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2013.08.30

森浩一先生を偲ぶ

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 『中日新聞』から森浩一先生御逝去にともなう追悼文の依頼を受けましたので、私なりの想いの一端を綴らせていただきました。
 なお、この記事は、『中日新聞』『東京新聞』『北陸中日新聞』に同一のものが掲載されていますが、前二者はモノクロ、後一者のみがカラー印刷です。ここに掲げたものは『北陸中日新聞』の紙面です。この三紙の夕刊は関東・中部地方(新潟・山梨両県を除く)と三重県で76万部が配布されているそうですので、その地域にお住まいの方ですと御覧いただけたかもしれません。

 語りたいことはまだまだ山のようにあります。この中にでてくる「時には聞き手の心胆を寒からしめるような厳しい口調になる時があった。(中略)学問や人生に対する真摯さを欠いた人々に言及した時である。学問に対して全力でぶつかっているか、自分の職務に対して百パーセント以上の努力を傾注しているかを、いつも問われ続けたのである。(中略)それは、先生の人生観そのものの現れであったのだろう」という一節は、自分自身への諌めのつもりで書きました。「学問への全力投球」、私自身、この言葉を銘肝してこれからの人生を送っていきたいものです。

【書いたもの】
■山田邦和「考古学者 森浩一先生を偲ぶ」(『中日新聞(夕刊)』2013年8月22日号掲載、名古屋、中日新聞社、2013年8月22日)、9頁。〈同じものは、『東京新聞(夕刊)』同日号掲載、東京、中日新聞東京本社、7頁。『北陸中日新聞(夕刊)』同日号掲載、金沢、中日新聞北陸本社、5頁〉。
■山田邦和「〈解説〉2000年歴史絵巻8 墓制と葬送」(『週刊 新発見!日本の歴史』08〈2013年8月18・25日合併号〉掲載、東京、朝日新聞出版、2013年8月25日)、37頁

2013.08.20

森浩一先生の冗談

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 森浩一先生は、冗談が大好きだった。いつも人の意表をついたことを言われるので、当てられたこちらとしては完全に毒気を抜かれて思考停止状態となってしまう。時にはかなり際どいことも言うのだが、それがギリギリのボーダーラインでおさまって、決して悪趣味の域にまでは落ち込まないところなど、やはり先生独特の「芸」というものだろう。
 手元にある「森浩一」ファイルを見直していると、こんなものがでてきた。私の結婚式の時に頂戴したお祝いである。「婚祝」とはいささか聞き慣れないが、それは当然で、「多分、私の造語」とある。しかし、そこに「七字で読むとよい」と付記がある。「婚祝」をヤマトコトバ7文字で読むと・・・・ あらら、聞きようによっては、これはかなり際どい響きになってしまうぞ。教え子の結婚式でシレッとした顔でこういうのを差し出すというのは、いかにも森先生らしい。先生のニヤニヤ笑いが浮かんできそうである。

2013.08.18

森浩一先生の著作から

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 森先生の著作の中からいくつかを、本棚からとりだしてみた。

 ◎カラーブックス『古墳—土と石の造形—』
 私が中学校1年生の時、飛鳥の高松塚古墳の発掘調査で見事な壁画が見つかり、それが大きなニュースとなった。それまでも歴史は好きだったのだが、私ははじめてここで「考古学」という学問があることを知り、大きな憧れを感じたのである。本屋さんに飛んで行って、はじめて買った考古学の書物が森浩一先生のこの著書『カラーブックス 古墳—土と石の造形—』であった。この本はそれこそ、何度読み返したかわからない。小さな書物ではあるが、私はいまだにこれは名著だと思っている。奥付のところに、まだ40歳代だった若い森先生の顔写真が掲載されているのも懐かしい。後、保育社から私に『カラーブックス 京都』の執筆の依頼がきた時、森先生の『古墳』と同じシリーズに私の著書を加えてもらえるのだ、ということで、誇りと喜びに満ちた感を味わった。

