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2013.05.25

京都市歴史資料館「京都を描いた書物—江戸時代の『京都本』—」展、の巻

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 京都市歴史資料館で、テーマ展「京都を描いた書物—江戸時代の『京都本』—が開催されている。内容はつぎの通り。
 「江戸時代の京都は出版の中心地でした。仏教書,儒学や国学の研究書など様々な書籍が刊行され,日本中に広まっていきました。その中には京都自体のことを記した書籍もたくさんあります。名所や年中行事のガイドブックだけでなく,京都の歴史や地理を研究した書籍まで,幅広い「京都本」が出版されていました。今回のテーマ展では,そういった江戸時代の「京都本」を紹介します」。

 京都市歴史資料館は京都における歴史の博物館だが、よくある、その地域の「通史」をあつかった歴史博物館ではない。展示室も小じんまりしているし、この展示を見たら京都の歴史のすべてがわかる、というようなものではない(むしろ、京都の歴史のすべてを展示しようと思えば、超巨大な博物館が必要だろうな)。実は京都市歴史資料館の内実は、京都市史の編纂を主目的とする「研究所」。そこに展示施設が附設されているといったほうがよい。その分、開催される展覧会も、小さいながら、専門家も唸らすような深い内容のものが多い。

 今回は江戸時代の「京都本」の展覧会。ぜひ御覧いただきたいのは、この中でも「天皇陵を調べる」というコーナー。ここに陳列してある幕末の天皇陵研究者・平塚瓢斎の3冊の著書、『首註陵墓一隅抄』『聖蹟図志』『柏原聖蹟考』が私の所蔵品なのである。『聖蹟図志』など、頁を広げて、中央のケースを占拠しているから、ちょっと晴れがましい。ともあれ、この展覧会に、私もちょっとだけお役にたったということで、嬉しい。

 なお、私蔵の『柏原聖蹟考』(平塚瓢斎が桓武天皇陵を考察した著書)は、来歴がなかなか凄い。これはもともと、明治時代の京都の呉服商で文化財のコレクターとして知られていた杉浦丘園(三郎兵衛利挙〈としたか〉)の蔵品であることが、蔵書印から判明する。その後この書物は、京都の偉大な郷土史家であり、名著『新撰京都名所図会』『昭和京都名所図会』の著者である竹村俊則先生のもとに移った。あちこちに鉛筆書きのメモが見られるが、これは竹村先生の筆跡であるはずだ。それを、たまたま私が入手したということになる。私はこの書を眺めるたびに、生前の竹村先生の温顔を思い出す。

 この展示の担当者は京都市歴史資料館の伊東宗裕さん。いつもいろいろなことを教えていただいているのがありがたい。今回のこの展示には、伊東さん御自身の所蔵品も出品されている。そして、今回の「展示品目録」には伊東さんとか私とか、展示品の所蔵者がきちんと明記されている。どういうわけか博物館には、出品文化財の所蔵者が個人であるばあい、「個人蔵」としか記さず、所蔵者を明記しないという慣例がある。その文化財の相続とか、税金とかの対策が関係しているという話も聞くが、よほどの金目の美術品ならばともかく、一律に個人蔵の文化財の所蔵者を隠す、というのは問題だと思う。そのあたりのこと、伊東さんはきちんと把握されていていて、所蔵者の名を公表することの許諾がとれたところについては、きちんと所蔵者を明記するという方針をとっておられる。これは確かに、なかなかの見識だと思う。

 7月24日(水)までです。ぜひ京都市歴史資料館のこの展示に足をお運びくださいませm(_ _)m。

2013.05.20

同志社女子大学の二条家邸跡、の巻

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3月にウチの大学の今出川キャンパスにでかけた時、東門の前に「二条家邸跡」の石碑が新設されていることを見て、びっくりした。聞いてみると、2月に石碑を立てたらしい。ここは江戸時代に五摂家のひとつである二条家の邸宅跡であることはよく知られている。キャンパス東南部の再開発によって東門ができた時には、門自体も和風デザインが採用されたし、また、東門の前には出土した礎石が屋外展示されている。しかし、いままではどうもピリッとしたところがなかった。それが石碑の建立によって全体の景観が引き締められるようになった。わが大学もなかなか粋なことをやる。

しかし、せっかく石碑まで建てたのだから、宣伝しなくちゃもったいない。それに、大河ドラマ「八重の桜」が放映されている最中だし、同志社女子大学のキャンパスの土地の歴史的重要性を見直してみるいい機会になるはずだ。

と、いうことで、大学の広報課と相談して、大学のウェブサイトの「教員による時事コラム」の欄に「同志社女子大学の二条家邸跡と二条斉敬」という文章を書かせてもらった。御笑覧ください。

二条斉敬、幕末の二条家の当主で、日本史上最後の関白、そして皇族以外では日本史上最後の摂政となった人物である。よみかたは、一見すると「なりたか」であるべきのようにも思うが、実は「なりゆき」。どうしてこういう発音になったのかは、知らない。幕末史で「二条関白」としてしばしば登場するのがこの人。孝明天皇の厚い信任のもと、公武合体政策を推し進めた人物である。

