつまが合っているというのは不思議なことであった。

譫妄(せんもう)
 譫妄という難しい漢字を使う言葉を初めて覚えた。意識混濁に加えて幻覚や錯覚が見られるような状態で、ICUやCCUで管理されている患者によく起こるらしい。私の場合もまさにそれだった。
 ICUで目覚めたものの、その後は意識が混濁して、夢とも現実とも思えない中にいた。病院に寝かされていることはわかったが、それが南山城の関西学研都市のどこかの大きな病院のようだった。未だにはっきりと覚えているのは、病室に大きなスクリーンがあって(もちろん、現実にはそんなものはない)、そこにさまざまな映像が流されている。まずは京都のどこかでおこなわれるジャズ音楽祭の予告編。賑やかな音楽が果てしなく続く。唐突に映像が切れ、かつてのドイツ映画の「カリガリ博士」の主人公カリガリ博士に似た風貌の悪漢が葉巻をくゆらせている写真が大写しになる。突然、写真であるはずのその人物が私の方を睨み付け、そしてニヤリと笑う。この「カリガリ博士」、実は私のいるこの施設のボスであるマッド・サイエンティストで、悪の秘密組織の長である。私はそこに捕まえられて、これから人体実験に供せられるという恐ろしい運命にあるのである。
 この妄想は、意識を次第に取り戻していく中でも、私の頭の中に拭い難くおさまっていた。検査のために私のベッドが検査室に運ばれていく時、私は人体実験の恐怖に怯え、動かない身体を必死で身悶えさせながら抵抗したらしい。あとで考えると実に申し訳ないことであるが、医師の先生に噛みつこうとさえしたというのであるから、まったく自分でも訳がわからない。もし身体の自由がきいたならば、アクション映画の一シーンのように、窓に突撃してそこから飛び出そうとしたかもしれない。
 後で医師の先生に、「あの時は申し訳ありませんでした。自分でも訳がわかりませんでした」と謝った。先生は笑って、「いやいや、ああいう状況の時にはよくあるんですよ。患者さんの3割くらいが譫妄をおこされますよ」と言ってくれた。譫妄という言葉を覚えたのはこの時のことである。

 頭がきちんとしてからも、自分が、関西学研都市のどこかの病院にいるという観念だけはずっと続いた。会話ができるようになってから、付き添ってくれていた妻に「どうしてこんなところに連れてきたの?」と聞いた。学研都市といえば私の自宅から車で1時間半以上もかかるから、緊急を要する病状だったのになぜこんなところにいるのかというのは、私としては当然の疑問だった。しかし、それを聞いた妻は、わけがわからないという表情で口をアングリさせた。「何言っているの。ここは第2日本赤十字病院(第2日赤)よ。倒れて、飛び込んだ、まさにその病院よ」。事実を知って、今度はこちらがびっくりする番だった。譫妄というのがこれほどまでに強固なものだということを思い知ることになったのである。


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