◎中公新書『古墳の発掘』
 発掘調査報告書を除くと、森先生の単著としては最初のもののはず。『カラーブックス 古墳』の次に購入。同時に購入して読んだ小林行雄先生の『古墳の話』(岩波新書)よりも、森先生の『古墳の発掘』に、息が詰まるほどの感動を覚えた(なお、私がこの小林先生の著書の真価に気づくのは、もっともっと後のことだった)。天皇陵問題、古墳の保存運動など、これも若き森先生の躍動感がビンビンと伝わってくる名著である。私が最初に読んだのは第11版の「増補版」(写真左)。写真右はそれ以前の版。応神天皇陵が○(信頼できる)から●(矛盾はないが決めてもない)に変わっているとか、梅山古墳(治定欽明天皇陵)の評価が変更されているところがあるとか、中身を比べてみるのも興味深い。

◎『新・日本史への旅』、『交錯の日本史』
 独断と偏見でいいから森先生の著作のなかからひとつ選べ、と言われたならば、私としてはこれを第1番に挙げる。森先生の独自の地域文化への視線が、これほどまでに花開いた成果はほかにない。『交錯の日本史』が出た時に書いた書評で「銅鏡を写した姫路の磁器、鯨の骨でつくった大阪の橋、縄文の石皿に鹿の生首をのせたありさまを描く秩父の絵馬、「日本将軍」を名のる青森の豪族……等々。ページをめくりながらわたしは、いつしか交錯の国の迷路に迷いこみ、どきどきしながらそこを探検している自分に気づく」と述べたが、このワクワク感、ドキドキ感は他に替え難い。『新・日本史への旅』も良いのだが、『交錯の日本史』はそれを上回る超名著。

◎『京都の歴史を足元から探る』
 意外かもしれないが、森先生の単著としての最大の「大著」は、古墳に関するものでも邪馬台国に関するものでもなく、この「京都の歴史」である。A5版で全6巻、先生の執筆は1600頁余におよぶというのだからものすごいし、それを僅かな期間で一気に書き上げられたというのにも圧倒される。しかもそれは、宿痾を得られて、それまでのような思うままの旅がままならなくなったという事情から、「足元の京都を見直してみよう」と決意されての仕事だという。先生の、あくまで前向きな思考には敬服せざるをえない。
 「京都の歴史」は私にとっても専門分野のはずなのである。しかし、この巨大な山脈の前にあっては、なすすべもなく立ちすくんでいる自分がいる。

 私たちは、森先生の残されたものをどう受け継いでいくことができるのだろうか・・・・

2013.08.16

大文字2013

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 8月16日(金)
 今年も、大文字送り火。森浩一先生は御自身では、魂とか死後の世界とかを信じておられたとは思えない。それでもやはり、私としては、旅立ってゆかれる先生の魂に合掌をさせていただきたい(涙)。

2013.08.13

森浩一先生「生涯不熟」

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私の宝物のひとつとして、書斎の壁に飾らしていただいている。1997年に森浩一先生に主査をしていただいて、同志社大学から博士(文化史学)の学位をちょうだいした。その時の記念に、先生が書いてくださった色紙である。「生涯不熟」。すなわち、学問に完成というものはない、生涯にわたって研究を続けなくてはならない、ということである。いかにも森先生らしいお言葉であり、私もこれを銘肝し続けていきたいと思っている。

2013.08.12

森浩一先生の著作

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森浩一先生の著作物(著書〈単著、共著〉、編著)の数々。ただし、これは私の手元に並べてあるものだけで、とてもとてもすべてが網羅できているわけではない。

古来、研究者にとっては「身長を超える著作を残す」ことが理想といわれてきた。自らの本を積み重ねると、自分の身の丈を超える、ということであろう。森先生はまさにこれを実践されたわけである。圧倒されるばかりである。

