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2013.12.31

2013年大晦日、の巻

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(↑ 新京極錦小路の錦天満宮〈錦天満神社〉。鳥居が左右の建物に食い込んでいることでも有名である)

 12月31日(火)
 2013年もあとわずか。今年は、私の身内にはいろいろとアクシデントが続発してちょっとしょげてしまったのだが、不幸中の幸いなのは、どれも大事にはいたらなかった。まあ、より一層、慎重に暮らしていけという天からのお告げだな。

 大晦日の日は、午前中には上京の出町商店街で買い物。「寺町ノゐの志々屋」改進亭総本店で恒例の猪肉と、あとは出町桝形商店街でお正月の素材を仕入れる。
 気になったのは、「桂飴」を作り続けてきた「桂飴本家 養老亭」が閉店するというニュース。出かけてみると、やはり惜しむ人が多かったのか、本日分はすべて売り切れたそうで、早くも閉店となっていた。ちょっと寂しい。
 夕方には、錦小路の商店街をぶらつく。今年最後のお参りは、新京極の錦小路にある錦天満宮〈錦天満神社〉。繁華街の中にあるからあんまり重要な神社ではないと誤解している旨もあるかもしれないが、とんでもない。かつてはここにあった六條道場歓喜光寺の鎮守社であった。歓喜光寺というと、そう、日本史に興味のある人ならば誰でも知っている国宝「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」を所蔵している、あの寺である。明治になって鎮守社と寺が分離され、さらに寺の方は山科に移転してしまったので神社だけが旧地に取り残された。ともあれ、今年一年の感謝と、来年の幸福を祈る。

 年末の恒例のベートーヴェンの交響曲第9番は何にしようか。たまには変わったものもいいだろうと思うので、異端中の異端の演奏として知られる、ヘルマン・シェルヘン指揮ルガーノ放送管弦楽団のライヴ録音の全集を取り出してきた。いやあ、これはやはり強烈。指揮者の熱烈なパッションがそのまま叩き付けられた演奏だ。指揮者はオーケストラを煽りに煽り、オケは必死の思いで指揮者についていく。細部に乱れがあるなどという生易しいものではなく、ところによっては(特に第4楽章の冒頭)楽器のそれぞれがゴールにむかっててんでバラバラに突進していっているというムチャクチャ状態である。時にはシェルヘンの怒号と唸り声がそのまま聞こえてくる。全曲を62分22秒で駆け抜ける(フルトヴェングラーなどは74分強をかけている)というのだから、並大抵ではない。この演奏のキズを言い出したらキリがないのだが、実際に聞いてみるとそんなことはもうどうでもよくなるという凄演である。いつもいつも聞くのは耐えられないだろうが、タマにはこんな演奏もいいのだろうと思う。

 皆様、本年もお世話になりました。それでは、どうか良いお年をお迎えくださいm(_ _)m。


2013.12.30

2013年、やったこと、の巻

恒例の、「今年やったこと」の巻。去年はああいうことで、今年もいわば「試運転」状態だったので、自慢できるような内容のことはなにひとつできなかったが、まあこんなもんだろう。

『京都の近代化と同志社』は単著とはいうものの、小冊子。一昨年の同志社女子大学史料室でやった講演の講演録。「論文」がほとんど無いのは恥ずかしく、それらしきものが一本あるだけにとどまってしまった。土生田純之さんの編の『事典 墓の考古学』に寄せた原稿は、「再起」後はじめてのもので、これをなんとか書けたのは嬉しかった。共著の「『京都学』を学ぶための文献ガイド」は学生のためにまとめたもので、これから京都のことを研究していこうという人には便利かもしれない。同志社女子大学のウェブサイトから自由にダウンロードできますので、ご関心のある方はどうぞ。社会活動で、学会関係の役職なども、必要最小限にとどまっている。ただ、講演のたぐいに少しづつ復帰できつつあるのはありがたい。

幸いなことに体調は良好なので、来年度はもう少し活動の幅を広げることができると思う。

【著書(単著)】
■山田邦和(講師)、同志社女子大学史料室(編集)『京都の近代化と同志社』(同志社女子大学史料室講演会記録 4、京都、同志社女子大学、2013年3月5日)、全26頁。

【論文】
■山田邦和「誉田山古墳(応神天皇陵古墳)内堤の立ち入り調査報告」(『歴史読本』第58巻第4号〈4月号〉掲載、2013年4月1日、東京、新人物往来社)、144〜151頁。

