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2014.03.29

森浩一コレクション展、の巻

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 3月29日(土)
 神戸のギャラリー「あじさい」で、「森浩一コレクション展」が開催されている。これはやはりどうしても行かなくてはならないということで、ウチの奥さんを誘って、神戸行き。昼頃に神戸についたので、奥さんのご希望で、昼食は神戸牛のステーキ。長時間並ぶということになってしまったが、お味は期待以上の絶品。

 森浩一先生は生前にも祗園のギャラリーで自ら「森浩一の大切なもの展」を開かれたことがあった。今回は森先生の奥様の森淑子・同志社女子大学名誉教授のご希望で、森先生が集められてきた美術品を中心としたものになっている。なぜ神戸で?と思ったのだが、奥様の妹さんが絵をやっておられる御縁で、このギャラリーのオーナーさんと親しいのだという。

 先生と親交が厚かった須田剋太氏はもちろん、先生の御父君と親しかった向井潤吉氏や与謝野晶子氏など、すばらしい作品が並ぶ。面白かったのは、ボストン美術館にあるクロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」の複製画。なんでこんなものが?と思ったのであるが、額の裏側に森先生の文が書かれている。先生がボストン美術館を訪れた時、この絵を見てその可愛さに魅了されてしまった。そのことをハーバード大学での酒席でどなたかに漏らされたところ、すぐにこの複製画を送ってきてくれたのだという。さすがに私も、先生の「好み」がこんなところにあるとは、まったく知らなかった(o^-^o)。

 森先生の奥様は昼食に出られているというので、私たちも外で用足しをして、時間をおいてからまた伺う。ちょうど、同志社大学の卒業生のひとりである菅栄太郎氏が来ておられる。奥様ともども、私も知らない先生の思い出話をいろいろと聞かせていただく。

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 ↑ 須田剋太画伯が描かれた森先生の似顔絵を挟んで、先生の奥様と共に。


【書いたもの】
□山田邦和「角田文衞『西洋古代史(1934年)(1)』主旨」(『古代文化』第65巻第4号掲載、京都、古代学協会、2014年3月30日)、90〜92頁。

2014.03.21

お祝いの花束、見つけた!、の巻

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 先々週、木屋町三条に開店した新しいお店。工藤静香さんからの花束。たまたま妹が通りかかって、教えてくれた。静香さんとこのお店とがどういうつながりなのかは知らないが、ともあれこれで感動しなくては、ファンじゃない (^-^;。ただしお店の本業は服のようで、これは私にはあんまり関係しそうにないのであるが、天然酵母パンのお店も併設されているようなので、こちらはそのうち買いに行こう。

2014.03.18

平安京・京都研究集会「山科本願寺」、の巻

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(↑ 「梅を愛でながらウグイスを放つ蓮如上人」。いい風景。暖かくなってきましたな〜〜(o^-^o)。於・西宗寺)

 3月16日(日)
 第28回 平安京・京都研究集会「山科本願寺・寺内町再考」が終了いたしました。巡見、研究会ともに満員。たくさんの御参加、ありがとうございましたm(_ _)m。私も、久しぶりに山科本願寺を歩くことができ、また、その最先端の研究成果に触れされていただき、大変な勉強になりました。やっぱりこの遺跡は、京都の宝物だということをつくづく感じました。これを大事にしていけるように、今後もより多くの方々へ理解を深めていただけるような活動を広げていきたいと思いまする

2014.03.15

「幻想の画家ダリとフランス近代絵画の巨匠たち」(滋賀県立近代美術館)展、の巻

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 3月15日(土)
 私の大好きな芸術家のひとりが、シュールレアリスムの巨匠・サルバドール・ダリ。彼の作品には、いつも魂を揺さぶられるような想いを感じさせられている。滋賀県立近代美術館で「幻想の画家ダリとフランス近代絵画の巨匠たち〜諸橋近代美術館コレクションより〜」が開催されているので、行くことにする。今回の展覧会には、福島県の公益財団法人諸橋近代美術館の所蔵品が出品されている。日本にもこんな凄いダリ・コレクションがあるんだな。感動。
 会場の終わりに、ダリの「メエ・ウエストの部屋」のそのままの再現品がある。実物はスペイン・カタルーニャのダリ劇場美術館に、同美術館のメイン作品のひとつとして展示されている。いつかはこの美術館にも行ってみたいと熱望するのだが、残念ながら現状ではその夢がいつ果たせるかはわからない。したがって、再現品とはいえ、日本でこれにお目にかかれるとはまことに嬉しい。しかも、そこに座って写真を撮るのも自由という大盤振る舞いである。と、いうことで、早速に記念撮影。 ミュージアム・ショップでは、ダリの「聖アントニウスの誘惑」に登場する足の長い象をモチーフにしたフィギュアを入手。