【8/13追記】
おっと、これを忘れてはいけなかった。編集委員のひとりとして実現に力を尽くされた『日本民俗文化大系』『海と列島文化』『日本の古代』(そのうちの何巻かは責任編集にあたっておられる)、そして全巻の企画・監修をされた『日本の古代遺跡』。下段に追加しておこう。あと、奈良県や同志社大学からの発掘調査報告書もたくさんある。

なお、森先生の著作リストとしては、次のものがある。
〔1995年10月までのもの〕 春日井市教育委員会民俗考古調査室編『第3回春日井シンポジウム資料・別冊 著作目録(福永光司・直木孝次郎・門脇禎二・森浩一)』(春日井、第3回春日井シンポジウム実行委員会、1995年11月)
〔2008年4月までのもの〕 土屋千春・青柳泰介作成「森浩一先生著作目録」(『古代学研究』第180号〈森浩一先生傘寿記念論文集〉掲載、枚方、古代学研究会、2008年11月)

2013.08.10

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 森浩一先生。1991年2月10日、私の結婚式に御出席いただき、スピーチをしていただいた時のお姿。

2013.08.09

森浩一先生御逝去

 8月6日午後8時54分、同志社大学名誉教授・森浩一先生が京都市内の病院においてお亡くなりになられました。85歳。巨星墜つ。先生に御教導いただいた日々を回顧し、悲嘆にたえません。先生のご冥福をお祈りいたします。

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今、言葉を失っております。とりあえず、先生のお元気だった時のお姿を紹介しておきます。2003年1月11日、桓武天皇の母の高野新笠の宮内庁治定陵に御一緒させていただいた時。

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2013.08.08

宇宙戦艦ヤマト2199〜宣伝情報相ミーゼラ・セレステラ、の巻

 テレビ・アニメ・シリーズの「宇宙戦艦ヤマト2199」が好調だ。昔懐かしい「宇宙戦艦ヤマト」(通称「ヤマト1」)のリメイク版であり、その後に続々と作られた「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の最新作である。私はこのシリーズ、1974〜75年の「ヤマト1」の最初のテレビ放送は見ていなかった(この時には、あんまり話題にはならなかったらしい)のだが、この「総集編」が1977年(私が大学に入学した年だ)に制作され、劇場アニメ映画として公開された時に見に行って、すっかりファンになってしまった。それが実に40年近い歳月を経てリメイク版としてよみがえるというので、放映前からずっと楽しみにしていたのである。

 ただ、この「宇宙戦艦ヤマト」シリーズ、主となる映像作品だけでも
 ・テレビ版『宇宙戦艦ヤマト』(1974〜75)
 ・劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978)
 ・テレビ版『宇宙戦艦ヤマト2』(1978〜79)
 ・テレビ版『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』(1979)
 ・劇場版『ヤマトよ永遠に』(1980)
 ・テレビ版『宇宙戦艦ヤマトIII』(1980〜81)
 ・劇場版『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(1983)
 ・劇場版『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』(2009)
とあり、その上、実写映画として
 ・『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010)
まで作られ、さらには上記テレビ版の総集編もそのつど作られている。要するに、ファンでないと、どれがどれだかわからないような仕儀になってしまっているのである。ただ、正直言って、私にとって面白かったのは1979年の『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』くらいまでだった。その後の作品は、「柳の下のドジョウ」狙いが見え見えで、あんまり興味をもてなくなってしまった。2010年の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』はシリーズ初の実写版で、主演は木村拓哉さん(いうまでもなく、工藤静香さんの御夫君である)、共演は黒木メイサさん、そして内容は名作の誉れ高い第1作のリメイクということで話題を呼んだのだが、結果的には「どうもお疲れ。ご苦労様でした」という出来に終わってしまった。