【その他】
■山田邦和「角田文衞『三上人の生きた時代』解説」(『土車』第125号掲載、京都、古代学協会、2013年3月30日)、7頁。
■山田邦和・天野太郎「『京都学』を学ぶための文献ガイド」(『現代社会フォーラム』第9号掲載、京田辺、同志社女子大学現代社会学会、2013年3月31日)、60〜73頁(山田執筆:60〜67頁、天野執筆:67〜73頁、山田・天野共同執筆:60・73頁)。
■山田邦和「同志社女子大学の二条家邸跡と二条斉敬」(同志社女子大学ウェブサイト「教員による時事コラム」掲載、京田辺、同志社女子大学、2013年5月14日公開)
■山田邦和「平安時代天皇陵の占地」「厚葬と薄葬」「院政期の天皇陵」(土生田純之編『事典 墓の考古学』所収、東京、吉川弘文館、2013年6月10日)、193〜196、210〜211、244〜245頁。
■山田邦和「二条家邸跡と二条斉敬」(『同志社の母 新島八重』改訂版所収、京田辺、同志社女子大学、2013年6月14日〈改訂版発行〉)、112〜115頁。
■山田邦和「〈解説〉2000年歴史絵巻8 墓制と葬送」(『週刊 新発見!日本の歴史』通巻8号〈2013年8月18・25日合併号〉掲載、東京、朝日新聞出版、2013年8月25日)、37頁
■山田邦和「考古学者 森浩一先生を偲ぶ」(『中日新聞(夕刊)』2013年8月22日号掲載、名古屋、中日新聞社、2013年8月22日)、9頁。〈同時掲載:『東京新聞(夕刊)』同日号掲載、東京、中日新聞東京本社、7頁。『北陸中日新聞(夕刊)』同日号掲載、金沢、中日新聞北陸本社、5頁〉。
■山田邦和「『敗者の古代史』著・森浩一—歴史を考える際の道しるべ」(『京都民報』第2605号掲載、京都、京都民報社、2013年9月22日)、6頁。
■山田邦和(監修・執筆)、蓬生雄司(イラスト)「再現!歴史の現場 福原京」(『週刊 新発見!日本の歴史』通巻18号〈2013年11月3日号〉掲載、東京、朝日新聞出版、2013年11月3日)、8・9頁。
■山田邦和「角田文衞『杜撰な考古学者用語』解説」(『土車』第126号掲載、京都、古代学協会、2013年11月30日)、4・5頁。
■山田邦和「同志社女子教育の創始と旧柳原家邸」(同志社女子大学同窓会「Vineの会」ニューズレター『Smoketree』第21号掲載、京田辺、同会、2013年11月〈発行日不記載〉)、2頁。

【学会報告】
□仁木宏・山田邦和(司会)、谷徹也・森島康雄・下高大輔・中西裕樹・矢部健太郎(パネラー)「討論」(平安京・京都研究集会〈主催〉、「第27回平安京・京都研究集会『聚楽第の再検討』、於機関紙会館大会議室、2013年10月26日)
□山田邦和「コメント(杉本竜『松平定信と浴恩園一描かれた諸図を通して一』)」(国際日本文化研究センター白幡班共同研究会『日本庭園のあの世とこの世一自然、芸術、宗教』共同研究シンポジウム「『大名庭園』の新発見」、於国際日本文化研究センター、2013年11月9日)

【講演】
□山田邦和(講演)「豊臣秀吉の聚楽政権―将軍任官挫折から武家関白政権樹立へ―」(西陣歴史の町協議会〈京都百人一首・かるた研究会、じゅらくだい倶楽部、特定非営利活動法人NPO平安京、紫式部通り会〉・特定非営利活動法人京都歴史地理同考会〈主催〉「聚楽城(聚楽第)はなぜ大事か」を考える連続講演会、於聚楽会館、2013年3月30日)
□山田邦和(講演)「京都の近代化と同志社」(同志社女子大学〈主催〉「同志社女子大学の集い 2013(名古屋)」(於ヒルトン名古屋、2013年6月16日)
□山田邦和(講義)「平清盛と福原遷都」(兵庫県立須磨友が丘高等学校出張講義、於同高校、2013年7月12日)
□山田邦和(講義)「平安京の世界」(京都府立嵯峨野高等学校出張講義、於御室会館、2013年7月20日)
□山田邦和(講演)「織田信長と京都」(公益財団法人JR東海生涯学習財団〈主催〉、ジェイアール東海エージェンシー〈企画・運営〉「講座 歴史の歩き方」第64回「信長の京都—『天下布武』の野望と本能寺の変—」、於よみうりホール〈東京都千代田区〉、2013年9月13日)
□今尾文昭〈コーディネーター〉、杉本憲司・菅谷文則・前園実知雄・宮川ススム・田中英夫・寺沢薫・千賀久・井端二夫〈出席〉、山田邦和・岡本健一・梅原章一・天野幸弘〈会場からの発言〉「講演者全員と森先生ゆかりの方々による座談会」(奈良県立橿原考古学研究所〈主催〉「講演会 森浩一先生と橿原考古学研究所」、於同研究所講堂、2013年10月13日)(ススム=徏)
□山田邦和(講演)「同志社女学校の成立と近代京都」(同志社女子大学・同志社女子大学同窓会「Vineの会」〈主催〉「同志社女子大学ホームカミングデー2013」、於同志社女子大学今出川キャンパス栄光館ファウラーチャペル、2013年11月3日)