2014.03.11

山中章先生ご退職記念祝賀会、の巻

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 3月9日(日)
 「山中章先生ご退職記念祝賀会」於三重大学。

 三重大学名誉教授・山中章博士。いうまでもなく私にとっては仰ぎ見るような先学であり、かつ、永年にわたって親しくおつきあいをさせていただいている方である。私のこの「平安京閑話」と、山中さんのブログ「yaaさんの宮都研究」の両者の丁々発止のジャレ会いなど、かつてはネット考古学界の名物として一世を風靡していたことであった(?)。
 その山中さんが、この3月末をもって三重大学特任教授(三重大学は名誉教授称号を授与された後でも特任教授を続けるというシステムになっているらしい)を定年により退任される、ということで、「三重大学人文学部 山中章先生ご退職記念祝賀会」が開かれることになった。私としても、これは何をおいても駆けつけねばならないのである。

 まずは三重大学における山中さんの「退職記念講演会」。大きな教室がぎっしりである。年配の市民とお見受けするような人々もたくさん出席されているのは、おそらく山中さんのファンであるとか、山中さんが積極的にとりくんでこられた遺跡保存運動と研究の社会還元運動の関係の方々なんだろうな。
 山中さんの記念講演は「考古学と文献史学の狭間で—宮都研究から伊勢湾岸研究、再び宮都研究へ—」。まず、前半部では山中さん自らの考古学的人生を第I期(揺籃期)、第II期(変革期)、第III期(確立期)、第IV期(転換期)、第V期(集成期)に編年づけ、ふりかえっていく。ちなみに、第I期は小学生〜高校生、第II期は大学生〜卒業前後、第III期は向日市在職、第IV期は三重大学教授在任、第V期はこの3月の退職以降、ということになるという。山中さんは、高橋美久二滋賀県立大学教授と今泉隆雄東北大学教授を「二人の恩人」と呼んでおられる。どちらも故人となられてしまった(今泉先生は昨年末に旅立たれた)のであるが、このお二人について語られる時には、山中さんの声が涙声になるのに強い印象を受けた。後半部は山中さんの業績を自らが振り返り、その研究史的位置づけと、最近の動向に対する批判をおこなっていく。特に批判の部分は、「山中節」の炸裂である。
 とはいうものの、山中さんの質量ともに兼ね備えた圧倒的なお仕事の全容を語るのは、いくら御本人とはいえども限られた時間では不可能。このあたりは、同時に刊行された『三重大史学』第14号「山中章教授退職記念号」(三重大学人文学部考古学・日本史・東洋史研究室、2014年3月)に「考古学と文献史学の狭間で—宮都研究から伊勢湾岸研究へ—」と題してまとめられている。これ、長岡京を始めとする古代都城に関心を持たれる方、日本考古学史の一断面を知りたい方、山中章博士という個人に興味を持たれる方には、それぞれ必読である。

 講演終了後には、津駅前のホテルに場所を移して、記念祝賀会。受付で担当の学生さんに捕まって「山田先生、スピーチをお願いいたします」という御指名とともに、大きな大きな花を胸につけられてしまう。多くの方々は立食なのだが、「花組」は中央正面にテーブル席まで用意していただき、ありがたいやら恥ずかしいやら。会には、山中さんのご家族も皆さんそろって御出席である。ところで、学問的には「鬼」の異名をとる山中博士であるが、唯一絶対ともいうべき「弱点」は、いま四歳になるお孫さんのお嬢ちゃんである。えらく活発で明るい女の子。しかしお爺ちゃん大好きの甘えたで、何かにつけては山中さんの足にしがみつきにくる。その時の山中さん、ニターッと相好を崩し、幸せ一杯である。からかってみたくなったので、彼女に「オジちゃんの子にしてあげるから、オジちゃんとこにおいでよ!」と手招きをしたが、「ヤダッ!」と一瞬でフられてしまったぞ (^-^;。