ここにも書いたが、二条関白斉敬は京都守護職松平容保と親しく、容保はしばしば二条家を訪れて斉敬と語り合っている。また、幕末史ですらあんまり注目されていないように思うが、元治元年(1864)3月には第14代将軍徳川家茂が二条邸に「御成」を果たしている。将軍が公家の屋敷を公式訪問するというのは、おそらく前代未聞、空前絶後、驚天動地の出来事だったはずであり、斉敬にとっても一世一代の晴れ舞台であったはずだ。この時の記録は、幕末の基本的資料のひとつである北原雅長『七年史』(1904刊)に収録されており、二条家がどんなに緊張して将軍を出迎えたか、また、将軍、随行者それぞれに料理や酒を何品だしたかということもわかって、結構おもしろい。
ともあれ、同志社女子大学今出川キャンパスの地が幕末史の表舞台となったことがあるというのは、ちょっと嬉しい。土地の歴史性を探り出してそれを皆さんにお伝えするのも、大学の重要な役割のひとつであると思う。

2013.05.03

「幽霊・妖怪画大全集」展@大阪、の巻

130503(←展覧会図録より転載〈クリックで拡大〉。「オロシヤの人魂」と「唐人町の烏犬」)

 大阪で、ふたつ、気になる展覧会が開催されている。ひとつは大阪市立美術館での「ボストン美術館 日本美術の至宝」展。もうひとつは大阪歴史博物館での「幽霊・妖怪画大全集」展である。

 ボストン美術館展の目玉は、なんといっても「海を渡った二大絵巻」つまり、「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻(三条殿夜討巻)」である。前者ももちろんすばらしいが、私にとってはやはり後者に目がひきつけられる。もちろん現物を見るのははじめてである。いろんな本に載っている写真図版とはかなり色調が違うことに、まずびっくり。実は我が家には、昭和50年に講談社から刊行されたこの絵巻の実物大複製本があるのだが、これはなんだか色がくすんでいる感じで、どうも不満に思っていた。ところが、実物をみると、この複製本のほうが実物の色彩に近いことがわかって、ちょっと安心。日本での出版物のほとんどは、実物を見た人が色校正をするわけではないのだろうから、やはりどうしても色調補正をしてシャープにしあげてしまうんだろうな。
 私たちにとって、平治の乱での三条東殿(後白河上皇の院御所)の焼き討ちのイメージはこの「平治物語絵巻」で作られているといってよい。実は平治の乱については史料が少なくて実像がつかみにくいのが隔靴掻痒なのであるが、少なくとも、藤原信頼と源義朝が三条東殿を襲撃したという事実には疑う余地はない。もし、この「平治物語絵巻」に描かれたような光景が現実に展開されたとみてよいとすると、この事件は戦争でもなければ武力衝突でもない。単なる大量殺戮である。これはクーデターとしても最悪の愚策の部類にはいる。私はかつて「保元の乱の関白忠通」(『平安京とその時代』所収)の論文で、源義朝のことを「酷評」して(この話、なんと、ウィキペディアにまでとりあげられていて、びっくり(^^;))、いろんな方面からお叱りを受けたことがある。しかし、この評価は今も取り下げる必要はないと思っている。この三条東殿襲撃のような大量殺戮をくりひろげて政権を奪取したとしても、貴族社会の支持を保てるはずがない。この絵巻にヴィヴィッドに描かれた義朝軍とは、暴力と殺戮に興奮して大局が見えなくなってしまっている浅ましく見苦しい姿なのである。それに対して、「平治物語絵巻」の別の巻である「六波羅行幸巻」(東京国立博物館蔵)に見える平清盛の軍の姿はどうであろうか。清盛の兵たちは弓の弦をはずして整然と整列し、主上(二条天皇)の行幸をむかえるという、きわめて清々しい姿で描かれているのである。この絵巻を開ける人は、このシーンを見ただけで勝負は清盛の完勝に終わるという確信を得るに違いないのである。

 大阪歴史博物館の「幽霊・妖怪画大全集」は、家族連れで大賑わいだった。福岡市博物館に所蔵されている吉川観方コレクションの中から選び出したもので、肩の力を抜きながら、しかも内容の充実したすばらしい展示になっている。これを企画した学芸員の方の手腕には感服するばかりである。妖怪・幽霊好きの私にとってはどれも楽しめる品ばかりなのであるが、一番面白かったのは、江戸時代末期から明治にかけて筑前で描かれたと推定されているローカルな妖怪図鑑の「怪奇談絵詞」である。いやあ、凄いものを見た。ユニークな妖怪ばかりであるが、私が気に入ったのは、「オロシヤの人魂」と「唐人町の烏犬」。前者はロシアのヒトダマで、激しく風が吹くと「オロシヤオロシヤ」と叫ぶらしい。西洋のキュビスム美術も真っ青、という破天荒な図像構成で、もしパブロ・ピカソがこの絵を見たならば狂喜乱舞するだろうな。後者は福岡市内で産まれたという烏の嘴を持った黒犬。得意そうな表情がなんともいえず可愛い。

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