【社会活動】
〔退任〕
▼文部科学省 平成24年度科学研究費補助金における評価に関する委員会「人文・社会系委員会」委員、「研究成果公開発表委員会」委員(〜2013年3月)
▼条里制・古代都市研究会 会計委員(〜2013年3月2日)

〔新任および継続〕
▼財団法人古代學協會 理事(〜2013年3月31日)
  → 公益財団法人古代学協会 理事(2013年4月1日〜)
▼財団法人古代學協會 古代文化刊行委員会 編集委員(〜2013年3月31日)
  → 公益財団法人古代学協会 古代文化刊行委員会 編集委員(2013年4月1日〜)
▼平安京・京都研究集会 世話人(継続)
▼文化史学会 監事(継続)
▼京都市環境影響評価委員(継続)
▼京都府 天橋立世界遺産登録可能性検討委員会 委員(継続)
▼社団法人京のふるさと産品協会 ブランド認証審査会 総合審査会 委員(継続)
▼条里制・古代都市研究会 評議員(2013年3月2日〜)

【共同研究】
▼国際日本文化研究センター共同研究員(「日本庭園のあの世とこの世―自然、芸術、宗教」班)(2012年4月〜)
▼科学研究費補助金「古代・中世における「乗り物文化」の学際的研究-『新・輿車図考』の構築を目指して-」連携研究者(研究代表者:京樂真帆子滋賀県立大学人間文化学部教授。研究課題番号24520764。研究期間2012年4月1日~2016年3月31日〈予定〉)

【講義】
(2013年度春学期。すべて、同志社女子大学現代社会学部)
   〈水〉2講時「基礎演習」、3講時「専門基礎演習」
   〈木〉2講時「応用演習」、3講時「卒業研究」、4講時「博物館実習」
(2013年度秋学期。すべて、同志社女子大学現代社会学部)
   〈月〉5講時「博物館概論」(今出川キャンパス)
   〈水〉2講時「史跡・文化財論」、3講時「博物館概論」(京田辺キャンパス)
   〈木〉2講時「応用演習」、3講時「卒業研究」、4講時「博物館実習」


2013.12.23

工藤静香クリスマスディナーショー2013、の巻

2013
 12月21日(土)
 京樂真帆子さんが主催する研究会。ある事情で予定が急遽変更となり、京樂さんのヴェトナム「外遊」(と言うと、御本人は「遊びに行ったんじゃない!」と、えらくおカンムリである)報告を聞かせていただく。ついでに私も、2008年にハノイのタンロン城の遺跡の発掘調査にちょっとだけ参加させてもらった体験談を、話す。

 研究会終了後、早々に辞して、大阪行き。中之島のリーガロイヤルホテルで、お待ちかねの「工藤静香クリスマスディナーショー2013」が開催されるのである。私にとっては分不相応の贅沢だとは思うが、最近の静香さん、このクリスマスディナーショー以外の芸能活動をほとんど停止しておられるので、この機会はやっぱり逃したくないのである。
 会場には500人ほどの観客が集まって、超満員である。女性が多いのも特色。リーガロイヤル特製のお料理も、結構でした。