 この何年かにわたって山中さんが悩んでおられたことのひとつは、山中さんが辞められた後、三重大学に山中さんの後任の考古学の教員が採用されるか、ということであった。現在の大学では、ある教員が退任してしまうとそのポストが当局に召し上げになってしまい、最悪の場合には教員減員の材料にされたりする。大学における当該の学問の伝統がそこでプツリと途切れてしまうことも充分にありうるのである。山中さんもそれを危惧しておられたのであるが、おそらくは山中さんの同僚の先生方が大変な努力をされて三重大学における考古学の重要性を当局に訴えられたのであろう、それが認められて、無事に4月から新しい考古学の教授が赴任されることになった。私もよく存じ上げている方であるが、おそらくはこれ以上は望めないほどにすばらしい先生である。三重大学の考古学の伝統がこうして引き継がれて行くことに、感動する。

 二次会まで出席させていただき、時間の許す限り、歓談する。帰りの近鉄特急の中では山中さんとまたまた話し込む。

 山中章先生、16年間にわたる三重大学でのお仕事、お疲れさまでした。今後はまたまた京都を本拠として研究に励まれることと存じます。どうか健康には気をつけていただきながら、ますますのご発展を祈念しております。そして、末永く、よろしくm(_ _)m。

2014.03.06

目の治療、の巻

 3月3日(月)
 3月2日に条里制・古代都市研究会大会から帰宅して、書斎にこもる。この半年ほど悩み続けてきた原稿がひとつあるのだが、明らかにもう提出しなくてはならない時期である(というか、もう締め切りを過ぎている〈ゴメンなさい〉)。風の噂では、なかなか提出しない執筆者に対して、編集者からの取り立ての凄まじさは言語に絶するという。この噂の真偽のほどは知らないが、小心者の私としては、こんな話が流れてくるだけで心臓が止まるほどの(これはシャレにならない)恐怖を感じるのである。しかし、パソコンにむかっても、いいたいことがなかなか文章となって湧き出てこないもどかしさに、ここ半年ほどは苦吟に苦吟を重ねた。制限枚数を超過して肥大化した分を削ってスリムにしながら、さらに言い足りないところを付加していくというのは難行苦行。深夜、なんとか形を整え、送付する。

 実は、この間、もうひとつ気になっていることがあった。左目の調子が悪いのである。視界がぼやける。目の中を、何か半透明のふわふわした小さな塊が自在に行き交っているような感じである。とりあえず「疲れ目」の目薬を指してみるが、あんまり効いた様子がない。もしかして入院?手術?といった想像が頭をよぎる。しかし、なかなか医者に行くふんぎりがつかない。でも、手遅れになるのも怖いので、ようやく眼科に足を運ぶ。
 いろいろな検査をしてわかったのは、怖れていた白内障などではなく、左目に網膜裂孔ができているということである。つまり、加齢のためか網膜に小さな穴があいてしまっているというのである。お医者さんによると、網膜裂孔自体はそんなにこわいわけでもないのだが、危険なのは、これを放っておくとそこから網膜剥離を引き起こす可能性があるということ。網膜剥離となるとやはりおおごとだし、最悪の場合にはそちらの目が見えなくなってしまうという危険性すらある。
 ということで、光凝固という手術を受けることになる。網膜の孔の周囲をレーザー光線で焼いて固める、というのである。日程を調整して、一度帰宅して、ということになるのかと思ったが、すぐにできるというので、ためらっていても仕方ない。
 目にいくつかの薬を入れられて、瞳孔が拡大させ、麻酔をかける。目にレンズのようなものをはめ込まれて、そこにレーザーを照射。激痛というわけではないのだが、やはり目の奥がジュッ、ジュッと焼かれていくたびに、身体がこわばってしまう。手術自体は十数分で終了。ただ、やはり私は小心者。緊張が解けず、しばらくは待合室で身体を休めなければならないことになってしまう。
 帰宅途中でも、薬が切れるまで、左目はほとんど見えていない。食事をするが、視野が半分くらいの中では、ぜんぜん美味しくない。食べ物というのが味覚だけではなく視覚も大きな要素になるというのを実感する。ともあれ、その日は帰宅して、ひたすら目を休める。夕方になって、ようやく視力も回復。