 そんな経緯があっただけに、今回のリメイクも期待半分不安半分だったのだが、これがなかなかイイ! 何よりも映像の綺麗さがハンパじゃない。これは、コンピューター・グラフィックスを駆使した最新技術の成果だな。それから、第1作のリメイクであって、第1作の良さを充分に踏襲しながら、メカニックの細部や登場人物の性格構成が充分に彫りさげられ、磨き上げられている。なかなかのものである。

 主人公格の古代進は、旧作では大変な熱血漢ではあるがかなりハチャメチャなところを持ってるというのであったが、それが影をひそめ、かなりの「イイ人」になってしまった分、いささか面白みがなくなった。ヒロインの森雪は、旧作ではヤマト唯一のヒロイン役を双肩に担って大奮闘だった。今回は旧作よりも美貌度を何倍もアップさせ、入浴シーンまでも披露しての頑張りは認めるのであるが、他にも何人も個性的な新女性キャラが登場したため、存在感は希薄にならざるをえない。かといって、しばしばお色気をふりまくのはキャラ違い。せっかくの大役なのだから、もう一踏ん張りを期待したいのである。それはそうと、人目もはばからずに古代とイチャつくのはやめてもらいたいな。
 その他のヤマトの女性乗組員。どう見ても戦闘員には見えない女子高校生的カワイコちゃんキャラが充満しているのはややズッコケ。ただ、なかでは、女性パイロットの山本玲と情報長の新見薫が出色。前者はボーイッシュなところがなかなかステキだし、航空機を自在に操る様子も堂に入っている。密かに想いを寄せていた古代が森雪と急接近するので、いささかかわいそう。それを吹っ切ったような戦闘シーンに期待したい。後者はドラマの前半ではクールな知的美女で思わず惚れ込んでしまったのだが、後半ではそうした部分が次第に影をひそめ、お色気モードを無意味に拡散させたあげくに無茶な反乱行動に荷担して青菜に塩、というのは大幅減点。

 すばらしいのは沖田十三艦長。本作での主人公は、実はこの人であることを確信させる熱演。地球や家族を思う時の心情が涙を誘うし、一方ではガミラスとの戦闘シーンでの獅子吼の大迫力がハンパではない。

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 一方、敵方の大ガミラス帝星。今回はかなりたくさんのキャラクターが登場するとともに、その内部での葛藤なども丁寧に描かれているところがすばらしい。旧作とは違い、登場人物にすべてファースト・ネームが設定されているところも斬新である。

 アベルト・デスラー総統。ガミラスといえばなんといってもこの人であり、「ヤマト」シリーズのもうひとりの主人公といってもさしつかえない。「ヤマト」ファンの大半は実は「デスラー・ファン」なのではないかといわれるくらい、高い人気を誇っている。デスラーが姿を見せるだけで画面がピシリと引き締まるのだから、やはりこのキャラは圧倒的である。
 そもそも、「ヤマト」シリーズの後半期が次第につまらなくなっていったのも、デスラー総統に匹敵するだけの存在感を発揮する敵役<かたきやく>を創造できなかったことに主因がある。デスラーはヤマトの対戦相手としてまさに理想的な存在なのであり、実はデスラーあってこそのヤマトであったと言っても決して過言ではないのである。その後のシリーズでは、デスラーにわずかに比肩できるのは白色彗星帝国ガトランティスのズォーダー大帝(「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」「宇宙戦艦ヤマトII」)くらいで、その彼ですらヤマトに正面切ってタイマンを張るにはいささか力不足だった。ましてや、その後のボラー連邦のベムラーゼ首相(「ヤマトIII」)とか暗黒星団帝国のスカルダート聖総統(「ヤマトよ永遠に」)とかディンギル帝国のルガール大神官大総統(「完結編」)とか、仰々しい肩書きを名乗って偉そうにしている割にはまったく品がない小物ばかりで、ファンとしては見る気が失せてしまうのである。
 実写版の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』がせっかく大金をつぎこんだ割にはパッとしなかったのも、木村拓哉さんと黒木メイサさんだけを前面に押し出した結果、デスラーをなんだかよくわからない「意思集合体」という存在にしてしまい、戦いをヤマトの独り相撲にしてしまったことに主因があるといわざるをえない。
 今回のデスラーは、旧作よりも若々しく、ニヒリスティックかつペシミスティクな性格になっている。ファンの間にはデスラーをこういう性格設定にしたところには異論もあるらしいし、私にはそれもよくわかる。しかし、それでもなおかつ圧倒的なオーラを放っているのは、まさにデスラー総統にしかできない芸当であろう。