 20時きっかりに、ショー開始。静香さん、純白のロングドレスで登場。美しい! 私の席はやや斜め横方向だったので、静香さんのスタイルの良さが際立っている。というか、この年齢になってもあんなスタイルを保っているというのは、これはどう見ても反則でしょ(笑)、といいたくなるくらいの見事さである。
 歌は、まず「雪傘」、「激情」、「見返り美人」と名曲が続く。そして、「コアなファン向け」ということで「時の河を越えて」。この曲、静香さんがまだおニャン子クラブ所属で、生稲晃子さん・斉藤満喜子さんとともに結成していた「うしろ髪ひかれ隊」のデビュー曲である。1987年の発表だから、もう四半世紀前だ。ほかのアイドルグループのチャラけた曲とは違い、なかなかの名曲だから、静香さんのソロで聞けるのは嬉しい。
 私の席からは見えにくかったのだが、バックコーラスの女性が紹介されて、思わず声をあげそうになった。なんと、坪倉唯子さんである! そう、B.B.クィーンズのボーカルとして、ハジけた名曲「おどるポンポコリン」を歌った、あの人である。私としては、中島みゆきさんのコンサートでバックコーラスをよくつとめておられることが印象的(ついでにいうと、中島みゆきさんと吉田拓郎さんが奇跡の共演を果たした2006年つま恋コンサートでの「永遠の嘘をついてくれ」で、みゆきさんがカッコよく舞台から去る時に、 みゆきさんがハイタッチしている女性が坪倉さんである)。これまであんまり気づいてなかったが、坪倉さん、静香さんのこれまでの曲に何度もバックコーラスで参加されていたり、静香さんに「仮歌」をつけたりしていたという。すごく近しい仲なんだな。ということで、歌はレ・ミゼラブル(だと思う)、坪倉さんと静香さんの共演という貴重なものである。

 しばらくの退場のあと、後部トビラから静香さんの再登場。今度は目の覚めるようなブルーのセクシー・ドレスである。会場を巡回しながら「あなたしかいないでしょ」。私もちゃっかり、握手の機会にあずかる。会場のほとんどを廻るからかなりの時間がかかるのであるが、静香さん、誠実にファンの声にこたえてくれている。
 舞台に戻って、「深紅の花」「Blue Velvet」「Blue Rose」「Ice Rain」が続く。静香シリーズの中でも最高傑作のBlue Velvetをパワフルに歌い切るのがすばらしい。
 なごりを惜しみながらの中締めのあと、会場の大拍手に応えて、今度は真っ赤なロング・ドレス。アンコールは、作曲者の後藤次利さんのイチオシだという「恋一夜」で締める。

 至福の時間を過ごさせていただきました。ありがとうございましたm(_ _)m。

【しゃべったこと】
□山田邦和「同志社女学校の成立と近代京都」(同志社女子大学・同志社女子大学同窓会「Vineの会」〈主催〉「同志社女子大学ホームカミングデー2013」、於同志社女子大学今出川キャンパス栄光館ファウラーチャペル、2013年11月3日)


2013.12.18

都市史学会設立総会、の巻

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12月14日(土)・15日(日)
 「都市史学会」という新しい学会が発足する。とはいってもまったくのゼロからの出発ではない。1993年から刊行されている『年報都市史研究』(山川出版社)を編集していた「都市史研究会」という研究者グループがあり、それを母体として創設されたのが今回の都市史学会である。
 私もこれまで、自分の専攻を「考古学・都市史学」と名乗ってきた。とはいうものの、「都市史学」って学問分野、本当にあったっけ?と自分でもいささか疑問に思いながらの名乗りであった。今回の学会設立で、これも堂々と使うことができるようになる。
 14日・15日にはその設立総会が、東京大学を会場としておこなわれるので、でかける。内容は次のとおり。

記念講演「都市とはなにか」樺山紘一(印刷博物館館長、東京大学名誉教授)<司会> 陣内秀信(法政大学)
シンポジウム 「都市史の現在 I」 <司会>  杉森哲也(放送大学)
日本近世都市史/岩本馨(京都工芸繊維大学) <コメント>吉田伸之(飯田市歴史研究所)
日本中世都市史/三枝暁子(立命館大学) <コメント>高橋慎一朗(東京大学)
イタリア都市史/片山伸也(日本女子大学) <コメント>井上徹(大阪市立大学)
アジア都市史/大田省一(京都工芸繊維大学)  <コメント>徳橋曜(富山大学)
フランス都市史/加藤玄(日本女子大学) <コメント>伊藤毅(東京大学)

 今回の都市史学会、会員名簿を見てみると、やはり東京が中心で関西勢は少ない。それから、考古学からの参加がごくごく少数。その一方で、さすが東京というか、西洋の建築史の研究者が多数加わっている。ということで、私にとっては、初対面の先生方が多い。しかし、見聞を広めるにはいい機会である。

 報告の中でやはり興味があるのは、近世の岩本さんと中世の三枝さんのもの。どちらも研究史を丁寧にまとめられていて、勉強になる。ただ、全体討論にほとんど時間が宛てられなかったのは、いささか残念。関西の研究者の立場も言っておかねばならないと思ったので、無理にお願いして、ひとことだけ発言させてもらう。