2014.03.04

平安京・京都研究集会「山科本願寺」予告、の巻

平安京・京都研究集会をおこないます。こぞって御参加ください。
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第28回 平安京・京都研究集会「山科本願寺・寺内町再考」
  主催)平安京・京都研究集会、後援)日本史研究会

 1990年代後半、土塁跡の保存運動の過程で研究が進んだ山科本願寺・寺内町(『戦国の寺・城・まち』法蔵館)については、近年、御坊中心部の様相が発掘調査によって解明されつつある。
 本集会では、真宗史、都市論の最新の研究成果とかみ合わせることで、越前吉崎、摂津大坂の間に位置する山科本願寺、ならびに最大規模の本山系寺内町の実態にせまりたい。

2014年3月16日(日) 9:30~17:30

【現地見学会】
  集合;9時30分 地下鉄東西線「東野」駅改札口
  見学;本願寺・寺内町跡発掘調査跡地、残存土塁、地形など
   ※雨天決行   ※12:00 解散予定
【研究集会】
  時刻:13:30〜17:30(予定)
  会場:ラクト山科(ラクトB) 6F コミュニティルーム
      京都市山科区竹鼻竹ノ街道町  075-501-3377
        JR・京阪・地下鉄「山科」駅から徒歩5分
        http://www.racto.jp/access/
        http://www.racto.jp/sportsplaza/community.php
    ※いつもの機関紙会館とちがいますので御注意ください。
   報告;安藤 弥氏(同朋大学、真宗論)「真宗史から見た山科本願寺・寺内町」
     柏田有香氏((公財)京都市埋蔵文化財研究所、考古学)「発掘調査成果から見た山科本願寺の造営と堂舎配置」
     大澤研一氏(大阪歴史博物館、寺内町論)「都市論としての山科」
  司会;山本雅和氏(京都市考古資料館)、仁木 宏氏(大阪市立大学)

   ※参加自由。一般来聴歓迎、但し内容は専門的です
   ※要資料代

世話人;上杉和央、中村武生、仁木 宏、浜中邦宏、福島克彦、桃崎有一郎、山田邦和、山本雅和

◆次回の予定    2014年夏  平安京貴族邸論
   赤澤真理氏(同志社女子大学、建築史)
   南 孝雄氏((公財)京都市埋蔵文化財研究所、考古学)
   吉野秋二氏(京都産業大学、文献史)

2014.03.03

条里制・古代都市研究会第30回大会、の巻

 3月1日・2日
 条里制・古代都市研究会の第30回の大会で、奈良文化財研究所平城宮跡資料館行き。

 1日目は、午前中に評議員会。私はこの学会で2009年~10年の2年間、事務局長をつとめた。事務局長は退任後2年間は会計委員の一翼を担うということになっているので、2011年~2012年の2年間はいちおう役員の末席に加わっていた。その任期も終了し、昨年からは評議員に入れていただいている。ただ、評議員会の席上、今回大会の進行のやりかたを決める中で、2日目の「質疑・討論」の「座長」に仁藤敦史さんとともに指名された。きちんとできるかな、と思ったが、吉川真司事務局長よりの要請であるから、これはなんとかやらねばなるまい。

 1日目は、最近10年間の条里制・古代都市研究ということで、岸本直文さんの「7世紀後半の条里施行と郷域」、積山洋さんの「難波宮・難波京研究の新展開」、井上和人さんの「平城京左京南辺特殊地区再論」の3本の報告。いずれも練達にして威風堂々、充実した報告である。特に岸本さんの自信に満ちた語り口は見事そのもの()()()。終了後には有志での懇親会。しかし明日があるので、あんまり飲み過ぎないように注意する。

 2日目は「調査レポート」。各地から、5本の報告。討論の司会が当たっているので、耳を澄まして聞き入る。京都府埋蔵文化財調査研究センターの高野陽子さんは「丹波国府周辺の条里関連遺構」の報告。平安時代末期の文覚上人の水路開削伝承と考古学的成果の不思議な合致に、感動してしまう。

【しゃべったこと】
□仁藤敦史・山田邦和(座長)、小池伸彦・高野陽子・山本悦世・福田秀生・吉野武(パネラー)「(調査レポート)質疑・討論」(条里制・古代都市研究会「第30回条里制・古代都市研究会大会」、於奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂、2014年3月2日)。

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