 しかし、今回のガミラス側の新キャラクターの中で最高の存在といえば、大ガミラス帝星宣伝情報相ミーゼラ・セレステラにとどめをさす。いやあ、このキャラはすばらしい。極論することを許していただくならば、この人物を創造することができただけでも、今回のヤマトのリメイクのかいがあったとさえいえるのである。
 この女性、いつも冷静沈着な上に、頭の回転と切れ味はハンパではない。デスラー総統の側近としては有能この上なく、デスラーも彼女なしにはやっていけないことは明白である(事実、ゼーリック国家元帥によるデスラー暗殺計画からデスラーを救ったのもセレステラである)。いつもコワい顔つきをしているので気づかれていないかもしれないが、よく見ると実はなかなかの美女である。にもかかわらず、変な色気をふりまくなんてバカさ加減は毛筋ほども持っていない。あまりに頭が良すぎて他の俗物的な大臣や軍人がまったくのアホウに見えるらしく、彼らに対しては切れ長の鋭い目で冷たい視線を浴びせることがしばしば。その結果、彼らからは「魔女」「女狐」などと陰口を叩かれているのだが、本人はまったく気にしている様子はない。冷酷非情な一方で、真に大事にしていた人(同一民族の唯一の生き残りであった部下のミレーネル・リンケ中央情報部特務官)を失った時にはガクリと肩を落として一筋の涙を流すなど、意外なところで豊かな人間性を感じさせるシーンも見せている。登場場面は決して多くないのであるが、とにかくひとことひとこと、そして一挙一動がすべてにわたってカッコいいのである。
 セレステラの声をあてているのは歌手の茅原実里さん。私はあんまりこちらのほうには詳しくないのであるが、セレステラのキャラにピタリと合わせており、この人が歌手としてばかりではなく声優としても凄い実力の持ち主であることが実感される。あまりに感動したので、この人の歌をいくつか聞いてみるというオマケまでついてしまった。
 これまでの「ヤマト」シリーズではヒロイン森雪とイスカンダルのスターシアを初めとする「女神」格の人物以外には女性の登場は少なく、特にヤマトの敵方では女性の活躍はあんまりみられなかった。白色彗星帝国ガトランティス(「さらば宇宙戦艦ヤマト」「ヤマトII」)には、ズォーダー大帝の側近をつとめるサーベラー総参謀長というのがいたが、この女など、美人ではあるかもしれないが鼻持ちならない高慢ちきな権力亡者で、まさに虎の威を借る狐のようなイヤミこのうえないゲスであった。
 それに比べると、今回のセレステラの存在感のすばらしさはどうであろう。テレビを見ていて、彼女がでてくるだけで思わず画面に釘付けになってしまうのである。せっかくの魅力的な新キャラなのだから、今回だけで退場というのはあまりにも惜しい。できることならば続編での活躍も期待したいし、また、彼女を主人公にしたスピンオフ作品の登場までも思い描いてしまうのである。

2013.08.06

馬町十三重塔など、の巻

Photo(←クリックで拡大。馬町十三重塔の5変化)

(左上:今。右上:ちょっと前まで。
 左下:昭和5年〈拠:田中緑紅によると思われる絵葉書〉。中下:昭和15年頃〈拠:川勝政太郎『京都石造美術の研究』〉。右下:馬町十三重塔旧跡の、ちょっと前の様子)