 ともあれ、勉強になりました。学会設立に尽力された先生方、そして今回の報告者の皆様に、感謝。


2013.12.01

国立民族学博物館「屋根裏の博物館」(渋沢敬三記念事業)展、の巻

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Photo_2(←展覧会図録より。初期のアチックミューゼアム)

 11月30日(土)
 いやあ、良い展覧会だった。感動した。国立民族学博物館の「屋根裏の博物館」(渋沢敬三記念事業)展。のんびりしていたら、会期が12月3日までだというので、あわてて行ってきた。

 渋沢敬三(1896〜1963)、大正・昭和前期の金融界・財界の巨頭であり、華族としては子爵。日本銀行総裁や大蔵大臣を歴任。一方で、民俗学の研究者・庇護者としても活躍し、自宅の一角に「アチックミューゼアム(屋根裏博物館)」という私設の研究所兼展示施設を開設していたことでも知られる。今回の展覧会は、この渋沢の生涯をたどりながら、そのコレクションを紹介するというものである。

 展覧会の正面には「日本銀行総裁、大蔵大臣、渋沢敬三が本当になりたかったものとは・・・・ 屋根裏部屋に込めた思い」というキャッチコピーが踊っている。私も、渋沢については通り一遍の知識しか持っていなかったものが、今回の展覧会でその人柄まで含めてよく理解することができた。名家(祖父は「日本資本主義社会の生みの親」と呼ばれた渋沢栄一)に生まれた渋沢敬三は、恵まれた財力と幅広い交友関係に裏付けられて、趣味の学問を悠々自適に楽しんでいたように思っていたのだが、それは大きな誤解であることがよくわかった。学生時代、敬三の将来の夢は生物学者になることであった。ところがその敬三の前に、財界の指導者であった祖父の栄一男爵が正装姿で現れ、畳に頭をこすりつけながら「渋沢の事業の後継者になってくれ」と懇願したのだという。敬三はこれで、自分の夢をあきらめ、金融界に身を投じることになる。その時の若き敬三の心中がいかなるものであったか考えると、胸に迫るものを感じざるをえない。

 私は、渋沢敬三のそれからの歩みを順風満帆な経済人としての姿であったと思っていたのだが、それも誤解だった。日銀総裁の職についたのも、戦争が敗色濃厚となっていって、日本国家がにっちもさっちもいかない状態に陥っていったのをなんとか救済しようとするものであった。大蔵大臣就任も、敗戦後の混乱を極めた日本経済の立て直しという超難題を使命とするものであった。さらに、大臣として自らが主導した「財産税」制の施行によって、広大な邸宅の大部分を他者に率先して国に差し出してしまう。その環境の激変に耐えきれなかった妻はついに渋沢のもとから出て行ってしまう。そうした困難の中でも渋沢自身は端然と「ニコニコ笑いながら没落していったらいい」と語っていたという。

 今回勉強したのだが、敗戦後すぐの混乱時に大蔵大臣になった渋沢は、文部省の予算だけは自ら徹底的に手を入れ、教育と学術に関する項目を大幅に予算復活させた。敗戦という憂き目を見た日本の復活に最も重要なものは、教育と文化であると考えたからであったという。また、文部省の「科学研究費」の創設というのも、渋沢蔵相の時の成果だという。この意味でも、渋沢は日本の学術研究全体の恩人だといってよい。

 しかし渋沢は、自らに宿命的に課せられた財界人としての仕事を誠実にこなしながらも、実はそれを嫌っていたという。彼が本当に魂を飛翔させたのはそうした仕事ではなく、自邸の屋根裏に設置したささやかな研究所兼博物館「アチックミューゼアム」と、そこに集う研究者たちとの交流だった。展覧会場には、渋沢の言葉が巨大なパネルとなって掲げてある。「何を自分はアチックに見出さんとしつつあるか、人格的に平等にしてしかも職業に、専攻に、性格に相異なった人たちの力が仲良き一群として働く時、その総和が数学的以上の価値を示す喜びを皆で共に味わいたい。チームワークのハーモニアス デヴェロープメントだ。自分の待望は実にこれであった」。その後にどこの学界でも主流になっていく「共同研究」というものの意義をこれほど的確につかまえたことばはないであろう。

 アチックミューゼアムのコレクションは、現在は国立民族学博物館の重要資料として安住の地を得ている。これは良かった。しかしその一方で、いまは無き「屋根裏博物館」を、一度でもいいから実際に見てみたかったという想いもわき起こってくるのである。

 「屋根裏の博物館」(渋沢敬三記念事業)展は、大阪では12月3日まで。その後、来年3月21日〜5月6日に埼玉県立歴史と民俗の博物館で関東展がおこなわれるという。


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