 7月30日(火)
 最近はどこの大学でもやっていることであるが、高校向けの「出張講義」というものがある。わが大学でも、こうした「高大連携」にけっこうこれに力を入れていて、毎年、各学部から出張講義要員を選抜して高校からの要請に応える体制をととのえている。大学の宣伝にもなるし、また、高校生の進路選択の一助となると思うので、私も、事情が許す範囲の中でこうした仕事にはかかわらせていただくようにしている。たまたまこの月には2回が重なり、7月12日(金)には兵庫県立須磨友ヶ丘高校に行った。神戸ということで、この時には「福原京と清盛」をやった。また、7月30日には京都府立嵯峨野高校に行く。会場は仁和寺境内にある御室会館。同高校の人文系のコースの一年生ということで、約80人が参加してもらう。テーマは「平安京の世界」。それとともに、高校生のうちから自分の将来の進路を真剣に考えていくことの重要性を強調する。

 8月1日(金)
 京都国立博物館の「遊び」展にでかける。博物館の正門をはいって会場に向かう時に、ウチの奥さんが素っ頓狂な声をあげた。馬町十三重塔がなくなっている!というのである。ありゃりゃ(「じぇじぇじぇ!」)、確かにそうだ。京都国立博物館の中庭にそびえたっていて、その風景に強烈なアクセントを与えていた鎌倉時代の2基の十三重の石塔が姿を消しているのである。
 この塔、私の平安京・京都の墓地・葬地論(山田『京都都市史の研究』第3部「平安京・京都の葬送空間」、山「都の葬地」〈『古代の都3 恒久の都 平安京』〉)では、枢要の位置を占めている。私は古代・中世の京都では自然発生的な大規模葬地が営まれたことを主張し、それを「鳥部野型葬地」と名付けているのであるが、そこには葬地全体の供養のための「総祭祀施設」なるものが成立していく、と論じている。そして、鳥部野の葬地の総祭祀施設の典型として、この「馬町十三重塔」を位置づけているのである。

 この塔、現在は鎌倉時代の石塔の傑作として重要文化財に指定されているが、いくつかの場所を転々としてきた。当初の所在地は馬町(東山区常盤町)。小さな塚があって、そこにふたつの石塔が立っており、どういうわけか、源義経の忠臣である佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられてきた。写真左下が昭和5年の旧状である。これが改修されることになり、塚は削られてしまったかわりに、欠損していた石材を補填して十三重塔が再建された(写真中下)。この時に、多数の納入品が発見されており、この石塔の重要性がいやがおうでも増すことになった。ただ、その直後に所有者がかわってしまい、この塔は解体されて洛西に運ばれてしまった。写真右下はその塚の跡。これはちょっと前の写真で、前面の家が解体された瞬間なので、表通りから塚跡が見えるようになった時の様子である。さらにその後、この塔は京都国立博物館に移築され、その中庭に屋外展示されることになって(写真右上)、この状態で永く親しまれてきた。私も京博に行くたびにこの塔を眺めるのが恒例だったのである。

 その塔がない! 驚いてあたりを見回すと、あった! 中庭の片隅に、解体された状況で石材が並べられていた(写真左上)。聞いてみると、博物館の新館ができるのにともなって、改めて新館の正面のところに建てられるのだというので、一安心。それにしても、これまでは見ることのできなかった石材の細部を観察できるチャンスである。昭和初期の補填材ともともとの材の違いも見ておくべきだな。


 8月4日(日)
 京都府長岡京市で、勝龍寺城跡発掘調査の現地説明会。この城、戦国末期に細川藤孝の居城となり、さらには天王山の戦いで敗れた明智光秀が逃げ込んだところとして知られている。本丸の部分は都市公園として整備されているのであるが、その北側に良好な状態で惣構の土塁の一部が残存している。この部分も保存が危ぶまれていたのであるが、長岡京市の英断によって土地の公有化が決まったという。まことに慶賀にたえない。今回は、公園化に向けての基礎資料の収集としての発掘調査である。戦国期の城の土塁の様子がきわめてよくわかる。
 遺跡保存に数々の困難がたちふさがっていることは百も承知しているが、こうした遺跡を保存できるかどうかは、その街の民度、役所の公務員のレベルとやる気、さらにはその街の首長の知的水準のバロメーターなのだ。その点で、今回の保存にいたるまでの同市の職員の方々の御労苦、また市長さんの英断には最大限の敬意が表せられるべきだと思う。

 午後には、「聚楽城(聚楽第)の意義を考える連続講演会」に参加。その最終回で、豊臣秀次の研究者として知られる藤田恒春さん(京都橘大学非常勤講師)の「聚楽第と豊臣秀次」。聚楽第というと秀吉ばかりに注意が集まるが、当然のことながらその後半期は豊臣秀次の居城だったから、こうした視点からのお話は大変勉強になる。
 聚楽第については、改めて考えていることもあるので、それはいずれまた。

【しゃべったこと】
□山田邦和「平清盛と福原遷都」(兵庫県立須磨友が丘高等学校出張講義、於同高校、2013年7月12日)
□山田邦和「平安京の世界」(京都府立嵯峨野高等学校出張講義、於御室会館、2013年7月20日)

2013.08.01

テレビ番組いろいろ、の巻

 最近、お気に入りのテレビ・シリーズ番組。

 まずはいうまでもなく「八重の桜」。わが勤務校の創設者が主人公であるというだけではなく、ストーリーも波瀾万丈で引きつけられる。主人公新島八重夫人を演じている綾瀬はるかさんも、美女ではあるが親しみやすい風貌で、すばらしい演技をみせつけてくれる。なによりも凄かったのは松平容保役の綾野剛さんの鬼気迫る熱演。綾野さんの出番が終了してしまったのがちょっと残念だが、いよいよこれからは舞台が京都に移ってくる。オダギリジョーさん演じる新島襄先生も本格的登場が近い。

 NHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。人気も高い番組らしい。連続テレビ小説は出来不出来が多く、見たり見なかったりする。近年では「ゲゲゲの女房」(2010年前期、松下奈緒さん主演)、「カーネーション」(2011年後期、尾野真知子さん主演。なお、綾野剛さんも主人公の恋人役で登場していた)が出色だった。
 「あまちゃん」も、最初は見ていなかったのだが、見始めるとなかなかに面白く、妻ともども、我が家の朝の定番となった。宮藤官九郎さんの脚本のテンポが良く、見ていて爽快である。能年玲奈さん演じる主人公はホンワカなノーテンキさが異彩を放っており、しかもそれがまったく嫌みを感じさせないのがすばらしい。他の人がこんな演技をしたならばイラついてきそうなところであるが、それをサラリとカバーできるというのはやはり能年玲奈さんの演技力だな。若いのに、将来が期待できる女優さんである。
 特筆されるのは主人公の母親を演じる小泉今日子さん。正直いって、この人については一昔前のアイドルというくらいにしか認識しておらず、あんまり関心がなかったのだが、このドラマを見てブッ飛んだ! いやあ、あのキョンキョンがこんなに素敵な女性だとは、今の今まで気がつかなかった。ちょっと顔を上げて周囲を睨み付ける、その眼力がなんともいえない凄さである。

 TBSの「半沢直樹」。銀行を舞台とした、堺雅人さん主演のビジネス・ドラマである。堺さんについてはNHK大河ドラマ「新選組!」で演じた新選組総長山南敬助が印象的で、ずっとファンなのである。

 さて、それから、「宇宙戦艦ヤマト2199」。昔なつかしいアニメ「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの最新作であり、第1作「宇宙戦艦ヤマト」(1974〜75)のリメイク版である。これについては色々と喋りたいことがあるので、稿を改めたい。

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